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聖山カイラス山の巡礼トレッキングを無事終え、さらに西へ移動した。前編の続き。<br /><br />なを、カイラス巡礼の旅の写真をDigiBookで公表しています。全面画像でごらんになれますので、興味のある方は下記のURLでご覧ください。<br /><br />http://www.digibook.net/q/2FPlVpQ8mGJ_HuGK/

聖地カイラス巡礼の旅(その4)

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2007/09/05 - 2007/09/30

65位(同エリア340件中)

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Hidechan

Hidechanさん

聖山カイラス山の巡礼トレッキングを無事終え、さらに西へ移動した。前編の続き。

なを、カイラス巡礼の旅の写真をDigiBookで公表しています。全面画像でごらんになれますので、興味のある方は下記のURLでご覧ください。

http://www.digibook.net/q/2FPlVpQ8mGJ_HuGK/

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  • 9月20日、朝9時にダルチェンをヤルツアンポ沿いにツァンダ(札達)へ向け出発した。<br />タルチェンからアリ方面(西)に50Kmほど車で走りり、ムンツェル(門土)で幹線道路から南南西に約8Kほど行くと聖地ティルタブリがあった。ここは、カン、リンポチエ、マパム、ユムツォとともにヒンドゥー教徒、仏教徒にとってこのティルタブリを訪れないと巡礼は完結しないとまで言われている聖地だ。青空をバックにおびただしいタルチョがはためいている。山の麓には薬効あらたかな温泉が湧いている。写真は温泉の池。

    9月20日、朝9時にダルチェンをヤルツアンポ沿いにツァンダ(札達)へ向け出発した。
    タルチェンからアリ方面(西)に50Kmほど車で走りり、ムンツェル(門土)で幹線道路から南南西に約8Kほど行くと聖地ティルタブリがあった。ここは、カン、リンポチエ、マパム、ユムツォとともにヒンドゥー教徒、仏教徒にとってこのティルタブリを訪れないと巡礼は完結しないとまで言われている聖地だ。青空をバックにおびただしいタルチョがはためいている。山の麓には薬効あらたかな温泉が湧いている。写真は温泉の池。

  • ティルタブリ(札達棍巴)、ゴンパを見学する我々トレッカー。

    ティルタブリ(札達棍巴)、ゴンパを見学する我々トレッカー。

  • ゴンパの裏山にはおびただしいタルチョがはためいていた。

    ゴンパの裏山にはおびただしいタルチョがはためいていた。

  • ティルタブリの見学を終えてムンツェルに一端戻り幹線道路に出た。アリ方向の北西へ移動する。すぐに舗装道路が終わりまた悪路に変わった。途中検査站があり車が止められた。運転手が各人のパスポートを集め、旅行許可書とともに公安に見せている。<br />そのご幹線道路から左折してツアンダに向かった。広々とし高原や猛烈な山道の峠越えがあった。峠はもう5、000mを過ぎている。<br />【旅行許可書】<br />チベット自治区は原則ラサ、シガッツエなどをの除き、非解放地域となっている。当局からこの旅行許可書の交付を受けなければ入域出来ない地域となっている。旅行許可書は旅行社を通じて団体にしか発給されない、個人には発給がされていないのである。従って個人の自由な旅行はこの地域では建前上不可能である。これが原則である。<br />しかし、現実には、世界各地から若者達がこの地域に個人で入り込み、自由に歩き回っている。原則には例外があり、表には、必ず裏がある。昔日本にも関所があって、そこには関所破りの裏道が有り、関所破りをお金をとって手助けする者が居た。人間どこでも同じようなものだと納得できる。。

