2011/05/04 - 2011/05/05
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frau.himmelさん
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コーブルクの領主であるザクセン=コーブルク=ゴータ家(長ったらしいので、以後コーブルク家と省略いたします)は、ハプスブルク家も真っ青ってほどの政略結婚によって世界中の王族と結びつきました。
その広がりは、半端ではありません。イギリス、ベルギー、スウェーデン、デンマーク、ポルトガル、ギリシャ、スペインのヨーロッパ諸国はもとより、ロシアやブラジル、その他にもオーストラリアやアフリカにまで血縁関係を拡げているのです。
その中の出世頭は何と言っても、英国ヴィクトリア王女の夫となったアルベルト殿下でした。
しかし、政略結婚にも関わらず、ヴィクトリアとアルベルトの夫婦仲は大変睦まじく、大勢の子供に恵まれました。そのコーブルク家の血筋が現在でも、英国王室に脈々と受け継がれています。しかも、英国のウィンザー家というのは、ザクセン=コーブルク=ゴータ家の英国での家名だそうですから驚きです。
こんな小さな「地球の歩き方」にも載っていない小国がですよ…。
◇◆
さて、時間は前後しますが、前回プラグをなくしてパニックになっている話をいたしました。その後どうなったか?、まずはその結末から…。
今思い出してもドキドキ。もう、あんな経験は二度とごめんです!。
皆様はこんな馬鹿な失敗はしないで下さいね。私の苦〜〜い経験をお笑い下さい。
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前回、ニュルンベルクのデパート、このカウフホフの電気売り場で、親切な店員さんからいろいろアドバイスをいただきました。そして、大型電気量販店を探したり、ホテルでプラグがないか聞いたりしましたが、結局日本のものはなくて、本当に途方にくれました。
私の推測ではミュンヘンのホテルに忘れてきたんだろうと思いますが、闇雲にミュンヘンまで突っ走るのは危険です。
もしそこになかったら、貴重な時間と交通費が無駄になります。
そこで少し落ち着いた私は考えました。
そうだ、まずミュンヘンのホテルに電話をしよう!
でも電話では、私のドイツ語力では絶対伝わらないことは解かりきっています。それでこのホテルのフロントの方からミュンヘンのホテルに電話をしてもらおうとお願いしました。
こちらのフロントの女性は、私のつたないドイツ語と残っているプラグとカメラと身振り手振りでなんとなく理解してくれましたので。
ところが、係りの若い女性は、どうして自分が電話しなければいけないのか理解できないよう…。
「お部屋に電話はあるわよ、そこからかけたら…?」って…。
もおっ(怒)、それが出来るくらいならとっくにしてますって!
全く融通が利きません。
そしたら奥から私の話を聞いていた少し年配の女性が出てきて、私がしてあげるわ、そのホテルの名前と電話番号を教えて?って。
やっぱりベテランは違いますねえ。神様に見えました。
でも、電話をしてくれたのはいいけれど、ミュンヘンのホテルでは、その部屋に既に客が入っていて無断では入れない、明日チェックアウトした後でないと調べられないとのこと。ガックリ…。
当然ですよね、まあ闇雲にミュンヘンに行かなくてよかったー。
でもプラグの有無が確認できるまでは私も身動きがとれません。
夜、シャワーを浴びていると、フロントの女性が私の部屋をノックしました。
ミュンヘンから電話があり、お客が帰ってきたので部屋を調べてもらったらプラグは見つかったとのこと。
このときの喜びは何と言って表したら良いのか、ともかく「ダンケシェーン、ダンケシェーン」と握手ぜめ! 髪の毛はビショビショのままで…。
そして「明日、ミュンヘンにいただきに行きますと伝えてください」とお願いしました。 -
次の日、バイエルンチケットを買ってミュンヘンまで出かけました。
ICE(ドイツ新幹線)だったらミュンヘンまで1時間ほどで行けますが、バイエルンチケットは悲しきかなICEには乗れません。
それにどんなに心が逸っても、9時からしか使えません。
またICEのチケットは片道50ユーロですから往復で100ユーロします。
方やバイエルンチケット(バイエルン州内の1日乗り放題切符)はシングル用20ユーロです。こんな切羽詰った状況でも損得の計算をしている私って…(悲)。
結局9時ごろニュルンベルクを出発してミュンヘンでプラグを受け取って、ニュルンベルクに帰り着いたのは2時半でした。5時間半かかりました。
この日はバイロイトとバンベルクに行って、その後ニュルンベルクのドク・ツェントルムを見学する予定を立てていました。
もうこの時間だったらニュルンベルクでナチスの党大会の跡を見てニュルンベルク市内観光だけしか出来ません。
私の不注意のせいで予定が大幅に狂ってしまいました。 -
でも、何よりプラグが戻ってよかったー!
