2008/05/01 - 2008/05/01
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江南の曼荼羅寺の藤の花紹介の締め括りです。境内では、春爛漫を迎えていました。法然上人開祖の浄土宗のお寺には、花がことのほか似合います。『法然上人(1133~1212年)』は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、はじめ比叡山で天台宗を学び、のちに浄土宗の開祖となりました。(ウィキペディア、曼荼羅寺関連公式サイト)
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モクレン科モクレン属の『オオヤマレンゲ(大山蓮華)』の花のズームアップ光景です。芳香といい、花の姿といい、比喩が出来ないほどの名花です。風格ある花が、ちょうど満開でした。(同上)
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境内にあったオオヤマレンゲの、真っ白な蕾です。名前の『レンゲ(蓮華)』は、奈良県の大峰山に自生していて、『ハスの花(蓮華)』に似た花を咲かせることに由来します。このお寺に相応しい花木に思えました。開き始めたばかりでした。(同上)
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オオヤマレンゲは、深山に生えると言われる落葉低木です。このお寺で、花の姿を間近に見ることができました。薄いピンク色のようにも見えます。『ミヤマレンゲ(深山蓮華)』の別名を持ちます。(同上)
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オオヤマレンゲの花の紹介が続きます。境内の奥の方で咲いていた満開の花です。撮影している内にも、仄かな芳香が漂ってきました。一般的に『オオヤマレンゲ』の名で鑑賞用に栽培されるものは、『オオバオオヤマレンゲ(大葉大山蓮華)』になるようです。(同上)
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美しさは「天女」とか、「森の貴婦人」等と形容されるようです。「花無くて萎れどころの無益(むやく)なり」を思い出しました。道元だったでしょうか。
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札所のズームアップアップです。その全表示は、『東海49薬師霊場第17番札所・本誓院』でした。曼荼羅寺の寺域は13,000坪、檜皮葺の正堂を中心に庫裏、大書院、小書院、曼陀羅堂、地蔵堂、鐘楼、宝蔵、続いて中門、南門(矢来門)が甍を連ねています。山内にはさらに塔頭の8か寺があり、尾張徳川藩より寺領231石余りを給地されていました。『本誓院』の名札は、塔頭の寺名でした。(同上)
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次のお寺の見学です。曼荼羅寺の中の『塔頭(たっちゅう)』になるようです。薬師寺の17番札所の名札がありました。その門から眺めた庭の光景です。曼荼羅寺は、西山浄土宗の古刹で、尾北地方における最も格式の高い霊場とされます。(同上)
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綺麗に刈り込まれた躑躅に、白とピンクの花が混ざって咲いていました。花に緑が残った様は、中々風情があります境内の中には、石畳の新しい参道が整備してありました。その参道脇の躑躅の庭木でした。(同上)
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曼荼羅寺の八つある塔頭の一つ、『本誓院』の本堂の甍光景です。曼荼羅寺の本堂は桧皮葺でしたが、こちらは瓦葺でした。規模、屋根飾りなどから判断して、なかなか立派な造りのように見えました。(同上)
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曼陀羅寺開山の天真乗雲上人の高弟、圓空樹覚上人が創建し梅陽軒と称したのが、本誓院の起源とされます。その後、淳和元年(1801年)に、本誓院に改称されました。 本誓院以外の塔頭は、〇世尊院、〇修造院、〇光明院、〇常照院、〇寛立院、〇慈光院と、〇霊鷲院です。(同上)
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『洗心』らしいの文字が刻み込ま『手水(てみず、ちょうず)』の光景です。石製の手水鉢でした。神社には必ずありますが、お寺でもよく見受けます。手水鉢の周りは、低い石枠で囲ってありました。(同上)
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山内に8つあるお寺のうち、半分ほどを見学しましたが、どちらのお寺も、庭木の手入れと清掃が、余すところなく行き届いていました。推測ですが、毎朝、庭や通路が掃き清められているような雰囲気がありました。(同上)
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本誓院の縁起を記した石碑です。石碑自体は、まだ新しいようです。阿弥陀如来が、ご本尊です。寺名の『本誓(ほんぜい)』とは、仏・菩薩が菩薩の段階でたてた根本の誓約のことです。多くは阿弥陀仏の『衆生(しゅじよう)』の救済の願をいいます。『本願(ほんがん)』とも同義です。(同上)
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案内看板も見ましたが、このお寺には茶席が設けてありました。緋毛氈に日除けの傘のセットは、実に風情があります。曼荼羅寺の開山の天真乗運上人は、『藤原師継(1222~1281年)』の八男で、後醍醐天皇の母の檀天門院の弟にあたり、徳望学識が高かった人と伝わります。後醍醐天皇は深く帰依され、寺院を建立し商業の隆盛を祈り、戦死した勤王の士の冥福を修し、北条氏を祈祷するよう詔勅を出されたとされます。(同上)
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近過ぎて、カメラに収まりませんでした。立派な松です。新芽がびっしりと出ていました。曼荼羅寺の開山の天真乗運上人の紹介の続きです。父の『花山院(藤原)師継(かざんいん・もろつぐ)』は、鎌倉時代の公卿で、花山院忠経の四男です。兄が花山院定雅です。また、母は葉室宗行の娘(藤原北家・勧修寺流出身)、 妻は毛利季光の娘とされます。(同上)
