2012/05/06 - 2012/05/06
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秀吉・清正所縁のお寺の紹介の締め括りです。加藤清正が建立した、秀吉所縁の常泉寺は、昭和58年4月に火災に遭いましたが、僅か4年で再建されました。常泉寺は、松尾芭蕉にも影響を及ぼしたとされる木下勝俊こと、木下長嘯子の邸宅跡に建てられたようです。木下勝俊は、秀吉の正室・おね(北政所)の甥にあたる人で、若狭9万石の藩主の時代もありました。(ウィキペディア)
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常泉寺本堂の正面光景です。
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イチオシ
本堂の扁額、『太閤山』です。太閤山(たいこうやま)は、富山県射水市に実在します。1585年、当時の羽柴秀吉が、富山城の佐々成政を攻めた『富山の役』で、この地域に陣を張ったことに由来する名前です。
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お洒落な姿の石灯篭の光景です。丸い傘石が、帽子を被ったように見えます。年代を経ている石灯篭のようです。
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新緑の枝垂れ桜のようです。『矢島文昭上人第参行成満記念』の植樹でした。日蓮宗の荒行達成の記念植樹でした。
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『結びの輪』です。
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『結びの輪』の解説の立札です。
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昭和58年4月に火災に遭い、その後に多くの支援を受けて、僅か4年で再建された経緯が記された石碑です。
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立派な枝振りの松の姿です。五葉松でしょうか、しっかりと手入れがされていました。
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衣冠束帯姿の『豊太閤之像』です。天皇への謁見の時の正装でしょうか。頭には冠、手には笏を持ち、浅沓を履きます。
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イチオシ
衣冠束帯姿の『豊太閤之像』のアップ光景です。越しに刀を差しているところが、公家とは違うところでしょうか。緊張の顔付にも見えます。
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『豊太公産湯の井戸』の全景です。この井戸が常泉寺の寺号の元になったと、お寺の縁起書に記されていると紹介されていました。
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『神誕之井』の文字が刻まれているようです。『神』とは、亡くなった後に天皇から神位を授けられた、豊太閤のことです。
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『神誕之井』の石碑の裏側の光景です。施主の高橋某の名前と住所が刻まれていました。それほど大きくない石碑です。江戸時代のものでしょうか。
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『豊公御誕生井』の文字が刻まれた石柱のアップ光景です。鉄のバンドで説明看板が結束してありました。
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説明看板のアップ光景です。昭和40年代に地下水が枯れてしまったことから、平成年代に入って、清水の湧出のための再現工事が行われたようです。更に深く井戸が掘られたのでしょうか。
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イチオシ
『豊太公産湯の井戸』の光景です。千成鰾潭を模した石組です。
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『豊太公産湯の井戸』の建物に懸かっていた、『鷹の井』の名札です。
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横から眺めた、『豊太公産湯の井戸』の光景です。
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「昭和42年吉日建立・太閤山追偲の会』のなまえが刻まれた石碑です。太閤山常泉寺の縁起が記されているようでした。
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境内の傍らにあった、檀家の御墓群です。
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お墓の傍らにあった地蔵尊です。左手に子供、右手に杖を持ち、素足のお姿です。光背もあります。釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となるため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う菩薩様とされます。
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秀吉公のお手植えと伝えられる柊の樹です。説明の立札には、『秀吉公が小田原城攻めの凱旋の帰路にこの地で1泊し、11歳の時に植えた柊を吉祥の樹として大切にするよう言い付け、自ら竹の支柱を立てられた』旨の解説が記されています。お寺が建ったのは、その後のことのようです。
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地蔵菩薩を祀った小さな祠です。お供えされた花に囲まれ、千羽鶴が懸けられていました。ここにも〆縄がありました。
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地蔵菩薩のお顔のアップ光景です。子守地蔵と呼ばれるお姿でしょうか。古代インドに起源を発しますが、地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を優先して救済する菩薩様とされ、日本でも絶大な信仰を集めてきました。
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昭和58年の火災のあと、昭和63年に再建された本堂の光景です。端正な姿をした大屋根の光景です。
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南側の門から入って常泉寺を見学しましたが、退出したのは西門です。もう一度中村公園に立ち寄るためでした。秀吉公お手植えの柊と本堂の光景です。
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常泉寺の西門脇にあった石碑です。『豊公・御誕生井・御手植之柊・太閤山』の文字がありました。
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常泉寺の西門脇にあった、もう一つの石碑です。『木下長嘯子邸址・愛知県』の文字がありました。
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『木下長嘯子宅跡』の解説板です。本名は木下勝俊、秀吉の正室の北政所の甥に当たり、若狭9万石の藩主でしたが、所領を失った後は京で幽棲したことなどが解説されていました。松尾芭蕉にも影響を及ぼしたとされる文人です。
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常泉寺の常泉寺の見学を終えた後、西側から眺めた本堂の破風付近の光景です。地蔵尊の赤い幟も顔を覗かせていました。
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