    ティルタブリの見学を終えてムンツェルに一端戻り幹線道路に出た。アリ方向の北西へ移動する。すぐに舗装道路が終わりまた悪路に変わった。途中検査站があり車が止められた。運転手が各人のパスポートを集め、旅行許可書とともに公安に見せている。
    そのご幹線道路から左折してツアンダに向かった。広々とし高原や猛烈な山道の峠越えがあった。峠はもう5、000mを過ぎている。
    【旅行許可書】
    チベット自治区は原則ラサ、シガッツエなどをの除き、非解放地域となっている。当局からこの旅行許可書の交付を受けなければ入域出来ない地域となっている。旅行許可書は旅行社を通じて団体にしか発給されない、個人には発給がされていないのである。従って個人の自由な旅行はこの地域では建前上不可能である。これが原則である。
    しかし、現実には、世界各地から若者達がこの地域に個人で入り込み、自由に歩き回っている。原則には例外があり、表には、必ず裏がある。昔日本にも関所があって、そこには関所破りの裏道が有り、関所破りをお金をとって手助けする者が居た。人間どこでも同じようなものだと納得できる。。

  • 土煙を上げてチベット高地の悪路を驀進するランクル。前方に土林の異様な景観が見えてきた。

    土煙を上げてチベット高地の悪路を驀進するランクル。前方に土林の異様な景観が見えてきた。

  • 土林の景観。<br />【土林】ツアンダ(札達)県一帯には柔らかい水平な地層が広く分布している。この地層は浸食を受けやすい為様々な造形を作り出している谷の深さは最大700mにも達し、アメリカのグランドキャニオンにたとえられることもある、色は黄色、灰白色が主だが、部分的には赤、紫、青、緑などの箇所もある。中国人この風景を「土林」とか「早溝」と呼んでいる。

    土林の景観。
    【土林】ツアンダ(札達)県一帯には柔らかい水平な地層が広く分布している。この地層は浸食を受けやすい為様々な造形を作り出している谷の深さは最大700mにも達し、アメリカのグランドキャニオンにたとえられることもある、色は黄色、灰白色が主だが、部分的には赤、紫、青、緑などの箇所もある。中国人この風景を「土林」とか「早溝」と呼んでいる。

  • 高地から土林の谷底におり干上がった川の流れ後をツアンダに向け走行した。前を行く車が上げる土埃で前はほとんど見えない。ランクルの中にも微細な土埃が進入してきて、全身真っ白になった。みんなマスクをしてこの状態を堪え忍んでいる

    高地から土林の谷底におり干上がった川の流れ後をツアンダに向け走行した。前を行く車が上げる土埃で前はほとんど見えない。ランクルの中にも微細な土埃が進入してきて、全身真っ白になった。みんなマスクをしてこの状態を堪え忍んでいる

  • 7時すぎ土林の前方が開けた。サトレジ川(ランチェン、ツァンポ)の広々とした河原が目の前に広がっている。対岸の河原から3〜40m切り立った台地に建物群が見えている。ここがツァンダ(札達)の町並みだ。我々の車列はこの川を上流に遡り、ダムサイトでこの川を渡り、ツァンダの町に入った。ツァンダはツァンダ県の県都だ、役所や軍の駐屯地がおかれている。トリン、ゴンパを中心として南北に延びる500mほどの1本のメインストリート沿いに街が開けている。通りの両側に銀行、役所、商店、食堂などがあるが建物の中に入っているのは漢族の店ばかりのようだ。<br />我々はここの郵政賓客館に宿泊することとした。<br />賓館とは言うが部屋にはベットが4つと壊れかけた机、椅子が1脚あるのみだ。暗くなりかけたので部屋の電灯を点灯しょうとしたら、壁のスイッチが壊れていて、電灯線が2本剥き出しに出ているだけだった。管理人を呼んで修理を求めると、いとも簡単に2本の電力線を引っかけて直結して電灯をともした。これにはびっくり、器具が壊れても修理すると言う発想が無いのか。または修理部品が無いのだろうか。トイレは外で例のニーハオトイレだ。食事中にこのトイレからやってきたと思われるハエが食事の上に群がる。私の様な野人は物ともしなかったが、食事が喉を通らないと苦情を言っている人もいた。

