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北イタリヤを一般的なツアーで巡るとすれば、ベネツイアもフィレンツエも、せいぜい多くて二日で、ミラノなら一日ってとこ。<br />で、ミラノの最後の晩餐を見るなんて、殆ど期待できない。つまり、あれもこれも見残したって思いが残ってしまうのだ。で、僕は、ローマを制覇した暁には、北イタリヤをぐるっと回ることと決めていたのだ。で、女房に声を掛けたが、例の如く、「一度行ったとこには行かない」と拒否されてしまった。そこで、中学校の友達に何十年ぶりかで連絡を取り、行くか?と声を掛けると、行くって返事が返ってきたのだ。僕が、TWINの部屋でええやろな?と問うと、彼は、夜中に襲うなよ?と答えた。<br />で、ローマ行きの時と同様に、中華航空/イタリヤ航空の便を定価57,400円(実質70,440円)で旅ウエブ社(ヴィクトリーツアー社)に発注した。この頃はまだ、座席予約までの試みをやるまでには至らず、成田に出来るだけ早く行って並ぶって手法を取っていた。そんなことよりも以下のように、する事がいっぱいあったし、それに旅慣れない頃のこととて、飛行機の安楽さ追求までは気が回らなかったとも言える。ってことは、これから海外旅行する人は、僕の別の旅行記で、安売りキップで、いかに座席予約に挑戦するかも学ぶことを薦めたいってこと。<br />本題に戻って、旅の前に何をするかっていうと、<br />?宿の予約(ベニス、ミラノ、フィレンツエ、シエナ、ローマ)<br />と、宿の場所の把握。<br />?列車計画と予約。<br />?ミラノ最後の晩餐予約、フィレンツエ美術館、ピサ斜塔予約<br />?各都市でT/Cを、手数料ゼロで現金に換えてくれる、AMEXの事務所の場所の調査。<br />?訪問各都市の見所調査<br />宿の予約では、VENIRE.COMだけでは不足で、インターネットを調べまくることになった。ヴェネチアのCa’San Pietroは、1泊70EUR/twin(<br />一人35EUR)で、4日分280EURの内、80EURをPAYPALってシステムで送金することを要求された。初めての予約金支払いで気苦労したが、終わってしまえば、その手続きはとても簡単ではあった。更に、このホテルは島の北端の小さな島にあり、本島とは橋で繋がっているが、どう行けば良いのかと、YahooItariaで地図を調べまくった。その他のホテルも、勝手知ったるローマのホテル以外は、安いだけに、各都市の周辺辺りにあり、そこまでのルートの調査に苦労した。(でも、苦労のし甲斐は十分にありましたねえ)<br />列車に関しては、トレンイタリヤセーバー1等4日間24,400円/人を買い、座席指定は都度購入が最も経済的とは判ったが、ローマ空港到着初日のローマTERMINI→ヴェニス間の12:55発17:28着ES9470の指定券2,500円/人も、トレンイタリヤ切符と一緒にHISで購入した。日本での指定券購入は高くつくのだが、ESは何時間前までに購入とからしいので仕方なかったのだ。飛行機のローマ着は10:05で、ここからTERMINIに移動して、TERMINI発、12:55発は大丈夫かと心配したほどであったが、結果的には、十分に間に合った。<br />だが、TERMINI駅でのホーム間移動は、駅の端から端ってかなりの距離でした。(でも、それも面白い経験ですね)<br /><br />続きが遅くなってすみません。実はよんどころない事情で、花粉症を押して大阪に行くことになって、ついでに京都の東山に行ってきました。琵琶湖疏水記念館からインクラインを登りインクラインに沿って桜並木を楽しんだのですが、3月末だと関東は満開なのに、京都は5分咲き程度でしたね。ところで、インクラインの後端から分水線に沿って南禅寺の後方へのルートがあるのに気付いたのですが、そこに水道橋があるのを知っていますか?ローマのよりはずっと小さくて、レンガで仕上げているのですが、感動しましたね。<br />それと、記念館を初めて訪れて知ったのですが、この琵琶湖疏水を建設したのが、田辺朔郎が26歳の頃なんですね。全長8.7キロでトンネルは2.6km程度ですかね。<br />記念館の掲示を見て、僕は身に詰まされました。実は僕も24歳の時に、八戸の地下長距離コンベヤを設計したのですが、全長は9km程度で、全長トンネル内に設置されています。石灰石を時間1000トン程度で港に運ぶ設備です。設備は5台のコンベヤを接続していて、全動力は1500KW程度でした。ぽっと会社に入って配属されたら、この設計を自分ひとりで遣ることになったのです。当時は長い不景気の後で、僕らの上の年代がとても少なくて、僕を指導できる上司が不足していたのです。で、仕方なく自分ひとりで設計を始めたのですが、当時日本では、長距離コンベヤの資料、知識も少なく、ドイツの文献を調べながら設計したのです。