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昔から国東半島のことが気になってました。<br /><br />国東半島って凄く不思議なところなんです。<br /><br />学校の歴史の教科書にもあまり出てきません。現代ではその存在も知らない日本人が多い。<br /><br />なぜ不思議かといいますと、<br /><br />こんな田舎にあって奈良時代から平安時代にかけて日本歴史の表舞台にあり、<br /><br />どうやら奈良の都に匹敵するくらい繁栄してたようなのです。<br /><br />でもその後は衰退し、現代に至るまで静かな農村のままなんです。<br /><br />奈良平安時代に創建されたお寺たちが28箇所、仏像達69,000体が<br /><br />半島のあちこちに散らばって残っているのです。<br /><br />その文化は「六郷満山」という名前で呼ばれて有名なんだそうですよ。<br /><br /><br />国東半島のことを理解する鍵は宇佐神宮にあります。<br /><br />ストーリーはこんなことのようです。<br /><br />弥生時代に朝鮮から多くの人々が日本に移住してきたのですが、<br /><br />彼らは米作の技術を持っていました。<br /><br />具体的には川をせき止めたり溜池をつくったりして、<br /><br />田んぼに水を引き入れ広大な米作地帯を作り上げる技術です。<br /><br />かれらはこの国東の土地に来て豊かな収穫に恵まれ<br /><br />冨を増やし当時の奈良の天皇(聖武天皇)へ接近しました。<br /><br />そして聖武天皇の奈良の大仏建造時には多くの資金と大仏建造技術を提供し、<br /><br />その事業を成功に導きました。<br /><br /><br />この朝鮮からの移住民はかの高名な秦氏であり、彼らの氏神が宇佐八幡だったのです。<br /><br />それ以来、この宇佐神宮の神様は全国デビューに成功し、<br /><br />宇佐の神様の御意向がその後の天皇家政治に強い影響力を持ったのです。<br /><br />(弓削の道鏡のお話なんか皆さん憶えてませんか?)<br /><br />そして天皇が交代するたびに又変事があるごとに朝廷より宇佐神宮へ使いがだされたそうです。<br /><br /><br /><br />宇佐神宮の神様は八幡様です。<br /><br />この地域の神様が朝廷に崇められ、その後京都の石清水八幡宮へ勧進し<br /><br />さらには鎌倉の鶴岡八幡宮に勧進(源頼朝)し、源頼朝をまねて各地の武士が<br /><br />自分の領地に八幡様を導入し、結果全国4万箇所もの八幡神社が設立されました。<br /><br />以上、国東半島の地域神社であった宇佐八幡が日本全国の神社を席巻したの話でした。<br /><br /><br />宇佐神宮って全国の八幡神社の総本社って知りませんでした。それほど成功した神様で<br /><br />しかも外来なんですよ。大変豊かだったから地元の国東半島に28もの寺々を創建した。<br /><br />我々夫婦はいこいの村国東というホテルに二泊しました。<br /><br />そのホテルから田園地帯に散歩に出て<br /><br />見つけたのが表紙の神社です。<br /><br />名も無い神社ですが何か雰囲気ありませんか。これが国東半島だと思います。<br /><br />神仏習合 神仏の里。<br /><br />

なんだか不思議な国東半島

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2006/07 - 2006/07

6947位(同エリア9384件中)

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木場三郎

木場三郎さん

昔から国東半島のことが気になってました。

国東半島って凄く不思議なところなんです。

学校の歴史の教科書にもあまり出てきません。現代ではその存在も知らない日本人が多い。

なぜ不思議かといいますと、

こんな田舎にあって奈良時代から平安時代にかけて日本歴史の表舞台にあり、

どうやら奈良の都に匹敵するくらい繁栄してたようなのです。

でもその後は衰退し、現代に至るまで静かな農村のままなんです。

奈良平安時代に創建されたお寺たちが28箇所、仏像達69,000体が

半島のあちこちに散らばって残っているのです。

その文化は「六郷満山」という名前で呼ばれて有名なんだそうですよ。


国東半島のことを理解する鍵は宇佐神宮にあります。

ストーリーはこんなことのようです。

弥生時代に朝鮮から多くの人々が日本に移住してきたのですが、

彼らは米作の技術を持っていました。

具体的には川をせき止めたり溜池をつくったりして、

田んぼに水を引き入れ広大な米作地帯を作り上げる技術です。

かれらはこの国東の土地に来て豊かな収穫に恵まれ

冨を増やし当時の奈良の天皇(聖武天皇)へ接近しました。

そして聖武天皇の奈良の大仏建造時には多くの資金と大仏建造技術を提供し、

その事業を成功に導きました。


この朝鮮からの移住民はかの高名な秦氏であり、彼らの氏神が宇佐八幡だったのです。

それ以来、この宇佐神宮の神様は全国デビューに成功し、

宇佐の神様の御意向がその後の天皇家政治に強い影響力を持ったのです。

(弓削の道鏡のお話なんか皆さん憶えてませんか?)

