2012/04/05 - 2012/04/07
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montsaintmichelさん
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ヤマト民族の古里・まほろばと形容される九州を温泉に浸かってのんびり周遊してきました。
3日目:瀬の本高原 = 高千穂峡 = 天岩戸神社 ~ 天安河原 = 熊本IC = 小倉(新幹線) → 新大阪
高千穂はどこか神秘的で幻想的な世界に浸れ、『まほろば』という言葉がぴったりの古里です。メインテーマは、『神秘なる自然造形美の堪能』と『神話の古里・パワースポット訪問』です。甘美な真名井の滝、屹立する苔生した溶岩柱状節理の断崖岸壁、樹林の緑陰、碧豊かで神秘的な渓谷の妙が織りなす盆栽の如く繊細な景観を賛美し、癒しややすらぎを味わい、古代創生の神々のオアシス、ヤマトのまほろばの神髄に触れられました。また、それらが発するマイナスイオンを浴びて俗世間を忘れ、心が洗われた気分です。壮大な自然の中で、ちっぽけな自分に気付くことができました。
天岩戸を祀る古刹に参拝し、阿蘇大明神(健磐龍命)や高千穂大明神(三毛入野命)の活躍の舞台に思いを馳せることができました。この古里は、日本人のDNAに刷り込まれたアイデンティティを振り返るのに最適なスピリチュアル・スポットです。神社の凛とした空気感や神楽の鈴の響きがヤマト民族のDNAに共鳴し、『そこはかとなく懐かし哉』というある種のノスタルジーを呼び覚まされました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 読売旅行
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-
イチオシ
瀬の本高原 三愛高原ホテルからの阿蘇涅槃像
阿蘇五岳の山肌がくっきり浮き出ています。 -
瀬の本高原
三愛高原ホテルからの阿蘇涅槃像パノラマビュー -
高千穂峡
バスは高千穂大橋を渡った所にある大橋駐車場に停車します。有名な真名井の滝がある方向とは逆方向です。恐らく、御橋付近の駐車場が満車になったのでしょう。ここから渓谷まで急な階段を一気に降りていきます。終点の御橋までは、ゆっくり鑑賞しながら片道30分程のハイキングです。五ヶ瀬峡谷として名勝天然記念物に指定されており、1965年に祖母傾国定公園に指定されました。
帰りは、御橋からマイクロバスで大橋駐車場まで輸送していただけます。足腰に自信がない方は、ここからマイクロバスで御橋まで送ってもらって真名井の滝やオノコロ池、玉垂の滝を見物することができます。ご年配の方は、直接御橋へ向かわれる方が多かったようです。
高千穂峡の周辺マップです。色々チェックしましたが、これが一番分かり易いです。
http://www.nextftp.com/morimori/pan/takachihokyou_a.htm -
高千穂峡 神硯の岩
寛政の三奇人の一人に数えられた高山彦九朗が1792年に高千穂を訪れています。その紀行文「筑紫日誌」に「神橋を渡ると右に十間くらいの岩があって硯のような形をしている。特段名前もないようなので硯石と名付けてはどうかな」と記されています。
一昨日の夜に雷雨があった関係で硯のように水が溜まっていました。雨が少ないと干上がってしまい、窪みだけになるそうです。 -
高千穂峡 甌穴(おうけつ)
川底の岩にできる円筒形の深い穴のことで、かめ穴やポットホールとも言います。川底の岩の窪みや割れ目に渦巻きが生じ、そのエネルギーによって穴ができます。さらに、その穴に入った小石が渦巻きによって岩を削るため、こうした深い円筒形の穴ができるのだそうです。甌穴は遊歩道のあちこちで見られます。 -
