1970/07 - 1970/07
340位(同エリア6065件中)
唐辛子婆さん
ロシア人の老夫婦
どうしてはじめての海外旅行に
ロシアの片田舎シベリアを選んだのかって?
それは近所にイギリス人の老夫婦が住んでいたから。
見せていただいたアルバムで
バイカル湖やイルクーツクの美しさに驚き
いつか行ってみたいと思うようになったのです。
ところでイギリス人といえばティータイム。
彼らはたっぷりのミルクティー。
私にはたっぷりのホットミルク。
私がいくらチビだったからって高校生の女の子にミルクとは!
それともイギリスでは18才まではミルクなのぉ?
ミルクを飲んで大きくおなり、ということだったのかしらん?
★Russia ロシア旅行のサイトマップ
http://4travel.jp/traveler/tougarashibaba/album/10541902
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-
バイカル号は横浜の桟橋から北上し
津軽海峡をぬけてハバロフスクへとむかいました。
大きな船はあまり揺れないものじゃね。 -
当時、ヨーロッパ留学のためこの船に乗り
シベリア鉄道を延々と旅する人もいました。
ハンガリーなど東欧諸国から日本への研修もこのルートでした。 -
船にはレストランのほか図書室やショップがありました。
ボルシチの赤いビーツの色と
サワークリームのあざやかなコントラストが
今でもよみがえります。 -
ハバロフスクにはガイドのWさんが待っていました。
ソビエト滞在中ずずっとお世話になりました。 -
ハバロフスクの町を行進する兵隊たち。
本当は撮影禁止なので遠くから。 -
ハバロフスクからウラジオストクまで極東鉄道に乗りました。
当時の日本にはなかったコンパートメント。
4人部屋で2段ベッドが二組。
いざ寝ようとして困ったことに気がつきました。
上段に転落防止の柵がない!。
列車は結構ゆれるのです。
落ちて首の骨が折れたらどーするの?
で、シーツの端を荷だなに結びつけて袋状にして
その中で眠りました。
食堂車のテーブルにシベリアの野の花が飾られていて
とても素敵でした。
車掌さんのひとりが東洋人顔だったのですが
日本語はわからなかったから朝鮮族の人だったのでしょう。
イルクーツクまでは飛行機でした。
労働者のアパートは
みんな同じようなのがたーくさん並んでて
階段の入り口から強いチーズのようなにおいが漂ってきました。 -
女性はスカーフをしている人が多かった。
ソビエト人は外国人と話をしてはいけないことに
なっていたので
自由時間に歩いていても道を尋ねることが
容易ではありませんでした。
たまに教えてくれる人がいても
通りがかりの人が非難するので
あわてて私達のそばから離れていくのです。 -
でもこの老夫婦は写真を撮らせてくれて
にこにこしていました。
それから夕方散歩していたら
音楽家の人に話しかけられました。
ツアーメンバーの一人が音楽の先生だとわかると
誰もいないコンサートホールに連れて行ってくれ
舞台上のグランドピアノで競演となりました。 -
ホテルの前でおしゃべりをする人たち。
バイカル湖のほとりのイルクーツクは
緑の豊かな美しい街でした。
ホテルのエレベータは4人乗りぐらいの小ささなのに
超ぶっといエレベータガール(おばちゃん)が乗っているので
いつも満員状態。
夕方レストランで、お隣のテーブルのソビエト人たちが
ロシア民謡を歌いました。
で、私達もカチューシャか何かを歌ったらおおよろこび。
次から次へと歌合戦がはじまって夜が更けていきました。
外国人と話しちゃいけないなんてウソみたい。
この人たちは特別エリートだったのかも。
今はどうだか知りませんが
昔は音楽の時間にロシア民謡をたくさん教わったものです。
だからみんなよく知ってたのです。
「ともしび」とか
「ポーレシュケポーレ」とか
「ちいさいぐみの木」とか
「バイカル湖のほとり」とか
「赤いサラファン」とか
「ステンカラージン」とか
「一週間」とか
「山のロザリア」とか
「もえろペチカ」とか
「トロイカ」とか
「カリンカ」とか
「黒い瞳」とか
名前を忘れちゃいましたけど「泉に水くみにきて」
ではじまる歌もありました。
兵士にまつわる歌が多かったにゃー。 -
イルクーツク大学
けっこうクラシックないいカンジの建物が多い。 -
街のデパートには品数がとても少なく
買いたいものは何もありませんでした。
免税品店には琥珀のネックレスがたくさんありました。
当時、宝石になんにも興味がなかったので
買いませんでしたが非常に透明度の高い
質のいいものだったということがあとでわかりました。
街で売ってるアイスクリームは
ハニーの香りがしてコクがあってとってもおいしかった。
クワスという清涼飲料も試してみましたが
炭酸のはいってないコーラ
というか麦茶みたいな味でした。 -
バイカル湖畔のレストラン。
オームリという魚をいただきました。
ホバークラフトで湖をめぐりましたが、広いの広くないの・・・。 -
バイカル湖の断面模型
バイカル湖はたしか世界で一番深くて透明度が高い湖です。
よね? -
それから発電所のある町ブラーツクへ飛びました。
この街では私たちのバスにもうひとりガイドが乗ってきました。 -
森林地帯でボーイスカウトや
ガールスカウトの子供達にであいました。 -
野の花をプレゼントしてくれた女の子
-
雨がふりだしたのであわててバスにもどる私たちに
みんなが手を振ってくれました。 -
ハバロフスクに戻ると
日本の熱帯夜なみの蒸し暑さになっていました。
ホテルには冷房がない。
今までの快適な涼しさはどこ?
シベリアで蒸し暑さに眠れないなんて
思ってもみませんでした。
ツアーでだされるお食事はいつもボリュームたっぷり。
でっかいステーキに
ゆで卵がごろんとはいったコンソメだとか。
でも生野菜がほとんどない。
野菜を別に頼んでも
ジャガイモのマヨネーズあえとかビーツの煮たのとか。
あー生野菜が食べたい!
といったら刻んだ生ネギが運ばれてきてびいっくり!
