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私のSF滞在もあと数日を残すばかりとなった金曜朝、大家の車でシビックセンタ−にあるロ−カルバス路線会社GGT(Sonoma, Marin郡方面)のバス停に行く。バス待ちの人に時刻表を借りたら、次の80番バスは3分後、その後は30分間隔、通りの向こうに停めた車から荷物を降ろしたりするのは面倒と、その次のバスに乗車する事にした。振り向くともうバスが到着していた。<br /> ワシントンにある国会議事堂そっくりの市役所(こちらの方が高さでは勝っているとか)の南にあるAAA(自動車連盟)に行き、地図を貰う事にした。会員証を提示すれば、全米の地図、ガイドブックが貰える。私は次回旅行用とロッキ−山脈の横たわる全ての州の地図とカナダ西部2州、それにカリフォルニア州のシエラ周辺の詳細図4部を戴く事にした。ガイドブック、本の3/2以上がホテル/モ−テル案内で、本は重いので結局一部も貰わなかった。車で旅する人には重宝するだろうから、その時はAAAメンバ−に同行して、ガイドブック等を入手すれば良い。<br /> 10分前にバス停に戻った。シビックセンタ−は元国連本部跡地、市役所、連邦ビル、中央図書館、オペラハウス、移転新装オ−プンしたアジア博物館などが立ち並ぶSFの中心でもあるが、同時にホ−ムレスの集結する場所でもあり、しかもSFでもっとも治安の悪い地区の一つであるテンダロ−インに近いせいもあり、深夜は出来れば避けたい所でもある。ここでは週2回ファ−マ−ズマ−ケットも開催され、新鮮野菜、果物が安価で買える。<br /> ほぼ定刻にバスが到着したが、これは途中のNovato行き。どうやら時刻表を見た時、終着まで見なかったようだ。仕方なくホ−ムレスの生態や、通り過ぎる車の車種とかを見ながら更に30分待ち、数分遅れの12時に目指すSanta Rosa行きのバスに乗ることが出来た。後列2列目に着席。バスはUSハイウエ−101、Van Ness通りを北上し、Marine手前で西に曲がり、金門橋を渡るのだが、朝には晴れていた天気、SF市街を出る頃よりはどんよりとしだし、小雨が降り出す始末。バスはほぼフリ−ウエ−上を走行するが、時には小都市の中心部にも迂回し、乗客を降ろし、叉、新たに迎える。<br /> San Rafael、Marin郡の交通の要衝、SFからのフェリ−も発着し、SF湾をまたぐ長大橋が対岸のRichmondに伸びる町ではバスタ−ミナルに停車。ここで、多くの乗客の入替が行われる。かつては、鉄道も延びており、その廃線を復活させようとの運動があったが、資金を調達出来ずに、計画は頓挫しているようだ。SFへの通勤客は車でバス停まで来て、そこからバス通勤している人が多いそうだ。なにせ金門橋の通行料が度重なって値上がりし、とても車通勤は出来なくなって来ている。また、ライドシェアリング、所謂相乗を推進し、交通の緩和も試されている。<br />再び101に戻ったが、この辺りから膀胱が一杯になり出す。長く外で待っていて、すっかり身体が冷えたし、家を出てからたっぷり2時間半は経過しているので無理もない。外国を旅していて、外国人、特にコケ−ジャン(白人)の膀胱容量の大きさには感心する。無料で利用出来るトイレの少ない国では、いかにトイレを計画するかも大事な旅行術だ。アメリカでは犯罪予防の上から、商店でもトイレをむやみに開放していないし、ビルなどでは身分証明証が無いと入れないのが殆んどだ。公園ではトイレがあっても時間で施錠されている事も多い。私はSF無料トイレマップを作った程だ。絶対No Goトイレはバスタ−ミナル、念の為。危険ではないが、とても不愉快。<br /> バスはNovato、Petaluma(古い銀行の建物が印象的)と結び、目的地まであと数マイルとなる頃には私の我慢もそろそろ限界に近づき、少しの振動も体に応えはじめた。Santa Rosaの郊外に入った頃より渋滞が始まり、いよいよ顔も青くなり始めた。地図と道路標識を睨みながら、ノロノロ走るバスに心の中で悪態をつく。州道120号を過ぎると走行もスム−ズになり、友人との待ち合わせの場所、バスタ−ミナルに到着。すぐトイレに駆け込んだのは言うまでもない。<br /> 一昨年の秋にも一度この町を訪れた事がある。友人に誘われて、彼の家に泊り掛けで小旅行した時は、バスの終点まで行ってしまい、あやうく会えなくなる所だった。友人が機転を利かせ、バス終点まで来て呉れたので助かった。<br />今回は早めに行って私は何処かでスケッチブックを広げるつもりであった。それで、待ち合わせより2時間半も早く到着したのだが、雨が上がったとは言え、寒くて仕方ない。それでも中心部まで歩き、そこの公園に陣取って、向かいに見えるEmpire Buildingを写生する事にした。