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まだ新芽が目立たない樹が左手に見えます。つるりとした幹の感触から、『百日紅(さるすべり)』のようです。サルスベリは、ミソハギ科サルスベリ属の落葉高木で、原産地は中国南部です。日本でも、庭木や街路樹としてよく見かけます。(同上)
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境内の奥にお墓がありました。歴代住職を弔ったものでしょうか、無縫塔と呼ばれる頭が丸い石塔でした。『無縫塔(むほうとう)』は、主に僧侶の墓塔として使われる石塔(仏塔)です。塔身が卵形という特徴があり、『卵塔』とも呼ばれます。(同上)
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ワイドのレンズに取り替えるのも手間でしたから、二つに分けての甍の撮影です。堂々とした造りの甍でした。開山の天真乗運上人は、父の藤原師継の所領である村久野庄に地を求めました。正堂を紫宸殿に、中門を擬して多くの伽藍を創建し、元徳元年(1329年)に竣工しました。(同上)
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今度は甍の右側部分の紹介です。逆立ちした鯱の焼物が、屋根飾りの中にありました。この写真の右端近くです。時代は下って、江戸時代の初めの頃です。寛永9年(1632年)に阿波国守の『蜂須賀家政(1558~1639年)』は、幼いときに本寺39頭本誓院で学んだ縁により正堂を再建寄進しました。家政公は、阿波国の大名に任じられて徳島藩祖となりました。徳島城でその像を見ることが出来ます。(同上)
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こちらの躑躅は、緑も多く残っていますが、白色の花が、樹を覆うように満開でした。まんだらじこうえんは、曼荼羅寺から寄付された敷地をベースに、昭和60年(1965年)、現在の曼陀羅寺公園(13,000平方メートル)が完成しました。園内には11種類約60本の藤が植えられて『曼陀羅寺の藤』として大変有名となり、江南市の観光スポットの一つになりました。(同上)
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丸く刈り込まれた赤い花の躑躅の光景です。この樹も緑が多く残っていていました。花が飾りのように見えるのは、意図して剪定を行った結果のようでした。花が終わった後には、花柄を軽く摘み取ることで、緑の庭木に早変わりしそうです。(同上)
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振り返っての庭の光景です。木々は新芽が芽吹き、春の装いとなっていました。先ほど紹介した蜂須賀家は、明治維新までその大名家系は続きました。明治天皇は、蜂須賀家が『蜂須賀正勝:通称小六(ころく)』の家系であることを承知で、皇居の控室の煙草を纏めて持ち帰ろうとしたときに、さすが小六の子孫と冷やかされたようです。徳島では善政が布かれたようでした。(同上)
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庭では、苔を養生していました。その一角ですが、山野草風の黄色い花を咲かせた草花がありました。山野草ではなく、逸出した草花が野生化したものかも知れませんが、詳しいことや、名前も分かりませんでした。(同上)
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一旦境内から退出して、外からの撮影です。茶色の曼荼羅寺の建物の屋根が二つ見えますが、『桧皮葺(ひわだぶき)』です。桧皮葺の屋根は、格式の高さを感じさせますが、維持管理には瓦葺より多額の費用を要するようです。材料の入手困難や、伝統的な特殊技能を必要とするためのようです。(同上)
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静かに藤の花を鑑賞したい願いもありますが、イベントですから、仕方ありません。ずっとカラオケ大会の放送が流れていました。その舞台です。『江南藤まつり催事会場』の大きな看板が掛かっていました。(同上)
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写真を撮っている内に、最初に入場した門とは違う門から退場しました。それで、最初の入口に向かう途中での撮影です。一部の藤棚が移植をされましたので、数年の間は、その箇所の藤棚は寂しくなるような話を、何度か耳にしました。(同上)
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もう一度、藤棚の下を通りましたので、既に撮影していましたが、再度、満開の藤をカメラに収めました。一番の見どころの九尺藤だったかもしれません。九尺藤の正式名称は、『野田長藤』です。9尺(2.7メートル)は少し誇張のようですが、長いものは2メートル近くになるようです。(同上)
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これで、今年の藤の見納めです。東海地区には、他にも甚目寺、津島、岡崎などにも藤の名所があります。できることなら、毎年1箇所以上は訪れたいものですが、中々果たせません。(同上)
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最後に紹介する写真は、『日輪山曼荼羅寺』の石碑です。下の方の文字が写真から切れていますが、その下には『愛知県』の文字がありました。国指定の文化財も4点ある古刹の曼荼羅寺です。(同上)
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曼荼羅寺公園、江南藤まつりの看板です。曼荼羅寺公園の区画は、曼荼羅寺から江南市に寄付され、市は隣接地を買い増して公園整備したようです。江南市の大切な観光施設の一つとして定着しているようでした。(同上)
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