長距離コンベヤ以外に、インクラインコンベヤってえのがあって、これは、京都のインクラインが船を運ぶのに対して、地下100メータから石灰石を時間2000トン/で地上に運ぶ設備ですが、京都のインクラインが25KWなのに対して、八戸のインクラインは、1台のコンベヤで動力が800KWって凄い装置なんです。僕には長距離コンベヤよりもこの設備の方が怖かったです。ベルトの張力が60トンも掛かるのです。建築物と違って、この力が常時掛かりますから、手を抜いたらすぐ設備が崩壊します。建築設備の技術者と違い、大型機械設備の技術者が強度を正確に計算するのはこのせいです。絶対に誤魔化せないのです。<br />設備全体としては、これらの石灰石を長距離コンベヤで鮫港のサイロに送るんですが、こんな設備の設計を大学ぽっと出の、頭も悪そうな顔付の僕に任せた僕の会社も、それで客さんも、心配じゃあなかったんでしょうか?でも、誰からもクレームがないままに設計を終わり、1500トン以上の設備を設計、製作して、次いで据付して試運転して納入しました。今でも、八戸の住金鉱業として地下で石灰石をどんどんと運んでいるはずです。あのコンベヤは、人手が無かったので、殆ど僕ひとりで設計したんだからね。って自慢なんですが、話題が飛んでしまいましたね。要は、京都にも水道橋があるって話で、京都って凄いですね。それに南禅寺の山門、哲学の道から銀閣寺(銀閣寺は修理中)と、東山はいいですねえ。<br /><br />ところで話を戻して、北イタリヤの見学施設の予約ですが、ミラノの最後の晩餐は確実に見たければ予約が必要です。地球の歩き方に書いてある電話には誰も出てこないので、インターネットを調べて、ここで日本語オーディオも含めて、予約しました。<br />http://en.firenze.waf.it/<br />4月2日9:00〜 予約番号9895058.31133  オーディオガイド付 28EUR/2人。<br />でも、後日メールがあり、夕方18:45に変更されました。<br />次いでフィレンツエのウフイツエ美術館ですが、これは多くの人が訪れるので、予約が望ましいようです。ここでは電話がつながり親切な中年らしき女性が出てきて、英語で日にち4/5日と人数、希望時間8:30を言うと、予約番号を告げられました。あまりに簡単に予約できたので心配になり、一ヶ月ほどして、RE-CONFIRMしたいと、予約番号を言って確認すると間違いありませんでした。(ね、僕って案外慎重でしょ?)ただ、日にちをFIFTHと言うと発音が悪いのか理解できず、イタリヤ語でCINQUE CINQUEと言うと理解してくれました。イタリヤ語の勉強も役立ちましたね。<br />最後は、ピサの斜塔ですが、これもインターネットで4/4日15:00を17EUR/2人で予約しました。現地に行った時の手順は、出来るだけインターネットで調べ出力しておきました。<br />T/Cの交換事務所ですが、これは東京三菱UFJの小冊子と、YAHOOイタリヤを調べて大体の場所は把握できたし、実際にも、わりと容易に事務所に行けたのです。T/Cを無料でCASHに換えてくれるのだから、大儲けをした気分になります。つまり日本でEUR現金を購入するより3円程度安いですよね。<br />ってことで、かなり綿密な計画をしたと自分では思っています。後は体力の許す範囲で実行するだけです。<br /><br />3月27日(月)成田16:30→台北19:30/23:23→バンコック経由ローマ10:10(夏時間で時差7時間だから、24時間40分)で、定刻にローマ空港に着き、帰国便のリコンファームは不要であることは成田で確認していたから、そのまま国鉄駅に行き、切符のバリデーションをして、レオナルドダビンチ号に乗った。そうして、予定通りにローマTERMINIに着いてほっとしました。<br />ヴェニス行きの列車はかなり混んでいて、一等の車両は6人コンパートメントですが、乗客でいっぱいでした。予約しておいて本当に良かったです。<br />列車は定刻に出て、暫くは街中を、直ぐにトスカーナの農園地帯を走り、3時間ほどでフィレンツエに着き、街の東端を北上して、CanpoDiMarte駅を通過して、ぐるっと街の外を反時計方向に回り、北側から南下してCENTRALE駅に着きます。ここも終端(TERMINI)駅ですから、出発は反対方向に出発します。<br />またまた、延々とトスカーナの丘、山、農園を北北東に通過して、ヴェニスの陸側MESTRE駅に着きます。ここからは、海上橋を通過して、サンタルチア駅に着いたのです。列車の旅っていつもながら楽しいですね。なお、荷物は荷物置き場にチエーンでくくりつけておきました。<br />ホームを降りて駅の前方に行き、そこで僕は右の方に向かってしまいました。駅を出ると、そこはやはり運河の堤防上なんですが、とても辺鄙な場所で、ここで30分もうろうろと迷っってしまい、地球の歩き方を見直すと、バポレット乗り場は駅の前方であることが判りました。