バス車内から拾った新聞をベンチに広げ、ジャンパ−の襟を立て、精一杯の防寒を施してから先ず昼食、何となく近くに陣取り、見慣れない楽器と戯れている元ヒッピ−風の老人ホ−ムレスと似てなくもない。後ろにはJapanと名乗る喫茶店、その時は閉店中。クッキ−、オレンジ、水だけで食事はお終い。水彩用の水は公園の噴水を利用し、写生開始。前景となっている藤棚の藤の花が満開、建物前の新緑も見事なのだが、兎に角寒くて、途中でギブアップ。オブジェとなった建物の裏、かつての鉄道駅が今ではショッピングモ−ルになっているが、とりあえずそこに避難。コ−ヒ-で身体を温めたいのだが、1日10ドルの予算、バス代に$6.60も払ったので、ここは我慢。トイレで小用を済ますと少しは身体も平静さを取り戻せた感じ。<br />10分前にタ−ミナルに戻り、友人の到着を待つ。この中にはバス以外の車が入れないので、本通りの角で待つと、友人の懐かしい顔とその息子らしい青年が歩いて来るのが見えた。手を振ると、彼等も私を認めて呉れた。数ブロック離れた無料駐車場まで歩き、ピックアップバンに乗り、彼の家に向かう。3人乗車はちょっと厳しいが、30マイル、54キロの道程を迎えに来て呉れただけでも感謝しなければならない。どうやら息子が靴を買いたくて、Sonoma郡庁所在地のこの町まで父親と一緒に出て来たらしい。一昨年友人の家に泊った時に彼は不在であった。交換留学制度を利用してフィンランドに一年間滞在していた。今はSanta Rosaの短大で学んでおり、卒業後はUCのDavisに移籍を希望している。母親がやはりSanta RosaのWells Fargo銀行に勤めているので、通学は母親と一緒に家を出るそうだ。ヒッチコックはSFやその周辺で良く映画を作っており、有名な鳥はこの町の西、太平洋のBodega湾が舞台であるが、このSanta Rosaでも有名な、心理劇を作成したらしいが、友人はこの映画が何処で撮影されたかは知らなかった。<br />約30分のドライブで友人の住むCloverdaleに到着。ここはもうSonoma郡の北端で、ここに至る道の両側にはぶどう畑と森が連続するのどかな、それこそ故郷は緑の谷、そのもの。狆と猫に迎えられて、一先ず部屋に荷物を置き、それから彼のアトリエを拝見。Sonoma郡の展示会に発表する予定の陶器オブジェを見せて貰う。リンゴの木の精だと言うが、今作っているのはその縮小版で、6月までには展示会用に高さ1米位のものを作るらしい。彼はタイル職人で、一昨年私がSFにホ−ムステイしていた家の近所に住んでいたのだが、広いアトリアが欲しいと、SFからこの村に移住して来た。彼がデジカメ会社のセミナ−でSFに来た時、私の止宿先に彼も宿泊し、その時に彼の家に誘われたのが始めてのCloverdale訪問で、今回は2回目。彼はSFに住んでいた時に禅道場に通っており、夫婦揃って、日本/東洋に惹かれている。<br />奥さんが仕事から戻って、夕食の支度。この家の食事はとても質素。ワインとご飯、野菜炒め。これで、私は兎も角、19歳の青年は大丈夫と、ふと心配になる。短粒米を長粒米と同様に調理するので、正直余り美味しくはないが、ただ飯に文句は失礼。食後は暖炉の前で静かに読書、犬も猫も大人しく寝ている。オバタとか言う日本人画家の画集を見せられる。彼も一時、強制収容所入りしていた。戦後は名誉も回復でき、UCかどこかの講師もして、米西部の美術家養成に多大な貢献をしたらしい。<br />日本から持参した日本旅行に関する資料を見せ、すこしばかり説明する。彼等は出来れば今秋日本を訪問したいと言っていた。<br />翌日、起床してすぐシャワ−を浴びる。朝食はパンケ−キ、奥さんはまで寝ているようで、起きてこない。写生道具を持ち、狆を共に裏の丘まで歩く。盛んに住宅建設が進んでおり、小さな村と思っていたら何と6千人も住んでいるそうだ。建築中の家は若い世代向け相互協力住宅で、購入契約者は週4時間以上労働提供しなければならないそうだ。だから、喩え自分の家の工事が済んでも、他人の家の工事が済んでいないとそれを手伝わなければならないそうで、なかなか良いアイデアだ。その奥は定年退職者住宅、どれも勿論、日本と比較ならない程大きく、価格は3千万程度。向かいにはそのエステ−トの住人専用クラブハウスとプ−ルも備えてあった。<br />丘を登る事20分、給水タンク近くの空地で写生。私は道路上に折畳み椅子を置いて、向うの丘陵を絵にする。90分も居たら、犬が厭きてしまい、盛んに帰りたがるので、中止。帰宅し、新聞を見ていると黒い小さな虫がうごめいており、頭が痒いので撫でると、同じ虫が新聞紙に落ちた。友人に聞くとダニだそうで、急いでトイレに行き、裸になって、シャツとかを調べる。この後もなんだか身体がむず痒く、落ち着かない。写生する場所を探しながら林間や草地を歩いた時に拾って来たようだ。<br />お金が無いから昼食会には不参加と言う息子を留守番にし、彼と2人でワイナリ−の新酒試飲と昼食の会に参加。