2010/10/09 - 2010/10/09
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Yattokame!さん
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2010年10月に、東京・池袋にある自由学園明日館を見学してきました。昨年アメリカのシカゴに行きロビー邸などライトが20世紀の初頭に設計したプレーリースタイルの住宅をいくつか見てきましたが、明日館はそれらに通じるものがあり、ライトらしい美しい意匠をいろいろ楽しむことができました。
また、見学中印象的だったのは、明日館に入ったときに感じる空気。明日館は池袋の駅からわずか5分のところにありますが、明日館の中には大都会の喧騒の空気とは異なる空気が流れていたのです。特にすばらしいのが、ホールの雰囲気。ここで建物を眺めながらコーヒーを飲んでいると、とても心が安らぐ感じがしました。本当に素晴らしい体験です。
【自由学園明日館Web Site】
http://www.jiyu.jp/#
開館日には明日館職員の方によるガイドツアーがあります。ホームページには午後2時からと書かれていますが、私が見学したときには午前11時からのツアーもありました。予約なしで参加できます。
【フランク・ロイド・ライト/遠藤新と自由学園明日館について】
自由学園は、婦人之友社の創業者である羽仁吉一・もと子夫妻によって創立された学校であり、明日館は近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトとその弟子の遠藤新の設計により建てられた自由学園最初の校舎です。
羽仁夫妻には3人の娘(うちひとりは夭折)がいましたが、子供が受けた知識詰め込みの小学校教育に失望した夫妻は娘の女学校進学をひかえ自分たちの理想の学校を創ることを決意します。学校創設を決めた2人は、校舎の建設を友人の建築家・遠藤新に相談しますが、遠藤は当時帝国ホテルの設計者として来日していたライトを紹介し、夫妻は1921年1月にライトのもとを訪れました。夫妻から教育理念を聞いたライトは、夫妻の考えに共感し設計を快諾、その年の4月15日には現在の中央棟西側の小さな教室で開校しました。その後1922年に中央棟、西教室棟が完成し、25年には東教室棟が、27年には講堂が完成し、今日ある建物が揃います。
明日館は、プレーリースタイル(草原様式)という様式で建てられました。プレーリースタイルとは、建物の高さを抑え水平線を強調することでアメリカ北部のプレーリーと呼ばれる草原地帯との調和を目指した建築様式であり、ライトはその様式確立の最大の立役者として知られています。一方、ライトがアメリカで設計したプレーリースタイルの建築にはアートグラスと呼ばれる色ガラスを用いた窓や美しいレンガなどが用いられ、特に内装は華やかですが、明日館にはそのような華やかな素材は見られず、むしろ質素な造りになっています。これは、ひとつには、明日館が羽仁夫妻の私財をもとに建てられた校舎であり予算が非常に限られていたからですが、それだけでなくむしろライトが羽仁夫妻の考えを深く理解したがゆえにこうしたのかもしれません。ライトは明日館の落成を記念して「婦人之友」に次のような文章を寄せたそうです(*1)。
その名の自由学園にふさわしく自由なる心こそ、此の小さき校舎の意匠の基調であります。
幸福なる子女の、簡素にしてしかも楽しき園。かざらず、眞率なる。……
たとえ予算が限られていても理想を形にしたいと強く思ったのでしょう、手抜きの跡は一切見られずライトらしい細部にまで神経の行き届いたデザインがなされており、簡素ながらも気品のある建築に仕上がっていると思います。
ところで、明日館はライトの作品として知られますが、本当はライトだけでなくライトを羽仁夫妻に紹介した遠藤新も共同設計者としてクレジットされています。実は明日館の設計にあたり、ライトはスケッチを行いましたが、それを建築できるレベルにまで設計図に落とし込む作業は弟子であった遠藤が行っていたのです。それまで、どんなことがあってもすべて建築は自分のオリジナルであるとして決して共同設計者を認めなかったライトが、明日館ができた時には遠藤を共同設計者として認めたそうです。遠藤は帝国ホテルの工事でもチーフアシスタントを務めますが、ライトは仕事を通じてそれだけ遠藤に信頼を寄せるようになったのでしょう。
(*1)谷川正巳「自由学園明日館」(2009)バナナブックス
【他のライト建築の見学記】
他のライトの建築を見学したときの様子も旅行記として残しています。よろしければご参照ください。
落水荘/ケンタック・ノブ
http://4travel.jp/traveler/yattokame/album/10452052/
シカゴにあるライト最初の事務所兼自宅/ユニティ・テンプルなど
http://4travel.jp/traveler/yattokame/album/10429369/
ロビー邸/「ルッカリー」のロビー
http://4travel.jp/traveler/yattokame/album/10429804/