そういえば旅行に発つ前に夫が言ってました。Cプラグは2つ持って行った方がいいよって。
なのに私、そんなものひとつあれば十分よ、なんて、意見を素直に聞かなかった罰が当たったのです…。
絶対次回からは複数個持って行こうと…。
これから旅行なさる方にも一言アドヴァイスを。
プラグはなくてはならない大事なものです。軽いものですから、ぜひ複数個持って行きましょう。
そんなの常識だよ、っておっしゃる方はスルーして下さいね。
◇◆
ミュンヘンのホテルでプラグを受け取って、列車でニュルンベルクに戻ります。
あーあ、今日も昼食にありつけなかった。
今日のお昼は駅で買ったハーブティーと、成田空港の免税店で買った「文明堂のドラ焼き」です。
今夜こそ、レストランでニュルンベルグ名物のソーセージでもいただきましょう。
やっと、そんなことを考える余裕も生まれてきました。 -
◇◆
さて、時計を逆戻りさせて昨日のコーブルクに戻ります。
コーブルク街観光の後、この可愛らしいミニバス(ビンメル・バーン)に乗ってコーブルク城塞にやってきました。
写真がどアップすぎますね。 -
この坂道を登ってお城に向かいます。
バスで一緒だった老人会の団体さんもきつそうでした。 -
幾重もの壁に囲まれた堅牢な城塞です。
この壁のことを砦の壁という意味で塁壁というそうです。
また、コーブルク城のことをフェステ・コーブルクと呼ばれます。「フェステ」とは城塞のこと。 -
コーブルク城塞はドイツで2番目に大きいお城だそうです。
このお城の建つコーブルクの街はオーバーフランケンという地にあり、この立派なお城のことを「フランケンの冠」とも呼ばれています。
見るからに堅牢そうですね。お城は3重の塁壁に守られています。 -
塁壁の角には石で作られた獅子の紋章が…。
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このアーチの門をくぐって、お城に入ります。
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跳ね橋と立派な門構え、その奥には見張りの塔である門塔が威嚇するように建っています。
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この門の正面にある石の彫刻の豪華なこと、この門を入ってもまた次の門が現れるんですよ。
この城は簡単には攻撃できないぞ、という風に顕示しているようで、「フランケンの王冠」との謂れも納得できます。 -
中に入る前に橋の上から左手を見ると…。
頑丈な砦ですね。
ところどころ凹んでいる場所は、ここから弓矢を放ったり、石を落としたりして敵を攻撃していたのでしょうね。 -
地下道をくぐってここに出ます。
黒い木組みの美しい「領主の館」です。 -
博物館に入館する前に美しいお庭を眺めます。
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のんびり出来そうなベンチと、その奥に見えるものは?
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第1次世界大戦の犠牲者の追悼記念碑でしょうか。
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今を盛りと咲いているこの花の名前は?