僕には、稀なんですが、土地勘が狂う時があるようです。で、正しく前方に出て、キップ売り場でサンピエトロ行きの一回キップを買いました。このキップは大運河経由では使えず、サンピエトロ行きの船は、大運河を少し行き、そこで、狭い運河に入り外海に出て、島の外側を時計回りに進んで行くのです。各駅ごとに人の乗り降りは多く、その人々は皆こぎれいで清潔な服装の人ばかりでした。ただ、これはイタリヤ全般と言うかヨーロッパ人の特徴だが、人によって、真冬の服装だったり、真夏の服装だったりと季節感が感じられない服装です。だが、いずれにしても、この島の人々はかなり裕福な生活をしていると思えた。<br />島の最も遠い所にあるサンピエトロ駅に来る頃には乗客は殆ど居らず、駅で降りたのは我々だけだった。そんな状況で、我々の泊まる予定のB&amp;Bがどこかを聞くにも人も見当たらなかった。仕方なく、YahooItariaで出力した判りにくい地図を元に、鄙びた家々の間の細い道を、B&amp;Bがある筈の、主島との橋の辺りに行ってみた。が、ホテルらしきものは存在せず、普通の、しかも寂れたアパートが並んでいるだけであった。たまたま通り掛った小母さんが2人居たので聞いてみると、「B&amp;Bは知らないが、住所はこのアパートだ」と、橋のちょうど向いにあるアパートを指差した。遠くから見ても近くで見ても、ごく普通のアパートでしかない。各階ごとに書いてある名札を見てもB&amp;Bの名前は無い。困って電話を探したが、橋そばの公衆電話は潰れている。もう一度、建物のところに戻って名札を見直すと、メールで連絡したMARTAなる名前が目についた。で、ベルを押して、「日本人ですが」と言うと直ぐに行くと答えが帰り、これで漸く宿に着いたのだ。この出来事以降、B&amp;Bを予約する場合は、B&amp;Bの名前と住所だけではなくって、相手の名前を確実に覚えるようにしている。この教訓は本当に役立っている。<br />出てきたのは若いMARTAの亭主か、ROBERTって男で、我々を2階の部屋に案内した。一番奥が寝室とリビングで、台所、バスルーム、玄関となっている。台所に小さなパンが置いてあった。ここの食事は貧しそうだから、どこかで調達が必要と思えた。だが居住には非常に気持ちよい雰囲気であった。<br />島の東端と言うと、辺鄙な所と思われそうだが、実は非常に便利な場所であった。本島との橋を越えて、運河に沿った、古めかしくいかにもヴェネツイアって風情の石畳道を20分程度歩くとサンマルコ広場に着くのだから、とても便利な場所なのだ。どちらかと言えば居住エリヤなので比較的静かだが、道に沿って、生活必需品は売ってるって居住にはベストの場所であった。<br />翌日朝早くから、サンマルコ広場周辺を見て回り、寺院の屋上、宮殿の見学など、あらゆる所を見て歩いた。その翌日からは、バポレット24時間券を買い、サンタルチア駅に行き、ミラノ行きの列車を予約して、そこから、大運河に沿って、細く由緒ありそうな路地を伝いながら、多くの寺院や見学場所を見て歩き、時には、船に乗り対岸に渡ったりと、自由きままに動きまわった。その途中で、アカデミヤ橋は何度も越えることになった。歩きの途中で、AMEXの事務所に立ち寄りCASHも確保した。その事務所はサンマルコ広場を寺院と反対側に行った3月22通りに面してあり、警官に住所を示すと、直ぐに教えてくれたのだ。<br />3/31(金)にアカデミヤ美術館に行ったのだが、入場料は無料であった。なんでやねん?<br />後で判ったが、その一週間は、国立の美術館は全て無料になっていたのだ。なんちゅう幸運やねん。<br />と、丸々3日間を、楽しくこの街で過ごした。また行きたいですね。<br />ヴェネチィアでは昼はあちこちにスナック(サンドイッチとかあれこれ)を売っているし、レストランには英語のCARTEが置いてあるから、しかも、店の前に写真、値段入りのCARTEも置いてあるから、食い物には苦労しない。ただ、サンドイッチなどは「CRUDE(生か)かCOTTE(調理=加熱」かと聞かれるので好みを言えばよい。店で席に座るとコペルトを取られるが、路地に椅子が置いてあるような時は、例えばサンドイッチとコフィーをカウンターで受け取り支払いを終わってから、座って良いかと聞く手もある。<br />ウエイターやウエイトレスの居ない店は席料が要らないようなのだ。<br /><br />4/1(土)VERONA経由でMILANOへ<br />サンタルチア駅発9:52、ベローナ着11:19、ベローナ発17:19ミラノ着18:45をそれぞれ予約した。予約料は2人分で6EUR/件であった。B&amp;Bを早めに出たので昨日買ったバポレットの24時間券が有効な時間であった。バポレットが早朝のラグーンの間を通るのもなかなか興味深いものだった。列車は定刻通りの運行で、紀元時代から耕されたかのような、目の届く彼方までの田園の中を進んで行った。