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池袋駅のメトロポリタンプラザ口を出ると、自由学園の方角を示す標識が出ていました。標識の下にある地図を頼りに歩いていきます。
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駅から5分ほど歩くと、明日館の看板がありました。
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住宅街の中に広い芝生を抱える明日館が見えました。
明日館の平面は、中央棟の左右に教室棟を配したコの字型をしていますが、これは宇治平等院をモチーフにしたものです。ライトは、1893年のシカゴ万博で宇治平等院を模した日本国パビリオン「鳳凰殿」に感銘を受けていますが、自分に大きな影響を与えた国で若き日の感動を表現したかったのかもしれません。このほかにも、日本の建築・美術に影響を受けたデザインは、明日館のいろいろなところで見ることができました。 -
東教室棟の入り口。今は学園創立者の羽仁夫妻と婦人之友を紹介する資料を展示する部屋となっています。
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展示室の中です。プレーリースタイルの特徴として、部屋の床と外の芝生の間に段差がなく、室内にいて自然と一体感が感じられるようになっています。しかし、そのため床下がなく木の土台は地面の中に埋まってしまうことになりました。雨が比較的少ないアメリカのプレーリーであれば問題ありませんが、多雨の日本では土台は深刻なダメージを受けてしまいました。重要文化財指定のための修復の際、建物のあまりの惨状に文化庁の係官は唸ったと言われます。
修復時には、腐った土台を除去しコンクリートの土台に代えたそうです。 -
中央棟の東側教室。屋根と同じ緩やかな勾配を持つ天井を持っていますが、この三角形の角度は明日館のあらゆる装飾の基準となっています。たとえば、右側の窓の飾りも天井と同じ角度の線の組み合わせでできています。
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部屋は天井も壁も漆喰で仕上げられ、同じクリーム色で統一されています。こうすることで天井と壁の境があいまいになり、小さな教室でも狭さを感じさせないようになっているそうです。
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女学校時代の教室で使われていた椅子。当時の女性の平均身長は150センチ程度だったため、今の感覚だと座った時とても低く感じられました。
背もたれに、やはり天井と同じ角度の三角形が用いられています。 -
中央棟の廊下。柱や壁は同じ面に沿って立てられているため、建物の一番奥まで出っ張りがありません。
先ほどの装飾の角度の基準といい、この廊下の面といい、隅々にまでデザインの統一性を保たせて美意識を貫くところは、いかにもライトらしいところです。 -
ところが、廊下の先にある教室には柱が…。ライトの当初のプランでは当然廊下の壁面の延長線上に柱を設けるつもりだったようですが、それでは教室の真ん中に柱がきてしまい授業の妨げになってしまうため、やむを得ずこの位置に柱を変更したようです。
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廊下が玄関からのアプローチと交わるところは、天井がほかのところよりも低くなっています。
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天井が低くなると押さえつけられているかのような感覚を感じやすいですが、窓を設けて目線が自然と外の景色に向かうようにさせることで圧迫感を感じさせないようになっています。
この工夫は、のちのライトの代表作「落水荘」にも用いられています。 -
玄関から見えたお花。
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食堂につながる階段を上ります。
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食堂です。冷たいお弁当ではなく、あたたかい食事を子供たちに食べさせてやりたいという創立者の願いから、建物の中央に食堂を置き半地下に調理室が設けられました。
階段を上がり食堂に入ると、ぱっと視界が開けて大きな空間が眼前に広がります。さきほどの狭い空間は、この演出のために用意されていたのですね。このように空間をドラマチックに見せる演出も、ライトがよく用いる手法です。
線、面、空間という建築のあらゆる要素を自在に操るライトのマジックに、魅了されてしまいます。 -
完成当時の食堂の写真。当時は奥に大きな窓があり、そこからバルコニーに出られるようになっていましたが、今はそのような大きな窓は見られません。
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バルコニーがあった所は、今食堂になっています。開校後生徒の数が増え食堂が手狭になり、遠藤新の設計で食堂の三方に小食堂を増築したため、大きな窓とバルコニーは失われています。