サクラにも似ています。 -
この花の隣にあるのは井戸です。
こんな高台にお城を造ると、水の確保も大変なことだったでしょうね。 -
この井戸は深さが42メートルもあるそうです。
この深さまで井戸を掘るのも、大変な労力と費用がかかったものと思われます。 -
領主の館で入場券を買って博物館を見学します。
ここは20世紀はじめに改築されたので設備は近代的です。
木製の豪華な階段を登ると…。 -
お城ですから歴代の肖像画や彫像が飾ってあります。
まず出迎えてくれたのは、ザクセン・コーブルク・ザールフェルト公フランツ(1750-1806)とその妻アウグステ(ではないかと…)。
この夫婦の頃より積極的に政略結婚を推し進めるようになりました。
この二人の長男はエルンスト1世で、3女はロシア皇帝の妻に、3男はベルギー国王に、その他にもいろいろ…。
調べていたら面白いことに気がつきました。
エルンスト1世の妹はイギリス女王ヴィクトリアの母(同じヴィクトリア)で、エルンスト1世の次男がアルベルト殿下ですから、ヴィクトリアとアルベルトはいとこ同士の結婚になるのでは?。 -
ザクセン=コーブルク=ゴータ公爵エルンスト1世(1784-1844年)。
エーレンベルク城にも彼の騎馬像がありましたね。
コーブルク城をネオゴシック様式に大改造しました。 -
歴史を少し遡って、コーブルク・ザールフェルト元帥(1737-1815)。
1789年オーストリア、ロシアの連合軍を率いてトルコ軍を打ち破ったことで有名なんですって。
何でもモーツアルトの田園舞曲「英雄コーブルクの勝利(K587)」のモデルにもなったんだそうです。 -
最後の侯爵、ザクセン=コーブルク=ゴータ公カール・エドウアルト(1884-1954)。
ヴィクトリア女王の孫としてイギリスで生まれたが、第一次世界大戦でドイツ軍を支持したため子孫と共にイギリス国籍を剥奪されました。
それまでのザクセン・コーブルク・ゴータ家の家名も、1917年に敵国ドイツ名を嫌った英王室により「ウィンザー家」と改められました。
1918年ドイツ革命で公爵位も廃位したカール・エドウアルトは、その後ナチ党に入隊し、突撃隊の一員となりました。 -
1940年4月には、カール・エドウアルトは、皇紀二千六百年のドイツ使節として日本にも訪れています。
当初は2月に訪日する予定でしたが、時の日本の米内内閣が、対英米関係の悪化を懸念したため、4月に日程が遅れたというおまけも付いています。
こういう事実が判るとワクワクします。歴史って面白いですね。 -
カール・エドウアルトは、1945年までドイツ・ヒトラーのナチス政権の下で要職に就いていました。
戦後彼は、ナチスによる大量虐殺、ユダヤ人焼き討ちの「水晶の夜」、ユダヤ人の最終解決問題などを知りえていたはずだとして、アメリカ軍により逮捕されました。
1946年、裁判で過酷な罰金刑を受け、財産の多くを没収されて、晩年は困窮生活を送ったと言うことです。
歴史に翻弄された人物なのですね。 -
大変広い博物館なので、何処をどう回ったのかわかりません。
迷っていたら係員の方が、ここがルターの礼拝堂だよって教えてくれました。
館内は見学客より、係員の方が多いのではないかと思うくらい、人は少なかったです。 -
ルター礼拝堂のパイプオルガンとバラ窓。
マルティン・ルターは1530年の半年ほど、ザクセン選帝侯の庇護の下、この城で生活していました。
当時、宗教改革を唱えていた彼は、ローマ教皇により破門され、皇帝カール5世からも追放者として追われていました。 -
ステンドグラスもルターの肖像が描かれています。
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この部屋のなんて立派なこと!驚きました。
天井や壁まで全て寄木細工や木の彫刻で出来ています。
マルクト広場に、自分の権力を誇示するために「シュタット・ハウス」を造らせたカジミール公爵が、このコーブルク城塞にも贅を尽くした「狩猟の象嵌の部屋」を造らせました。 -
この狩猟の様子を描いた絵もすべて木をはめ込んで出来ています。
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イスももちろん木製です。
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廊下には精巧に作られたタンス。
こんなのがさりげなく置いてあるところがすごい…。 -
何処をどう回ったのか記憶にありませんが、この博物館には様々な素晴らしい彫刻や絵画が展示してありました。
順不同で並べてみます。 -
リーメンシュナイダーがあると聞いていました。
係員の女性に「これがリーメンシュナイダーですか?」って聞いたら違うとの事。
どこにあるのだろう?。 -
リーメンシュナイダーはどこ?
これなんか作風が似ているような気がします。 -
ありました。
リーメンシュナイダー作 「聖母子像」 -
グリューネヴァルトの「最後の晩餐の様子?」
グリューネヴァルトは呼称で、本名はマティアス何とかと言うドイツの画家です。
デューラーと同時代の画家でした。
ところで、クラッシク音楽で「画家マティス」って聞いたことがありません?
