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リバプールの滞在時間は僅か9時間。それでも可能な限り、ビートルズゆかりの場所に足を運びました。代表的な施設には行けたと思いますが、20世紀が生んだ大天才の足跡にはまだまだ近づけなかったと思います。資金面と健康面が合致すればまた来たいと思いました。ビートルズは青春です。今回、新しい発見もいっぱいありました。とりあえず今回はリバプールに来れたことだけに感謝感激です。

イギリス再訪16 リバプール「ビートルズ・ツアー」2

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2011/06/20 - 2011/06/20

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キヌちち

キヌちちさん

リバプールの滞在時間は僅か9時間。それでも可能な限り、ビートルズゆかりの場所に足を運びました。代表的な施設には行けたと思いますが、20世紀が生んだ大天才の足跡にはまだまだ近づけなかったと思います。資金面と健康面が合致すればまた来たいと思いました。ビートルズは青春です。今回、新しい発見もいっぱいありました。とりあえず今回はリバプールに来れたことだけに感謝感激です。

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  • ジョン・レノンが赤ちゃんの時から5歳まで住んでいた祖父の家。

    ジョン・レノンが赤ちゃんの時から5歳まで住んでいた祖父の家。

  • ポール・マッカートニーが1955年から64年までの少年期を過ごした家です。ナショナル・トラストに寄贈され、勝手に入れません。

    ポール・マッカートニーが1955年から64年までの少年期を過ごした家です。ナショナル・トラストに寄贈され、勝手に入れません。

  • ポール・マッカートニーが少年期を過ごした家の前に掲げられたナショナル・トラストの説明看板。

    ポール・マッカートニーが少年期を過ごした家の前に掲げられたナショナル・トラストの説明看板。

  • ポールは引っ越しを繰り返したが、1955年に移り住んだこの家が最も長い住まいとなった。ジョンが頻繁に訪ねてきて一緒にギターの練習をしたそう。

    ポールは引っ越しを繰り返したが、1955年に移り住んだこの家が最も長い住まいとなった。ジョンが頻繁に訪ねてきて一緒にギターの練習をしたそう。

  • ポール・マッカートニーが少年期を過ごした家の前庭。

    ポール・マッカートニーが少年期を過ごした家の前庭。

  • ストロベリー・フィールド。ジョン・レノンが歌った「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のいちご畑は、ジョンの家の近くにあった救世軍の孤児院の名前。幼い頃、ジョンがミミおばさんに連れられ来たころは古めかしいビクトリア調の建物が残っていたが、2005年5月に孤児院は閉鎖された。今は草地になっている。

    ストロベリー・フィールド。ジョン・レノンが歌った「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のいちご畑は、ジョンの家の近くにあった救世軍の孤児院の名前。幼い頃、ジョンがミミおばさんに連れられ来たころは古めかしいビクトリア調の建物が残っていたが、2005年5月に孤児院は閉鎖された。今は草地になっている。

  • 門柱には世界中から訪れたビートルズファンによる落書きがぎっしりと書き込まれている。日本語もかなりあった。それにしても、ストロベリー・フィールドを前に感慨しきりでした。

    門柱には世界中から訪れたビートルズファンによる落書きがぎっしりと書き込まれている。日本語もかなりあった。それにしても、ストロベリー・フィールドを前に感慨しきりでした。

  • ストロベリー・フィールドを囲う石壁。

    ストロベリー・フィールドを囲う石壁。

  • ストロベリー・フィールドの現在の姿。草地です。

    ストロベリー・フィールドの現在の姿。草地です。

  • ストロベリー・フィールド前の通り。

    ストロベリー・フィールド前の通り。

  • ストロベリー・フィールド前の通り。

    ストロベリー・フィールド前の通り。

  • ストロベリー・フィールドの門の向かい側。ワンちゃんの散歩の際の注意看板が掲げられていた。

    ストロベリー・フィールドの門の向かい側。ワンちゃんの散歩の際の注意看板が掲げられていた。

  • ジョン・レノンが少年時代に住んだ家。

    ジョン・レノンが少年時代に住んだ家。

  • 5歳の時、ジョンは母ジュリアの姉、ミミおばさんことメアリーの家に引き取られた。リバプール・カレッジ・オブ・アートに通学していた期間を除きロンドンに移る23歳まで、この家で暮らした。その後人手に渡ったが、オノ・ヨーコが買い上げて2003年にナショナル・トラストに寄贈し、保存管理されている。

    5歳の時、ジョンは母ジュリアの姉、ミミおばさんことメアリーの家に引き取られた。リバプール・カレッジ・オブ・アートに通学していた期間を除きロンドンに移る23歳まで、この家で暮らした。その後人手に渡ったが、オノ・ヨーコが買い上げて2003年にナショナル・トラストに寄贈し、保存管理されている。

  • ジョン・レノンが少年時代に住んだ家の前に掲げられたナショナル・トラストの説明看板。

    ジョン・レノンが少年時代に住んだ家の前に掲げられたナショナル・トラストの説明看板。

  • 家の壁にもジョン・レノンのことが刻まれている。

    家の壁にもジョン・レノンのことが刻まれている。

  • ジョン・レノンが少年時代に住んだ家。建物の右側半分は、一般の人が普通の生活をしている。

    ジョン・レノンが少年時代に住んだ家。建物の右側半分は、一般の人が普通の生活をしている。

  • ウールトンのセント・ピーターズ教会ホール。1957年7月6日に、ビートルズの前身、クォリーメンが野外バザーで演奏した。友達に誘われ教会に来てクォリーメンの演奏を見ていたポール・マッカートニーが、ジョン・レノンを紹介された出会いの場所。 <br /><br />