で、ハバロフスクの市場に
自由農場の野菜が並んでいるときいて
よろこんででかけました。 -
当時のソビエトでは国営農場でつくられる農産物が
国営市場で売られていました。
日本ではみたこともないような小粒で不出来な野菜たち。
でも自由市場で売られているものは
日本とかわらないような立派なタマネギやトマトでした。
嬉しくなってさっそく買いました。 -
ところが日本よりもめっちゃ高い!
帰りの船ハバロフスク号で日本の野菜サラダがでた時には
生きかえる心地でした。
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この旅行記へのコメント (53)
-
- ラムロールちゃんさん 2022/06/27 21:54:39
- 興味深いです
- 唐辛子婆さん、おひさしぶりです(^^♪
リンクから、見逃していたシベリア旅行記にお邪魔しました。
そうなんですか、外国人と話してはいけなかった(*_*;
しかもそれで注意されると…
やっぱり、西側とは全然違う世界だったのですね。
スカーフを巻いた女性が多いというのは、まんまマトリョーシカじゃん、と思ってしまいました。
ラムロール
- 唐辛子婆さん からの返信 2022/06/27 22:37:32
- Re: 興味深いです
- ラムロールちゃん
そうか、ソビエト時代を知らない世代なのだとつくづく。
でも不幸な状態というのは永遠に続くものでもないんですよね。
今は海外渡航の自由もあるし昔とはずいぶん変わりました。
もとに戻っちゃわないといいけど・・・。
ラムロールちゃんのインドでも
アンタッチャブルな人たちは職業選択の自由もなくひどい暮らしだったのが
ITはその制限から外れているとかヒンドゥーからほかの宗教に改修したら
仕事につけたとかで収入の道が開けたそうですよね?
ハンガリー編(と呼べるシロモノではないけど)から入ってくれたから
ついでに「ハンガリー動乱」でもウィキってくだされば
少し当時の状態が理解してもらえるかも。
唐辛子婆
-
- olive kenjiさん 2021/03/22 14:51:57
- 大先輩じゃありませんか
- 唐辛子婆さま なんで知り合ったのでしょうか。
徳島の案山子の里や立川の話はよくしたと思いますが。
ほいみさんのパキスタン旅行記がきっかけだっのではと思うのですが。この頃頭の調子悪くて。
一番古い旅行記はどれだと探していたら、びっくりぽん。
私より3年前にバイカル号でソ連へ行かれていたのですね。
あの頃は、モスクワ経由してヨーロッパへ行くのが主流だったと思いますが、バイカル湖辺りだけに行かれるのは珍しかったのじゃないでしょうか。
極秘任務を持たれて行かれたのでしょうか。冗談ですよ。
この旅行記と私のロシア旅行記で共通するのは・・
なんでロシアで写した写真は鮮明でないのであろうか。
今もロシア女性は美しいけど、この頃も美しかった。
これからは、大体お歳が分かったので唐辛子婆さんでなく先輩と呼ばさせて頂きます。
- 唐辛子婆さん からの返信 2021/03/22 21:35:53
- Re: 大先輩じゃありませんか
- olive kenjiさん、いらっしゃいまし~~!
おっしゃるとおり、ほいみさんの旅行記からですね^^。
大昔のロシア旅行記読んでくださってありがとうございます。
すでに薄らぼけてしまった
フィルム写真を撮りなおして掲載したので不鮮明ですよね。
バイカル湖どまりだったのは私は
ほいみさんやolive kenjiさんみたいなツワモノじゃなかったってことですよ。
ただの2週間程度の15人ほどのツアーだったんですもの。
ガイドに保護されまくり(監視されまくり)のツアーでしたので
極秘任務は遂行できませんでした^^。
ロシア女性が美しいのは20歳までです。
先輩なんてやだ~~~!
ふんぞり返った80代みたいでやだ~~~!
唐辛子婆
-
- ほいみさん 2021/01/22 22:33:44
- バイカル号
- 私も1977年に、バイカル号ででナホトカへ渡り、ハバロフスクから飛行機でモスクワに行きました。その後ヨーロッパへ行きました。五木寛之の「青年は荒野を目指す」で流行ったコースでした。
更に7年も前のイルクーツクの旅日記は貴重ですね。
- 唐辛子婆さん からの返信 2021/01/23 22:19:15
- Re: バイカル号
- ほいみさん
流行っていましたもんねえ!そのルートでヨーロッパ放浪するの。
その当時のこともおいおいアップしてくださいね♪
唐辛子婆が4トラ始めた頃に
kioさんという方が同じやうなルートの旅を載せていらっしゃいましたが
いつのまにか消息不明に・・・。
お元気でいらっしゃるといいんですけど。
2016年には恐れ多くももったいなくも旅の大家と同じく
唐辛子婆もミャンマーに行きましたぢゃ^^。
唐辛子婆
- ほいみさん からの返信 2021/01/24 17:26:25
- RE: Re: バイカル号
- ミャンマー日記、ちょっとだけ拝見しましたが、私が2016年1月21日からでしたから、どこかですれ違っていたかも。この1年前にはラオスも「なんちゃってバックパッカー旅」をしましたが、それ以来はなかなか一人旅が許されない環境になってます。
バイカル号、一人旅の日本若者が5-6人いましたが、みんなどうしてるんでしょうね。みんな年金受給者!
ほいみ
- 唐辛子婆さん からの返信 2021/01/24 20:53:50
- RE: RE: Re: バイカル号
- ほいみさん
ミャンマー旅見てくださってありがとうございます。
ほんとにどっかですれ違ってたかも。
ほいみさんがラオスにいらした年はロシアに行ってました。
> バイカル号、一人旅の日本若者が5-6人いましたが、みんなどうしてるんでしょうね。みんな年金受給者!
そうですね^^。
正気のうちに生きてるうちにはやくまた外に飛び出したいですね。
唐辛子婆
-
- picotabiさん 2020/02/29 08:06:24
- ロシア民謡
- 唐辛子お婆さん こんにちは。
ロシア民謡。一週間!そうかあれもそうだったのですね。
もーえろよもえろーよ 炎よもーえーろー
小学生のころに学校で渡されたポケットサイズの歌本にたくさんのロシア民謡。あれを見ながら歌うのが好きでした。無くしてしまったのが悔しい。今すぐ見ながら歌いたい。
他国の人との歌合戦。とっても楽しそうです。歌ってすごいなぁ
- 唐辛子婆さん からの返信 2020/02/29 22:36:16
- Re: ロシア民謡
- picotabiさん
こんばんは。投票ありがとうございます。
そうです、歌ってすごいです。
それにしても不思議ですね。
私たちは日本語に訳されたロシア民謡をとてもたくさん知っているのに
アメリカ民謡を同じぐらいの数知ってるかしら?