高千穂峡 槍飛橋手前から望む三代橋
ここからは、手前から石造りの神橋、鉄製の高千穂大橋、鉄筋コンクリート製の神都高千穂大橋が望めます。それぞれ1947年、1955年、2003年に架けられた橋で、時代の流れを感じさせてくれます。 -
高千穂峡 槍飛橋からの景観
五ヶ瀬川の中で最も川幅の狭い場所です。1591年延岡の領主高橋元種に高千穂が攻められた時、三田井城が落ちました。家来たちはここまで逃げてきましたが、橋がなく、槍の柄を手前についた者は飛ぴ渡ることができ、向うについたものは川の中に落ちたと伝えられています。それで「槍飛び」と言うようになったそうです。
少なく見積もっても川幅は5mはありそうでした。 -
高千穂峡 仙人の屏風岩
対岸に広がる屏風面の岩を仙人の屏風岩と呼び、高さは約80m。不老不死の術を得、神通力を持つ仙人にこそ成せる業のような自然の造形美ということから命名されたそうです。 -
高千穂峡 柱状節理
高千穂町の街は、阿蘇火砕流の熔結凝灰岩が谷を埋めた台地の上に広がっています。この火砕流台地を五ヶ瀬川が削りこんで造ったのが高千穂峡。熔結凝灰岩が柱状節理の節理面に沿って崩落するため、峡谷の両岸は垂直に切り立った断崖絶壁になっています。人を寄せ付けない自然の畏怖を感じます。 -
高千穂峡 柱状節理
見事な柱状節理です。この光景は兵庫県豊岡市にある玄武洞や北アイルランドの世界遺産の一つ「ジャイアント・コーズウェイ」を彷彿させる景観です。霊感の強い人は、この岩の上に腰掛けている精霊の姿を見ることができるそうです。
柱状節理とは、岩体が柱状になった節理のことです。六角柱状のものが多いのですが、五角柱状や四角柱状のものもあり、マグマの冷却面と垂直に発達するのだそうです。 -
高千穂峡 鬼八の力石
高千穂神社の祭神 三毛入野命は弟の初代天皇の神武天皇とともに東方の飛鳥、後の倭に東征されます。伝説では再びお帰りになり、高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた鬼八(正確には熊襲の一反乱部隊)を退治し、この一帯を治めたと伝えられています。その時、鬼八が三毛入野命に投げつけて力自慢をした石だそうです。重さはなんと約200トンもあります。 -
高千穂峡 七ツヶ池
昔は、七つの穴がつながって池となっていたそうです。池は青々とした茂みの下にあり、水量が豊富で七色に変化し、竜神が棲んでいたと伝えられています。また、三毛入野命が高千穂峡を散歩された時、水鏡に映る美しい娘 鵜ノ目姫と逢われた所です。岩のうねり(甌穴)の間から泉酒が湧き出るとも伝えられています。
この上部にある遊歩道から溜池状の七ツヶ池が見られるそうです。今回は時間の都合で池を拝むことはかないませんでした。 -
高千穂峡
辿ってきた遊歩道を振り返るとこんな光景が広がっていました。 -
高千穂峡 真名井の滝
日本の滝百選に選ばれ、幽玄な世界観に魅せられます。滝の落下高さは約17m。ボ ートに乗ると滝壷近くまで行くことができますが、遊歩道の滝見台からの景色が最も優美です。そそり立つ柱状節理の断崖絶壁、木漏れ日に水しぶきを煌めかせて紺碧の渓流に落ちる真名井の滝は圧巻です。マイナスイオンたっぷり、満ち足りた気分が満喫できます。甘美な真名井の滝、屹立する苔生した阿蘇溶岩柱状節理の断崖岸壁、樹林の緑陰、碧豊かで神秘的な渓谷の妙が織りなす盆栽の如く繊細な景観を賛美し、癒しややすらぎが味わえ、古代創生の神々のオアシス、ヤマトのまほろばの神髄に触れられます。 -
イチオシ
高千穂峡 真名井の滝
