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裕次郎の墓訪問記更新=網タイツで裕ちゃん悩殺…由美かおるが秘話満載の初エッセー<br />http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/101003/tnr1010030853004-n1.htm<br /><br /><br /><br />総持寺は鶴見にある曹洞宗の寺として市民に親しまれている。筆者もよく緑豊かな山内を好んで散策する。総持寺とはどのような寺であるのか同寺のホームページから引用すると以下の通りである。<br />以下引用である。<br />http://www.sojiji.jp/honzan/roots/gaiyou.html <br /><br />本山の概要                   <br /><br />總持寺の正式名は、「諸嶽山總持寺」といいます。その開創は、675年余もの昔にさかのぼります。<br />日本海にマサカリのように突き出た能登半島の一角、櫛比庄(現在の石川県鳳至郡)に諸嶽観音堂という霊験あらたかな観音大士を祀った御堂がありました。そこの住職である定賢権律師が、ある夜に見た夢の物語から、總持寺のあゆみが始まります。<br /> 元亨元年(1321)4月18日の晩のこと、律師の夢枕に、僧形の観音様が現れ、「酒井の永光寺に瑩山という徳の高い僧がおる。すぐ呼んで、この寺を禅師に譲るべし」<br />と告げて、姿を消されたというのです。<br /> 不思議な事に、その5日後の23日の明け方、やはり能登の永光寺室中(方丈の間)でいつも通り、坐禅を していた瑩山禅師も同じような夢のお告げを聞きました。<br /><br /> 諸嶽観音堂は、真言律宗の教院であり、瑩山禅師はかねてから禅院にしたいと念じていました。夢のお告げで、瑩山禅師は入山しようと観音堂の門前に進みます。すると門前に亭があり、禅師はそこの鐃鉢を打ち鳴らして、2つの屋根の楼門を仰ぎみます。山門の楼上には、「大般若六百巻」が備えられ、手前には放光 菩薩が安置されていました。すると、たくさんの僧侶たちと、律師自らが出迎え、歓迎しております。禅師は前に進み、この楼門をくぐります。おもわず、「總持寺の一門、八字に打開す(門を八の字のように打開する)」と唱えたのです。諸堂を巡り、その壮観さに驚きました。 <br /> このようにして瑩山禅師は、定賢権律師の入山の要請を快く受けいれて、諸嶽観音堂に入院します。<br /><br />前述の『縁起』本文中に「入寺の後、30日を経てまた夢をみる云々」とあり、禅師の入寺は、元亨元年5月15日(夏安居)結制の日であったことが知られます。<br />禅師と律師は、ともに夢告が符合することに感応道交して、律師は霊夢によって一山を寄進し、禅師は快く拝受し、「感夢によって總持寺と号するはこの意なり」と述べられておられます。<br />寺号を仏法(真言)が満ち満ち保たれている総府として、「總持寺」と改名し山号は諸嶽観音堂の仏縁にちなんで「諸嶽山」と決定しました。<br /><br /> 翌元亨2年(1322)、瑩山禅師52歳の時、後醍醐天皇は、臨済僧、孤峰覚明和尚を使者として、10種の勅問を下されました。これに対する禅師の奉答が深く帝の叡情にかなったので、同年8月28日、總持寺は「曹 洞出世の道場に補任」されて、その住持は紫衣の法服着用を公に認められました。<br />更に、この年、9月14日、藤原行房卿に命じられて「總持寺」の三字の書額を揮毫させ、これを賜りました 。ここで、總持寺は官寺となり、一宗の大本山たることが認められ、勅定によって曹洞宗の教団であることを、宗の内外に公称するようになりました。 <br /><br /><br /> 瑩山禅師によって開創された大本山總持寺は、13000余ヶ寺の法系寺院を擁し宗門興隆と正法教科につ とめ、能登に於いて570余年の歩みを進めてまいりました。<br /><br /> しかし、明治31年(1898)4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火 は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失してしまいました。<br /> 明治三十八年五月、本山貫主となられた石川素童禅師は焼失した伽藍の復興のみでなく、本山存立の意義と宗門の現代的使命の自覚にもとづいて、大決断をもって明治40年3月に官許を得、寺基を現在の地に移さ れたのであります。 <br /><br /> 現在の總持寺は横浜市の郊外、前に東京湾と房総半島を望み、後に富士の霊峰がそびえる景勝の地、鶴見が丘に位置し、JR鶴見駅より徒歩わずか5分という交通の便の良さに加え、わが国の海の玄関・横浜に位置するところから、国際的な禅の根本道場として偉容を誇っています。このすばらしい地に15万坪の寺域を有し、鉄筋製の大伽藍をはじめの多くの諸堂が建てられ、能登總持寺の開創から数えて591年目の明治44 年11月5日、盛大な遷祖式が執り行われました。<br /><br /> 山内には、学校法人総持学園として、三松幼稚園、鶴見女子中学・高等学校、鶴見大学、さらに社会福祉法人諸岳会として、總持寺保育園、養護施設精舍児童学園等を経営し、社会に貢献しております。<br /> 本山に於いても、各種教化事業(下記参照)を推進し、約200名に及ぶ役寮、大衆(修行僧)、寺務員、 パートが一丸となって、 寺門の興隆につとめております。 <br /><br />曹洞宗とは次のURLに判り易い説明がある。http://www.sojiji.jp/honzan/sotosyu/index.html   <br /><br />瑩山禅師とはどのような人なのかは次のURLに説明がある。<br />http://www.sojiji.jp/honzan/keizan/keizan.html<br /><br />総持寺山内の地図は次のURL参照 http://www.sojiji.jp/honzan/map/sannai.html                                                   散策の途次気の向くままに撮影した写真を掲示することにしよう。石原裕次郎の墓には何時行っても墓前に花の絶えたことがない。