それともそれがアメリカ民謡と知らずに歌ってるんでしょうか?
なんだかイギリス民謡とアメリカ民謡をあわせても
ロシアにかなわないやうな・・・。
いますぐ見ながら歌いたい。
←ネットで探せばみつかるかも♪
唐辛子婆
-
- houjun2さん 2010/09/09 00:22:14
- ★ss氏にはない・・・
★唐辛子婆さん
はじめまして houjun2 = houjun と申します。
あちらこちらでニアミスですよね♪
元々、私は houjun の名前で出ておりました。
ある日どこをどうしたのか、管理画面が出なくなり、記録は残っているものの書き込みが出来なくなりました。
その後、スタッフに問い合わせを繰り返しましたが埒あかず、止む無く houjun2 で出直すことにしました。
別人になってからも旧名に戻そうと「densonshugen氏や権天使さん」のお力をお借りしたのですが復帰叶わず、現在に至っております。
【ロシアがソビエトだったころ バイカル湖をみたくて】から
さて、この画像ですが
ss大兄の旅行記には出てこない服装でのスナップですねぇ。
このお嬢さんのノースリーブといい、姿勢(足の運び)といい、
この軽やかな姿は私が思っている1970年のソ連のイメージとは程遠いものを感じます。
「ともしび」とか
「ポーレシュケポーレ」とか
「ちいさいぐみの木」とか
「バイカル湖のほとり」とか
「赤いサラファン」とか
「ステンカラージン」とか
「一週間」とか
「山のロザリア」とか
「もえろペチカ」とか
「トロイカ」とか
「カリンカ」とか
「黒い瞳」とか
名前を忘れちゃいましたけど「泉に水くみにきて」ではじまる歌もありました
↑【泉のほとり】でしょうか
これらの多くは聞きなれた・歌いなれた曲ですねぇ
(大阪の歌声喫茶で覚えました。)
それにしても
よく残されていましたね。貴重な写真です。
【インドネシア はじめて住んだ国】から
モスレムだから当然ラマダン(断食月)があるんですけど、そんなの無視無視。
チュチがやってると
「断食なんざ金持ちがやるこった。
わしらみたいな労働者がやるこたあない。
自分が怠けたいからやるんだろ。」
どことも一緒ですね
私の第2の故郷でも、敬虔なモスレムからいい加減なモスレムまで様々。
実家は貧しい水上村の住民なれど、ラマダン月には一切飲食はしません。
知人のネイティブ君も同じく敬虔な方ですが、彼の結婚式に参加してくれた者の中には派手に飲酒でグテングテンのツワモノ?もいました。
友人主催の3次会ではそれは・それは賑やかなことでした。
h2
- 唐辛子婆さん からの返信 2010/09/09 22:25:22
- RE: ★ss氏にはない・・・
- houjun2さん、ようこそいらっしゃいまし〜♪
古いふる〜い旅行記を読んでいただいてありがとうございます。
> あちらこちらでニアミスですよね♪
そうですね。物忘れがひどい上に理解力も乏しいのでいまだにデンさんとかいうお方とhoujun2さんがなんだかごっちゃになっておりまして、すみません。
> ある日どこをどうしたのか、管理画面が出なくなり、記録は残っているものの書き込みが出来なくなりました。
あらま、そういうことがあるんですね。
私は時々、ハテこのキーは何ぢゃったかいのー、なんていうことになったり、支離滅裂な文章の投稿が続いた場合は4トラの方々はどのやうな対応をなさるのかなあと思っております。
なにせ、スタッフはお若い方々ばかりでそんなこと想像だにできないのではないでせうか。
現にすでにお亡くなりになった方もいらっしゃいますし。
> さて、この画像ですが
> ss大兄の旅行記には出てこない服装でのスナップですねぇ。
> このお嬢さんのノースリーブといい、姿勢(足の運び)といい、
> この軽やかな姿は私が思っている1970年のソ連のイメージとは程遠いものを感じます。
年配の方々はほっかむりというかスカーフをかぶって地味〜〜な、どよ〜〜んとしたイデタチでしたがが若い方々は意外とおしゃれでしたよ。
> 名前を忘れちゃいましたけど「泉に水くみにきて」ではじまる歌もありました
> ↑【泉のほとり】でしょうか
あ、そうかも。
> これらの多くは聞きなれた・歌いなれた曲ですねぇ
> (大阪の歌声喫茶で覚えました。)
あらあらhoujun2さんもそんなお年ですか?
> 私の第2の故郷でも、敬虔なモスレムからいい加減なモスレムまで様々。
> 実家は貧しい水上村の住民なれど、ラマダン月には一切飲食はしません。
マレーシアにいらしたのですね。
これからそちらにお邪魔してゆっくり拝見させていただきます。
またどうぞお遊びにいらしてくださいまし。
とうがらしばば
-
- josanさん 2009/06/22 11:43:51
- 初めましてJOSANです。
- 初めまして唐辛子婆さん、JOSANですKIOさんのブログを見てお邪魔しました。
そしてJOSANのブログへの訪問有難う御座います。
私のブログはタイの田舎の事ばかりなので話題が少なく、日本にいる家族へのフォトレターの様な内容ですので、スミマセン。
私はタイに移住して11年に成ります、でもまだまだ判らない事だらけです、此れからも、田舎の事書きますので、宜しければ御付き合い下さい。
唐辛子婆さん此れから少しずつ、楽しみながらブログ拝見させて頂きます。
ウドンよりJOSAN。
- 唐辛子婆さん からの返信 2009/06/22 22:20:06
- RE: 初めましてJOSANです。
- JOSANさん、こんばんは
はじめまして、ようこそいらっしゃいました。
書き込みと投票ありがとうございました。
> 私はタイに移住して11年に成ります
お米を作っていらっしゃるんですね。
私たちも30年前に7年ほどバンコクに住んでおりまして香り米
カオホ〜ムがだ〜いすきでした。
カオニョのほうがもっと好きでしたけど(*^_^*)
ウドンでは和食の材料は入手できますか?