    7時すぎ土林の前方が開けた。サトレジ川(ランチェン、ツァンポ)の広々とした河原が目の前に広がっている。対岸の河原から3〜40m切り立った台地に建物群が見えている。ここがツァンダ(札達)の町並みだ。我々の車列はこの川を上流に遡り、ダムサイトでこの川を渡り、ツァンダの町に入った。ツァンダはツァンダ県の県都だ、役所や軍の駐屯地がおかれている。トリン、ゴンパを中心として南北に延びる500mほどの1本のメインストリート沿いに街が開けている。通りの両側に銀行、役所、商店、食堂などがあるが建物の中に入っているのは漢族の店ばかりのようだ。
    我々はここの郵政賓客館に宿泊することとした。
    賓館とは言うが部屋にはベットが4つと壊れかけた机、椅子が1脚あるのみだ。暗くなりかけたので部屋の電灯を点灯しょうとしたら、壁のスイッチが壊れていて、電灯線が2本剥き出しに出ているだけだった。管理人を呼んで修理を求めると、いとも簡単に2本の電力線を引っかけて直結して電灯をともした。これにはびっくり、器具が壊れても修理すると言う発想が無いのか。または修理部品が無いのだろうか。トイレは外で例のニーハオトイレだ。食事中にこのトイレからやってきたと思われるハエが食事の上に群がる。私の様な野人は物ともしなかったが、食事が喉を通らないと苦情を言っている人もいた。

  • 9月21日、今日からここに3泊して近くのグゲ遺跡などを見学することとなった。9時に約20k西にあるツァバランのグゲ遺跡に向かった。土林の猛烈な悪路の谷を越え山に急騰とスリル満点の行程。遺跡前の事務所で拝顔料を払ってゲートを開けてもらい先に進む。<br />川原を進んでいくとがけの上に遺跡が見えだした。この岩山を上へ上へと上がりながら遺跡を見学して回った。最上部の城跡へはトンネル状の急な道もあり、息も絶え絶えやっと最上部に到達。此処も完璧なまで文革により破壊つくされており、近年やっと再建に取りかかったようだ。ゴンパの内部に破壊された仏像が山のように積み重ねて放置されている。

    9月21日、今日からここに3泊して近くのグゲ遺跡などを見学することとなった。9時に約20k西にあるツァバランのグゲ遺跡に向かった。土林の猛烈な悪路の谷を越え山に急騰とスリル満点の行程。遺跡前の事務所で拝顔料を払ってゲートを開けてもらい先に進む。
    川原を進んでいくとがけの上に遺跡が見えだした。この岩山を上へ上へと上がりながら遺跡を見学して回った。最上部の城跡へはトンネル状の急な道もあり、息も絶え絶えやっと最上部に到達。此処も完璧なまで文革により破壊つくされており、近年やっと再建に取りかかったようだ。ゴンパの内部に破壊された仏像が山のように積み重ねて放置されている。

  • グゲ遺跡最上部ツアンパラン王宮跡から望む。遺跡の周りには壮大な景観が広がる。<br />【グゲ遺跡】<br />9世紀、吐蕃王国ではランダルマ王が暗殺され、群雄割拠の時代に入った。このときヤルルン王家の一部はンガリ(西チベット)に落ち延びその一人はグゲ、プランを治め仏教の復興に努めた。このグゲ王国も11世紀には分裂して衰えたが14世紀に再興が始まる、15世紀にツァンパランに王宮が築かれ、ここが都となった。一般に『グゲ遺跡』とはここを指す。<br />1630年この都もラダック軍の攻撃で陥落、グゲ王国は滅びた。

