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この週末はキリスト教会建築で名高いゴアへ出掛けることにした。バンガロールからは1時間半のフライト、駆け足であったがユネスコ世界遺産であるゴアの見所は一回り見ることができた。インドの伝統的なヒンドゥー寺院やムガール帝国の残したイスラム遺産には少々食傷気味であったため、久々のキリスト教遺産がなんとも新鮮に見えた。 <br /><br />ゴアはインド西海岸の中央部にある。16世紀初めにはイスラム王朝の重要都市であったが、1510年ポルトガルがこの都市を降伏させ、1530年にはポルトガル領インドの首府となった。17世紀初頭のゴアは人口20万人に達し、市内にはカトリックの壮麗な教会や修道院、総督府などの建物が立ち並んで、「東洋のローマ」と呼ばれる黄金時代を迎えた。 その後インドではオランダ、イギリスの勢力が優勢になるが、インド独立後も1974年までポルトガルがゴアの植民地支配を続けた。1987年にパナジを首府とするゴア州が設置された。現在の州の人口は135万人、州内では英語やコンカニー語の他、ポルトガル語を話す住民も数万人いるそうだ。住民の約半数はキリスト教徒で、8時間チャーターしたタクシードライバーもキリスト教徒で、祈りの生活をしていると言った。しかし例に漏れず、空港で降りる時には、2時間の超過料金と追加距離を多く請求したりと不愉快な思いをさせられた。私はこの手には慣れっこであるので軽く受け流したが、この国ではキリスト教徒と言えども油断は禁物である。 <br /><br />ゴアの見所は、1986年に「ゴアの聖堂と修道院」としてユネスコ世界遺産に登録されたボム・ジェズ教会、聖フランシス教会、ス・カテドラルなどのポルトガル時代のキリスト教建築である。ボム・ジェズ教会は16世紀に建設され、聖フランシスコ・ザビエルの遺体を収容する。大聖堂の横に銀製の棺があり、10年に1度公開されている(次回は2014年)。外観は赤い石積みで、簡素ながらも重厚なファサードを持つ。内部もヨーロッパの教会に比較すると質素であるが、聖フランシスコ・ザビエルが厳重に祀られており、傍らには遺体の写真や絵画が飾られている。 <br /><br />フランシスコ・ザビエルは1506年、スペイン・ナバラ生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人であり、日本に初めてキリスト教を伝えた人として知られている。ポルトガル王の依頼で、1548年にインドのゴアに派遣され、翌1549年一行は明を経由し、薩摩に来着した。しかし日本での布教は困難をきわめた。一旦は薩摩で宣教の許可を得るも、仏教徒の反発を受け薩摩を去った。そしてザビエル一行は肥前平戸に入り、宣教活動を行った。1551年一行は念願の京に到着、後奈良天皇および将軍足利義輝への拝謁を請願したがかなわず、京での布教をあきらめたザビエルは平戸に戻る。 <br /><br />ザビエルは、天皇に捧呈しようと用意していたインド総督とゴア司教の親書の他、望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃などを大内義隆に献上。これらの品々はその後の日本の科学技術、戦争形態、文化芸術などあらゆる分野に大きな影響を与えた。ザビエルは日本人について、「今まで出会った異教徒の中でもっとも優れた国民」であり、特に名誉心、貧困を恥としないことを褒め、優れたキリスト教徒になりうる資質が十分ある国民である、と評価したそうである。<br /><br />2年間の日本滞在後、1552年ザビエルは一旦インド、ゴアに戻る。そして再度日本をめざすが、同年9月中国で病を発症し、46歳でこの世を去った。遺骸は石灰を詰めて納棺しゴアに移され、遺骸は現在ボム・ジェズ教会に安置されている。 ボム・ジェズ教会から通りを隔てて、聖フランシス教会とス・カテドラルが隣接して建てられている。これらはボム・ジェズ教会の少し後、17世紀になって建設された。いずれも赤いボム・ジェズ教会とは対称的な白い漆喰が使用されており、内部も共通した装飾がされている。 <br /><br />パナジ市は、ゴア(現在の呼び名はオールド・ゴア)から10kmほど西にある。オランダ、イギリスの勢力が強まり、またマラリアの流行などのためオールド・ゴアは次第に衰退し、ポルトガルは18世紀に入って新たな首都、パナジを建設した。町の中心には白亜のパナジ教会が、青空と強いコントラストをなしている。周辺のフロンテインハス地区はポルトガル植民地時代のコロニアルな街並みが象徴的であり、外国人観光客が多い。驚いたことにロシア人観光客が大挙してやって来ていた。ロシアの厳寒を逃れて常夏の国にやってくる気持ちは十分理解できる。彼らはロシア語以外はほとんど話せないため、ロシア滞在の2年間を思い出しながら片言のロシア語で会話した。しばしインドにいることを忘れてしまった。