    ウールトンのセント・ピーターズ教会ホール。1957年7月6日に、ビートルズの前身、クォリーメンが野外バザーで演奏した。友達に誘われ教会に来てクォリーメンの演奏を見ていたポール・マッカートニーが、ジョン・レノンを紹介された出会いの場所。

  • クォリーメンが演奏活動に利用したセント・ピーターズ教会ホール。

    クォリーメンが演奏活動に利用したセント・ピーターズ教会ホール。

  • セント・ピーターズ教会ホールの壁には、クォリーメン時代からビートルズまでの活動を紹介した写真などが飾ってある。

    セント・ピーターズ教会ホールの壁には、クォリーメン時代からビートルズまでの活動を紹介した写真などが飾ってある。

  • クォリーメンの演奏風景。

    クォリーメンの演奏風景。

  • クォリーメンなどの演奏風景の写真。

    クォリーメンなどの演奏風景の写真。

  • 音楽関係者の名刺も貼られていた。

    音楽関係者の名刺も貼られていた。

  • フィンランドで2011年1月に催されたビートルズ・ハップニングコンサートの案内。

    フィンランドで2011年1月に催されたビートルズ・ハップニングコンサートの案内。

  • 各地で催されているビートルズ関連の催しのPR名刺。

    各地で催されているビートルズ関連の催しのPR名刺。

  • ウールトン地区に送られたポール・マッカートニーからのメッセージ。

    ウールトン地区に送られたポール・マッカートニーからのメッセージ。

  • セント・ピーターズ教会ホールに掲げられた1957年7月6日のポール・マッカートニーとジョン・レノンとの出会いを記念したモニュメント。

    セント・ピーターズ教会ホールに掲げられた1957年7月6日のポール・マッカートニーとジョン・レノンとの出会いを記念したモニュメント。

  • 上のモニュメントをそっくり紙にプリントしたもの。希望者は6ポンドのドネーション(寄付)で筒ケース入れで手に入れることが出来ます。もち獲得いたしました。

    上のモニュメントをそっくり紙にプリントしたもの。希望者は6ポンドのドネーション(寄付)で筒ケース入れで手に入れることが出来ます。もち獲得いたしました。

  • セントピーターズ教会前の通り。

    セントピーターズ教会前の通り。

  • セントピーターズ教会墓地。正面辺りはかつて更地で、ここでクォリーメンが演奏したことがある。

    セントピーターズ教会墓地。正面辺りはかつて更地で、ここでクォリーメンが演奏したことがある。

  • セント・ピーターズ教会のウールトン共同墓地にあるエリナー・リグビーの墓石。ビートルズが作った「エリナー・リグビー」は架空の人物だが、のちにエリナー・リグビーの墓が同墓地に実在することが分かった。ウールトンはジョンとポールが初めて出会った場所でもあり、エリナー・リグビーの墓石には毎日大勢のビートルズファンが訪れている。

    セント・ピーターズ教会のウールトン共同墓地にあるエリナー・リグビーの墓石。ビートルズが作った「エリナー・リグビー」は架空の人物だが、のちにエリナー・リグビーの墓が同墓地に実在することが分かった。ウールトンはジョンとポールが初めて出会った場所でもあり、エリナー・リグビーの墓石には毎日大勢のビートルズファンが訪れている。

  • エリナー・リグビーの墓石のそばにマッケンジーさんの墓もあった。ビートルズの「エリナー・リグビー」の歌詞に登場するマッケンジー神父も架空の人物だが、偶然か、エリナー・リグビーの墓のすぐ近くに同名の墓が存在した。

    エリナー・リグビーの墓石のそばにマッケンジーさんの墓もあった。ビートルズの「エリナー・リグビー」の歌詞に登場するマッケンジー神父も架空の人物だが、偶然か、エリナー・リグビーの墓のすぐ近くに同名の墓が存在した。

  • ジョージ・ハリスンの生家、右側の玄関横に白いハンギング・バスケットが吊るされている家。1943年2月25日に長屋スタイルのこの家で生まれた。父親のハロルドは市バスの運転手だった。母親はルイーズで姉と兄が2人の4人兄弟の末っ子だった。

    ジョージ・ハリスンの生家、右側の玄関横に白いハンギング・バスケットが吊るされている家。1943年2月25日に長屋スタイルのこの家で生まれた。父親のハロルドは市バスの運転手だった。母親はルイーズで姉と兄が2人の4人兄弟の末っ子だった。

  • ジョージ・ハリスンの生家

    ジョージ・ハリスンの生家

  • リバプール大聖堂。英国国教の最大規模の教会で、別名アングリカン・カテドラル。1953年にポール・マッカートニーがこの教会の聖歌隊のオーデションを受けたが、不合格となった。しかし、1991年にリバプール・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラの150周年記念作品を依頼され、「リバプール・オラトリア」を作曲し、大聖堂でプレミア・コンサートを行った。

    リバプール大聖堂。英国国教の最大規模の教会で、別名アングリカン・カテドラル。1953年にポール・マッカートニーがこの教会の聖歌隊のオーデションを受けたが、不合格となった。しかし、1991年にリバプール・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラの150周年記念作品を依頼され、「リバプール・オラトリア」を作曲し、大聖堂でプレミア・コンサートを行った。

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