    グゲ遺跡最上部ツアンパラン王宮跡から望む。遺跡の周りには壮大な景観が広がる。
    【グゲ遺跡】
    9世紀、吐蕃王国ではランダルマ王が暗殺され、群雄割拠の時代に入った。このときヤルルン王家の一部はンガリ(西チベット)に落ち延びその一人はグゲ、プランを治め仏教の復興に努めた。このグゲ王国も11世紀には分裂して衰えたが14世紀に再興が始まる、15世紀にツァンパランに王宮が築かれ、ここが都となった。一般に『グゲ遺跡』とはここを指す。
    1630年この都もラダック軍の攻撃で陥落、グゲ王国は滅びた。

  • グゲ遺跡から宿泊地ツァンダにもどり、トリン、ゴンパを見学した。写真は『チョルテン、ツァウォ』。<br />「イェシェ、ウーのチョルテン」とも呼ばれる。高さ7〜8m。トリンの風景を象徴するチョルテンである。

    グゲ遺跡から宿泊地ツァンダにもどり、トリン、ゴンパを見学した。写真は『チョルテン、ツァウォ』。
    「イェシェ、ウーのチョルテン」とも呼ばれる。高さ7〜8m。トリンの風景を象徴するチョルテンである。

  • 果てしなく続く崩れかけたツァンダのチョルテン群。街中の大通りを北へサトレジ川の縁まで下ったところから川に沿って西に連なっている。

    果てしなく続く崩れかけたツァンダのチョルテン群。街中の大通りを北へサトレジ川の縁まで下ったところから川に沿って西に連なっている。

  • 9月22日今日はトンガ遺跡とピヤン遺跡を見に行くこととなった。<br />ツァンダの北20kに、3kmくらい離れてピヤン村とドゥンカル村がありそれぞれの裏手の山に大規模な石窟群、寺院跡がある。<br />此処までもものすごい悪路を走って到着したピヤン村。のんびりとした穏やかな村であった。遺跡の管理人を捜して鍵を持ってきてもらい、少し移動して、崖の中腹にある石窟を訪れた。

    9月22日今日はトンガ遺跡とピヤン遺跡を見に行くこととなった。
    ツァンダの北20kに、3kmくらい離れてピヤン村とドゥンカル村がありそれぞれの裏手の山に大規模な石窟群、寺院跡がある。
    此処までもものすごい悪路を走って到着したピヤン村。のんびりとした穏やかな村であった。遺跡の管理人を捜して鍵を持ってきてもらい、少し移動して、崖の中腹にある石窟を訪れた。

  • この崖の中腹に石窟遺跡がある。此処まで登り、鍵を開けてもらい内部をみて回った。壁画が幾分保存状態が良く残っていた。

    この崖の中腹に石窟遺跡がある。此処まで登り、鍵を開けてもらい内部をみて回った。壁画が幾分保存状態が良く残っていた。

  • 石窟内の天井部分の壁画。グゲ様式の特徴を残した壁画である。ここでも仏像、タンカ、経典などは文革ですべて破壊され盗まれて、残っているのは壁画のみである。

    石窟内の天井部分の壁画。グゲ様式の特徴を残した壁画である。ここでも仏像、タンカ、経典などは文革ですべて破壊され盗まれて、残っているのは壁画のみである。

  • ピャン村の次に訪れた、ドゥンカル村。村人達が集まってくる。ここものんびりとした穏やかな村であった。周りには刈り取りの終わった麦畑が見える。

    ピャン村の次に訪れた、ドゥンカル村。村人達が集まってくる。ここものんびりとした穏やかな村であった。周りには刈り取りの終わった麦畑が見える。

  • ドゥンカル村の裏手の山に寺院遺跡が残っている。鍵番をさがしてもらい一緒に裏山に登っていった。鍵番の5.6才くらいの孫もいっしよに登る。我々があえぎながら登っているのにこの子はひょいひょいと先に登っていった。<br />この寺院も文革で徹底的に破壊されている。壊された仏像の残骸が積み重ねられてうち捨てられている。途中の穴には燃え残った仏教の経典のかすが文革後40年も経ってもそのまま残っている。

