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<2005お祭りシリーズ><br />大津祭は、天孫神社の祭礼として行われるもので、<br />体育の日の前日が本祭、前々日に宵宮が行われ、13基の絢爛豪華な曳山とカラクリが見事です。<br /><br />大津祭は江戸時代の初め、鍛冶屋町の塩売治兵衛が狸のお面で踊ったことから始まったとされています。<br />寛永15年からは三輪の曳山を作り、やがて元禄、安永年間に現在の曳山が整えられたとのこと。<br /><br />ゴブラン織や装飾金具にかざられた13基の曳山は、江戸時代の大津の経済力を象徴するもので、また、このお祭りを支えてきた大津の人達の心意気を示すものです。<br />カラクリは、中国の故事や能・狂言から取ったもので、巡行中「所望(しょうもう)」の場所(御幣が飾られている)で披露されます。<br /><br />

大津祭 2005

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2005/10/09 - 2005/10/09

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morino296

morino296さん

<2005お祭りシリーズ>
大津祭は、天孫神社の祭礼として行われるもので、
体育の日の前日が本祭、前々日に宵宮が行われ、13基の絢爛豪華な曳山とカラクリが見事です。

大津祭は江戸時代の初め、鍛冶屋町の塩売治兵衛が狸のお面で踊ったことから始まったとされています。
寛永15年からは三輪の曳山を作り、やがて元禄、安永年間に現在の曳山が整えられたとのこと。

ゴブラン織や装飾金具にかざられた13基の曳山は、江戸時代の大津の経済力を象徴するもので、また、このお祭りを支えてきた大津の人達の心意気を示すものです。
カラクリは、中国の故事や能・狂言から取ったもので、巡行中「所望(しょうもう)」の場所(御幣が飾られている)で披露されます。

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  • 琵琶湖畔から望む比叡山<br /><br />前夜の雨も上がり、秋晴れの祭り日和となりました。<br />琵琶湖に面した大津は、海上交通の要所であり、京都への入り口でもあり、歴史ある町です。<br />

    琵琶湖畔から望む比叡山

    前夜の雨も上がり、秋晴れの祭り日和となりました。
    琵琶湖に面した大津は、海上交通の要所であり、京都への入り口でもあり、歴史ある町です。

  • 午前9時、天孫神社で神事か執り行われます。<br /><br />天孫神社は奈良時代(782年)に創立されたと伝わります。<br />近江の国の一宮が建部大社、二宮が日吉大社、三宮が多賀大社、四宮が天孫神社です。<br />祭神は、彦火々出見命(ひこほほでのみこと)、大名牟遅命(おおなむちのみこと)、国常立命(くにとこたちのみこと)、帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)。<br />

    午前9時、天孫神社で神事か執り行われます。

    天孫神社は奈良時代(782年)に創立されたと伝わります。
    近江の国の一宮が建部大社、二宮が日吉大社、三宮が多賀大社、四宮が天孫神社です。
    祭神は、彦火々出見命(ひこほほでのみこと)、大名牟遅命(おおなむちのみこと)、国常立命(くにとこたちのみこと)、帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)。

  • 午前9時、天孫神社で神事か執り行われ、曳山13台が神社前の道路に整列します。<br />9時30分、西行桜狸山を先頭に、くじ引きで決まった順に、曳山巡行が始まります。

    午前9時、天孫神社で神事か執り行われ、曳山13台が神社前の道路に整列します。
    9時30分、西行桜狸山を先頭に、くじ引きで決まった順に、曳山巡行が始まります。

  • 先頭(ゼロ番)<br />西行桜狸山(さいぎょうざくらたぬきやま) <br />鍛冶屋町 寛永12年(1635)<br /><br />俗に狸山といい、塩売治兵衛の狸面の伝承を持つが、<br />明暦2年に西行法師が桜の精(仙人)と問答を交わす態を現した人形を用いるようになって、その名を西行桜と改めました。<br />狸は屋上に載せられ、祭の先導、守護と見られるようになり、祭日の天気を守ることになりました。<br />それに因んで、この山は毎年くじ取らずで先頭で巡行します。<br /><br />屋上の狸には時代の流れが見えるのかも知れませんね。

    先頭(ゼロ番)
    西行桜狸山(さいぎょうざくらたぬきやま)
    鍛冶屋町 寛永12年(1635)