いつかまたタイでロングステイができることを夢見ています。
また遊びにいらしてくださいね。
-
- 前日光さん 2009/05/21 20:49:20
- で、ご訪問で〜〜す!
- こんばんは!
本日は、コクリコさんと鳩山邸、楽しまれましたか?
ひょんなことから、旅行記にお邪魔いたしました。
た〜くさんの旅行記で、どれにしようと思いましたが、一番最初のが基本よねと思って、こちらに来てみました。
なんと、1970年に、バイカル湖とは!
驚きです。
私もその頃、ソヴェト版映画「戦争と平和」にハマっておりました。
こればかりは、ヘップバーンのアメリカ版は、問題になりません。
ロシアの魂が宿っているような「戦争と平和」、高校時代に友人と一日中映画館にいました。(だって、前編だけで、4時間くらいあったんですよ。)
現代文の教科書に(高3の)「戦争と平和」が載ってたんです!
もう、うれしくてうれしくて。。。
アンドレイ役の俳優さんの憂愁と苦悩に満ちた表情の虜になりました。
コクリコさんの書き込みにあった、水野英子の「白いトロイカ」、私、復刻版持ってますわよ。
ああ、懐かしい話題ばかりでうれしくなって、思わずいつもの饒舌が。。。
今日はこれくらいにいたしますね。
もちろん1票!
前日光
- 唐辛子婆さん からの返信 2009/05/22 01:36:46
- RE: で、ご訪問で〜〜す!
- 前日光さん、こんばんは、
いらっしゃいませ、はじめまして!
コクリコさんの掲示板では詳しいご説明ありがとうございました。
> なんと、1970年に、バイカル湖とは!
すみません、ただの物見遊山でして「戦争と平和」も読んでなくて・・・。
無教養なワタクシメをお笑いくださいまし。
布団かぶって寝よ。
> もちろん1票!
ありがとうございました!
これに懲りずにパキスタンの「けばトラ」サイトマップでも見てやっておくんなさいまし。
〜唐辛子婆〜
- コクリコさん からの返信 2009/05/22 16:58:12
- RE: で、ご訪問で〜〜す!
- 前日光さん、唐辛子婆さん、
今日は私がこちらに乱入。
前日光さん、昨日はご存知のように唐辛子婆さん、かにちゃんたちを鳩山邸にご案内したのですが、その後、北区の旧古河庭園もご案内したのです。
そして文学ミーハーに続けとばかりに内田康夫の浅見光彦シリーズでお馴染みの平塚神社と平塚亭にも行きました(^^)
「ここが光彦さんの母上がお気に入りのおだんご売ってる平塚亭」ってね。
同じ「文学ミーハー」でも内田康夫だと大衆娯楽小説でしたね(汗っ^^;)
ソヴィエト版「戦争と平和」をご覧になったって凄い・・・
私はソヴィエト版(だと思うけど)はもっと短時間の「アンナ・カレーニナ」を観ただけです。
私も布団被って寝よっと。
> コクリコさんの書き込みにあった、水野英子の「白いトロイカ」、私、復刻版持ってますわよ。
わーい「白いトロイカ」、前日光さんも持っていますか!
掲示板にも書いたと思いますが神田の古本屋でものすごく高かったのでびっくりしました!
私のは屋根裏部屋に置いてありますが大事にしなくちゃ。
唐辛子婆さん、そういえば旧古河庭園もどの事件の時か忘れたけれど浅見光彦シリーズに出てきますよ。
- 唐辛子婆さん からの返信 2009/05/25 00:10:51
- RE: で、ご訪問で〜〜す!
- 前日光さん、コクリコさん
>そして文学ミーハーに続けとばかりに内田康夫の浅見光彦シリーズでお馴染>みの平塚神社と平塚亭にも行きました(^^)
>「ここが光彦さんの母上がお気に入りのおだんご売ってる平塚亭」ってね。
浅見光彦も知らなかった唐辛子婆。
お友達が2冊貸してくれたので読んでみますね。
>わーい「白いトロイカ」・・・
>私のは屋根裏部屋に置いてありますが大事にしなくちゃ。
コクリコさん、今度あう機会に貸してくださ〜い。
前日光さん
萩尾望都のポー一族とかは読みましたよん。
パタリロとか
「危脳丸&えげつなさま」のでてくるやつも。
ってマンガばっかりやん。
やっぱ布団かぶって寝よ。
〜唐辛子婆〜
- コクリコさん からの返信 2009/05/25 11:38:10
- RE: RE: で、ご訪問で〜〜す!
> 浅見光彦も知らなかった唐辛子婆。
> お友達が2冊貸してくれたので読んでみますね。
浅見光彦を知らなくったって全然教養とは関係ないんだから(^^;)
唐辛子婆さんの東南アジアや西南アジアへの知識や思いの方がずっと素晴らしいです。
光彦さんが、母上のご機嫌取る時に平塚亭のおだんご買ってくるのよ。
> >わーい「白いトロイカ」・・・
> コクリコさん、今度あう機会に貸してくださ〜い。
それが、、、私の勘違いだったか。
同じ水野英子の『こんにちはハロー・ドク』があるみたい。
これは、西部劇のをもじったロマンチック・コメディー。
ドク・ホリデー、カラミティ・ジェーン、アニー(アニーよ銃をとれ)など出てくる人の名がみんな西部劇の有名人。。。これも古いわ(^^;)
前日光さん、ご存知かしら?
- 前日光さん からの返信 2009/05/25 22:13:44
- RE: RE: で、ご訪問で〜〜す!
- 唐辛子婆さん、コクリコさん
こんばんは〜
すみません!しばし忙しくて、カキコミができませんでした。
> 浅見光彦も知らなかった唐辛子婆。
> お友達が2冊貸してくれたので読んでみますね。
浅見光彦は、というより内田康夫は、未だ文学史的に認められてないのでしょうかね?赤川次郎は、文学史に載ってるのに。
いったいこの二者のどこが違うというんじゃ〜!