GeyservilleにあるDry Creek川沿いの小さなワイナリ−、入口で$15支払い、中に入る。ワイナリ−はどこもこのような催しをしており、呼び込みの広告があちこちで眼につく。日本のように無料試飲をやっている所もあるだろうが、前回も徴収された。ワイン6種、チ−ズ、パン、オリ−ブオイルを試してから、気に入ったワインをグラス1杯(チケットで交換)貰い、それで昼食を食べるのだが、昼食は自家製ラビオリ、なんかとっても高い昼食になった。花盛りの庭のピクニックテ−ブルで頂く。奥さん、その友人とそこで別れて、彼にSanta Rosaまで送ってもらい、秋の再会を約して分かれる。大家との待ち合わせに1時間ばかりあるので、バスタ−ミナルの近くにあるLuther  Burbankの家と庭を見に行く。庭園のみ無料開放されている。<br />方向音痴の大家との待ち合わせに不安を感じていたが、案の定、バスタ−ミナルが分らず、周囲を何周したらしい。どうしてこんなに鈍く、それで停まって、考えるとか、地図を見るとか、聞くとかが出来ないのだろうかと、改めて呆れてしまう。こんなに分り易い待ち合わせ場所はない筈だが。それで、二人とも少々不機嫌になる。<br />フリ−ウエ−に入るのも案の定間違えて、少し遠回りしてから101に入り、町のすぐ北郊で一般道に出て、そこからはのどかな農村の中、Russian River沿いに西にドライブする事約30分弱でGurnevilleに到着。ここは週末となると、SFを逃げ出した人で俄かに賑わう渓谷のリゾ−ト。予定していた民間キャンプ場に行ったらキャンプサイトは5月からとかで、今宿泊出来るのはキャビン(バンガロ−)だけ、しかも宿泊費は金/土価格で$85、これなら近くの村のモ−テルにでも泊まった方が安い。だが折角キャンプの準備もしてきた事なので、別のキャンプ場(オ−トキャンプ)に行ってみたら、管理人不在、客はヒッピ−や不労者風カップルばかりなので、ここは諦め、更に奥の州立公園内 (Armstrong Redwoods State Forest Reserve)に行って見る。管理人からキャンプ場に勝手に行き、好きな所にテント設営し、料金は回収箱に入れといてと言われた。ゲ−トをくぐると暫くはRedwoodの巨木の中を行く事になる。この貴重な森林を守る為に速度規制、25キロは遵守したい所だ。高さは100米にも達するので、森の中は真っ暗だ。SFの北、太平洋岸はRedwood Empireと呼ばれているが、この貴重な森も、かつては砂金堀用、それから燃料用とかで随分破壊され、至る所が裸山になってしまい、今ではその保存に力を入れられているが、まだ切り出され続けているのが現状だ。余談だが、SFに行く機会があったら是非、John Muir Forest Reserveに行かれると良い。SF市内観光バスの一部にここにも廻るコ−スもあり、手軽にRedwoodの森を楽しめる。<br />Redwoodは寒さ、乾燥を嫌うので、高地には生育しないそうで、その森を抜けると道は樫などの明るい森、草地の中の、車のすれ違い出来ない急な登りとなり、尾根を越えるとキャンプ場となった。約0.5キロ程に亘って道路沿いにテントサイトが広がっており、手前は深くて暗い針葉樹林の森の中、最奥は明るい草地の池のほとり。幸、ここに空きスペ−スを見つけたので、いまから別な村まで引き返してモ−テルを探すのも面倒とここに宿泊する事にした。駐車場に車が停まっていたが、隣りのテントの住民に聞くと、我々の見つけたスペ−スには誰も居ないようだからと言うので、かなりクラシックなテントを設営。<br />このキャンプ場にダニと有毒樫(症状を聞くとウルシのよう)、ラク−ン(アナグマ)に関する立て看板の警告があり、それを読んでいるうちに叉自分の体がむず痒くなり、食事準備前にテント内で全身を調べて貰う。ダニは柔らかい肌を攻撃するので、腋下、股間は特に危ない、恥かしいなどと言っていられない。体には異常が無かったが、シャツからダニが落ちて来た、やはり再点検して正解。<br />コンロも設営し、ワインを開け、空気に曝し、調理の準備を始めた所で、奥の青年達の一人にこの場所は自分らが料金も払い、これから来るかもしれない仲間に確保してあると言われた。結局、彼等に$12支払い、権利を譲渡して貰った。陽が大分翳った頃、夕食のチキンカレ−が出来上がった。グリ−ンカレ−でかなり辛いが、これは二人の好物。サラダにフル−ツも添えれば、普段と余り変らない夕食の出来上がりで、先ず赤ワインで乾杯。ロウソクを忘れたので、暗くなる前には食事を終えた。キャンプファイア−、薪は買わなければならない。森から採取するのは厳禁。私達は薪の準備がないので、暗くなってはする事もないので、テントに入って、私はラジオを聞きながら休んだのだが、池の名はBullfrog Pond、その名の通り、宵闇迫れば大人の時間とばかり、カエルが一斉に鳴きだし、その喧しい事は猫にも負けない。