    俗に狸山といい、塩売治兵衛の狸面の伝承を持つが、
    明暦2年に西行法師が桜の精(仙人)と問答を交わす態を現した人形を用いるようになって、その名を西行桜と改めました。
    狸は屋上に載せられ、祭の先導、守護と見られるようになり、祭日の天気を守ることになりました。
    それに因んで、この山は毎年くじ取らずで先頭で巡行します。

    屋上の狸には時代の流れが見えるのかも知れませんね。

  • 西行桜狸山 巡行前の記念撮影<br /> <br />

    西行桜狸山 巡行前の記念撮影

  • からくりは、謡曲「西行桜」から取ったもので、花の中から仙人が現れて西行法師と問答します。

    からくりは、謡曲「西行桜」から取ったもので、花の中から仙人が現れて西行法師と問答します。

  • 西行桜狸山 天井には豪華な絵が描かれています。

    西行桜狸山 天井には豪華な絵が描かれています。

  • 西行桜狸山の見送り幕

    西行桜狸山の見送り幕

  • 1番<br />月宮殿山(げっきゅうでんざん)<br />上京町 安永5年(1776)<br /><br />俗に「鶴亀山」と呼ばれ、謡曲の鶴亀(喜多流では月宮殿)に因んだもの。<br />唐の皇帝が不老門に立ち、美しく立派な前庭で春を祝う会を催され、世を寿がれた様子です。

    1番
    月宮殿山(げっきゅうでんざん)
    上京町 安永5年(1776)

    俗に「鶴亀山」と呼ばれ、謡曲の鶴亀(喜多流では月宮殿)に因んだもの。
    唐の皇帝が不老門に立ち、美しく立派な前庭で春を祝う会を催され、世を寿がれた様子です。

  • 月宮殿山<br />からくりは、頭上に鶴と亀の冠をつけた男女の舞人が皇帝の前で舞うところ。

    月宮殿山
    からくりは、頭上に鶴と亀の冠をつけた男女の舞人が皇帝の前で舞うところ。

  • 月宮殿山<br />

    月宮殿山

  • 月宮殿山<br />見送りのゴブラン織は重要文化財です。

    月宮殿山
    見送りのゴブラン織は重要文化財です。

  • 2番<br />神功皇后山(じんぐうこうごうやま)<br />猟師町  寛延2年(1749)<br /><br />神功皇后が戦に先立ち、肥前国松浦で鮎を釣り、先勝を占ったとされる伝説にちなみます。<br />当時、神功皇后は懐妊されていたが、戦が終わって後、九州で応神天皇を無事出産されたことから、「安産の山」として信仰されているそうです。

    2番
    神功皇后山(じんぐうこうごうやま)
    猟師町  寛延2年(1749)

    神功皇后が戦に先立ち、肥前国松浦で鮎を釣り、先勝を占ったとされる伝説にちなみます。
    当時、神功皇后は懐妊されていたが、戦が終わって後、九州で応神天皇を無事出産されたことから、「安産の山」として信仰されているそうです。

  • 神功皇后山<br />からくりは、皇后が岩に弓で字を書く所作をすると、<br />次々と文字が現れます。江戸時代の文字書きからくりとしては斬新な機構とされています。

    神功皇后山
    からくりは、皇后が岩に弓で字を書く所作をすると、
    次々と文字が現れます。江戸時代の文字書きからくりとしては斬新な機構とされています。

  • 神功皇后山<br />お囃子の子供たちも立派です。

    神功皇后山
    お囃子の子供たちも立派です。

  • 神功皇后山の見送り幕<br />

    神功皇后山の見送り幕

  • 3番<br />石橋山(しゃっきょうざん)<br />湊町 宝永2年(1658)<br /><br />謡曲の石橋に基づいたもので、牡丹に狂う唐獅子で有名。<br />大江定基入道寂昭が宋の国に渡り、天呂山に入って、文珠菩薩の浄土とされる険しい石の橋を渡ろうとしたとき、獅子が現れて、牡丹の花に舞い戯れるのを見たもの。

    3番
    石橋山(しゃっきょうざん)
    湊町 宝永2年(1658)

    謡曲の石橋に基づいたもので、牡丹に狂う唐獅子で有名。
    大江定基入道寂昭が宋の国に渡り、天呂山に入って、文珠菩薩の浄土とされる険しい石の橋を渡ろうとしたとき、獅子が現れて、牡丹の花に舞い戯れるのを見たもの。