浅見シリーズは、同僚で熱烈ファンがいまして、百冊ほどのシリーズを
ババ〜ンッ!と持って来られて強制的に読まされたというか、読んでる
うちに結構おもしろいものもあり、とにかく頭の中が光彦漬けになった
日々がありました。
その中で、まぁまぁというのは、三冊くらいだったかな?
地元の「日光殺人事件」なんて最悪でしたねぇ。
殺人の動機がくだらないんですよね。そこが清張とは違うんですよ。
「砂の器」なんか読んだ後では、やはり内田ものは、つまらないですね。
でも、沢村一樹さんや、榎孝明さん、辰巳琢郎さんなどが演じる永遠の
三十三歳浅見光彦の造形は、内田氏の功績だと思います。
すんまへん!ながながと。。。
漫画も内田ものも、おもしろいですよ。
70年代の少女漫画でしたら、私も未だにマニアックなものを所蔵しておりますよ。
それについては、次のコクリコさんに。
> やっぱ布団かぶって寝よ。
布団かぶって寝ないで、読んでおくんなはいまし(木久蔵風に)。
前日光
- 前日光さん からの返信 2009/05/25 22:31:10
- RE: RE: RE: で、ご訪問で〜〜す!
- コクリコさん唐辛子婆さん、こんばんは〜
もう、誰にあてて書いてるやら分からなくなってきましたです。
> 浅見光彦を知らなくったって全然教養とは関係ないんだから(^^;)
> 唐辛子婆さんの東南アジアや西南アジアへの知識や思いの方がずっと素晴らしいです。
ホント、ホント!同感で〜す!
少しばかり、ミーハー根性があるに過ぎませんよ。(あ、コクリコさんは
違いますよ)
> 光彦さんが、母上のご機嫌取る時に平塚亭のおだんご買ってくるのよ。
平塚神社と平塚亭、私も機会があったら行ってみたいです。
23日の土曜日が出勤だったので、本日振り替え休日でした。
しかし、午前中いっぱい、持ち帰り仕事に掛かり切りで、その後家の掃除、
髪を染めないと○○が隠せないので、仕方なく四時過ぎに美容院に行き、
その後晩ご飯用のお買い物をして帰ったら、一日が終わってしまいました。
実は本日、誰にも邪魔されずに上京し、コクリコさんや、唐辛子婆さんと
会えたらいいなぁと密かに企んでいたんです。でも、日曜日の時点で、
全く仕事が終わらないので、今回は諦めました。
夏休みに通信教育のスクーリングがありますので、その時にでも、どこかで
食事などできるといいですね。
> 同じ水野英子の『こんにちはハロー・ドク』があるみたい。
> これは、西部劇のをもじったロマンチック・コメディー。
> ドク・ホリデー、カラミティ・ジェーン、アニー(アニーよ銃をとれ)など出てくる人の名がみんな西部劇の有名人。。。これも古いわ(^^;)
> 前日光さん、ご存知かしら?
コクリコさん、それはさすがに私も知りません(T_T)
残念!
水野英子と言えば「星の竪琴」が、もっとも古い記憶です。
ギリシア神話風で、ステキだったなぁ〜
リンダとユリウス。
それから、マーガレット連載の「セシリア」というロマンティックな作品があったのですが、これは持っていません。
でも、とても印象深いものでした。
と、まぁ、止めどなくなりますね。
今日はこの辺で〜(^_^)/~
前日光
- 唐辛子婆さん からの返信 2009/05/26 00:29:12
- RE: で、ご訪問で〜〜す!
- 前日光さん、コクリコさん、こんばんは〜
>もう、誰にあてて書いてるやら分からなくなってきましたです。
私も〜(*^_^*)
> 浅見光彦を知らなくったって全然教養とは関係ないんだから(^^;)
> 唐辛子婆さんの東南アジアや西南アジアへの知識や思いの方がずっと素晴らしいです。
>ホント、ホント!同感で〜す!
>少しばかり、ミーハー根性があるに過ぎませんよ。(あ、コクリコさんは
>違いますよ)
ありがたいお言葉ぁ(嬉涙)
それにしても前日光さんは勤勉な方ですねー!
お仕事に主婦業に通信教育!!\(◎o◎)/
>夏休みに通信教育のスクーリングがありますので
>その時にでも、どこかで食事などできるといいですね。
わ〜いヽ(^o^)丿
コクリコさん、私なぜかハロードクはおぼろげながら覚えているような。
どこでどう読んだのか見たのかは記憶がないんだけど。
もしかしたらテレビの西部劇でかも。
西部劇って馬糞の匂いがするから嫌いなんだけど夫が時々見てるので。
〜唐辛子婆〜
-
- コクリコさん 2008/08/05 00:04:23
- 私の心をとりこにした〜♪
- 唐辛子婆さん、こんばんは。
waterlilyさんの書き込みを見て思わず続きを歌ってしまいました。
うわー、1970年とは、まだ私には海外が遠かった頃ですよ。
その時、既に唐辛子婆さんはソ連に旅行してたのですね。
写真の古さが懐かしいです。
今でもシベリア鉄道使っている人いますよ〜。
私の若い友達は1980年代にフランスに留学した時、行きも帰りもシベリア鉄道使いましたよ。
さらに息子の友達は大学2年の時(3,4年前)、シベリア鉄道でヨーロッパ入りした時、なぜか本人もわけがわからないまま3日間留置所に入れられたんだと。
その後、罪がないことがわかり釈放され、飛行機でフランス入りしてイタリア、クロアチア、チェコなど旅行してた息子とめでたくハンガリーで会えたって。
ロシアはまだ怪しそうですね。イギリスで暗殺された人もいるしね。
私の子供の頃、近所に亡命してきた白系ロシア人がたくさん住んでいました。通称「ロシア人屋敷」が近所にあったのよ。
今でもあるけど、昔蔦がからまって風情があったのに、蔦を払った今はみすぼらしいです。
小学校にも何人かいましたが、あの頃、少女雑誌のモデルだった双子の子も近所にいて。もしかしたら当時のハーフのモデルの子ってロシア系が多かったのかもよ。
アメリカ人よりロシア人の方が親しみがあったような気がします。
これから行くとしたらアメリカよりロシアかな。
唐辛子婆さんの旅行記を見ていたら、懐かしくてつい昔話をしてしまいました。
- waterlilyさん からの返信 2008/08/05 12:00:53
- もろてをさぁしぃのべ、若者を〜♪
- あ〜、コクリコさんに誘われて私もまた歌ってしまいました〜(^_^;)
この歌詞の最後って当時の子供にはちょっとドキドキする歌詞で、家では途中で歌うのをいつもやめていた記憶が……
唐辛子婆さまの、当時は膨大な数の方が抑留から戻られたためというお話、
とても納得できました。それで、ロシア文化が多く紹介されていたのですね。ボリショイサーカスなどもTVでよく見たような記憶があります。
って、横からお邪魔して失礼しますm(__)m
コクリコさんのお子様のお友達、わけも解らず3日間留置所に入れられたってすごい出来事ですね。それもソ連時代でなく、つい3-4年前に!