そして天皇が交代するたびに又変事があるごとに朝廷より宇佐神宮へ使いがだされたそうです。



宇佐神宮の神様は八幡様です。

この地域の神様が朝廷に崇められ、その後京都の石清水八幡宮へ勧進し

さらには鎌倉の鶴岡八幡宮に勧進(源頼朝)し、源頼朝をまねて各地の武士が

自分の領地に八幡様を導入し、結果全国4万箇所もの八幡神社が設立されました。

以上、国東半島の地域神社であった宇佐八幡が日本全国の神社を席巻したの話でした。


宇佐神宮って全国の八幡神社の総本社って知りませんでした。それほど成功した神様で

しかも外来なんですよ。大変豊かだったから地元の国東半島に28もの寺々を創建した。

我々夫婦はいこいの村国東というホテルに二泊しました。

そのホテルから田園地帯に散歩に出て

見つけたのが表紙の神社です。

名も無い神社ですが何か雰囲気ありませんか。これが国東半島だと思います。

神仏習合 神仏の里。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス タクシー 徒歩

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  • 我々夫婦は観光バスに乗って、宇佐神宮(国宝、創建725年)、富貴寺(国宝、創建718年)、<br /><br />真木大堂(重文)、熊野磨崖仏(重文)、両子寺(創建718年)を訪ねました。<br /><br />乗客は我々夫婦のほかおじさんが一人。つまり3人だけ。<br /><br />ガイドさんはベテランのインテリ女性で国東半島の歴史をたっぷりとお聞きしました。<br /><br />この旅行記に書いたことはガイドさんから聞いたことに帰京後調べたことを一部加えたものです。<br /><br /><br />宇佐神宮とか国東半島とかなんだか現代日本人からは忘れられた地域と思いませんか、<br /><br />観光資源は十分なので世界遺産登録運動がなされてるぐらいなのに。<br /><br />日本人観光客はずいぶん減ったそうですが最近韓国からの観光客が増えているそうです。<br /><br />渡来人である秦氏の出身地であることも観光の売りになってるそうですよ。<br /><br />朝鮮から来た秦氏は京都の松尾神社、伏見稲荷、広隆寺をも創建した人々です。<br /><br />古の時代、我々日本国の土台構築に貢献した渡来人の人々。<br /><br />強く興味が惹かれます。<br /><br />添付は熊野磨崖仏です。高さはそれぞれ8メートルと6.2メートル。<br /><br />こんな古い出し物も用意されていました。<br /><br />藤原時代の作品だそうです。<br />