あまりにも神秘的でパワフルな断崖絶壁の景観は、上から見ても下から見ても大きなエネルギーを授かることができるパワースポットです。阿蘇山が生んだ水名勝の中でも随一と称されるその美しさは、浄化と気力充実の御利益を生み出すと共に神話の古里・高千穂にふさわしい神々しさも兼ね備えています。特に新緑の季節の瑞々しい感覚と秋の紅葉に彩られた風景は、一生の思い出になる絶景です。ぜひ、一度訪れてみてください。 -
イチオシ
高千穂峡 真名井の滝
ガイドブックなどの写真には、これとほぼ同じ角度の写真が数多く掲載されています。実は、この位置に滝見台という撮影スペースがあるからなのです。この日は、ガイドブックと見紛うばかりのエメラルドグリーンの渓流が撮影できました。特段にカメラが良いわけではないので、お天気次第と言うことだと思います。
高千穂峡のボートは、いつも待ち時間があり、休日は午後2時頃に受付が終了する程だそうです。ですから、乗るなら朝一番がいいそうです。7時半から営業されているようです。 -
高千穂峡 真名井の滝
度々ドラマの舞台になっていますから、この景色に見覚えのある方も多いのでは?高千穂峡はどこか神秘的で幻想的な世界に浸れ、『まほろば』という言葉がぴったりです。凛とした空気やゆっくり流れる時間を満喫したい方にお勧めです。森や川のせせらぎからマイナスイオンを浴びれば、俗世間を忘れて心が洗われます。壮大な自然の中でちっぽけな自分に気付けるのでは? -
高千穂峡 真名井の滝
太古の昔、高千穂峡へと降り立った神々は、日が昇る東へ東征したと伝えられています。高千穂峡から夏至の日の出方向へ向かうと、そこには高野山、伊勢神宮、富士山、明治神宮、皇居、鹿島神宮が一線上に連なります。偶然の賜物なのか、このラインはちょうど中央構造線という活断層の位置と重なり、ある種のパワースポットになっているそうです。風水的に言うなら、龍脈と言った所でしょうか。昔の人は、どのような方法でなのかパワースポットを肌身で感じ取り、その場所を信仰の場としたようです。 -
高千穂峡
名残を惜しんで遊歩道から鬼八の力石方面を振り返ります。 -
高千穂峡 オノコロ池とオノコロ島
澄んだ水を蓄えているオノコロ池には、コイ・フナ・チョウザメなどが悠々と泳いでいました。中央の祠がある島が、オノコロ島です。上部には玉垂の滝が写っています。
余談ですが、古事記には『天と地の間にかかる天の浮橋の上に立ち、矛の先からしたたり落ちる潮水が積もり積もって島となった。この島がオノコロ島で、イザナギとイザナミの二神はその島に降り、神聖な柱と広い御殿を建てた』と記されています。古事記にしても日本書紀にしてもプロローグの神話の部分は、睡眠導入剤として効果抜群です。 -
高千穂峡 祠
オノコロ池近くの遊歩道にあった年季の入った祠です。何かと思ったら、素焼きの勾玉を無人販売しています。名目上はお賽銭と言う扱いになっています。税金対策か?景観に見とれて気が付かないのか、ほとんど売れていない様子でした。あるいは、勾玉がどんなものなのか知らない人が多いということでしょうか? -
高千穂峡 勾玉(まがたま)
お賽銭100円也でゲットした素焼きの勾玉です。高千穂の押印があり、土産にも最適です。
勾玉は縄文人が身に付けていたお守りで、本来は滑石という柔らかい石を削ったものです。太陽と月が重なり合った形を表し、それらのパワーやエネルギーが絶えず受けられるそうです。胎児の形を象徴しているとも言われています。ですから古代から魔除けや幸福を呼ぶ石と言われ、身に付けられてきました。『古事記』には、天照大神が乱暴者の素戔嗚が高天原を奪いにやって来ると勘違いし、武装して勾玉を体中に付けたと記されています。一種の護身具だったのかも知れません。
これからは、勝負の時には勾玉を身に付けて颯爽と出かけて行きたいと思います。 -