彼がモデルなんですって…。 -
アルブレヒト・デューラーの作品も何点かありました。
「聖母子像」1495年作 -
デューラー作
「michael wolgemut(デューラーの師)」1516年 -
ハンス・ホルバイン(父) 「聖母子像」
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売れっ子の宮廷画家だったクラナッハ(父)は1500年以降、コーブルクをたびたび訪れ、26点の絵画を残しています。
彼の絵は1箇所にあったものではなく、分散して展示してあったものをまとめたものです。 -
この絵の題材はよく見かけますね。
女性を斡旋するやり手婆(取り持ち女)と金貨の袋を手にした好色な男性、そしてお金が目当ての女性。 -
よく見かけるクラナッハの裸体像です。
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クラナッハ 「聖母子像」
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クラナッハ
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クラナッハ。
マルティン・ルターと親友だったクラナッハはルター家の肖像画を数多く描いています。
たぶんこれはルターの母親像 -
マルティン・ルターと、妻になったカタリナ・ルター。
ルターは修道女であったがカタリナと結婚して、今まで聖職者は結婚してはならないという殻を破って、教職者の結婚と言う伝統をつくった。 -
ルターの像。
これはクラナッハではなさそう? -
対を成すルター妻の像
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クラナッハ作 「ザクセン公ゲオルク(1471-1539)」。
面白いことにザクセン公ゲオルクは、マルティン・ルターのプロテスタントに敵対姿勢をとっていたんです。
でも、クラナッハは肖像画を描いているんですね。 -
クラナッハ作 「Johann Friedrich von Sachsen(1503-1554)」。
ゲオルク公と反対に、ザクセン選帝侯のヨハン・フリードリヒ公は、マルティン・ルターと友好関係にあったそうです。
そういえば、ヴォルムスのルターの像の下にも彼の像はなかったかしら? -
ルターの部屋。板張りの重厚な部屋です。
隅のほうに黒いストーブとクラナッハが描いたルターの絵が掲げられています。
彼はこの部屋に1530年4月から10月まで半年間住みました。 -
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カール・エドウアルト館には、19世紀にザクセン・コーブルク・ゴータ家の公爵によって集められた、中世から近世のガラス工芸品の数々が展示してありました。
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中にはヴェネチアングラス、バロックグラス、その他色つきグラスなど芸術的価値の高いガラス工芸品がいろいろあります。
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ガラスのシャンデリア
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ローテンブルクで見た中世犯罪博物館に展示してあったようなものが飾ってあります。
この口の長い鉄の仮面、確か「恥辱のマスク?」って言いませんでしたっけ? -
中世と言えば、魔女狩りや罪人に対しての残虐な拷問などが盛んだった頃。
その当時の拷問の様子や処刑の様子が描かれています。 -
狩猟武器の展示室。
狩猟はその当時の王侯貴族のスポーツでした。 -
室内には狩猟用の鉄砲や、こういうの何て言うんですか?
確かウイルアムテルも、こんな鉄砲と矢が合わさったようなものを持っていましたね。
そのほか、狩猟で仕留めた動物の剥製などが飾られていました。 -
この辺で何処に行こうかと迷っていたら、案内係の男性が無言で(たぶん私が言葉がわからないと思った…)こっちに入りなさいと指差してくれました。
入って納得、ここが有名な馬車とそりの博物館なのですね。 -
あっまりたくさんありすぎて目移りします。
これはそり、飾りが精巧ですね。
子供のおもちゃには勿体無い…。 -
王冠を冠した鷲
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人の顔
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この馬車は1586年、カジミール公爵がアンナとの結婚式に使用された馬車です。
二人は余り仲が良くなかったようで、アンナが浮気をして二人は離婚をします。
その後アンナは姦通罪でコーブルク城塞に幽閉されました。 -
カジミール公爵は、最初の妻アンナとの離婚の3年後、1599年に2度目の妻マーガレーテと結婚します。
この馬車は、1560年に造られた馬車で、2度目の結婚式に使用されました。
現存する最古の馬車で、大変価値のあるものです。豪華ですね。 -
精巧なそりと、その後ろの肖像画はザクセン=ゴータ公爵エルンスト1世(1601-1675)。
彼はカジミール公の父親の弟の孫ですから、いとこの子供になります。敬虔王と呼ばれていました。 -
その敬虔王エルンスト1世が使っていた旅行用の馬車です。
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そろそろ外に出なければ…。
博物館に入ると夢中になって時間を忘れてしまう悪い癖がまた出てしまいました。
今回は急かす連れはいませんのでなお更です。
この下の階段をおりて…。 -
カール・エドウアルト館入口。
こちら側に出ました。 -
外には大砲が飾られています。
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この石段を登って展望台に行きます。
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騎士の像
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上から見た領主の館と、手前はルターの教会でしょうか?
