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平成21年6月20日(土)<br /> 8日間のブータンの旅http://www.saiyu.co.jp/itinerary/GBBT12/#dep_date_price<br />を終えて、鶴見の自宅に辿りついたのは午前11時であった。早速写真の整理から始めようと思ったが録画済みのビデオテープを託送荷物の中に格納したので配達される明日にならなければテープを再生して人名や建物名等の事実関係を確認出来ない。<br /><br /> 史跡や訪問先の静止画像の説明や感想はバックデイトしながらゆっくりと時系列に沿って記述していくこととし、今日のところは取り急ぎ記憶の薄れないうちに旅の全体的な印象を纏めておこう。                                     <br />ウイキペデイアに前国王の人柄を説明した以下の一節がある。<br /><br />また2009.6.5付けの産経抄にはブータンの雷龍王3世のことが以下の如く紹介されている。<br /><br />以下ウイキペデイアからの引用<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82<br /><br />1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が昭和天皇の大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」の礼服姿で、数人の供を連れて来日した。他の国の首脳の多くが、日本から経済的な協力を得るために葬儀の前後に日本政府首脳と会談した。しかし、ブータン国王はこうした「弔問外交」を行わず、大喪の礼に出席して帰国した。新聞記者が理由を尋ねると、国王は「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」と答えた。一方、日本政府はブータンの正装である「刀」を銃刀法違反として預かったため、国王は丸腰のまま葬儀に列席した。ブータン国民は、平民のような姿にされた国王の姿を見て嘆き悲しんだ。 引用終り。                                              <br /> 以下産経抄からの引用<br />http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090605/kor0906050308000-n1.htm<br />23年間にわたって発展途上国の経済開発をサポートしてきた、西水美恵子・前世界銀行副総裁は、数えきれないほどのリーダーと出会ってきた。その西水さんをして、「とことんほれた」と言わしめたのが、ヒマラヤの小さな王国、ブータンの雷龍王3世だ。<br /> ▼1952年に王位に就くと、翌年に国会を設立するなど、政治改革に取り組んだほか、農奴を解放し、長かった鎖国を解いた。44歳という早世が惜しまれる。弱冠16歳で後を継いだ4世は、国民総幸福(GNH)という理念を打ち出したことで知られる。<br /> ▼初めて外国紙のインタビューを受けたとき、国民総生産(GNP)よりGNHの方が大切だと、語呂合わせをしたら、定着してしまった。4世は笑いながら、西水さんにそう打ち明けたという(『国をつくるという仕事』英治出版)。<br /> ▼国民の大多数が王制の存続を望んでいるというのに、4世は民主化をさらに推し進めた。行政権を手放して、首相職を置き、初の総選挙を成功させ、成文憲法の制定へと導いた。何より国民を驚かしたのが、3年前に突然、26歳の皇太子に王位を譲ったことだった。   引用終わり                                <br />上記二つの引用を踏まえて、筆者の印象を一言に纏めれば、国民総幸福量という指導理念を持つ賢明な国王に統率されて、自立の精神を持った誇り高い国民が伝統と自然を守りながら平和に暮らしているのがブータンという国なのだということである。<br /><br /><br />そのことを具体的に説明すれば管見ながら旅行中筆者が至るところで目撃した以下の事象である。                                                 <br />1.物乞いがいない。                         <br />2.商品の押し売りがない。                                   <br />3.人物の写真撮影に気持ちよく応じてくれる。中国やインドなどではしつこくチップを要求されて辟易させられるがそれがない。 <br /><br />4.国王を国民が敬愛している様子が随所に窺える。                        <br />5.ゾーンには敬虔な信者達が参集し、或いはマニ車を廻しながら、或いは五体投地しながら仏陀に敬虔な祈りを捧げている。<br /><br />6.ゾーンには6歳以上の僧侶が多数住み込んで修業している。                   <br />7.大人と学童とを問わず民族衣装を愛用している。                        <br />8.交通信号がない。首都のテインプーにさえ信号器がない。               <br />9.田植え風景は一族総出の共同作業であり日本の昭和20年代まで見られた農作業の原景が残っている。<br /><br />10.インドから多くのインド人が出稼ぎに来ている。<br /><br />11.野良犬が大切されているので安心しきって至るところで腹を見せながら昼寝している。

