1993/01/15 - 1993/01/19
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SUR SHANGHAIさん
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★2017年8月:新たに出てきた画像をアップします。★
この時は親戚がルワンダに滞在していたので、当時住んでいたドイツからケニア旅行を兼ねての訪問。
ちょっとルワンダの歴史の復習。
ルワンダは62年7月にベルギー領から独立。
農耕民族のフツ族が多数派、牧畜民のツチ族が少数派という構造でも、その後の支配はツチ族中心に行われてきたらしい。
73年7月に多数派フツ族の軍事独裁政権が誕生。
90年には少数派のツチ族が組織するルワンダ愛国戦線が攻勢に転じた。
そのたびに優勢な側による弾圧・虐殺などがあり、内戦が繰り返されて来たとのこと。
SUR SHANGHAIとその旦那がルワンダに行ったのは、94年に始まる内戦の前。
それでも親戚によって行動が規制された滞在でした。
ケニアの夜の山中でジープがエンストすると言うハプニングのあとはナイロビから飛び立つばかり。
SUR SHANGHAIとその旦那は「ルワンダって、首都キガリの空港に着いたあと、どうやって親戚のところに行くの?」なんて事を言っておりましたが…、そこには親戚がランドクルーザーでお出迎え。
それを見た瞬間、イヤな予感。
SUR SHANGHAIたちは管理された旅はイヤなのに、この親戚は仕切りたがり屋。
それを忘れていた…。
そして、ライフルを持ったガードマン付きの彼女の邸宅へ。
おお、ドアは防弾だ?!
一息つくと、案の定彼女は命令を下しました。
「危険だから、この敷地外に出ちゃダメ! 一緒に外に行く時も勝手に私から離れちゃダメ! お土産が欲しかったら、私が連れて行く所で買うこと! スケジュールはもう出来てるからね!」などなど…。
その晩、旦那とぼやく。「つまんないね?。」
その後の数日はこの状態で、郊外の湖や密猟者に捕まったマウンテンゴリラを保護している施設を見学。
一番印象に残ったのは、最終日。
「空港までの道に不穏な動きがある。」と、ボディガード付きのお車に乗せられました。
このおにいちゃんたちが映画に出てくるような黒背広のクールなタフガイ。
話し掛けるのも目を合わせるのもためらってしまうプロの雰囲気を全身にまとってる!
この手の研ぎ澄まされたオーラを見たのは初めてだったので、見惚れてしまったSUR SHANGHAIでした。
上記の訪問からしばらく経ったある日、この親戚から「さっき大統領の乗った飛行機が撃墜されたらしい。しばらく連絡できないかも。」という94年の内戦の始まりを髣髴とさせる電話。
その後、その親戚はそのまま内戦に巻き込まれてしまいましたが、結局はアメリカ軍のコンボイで隣国ブルンジに脱出。
その親戚も三児の母となり、2010年1月現在は日本にいます。
表紙の画像は、キガリ郊外の湖にて。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
SUR SHANGHAIとその旦那は93年当時ドイツに住んでいたので、ボンにあったルワンダ大使館でルワンダ観光ビザを取得。
ケニア旅行との兼ね合いで出たり入ったりするかも知れなかったので、期限付きの数次ビザにしました。
当時はまだユーロが使われていない時期。
ビザの料金が43DM(ドイツ・マルク)と出ているのが懐かしい。
注:個人情報保護の観点から、氏名などはスキャンの後で消しました。 -
こう言っては何ですが、キガリの空港到着からキガリの街への道、さらに郊外への幹線道路が舗装されてあったのは驚き。
工事には中国人も多く携わったようで、事故などで亡くなった中国人工事関係の人たちの墓碑が道端にいくつか立ててあったのも、親戚から教えてもらいました。
ルワンダは紅茶が名産。
この画像のように、赤茶けた丘の斜面に広がる茶畑をよく見かけました。
段々畑ではなく、斜面をそのまま使っているのがちょっと珍しい風景。 -
ルワンダは、≪千の丘の国≫と呼ばれるほど、小さな丘がいくつもいくつも連なった国。
それが実感できる眺め。 -
SUR SHANGHAIたちが滞在した親戚の邸宅。