<br />ベローナ駅に着き、駅のバスキップ売り場で、中年後半の小母さんがキップを売っており、ベローナチケットを2枚買い20EURを払った。ところがバスに乗りアリーナに入るのにこのキップを見せると、それはバスのキップ(1EURx2枚)だと言われた。つまり、駅のタバッキ(キップ売り場)の小母はんに18EURだまし取られたってことだ。<br />腹は立つがとにかく見学を終えて、駅へのバスに乗り、キップに刻印しようとしたが、刻印機が作動しない。傍に居た中東系の体ががっしりとした男が親切に僕らのキップのしわを伸ばして機械に入れようとしてくれた。だが、やはり刻印機械は作動しなかった。ここで人が乗り込んできて、僕と友人は離れ離れになり、僕は男と並んで吊り革を持って立っていた。僕を挟んで中東系の青年とは反対側に居た、やはり中東系の更に若い男女が、バスの窓の向こうを指差した。その方向に視線を向けた時に、僕の腰に着けているカメラのケースが引っ張られるような感覚があり、さっと視線を移すと、親切と思われた中東系の男の右手が、彼の左手に持った週刊誌の陰に隠れる動きが見えた。僕のカメラはかなりきつくケースに収まっているので抜き取れなかったのだ。直ぐに僕は彼と中東系の青年達から場所を移した。すぐに駅に着きバスから降りた時に友人にこの事情を話すと、彼は急いで自分のカメラを探し、「やられた!」と叫んだ。彼は、彼のカメラを裸でジャンパーのポケットに入れていたのだ。僕達は駅の周囲を見回したが、既にスリの連中の姿は無かった。やれやれ、ベローナって恐ろしい所だと思い知らされた。<br />駅のタバッキに行ったが、既に小母はんの姿は無く、これはあきらめて、鉄道警察事務所を探し、カメラを盗まれたことを説明し、盗難の証明書を発行してもらった。<br />皆さん、ベローナでは、いつも危険がいっぱいだって考えようね。駅タバッキの小母さんには特に気をつけよう。<br />さて列車は無事にミラノに着き、ミラノの宿は、TheBestって、駅から歩いて10分ほどのViaBenedettoに面したホテルであった。駅から近く、道路に面しているので騒音が心配であったが、道路は緑地帯を真ん中に挟んだ通行量の少ない所で、静かなホテルであった。イタリヤの建物はどこでもそうだが、中庭は広く、しかも公園のようになっていて、一泊65EUR(二人で)だけの価値はあった。オーナーは若い夫婦であった。<br />夕食は、若いオーナーに聞いたが、駅から離れた方向に一つ通りを越えた所にあると教えられ、行ってみると人でいっぱいであった。ウエイターに2人と告げると、道路に寒さよけのカバーを設けた喫煙席に連れて行かれた。横には若い女性が2人居て、我々と同様に周囲でタバコをパカパカ吸っているのを嫌がっていた。イタリヤでは今年から喫煙席と禁煙席が分離されたのだ。<br />イタリヤ語のメニューしかなくて、スープとミラノ風スパゲッティ(サフランで金色になったもの)、と、ベネツイア風ステーキ(カツレツ)を頼み、二人で分け合った、が量が多すぎて、しかも、友人が辞退したものだから、僕がかなりの量を食べることになり、腹がパンパンに膨れてしまった。<br />実は、ベネティアでも夜のレストランでは食べ過ぎていたのだ。PICORO PORTIONEと頼めば少ない量で出してくれるってことは勉強していたのだが、実際にはそこまで気が回らず、いつも大量の夕食を食べることになってしまったのだ。しかも、昼間歩き回っている時に、イタリヤの旨いアイスクリームを食べ過ぎた。で、とうとうMILANOで腹がいかれてしまったのだ。<br />4月2日、4月3日<br />ってことで、午前中は部屋で眠って過ごした。ただ、オーナーの美しい女房が部屋の掃除に来た時には、中庭に出て椅子の上で眠って過ごした。その日は天気が良くて涼しい風が気持ちよかった。友人は、ブエノスアイレス通りでショッピングをしてくると出掛けた。昼になり昼食を終えた友人が帰ってきたので、僕は昼食抜きで出掛けることにした。なにしろ、あの有名なブレラ美術館は明日は月曜日で休みだから、今日しかチャンスは無いのだ。で、先ずはドーモに行き、エレベータで屋上に登った。ここのドームの屋上は、他のドーモの屋上とは全く違う構造で、広く平坦なものであった。なお、今日は何かの祭りらしくドーモの周囲には、色とりどりの服を着た種々グループの人々が隊列を組んで歩いていた。次いでエマニエールのガッレリヤを通過して、ブレラ美術館を訪れた。ここも入場料は只であった。(本当についているよね)<br />夕刻になり、地下鉄でサンタマリヤデッレグラツエ教会に向かった。で、受付でインターネット出力を出すと、支払いをチェックして定刻まで待っていろと指示された。約30名程度の人々が待っていて、時間になり、入場する前にオーディオを渡された。てなことで、感動の内に、あの最後の晩餐を見ることができたのだ。しかも、日本語オーディオを聞きながらである。大型双眼鏡も持参したから、壁画を十分に楽しむことができた。壁画って、とっても大きいのですよ。<br />4/3日は、スフォルツ城から、その裏のセンピオーネ公園を通り抜け、街中を歩き続け、古い街並みを楽しんだ。<br /><br /><br />更に、ゆっくり続く。<br />