神秘の王国ブータンの旅No9・・・纏め

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2009/06/13 - 2009/06/20

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早島 潮

早島 潮さん

平成21年6月20日(土)
 8日間のブータンの旅http://www.saiyu.co.jp/itinerary/GBBT12/#dep_date_price
を終えて、鶴見の自宅に辿りついたのは午前11時であった。早速写真の整理から始めようと思ったが録画済みのビデオテープを託送荷物の中に格納したので配達される明日にならなければテープを再生して人名や建物名等の事実関係を確認出来ない。

 史跡や訪問先の静止画像の説明や感想はバックデイトしながらゆっくりと時系列に沿って記述していくこととし、今日のところは取り急ぎ記憶の薄れないうちに旅の全体的な印象を纏めておこう。                                     
ウイキペデイアに前国王の人柄を説明した以下の一節がある。

また2009.6.5付けの産経抄にはブータンの雷龍王3世のことが以下の如く紹介されている。

以下ウイキペデイアからの引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82

1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が昭和天皇の大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」の礼服姿で、数人の供を連れて来日した。他の国の首脳の多くが、日本から経済的な協力を得るために葬儀の前後に日本政府首脳と会談した。しかし、ブータン国王はこうした「弔問外交」を行わず、大喪の礼に出席して帰国した。新聞記者が理由を尋ねると、国王は「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」と答えた。一方、日本政府はブータンの正装である「刀」を銃刀法違反として預かったため、国王は丸腰のまま葬儀に列席した。ブータン国民は、平民のような姿にされた国王の姿を見て嘆き悲しんだ。 引用終り。                                              
以下産経抄からの引用
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090605/kor0906050308000-n1.htm
23年間にわたって発展途上国の経済開発をサポートしてきた、西水美恵子・前世界銀行副総裁は、数えきれないほどのリーダーと出会ってきた。その西水さんをして、「とことんほれた」と言わしめたのが、ヒマラヤの小さな王国、ブータンの雷龍王3世だ。
 ▼1952年に王位に就くと、翌年に国会を設立するなど、政治改革に取り組んだほか、農奴を解放し、長かった鎖国を解いた。44歳という早世が惜しまれる。弱冠16歳で後を継いだ4世は、国民総幸福(GNH)という理念を打ち出したことで知られる。
 ▼初めて外国紙のインタビューを受けたとき、国民総生産(GNP)よりGNHの方が大切だと、語呂合わせをしたら、定着してしまった。4世は笑いながら、西水さんにそう打ち明けたという(『国をつくるという仕事』英治出版)。
 ▼国民の大多数が王制の存続を望んでいるというのに、4世は民主化をさらに推し進めた。行政権を手放して、首相職を置き、初の総選挙を成功させ、成文憲法の制定へと導いた。何より国民を驚かしたのが、3年前に突然、26歳の皇太子に王位を譲ったことだった。   引用終わり                                
上記二つの引用を踏まえて、筆者の印象を一言に纏めれば、国民総幸福量という指導理念を持つ賢明な国王に統率されて、自立の精神を持った誇り高い国民が伝統と自然を守りながら平和に暮らしているのがブータンという国なのだということである。


そのことを具体的に説明すれば管見ながら旅行中筆者が至るところで目撃した以下の事象である。                                                 
1.物乞いがいない。                         
2.商品の押し売りがない。                                   
3.人物の写真撮影に気持ちよく応じてくれる。中国やインドなどではしつこくチップを要求されて辟易させられるがそれがない。 

4.国王を国民が敬愛している様子が随所に窺える。                        
5.ゾーンには敬虔な信者達が参集し、或いはマニ車を廻しながら、或いは五体投地しながら仏陀に敬虔な祈りを捧げている。

6.ゾーンには6歳以上の僧侶が多数住み込んで修業している。                   
7.大人と学童とを問わず民族衣装を愛用している。                        
8.交通信号がない。首都のテインプーにさえ信号器がない。               
9.田植え風景は一族総出の共同作業であり日本の昭和20年代まで見られた農作業の原景が残っている。

10.インドから多くのインド人が出稼ぎに来ている。

11.野良犬が大切されているので安心しきって至るところで腹を見せながら昼寝している。

同行者
その他
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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