西隣りは30/40代の元ボ−イスカウトの連中で、11時までギタ−、フル−トに歌。東の奥には飛んでもない連中がキャンプ中で、寝静まったのは2時過ぎ。私は大家に何で銃を持ってこなかったのか責めた、銃で脅かすとか、状況によっては射殺も止む無しと思った。パ−クレンジャ−は夕方にはさっさと引揚げたので、彼等を注意する者は誰も居ない。やっと寝静まった頃、テントを出てみれば、池の上には満天の星。こんな豪勢な星空を見たのは数十年ぶりで、先ほどの怒りも幾分癒された。<br />眠れない夜だったが、外が明るくなると眠れなくなり、6時に起床し、車道を歩いて、キャンプ場入口付近の高見まで歩いた。こんな時間に誰も歩いていないだろうと思ったら、途中60位のおじさんに出会った。高見から見る谷は雲海に覆われ、まるで湖のようであった。帰路は、ダニを心配しつつ草地をまっすぐ池まで下る。野生のリンゴの花盛りであった。<br />朝食はパン、コ−ヒ−、オレンジジュ−ス、スクランブルエッグ、フル−ツ。隣りの住民に、昨夜のフル−トは誰、ギタ−は誰とか聞いたら、夫々が手を揚げて挨拶。40代のおばさんに焼き立てのド−ナツを頂いた。脂こくって、ちょっと引けたが、何とか咽喉を通した。キャンプ場を後にし、10時には麓のGurnevilleの町に戻る。週末なので、町中に人が溢れている。睡眠不足、身体も汚れているので、リゾ−トクラブに入り、ジャクジ−を風呂代わりにし、それからプ−ルサイドで1時半まで昼寝。昼食はメインストリ−トにある、夜にはジャズ生ライブも聞けるレストランでピザを注文。トッピングを2種類頼んで$10、2切れずつ食べて、そのままにしていると女主人が会計を持参する時、空箱も持参し、残りを包んでくれた。夕食をこれで確保、これでチップも含め一人$6はお買い得。午後にもなると賑やかだった通りも閑散となりだす。SFに帰る時間だ。私達は途中の渋滞を考え、ここを6時頃発つ予定だったので、またクラブに戻り、プ−ルで昼寝と写生。気温は23℃前後で、風も無く、申し分ない日光浴日和。ハワイ帰りに負けない位のサンタン。帰る前に叉ジャクジ−で身体を温めてから、車に戻る。<br />GurnevilleからForestvilleまでの道は両側、リンゴの花に包まれて、車内まで甘い香りに包まれそうな感覚。東北か信州の山間を旅している気分だ。Forestvilleを過ぎると山間から広い谷に出た感じで、住宅も目立って多くなって来る。この一帯、かつてはリンゴ畑が広がっていた所だが、もっと収入の良いぶどうに転作、或いはエステ−ト開発になっている。<br />フリ−ウエ−101に戻るとSFからの帰り車で対向車線は長い車列。上り車線の混雑は過ぎたようで、こちらは至って順調。金門橋の手前で道を逸れ、展望台で橋の向こうのSF摩天楼、ベイブリッジ、対岸オ−クランドの夜景を、夜風に当たりながら眺める。もうこの景色とも暫くお別れだと思うと、見慣れた景色も叉一入。<br />徒に値上げを繰り返す金門橋に毒づきながら$5を支払い、SFの我が家に戻ったのは9時、早速ピザで遅めの夕食。<br /><br />30日夜、今日は私の最後の夜。もう一人の下宿人(台湾人)と3人でお別れ会でもないが、大家の奢りでFillmore、ジャパンタウンの近くにあるインド料理店で夕食。前回、この店で食事マナ−を間違えて、腹をおかしくして、戦果が散々だった。今日は前回の経験を生かして、ナンは一枚に抑え、パコラなどの揚げ物前菜を控え、ソ−スもごちゃまぜにしないで、兎に角、好きなものだけに手を出すようにした。食べ放題になると健啖振りを発揮し、たちまち皿を空けては、また、料理を取りに行き、好物のライスプディングも見逃さず、最後はお茶もいただき、たっぷりと元手を取り返して満足。その後はチャリティ−の古着屋を覗いてから、ジャパンセンタ−内の紀伊国屋で義父への土産を探した。これで少し腹も落ち着いたのでSOMA(Market通りの南側なので)に行く事にした。目当ての店は未成年に酒を販売した事が判明し、行政処分を受け、閉鎖中であった。別の店に行ったが、平日夜なので閑散としたナイトクラブだった。DJ一人が乗っている侘しい店であった。家を出る時は寒くて、レザ−ジャケットにセ−タと言う重々しい服装だったので、店内では暑くて仕方ない。次々と脱いでいたら、2002年庄和大凧マラソンと書かれたTシャツ一枚になっていた。こうなると久し振りのクラブミュ−ジックとDJの天使の囁きが体の中で反応、熱くなって、気づけばビ−ル片手にダンスフロアの中。50半ばでまだまだ身体を軽いと感心し、呆れながら、SF最後の夜が更けた。翌朝、離米。長粒米(ジャスミン米)をザックに入れて成田に到着したら、しっかり植物検疫に廻されての帰国であった。 <br />