    ドゥンカル村の裏手の山に寺院遺跡が残っている。鍵番をさがしてもらい一緒に裏山に登っていった。鍵番の5.6才くらいの孫もいっしよに登る。我々があえぎながら登っているのにこの子はひょいひょいと先に登っていった。
    この寺院も文革で徹底的に破壊されている。壊された仏像の残骸が積み重ねられてうち捨てられている。途中の穴には燃え残った仏教の経典のかすが文革後40年も経ってもそのまま残っている。

  • 9月23日。今日はアリまでの予定。幹線道路に出るまではまた悪路。この悪路の中前方から自転車がやってくる。車をとめて話をしてみる。ヨーロッパのオランダから3月以上走り続けて此処まで来たとのこと。そのバイタリティーにみんな感動。いくらかの食べ物を渡して分かれた。この後しばしばヨーロッパのサイクリストとすれ違った。

    9月23日。今日はアリまでの予定。幹線道路に出るまではまた悪路。この悪路の中前方から自転車がやってくる。車をとめて話をしてみる。ヨーロッパのオランダから3月以上走り続けて此処まで来たとのこと。そのバイタリティーにみんな感動。いくらかの食べ物を渡して分かれた。この後しばしばヨーロッパのサイクリストとすれ違った。

  • 途中の山の中にポツント遊牧民のテントがあった。近くには羊の群れが見えない、どこか離れた所に移動しているのだろう。ここで昼食となった。<br />すると、このテントの近くにいた番犬が我々の方にやってくる。チベットでは遊牧民とともに家畜の番をしている犬はかみつくので危険だから絶対に近づかないことと注意されている。でも、この犬はおとなしく我々の食事をうらやましそうに見ている。誰かが食物を与えたところおとなしく食べている。ほっとした。

    途中の山の中にポツント遊牧民のテントがあった。近くには羊の群れが見えない、どこか離れた所に移動しているのだろう。ここで昼食となった。
    すると、このテントの近くにいた番犬が我々の方にやってくる。チベットでは遊牧民とともに家畜の番をしている犬はかみつくので危険だから絶対に近づかないことと注意されている。でも、この犬はおとなしく我々の食事をうらやましそうに見ている。誰かが食物を与えたところおとなしく食べている。ほっとした。

  • 途中でまた車を止められた、此処でも旅行許可書とパスポートの検査だ。この後所々で車をとめられ、車のタイヤや下回りの消毒を受けた。<br />この地域の家畜に伝染病が発生しているようでこの地域に入る車は頻繁に消毒を受けることになっているようだ。<br />

    途中でまた車を止められた、此処でも旅行許可書とパスポートの検査だ。この後所々で車をとめられ、車のタイヤや下回りの消毒を受けた。
    この地域の家畜に伝染病が発生しているようでこの地域に入る車は頻繁に消毒を受けることになっているようだ。