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展望台よりチューリンゲンの街並みを眺めます。
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チューリンゲンの街並み。
東西ドイツ分断時代はあちら側は東側だったんですね。 -
絵になりますね。
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領主の館の博物館入口のほうを眺めます。
まだまだ観光客は来ていますね。
博物館も充実しているし、景色もとても綺麗です。
このお城は一見の価値があります。
ぜひ、皆さんもいらっしてください。 -
さて、そろそろお城から出ましょうか。
さっき、観光バスで一緒だった老人会の面々はもう旧市街の方に降りたかしら?
何しろ私、のんびりしすぎていましたから…。 -
来たときと同じようにこの門をくぐって…。
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山道を降りて、観光バス乗り場までやってきました。
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バスの時刻表です。
10時から16時10分まで、大体30分おきに走っているようです。 -
バスで出発地点のレストランまで戻ってきました。
まだコーブルクの街は半分しか見ていません。
早く観光して、次の町へ急がなければ…。
◇◆
城博物館で膨大な枚数の写真を撮ってしまったので、カメラのバッテリーが少なくなってきました。
ホテルに帰ったら充電しなければ…。
ここから冒頭の悲劇が始まったのです。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ココアさん 2011/07/26 04:52:12
- ヴィリクトリア女王とドイツとの繋がり
- frau.himmelさん、初めてカキコだと思います。
わたしは、学校で世界史に全く興味が無かったため、ドイツ史も全く知らないのですが、コーブルクのご旅行記中の、『エルンス木のト1世の妹はイギリス女王ヴィクトリアの母で、エルンスト1世の次男がアルベルト殿下』の点だけは知っていました。
というのも、ドイツの白ワインが好きで、その歴史だけはごく僅かですが興味があるため、実は昨日、4トラベラーである、とんちゃんさんご夫妻と、ラインガウ地区の『ホッホハイム』の街の散策をご一緒しながら、「ヴィクトリア女王のお母さんはドイツ人で、ご主人もドイツ人で、ここの街にも来られて、ぶどう畑にケーニギン・ヴィクトリアベルクと名乗ることを英国王室から唯一許されたのが、ここホッホハイムだけなんだよねぇ〜。で、ドイツのラインガウ・ワインが英語でホックと呼ばれるのは、このようにヴィクトリア女王がホッホハイム・ワインを好んで飲んだことに発するんだよねぇ〜」と、話しながらぶどう畑の観察をしていたのです。
お酒好きという切り口でも、歴史は重要なので、少しは世界史を勉強しておけば良かったです。
ドイツワイン専門店、「シュピーレン・ヴォルケ」社のオンラインショップにも、この点が記載されています。
『イギリスで最も輝かしい時代を作り上げた女王として知られるヴィクトリア女王。そしてその母はドイツ人で幼少時代はドイツ語のみ話しており、ヴィクトリア女王はもともとドイツを贔屓にしていたと言われます。ドイツ人の夫、アルベルト(アルバート)とともに、ワイン産地ラインガウのホッホハイム村を訪れたのが1845年のこと。ホッホハイム村の中で最も優れていると評価の高かった畑のワインを試飲し、その栄誉を記念して1850年にこの畑を「Konigin Victoriaberg」(ケーニギン・ヴィクトリアベルク)と命名することを許可されました。現在フープフェルト家が畑を所有しています。英語でラインガウ産のワインのことを「ホック」と呼びますが、これは「ケーニギン・ヴィクトリアベルク」が位置する「ホッホハイム村」の名前に由来します。』
我が家は、ドイツのクマの縫いぐるみを集めています。まず何と言っても、Steiff、次にHermann Original社とHermann Spielwaren社、これが3大テディベアですが、Hermann Spielwaren社があるのが、実は、COBURGなんです。そういった意味でも、Neustadt bei CoburgではPuppenFestivalが開催されたりと、いつかは、この街のHermannの工場に直接買い付けに行かねばと思って、既に数年が経っています。(かなり遠いので、Erlangenやバンベルク辺りまでしか行けてません。)
城塞がドイツで2番目の大きいとは知りませんでした。そういった意味でも、やはりいつかは行かないとならないと思います。