林檎の花に魅せらたSonoma行

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2004/03/26 - 2004/03/28

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青山蒼渓

青山蒼渓さん

私のSF滞在もあと数日を残すばかりとなった金曜朝、大家の車でシビックセンタ−にあるロ−カルバス路線会社GGT(Sonoma, Marin郡方面)のバス停に行く。バス待ちの人に時刻表を借りたら、次の80番バスは3分後、その後は30分間隔、通りの向こうに停めた車から荷物を降ろしたりするのは面倒と、その次のバスに乗車する事にした。振り向くともうバスが到着していた。
 ワシントンにある国会議事堂そっくりの市役所(こちらの方が高さでは勝っているとか)の南にあるAAA(自動車連盟)に行き、地図を貰う事にした。会員証を提示すれば、全米の地図、ガイドブックが貰える。私は次回旅行用とロッキ−山脈の横たわる全ての州の地図とカナダ西部2州、それにカリフォルニア州のシエラ周辺の詳細図4部を戴く事にした。ガイドブック、本の3/2以上がホテル/モ−テル案内で、本は重いので結局一部も貰わなかった。車で旅する人には重宝するだろうから、その時はAAAメンバ−に同行して、ガイドブック等を入手すれば良い。
 10分前にバス停に戻った。シビックセンタ−は元国連本部跡地、市役所、連邦ビル、中央図書館、オペラハウス、移転新装オ−プンしたアジア博物館などが立ち並ぶSFの中心でもあるが、同時にホ−ムレスの集結する場所でもあり、しかもSFでもっとも治安の悪い地区の一つであるテンダロ−インに近いせいもあり、深夜は出来れば避けたい所でもある。ここでは週2回ファ−マ−ズマ−ケットも開催され、新鮮野菜、果物が安価で買える。
 ほぼ定刻にバスが到着したが、これは途中のNovato行き。どうやら時刻表を見た時、終着まで見なかったようだ。仕方なくホ−ムレスの生態や、通り過ぎる車の車種とかを見ながら更に30分待ち、数分遅れの12時に目指すSanta Rosa行きのバスに乗ることが出来た。後列2列目に着席。バスはUSハイウエ−101、Van Ness通りを北上し、Marine手前で西に曲がり、金門橋を渡るのだが、朝には晴れていた天気、SF市街を出る頃よりはどんよりとしだし、小雨が降り出す始末。バスはほぼフリ−ウエ−上を走行するが、時には小都市の中心部にも迂回し、乗客を降ろし、叉、新たに迎える。
 San Rafael、Marin郡の交通の要衝、SFからのフェリ−も発着し、SF湾をまたぐ長大橋が対岸のRichmondに伸びる町ではバスタ−ミナルに停車。ここで、多くの乗客の入替が行われる。かつては、鉄道も延びており、その廃線を復活させようとの運動があったが、資金を調達出来ずに、計画は頓挫しているようだ。SFへの通勤客は車でバス停まで来て、そこからバス通勤している人が多いそうだ。なにせ金門橋の通行料が度重なって値上がりし、とても車通勤は出来なくなって来ている。また、ライドシェアリング、所謂相乗を推進し、交通の緩和も試されている。
再び101に戻ったが、この辺りから膀胱が一杯になり出す。長く外で待っていて、すっかり身体が冷えたし、家を出てからたっぷり2時間半は経過しているので無理もない。外国を旅していて、外国人、特にコケ−ジャン(白人)の膀胱容量の大きさには感心する。無料で利用出来るトイレの少ない国では、いかにトイレを計画するかも大事な旅行術だ。アメリカでは犯罪予防の上から、商店でもトイレをむやみに開放していないし、ビルなどでは身分証明証が無いと入れないのが殆んどだ。公園ではトイレがあっても時間で施錠されている事も多い。私はSF無料トイレマップを作った程だ。絶対No Goトイレはバスタ−ミナル、念の為。危険ではないが、とても不愉快。
 バスはNovato、Petaluma(古い銀行の建物が印象的)と結び、目的地まであと数マイルとなる頃には私の我慢もそろそろ限界に近づき、少しの振動も体に応えはじめた。Santa Rosaの郊外に入った頃より渋滞が始まり、いよいよ顔も青くなり始めた。地図と道路標識を睨みながら、ノロノロ走るバスに心の中で悪態をつく。州道120号を過ぎると走行もスム−ズになり、友人との待ち合わせの場所、バスタ−ミナルに到着。すぐトイレに駆け込んだのは言うまでもない。
 一昨年の秋にも一度この町を訪れた事がある。友人に誘われて、彼の家に泊り掛けで小旅行した時は、バスの終点まで行ってしまい、あやうく会えなくなる所だった。友人が機転を利かせ、バス終点まで来て呉れたので助かった。
今回は早めに行って私は何処かでスケッチブックを広げるつもりであった。それで、待ち合わせより2時間半も早く到着したのだが、雨が上がったとは言え、寒くて仕方ない。それでも中心部まで歩き、そこの公園に陣取って、向かいに見えるEmpire Buildingを写生する事にした。バス車内から拾った新聞をベンチに広げ、ジャンパ−の襟を立て、精一杯の防寒を施してから先ず昼食、何となく近くに陣取り、見慣れない楽器と戯れている元ヒッピ−風の老人ホ−ムレスと似てなくもない。後ろにはJapanと名乗る喫茶店、その時は閉店中。クッキ−、オレンジ、水だけで食事はお終い。水彩用の水は公園の噴水を利用し、写生開始。前景となっている藤棚の藤の花が満開、建物前の新緑も見事なのだが、兎に角寒くて、途中でギブアップ。オブジェとなった建物の裏、かつての鉄道駅が今ではショッピングモ−ルになっているが、とりあえずそこに避難。コ−ヒ-で身体を温めたいのだが、1日10ドルの予算、バス代に$6.60も払ったので、ここは我慢。トイレで小用を済ますと少しは身体も平静さを取り戻せた感じ。