高千穂峡 玉垂(たまだれ)の滝
神話によれば、天孫降臨の際、天村雲命という神がこの地に水がなかったので水種を移したと言われています。天の真名井の水がここへ湧き出し、滝となって流れ落ちたと伝えられています。この滝の水は、下のオノコロ池に流れ込み、その直下の真名井の滝の水源となっています。
高千穂峡 月形日形(つきがたひがた)
写真上部にある黄土色の岩肌の部分に月形が見られます。
天照大神が岩戸に隠れてしまったのは素戔嗚命の素行のせい。反省し、もう二度と悪さをしないと約束なさいということになり、その反省を表したものが月形日形です。太古には文字がありませんので、その代わりに絵を描いたのだそうです。絵は「お姉さん(天照大神)は、太陽のように光り輝きすばらしい神様。それに比べると自分は三日月ほどの光しかありません」という意味だそうです。日形の方は、度重なる崩壊によって形を留めていないようです。 -
高千穂峡 玉垂の滝
高さ7mから幅30mに渡って地下水が簾のように流れ落ちています。
阿蘇の古い熔結凝灰岩と新しい凝灰岩の境界付近から湧き出ているそうです。
真名井の滝に感激して玉垂の滝を見るのを忘れてしまう観光客も多いそうです。御橋から道路伝いに3分程登った所にあります。ただし、水量が少ない時には、少々貧弱な簾になってしまうそうです。 -
高千穂峡 玉垂の滝
竹を割った樋に水とそうめんを流すのは、ご存知の流し素麺です。実は、ここ高千穂が発祥の地なのだそうです。昔、近所の主婦たちが玉垂れの滝の岩肌を伝う清流でそうめんを冷やして食べているのを見てヒントを得、高千穂峡に元祖の看板を掲げる「千穂の家」の社長が流し素麺の商売を始めたのが、1955年頃との事です。 天然の滝で流し素麺を味わえるなんて羨ましい限りです。 -
イチオシ
高千穂峡 御橋より見下ろす真名井の滝
滝が川の右側にある写真はこの御橋から撮影されたものです。橋の上から見下ろす真名井の滝も距離が近い分迫力があります。 -
高千穂 天岩戸神社 西本宮 一の鳥居
高千穂は神話を抜きには語れないので、有名なお話ですがおさらいさせてください。眠くならないように、できるだけ短く、噛み砕いた表現に努めました。
国造り
その昔、世界がまだドロドロのスープのような状態の時でした。天と地ができ、多くの神が現われ、その中にイザナギとイザナミと言う夫婦の神様がおられました。二神は天沼矛という矛を授かり、世界を造ることを命じられます。足元の大海原に矛を突き立て、それを引き上げるとドロドロしたものが先端に付着し、それが海の中に落ちて島となりました。これが最初の島 オノコロ島。二神はオノコロ島に降り立ち、子をつくります。まず生まれたのは淡路島、次に四国、隠岐の島、九州、壱岐の島、対馬、佐渡島と生まれ、最後に本州が生まれました。
ここに登場するオノコロ島が高千穂峡のオノコロ池にあった島の事です。 -
高千穂 天岩戸神社 天照大神の像
黄泉の国
国の基礎が出来上がると次に神々を生みます。石、土、海の神等々。最後に火の神を生んだ時、イザナミは火傷し、それが元で命を落とします。残されたイザナギは途方に暮れ、ふと黄泉の国に妻を尋ねようと思いつき、長く暗い洞窟を降り行きました。
イザナギ「愛しの妻よ、返事をしておくれ」。
イザナミ「黄泉の国のものを食してしまったので戻れません」。
イザナギ「せめて一目でも!」。
イザナミ「黄泉の国の神様に頼んできます。決して覗かないでください」。
長い時間が経ち、イザナギは待ち切れずに扉を開けて中に入りました。真っ暗で何も見えず、櫛の歯を一本折り、それに火を付けました。腐敗臭が漂い、何かが這いずる音がします。恐る恐る火を向けると肉の塊にびっしりと蛆虫が湧いています。よく見ると変わり果てたイザナミの姿でした。恐ろしさのあまり、イザナギは逃げ出します。イザナミは黄泉比良坂まで追いかけますが、イザナギが桃の木に生っていた実を投げつけたので怯み、ついに決別の言葉を交わします。