  • 札達県の谷や山を走っているので、夏の雨期の時期になると道路は危険になるようだ。

    札達県の谷や山を走っているので、夏の雨期の時期になると道路は危険になるようだ。

  • ツァンダからやっと幹線に出た。道路が舗装されている、土埃から解放されるのだ。

    ツァンダからやっと幹線に出た。道路が舗装されている、土埃から解放されるのだ。

  • 幹線道路に出た、目的地のアリまではもうすぐ。アリ(阿里)は中国語では獅泉河(シーチュエンホー)と表記されている。

    幹線道路に出た、目的地のアリまではもうすぐ。アリ(阿里)は中国語では獅泉河(シーチュエンホー)と表記されている。

  • 途中で出会ったトラクター。この地域でもトラクターが運搬器具として使用されている。現地の人々にとってこれが唯一の移動手段なのだろう。

    途中で出会ったトラクター。この地域でもトラクターが運搬器具として使用されている。現地の人々にとってこれが唯一の移動手段なのだろう。

  • 4時過ぎにアリに入った。此処も泊まりは郵政賓館、ここのホテルは立派だった。ただ我々の部屋は4階でエレベーターは無い、此処は標高4、232mの土地、部屋まで階段を上がるのがつらい。<br />街へ出てみた。写真は大通りに面した商店街。物は豊富だ。ここで面白い物を発見。食料品店の店先に積み上げられているビニールの袋に入ったお米は『秋田小町』。もちろん中国産米だ。先日上海に初めて日本米が輸出され売り出したところ、すでに日本の有名銘柄のお米の名前が商標登録されていて、、ササニシキやコシヒカリの名前使えないとのこと、仕方がないので日本米の名前で商店に並んでいたテレビニュースが放映されていたことが思い出された。こんなチベットの奥地でも秋田小町がおいしいお米なのだと知られているのにはびっくり。<br />、

    4時過ぎにアリに入った。此処も泊まりは郵政賓館、ここのホテルは立派だった。ただ我々の部屋は4階でエレベーターは無い、此処は標高4、232mの土地、部屋まで階段を上がるのがつらい。
    街へ出てみた。写真は大通りに面した商店街。物は豊富だ。ここで面白い物を発見。食料品店の店先に積み上げられているビニールの袋に入ったお米は『秋田小町』。もちろん中国産米だ。先日上海に初めて日本米が輸出され売り出したところ、すでに日本の有名銘柄のお米の名前が商標登録されていて、、ササニシキやコシヒカリの名前使えないとのこと、仕方がないので日本米の名前で商店に並んでいたテレビニュースが放映されていたことが思い出された。こんなチベットの奥地でも秋田小町がおいしいお米なのだと知られているのにはびっくり。

  • 9月24日、アリをでて新蔵公路を新彊に向かう。途中ルトク(日土)を通過、ここで一時停車をして食材を調達する。

    9月24日、アリをでて新蔵公路を新彊に向かう。途中ルトク(日土)を通過、ここで一時停車をして食材を調達する。

  • さらに西へ向かう。ルトクを過ぎ昼近くバンゴン、ツォ(湖)(班公錯)に到着この湖の畔で昼食をとった、湖面の標高は4、241m。

    さらに西へ向かう。ルトクを過ぎ昼近くバンゴン、ツォ(湖)(班公錯)に到着この湖の畔で昼食をとった、湖面の標高は4、241m。

  • 途中砂漠状の土地に咲いていたチベットの路傍の草花たち、その1

    途中砂漠状の土地に咲いていたチベットの路傍の草花たち、その1

  • チベットの路傍の草花、その2

    チベットの路傍の草花、その2

  • チベットの路傍の草花、その3

    チベットの路傍の草花、その3

  • チベット高原に咲き乱れる草花。お花畑。

    チベット高原に咲き乱れる草花。お花畑。

  • 夕方ドマル(多瑪)に到達した。小さな集落を過ぎその先の草地にテントサイトを設営して今夜は此処で泊まることになった。テントサイトの横には小川が流れていて、向かいの山裾までの傾斜した土地にチベット族の遊牧民が羊やヤクを放牧している。<br />写真の左に羊から搾乳している様子が写っている。羊たちを迎えあわせに並べ足を固定して、1頭づつ乳を搾っていくのだ。

    夕方ドマル(多瑪)に到達した。小さな集落を過ぎその先の草地にテントサイトを設営して今夜は此処で泊まることになった。テントサイトの横には小川が流れていて、向かいの山裾までの傾斜した土地にチベット族の遊牧民が羊やヤクを放牧している。
    写真の左に羊から搾乳している様子が写っている。羊たちを迎えあわせに並べ足を固定して、1頭づつ乳を搾っていくのだ。