10分前にタ−ミナルに戻り、友人の到着を待つ。この中にはバス以外の車が入れないので、本通りの角で待つと、友人の懐かしい顔とその息子らしい青年が歩いて来るのが見えた。手を振ると、彼等も私を認めて呉れた。数ブロック離れた無料駐車場まで歩き、ピックアップバンに乗り、彼の家に向かう。3人乗車はちょっと厳しいが、30マイル、54キロの道程を迎えに来て呉れただけでも感謝しなければならない。どうやら息子が靴を買いたくて、Sonoma郡庁所在地のこの町まで父親と一緒に出て来たらしい。一昨年友人の家に泊った時に彼は不在であった。交換留学制度を利用してフィンランドに一年間滞在していた。今はSanta Rosaの短大で学んでおり、卒業後はUCのDavisに移籍を希望している。母親がやはりSanta RosaのWells Fargo銀行に勤めているので、通学は母親と一緒に家を出るそうだ。ヒッチコックはSFやその周辺で良く映画を作っており、有名な鳥はこの町の西、太平洋のBodega湾が舞台であるが、このSanta Rosaでも有名な、心理劇を作成したらしいが、友人はこの映画が何処で撮影されたかは知らなかった。
約30分のドライブで友人の住むCloverdaleに到着。ここはもうSonoma郡の北端で、ここに至る道の両側にはぶどう畑と森が連続するのどかな、それこそ故郷は緑の谷、そのもの。狆と猫に迎えられて、一先ず部屋に荷物を置き、それから彼のアトリエを拝見。Sonoma郡の展示会に発表する予定の陶器オブジェを見せて貰う。リンゴの木の精だと言うが、今作っているのはその縮小版で、6月までには展示会用に高さ1米位のものを作るらしい。彼はタイル職人で、一昨年私がSFにホ−ムステイしていた家の近所に住んでいたのだが、広いアトリアが欲しいと、SFからこの村に移住して来た。彼がデジカメ会社のセミナ−でSFに来た時、私の止宿先に彼も宿泊し、その時に彼の家に誘われたのが始めてのCloverdale訪問で、今回は2回目。彼はSFに住んでいた時に禅道場に通っており、夫婦揃って、日本/東洋に惹かれている。
奥さんが仕事から戻って、夕食の支度。この家の食事はとても質素。ワインとご飯、野菜炒め。これで、私は兎も角、19歳の青年は大丈夫と、ふと心配になる。短粒米を長粒米と同様に調理するので、正直余り美味しくはないが、ただ飯に文句は失礼。食後は暖炉の前で静かに読書、犬も猫も大人しく寝ている。オバタとか言う日本人画家の画集を見せられる。彼も一時、強制収容所入りしていた。戦後は名誉も回復でき、UCかどこかの講師もして、米西部の美術家養成に多大な貢献をしたらしい。
日本から持参した日本旅行に関する資料を見せ、すこしばかり説明する。彼等は出来れば今秋日本を訪問したいと言っていた。
翌日、起床してすぐシャワ−を浴びる。朝食はパンケ−キ、奥さんはまで寝ているようで、起きてこない。写生道具を持ち、狆を共に裏の丘まで歩く。盛んに住宅建設が進んでおり、小さな村と思っていたら何と6千人も住んでいるそうだ。建築中の家は若い世代向け相互協力住宅で、購入契約者は週4時間以上労働提供しなければならないそうだ。だから、喩え自分の家の工事が済んでも、他人の家の工事が済んでいないとそれを手伝わなければならないそうで、なかなか良いアイデアだ。その奥は定年退職者住宅、どれも勿論、日本と比較ならない程大きく、価格は3千万程度。向かいにはそのエステ−トの住人専用クラブハウスとプ−ルも備えてあった。
丘を登る事20分、給水タンク近くの空地で写生。私は道路上に折畳み椅子を置いて、向うの丘陵を絵にする。90分も居たら、犬が厭きてしまい、盛んに帰りたがるので、中止。帰宅し、新聞を見ていると黒い小さな虫がうごめいており、頭が痒いので撫でると、同じ虫が新聞紙に落ちた。友人に聞くとダニだそうで、急いでトイレに行き、裸になって、シャツとかを調べる。この後もなんだか身体がむず痒く、落ち着かない。写生する場所を探しながら林間や草地を歩いた時に拾って来たようだ。
お金が無いから昼食会には不参加と言う息子を留守番にし、彼と2人でワイナリ−の新酒試飲と昼食の会に参加。GeyservilleにあるDry Creek川沿いの小さなワイナリ−、入口で$15支払い、中に入る。ワイナリ−はどこもこのような催しをしており、呼び込みの広告があちこちで眼につく。日本のように無料試飲をやっている所もあるだろうが、前回も徴収された。ワイン6種、チ−ズ、パン、オリ−ブオイルを試してから、気に入ったワインをグラス1杯(チケットで交換)貰い、それで昼食を食べるのだが、昼食は自家製ラビオリ、なんかとっても高い昼食になった。花盛りの庭のピクニックテ−ブルで頂く。奥さん、その友人とそこで別れて、彼にSanta Rosaまで送ってもらい、秋の再会を約して分かれる。大家との待ち合わせに1時間ばかりあるので、バスタ−ミナルの近くにあるLuther Burbankの家と庭を見に行く。庭園のみ無料開放されている。
方向音痴の大家との待ち合わせに不安を感じていたが、案の定、バスタ−ミナルが分らず、周囲を何周したらしい。どうしてこんなに鈍く、それで停まって、考えるとか、地図を見るとか、聞くとかが出来ないのだろうかと、改めて呆れてしまう。こんなに分り易い待ち合わせ場所はない筈だが。それで、二人とも少々不機嫌になる。