おっさん達の北イタリヤ古都めぐり

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2006/03/27 - 2006/04/12

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isabon

isabonさん

北イタリヤを一般的なツアーで巡るとすれば、ベネツイアもフィレンツエも、せいぜい多くて二日で、ミラノなら一日ってとこ。
で、ミラノの最後の晩餐を見るなんて、殆ど期待できない。つまり、あれもこれも見残したって思いが残ってしまうのだ。で、僕は、ローマを制覇した暁には、北イタリヤをぐるっと回ることと決めていたのだ。で、女房に声を掛けたが、例の如く、「一度行ったとこには行かない」と拒否されてしまった。そこで、中学校の友達に何十年ぶりかで連絡を取り、行くか?と声を掛けると、行くって返事が返ってきたのだ。僕が、TWINの部屋でええやろな?と問うと、彼は、夜中に襲うなよ?と答えた。
で、ローマ行きの時と同様に、中華航空/イタリヤ航空の便を定価57,400円(実質70,440円)で旅ウエブ社(ヴィクトリーツアー社)に発注した。この頃はまだ、座席予約までの試みをやるまでには至らず、成田に出来るだけ早く行って並ぶって手法を取っていた。そんなことよりも以下のように、する事がいっぱいあったし、それに旅慣れない頃のこととて、飛行機の安楽さ追求までは気が回らなかったとも言える。ってことは、これから海外旅行する人は、僕の別の旅行記で、安売りキップで、いかに座席予約に挑戦するかも学ぶことを薦めたいってこと。
本題に戻って、旅の前に何をするかっていうと、
?宿の予約(ベニス、ミラノ、フィレンツエ、シエナ、ローマ)
と、宿の場所の把握。
?列車計画と予約。
?ミラノ最後の晩餐予約、フィレンツエ美術館、ピサ斜塔予約
?各都市でT/Cを、手数料ゼロで現金に換えてくれる、AMEXの事務所の場所の調査。
?訪問各都市の見所調査
宿の予約では、VENIRE.COMだけでは不足で、インターネットを調べまくることになった。ヴェネチアのCa’San Pietroは、1泊70EUR/twin(
一人35EUR)で、4日分280EURの内、80EURをPAYPALってシステムで送金することを要求された。初めての予約金支払いで気苦労したが、終わってしまえば、その手続きはとても簡単ではあった。更に、このホテルは島の北端の小さな島にあり、本島とは橋で繋がっているが、どう行けば良いのかと、YahooItariaで地図を調べまくった。その他のホテルも、勝手知ったるローマのホテル以外は、安いだけに、各都市の周辺辺りにあり、そこまでのルートの調査に苦労した。(でも、苦労のし甲斐は十分にありましたねえ)
列車に関しては、トレンイタリヤセーバー1等4日間24,400円/人を買い、座席指定は都度購入が最も経済的とは判ったが、ローマ空港到着初日のローマTERMINI→ヴェニス間の12:55発17:28着ES9470の指定券2,500円/人も、トレンイタリヤ切符と一緒にHISで購入した。日本での指定券購入は高くつくのだが、ESは何時間前までに購入とからしいので仕方なかったのだ。飛行機のローマ着は10:05で、ここからTERMINIに移動して、TERMINI発、12:55発は大丈夫かと心配したほどであったが、結果的には、十分に間に合った。
だが、TERMINI駅でのホーム間移動は、駅の端から端ってかなりの距離でした。(でも、それも面白い経験ですね)

続きが遅くなってすみません。実はよんどころない事情で、花粉症を押して大阪に行くことになって、ついでに京都の東山に行ってきました。琵琶湖疏水記念館からインクラインを登りインクラインに沿って桜並木を楽しんだのですが、3月末だと関東は満開なのに、京都は5分咲き程度でしたね。ところで、インクラインの後端から分水線に沿って南禅寺の後方へのルートがあるのに気付いたのですが、そこに水道橋があるのを知っていますか?ローマのよりはずっと小さくて、レンガで仕上げているのですが、感動しましたね。
それと、記念館を初めて訪れて知ったのですが、この琵琶湖疏水を建設したのが、田辺朔郎が26歳の頃なんですね。全長8.7キロでトンネルは2.6km程度ですかね。
