![大阪の一年のお祭りは、1月の十日戎ではじまり神農祭で終わるので、神農祭はとめの祭といわれています。 <br /><br />平成19年、神農祭は、「少彦名神社 薬祖講行事」として、<br />大阪市無形文化財(民俗)に指定されました。<br /><br /><br />◎ 神農祭<br /> <br />場所 少彦名神社 大阪市中央区<br />日時 11月22日・23日<br /><br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/41/86/650x_10418613.jpg?updated_at=1263361636)
2009/11/23 - 2009/11/23
728位(同エリア1783件中)
みにくまさん
大阪の一年のお祭りは、1月の十日戎ではじまり神農祭で終わるので、神農祭はとめの祭といわれています。
平成19年、神農祭は、「少彦名神社 薬祖講行事」として、
大阪市無形文化財(民俗)に指定されました。
◎ 神農祭
場所 少彦名神社 大阪市中央区
日時 11月22日・23日
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神農祭
道修町通り(御堂筋と堺筋に挟まれた区域)に、くす玉飾りや献灯提灯が建ち、たくさんの露天がびっしりと軒を並べ、神虎(張子の虎)を求める参拝者で、終日にぎわいます。
写真は堺筋側の様子で、時間は17時前後です。 -
露天
祭りといえば露天。
この道沿いにずらっと並んでいました。
これを見て歩くだけでも楽しいです。 -
少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)
日本の薬祖神である少彦名命とともに、中国で医薬の神様、神農氏をお祀りしているところから「神農さん」で親しまれています。
◎ 神農(しんのう)
古代中国の伝説に登場する皇帝で、三皇五帝の三皇の一人。
紀元前2740年ころの古代中国の王で、120歳まで生きたといわれている。
世界最古の本草書「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」に名を残している。
百草を嘗めて効能を確かめ、諸人に医療と農耕の術を教えたという。
農業と薬において甚大な貢献をしたため、中国では“神農大帝”と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。 -
神農祭 少彦名神社
オフィス街の真っただ中、製薬メーカーの本支店が立ち並ぶ道修町の一画にある、こじんまりとした神社です。
神社前には行列ができていました。
夕方なので、これくらいの人ですが、昼間にちらっと見えた行列はこんなものではなく、数百メートル先まで繋がっていました。 -
神農祭 少彦名神社
神農祭のシンボル「張子の虎」
この虎が重要な意味を持っているみたいです。
その由来を拾ってきましたので、載せておきます。
◎ 由来
文政5年(1822)に拡がったコレラは、日本での第一次流行で、三日も経てば亡くなるので“三日コロリ”といわれ、虎や狼が一緒になって来るような恐ろしい病気として「虎狼痢」と当て字されました。
当時においては、細菌学もなく、治療法など分かっていないのですから、疫病除けとして「鬼を裂く」といわれる虎の頭骨など10種類の和漢薬を配合した「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬をつくり、初めは100人と限って効能書に1粒包んで施薬しました。
同時に、病名も丸薬にも虎の字が当てられていたので「張子の虎」が作られ、五葉笹につるし、神前で祈祷したしるしに虎の腹部に「薬」の文字が朱印され、病除け御守りとして授与されるようになったのです。
(少彦名神社公式HPより) -
神農祭
露天から、いい香りが漂ってきます。 -
神農祭
オフィス街のど真ん中で、普段の休日の夜はひっそりとしている場所なのですが、この祭りの時は、かなりの人で賑わいます。 -
神農祭
実はこのお祭りの存在自体を、当日の行列を見るまで知りませんでした。
それどころか、ここに神社があることも知らず、行列をたどって行って、やっとビルとビルの間にある小さな神社に気付いたくらいです。
自宅から歩いて数分で来れるようなところにあるので、来年は昼間に行ってみようと思います。
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