  • 太陽が西に傾きだしてきた。羊たちは遊牧民のテント脇に集まりだしている。子どもたちが夕暮れが迫った野原で走り回って遊んでいる。

    太陽が西に傾きだしてきた。羊たちは遊牧民のテント脇に集まりだしている。子どもたちが夕暮れが迫った野原で走り回って遊んでいる。

  • ドマルに夜の帳が降りようとしている、温度も下がって来た。明日からはアクサイチンに入る、新彊ウイグル地域だ。早めにテントに入って明日からの鋭気を養おう。

    ドマルに夜の帳が降りようとしている、温度も下がって来た。明日からはアクサイチンに入る、新彊ウイグル地域だ。早めにテントに入って明日からの鋭気を養おう。

  • 9月25日。ドマルでのテントでの夜が明けた。周りの小川には氷が張っている。朝方温度も零下になったのだろう。昨夜も犬たちの泣き叫声に眠りを妨げられた。以前のネパール奥地のチベット圏でも経験したが、チベッタンマスチフの夜のほえまくりにはほとほと感心する。

    9月25日。ドマルでのテントでの夜が明けた。周りの小川には氷が張っている。朝方温度も零下になったのだろう。昨夜も犬たちの泣き叫声に眠りを妨げられた。以前のネパール奥地のチベット圏でも経験したが、チベッタンマスチフの夜のほえまくりにはほとほと感心する。

  • ドマルをでて、いよいよアクサイチンの荒土に近づいて来た、もうこのあたりの峠は5、000mを越えている。<br />風がない状態でも寒い。

    ドマルをでて、いよいよアクサイチンの荒土に近づいて来た、もうこのあたりの峠は5、000mを越えている。
    風がない状態でも寒い。

  • 界山大坂にびっくりするような記念碑があった。この道標には6、700mと書いてある、真っ赤な嘘。次の写真は此処での私の高度計の表示だ。この峠にはタルチョがはためいている、ここが最後のチベット圏であろう。

    界山大坂にびっくりするような記念碑があった。この道標には6、700mと書いてある、真っ赤な嘘。次の写真は此処での私の高度計の表示だ。この峠にはタルチョがはためいている、ここが最後のチベット圏であろう。

  • ここは公表では、5、240mとされている。私の携帯している高度計はおおよその目安としてつかっているものである。

    ここは公表では、5、240mとされている。私の携帯している高度計はおおよその目安としてつかっているものである。

  • アクサイチンに入ってきた。この地域はインドとの国境策定に問題がある地域で、たびたび紛争の原因となっている地域だ。インド側が気が付かない間に中国が勝手に道路を作り、現在中国の実行支配地域とされている地域である。

    アクサイチンに入ってきた。この地域はインドとの国境策定に問題がある地域で、たびたび紛争の原因となっている地域だ。インド側が気が付かない間に中国が勝手に道路を作り、現在中国の実行支配地域とされている地域である。