入り口にはゲートとライフルを持ったガードマン。
平屋建てながら広いこと広いこと。
裏手には大きな庭があった。
内部の設備も、先進国の高級住宅と比べても遜色が無い位。
質素な住居に住む地元の人たちはどう思っているのだろう。
そう思うと居心地の悪いSUR SHANGHAI。 -
親戚が常にピッタリくっついてくるので、キガリの街に出ても自由行動無し。
お昼でも、と行った食堂の入り口からちょっとだけ見た町並みと人々。
右側の女性の赤ちゃんの背負い方(腰負い方??)に注目! -
これも上記の写真を撮った食堂前から見たキガリの街。
この女性たちは多数派農耕民族のフツ族と聞いた。
その後の彼女たちの運命は…? -
「お土産はここの店で買って。」と連れて行ってもらったキガリの街のお土産屋さんの一軒。
-
地元の人たちに手職を付けさせるための団体が開いていたお店で買ったバナナの葉の貼り絵。
繊維の縦横、色合いの組み合わせなどがちゃんと計算されていて細かい仕上がり。
紙は変色してしまいましたが、それでもまだいい風合いが残っています。
これは額に入れて壁に掛ける大きさのもの。
B5サイズよりちょっと大きめ。 -
これも、地元の人たちに手職を付けさせるための団体が開いていたお店で買ったバナナの葉の貼り絵。
これは二つ折りになった絵ハガキ大のグリーティングカード2種。
このほかにも木彫りの動物、可愛い女の子のぬいぐるみ、手編みの籠なんかが置いてあったけど、その後の内戦でそのお店やお店の人たちはどうなっただろう。 -
同じくバナナの葉の貼り絵カード。
右の画像の人物像は腕部分がいつの間にか剥落していましたが、それでも生き生きとドラムを叩いている雰囲気が伝わってきます。 -
密猟者に捕まったマウンテンゴリラを救い出して保護する施設もキガリにあった。
その中庭ではペット兼番犬のワンちゃんも混じって、アメリカ人職員がゴリラの赤ちゃんのお守。 -
このまま野性に放しても自力ではまだ生きていけないマウンテンゴリラの赤ちゃん。
すっかりアメリカ人職員になついていたけど、その施設の人ともども、その後はどうなったのかとこの写真を見るといつも思う。 -
この時一緒だった誰かが撮って送ってくれていた写真。
上記と同じマウンテンゴリラの保護施設。
施設のペット兼番犬のワンちゃんもマウンテンゴリラの赤ちゃんと一緒に遊んでいるように見えますが、ちょっと違うんです。
みんなの関心がゴリラの方に向いたので、焼餅を焼いたワンちゃんがちょっかいを出している場面。
人間と同じだね。(。・w・。) -
この時一緒だった誰かが撮って送ってくれていた写真。
ワンちゃんも機嫌を直して、マウンテンゴリラの赤ちゃんと仲直りした後の場面。
ワンちゃんを撫でているのは親戚の旦那。
この翌年には内戦に入るとは想像も出来ない和やかなひと時。 -
この時一緒だった誰かが撮って送ってくれていた写真。
この旅行記に目を通してくれた人だけが見られるSUR SHANGHAIとその旦那でございます。(^^;
背後に忍び寄ってきたマウンテンゴリラの赤ちゃんに恐る恐る触っている場面。
顔はゴムのような手触りだったっけ。
毛の方はゴワゴワとフワフワとチクチクが混じったような感じだったな。 -
この時一緒だった誰かが撮って送ってくれていた写真。
マウンテンゴリラの赤ちゃんに遊ばれているSUR SHANGHAIの旦那。
この頃はメタボじゃ無かったんだよね。
って、人の事は言えないか…。(ノω`*) -
イチオシ
この時一緒だった誰かが撮って送ってくれていた写真。
マウンテンゴリラ保護施設の庭の木に登って遊ぶマウンテンゴリラの赤ちゃん。
とても平和に見えるこのひとコマ。
このあとの94年の内戦は生き延びたのかな…。 -
親戚の庭の鉢植え。
94年の内戦が一段落したあと、短期間戻った親戚の話では、邸宅の内外、全てが略奪されていたと言うこと。 -
この時は94年に大規模な内戦が起こるとは思っていないので、のんびりと親戚のランドクルーザーを点検するSUR SHANGHAIの旦那。
-
キガリ郊外の湖へ向かう日。
親戚のランドクルーザーで出発。
この日訪れた湖の名前はキヴ湖だったかな…。
本当は別の湖に行く予定だったのが、途中の道がバリケードで塞がれていたので、仕方なく予定変更。
あのバリケード前に数人いたのはフツ族だったのかツチ族だったのかは覚えていないSUR SHANGHAI。