  • 石橋山の見送り幕

    石橋山の見送り幕

  • 石橋山<br />からくりは、天呂山の岩石の中から唐獅子が出てきて牡丹の花に戯れ遊び、また岩の中に隠れます。

    石橋山
    からくりは、天呂山の岩石の中から唐獅子が出てきて牡丹の花に戯れ遊び、また岩の中に隠れます。

  • 4番<br />源氏山(げんじやま)<br />中京町 享保3年(1718)<br /><br />紫式部が石山寺で「源氏物語」を書いた故事にちなみ、俗に「紫式部山」とも呼ばれます。

    4番
    源氏山(げんじやま)
    中京町 享保3年(1718)

    紫式部が石山寺で「源氏物語」を書いた故事にちなみ、俗に「紫式部山」とも呼ばれます。

  • 源氏山の見送り幕

    源氏山の見送り幕

  • 源氏山<br />からくりは、石山寺をかたどった岩の中から、塩汲み男、御所車、かさ持ち、木履持ちなどが現れては消えていく、廻り舞台の原型と言われます。

    源氏山
    からくりは、石山寺をかたどった岩の中から、塩汲み男、御所車、かさ持ち、木履持ちなどが現れては消えていく、廻り舞台の原型と言われます。

  • 5番<br />西王母山(せいおうぼざん) <br />丸屋町 明暦2年(1656)<br /><br />昔、崑崙山に住む、西王母が天女とともに舞い下りて、君に桃の実を捧げ長寿を賀しました。<br />この桃は三千年に一度、花が咲き、一個しか実らない貴重なものでした。<br />その後、これに桃太郎の説話を加味したものと言われ、俗に「桃山」と呼ばれています。

    5番
    西王母山(せいおうぼざん)
    丸屋町 明暦2年(1656)

    昔、崑崙山に住む、西王母が天女とともに舞い下りて、君に桃の実を捧げ長寿を賀しました。
    この桃は三千年に一度、花が咲き、一個しか実らない貴重なものでした。
    その後、これに桃太郎の説話を加味したものと言われ、俗に「桃山」と呼ばれています。

  • 西王母山の見送り幕

    西王母山の見送り幕

  • 西王母山<br />からくりは、桃が二つに割れその中から童子が生まれます。

    西王母山
    からくりは、桃が二つに割れその中から童子が生まれます。

  • 6番<br />湯立山(ゆたてやま) <br />玉屋町 寛文3年(1663)<br /><br />天孫神社の湯立ての神事はこの山から捧げるといい、<br />山の建物は拝殿をかたどり、周りはその廻廊を真似たもの。<br />昔からこの湯をかけられたものは五穀成就、病気平癒、商売繁盛など縁起が良いといわれます。<br />最初は孟宗山といわれ、寛文年間に今の名称に変更されたそうです。

    6番
    湯立山(ゆたてやま)
    玉屋町 寛文3年(1663)

    天孫神社の湯立ての神事はこの山から捧げるといい、
    山の建物は拝殿をかたどり、周りはその廻廊を真似たもの。
    昔からこの湯をかけられたものは五穀成就、病気平癒、商売繁盛など縁起が良いといわれます。
    最初は孟宗山といわれ、寛文年間に今の名称に変更されたそうです。

  • 湯立山の見送り幕

    湯立山の見送り幕

  • 湯立山<br />からくりは、称宜がお祓いをし、市殿が笹で湯を奉り、巫女が神楽を奏します。この所作から「おちゃんぽ山」の愛称で親しまれています。

    湯立山
    からくりは、称宜がお祓いをし、市殿が笹で湯を奉り、巫女が神楽を奏します。この所作から「おちゃんぽ山」の愛称で親しまれています。

  • 7番<br />猩々山(しょうじょうやま)<br />南保町 寛永14年(1637)<br /><br />能楽の「猩々」から考案したもので、昔、唐の国の楊子の里に住む高風という親孝行な者がいました。<br />ある夜、夢に「楊子の町に出て酒を売れ」と教えられ、売っていたら海中に住む猩々から酌めども尽きず、飲めども味の変わらない酒の壺を与えられたというものです。

    7番
    猩々山(しょうじょうやま)
    南保町 寛永14年(1637)

