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ニサの遺跡のビーナスと象牙のリュトン。<br />                              ニサの遺跡はトルクメニスタンの首都アシカバードの西方約18・の地点に位置する所にある。この遺跡はただ一面の荒野の中の小高い丘の上にあり、11〜12世紀のパルティア帝国の都市遺跡である。旧ニサと新ニサの2つに区分けされ周囲は厚さ10m程の土塁で囲まれている。五角形の城壁が旧ニサの内城である。そこには王宮、ゾロアスター教の神殿、王の倉庫等がある。謁見の間には柱や玉座が残されている。 <br />  王の倉庫からは神像や土偶が発掘されているが、女神像はニサのヴイーナスとして有名である。またここで発掘された象牙のリュトンも精巧な細工として有名である。これらの文化遺産はヘレニズムの影響を受けたものと言われており、ニサのヴィーナスはミトラダテス一世の王女ロドグネー(セレウコス朝デトリオス二世の妃)をモデルにしたとの説がある。<br /><br />このニサのヴーナスと象牙のリュトンは国立博物館に展示されているが、撮影禁止である。そこで絵葉書を購入した。掲示した画像は何れも絵葉書からの複写である。<br /><br /> ところでこうした文化遺産を残したパルティア王国とはどのような国であったのか「東洋史辞典・東京創元社刊)によれば以下のように説明されている。<br />以下は全て引用である。<br />                             パルティア王国。  Parthia王国 前24〜後226。イラン高原東北部のパルティアから興って,イランお よぴメソポタミアを支配したイラン系パルニ族の王朝。始祖アルサケスの名によってアルサケス朝とも呼ばれ,中国の史書ではこの音を訳して「安息」と記している。セレウコス朝のバクトリアのサトラプを殺害して独立したパルティア王国は,ミトラダテスー世のとき,西はユーフラテス川から東はインドにいたる広大な地域を勢力下におき,ヘカトンビロスを都とする大王国に発展した。その後,フラーテス二世、オロデス二世,*ヴォロガセス一世の時代を通じてローマ帝国と激しい戦いを繰返し,一進一退よくローマの東方進攻を喰い止めたが,226年ササン朝の祖アルダシールに滅ぼされ た。<br /><br /> この王国はその地が東西交通の要衝であったため,中継貿易,とくに中国の絹貿易を独占した。そこでローマとの絶えざる交通路の争奪があり,前19年ローマ皇帝アウグストゥスが,中国およびインドを結ぶ交路を再開することを条件に,パルティア王国と和議を締結している。国内統治にあたってはゾロアスター教を保護するとともにアケメネス朝の統治方式を採用したが,各州は土着の王が支配する臣従王国制を主体としたため,半独立的土着豪族の勢力が強く,パルティア王国の国家組織の弱点となった。美術、工芸の遺品などによれば,この時代の文化にはヘレニズムの影響が強かったらしい。<br />」

ニサのヴーナスと象牙のリュトン

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2006/04/28 - 2006/04/28

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早島 潮

早島 潮さん

ニサの遺跡のビーナスと象牙のリュトン。
                              ニサの遺跡はトルクメニスタンの首都アシカバードの西方約18・の地点に位置する所にある。この遺跡はただ一面の荒野の中の小高い丘の上にあり、11〜12世紀のパルティア帝国の都市遺跡である。旧ニサと新ニサの2つに区分けされ周囲は厚さ10m程の土塁で囲まれている。五角形の城壁が旧ニサの内城である。そこには王宮、ゾロアスター教の神殿、王の倉庫等がある。謁見の間には柱や玉座が残されている。
王の倉庫からは神像や土偶が発掘されているが、女神像はニサのヴイーナスとして有名である。またここで発掘された象牙のリュトンも精巧な細工として有名である。これらの文化遺産はヘレニズムの影響を受けたものと言われており、ニサのヴィーナスはミトラダテス一世の王女ロドグネー(セレウコス朝デトリオス二世の妃)をモデルにしたとの説がある。

このニサのヴーナスと象牙のリュトンは国立博物館に展示されているが、撮影禁止である。そこで絵葉書を購入した。掲示した画像は何れも絵葉書からの複写である。

 ところでこうした文化遺産を残したパルティア王国とはどのような国であったのか「東洋史辞典・東京創元社刊)によれば以下のように説明されている。
以下は全て引用である。
                             パルティア王国。  Parthia王国 前24〜後226。イラン高原東北部のパルティアから興って,イランお よぴメソポタミアを支配したイラン系パルニ族の王朝。始祖アルサケスの名によってアルサケス朝とも呼ばれ,中国の史書ではこの音を訳して「安息」と記している。セレウコス朝のバクトリアのサトラプを殺害して独立したパルティア王国は,ミトラダテスー世のとき,西はユーフラテス川から東はインドにいたる広大な地域を勢力下におき,ヘカトンビロスを都とする大王国に発展した。その後,フラーテス二世、オロデス二世,*ヴォロガセス一世の時代を通じてローマ帝国と激しい戦いを繰返し,一進一退よくローマの東方進攻を喰い止めたが,226年ササン朝の祖アルダシールに滅ぼされ た。

 この王国はその地が東西交通の要衝であったため,中継貿易,とくに中国の絹貿易を独占した。そこでローマとの絶えざる交通路の争奪があり,前19年ローマ皇帝アウグストゥスが,中国およびインドを結ぶ交路を再開することを条件に,パルティア王国と和議を締結している。国内統治にあたってはゾロアスター教を保護するとともにアケメネス朝の統治方式を採用したが,各州は土着の王が支配する臣従王国制を主体としたため,半独立的土着豪族の勢力が強く,パルティア王国の国家組織の弱点となった。美術、工芸の遺品などによれば,この時代の文化にはヘレニズムの影響が強かったらしい。

  • ニサ遺跡

    ニサ遺跡

  • ニサのヴーナス

    ニサのヴーナス

  • 象牙のリュトン(酒器)

    象牙のリュトン(酒器)

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