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小食堂の窓。この飾りは、増築で失われてしまった大窓の一部を利用して作られたそうです。
みんな大窓に愛着があったんですね。 -
食堂の椅子。生徒が演じた英語劇「真夏の夜の夢」の収益金をもとに、遠藤新のデザインにより作られた椅子です。予算が低廉だったため、遠藤はコストを抑えられる当時一番標準的な幅の木材を利用し、板を接合して背もたれや腰掛けを作ることを思いつきました。しかも、節約しながらも安っぽく見せずデザイン的に面白くするため、板の間にスリットを入れ、アクセントとなる赤い番いでつないでいます。
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食堂に置かれたテーブルと椅子。
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暖炉と配膳台。ホールの暖炉も壁を挟んで背中合わせに設けており、朝の礼拝時にホールで焚いていた暖炉の火の余熱で食堂も暖まるので、食堂の暖炉に火をつける前に昼食の準備でここに入ってきたときでも寒く感じなかったそうです。こんなやさしい配慮もなされているんですね。
ここには大きな柱も通っており、明日館の建築上の中心となっています。また、壁の両側に食堂とホールがあり、ここは学校活動上も中心となっていたエリアです。 -
食堂の照明。
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食堂からさらに半階上にギャラリーがあり、ここからホール全体を見渡すことができました。
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ギャラリーには、ライトの業績や保存修復工事にまつわる資料が展示されています。
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ギャラリーから見た屋根。修復前は鉄板葺だったのを、修復時に完成当時の銅板葺に復元したそうです。
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イチオシ
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ギャラリーから下りる階段から見た食堂。窓や壁を走る幾何学線、テーブル・椅子のデザイン、連続する照明などからなる食堂の美しさには、心を奪われ感動します。
ライトは、「聡き乙女らは、この建築から、将来における判断基準の形成に役立つような美と友愛の何たるかを学ぶに違いない」(ギャラリーの展示解説より)と述べたそうですが、この部屋で過ごした日々は学生たちにきっと大きな影響を与えたことでしょう。 -
ギャラリーから食堂に下りました。次に、ホールへ行きたいと思います。
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中央棟の玄関前からホールを見たところ。
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ホールの中です。女学校時代、ホールでは毎朝礼拝が行われていたそうです。
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イチオシ
前庭に臨むホールの大きな窓。ライトの建築では、アートグラスと呼ばれる窓枠に色ガラスをはめた装飾がよく見られますが、ここでは費用を抑えるため窓はステンド・グラスを用いず木の桟だけで飾られています。
費用を抑えるための工夫でしたが、かえって礼拝の場にふさわしい格調高さがあり、この気品はシカゴのユニティ・テンプルに通じるものがあるように思います。 -
ホール壁面を飾るフレスコ画。創立10周年のときに、生徒によって描かれたもので、旧約聖書の出エジプト記の「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた」という一節を題材にしています。
ガイドツアーのときのお話によると、「この10年を振り返ってみるとまさに雲の柱、火の柱によって神様に導かれてきたようなものだ」という創立者の述懐から出エジプト記が題材に選ばれたのだそうです。 -
ホールの窓辺に座って、コーヒーをいただきました。
ホールは礼拝の場らしい落ち着いた雰囲気があり、ここで休んでいると本当に心が安らぎます。こういうところからも、ライトが空間の機能にふさわしい絶妙のデザインを行ったのだなということが感じられます。 -
中央棟西側教室。明日館で一番最初に完成した部屋ですが、開園時にはまだ未完成で壁は荒壁の状態で授業がスタートしました。
今は部屋に照明がついていますが、昔は照明がなく自然の明かりだけで授業が行われ、そのため放課後も暗くなったら帰るのがルールになっていたそうです。 -
西側から見た明日館の外観。
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西教室棟の列柱。寺院の回廊を思わせるデザインです。
ここにはまったく雨樋がありません。実は、柱の中は空洞になっていて、屋根に降った雨はここを通って、排水溝に流れるようになっています。ここにも、ライトのこだわりが見られます。 -