何ということ!びっくりです。ドキュメンタリーとして発表して欲しいようなお話ですね。
イギリスで暗殺された人は確かロシアの元スパイだった人ですよね。映画のようなことが今も実際に起こっているなんて、う〜ん、何とも背景の暗闇が恐いですね。
些細なことですが、今回、殆どの博物館や美術館などで、写真撮影代が入場料とは別にまた500円ぐらい必要になるし、入場料もロシア国民と観光客とでは大きく値段が違うということで、やはりロシアはロシアなんだな〜と思ったことでした。
横からお邪魔して失礼いたしました。
- コクリコさん からの返信 2008/08/05 17:21:42
- RE: 私の秘め事、父さまにぃ〜♪
- 告げ口する人誰もいなーい♪
waterlilyさん、
そうですねぇ、私も少女の頃「もろ手をさしのべ若者を〜♪」の次のフレーズを歌う時、ドキドキしました(^^)
唐辛子婆さんがアルバイトでお留守の間におしゃべりしちゃいましょう!
waterlilyさんも唐辛子婆さんもロシア、ソ連に旅行されて体験も知識も豊富で素晴らしいですね。
お二人の旅行記、それぞれ年代も訪れた場所も違い面白いです。
それにしても、昔はロシアは身近でしたね。
私たちより上の年代では「歌声喫茶」が流行っていたのですよね。
ロシア民謡もダークダックスのレコードでよく聴きました(ダークダックスも古い^^;)
そうそう、水野英子の漫画で「白いトロイカ」ってあったのご存知ですか?
私はあれが大好きで、コサックの若者や貴族の青年とロザリンダとの恋、ロシア革命、、、ハラハラ、ドキドキしながら読んだものです。
フランス革命を題材にした「ベルバラ」は後でしたよね。
ボリショイサーカスは後楽園でよく観ました。
ロシアの映画もバレエも小説も童話も歌も、今より身近でしたね。
と、昔話をしているととりとめがなくなります(^^;)
> 何ということ!びっくりです。ドキュメンタリーとして発表して欲しいようなお話ですね。
そう、それもカップルでよ(単なるお友達らしいけど^^;)
日本に帰れないかもしれないと思ったそうです。
> 些細なことですが、今回、殆どの博物館や美術館などで、写真撮影代が入場料とは別にまた500円ぐらい必要になるし、入場料もロシア国民と観光客とでは大きく値段が違うということで、やはりロシアはロシアなんだな〜と思ったことでした。
ソ連時代はどうだったんでしょうね。写真撮影代や観光客特別料金取られたのかしら?
waterlilyさんの掲示板に書くべきかもしれないけれど、ゴルバチョフの
マトリョーシカのお土産だったら嬉しいかも(物好きと言われそう)
- waterlilyさん からの返信 2008/08/05 23:07:35
- 白いトロイカ
- やはり、コクリコさんもドキドキしましたか〜。
純情な子供には刺激的な歌詞でしたよね(^^)
ダークダックス、懐かしい〜。ダークダックスの内の一人の方のお宅が我が家の近くにあります(^_^;)
ボニージャックスというグループもありましたよね。
あ〜どうして私はこんな昔のことを知っているの〜(汗)
「白いトロイカ」という漫画はよく覚えていないのですが、水野英子作とあれば、おそらく忘れているだけで読んだことと思います。水野英子さんって当時の少女漫画界で一大スターでしたものね〜。それぞれの題は覚えていないのに、お名前だけは覚えていて、コクリコさんが今その名を出してくださって、すっかり忘れていた思い出が蘇りました。ロシア革命がテーマになっていたのですか。何だか読みたくなってしまいました。
カップルでロシアというお友達もまた別の意味ですごいですね。
ゴルバチョフのマトリョーシカ、今は売られていないけれど、途中で中から出て来ますよ〜(^^)
- 唐辛子婆さん からの返信 2008/08/09 01:35:51
- RE: 私の心をとりこにした〜♪
- コクリコさん、waterlilyさん、こんばんは♪
ご返事が超ちょー遅くなってごめんなさいm(ー−;)m
ちょっと目を離したスキにロシア民謡で盛り上がっててビックリです。
そんな秘め事知らなかったわん、私もドキドキしたかった(*^.^*)
ダークダックスもなつかし〜〜い。
ロシア民謡が流行ったのは彼らのせいかな?
でも教科書にも載ってましたよね、ステンカラージンとか。
> さらに息子の友達は大学2年の時(3,4年前)、シベリア鉄道でヨーロッパ入りした時、なぜか本人もわけがわからないまま3日間留置所に入れられたんだと。
こわ〜〜〜。
リタイヤしたらヨーロッパに行くのにのんびりとシベリア鉄道使ってみやうかとも思ってたのがそんなぢゃ、こわいよー。
>近所に亡命してきた白系ロシア人がたくさん住んでいました。。
>少女雑誌のモデルだった双子の子も近所にいて。
ひょ〜、意外とロシアにご縁があったんですねー。
>もしかしたら当時のハーフのモデルの子ってロシア系が多かったのかもよ。
そうそう、小沢征璽の奥さんもそうでしたね。
> アメリカ人よりロシア人の方が親しみがあったような気がします。
> これから行くとしたらアメリカよりロシアかな。
waterlilyさんのロシア旅行から夢がひろがりましたね。
-
- waterlilyさん 2008/07/26 17:07:35
- 黒い瞳の若者が〜♪
- 唐辛子婆さま、こんにちは〜!