予定変更した途中の道筋で見かけたイボイノシシは、道端の草むらの中でケンカ中。 -
ルワンダはマウンテンゴリラが有名だけど、そればかりじゃありません。
キリンもこのとおり群れを成す道端の草むら。 -
キヴ湖(?)湖畔に到着。
海のように広がる思いがけないその風景。 -
イチオシ
小舟を修理する人もいる湖畔。
-
これはハゲコウ、かな。
赤禿げた首から上の顔が怖い大型鳥。 -
イチオシ
桟橋の向こうに小舟で湖を渡ってくる人も見える湖畔。
-
今にも崩れ落ちそうな桟橋で、怖くて上には行けなかった。(・_・;)
-
イチオシ
こちら側の岸から出て行く人も。
小舟は湖の重要な交通手段。 -
子どもの時から漕ぎ慣れているのに違いない。
スイッと軽やかに小舟は岸を離れる。 -
SUR SHANGHAIたちに気付いて笑いかける人々。
その後の彼らは無事に生き抜いたのだろうか。
自分が行った土地が大きな災害に見舞われると、そこで出会った人々の消息も気になる…。 -
一枚だけ記念に残した100ルワンダ・フラン札。
シマウマが主題になっているのがちょっと意外な感じ。
99年は1ドル=約320.6ルワンダ・フラン。
SUR SHANGHAIたちが行った93年の時のレートは…、う〜ん、思い出せない。(ーー;)
その紙幣の反対側には、子どもを背負った女性の絵柄。
透かしは見えていませんが、人物像ではなく長い角を持つシカの頭部になっています。
-
親戚がルワンダから手紙を送る時に使った使用済み切手や、この時のキガリ訪問で買ったルワンダ切手も今となっては思い出の1コマ。
また戻って行って、その後の様子も見てみたい国、ルワンダ。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- ぶうちゃんさん 2008/03/21 19:13:08
- こんにちは
- すごく貴重な旅ですね。ルワンダといえばツチとフツ両族の虐殺合戦は悲惨なものです。結局植民地統治国の都合で国境線を引いた悲劇の一面でもあるのでしょうね。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2008/03/22 10:34:12
- RE: こんにちは
- またのご訪問、ありがとうございます。m(__)m
ルワンダはキガリ周辺だけを訪れてみましたが、今から思うと本当に珍しい縁のある旅でした。
今日はこれから数日留守になるので、できたら出先からお邪魔しますね。
今はここで失礼します。(^.^)/~~~
-
- azianokazeさん 2006/08/02 11:36:37
- 他人の不幸
- あるトラベラーさんの旅行記でルワンダの虐殺の記念館を見て「そう言えばフツ族とかツチ族とかの虐殺の話、以前聞いたよね・・・」、それがきっかけでほんの2ヶ月ぐらい前に「ジェノサイドの丘」(100%“フツ至上主義者”を虐殺の当事者として糾弾する立場の本です。)という本を取り寄せて読みました。
衝撃的でした。
思うことは多々ありますが、一番の衝撃は“100年前でもなく、50年前でもなく、わずか10年あまり前、あのとき自分がどんな暮らしをしたたか思い出せるそんな頃に、100万人近くの虐殺が行われていたことに国際社会は何一つ有効な対策をとらず、何よりも自分を含め誰もこの事実に関心を持たず、知ろうともせずに暮していた。”ということです。
ZISAMAさんもおっしゃっているように、楽しい旅行にはそぐわない話題ですのでこれ以上は。
ただ、虐殺は大統領暗殺の何年も前からすでに“小規模”な形で散発しており、旅行時期は来るべき“大虐殺”への準備がなされていた頃でしょうから、親戚の方の仕切りというかアドバイスはとても適切なものだったと思います。
それにしても微妙な時期に旅行されましたね。
虐殺に関する本などを参考にされると、当時の街の様子などあらためて思い出されることも多いのではないでしょうか。
とても貴重な経験ですね。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2006/08/07 11:54:20
- RE: 他人の不幸
- 何があっても国際社会から相手にされないと言ってはなんですが、小さい国の大きな悲哀を感じさせられた出来事でした。