    能楽の「猩々」から考案したもので、昔、唐の国の楊子の里に住む高風という親孝行な者がいました。
    ある夜、夢に「楊子の町に出て酒を売れ」と教えられ、売っていたら海中に住む猩々から酌めども尽きず、飲めども味の変わらない酒の壺を与えられたというものです。

  • 猩々山の見送り幕

    猩々山の見送り幕

  • 猩々山<br />からくりは、高風の酌で猩々が大盃で酒を飲むところを現しています。

    猩々山
    からくりは、高風の酌で猩々が大盃で酒を飲むところを現しています。

  • 8番<br />西宮蛭子山(にしにみやえびすやま)<br />白玉町 万治元年(1658)<br /><br />俗に「鯛釣山」と呼ばれます。<br />古くから西宮の蛭子を出して飾り祀っていたが、後に曳山に載せるようになった。その後は鯛を釣りあげた蛭子に商売繁盛を祈るというもの。<br />

    8番
    西宮蛭子山(にしにみやえびすやま)
    白玉町 万治元年(1658)

    俗に「鯛釣山」と呼ばれます。
    古くから西宮の蛭子を出して飾り祀っていたが、後に曳山に載せるようになった。その後は鯛を釣りあげた蛭子に商売繁盛を祈るというもの。

  • 西宮蛭子山<br />からくりは、えびすさんが鯛を釣り上げる所作。<br />鯛を泳がせるのは人力です。

    西宮蛭子山
    からくりは、えびすさんが鯛を釣り上げる所作。
    鯛を泳がせるのは人力です。

  • 西宮蛭子山の蛭子さん

    西宮蛭子山の蛭子さん

  • 西宮蛭子山の見送り幕

    西宮蛭子山の見送り幕

  • 西宮蛭子山<br /><br />曳山の後ろにぶら下がる角材は「猫の手」と呼ばれ、曳山を回転させる時に前輪を持ち上げた時の転倒防止装置です。先人の知恵に感心させられます。<br />(曳山展示館の世話人Fさんに教えていただいたものです。)

    西宮蛭子山

    曳山の後ろにぶら下がる角材は「猫の手」と呼ばれ、曳山を回転させる時に前輪を持ち上げた時の転倒防止装置です。先人の知恵に感心させられます。
    (曳山展示館の世話人Fさんに教えていただいたものです。)

  • 9番<br />孔明祈水山(こうめいきすいざん)<br />中堀町 元禄7年(1694)<br /><br />蜀の諸葛孔明が、魏の曽操と戦ったとき、流れる水を見て「敵の大軍を押し流して下さい」と水神に祈り、大勝をした故事によります。<br />俗に祈水山と言われます。

    9番
    孔明祈水山(こうめいきすいざん)
    中堀町 元禄7年(1694)

    蜀の諸葛孔明が、魏の曽操と戦ったとき、流れる水を見て「敵の大軍を押し流して下さい」と水神に祈り、大勝をした故事によります。
    俗に祈水山と言われます。

  • 孔明祈水山の見送り幕

    孔明祈水山の見送り幕

  • 孔明祈水山<br />からくりは、孔明が扇を開いて水を招くと、水が湧き上がり、流れ落ちる仕掛けです。

    孔明祈水山
    からくりは、孔明が扇を開いて水を招くと、水が湧き上がり、流れ落ちる仕掛けです。

  • 10番<br />郭巨山(かっきょやま)<br />後在家町・下小唐崎町 元禄6年(1693)<br /><br />俗に釜掘山といわれます。<br />中国二十四考の一人郭巨は、家が貧しくて老母を養うのがやっとであった。<br />子供が生まれたが、老母は自分の食を減らして子供に与えねばならなかった。「子供はまた得られる。母は再び得ることは出来ない」郭巨は妻と相談し、子供を土中に埋めようと穴を掘った時、そこから黄金の釜が出てきたという故事によるもの。

    10番
    郭巨山(かっきょやま)
    後在家町・下小唐崎町 元禄6年(1693)

    俗に釜掘山といわれます。
    中国二十四考の一人郭巨は、家が貧しくて老母を養うのがやっとであった。
    子供が生まれたが、老母は自分の食を減らして子供に与えねばならなかった。「子供はまた得られる。母は再び得ることは出来ない」郭巨は妻と相談し、子供を土中に埋めようと穴を掘った時、そこから黄金の釜が出てきたという故事によるもの。