フリ−ウエ−に入るのも案の定間違えて、少し遠回りしてから101に入り、町のすぐ北郊で一般道に出て、そこからはのどかな農村の中、Russian River沿いに西にドライブする事約30分弱でGurnevilleに到着。ここは週末となると、SFを逃げ出した人で俄かに賑わう渓谷のリゾ−ト。予定していた民間キャンプ場に行ったらキャンプサイトは5月からとかで、今宿泊出来るのはキャビン(バンガロ−)だけ、しかも宿泊費は金/土価格で$85、これなら近くの村のモ−テルにでも泊まった方が安い。だが折角キャンプの準備もしてきた事なので、別のキャンプ場(オ−トキャンプ)に行ってみたら、管理人不在、客はヒッピ−や不労者風カップルばかりなので、ここは諦め、更に奥の州立公園内 (Armstrong Redwoods State Forest Reserve)に行って見る。管理人からキャンプ場に勝手に行き、好きな所にテント設営し、料金は回収箱に入れといてと言われた。ゲ−トをくぐると暫くはRedwoodの巨木の中を行く事になる。この貴重な森林を守る為に速度規制、25キロは遵守したい所だ。高さは100米にも達するので、森の中は真っ暗だ。SFの北、太平洋岸はRedwood Empireと呼ばれているが、この貴重な森も、かつては砂金堀用、それから燃料用とかで随分破壊され、至る所が裸山になってしまい、今ではその保存に力を入れられているが、まだ切り出され続けているのが現状だ。余談だが、SFに行く機会があったら是非、John Muir Forest Reserveに行かれると良い。SF市内観光バスの一部にここにも廻るコ−スもあり、手軽にRedwoodの森を楽しめる。
Redwoodは寒さ、乾燥を嫌うので、高地には生育しないそうで、その森を抜けると道は樫などの明るい森、草地の中の、車のすれ違い出来ない急な登りとなり、尾根を越えるとキャンプ場となった。約0.5キロ程に亘って道路沿いにテントサイトが広がっており、手前は深くて暗い針葉樹林の森の中、最奥は明るい草地の池のほとり。幸、ここに空きスペ−スを見つけたので、いまから別な村まで引き返してモ−テルを探すのも面倒とここに宿泊する事にした。駐車場に車が停まっていたが、隣りのテントの住民に聞くと、我々の見つけたスペ−スには誰も居ないようだからと言うので、かなりクラシックなテントを設営。
このキャンプ場にダニと有毒樫(症状を聞くとウルシのよう)、ラク−ン(アナグマ)に関する立て看板の警告があり、それを読んでいるうちに叉自分の体がむず痒くなり、食事準備前にテント内で全身を調べて貰う。ダニは柔らかい肌を攻撃するので、腋下、股間は特に危ない、恥かしいなどと言っていられない。体には異常が無かったが、シャツからダニが落ちて来た、やはり再点検して正解。
コンロも設営し、ワインを開け、空気に曝し、調理の準備を始めた所で、奥の青年達の一人にこの場所は自分らが料金も払い、これから来るかもしれない仲間に確保してあると言われた。結局、彼等に$12支払い、権利を譲渡して貰った。陽が大分翳った頃、夕食のチキンカレ−が出来上がった。グリ−ンカレ−でかなり辛いが、これは二人の好物。サラダにフル−ツも添えれば、普段と余り変らない夕食の出来上がりで、先ず赤ワインで乾杯。ロウソクを忘れたので、暗くなる前には食事を終えた。キャンプファイア−、薪は買わなければならない。森から採取するのは厳禁。私達は薪の準備がないので、暗くなってはする事もないので、テントに入って、私はラジオを聞きながら休んだのだが、池の名はBullfrog Pond、その名の通り、宵闇迫れば大人の時間とばかり、カエルが一斉に鳴きだし、その喧しい事は猫にも負けない。西隣りは30/40代の元ボ−イスカウトの連中で、11時までギタ−、フル−トに歌。東の奥には飛んでもない連中がキャンプ中で、寝静まったのは2時過ぎ。私は大家に何で銃を持ってこなかったのか責めた、銃で脅かすとか、状況によっては射殺も止む無しと思った。パ−クレンジャ−は夕方にはさっさと引揚げたので、彼等を注意する者は誰も居ない。やっと寝静まった頃、テントを出てみれば、池の上には満天の星。こんな豪勢な星空を見たのは数十年ぶりで、先ほどの怒りも幾分癒された。
眠れない夜だったが、外が明るくなると眠れなくなり、6時に起床し、車道を歩いて、キャンプ場入口付近の高見まで歩いた。こんな時間に誰も歩いていないだろうと思ったら、途中60位のおじさんに出会った。高見から見る谷は雲海に覆われ、まるで湖のようであった。帰路は、ダニを心配しつつ草地をまっすぐ池まで下る。野生のリンゴの花盛りであった。
朝食はパン、コ−ヒ−、オレンジジュ−ス、スクランブルエッグ、フル−ツ。隣りの住民に、昨夜のフル−トは誰、ギタ−は誰とか聞いたら、夫々が手を揚げて挨拶。40代のおばさんに焼き立てのド−ナツを頂いた。脂こくって、ちょっと引けたが、何とか咽喉を通した。キャンプ場を後にし、10時には麓のGurnevilleの町に戻る。週末なので、町中に人が溢れている。睡眠不足、身体も汚れているので、リゾ−トクラブに入り、ジャクジ−を風呂代わりにし、それからプ−ルサイドで1時半まで昼寝。昼食はメインストリ−トにある、夜にはジャズ生ライブも聞けるレストランでピザを注文。トッピングを2種類頼んで$10、2切れずつ食べて、そのままにしていると女主人が会計を持参する時、空箱も持参し、残りを包んでくれた。夕食をこれで確保、これでチップも含め一人$6はお買い得。午後にもなると賑やかだった通りも閑散となりだす。SFに帰る時間だ。私達は途中の渋滞を考え、ここを6時頃発つ予定だったので、またクラブに戻り、プ−ルで昼寝と写生。気温は23℃前後で、風も無く、申し分ない日光浴日和。ハワイ帰りに負けない位のサンタン。帰る前に叉ジャクジ−で身体を温めてから、車に戻る。
GurnevilleからForestvilleまでの道は両側、リンゴの花に包まれて、車内まで甘い香りに包まれそうな感覚。東北か信州の山間を旅している気分だ。Forestvilleを過ぎると山間から広い谷に出た感じで、住宅も目立って多くなって来る。この一帯、かつてはリンゴ畑が広がっていた所だが、もっと収入の良いぶどうに転作、或いはエステ−ト開発になっている。
フリ−ウエ−101に戻るとSFからの帰り車で対向車線は長い車列。上り車線の混雑は過ぎたようで、こちらは至って順調。金門橋の手前で道を逸れ、展望台で橋の向こうのSF摩天楼、ベイブリッジ、対岸オ−クランドの夜景を、夜風に当たりながら眺める。もうこの景色とも暫くお別れだと思うと、見慣れた景色も叉一入。
徒に値上げを繰り返す金門橋に毒づきながら$5を支払い、SFの我が家に戻ったのは9時、早速ピザで遅めの夕食。

