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マニラから北へ200Kほど離れたサンフェルナンドに程近い<br />ラ・ウニオンのビーチで数日過ごした後に再びマニラに戻った。<br /><br />YMCAに再び投宿するつもりでいた予定が、不運にもドミトリー以外は、部屋が塞がっていて取れなかった。<br />今回の旅は10日程の短い休暇なので、安宿に泊まる事もないのに、生来のバックパッカー癖が自分も相方もいつまでも抜けないのか、安宿を求めて探しまわってしまう、おいら達(―_―)! !いま思い出しても、まったく訳が分からない気がする。m(__)m<br /><br />結局、マビニ地区の妖しげな連れ込み宿に泊まることになった。←これも今思い出すと訳が分からない。(―_―)!!<br />ここはマニラの歌舞伎町というか、どちらかと云えば、ちょいと前の毒々しく、雑多な雰囲気に溢れていた再開発される前の錦糸町みたいなエリアである。この連れ込み宿の名前が今、思い出そうとしてもど〜しても思い出せない。<br /><br />後年、戦後生まれの作家として最初に芥川賞を取り、46歳で急逝した超骨太な作家、中上健次の東南アジア紀行のようなエッセイを読んでいたら、このマビニ地区のこの宿の名前が出てきて、とても驚いた事があった。彼もこの宿に滞在していたという。ほぼ同時期に滞在していたようだった。中上健次のアジア紀行を読みながら、あの巨体で同じ連れ込み宿に泊まったという事に、妙にシンパシーを感じた事を覚えている。人懐っこい姉妹が受付に居たことも書かれていたように記憶する。我々もこの姉妹には、とても良くして貰った印象がある。相方は姉妹の一人と、帰国後も手紙の遣り取りをしていたようである。隣は確かディスコティックだった。<br /><br />宿で荷を解いた我々は、夕刻に近かったが、電話でエリザベスにマニラに戻った事を告げ、夕食でも一緒に摂りましょうと、マビニ地区のホテル名を告げると、やがて弟の運転する車で歳の離れた小学生の妹と三人で訪ねてきた。<br />彼女は間口の狭い宿の外観を眺めながら、開口一番、云ったものである。「何故、マビニのこんな所に宿をとったの??」<br />「YMCAが取れなくて、仕方なく安宿を探していたら何故だか、ここに辿り着いてしまった」 妙な空気と雰囲気に、私は微妙に弁解がましく答えたものであるm(__)m<br /><br /><br />「私が知っている日本レストランがあるから、そこで食事しましょう」 <br />私は二年前にパスポートをタクシーに置き忘れた時に、捜索に尽力してくれたダニーという名のフィリピン人を伴ってその日本レストランを訪れたことがあった。<br />ひょんなことから、店のマスターとも懇意になり、招待を受けケソンシティのマスターの住いにも訪ねて行ったものである。運転手役の弟に二年前に貰った店の名刺を渡し、車を走らせた。その店は日本で最も有名な山の名前を店の屋号にしていた。<br /><br />店内で差配していたマスターの元に向かい。以前この店を訪れた時の顛末を話した。二年前にたった一度だけ訪れた私の事を驚いたことにオーナーマスターは覚えていた。<br />「本当によく 来てくださいました。ありがとうございます」<br />穏やかで温和な表情を浮かべながらも顔中が髭だらけのままだったのは二年前と同じだった。相変わらずシンガーの上条恒彦に良く似ていた。<br /><br />「二年前はタクシー内に置き忘れたパスポートを捜す手伝いをしてくれた人とこの店に初めて来たのですが、今日はそのタクシー会社のファミリーの方と来ました」<br />「そうでしたね。タクシーに置き忘れたパスポートや金品が戻ってくる事は、マニラでは絶対に有り得ませんし、とても印象的な事だったからよく覚えていますよ」  そしてマスターは意外なことを付け加えた。<br /><br />「そういえば、あの時、貴方が伴っていた男、私の片腕になっている人間からの情報ですけど、今は、投獄されているようですね。詐欺行為を働いたみたいですよ」<br />二年前にダニーが実は危ない人物らしいと教えてくれたのも、この店のマスターだった。<br />http://4travel.jp/traveler/kio/album/10030372/ <br />二年前の帰国後、いまは投獄されているというダニーに私はパスポート探しに尽力してくれた事に感謝の手紙を送ったが、返事は無かったことを思い出した。<br /><br />日本食は初めて食べるという、エリザベスの妹の小学生の娘が、日本食は口に合うだろうかと心配したが、天婦羅定食を美味しそうに食べてくれたので、嬉しかった。<br />程よく食事を終えた我々はマスターに礼を云い、店を後にした。<br /><br />夕食後、車でマニラ湾に向かった。雄大で荘厳なマニラ湾の夕陽は既に沈んでいたが、数多くの人達が涼みに来ているのか、ライトアップされているわけでもない、ただ暗いだけの海岸線で佇んでいた。キャンディー売りや、いくつもの出店が涼み客を当てにして商売をしているほど、海岸線は人で溢れていた。 なにかイベントでもあるの?とエリザベスに尋ねると、イベントが無くても毎晩、こんな感じだと云う。<br /><br />今も同じような情景が毎晩のように続いているのだろうか、この文章を書きながらふと思った。<br />