ココア
- frau.himmelさん からの返信 2011/07/27 00:23:23
- RE: ヴィリクトリア女王とドイツとの繋がり
- ココアさま はじめまして。
この度は私のつたない旅行記にご訪問、それにコメントありがとうございます。
あのココアさまだ〜!、ってビックリしております。
実を申せば、ずっと以前からココア様のかくれファンでした。
流れるような詩情あふれる文章、きれいなお写真…、ココア様の旅行記を拝見いたしますと、私の大好きなドイツがますます輝いて感じられて嬉しくなります。
> わたしは、学校で世界史に全く興味が無かったため、ドイツ史も全く知らないのですが、コーブルクのご旅行記中の、『エルンスト1世の妹はイギリス女王ヴィクトリアの母で、エルンスト1世の次男がアルベルト殿下』の点だけは知っていました。
私も世界史は得意ではありませんでした。
でも文章はつまらないし写真は下手だし…、せめて歴史のことでも調べなければ…、と思い調べ始めたのがキッカケなんです(笑)。ところがこれが面白いんですね。
そうなんですね、ヴィクトリアとアルベルトはいとこ同士だったんですね。
これも今回旅行記を書くにあたり調べていて判ったことなんです。そんなこんなが判ってくるともうワクワクしてしまいます。
ホッホハイムとヴィクトリアのお話…、これもステキな因縁でワクワクしてしまいました。
ワインがらみで歴史の探求、それもステキですね。
私もワインは大好きなので、とても興味のあるお話ありがとうございます。
今回とんちゃんさまご夫妻といらっしゃった『ホッホハイム』って一体どこにあるのだろう?って探したらマインツの近くなんですね。
次回はホッホハイムで冷たーい白ワイン『ホック』で決まりです。
テディベアの収集がご趣味とか? わあーステキなご趣味。
そういえばコーブルクの人形博物館のショーウィンドーに飾ってありました。この博物館、街中にさりげなく建っていて入口は目立たない造りでしたが、とても有名だったのですね。入れば良かったと後悔しきり。
コーブルクはとてもステキな街でした。近郊にもクルムバッハやクロナッハなど、今回予定していたのに行けなかった街がいくつかありますので、またいつかそこを絡めて行ってみたいと思います。
ココア様の旅行記で、いろいろ勉強させていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
himmel
- ココアさん からの返信 2011/08/01 07:04:12
- レスありがとうございます
- frau.himmelさん、ご丁寧なレス有難うございます。
ココアさまだなんて、まったく恥ずかし限りで、穴があったら入りたい位です。プロフィールにも書いた通り、ナマケモノ科に属しておりますので。。。
ほんとに、色々とドイツの事、よくご存じでいらっしゃるので、これからも、色々と教えて下さい。
> 次回はホッホハイムで冷たーい白ワイン『ホック』で決まりです。
ホッホハイマーのワインでしたら、無難なのはREWEやtoomのスーパーでも沢山並んでいる、(ヘッセン州立)エーベルバッハ修道院モノの中の、ホッホハイマー・トロッケンでしょうか。エーベルバッハ修道院の最高のものでは、ホッホハイムの優良畑の、ドームデカナイのエアステスゲヴェックスなんかもあります。また、キュンストラー醸造所は、『ゴーミヨ』で4房評価です。
ココア
- frau.himmelさん からの返信 2011/08/02 23:54:58
- RE: レスありがとうございます
- ココアさま ではなくココアさん(失礼しますね)今晩は。
レスありがとうございます。
旅行記を読ませていただいて前から思っておりましたが、本当にワインにお詳しいんですね。
何を申しましょう、私めは、フランケンワインに出合うまで、ドイツのワインって甘いだけでちっとも美味しくないと言う先入観を持っていたんです。
ところが、フランケンのトロッケンをいただくようになって、何て美味しいの〜!と、いっぺんにドイツワインのファンになったのです。
ただ、そんなに詳しくないのです。
ドイツに行ったら、フランケン地方はもちろんのこと、モーゼル地方、ラインガウ地方のワインを味わうのを楽しみにしています。
この5月に旅行した時には、バッハラッハの白ワインがとても美味しかったですね。
お店の人に何と言うワインかと聞くと、確かバッカスとかバックスとか言っていました。
ドイツではその辺のスーパーでも美味しいワインが安く手に入るのでとてもうれしいです。
ホッホハイマーに行ったら、ホッホハイマー・トロッケン、必ず試してみたいと思います。エーベルバッハ修道院にもまだ行ってないし…。
ありがとうございました。
himmel
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