「あなたの国の人々を一日1000人殺しましょう」。
「それなら毎日1500人生むまでじゃ」。
これにより人の死と出生の数が決まったそうです。地上に戻ったイザナギは、穢れた体を清めるため水に体を浸して禊をなさいました。その時、左目を洗うと光輝く天照大神、右の目を洗うと清らかに輝く月読命、鼻を洗うと逞しい素戔嗚命がお生まれになります。そして、天照大神には高天原、月読命には夜の国、素戔嗚命には海原を支配させることにされたのでした。 -
高千穂 天岩戸神社 岩戸を投げ飛ばした手力雄命の像
天の岩戸
天照大神は、世の中を光で照らす、それはありがたい神様でした。ある時、弟の素戔嗚命が高天原を奪いにやって来ると勘違いし、争いになりました。弟は畑を荒らしたり、神殿に汚物を撒き散らしたり、生き馬の皮を剥いで機織小屋に投げ入れるなどやりたい放題でした。天照大神は、「他人と関わるのはもうこりごり。独りでひっそり暮らそう」と天の岩屋に引きこもります。すると世界は真っ暗闇に閉ざされ、悪霊・疫病が蔓延します。困り果てた八百萬の神々は、仰慕窟の前にある天安河原に集まって作戦会議を開きます。こうして、踊りが得意な天鈿女命という神様が呼び出され、岩屋の前の舞台でおがたまの枝を手に持って楽しく踊ったのです。神々は大喜びし、景気のいい笑い声が溢れます。「何かしら」。天照大神は外が気になります。
「光が無くて困っているはずなのに、どうしたことですか?」。
「実はあなたよりずっとありがたい神様がいらっしゃったのです」。
そんなことあり得ない。「あなたがいないとダメです。出てきてください」と懇願するのが筋なのに…。このまま見捨てられはしまいかと気が気ではありません。天照大神が岩戸の隙間から外を覗く所へ二人の神様が左右から八咫の鏡を手に持ち、前に突き出します。天照大神は鏡に映った自分の姿が光輝いているのを錯覚し、いったい何者だろうと少しだけ岩戸を開けます。その時、手力雄命という力持ちの神様が岩戸をこじ開け、天照大神を引きずり出します。すると、パッと世の中は光に満ち、明るさを取り戻しました。 手力雄命が力一杯投げた岩戸は、長野県戸隠山まで飛んで行ったそうです。 -
高千穂 天岩戸神社 西本宮 二の鳥居
この鳥居をくぐると空気そのものが違ってきます。
『日本書紀』や『古事記』にある天孫降臨の地「高千穂」が何処かは邪馬台国と同様に古くから議論が醸されています。邪馬台国の有力地が九州と大和の2つあるように、天孫降臨の地も宮崎県高千穂町と霧島山の高千穂峰があります。高千穂町には神話に登場する地名や史跡が多く、天岩戸や天の真名井、天安河原など天孫降臨の地とする根拠はそれなりのものがあるように思います。
国譲りと天孫降臨
天岩戸の大事件後、素戔嗚命は出雲建国に勤しみます。天照大神は子に地上界を治めさせようと考え、出雲に使者を派遣して乗っ取り工作を進めます。所が、誰も出雲から戻ろうとしません。業を煮やした天照大神は、切り札となる神々を送り込み、出雲に国譲りを強要します。その直後、天照大神と高皇産霊尊は、二人の間の孫・瓊々杵尊に八尺の勾玉、鏡、草那芸の剣といった三種の神器を持たせて筑紫日向の高千穂の峯に天下らせます。これが天孫降臨です。物語の脈絡から高千穂ではなく出雲とした方が自然ですが、天皇の祖先は西からやって来たというのが往時の定説だったため、このような設定になったのだとか。 -
高千穂 天岩戸神社 手水舎
浦島神話
『日本書紀』や『古事記』にも浦島太郎が登場します。天孫降臨を果たした瓊々杵尊の子が海幸彦と山幸彦で、弟の山幸彦が初代天皇 神武天皇の祖父だと記されています。