裕次郎の墓訪問記更新=網タイツで由美かおるが裕ちゃん悩殺

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2006/06/08 - 2006/06/08

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早島 潮

早島 潮さん

裕次郎の墓訪問記更新=網タイツで裕ちゃん悩殺…由美かおるが秘話満載の初エッセー
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/101003/tnr1010030853004-n1.htm



総持寺は鶴見にある曹洞宗の寺として市民に親しまれている。筆者もよく緑豊かな山内を好んで散策する。総持寺とはどのような寺であるのか同寺のホームページから引用すると以下の通りである。
以下引用である。
http://www.sojiji.jp/honzan/roots/gaiyou.html 

本山の概要                  

總持寺の正式名は、「諸嶽山總持寺」といいます。その開創は、675年余もの昔にさかのぼります。
日本海にマサカリのように突き出た能登半島の一角、櫛比庄(現在の石川県鳳至郡)に諸嶽観音堂という霊験あらたかな観音大士を祀った御堂がありました。そこの住職である定賢権律師が、ある夜に見た夢の物語から、總持寺のあゆみが始まります。
 元亨元年(1321)4月18日の晩のこと、律師の夢枕に、僧形の観音様が現れ、「酒井の永光寺に瑩山という徳の高い僧がおる。すぐ呼んで、この寺を禅師に譲るべし」
と告げて、姿を消されたというのです。
 不思議な事に、その5日後の23日の明け方、やはり能登の永光寺室中(方丈の間)でいつも通り、坐禅を していた瑩山禅師も同じような夢のお告げを聞きました。

 諸嶽観音堂は、真言律宗の教院であり、瑩山禅師はかねてから禅院にしたいと念じていました。夢のお告げで、瑩山禅師は入山しようと観音堂の門前に進みます。すると門前に亭があり、禅師はそこの鐃鉢を打ち鳴らして、2つの屋根の楼門を仰ぎみます。山門の楼上には、「大般若六百巻」が備えられ、手前には放光 菩薩が安置されていました。すると、たくさんの僧侶たちと、律師自らが出迎え、歓迎しております。禅師は前に進み、この楼門をくぐります。おもわず、「總持寺の一門、八字に打開す(門を八の字のように打開する)」と唱えたのです。諸堂を巡り、その壮観さに驚きました。
 このようにして瑩山禅師は、定賢権律師の入山の要請を快く受けいれて、諸嶽観音堂に入院します。

前述の『縁起』本文中に「入寺の後、30日を経てまた夢をみる云々」とあり、禅師の入寺は、元亨元年5月15日(夏安居)結制の日であったことが知られます。
禅師と律師は、ともに夢告が符合することに感応道交して、律師は霊夢によって一山を寄進し、禅師は快く拝受し、「感夢によって總持寺と号するはこの意なり」と述べられておられます。
寺号を仏法(真言)が満ち満ち保たれている総府として、「總持寺」と改名し山号は諸嶽観音堂の仏縁にちなんで「諸嶽山」と決定しました。