  • チベット自治区と新彊ウイグル自治区との境界地点。トラックが荷物を満載にして、チベット方面に爆走している。

    チベット自治区と新彊ウイグル自治区との境界地点。トラックが荷物を満載にして、チベット方面に爆走している。

  • 長かった今回の旅もやっと新彊ウイグルまで到達した。感激にむせびながら記念写真を撮っている筆者。

    長かった今回の旅もやっと新彊ウイグルまで到達した。感激にむせびながら記念写真を撮っている筆者。

  • アクサイチン、ここは人間はほとんど住んでいない荒土、常時高度5、000m以上はある。雪が降り出した周りの景色は白一色に変わりつつある。

    アクサイチン、ここは人間はほとんど住んでいない荒土、常時高度5、000m以上はある。雪が降り出した周りの景色は白一色に変わりつつある。

  • この過酷な土地には人はほとんどいないが、動物たちは時々車窓からみられる。これはキャンか、雪の荒土を移動していた。

    この過酷な土地には人はほとんどいないが、動物たちは時々車窓からみられる。これはキャンか、雪の荒土を移動していた。

  • 雪のアクサイチン荒土。標高5、000m以上の地域だ。

    雪のアクサイチン荒土。標高5、000m以上の地域だ。

  • 1時すぎ、昼食の時間になるも外は雪。途中に道班があったのでこの場所をかりて昼食となった。<br />【道班】<br />道班とは、道路工事の現場事務所のようなものでチベットの様な何十キロ、の間に誰も住んでいない様な地域の幹線道路には、所々この道班がある。中では簡単な食事を作ってくれたり、泊まることも出来る物も多い。

    1時すぎ、昼食の時間になるも外は雪。途中に道班があったのでこの場所をかりて昼食となった。
    【道班】
    道班とは、道路工事の現場事務所のようなものでチベットの様な何十キロ、の間に誰も住んでいない様な地域の幹線道路には、所々この道班がある。中では簡単な食事を作ってくれたり、泊まることも出来る物も多い。

  • 午後遅くこの地に到達して初めてアラビヤ文字の道標を見た、新彊ウイグルの地に入ったことが実感される。

    午後遅くこの地に到達して初めてアラビヤ文字の道標を見た、新彊ウイグルの地に入ったことが実感される。

  • 今日の宿泊地は大紅柳灘を予定していたが途中の雪で車は遅れ、とうてい予定時間には到達できないとのことで途中の山の中でテントを張ることとした。道の右側に廃墟のようなコンクリート製のの建物があり、この裏にテントを張ることとした。<br />この建物は以前この地方に自動車道路を建設したときに工事事務所として建てた物で、今は廃墟となっている。この1室のゴミを片づけて食堂とした。

    今日の宿泊地は大紅柳灘を予定していたが途中の雪で車は遅れ、とうてい予定時間には到達できないとのことで途中の山の中でテントを張ることとした。道の右側に廃墟のようなコンクリート製のの建物があり、この裏にテントを張ることとした。
    この建物は以前この地方に自動車道路を建設したときに工事事務所として建てた物で、今は廃墟となっている。この1室のゴミを片づけて食堂とした。

  • この廃屋のまえに標識がありそこに紙が貼られてサイクリストの宿と書かれている。この地を走るサイクリスト達がこの幽霊でもでそうな廃屋に寝泊まりしているようだ。案の定我々が夕食をとっているときにドイツからの若いサイクリストが飛び込んできた。食堂にした部屋では炊事用のガスコンロが音を立ててもえさかっている。部屋の中は暖かだ。雪のちらつく標高5、000m以上の山道をほとんど何も食べずに到着した若者は、我々から夕食をもらい、生き返ったように夢中で食事をしていた。

    この廃屋のまえに標識がありそこに紙が貼られてサイクリストの宿と書かれている。この地を走るサイクリスト達がこの幽霊でもでそうな廃屋に寝泊まりしているようだ。案の定我々が夕食をとっているときにドイツからの若いサイクリストが飛び込んできた。食堂にした部屋では炊事用のガスコンロが音を立ててもえさかっている。部屋の中は暖かだ。雪のちらつく標高5、000m以上の山道をほとんど何も食べずに到着した若者は、我々から夕食をもらい、生き返ったように夢中で食事をしていた。

  • 我々のテント資材を積んだトラックが今降りてきた道を峠越えして下ってきた。

    我々のテント資材を積んだトラックが今降りてきた道を峠越えして下ってきた。

  • アクサイチンの荒野でのテントサイト、この夜温度はどんどん下がり零度をきりだしている。夜中トイレに起き出すと、満月が雪山を煌々と照らしていて、思わず息をを飲み込んだ。。

    アクサイチンの荒野でのテントサイト、この夜温度はどんどん下がり零度をきりだしている。夜中トイレに起き出すと、満月が雪山を煌々と照らしていて、思わず息をを飲み込んだ。。

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