30日夜、今日は私の最後の夜。もう一人の下宿人(台湾人)と3人でお別れ会でもないが、大家の奢りでFillmore、ジャパンタウンの近くにあるインド料理店で夕食。前回、この店で食事マナ−を間違えて、腹をおかしくして、戦果が散々だった。今日は前回の経験を生かして、ナンは一枚に抑え、パコラなどの揚げ物前菜を控え、ソ−スもごちゃまぜにしないで、兎に角、好きなものだけに手を出すようにした。食べ放題になると健啖振りを発揮し、たちまち皿を空けては、また、料理を取りに行き、好物のライスプディングも見逃さず、最後はお茶もいただき、たっぷりと元手を取り返して満足。その後はチャリティ−の古着屋を覗いてから、ジャパンセンタ−内の紀伊国屋で義父への土産を探した。これで少し腹も落ち着いたのでSOMA(Market通りの南側なので)に行く事にした。目当ての店は未成年に酒を販売した事が判明し、行政処分を受け、閉鎖中であった。別の店に行ったが、平日夜なので閑散としたナイトクラブだった。DJ一人が乗っている侘しい店であった。家を出る時は寒くて、レザ−ジャケットにセ−タと言う重々しい服装だったので、店内では暑くて仕方ない。次々と脱いでいたら、2002年庄和大凧マラソンと書かれたTシャツ一枚になっていた。こうなると久し振りのクラブミュ−ジックとDJの天使の囁きが体の中で反応、熱くなって、気づけばビ−ル片手にダンスフロアの中。50半ばでまだまだ身体を軽いと感心し、呆れながら、SF最後の夜が更けた。翌朝、離米。長粒米(ジャスミン米)をザックに入れて成田に到着したら、しっかり植物検疫に廻されての帰国であった。 

同行者
友人
一人あたり費用
15万円 - 20万円
航空会社

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  • Cloverdale付近

    Cloverdale付近

  • ワイナリのキッチンではラビオリを作っていました

    ワイナリのキッチンではラビオリを作っていました

  • 友人夫妻+1と一緒にワイナリで昼食

    友人夫妻+1と一緒にワイナリで昼食

  • サンタロザのLuther館

    サンタロザのLuther館

  • Armstrong州立公園キャンプ場(Bullfrog Pond)

    Armstrong州立公園キャンプ場(Bullfrog Pond)

  • Armstrong州立公園の朝、雲海

    Armstrong州立公園の朝、雲海

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