記念館の掲示を見て、僕は身に詰まされました。実は僕も24歳の時に、八戸の地下長距離コンベヤを設計したのですが、全長は9km程度で、全長トンネル内に設置されています。石灰石を時間1000トン程度で港に運ぶ設備です。設備は5台のコンベヤを接続していて、全動力は1500KW程度でした。ぽっと会社に入って配属されたら、この設計を自分ひとりで遣ることになったのです。当時は長い不景気の後で、僕らの上の年代がとても少なくて、僕を指導できる上司が不足していたのです。で、仕方なく自分ひとりで設計を始めたのですが、当時日本では、長距離コンベヤの資料、知識も少なく、ドイツの文献を調べながら設計したのです。長距離コンベヤ以外に、インクラインコンベヤってえのがあって、これは、京都のインクラインが船を運ぶのに対して、地下100メータから石灰石を時間2000トン/で地上に運ぶ設備ですが、京都のインクラインが25KWなのに対して、八戸のインクラインは、1台のコンベヤで動力が800KWって凄い装置なんです。僕には長距離コンベヤよりもこの設備の方が怖かったです。ベルトの張力が60トンも掛かるのです。建築物と違って、この力が常時掛かりますから、手を抜いたらすぐ設備が崩壊します。建築設備の技術者と違い、大型機械設備の技術者が強度を正確に計算するのはこのせいです。絶対に誤魔化せないのです。
設備全体としては、これらの石灰石を長距離コンベヤで鮫港のサイロに送るんですが、こんな設備の設計を大学ぽっと出の、頭も悪そうな顔付の僕に任せた僕の会社も、それで客さんも、心配じゃあなかったんでしょうか?でも、誰からもクレームがないままに設計を終わり、1500トン以上の設備を設計、製作して、次いで据付して試運転して納入しました。今でも、八戸の住金鉱業として地下で石灰石をどんどんと運んでいるはずです。あのコンベヤは、人手が無かったので、殆ど僕ひとりで設計したんだからね。って自慢なんですが、話題が飛んでしまいましたね。要は、京都にも水道橋があるって話で、京都って凄いですね。それに南禅寺の山門、哲学の道から銀閣寺(銀閣寺は修理中)と、東山はいいですねえ。

ところで話を戻して、北イタリヤの見学施設の予約ですが、ミラノの最後の晩餐は確実に見たければ予約が必要です。地球の歩き方に書いてある電話には誰も出てこないので、インターネットを調べて、ここで日本語オーディオも含めて、予約しました。
http://en.firenze.waf.it/
4月2日9:00〜 予約番号9895058.31133  オーディオガイド付 28EUR/2人。
でも、後日メールがあり、夕方18:45に変更されました。
次いでフィレンツエのウフイツエ美術館ですが、これは多くの人が訪れるので、予約が望ましいようです。ここでは電話がつながり親切な中年らしき女性が出てきて、英語で日にち4/5日と人数、希望時間8:30を言うと、予約番号を告げられました。あまりに簡単に予約できたので心配になり、一ヶ月ほどして、RE-CONFIRMしたいと、予約番号を言って確認すると間違いありませんでした。(ね、僕って案外慎重でしょ?)ただ、日にちをFIFTHと言うと発音が悪いのか理解できず、イタリヤ語でCINQUE CINQUEと言うと理解してくれました。イタリヤ語の勉強も役立ちましたね。
最後は、ピサの斜塔ですが、これもインターネットで4/4日15:00を17EUR/2人で予約しました。現地に行った時の手順は、出来るだけインターネットで調べ出力しておきました。
T/Cの交換事務所ですが、これは東京三菱UFJの小冊子と、YAHOOイタリヤを調べて大体の場所は把握できたし、実際にも、わりと容易に事務所に行けたのです。T/Cを無料でCASHに換えてくれるのだから、大儲けをした気分になります。つまり日本でEUR現金を購入するより3円程度安いですよね。
ってことで、かなり綿密な計画をしたと自分では思っています。後は体力の許す範囲で実行するだけです。

3月27日(月)成田16:30→台北19:30/23:23→バンコック経由ローマ10:10(夏時間で時差7時間だから、24時間40分)で、定刻にローマ空港に着き、帰国便のリコンファームは不要であることは成田で確認していたから、そのまま国鉄駅に行き、切符のバリデーションをして、レオナルドダビンチ号に乗った。そうして、予定通りにローマTERMINIに着いてほっとしました。
ヴェニス行きの列車はかなり混んでいて、一等の車両は6人コンパートメントですが、乗客でいっぱいでした。予約しておいて本当に良かったです。
列車は定刻に出て、暫くは街中を、直ぐにトスカーナの農園地帯を走り、3時間ほどでフィレンツエに着き、街の東端を北上して、CanpoDiMarte駅を通過して、ぐるっと街の外を反時計方向に回り、北側から南下してCENTRALE駅に着きます。ここも終端(TERMINI)駅ですから、出発は反対方向に出発します。
またまた、延々とトスカーナの丘、山、農園を北北東に通過して、ヴェニスの陸側MESTRE駅に着きます。ここからは、海上橋を通過して、サンタルチア駅に着いたのです。列車の旅っていつもながら楽しいですね。なお、荷物は荷物置き場にチエーンでくくりつけておきました。