    我々夫婦は観光バスに乗って、宇佐神宮(国宝、創建725年)、富貴寺(国宝、創建718年)、

    真木大堂(重文)、熊野磨崖仏(重文)、両子寺(創建718年)を訪ねました。

    乗客は我々夫婦のほかおじさんが一人。つまり3人だけ。

    ガイドさんはベテランのインテリ女性で国東半島の歴史をたっぷりとお聞きしました。

    この旅行記に書いたことはガイドさんから聞いたことに帰京後調べたことを一部加えたものです。


    宇佐神宮とか国東半島とかなんだか現代日本人からは忘れられた地域と思いませんか、

    観光資源は十分なので世界遺産登録運動がなされてるぐらいなのに。

    日本人観光客はずいぶん減ったそうですが最近韓国からの観光客が増えているそうです。

    渡来人である秦氏の出身地であることも観光の売りになってるそうですよ。

    朝鮮から来た秦氏は京都の松尾神社、伏見稲荷、広隆寺をも創建した人々です。

    古の時代、我々日本国の土台構築に貢献した渡来人の人々。

    強く興味が惹かれます。

    添付は熊野磨崖仏です。高さはそれぞれ8メートルと6.2メートル。

    こんな古い出し物も用意されていました。

    藤原時代の作品だそうです。

  • 国東半島に入る南の玄関口に「杵築」という城下町があります。<br /><br />大分から北へ電車で約40分の所にあります。別府湾から瀬戸内海を眺めることができる景勝の地です。<br /><br />この町には高さ30メートル位の高台が三つあります。<br /><br />一つは海に突き出した高台で先端に杵築城が建っています。<br /><br />あとの二つは北台、南台と称して市内に位置しています。<br /><br />この二つの高台は昔の武家屋敷があった場所です。平地部分には一般平民が住んでいました。<br /><br />面白かったのは、この三つの高台です。お互いがそれぞれ見渡せます。<br /><br />それぞれ立派な家が建っています。<br /><br />それぞれのお庭からエリート同士がお互いの家屋を眺めるの図でした。<br /><br />高台になっているから開発が遅れました。<br /><br />白塀が続き、武家屋敷の雰囲気が残っています。<br /><br />藩校なんかの跡地は小学校になっていました。<br /><br />学校帰りの小学生が武家屋敷の間を仲良く歩いていました。<br /><br />高台になっているから当然坂があります。<br /><br />この石畳も大変優美でした。坂幅がひろいこと。<br /><br />その上一段一段の階段の間が広いのです。<br /><br />殿様が籠の中でひっくり返ってはいけませんので<br /><br />進行方向に対して籠を横に担いで上り下りをしたそうです。<br /><br />そんな坂の途中で女子中学生が立ち止まってにこやかに話をしてました。<br /><br />日本では昔の美しい町の風景は殆ど破壊されていますので<br /><br />旅人としてはこんな風景がとりわけ美しく見えました。<br /><br />醜い杵築の中心地域。バスセンターとかコンビニとか乱雑な看板とかを見たあと<br /><br />江戸時代の景観美が特別に貴重に思えました。<br /><br />杵築藩の殿様は能見松平家で32,000石の小さな譜代大名です。<br /><br />東京の屋敷は現在警視庁の建物がある場所でした。<br /><br />参勤交代の移動方法として瀬戸内海を船で大阪まで行ってたそうです。<br /><br />九州には譜代大名は少なかったのですが、<br /><br />瀬戸内海への入り口地域としてここは譜代で押さえたのだろうと思います。<br /><br />添付スケッチはそんな坂の一つです。<br />

    国東半島に入る南の玄関口に「杵築」という城下町があります。

    大分から北へ電車で約40分の所にあります。別府湾から瀬戸内海を眺めることができる景勝の地です。

    この町には高さ30メートル位の高台が三つあります。

    一つは海に突き出した高台で先端に杵築城が建っています。

    あとの二つは北台、南台と称して市内に位置しています。

    この二つの高台は昔の武家屋敷があった場所です。平地部分には一般平民が住んでいました。

    面白かったのは、この三つの高台です。お互いがそれぞれ見渡せます。

    それぞれ立派な家が建っています。

    それぞれのお庭からエリート同士がお互いの家屋を眺めるの図でした。

    高台になっているから開発が遅れました。

    白塀が続き、武家屋敷の雰囲気が残っています。

    藩校なんかの跡地は小学校になっていました。

    学校帰りの小学生が武家屋敷の間を仲良く歩いていました。

    高台になっているから当然坂があります。

    この石畳も大変優美でした。坂幅がひろいこと。

    その上一段一段の階段の間が広いのです。

    殿様が籠の中でひっくり返ってはいけませんので

    進行方向に対して籠を横に担いで上り下りをしたそうです。

    そんな坂の途中で女子中学生が立ち止まってにこやかに話をしてました。

    日本では昔の美しい町の風景は殆ど破壊されていますので

    旅人としてはこんな風景がとりわけ美しく見えました。

    醜い杵築の中心地域。バスセンターとかコンビニとか乱雑な看板とかを見たあと

    江戸時代の景観美が特別に貴重に思えました。

    杵築藩の殿様は能見松平家で32,000石の小さな譜代大名です。

    東京の屋敷は現在警視庁の建物がある場所でした。

    参勤交代の移動方法として瀬戸内海を船で大阪まで行ってたそうです。

    九州には譜代大名は少なかったのですが、

    瀬戸内海への入り口地域としてここは譜代で押さえたのだろうと思います。

    添付スケッチはそんな坂の一つです。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ウサギさん 2006/10/01 15:51:31
    おじゃまします♪
    木場三郎さん

    はじめに、1週間も出遅れましたが
    お誕生日おめでとうございます!
    木場さんの新しい1年も幸せな年になりますように。。。

    久しぶりにお邪魔したら新旅行記が!

    国東半島、そういう土地なんですね。
    行ってみたくなりました、神話好きとしては(笑)

    宇佐八幡宮、、、
    八幡宮といったら鶴岡八幡宮だと思ってましたが(^^ヾ
    「宇佐八幡宮のご神託」って、それが道鏡のでしたっけ?
    清麻呂が穢麻呂に名前を変えられた話ですよね?
    あー無知がばれる
    お勉強して出直します。

    もうすぐシドニーです。
    ダーリングハーバーのシェラトンに泊まることにしました。
    マンリーやモスマンのあたりも散歩できればいいな〜

    では、また。

    ウサギ



    木場三郎

    木場三郎さん からの返信 2006/10/02 14:54:17
    RE: おじゃまします♪
    ウサギさん。国東半島読んでくれてありがとう。大分空港でウサギさんを探しましたが仁王様みたいなのしかいませんでした。
    8月に出羽三山、9月に熊野三山に行きました。南紀白浜空港でもウサギさんを探しましたがパンダしかいませんでした。

    ダーリングハーバーはお台場みたいなところ。夜の照明が綺麗だった。ぶらぶら散歩はどうですか。

木場三郎さんのトラベラーページ

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