もうびっくりです〜!!
初海外旅行はロシアだったんですね。
カラチの旅行記に目を奪われていて、今までこのロシア旅行記を見落としていました。
さすが唐辛子婆さま、40年近くも前に船でソ連ってすごいです!!
セピア色の旅行記良いですね〜。まさにイメージするソ連そのものです。
2段ベッドに柵が無いって、それは寝返りを打ったら大変ですね。ロシアのすごく太った中年の方はどうされるのでしょう。シーツを袋状にして眠られたというのは良いアイデアですね!
ロシア民謡、昔はよく教わりましたよね〜。TVなどでもよく流れていたような……
あの頃は何故あんなにとよく思います。
雪〜の白樺な〜みき〜♪とか、雪の降る夜は楽しいペチカ〜♪とか、もう体に染みついていて、ロシアに何故か郷愁を感じるのはそのせいなのかと思ったりします。
クワス、唐辛子婆さまも飲まれたのですか。昔からある飲料水なんですね。
そして当時はソ連でもミニスカートが流行っていたのですね。これは何だか意外でした。
バスに戻る唐辛子婆さまたちに手を振る子供たち、良い光景ですね〜。年のせいか、こういう写真を見ると何だか涙腺が緩んでしまいます。
ロシアの市場の光景も、まさにこれぞロシア!という感じ。お値段が高いのですか。それは今も昔も変わらないのですね。
それにしても、ロシア旅行記では唐辛子婆さまのこの旅行記が一番昔のものではないでしょうか。貴重なお写真の数々、とても楽しませて頂きました。ありがとうございます。
- 唐辛子婆さん からの返信 2008/07/31 11:28:39
- RE: 黒い瞳の若者が〜♪
- waterlilyさん、おはようございます。
すっかりご返事が遅くなってすみませんm(ー−;)m
投票もありがとうございました。
> 初海外旅行はロシアだったんですね。
> さすが唐辛子婆さま、40年近くも前に船でソ連ってすごいです!!
まだシベリア抑留の墓参団がおまいりする時代でした。
当時はヨーロッパ留学&バックパッカーがよく利用してましたよ。
海外ツアーで日本のおっちゃんたちが傍若無人ぶりを発揮してた時代なので
ツアーに乗りたくはなかったのですが
ソビエト旅行はその形態しかありませんでした。
ガイドの監視下に置かれていたのですね。
でも幸い、14名程度のこじんまりしたグループで
多くがドクター・ナース・新聞記者・教師といった人たちだったので
お行儀はよかったです(*^.^*)
お友達と二人で参加した私たちが一番若かった(多分)と思います。
> ロシア民謡、昔はよく教わりましたよね〜。
> あの頃は何故あんなにとよく思います。
そういへばそうですね。
膨大な数の方が抑留から戻られたと言うことでしょうか?
> そして当時はソ連でもミニスカートが流行っていたのですね。
これは何だか意外でした。
そう。
日本に入ってきてた情報は当局の圧制に苦しむ、言いたいことも
言えない気の毒なシベリア市民、でしたので。
極東鉄道のレストランのテーブルクロスが真っ白な布製だったのも
意外でした。
-
- ありママさん 2008/06/26 14:11:33
- はじめまして
- 唐辛子婆さん
こんにちは。
aricと申します。
♪泉に水くみにきて〜♪思わず口ずさみました。でもその先がどうしても思い出せません。
メロディーは分かるのに。
途中♪う〜つ〜くっしい娘っさん 髭づらをみるな〜♪とかありましたよね。
さて、私が住む北九州から、夏の間だけ、ウラジオストクへの直行便が就航しています。
バイカル湖やモスクワに行くツアーもあるようです。
行くことも無いだろうなあ、と思っていましたが、興味を持ちました。
それでは、また訪問させて頂きます。
- 唐辛子婆さん からの返信 2008/06/26 14:31:19
- RE: はじめまして
- aricさん、こんにちは
こちらこそ初めまして、さっそくカキコいただいて恐縮でっす。
> ♪泉に水くみにきて〜
の続きです(自信はありませんが)
娘らが話していた〜
若者がここにきたら〜
冷たい水あげましょう。
(これの前が思い出せません)
髭づらの兵士がやってきて〜
冷たい水を飲みたいと娘たちにたあのんだ〜。
う・つ・くっしい娘さん、髭づらを見るな〜
兵士にゃ髭も悪いものじゃない
私は陽気な若者お〜〜。
> さて、私が住む北九州から、夏の間だけ、ウラジオストクへの
直行便が就航しています。
> バイカル湖やモスクワに行くツアーもあるようです。
> 行くことも無いだろうなあ、と思っていましたが、興味を持ちました。
ぜひぜひいらしてください♪(と、無責任にけしかける唐辛子婆)
当時は共産国家でハバロフスクのホテルに冷房がなくて
蒸し風呂状態でしたが、今はそんなこともないと思います(笑)
ところで、私のボランティア仲間の友人が
ご主人の転勤で博多に引っ越してそのまま居ついてしまって
こちらの家を売り払ってしまいました。
北九州ってそんなにいいとこなんでせうか?
- ありママさん からの返信 2008/06/27 17:52:35
- RE: RE: はじめまして
- こんにちは。
歌詞を教えていただき歌ってみました。そしたら、それだけじゃ満足いかず、しゃっちが、楽譜が欲しくなり、今日(27日)小倉のヤマハに買いに行ってきました。
世界の名唱歌集とやらに収録されていましたが、2400円もするので、もっとお安いのを探してもらったら、ありました。
しかも音符が大きくて見やすく、女声二部合唱用アレンジでしたので、即、購入しました。
因みに、私、柄にもなく女声コーラスの先生なんかを生意気にやっているものですから、これは使えると思いまして。
いつか、課題にしようと思います。
ありがとうございました。
> ところで、私のボランティア仲間の友人が
> ご主人の転勤で博多に引っ越してそのまま居ついてしまって
> こちらの家を売り払ってしまいました。
> 北九州ってそんなにいいとこなんでせうか?