インドの世界遺産No.11:インドにいることを忘れてしまうキリスト教会の町 ゴア(改訂版)

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2011/01/15 - 2011/01/16

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ハンク

ハンクさん

この週末はキリスト教会建築で名高いゴアへ出掛けることにした。バンガロールからは1時間半のフライト、駆け足であったがユネスコ世界遺産であるゴアの見所は一回り見ることができた。インドの伝統的なヒンドゥー寺院やムガール帝国の残したイスラム遺産には少々食傷気味であったため、久々のキリスト教遺産がなんとも新鮮に見えた。

ゴアはインド西海岸の中央部にある。16世紀初めにはイスラム王朝の重要都市であったが、1510年ポルトガルがこの都市を降伏させ、1530年にはポルトガル領インドの首府となった。17世紀初頭のゴアは人口20万人に達し、市内にはカトリックの壮麗な教会や修道院、総督府などの建物が立ち並んで、「東洋のローマ」と呼ばれる黄金時代を迎えた。 その後インドではオランダ、イギリスの勢力が優勢になるが、インド独立後も1974年までポルトガルがゴアの植民地支配を続けた。1987年にパナジを首府とするゴア州が設置された。現在の州の人口は135万人、州内では英語やコンカニー語の他、ポルトガル語を話す住民も数万人いるそうだ。住民の約半数はキリスト教徒で、8時間チャーターしたタクシードライバーもキリスト教徒で、祈りの生活をしていると言った。しかし例に漏れず、空港で降りる時には、2時間の超過料金と追加距離を多く請求したりと不愉快な思いをさせられた。私はこの手には慣れっこであるので軽く受け流したが、この国ではキリスト教徒と言えども油断は禁物である。

ゴアの見所は、1986年に「ゴアの聖堂と修道院」としてユネスコ世界遺産に登録されたボム・ジェズ教会、聖フランシス教会、ス・カテドラルなどのポルトガル時代のキリスト教建築である。ボム・ジェズ教会は16世紀に建設され、聖フランシスコ・ザビエルの遺体を収容する。大聖堂の横に銀製の棺があり、10年に1度公開されている(次回は2014年)。外観は赤い石積みで、簡素ながらも重厚なファサードを持つ。内部もヨーロッパの教会に比較すると質素であるが、聖フランシスコ・ザビエルが厳重に祀られており、傍らには遺体の写真や絵画が飾られている。

フランシスコ・ザビエルは1506年、スペイン・ナバラ生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人であり、日本に初めてキリスト教を伝えた人として知られている。ポルトガル王の依頼で、1548年にインドのゴアに派遣され、翌1549年一行は明を経由し、薩摩に来着した。しかし日本での布教は困難をきわめた。一旦は薩摩で宣教の許可を得るも、仏教徒の反発を受け薩摩を去った。そしてザビエル一行は肥前平戸に入り、宣教活動を行った。1551年一行は念願の京に到着、後奈良天皇および将軍足利義輝への拝謁を請願したがかなわず、京での布教をあきらめたザビエルは平戸に戻る。