ニュースなどで報道されても、実感が無いというままに過ぎてしまった人が大部分だったと思います。
私も今回新しく出てきた写真を追加アップした時に、
「あれは一体なんだったのだろう。」と思い返してみました。
私もこの国の歴史について生齧りですし、間違ったことを言っても大変なので、一般的に言われていることしか書けませんが…。
-
- ZISAMAさん 2006/08/01 14:46:53
- ルワンダ
- SUR SHANGHAIさん、今日は。
ルワンダを拝見しました。
内戦の始まりである大統領機の撃墜の時に滞在されていたとは、まさにこの国の悲しい歴史に居合わせたことになりますね。
zisamaはマウンテンゴリラを見たいと思い、以前ルワンダのことを少しばかり勉強(?)したことがあります。
確かに表面的にはツチとフツの対立ですが、実際の両者の分類は曖昧な部分があるそうですね。
例えば、父がフツで母がツチならば子はフツでその逆ならばツチとなり、子供は父親の部族に分類されるそうです。
ですから、民族間の憎悪などは生まれにくい。
しかし、100日間で80万人という虐殺が起きてしまった。
これは、ベルギー統治のもと経済的な理由で両者が分類されたという背景があるものの、時の権力者たちである政治家、軍関係者、大統領とその親族たちによって対立を煽るような政策がとられたこと、そして更に両者それぞれの後ろに付く大国の思惑もあったとのことです。
ま、書くと長くなりますし、楽しい旅の話にほど遠いシリアスなことですので、この辺でやめましょう。
愚かなる人間の争いを、自らも危険にさらされながらも見つめてきたマウンテンゴリラを、いつの日か見に行くつもりです。
この旅行記の表紙の写真、何かを物語るようでいい写真です。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2006/08/07 09:20:56
- RE: ルワンダ
- 書き込み、ありがとうございます。m(__)m
数日留守にしていてお返事が遅れてしまいました。
実際に内戦に巻き込まれてしまったのは親戚で、私たちはその前兆だけを感じた旅でした。
内戦以前からの歴史について生齧りの私なので、間違ったことを書いては大変と思い、一般的に言われていることしか書きませんでしたが、植民地時代からの統治のあり方にも問題があったようですね。
私たちが行った時にはベルギーの軍隊はまだ駐留していて、夕暮れ時のバーなどでは彼らの姿も見かけました。
同じ国の民族なのに、どこでどう、あれほどの内戦が起こるまでにすれ違ってしまったのか…。他の国の争いをニュースなどで見てもそう思います。
そのうちにルワンダにいらっしゃることがあれば、野生のマウンテンゴリラのほかにも、旅行記に出したような密猟者から救い出したゴリラの保護施設や地元の人に手職を付けさせるための団体がまた出来ているかどうかも見てきていただけますか。m(__)m
-
- ai_worldtravelさん 2005/03/25 22:41:39
- こんにちは。。。
- また来ました。お気に入り登録させていただいてありがとうございました。
とにかく写真がとてもステキなので、来るのが楽しみです。
彼の友達が去年からルワンダで、ヘリコプターのパイロットしてるのもあって、今回はルワンダの旅行記にお邪魔しました。あと、パリも見ました。大変でしたけど、普段見れないところが見れるのって少し興味あったりして・・・なんて失礼しました。
私のパスポートも5年経ち、そろそろ変えたくなってきました・・・と言うか、変えないとそのうちどこかで止められそうです(笑)また来ます。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2005/03/26 18:24:51
- RE: こんにちは。。。
- ai worldtravelさんも、色々な所に行ってきれいなお写真を撮っていますね。かと思えば、おもしろ発見記もあって、これからも楽しみです。
こちらこそよろしく。失くした写真や記録が多いのですが、以前滞在していたドイツ編をこれからアップ予定です。
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