山幸彦は兄から借りた釣針をなくし、謝っても許してもらえずに途方に暮れます。そこへ塩土老翁が現れて山幸彦を無目籠に入れ、海神の宮に導きます。海神の娘・豊玉姫と結ばれた山幸彦は、暫くして故郷に戻ります。この時、豊玉姫は身ごもったことを伝え、海岸に産屋を建てて待つように言います。やがて、豊玉姫は産気付き、妹の玉依姫をお供に産屋にやってきます。ところが、山幸彦は禁を破ってお産の様子を覗いてしまいます。すると本来の姿(鮫)を見られた豊玉姫は、これを恥じて海神の宮へ帰ってしまいます。残された稚児と玉依姫の間に生まれたのが神武天皇だそうです。
神話が何らかの史実を伝える目的で創作された暗号だとすれば、山幸彦と浦島太郎がそっくりなことを看過できません。浦島太郎、塩土老翁、武内宿禰、この3者は長生きで繋がります。また、塩土老翁が促した神武東征と応神天皇の東征はルートも似ており、元々神話である神武と実在の応神天皇(祟神天皇という説もあります)が同一人物だったとも取れます。故に「浦島太郎」の実話モデルは、武内宿禰と応神天皇の母 神功皇后だったと思われるのです。神功皇后は夫の仲哀天皇が逝去した日に住吉大明神で身ごもります。その時の相手が蘇我氏の祖 武内宿禰だと暗喩しているのではないでしょうか?また、神功皇后はトヨの女王とも呼ばれており、邪馬台国の卑弥呼を打ち破った台与(トヨ)だったとも考えられるのです。日本古代の正史である『日本書紀』には、史実を秘匿するためのトリックが至る所に見られるそうです。それは何故か?『日本書紀』編纂に携わった中心人物が藤原不比等であり、藤原氏の血筋を引いているからに他なりません。藤原氏と蘇我氏の確執は有名ですが、その実態は、我々が日本史で教えられた内容とは間逆だたとも言われているのです。 -
高千穂 天岩戸神社 神門
天岩戸神社の創建年代ははっきりしていませんが、812年に豊後の大神大太惟元が社殿を再建したと伝えられています。天岩戸神社には東西2つの神社があり、東本宮は「天照大神」を祀っています。西本宮は聖域「天岩戸」をご神体として祀っており、故に本殿がないという珍しい神社です。神・物ではなく、ランドマークをご神体としてお祀りしているのは、ここと三輪山をご神体とする奈良の「大神大社」だけです。本殿の部分には岩戸川が流れ、その後方にご神体の天岩戸があります。周辺は雑木に覆われ、黒い岩肌にぽっかりと空いている洞窟の様子を渓谷越しに拝観できます。左側は樹木の陰になり輪郭がはっきりしません。(写真撮影は禁止) 夏場は葉が生い茂り、洞窟が隠れてしまうのではないでしょうか。岸壁の頂上付近は何百年もの時を経た5本杉が立ち並び、神秘に包まれた聖域を偲ばせています。宮司さんの話では、断崖絶壁かつ脆く崩れ易いため「天岩戸」には誰も立ち入ったことが無く、入口は崖崩れで埋まりつつある状態とのことです。 -
高千穂 天岩戸神社 拝殿外観
二の鳥居の社務所でご神体(天岩戸)拝観を申し入れると宮司さんが案内していただけます。まず、神門の前で天岩戸神社の説明があります。次に、拝殿前に進み、厳粛なお祓いを受けます。その後、参拝を終えて拝殿右側の扉から拝殿の裏側の遥拝所と呼ばれる木製のバルコニーのような所へ案内していただけます。参拝は二礼二拍手一礼が基本です。礼は神様に敬意を表し、拍手は神様を自分のところに 呼び寄せるという行為です。神様は通常、天界や神域に住んでおられ、拍手で呼ばれると神社などに祀られる依り代に乗り移りこの世界に現れると考えられているのです。いよいよご神体との対面ですが、神域ですので撮影は禁じられています。 -
高千穂 天岩戸神社 拝殿正面
西本宮 拝殿の額には「天磐戸」と書かれています。