  • 郭巨山の見送り幕

    郭巨山の見送り幕

  • 郭巨山<br />からくりは、郭巨が鍬で穴を掘り、黄金の釜を出すところ。

    郭巨山
    からくりは、郭巨が鍬で穴を掘り、黄金の釜を出すところ。

  • 11番<br />殺生石山(せっしょうせきざん)<br />柳町 延宝元年(1673)<br /><br />能楽の殺生石から考案されたもので、鳥羽院に寵愛された玉藻前は、実は金毛九尾の狐で帝の生命を奪おうとしていたのを安部泰親に見破られ、東国に逃れ、那須の殺生石となって旅人を悩ましていたが、玄翁和尚の法力によって成仏したというもの。<br />別名「玄翁山」。

    11番
    殺生石山(せっしょうせきざん)
    柳町 延宝元年(1673)

    能楽の殺生石から考案されたもので、鳥羽院に寵愛された玉藻前は、実は金毛九尾の狐で帝の生命を奪おうとしていたのを安部泰親に見破られ、東国に逃れ、那須の殺生石となって旅人を悩ましていたが、玄翁和尚の法力によって成仏したというもの。
    別名「玄翁山」。

  • 殺生石山の見送り幕

    殺生石山の見送り幕

  • 殺生石山<br />からくりは、玄翁和尚の法力によって石が二つに割れ、玉藻前の女官姿の顔が狐に変わるところを見せます。<br />

    殺生石山
    からくりは、玄翁和尚の法力によって石が二つに割れ、玉藻前の女官姿の顔が狐に変わるところを見せます。

  • 12番<br />龍門滝山(りゅうもんたきやま)<br />太間町 享保3年(1717)<br /><br />黄河上流の竜門山の滝は、どんな魚で上がれないが、もし上がる魚があれば、直ちに昇天して竜になるという故事に因むもの。登竜門という語もここから出たもの。俗に鯉山と言われます。

    12番
    龍門滝山(りゅうもんたきやま)
    太間町 享保3年(1717)

    黄河上流の竜門山の滝は、どんな魚で上がれないが、もし上がる魚があれば、直ちに昇天して竜になるという故事に因むもの。登竜門という語もここから出たもの。俗に鯉山と言われます。

  • 龍門滝山の見送り幕<br />ゴブラン織で重要文化財に指定されています。

    龍門滝山の見送り幕
    ゴブラン織で重要文化財に指定されています。

  • 龍門滝山<br />からくりは、龍門の滝を鯉が躍り上がるところを見せます。鯉のカラクリは宝暦12年(1762)作で、わが国最古のもの。

    龍門滝山
    からくりは、龍門の滝を鯉が躍り上がるところを見せます。鯉のカラクリは宝暦12年(1762)作で、わが国最古のもの。

  • 午前中の巡行を終え、曳山は中央通りに整列し、皆さんは昼休みです。

    午前中の巡行を終え、曳山は中央通りに整列し、皆さんは昼休みです。

  • 13:30頃から午後の巡行が始まりました。<br />午後は曳山に乗っているお囃子の人達がお色直し、好みの着物を羽織り雰囲気が一変します。<br /><br />京都の祇園祭は全国的に有名ですが、こんな素晴らしい大津祭りが知られていないのは何故でしょうか?<br />豪華な曳山を維持するには相当な経済的負担だと思いますが、是非伝統文化が次世代に引き継がれて行くことを願います。<br />これだけのお祭りを無料で見物させていただけることに感謝し、また機会があれば見に行きたいと思います。<br />大津祭曳山展示館には、常時、曳山が展示されていて、詳しく説明を聞くことが出来ます。

    13:30頃から午後の巡行が始まりました。
    午後は曳山に乗っているお囃子の人達がお色直し、好みの着物を羽織り雰囲気が一変します。

    京都の祇園祭は全国的に有名ですが、こんな素晴らしい大津祭りが知られていないのは何故でしょうか?
    豪華な曳山を維持するには相当な経済的負担だと思いますが、是非伝統文化が次世代に引き継がれて行くことを願います。
    これだけのお祭りを無料で見物させていただけることに感謝し、また機会があれば見に行きたいと思います。
    大津祭曳山展示館には、常時、曳山が展示されていて、詳しく説明を聞くことが出来ます。

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