フィリピン再訪記ー5 パスポート置き忘れ事件から二年後 編

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1980/08/10 - 1980/08/19

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kio

kioさん

マニラから北へ200Kほど離れたサンフェルナンドに程近い
ラ・ウニオンのビーチで数日過ごした後に再びマニラに戻った。

YMCAに再び投宿するつもりでいた予定が、不運にもドミトリー以外は、部屋が塞がっていて取れなかった。
今回の旅は10日程の短い休暇なので、安宿に泊まる事もないのに、生来のバックパッカー癖が自分も相方もいつまでも抜けないのか、安宿を求めて探しまわってしまう、おいら達(―_―)! !いま思い出しても、まったく訳が分からない気がする。m(__)m

結局、マビニ地区の妖しげな連れ込み宿に泊まることになった。←これも今思い出すと訳が分からない。(―_―)!!
ここはマニラの歌舞伎町というか、どちらかと云えば、ちょいと前の毒々しく、雑多な雰囲気に溢れていた再開発される前の錦糸町みたいなエリアである。この連れ込み宿の名前が今、思い出そうとしてもど〜しても思い出せない。

後年、戦後生まれの作家として最初に芥川賞を取り、46歳で急逝した超骨太な作家、中上健次の東南アジア紀行のようなエッセイを読んでいたら、このマビニ地区のこの宿の名前が出てきて、とても驚いた事があった。彼もこの宿に滞在していたという。ほぼ同時期に滞在していたようだった。中上健次のアジア紀行を読みながら、あの巨体で同じ連れ込み宿に泊まったという事に、妙にシンパシーを感じた事を覚えている。人懐っこい姉妹が受付に居たことも書かれていたように記憶する。我々もこの姉妹には、とても良くして貰った印象がある。相方は姉妹の一人と、帰国後も手紙の遣り取りをしていたようである。隣は確かディスコティックだった。

宿で荷を解いた我々は、夕刻に近かったが、電話でエリザベスにマニラに戻った事を告げ、夕食でも一緒に摂りましょうと、マビニ地区のホテル名を告げると、やがて弟の運転する車で歳の離れた小学生の妹と三人で訪ねてきた。
彼女は間口の狭い宿の外観を眺めながら、開口一番、云ったものである。「何故、マビニのこんな所に宿をとったの??」
「YMCAが取れなくて、仕方なく安宿を探していたら何故だか、ここに辿り着いてしまった」 妙な空気と雰囲気に、私は微妙に弁解がましく答えたものであるm(__)m


「私が知っている日本レストランがあるから、そこで食事しましょう」 
私は二年前にパスポートをタクシーに置き忘れた時に、捜索に尽力してくれたダニーという名のフィリピン人を伴ってその日本レストランを訪れたことがあった。
ひょんなことから、店のマスターとも懇意になり、招待を受けケソンシティのマスターの住いにも訪ねて行ったものである。運転手役の弟に二年前に貰った店の名刺を渡し、車を走らせた。その店は日本で最も有名な山の名前を店の屋号にしていた。

店内で差配していたマスターの元に向かい。以前この店を訪れた時の顛末を話した。二年前にたった一度だけ訪れた私の事を驚いたことにオーナーマスターは覚えていた。
「本当によく 来てくださいました。ありがとうございます」
穏やかで温和な表情を浮かべながらも顔中が髭だらけのままだったのは二年前と同じだった。相変わらずシンガーの上条恒彦に良く似ていた。

「二年前はタクシー内に置き忘れたパスポートを捜す手伝いをしてくれた人とこの店に初めて来たのですが、今日はそのタクシー会社のファミリーの方と来ました」
「そうでしたね。タクシーに置き忘れたパスポートや金品が戻ってくる事は、マニラでは絶対に有り得ませんし、とても印象的な事だったからよく覚えていますよ」  そしてマスターは意外なことを付け加えた。

「そういえば、あの時、貴方が伴っていた男、私の片腕になっている人間からの情報ですけど、今は、投獄されているようですね。詐欺行為を働いたみたいですよ」
二年前にダニーが実は危ない人物らしいと教えてくれたのも、この店のマスターだった。
http://4travel.jp/traveler/kio/album/10030372/ 
二年前の帰国後、いまは投獄されているというダニーに私はパスポート探しに尽力してくれた事に感謝の手紙を送ったが、返事は無かったことを思い出した。

日本食は初めて食べるという、エリザベスの妹の小学生の娘が、日本食は口に合うだろうかと心配したが、天婦羅定食を美味しそうに食べてくれたので、嬉しかった。
程よく食事を終えた我々はマスターに礼を云い、店を後にした。

夕食後、車でマニラ湾に向かった。雄大で荘厳なマニラ湾の夕陽は既に沈んでいたが、数多くの人達が涼みに来ているのか、ライトアップされているわけでもない、ただ暗いだけの海岸線で佇んでいた。キャンディー売りや、いくつもの出店が涼み客を当てにして商売をしているほど、海岸線は人で溢れていた。 なにかイベントでもあるの?とエリザベスに尋ねると、イベントが無くても毎晩、こんな感じだと云う。

今も同じような情景が毎晩のように続いているのだろうか、この文章を書きながらふと思った。

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