[宮司さんのお話(要約)]
実はこの神社にはユニークな伝説があります。 天岩戸神話は実際の出来事がモデルになっているのと言うのです。 天照大神つまり太陽が隠れた原因は、この地の北西にある阿蘇山の大噴火によるものだと言うのです。この地方の岩というのは、全て阿蘇山から流れ出た溶岩です。それ程の大きな爆発が何回かあり、太陽の光が火山灰で遮られた事実が後世に語り伝えられ、そこから天岩戸神話が創作されたとしても不思議ではありません。 -
高千穂 天岩戸神社 拝殿内部
天照大神が天岩戸に隠れた時、笑い声が聞こえる外の様子が気になって覗かれた際、外にいた神様が両側から突き出したという大きな「八咫(やた)の鏡」が中央に奉納されています。この拝殿の奥、深い渓谷を隔てた断崖絶壁の中腹にご神体である天岩戸があります。拡大すると良く分かりますが、鏡の後ろの格子戸から透けて見えます。 -
高千穂 天岩戸神社 招霊(おがたま)の木
西本宮の御神木「招霊の木」です。境内には巨大な招霊の木が枝を垂らしており、天鈿女命はこの枝を持って天岩戸の前で踊ったと伝えられています。また、神楽で使われる鈴は、招霊の実の形が起源であると言われています。モクレン科の木で4月に白い小さい花を咲かせ、秋には鈴の形をした赤い実を結びます。招霊は神を招くの意から、繁栄・幸福を招くと言われています。また、招霊は「招魂(おぎたま)」が訛ったものとも言われ、古来から日本民族の神木とされてきたそうです。古くは玉串奉納に招霊を使うのが正式とされましたが、現在は榊を使うようになっています。 -
高千穂 天岩戸神社 古代銀杏の木
長野県の諏訪とここにしか存在しないと言われている古代銀杏の木です。品種から考察して今から一万年前のものだと言われています。特異な葉と実の形をしているそうで、天皇陛下が御料にこの銀杏の実を御指定になられ、献納されたことがあるそうです。 -
高千穂 天岩戸神社 神楽殿
本殿の左隣にある神楽殿もなかなかの居住まいでした。元々は西本宮の拝殿として明治時代に建立されたもので、それをここへ移転して神楽殿としたものだそうです。
神楽殿は天安河原の遥拝所でもあります。遥拝所というのは、何らかの理由で立ち入りが出来ない、あるいは参拝することが出来ない御神殿、神域などと空間的に繋がっているという施設のことです。ですから、わざわざ天安河原に行かなくてもここで済ますことができるということです。先ほどの拝殿裏側の天岩戸の遥拝所も同じことです。天岩戸まで行くすべはありませんもの。 -
高千穂 天岩戸神社 神楽殿
神楽殿では、毎年11月3日に33番まである伝統芸能で国指定重要無形民俗文化財の高千穂神楽を半日がかりで舞うそうです。ユーモラスなものや剣、弓や穀物を持って舞うものなど様々な演目の神楽が披露されます。
木鼻は、左が鼻が長いものの耳がぴんとしているので獏、右(前方)が獅子です。 -
高千穂 天岩戸神社 神楽殿
高千穂の夜神楽の舞台を飾る、神聖な切り絵細工、彫り物(えりもの)と呼ばれる五行、十二支、太陽を模った透かし切り絵の御幣が廻らされています。この彫り物は神域と世俗の結界を作るものだそうです。その模様は、宇宙の構成要素と考えられる木火土金 モチーフにしているそうです。赤色の紙は「火」、緑色の紙は「水」を表しています。家の方位に関係なく、神前を東と定め東に「木」、南に「火」、西に「金」、北に「水」、中央に「土」が配されます。陰陽五行が基になった考え方は、神仏集合の影響でしょうか。こちらにも八咫の鏡 の片割れが奉納されています。 -
高千穂 天安河原 太鼓橋
天安河原へは、天岩戸神社から10分程岩戸川の渓流沿いに山道を歩くことになります。途中、太鼓橋を渡ります。雨の日は滑り易いそうですので、気をつけください。 -