ホームを降りて駅の前方に行き、そこで僕は右の方に向かってしまいました。駅を出ると、そこはやはり運河の堤防上なんですが、とても辺鄙な場所で、ここで30分もうろうろと迷っってしまい、地球の歩き方を見直すと、バポレット乗り場は駅の前方であることが判りました。僕には、稀なんですが、土地勘が狂う時があるようです。で、正しく前方に出て、キップ売り場でサンピエトロ行きの一回キップを買いました。このキップは大運河経由では使えず、サンピエトロ行きの船は、大運河を少し行き、そこで、狭い運河に入り外海に出て、島の外側を時計回りに進んで行くのです。各駅ごとに人の乗り降りは多く、その人々は皆こぎれいで清潔な服装の人ばかりでした。ただ、これはイタリヤ全般と言うかヨーロッパ人の特徴だが、人によって、真冬の服装だったり、真夏の服装だったりと季節感が感じられない服装です。だが、いずれにしても、この島の人々はかなり裕福な生活をしていると思えた。
島の最も遠い所にあるサンピエトロ駅に来る頃には乗客は殆ど居らず、駅で降りたのは我々だけだった。そんな状況で、我々の泊まる予定のB&Bがどこかを聞くにも人も見当たらなかった。仕方なく、YahooItariaで出力した判りにくい地図を元に、鄙びた家々の間の細い道を、B&Bがある筈の、主島との橋の辺りに行ってみた。が、ホテルらしきものは存在せず、普通の、しかも寂れたアパートが並んでいるだけであった。たまたま通り掛った小母さんが2人居たので聞いてみると、「B&Bは知らないが、住所はこのアパートだ」と、橋のちょうど向いにあるアパートを指差した。遠くから見ても近くで見ても、ごく普通のアパートでしかない。各階ごとに書いてある名札を見てもB&Bの名前は無い。困って電話を探したが、橋そばの公衆電話は潰れている。もう一度、建物のところに戻って名札を見直すと、メールで連絡したMARTAなる名前が目についた。で、ベルを押して、「日本人ですが」と言うと直ぐに行くと答えが帰り、これで漸く宿に着いたのだ。この出来事以降、B&Bを予約する場合は、B&Bの名前と住所だけではなくって、相手の名前を確実に覚えるようにしている。この教訓は本当に役立っている。
出てきたのは若いMARTAの亭主か、ROBERTって男で、我々を2階の部屋に案内した。一番奥が寝室とリビングで、台所、バスルーム、玄関となっている。台所に小さなパンが置いてあった。ここの食事は貧しそうだから、どこかで調達が必要と思えた。だが居住には非常に気持ちよい雰囲気であった。
島の東端と言うと、辺鄙な所と思われそうだが、実は非常に便利な場所であった。本島との橋を越えて、運河に沿った、古めかしくいかにもヴェネツイアって風情の石畳道を20分程度歩くとサンマルコ広場に着くのだから、とても便利な場所なのだ。どちらかと言えば居住エリヤなので比較的静かだが、道に沿って、生活必需品は売ってるって居住にはベストの場所であった。
翌日朝早くから、サンマルコ広場周辺を見て回り、寺院の屋上、宮殿の見学など、あらゆる所を見て歩いた。その翌日からは、バポレット24時間券を買い、サンタルチア駅に行き、ミラノ行きの列車を予約して、そこから、大運河に沿って、細く由緒ありそうな路地を伝いながら、多くの寺院や見学場所を見て歩き、時には、船に乗り対岸に渡ったりと、自由きままに動きまわった。その途中で、アカデミヤ橋は何度も越えることになった。歩きの途中で、AMEXの事務所に立ち寄りCASHも確保した。その事務所はサンマルコ広場を寺院と反対側に行った3月22通りに面してあり、警官に住所を示すと、直ぐに教えてくれたのだ。
3/31(金)にアカデミヤ美術館に行ったのだが、入場料は無料であった。なんでやねん?
後で判ったが、その一週間は、国立の美術館は全て無料になっていたのだ。なんちゅう幸運やねん。
と、丸々3日間を、楽しくこの街で過ごした。また行きたいですね。
ヴェネチィアでは昼はあちこちにスナック(サンドイッチとかあれこれ)を売っているし、レストランには英語のCARTEが置いてあるから、しかも、店の前に写真、値段入りのCARTEも置いてあるから、食い物には苦労しない。ただ、サンドイッチなどは「CRUDE(生か)かCOTTE(調理=加熱」かと聞かれるので好みを言えばよい。店で席に座るとコペルトを取られるが、路地に椅子が置いてあるような時は、例えばサンドイッチとコフィーをカウンターで受け取り支払いを終わってから、座って良いかと聞く手もある。
ウエイターやウエイトレスの居ない店は席料が要らないようなのだ。

4/1(土)VERONA経由でMILANOへ
サンタルチア駅発9:52、ベローナ着11:19、ベローナ発17:19ミラノ着18:45をそれぞれ予約した。予約料は2人分で6EUR/件であった。B&Bを早めに出たので昨日買ったバポレットの24時間券が有効な時間であった。バポレットが早朝のラグーンの間を通るのもなかなか興味深いものだった。列車は定刻通りの運行で、紀元時代から耕されたかのような、目の届く彼方までの田園の中を進んで行った。
ベローナ駅に着き、駅のバスキップ売り場で、中年後半の小母さんがキップを売っており、ベローナチケットを2枚買い20EURを払った。ところがバスに乗りアリーナに入るのにこのキップを見せると、それはバスのキップ(1EURx2枚)だと言われた。つまり、駅のタバッキ(キップ売り場)の小母はんに18EURだまし取られたってことだ。