ザビエルは、天皇に捧呈しようと用意していたインド総督とゴア司教の親書の他、望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃などを大内義隆に献上。これらの品々はその後の日本の科学技術、戦争形態、文化芸術などあらゆる分野に大きな影響を与えた。ザビエルは日本人について、「今まで出会った異教徒の中でもっとも優れた国民」であり、特に名誉心、貧困を恥としないことを褒め、優れたキリスト教徒になりうる資質が十分ある国民である、と評価したそうである。

2年間の日本滞在後、1552年ザビエルは一旦インド、ゴアに戻る。そして再度日本をめざすが、同年9月中国で病を発症し、46歳でこの世を去った。遺骸は石灰を詰めて納棺しゴアに移され、遺骸は現在ボム・ジェズ教会に安置されている。 ボム・ジェズ教会から通りを隔てて、聖フランシス教会とス・カテドラルが隣接して建てられている。これらはボム・ジェズ教会の少し後、17世紀になって建設された。いずれも赤いボム・ジェズ教会とは対称的な白い漆喰が使用されており、内部も共通した装飾がされている。

パナジ市は、ゴア(現在の呼び名はオールド・ゴア)から10kmほど西にある。オランダ、イギリスの勢力が強まり、またマラリアの流行などのためオールド・ゴアは次第に衰退し、ポルトガルは18世紀に入って新たな首都、パナジを建設した。町の中心には白亜のパナジ教会が、青空と強いコントラストをなしている。周辺のフロンテインハス地区はポルトガル植民地時代のコロニアルな街並みが象徴的であり、外国人観光客が多い。驚いたことにロシア人観光客が大挙してやって来ていた。ロシアの厳寒を逃れて常夏の国にやってくる気持ちは十分理解できる。彼らはロシア語以外はほとんど話せないため、ロシア滞在の2年間を思い出しながら片言のロシア語で会話した。しばしインドにいることを忘れてしまった。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
タクシー 飛行機
旅行の手配内容
個別手配

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  • ボム・ジェムズ教会の外観

    ボム・ジェムズ教会の外観

  • ボム・ジェムズ教会のファサード

    ボム・ジェムズ教会のファサード

  • ボム・ジェムズ教会の内部

    ボム・ジェムズ教会の内部

  • フランシスコ・ザビエル像

    フランシスコ・ザビエル像

  • フランシスコ・ザビエルの遺体を納めた銀の棺

    フランシスコ・ザビエルの遺体を納めた銀の棺

  • フランシスコ・ザビエルの遺体

    フランシスコ・ザビエルの遺体

  • ボム・ジェムズ教会の祭壇

    ボム・ジェムズ教会の祭壇

  • ボム・ジェムズ教会の祭壇

    ボム・ジェムズ教会の祭壇

  • ボム・ジェムズ教会の血まみれのキリスト像

    ボム・ジェムズ教会の血まみれのキリスト像

  • ボム・ジェムズ教会のパティオ

    ボム・ジェムズ教会のパティオ

  • ス・カテドラルの遠景

    ス・カテドラルの遠景

  • ス・カテドラルの外観

    ス・カテドラルの外観

  • ス・カテドラルの内部

    ス・カテドラルの内部

  • ス・カテドラルの祭壇

    ス・カテドラルの祭壇

  • ス・カテドラル前のキリストの像

    ス・カテドラル前のキリストの像

  • 聖フランシス教会のファサード

    聖フランシス教会のファサード

  • 聖フランシス教会の内部

    聖フランシス教会の内部

  • パナジ教会のファサード

    イチオシ

    パナジ教会のファサード

  • パナジ教会の内部

    パナジ教会の内部

  • パナジのサンセバスティアン礼拝堂

    パナジのサンセバスティアン礼拝堂

  • パナジのコロニアル風の住宅

    パナジのコロニアル風の住宅

  • 同じくコロニアル風の住宅

    同じくコロニアル風の住宅

  • パナジ博物館で見つけたベートーヴェン像(作者不詳)

    パナジ博物館で見つけたベートーヴェン像(作者不詳)

  • ミラマービーチの風景

    ミラマービーチの風景

  • ミラマービーチの風景

    ミラマービーチの風景

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