次に、明日館の向かいにある講堂を見学します。講堂は、ライトの帰国後に遠藤新自身のデザインによって建てられました。
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講堂内部。ライトによる明日館のデザインも簡素なものでしたが、遠藤による講堂のデザインはよりシンプルな感じがします。遠藤は、ライトの建築思想・様式に忠実に則って設計した建築家として知られていますが、意匠には日本人としての感性が反映されているのかもしれません。
この講堂は音響がよく、現在ではコンサート会場としても利用されており、この日も午後ピアノ・コンサートをやっていました。 -
講堂1階の窓。
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講堂の2階席。床が階段状になっていますが、床の段の高さから、もしかしたら創建当時は2階席では床に直接座っていたのかもしれないとのことでした。
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講堂2階のバルコニー。ライトの弟子らしく、屋根がキャンティレバー(片持ち梁。梁の両端の一方のみが壁や柱によって固定されていること)によって突き出ていますが、先をパーゴラにすることによって屋根を軽くし、たわまないようにするところはライトには見られない工夫です。
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講堂の入り口の扉。これで一通り明日館と講堂を見学しました。
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【窓の飾りシリーズ1】
ここで、明日館の装飾を見ていきたいと思います。写真は、ホールの大窓の飾り。 -
【窓の飾りシリーズ2】
外から見たホールの窓飾り。 -
【窓の飾りシリーズ3】
中央棟教室の窓飾り。 -
【窓の飾りシリーズ4】
中央棟玄関の窓飾り。 -
【窓の飾りシリーズ5】
食堂の窓飾り -
【窓の飾りシリーズ6】
食堂増築部分の窓飾り -
【照明シリーズ1】
中央棟玄関前のランタン。工事で出た廃材を利用して作られたものだそうです。
日本の行灯に似た感じがしますが、ライトは木と障子でできた日本の照明がとても気に入ったようで、ライトの建築には日本の照明をモチーフにしたと思われる照明がよく見られます。 -
【照明シリーズ2】
玄関前の照明。天窓の角にランタンがあります。 -
【照明シリーズ3】
食堂の照明。ライトは、当初照明を食堂の四隅に設ける予定でしたが、工事中の現場に来て天井が思ったよりも高いことに気づき、急遽新しいデザインを描き今のような照明に変更したそうです。
照明のスケッチをライトから渡された遠藤新は、そのデザインの複雑さを見て具体的な設計に落とし込むのに苦心したと言われます。 -
【照明シリーズ4】
ギャラリーに設けられた照明。 -
明日館は、急ぎ足であれば1時間くらいで見て回れますが、じっくりいろいろなものを見ているうちに、何時間も過ぎてしまいました。
また、夜間見学や桜の季節に来たいと思います。
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この旅行記へのコメント (2)
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- yakkunnさん 2011/02/20 09:02:54
- 感動物ですね
- Yattokame!さん、こんにちは、お邪魔します。
私の知らない街ばかりの旅行記に感動いたしました。
おそらく私の生涯では行く事の出来ないところばかりの様です・・・。
ところがフランク・ロイド・ライトだけは以前から気になっていました。
私は建築とは無関係なのですが、名前だけは以前から聞いた事があったので・・・・。
実際、彼の建築物をこのように詳しく見せていただいて、ぜひ機会があれば自由学園朝日館から行ってみたいと思います。
このたびは私の旅行記にもおいでくださり、有り難うございました。
今後共よろしくお願いします。
- Yattokame!さん からの返信 2011/02/21 02:03:14
- RE: 感動物ですね
- yakkunnさん
こんばんは。ご訪問ありがとうございます。
ライトの作品の大半はアメリカにあってなかなか見に行く機会がありませんが、彼の代表作旧帝国ホテルを始め、いくつかの作品が日本に残されています。
この自由学園明日館は、羽仁夫妻の志にライトが共鳴してデザインしたもので、羽仁夫妻の思いが建築の様々なところに表れており、また建築に触れるとライトの思いというものもよく感じられます。そういう、色々な人の思いが伝わってくる建築でした。見学者はそれほど多くはなく、落ち着いて見学ができるので、建築と深く対話をすることができ、よけいそういう思いが伝わってくるのではないかなと思います。素敵なところですので、機会がありましたら是非行ってみてください。
これからもよろしくお願いします。
Yattokame!
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