腹は立つがとにかく見学を終えて、駅へのバスに乗り、キップに刻印しようとしたが、刻印機が作動しない。傍に居た中東系の体ががっしりとした男が親切に僕らのキップのしわを伸ばして機械に入れようとしてくれた。だが、やはり刻印機械は作動しなかった。ここで人が乗り込んできて、僕と友人は離れ離れになり、僕は男と並んで吊り革を持って立っていた。僕を挟んで中東系の青年とは反対側に居た、やはり中東系の更に若い男女が、バスの窓の向こうを指差した。その方向に視線を向けた時に、僕の腰に着けているカメラのケースが引っ張られるような感覚があり、さっと視線を移すと、親切と思われた中東系の男の右手が、彼の左手に持った週刊誌の陰に隠れる動きが見えた。僕のカメラはかなりきつくケースに収まっているので抜き取れなかったのだ。直ぐに僕は彼と中東系の青年達から場所を移した。すぐに駅に着きバスから降りた時に友人にこの事情を話すと、彼は急いで自分のカメラを探し、「やられた!」と叫んだ。彼は、彼のカメラを裸でジャンパーのポケットに入れていたのだ。僕達は駅の周囲を見回したが、既にスリの連中の姿は無かった。やれやれ、ベローナって恐ろしい所だと思い知らされた。
駅のタバッキに行ったが、既に小母はんの姿は無く、これはあきらめて、鉄道警察事務所を探し、カメラを盗まれたことを説明し、盗難の証明書を発行してもらった。
皆さん、ベローナでは、いつも危険がいっぱいだって考えようね。駅タバッキの小母さんには特に気をつけよう。
さて列車は無事にミラノに着き、ミラノの宿は、TheBestって、駅から歩いて10分ほどのViaBenedettoに面したホテルであった。駅から近く、道路に面しているので騒音が心配であったが、道路は緑地帯を真ん中に挟んだ通行量の少ない所で、静かなホテルであった。イタリヤの建物はどこでもそうだが、中庭は広く、しかも公園のようになっていて、一泊65EUR(二人で)だけの価値はあった。オーナーは若い夫婦であった。
夕食は、若いオーナーに聞いたが、駅から離れた方向に一つ通りを越えた所にあると教えられ、行ってみると人でいっぱいであった。ウエイターに2人と告げると、道路に寒さよけのカバーを設けた喫煙席に連れて行かれた。横には若い女性が2人居て、我々と同様に周囲でタバコをパカパカ吸っているのを嫌がっていた。イタリヤでは今年から喫煙席と禁煙席が分離されたのだ。
イタリヤ語のメニューしかなくて、スープとミラノ風スパゲッティ(サフランで金色になったもの)、と、ベネツイア風ステーキ(カツレツ)を頼み、二人で分け合った、が量が多すぎて、しかも、友人が辞退したものだから、僕がかなりの量を食べることになり、腹がパンパンに膨れてしまった。
実は、ベネティアでも夜のレストランでは食べ過ぎていたのだ。PICORO PORTIONEと頼めば少ない量で出してくれるってことは勉強していたのだが、実際にはそこまで気が回らず、いつも大量の夕食を食べることになってしまったのだ。しかも、昼間歩き回っている時に、イタリヤの旨いアイスクリームを食べ過ぎた。で、とうとうMILANOで腹がいかれてしまったのだ。
4月2日、4月3日
ってことで、午前中は部屋で眠って過ごした。ただ、オーナーの美しい女房が部屋の掃除に来た時には、中庭に出て椅子の上で眠って過ごした。その日は天気が良くて涼しい風が気持ちよかった。友人は、ブエノスアイレス通りでショッピングをしてくると出掛けた。昼になり昼食を終えた友人が帰ってきたので、僕は昼食抜きで出掛けることにした。なにしろ、あの有名なブレラ美術館は明日は月曜日で休みだから、今日しかチャンスは無いのだ。で、先ずはドーモに行き、エレベータで屋上に登った。ここのドームの屋上は、他のドーモの屋上とは全く違う構造で、広く平坦なものであった。なお、今日は何かの祭りらしくドーモの周囲には、色とりどりの服を着た種々グループの人々が隊列を組んで歩いていた。次いでエマニエールのガッレリヤを通過して、ブレラ美術館を訪れた。ここも入場料は只であった。(本当についているよね)
夕刻になり、地下鉄でサンタマリヤデッレグラツエ教会に向かった。で、受付でインターネット出力を出すと、支払いをチェックして定刻まで待っていろと指示された。約30名程度の人々が待っていて、時間になり、入場する前にオーディオを渡された。てなことで、感動の内に、あの最後の晩餐を見ることができたのだ。しかも、日本語オーディオを聞きながらである。大型双眼鏡も持参したから、壁画を十分に楽しむことができた。壁画って、とっても大きいのですよ。
4/3日は、スフォルツ城から、その裏のセンピオーネ公園を通り抜け、街中を歩き続け、古い街並みを楽しんだ。


更に、ゆっくり続く。

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