 翌元亨2年(1322)、瑩山禅師52歳の時、後醍醐天皇は、臨済僧、孤峰覚明和尚を使者として、10種の勅問を下されました。これに対する禅師の奉答が深く帝の叡情にかなったので、同年8月28日、總持寺は「曹 洞出世の道場に補任」されて、その住持は紫衣の法服着用を公に認められました。
更に、この年、9月14日、藤原行房卿に命じられて「總持寺」の三字の書額を揮毫させ、これを賜りました 。ここで、總持寺は官寺となり、一宗の大本山たることが認められ、勅定によって曹洞宗の教団であることを、宗の内外に公称するようになりました。


 瑩山禅師によって開創された大本山總持寺は、13000余ヶ寺の法系寺院を擁し宗門興隆と正法教科につ とめ、能登に於いて570余年の歩みを進めてまいりました。

 しかし、明治31年(1898)4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火 は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失してしまいました。
 明治三十八年五月、本山貫主となられた石川素童禅師は焼失した伽藍の復興のみでなく、本山存立の意義と宗門の現代的使命の自覚にもとづいて、大決断をもって明治40年3月に官許を得、寺基を現在の地に移さ れたのであります。

 現在の總持寺は横浜市の郊外、前に東京湾と房総半島を望み、後に富士の霊峰がそびえる景勝の地、鶴見が丘に位置し、JR鶴見駅より徒歩わずか5分という交通の便の良さに加え、わが国の海の玄関・横浜に位置するところから、国際的な禅の根本道場として偉容を誇っています。このすばらしい地に15万坪の寺域を有し、鉄筋製の大伽藍をはじめの多くの諸堂が建てられ、能登總持寺の開創から数えて591年目の明治44 年11月5日、盛大な遷祖式が執り行われました。

 山内には、学校法人総持学園として、三松幼稚園、鶴見女子中学・高等学校、鶴見大学、さらに社会福祉法人諸岳会として、總持寺保育園、養護施設精舍児童学園等を経営し、社会に貢献しております。
 本山に於いても、各種教化事業(下記参照)を推進し、約200名に及ぶ役寮、大衆(修行僧)、寺務員、 パートが一丸となって、 寺門の興隆につとめております。

曹洞宗とは次のURLに判り易い説明がある。http://www.sojiji.jp/honzan/sotosyu/index.html   

瑩山禅師とはどのような人なのかは次のURLに説明がある。
http://www.sojiji.jp/honzan/keizan/keizan.html

総持寺山内の地図は次のURL参照 http://www.sojiji.jp/honzan/map/sannai.html                                                   散策の途次気の向くままに撮影した写真を掲示することにしよう。石原裕次郎の墓には何時行っても墓前に花の絶えたことがない。

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  • 太祖堂

    太祖堂

  • 広大な墓地を持つ総持寺。祖師堂の遠望

    広大な墓地を持つ総持寺。祖師堂の遠望

  • 見返し坂からの山内入り口。<br />山神塔

    見返し坂からの山内入り口。
    山神塔

  • 山内入り口が昔は道標になっていた。

    山内入り口が昔は道標になっていた。

  • 総持寺山内の開発にあたっての経緯が刻まれている。

    総持寺山内の開発にあたっての経緯が刻まれている。

  • 山神塔から入ってから目に入る太祖堂

    山神塔から入ってから目に入る太祖堂

  • 祖師堂の内部

    祖師堂の内部

  • 紫雲台

    紫雲台

  • 迎賓館として利用される待鳳館の看板

    迎賓館として利用される待鳳館の看板

  • 待鳳館

    待鳳館

  • ユッカ蘭と待鳳館

    ユッカ蘭と待鳳館

  • 仏殿

    仏殿

  • 放光堂

    放光堂

  • 百間廊下

    百間廊下

  • 総持寺祖院が火災にあったことの説明

    総持寺祖院が火災にあったことの説明

  • 宝物殿

    宝物殿

  • 宝物殿入り口の仁王像

    宝物殿入り口の仁王像

  • 総持寺の説明

    総持寺の説明

  • 重要文化財の獅子吼の織物

    重要文化財の獅子吼の織物

  • 雲水群像の説明

    雲水群像の説明

  • 雲水達の群像

    雲水達の群像

  • 三松閣

    三松閣

  • 石原裕次郎の墓には供花が絶えない。

    石原裕次郎の墓には供花が絶えない。

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