高千穂 天安河原 祠
小さな祠がありました。よく見ると、供えられているのはほとんどがお酒類です。何かいわくでもあるのでしょうか? -
高千穂 天安河原 仰慕窟(ぎょうぼがいわや)
西本宮から渓谷の岩戸川を500mほど上流にさかのぼると、突然、少し開けた河原に遭遇します。そこに間口40m奥行き30m程の大きな洞窟があり、その中に鳥居と社が建てられて八百萬の神々が祀られています。
社には八百萬神の作戦会議の際に知恵を授けたとされる思兼命を主祭神とし、八百萬の神々も配祀されているそうです。 -
高千穂 天安河原 仰慕窟
自然界への畏敬の念が内側から湧き上がってくるような神聖なパワースポットです。暫し、絶句するほかありません。余談ですが、スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏は、天安河原一帯を「並外れて強いパワースポット」と紹介しておられます。
左手奥にある厨子の扉は閉められていました。 -
イチオシ
高千穂 天安河原 仰慕窟
仰慕窟の周囲には夥しい数の石積みが点々と広がり、どことなく賽の河原を彷彿させる光景です。しかし、ここの石積みは、石を積みながらお願い事をするという慣習によるものです。周りが比較的明るい分、気分的に救われます。八百萬の神々が祀られている訳ですので、叶わぬ願いなどあるはずがありません。ある意味日本一の社と言えるのでは? 八百萬の神のように、よい知恵が授かればいいのですが…。 -
高千穂 天安河原
河原に沿ってさらに奥へと延々と石積みが続いています。登山や渓流遡行の際のケルンとはまた違った趣旨のものです。当方も遊歩道で拾った小石を積んで、ささやかなお願い事をしてまいりました。ちなみに、積み石の数は、『七』、『五』か『三』が縁起がいいのだそうです。
この渓流は、天岩戸神社の拝殿とご神体の天岩戸の間を流れていた岩戸川です。賽の河原の石積みは鬼が来て壊すと言われていますが、仰慕窟前の石積は大雨などで川が増水した際に洗い流され、浄化されます。そしてまた一から心の安寧を願って石が積み重ねられ、定番の天安河原の光景へと変わって行くのだそうです。自然と人の根比べといったところでしょうか。 -
阿蘇五岳 南阿蘇村からの眺望(車窓)
最終日の行程は阿蘇五岳をぐるりと一周します。山好きの主人は、車中で一睡もせずに連なる山が刻一刻と形を変える様を飽きもせずに眺めていたそうです。この写真は、熊本ICへ向かう際、国道325号線南阿蘇村から写したものです。 -
おまけ
新幹線に乗ってすぐにお弁当を食べたせいか、暫くして小腹が空きスナック菓子をいただきました。その時、主人が「形が崩れたカールがあるよ」と教えてくれました。よく見ると100〜200袋に1個しか入っていないという幻の「カールおじさん」ではありませんか!危うく人知れずに主人のお腹に入るところでした。もうご利益があったのでしょうか?ひょっとして今回のお参りのご利益をすべて使い果たしたのかも!?でもよくよく考えてみたら、このスナック菓子は旅行前に購入したものでした。ホッとするやら、ガッカリするやら、複雑な心境でした。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 吉備津彦さん 2012/06/09 21:48:08
- 今日の1枚掲載おめでとう御座います。
- 真名井の滝は良いデートコースですね。
私は「高千穂峡 君と乗りたい 貸しボート」と旅行記の名前を付けました。
http://4travel.jp/traveler/masterhiro/album/10516898/
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