はあ〜い!!よくぞお尋ねくださいました。
いいとこくさ!!(いいとこにきまってるでしょってニュアンスです)
でも、博多と北九州は違うところなのですよ。
北九州はれっきとした、政令指定都市で”福岡県北九州市”です。
例えば、北関東などと同様、九州北部と勘違いされていらっしゃる方がたっくさんいらっしゃって、認知度が低いのが、市民としては寂しいところです。(ーー;)
博多に関しては、転勤族の方たちは、口をそろえて、戻りたくない、ずっと博多にいたい・・・とおっしゃると、よく聞きます。
また、博多大好き芸能人も、沢山います。
まず、海の幸、山の幸が安くて新鮮。賃貸・分譲にかかわらず、不動産物件が安い。
空港から都心までが近い。
なので、東京に本社があっても、福岡に家を買って、東京まで通勤している社長さんもいるらしいです。
私も博多は大好きです。
今日、久しぶりに北九州市小倉北区の繁華街に行って、北九州の魅力を伝えるべく写真をいっぱい撮って来ましたので、近々旅行記を作成します。
また、遊びにいらしてくださいね。
*ここまで、読み返して気づきました。”しゃっちが”は北九州弁でしたね。
”どうしても”、とか、”何がなんでも”・・の意味です。
それではまた。
aric
- 唐辛子婆さん からの返信 2008/06/29 14:11:55
- ちゃっちが、あ、ちがった、しゃっちが
- aricさん、こんにちは
>しゃっちが、楽譜が欲しくなり、
最後まで読んで意味がわかりました^^
>女声コーラスの先生なんかを生意気にやっている
わ〜、ステキ!
ちなみに、「髭づらの兵士がやってきたー」の前は「緑の牧場に」だったと思いますが、正解でしょうか?
>はあ〜い!!よくぞお尋ねくださいました。
>いいとこくさ!!(いいとこにきまってるでしょってニュアンスです)
「くさ」が「に決まってるでしょ!」ですね(*^.^*)
>でも、博多と北九州は違うところなのですよ。
ぎょ!
今、日本地図をみたとこです。
大変失礼いたしました。ほんに、違っておりました。
北九州は限りなく山口に近いんですね。
小倉から博多までは電車でどのくらいでしょうか?
>海の幸、山の幸が安くて新鮮。賃貸・分譲にかかわらず、不動産物件が安>い。空港から都心までが近い。
いいところなんですねー!
>今日、久しぶりに北九州市小倉北区の繁華街に行って、北九州の魅力を伝え>るべく写真をいっぱい撮って来ましたので、近々旅行記を作成します。
楽しみにしてま〜〜す。
- ありママさん からの返信 2008/07/03 14:17:55
- RE: ちゃっちが、あ、ちがった、しゃっちが
- こんにちは
北九州弁なんて、初めてでしょう?
厚かましい私は、自分の話し言葉が共通語だと思っていまして、時々「何?」って聞かれます。
はわく=掃く、なおす=片付ける・収納する、コショー=唐辛子etc
ずっと、標準語だと思っていました(ばかばい)
ちなみに、ペッパーは、洋ゴショーです。
> ちなみに、「髭づらの兵士がやってきたー」の前は「緑の牧場に」だったと思いますが、正解でしょうか?
ピンポ〜ン!すごい!!よく覚えていらっしゃいますね。その通りです。
> 「くさ」が「に決まってるでしょ!」ですね(*^.^*)
他に、「〜ね、〜さあ 」の意味でも使われます。主に博多方面で。
「それがくさ、泉に水汲みにきて〜っち歌いよったら、しゃっちが楽譜が欲しくなってからくさ、すぐ、買いに行ったくさ。」
もう、おわかりですよね?
> 大変失礼いたしました。ほんに、違っておりました。
いえいえ、慣れています。
S55年5月〜S57年1月まで、東京・町田市にいました。
出身地を尋ねられる度に、「北九州の何市?」て聞かれること100%でした。
> 小倉から博多までは電車でどのくらいでしょうか?
新幹線で十数分、特急で50分弱、快速だと70分くらいです。
ただ、鉄道は、JRがほぼ独占、バスは西鉄がほぼ独占なので、運賃は高いです。
博多はもっと魅力的な街です。
博多弁は、柔らかいです。北九州弁は、喧嘩しているみたいとか、怒っているみたいと言われます。
博多に移り住まれたご友人は、とても良い選択をなさったと思います。
唐辛子婆さん(婆は、はずしましょうよ)も、是非一度いらっしゃいませ。
それでは、ごきげんよう。
aric
- 唐辛子婆さん からの返信 2008/07/05 01:16:07
- RE: RE: ちゃっちが、あ、ちがった、しゃっちが
- aricさん、こんばんは
> 北九州弁なんて、初めてでしょう?
いえいえ、ボランティアグループの一人が博多出身なので
なおす、とか、うれしかー、とかは知ってました(*^.^*)
> 「それがくさ、泉に水汲みにきて〜っち歌いよったら、しゃっちが楽譜が欲しくなってからくさ、すぐ、買いに行ったくさ。」
たのしかー♪
> 唐辛子婆さん(婆は、はずしましょうよ)
いろいろないきさつがあって「とうがらしばば」という名前にしました。
ので、どうぞそのままで(^0^)
来年は還暦ですし、電車でも席を譲られたことありますしね
ラッキー!うれしかー!
還暦になったらピアスするってトラベラーのきっちーさんと約束してるの。
でもちょびっとびびっています。
>是非一度いらっしゃいませ。
いつかきっと。
夫の先祖が鹿児島で、遠い親戚がまだ暮らしてるそうなので
いつかはきっと。その時はよろしくね♪
-
- パパスさん 2007/09/28 08:02:38
- 何処から切口をと、
- 探しました。
で、一番古い旅行記から突撃することにしました。
1970年のソ連とは凄いですね!
当時ソ連行きのツアーがあったのですか?
びっくりです。
パパスは73年にヨーロッパに行った時、モスクワの空港で給油の為途中立ち寄った事があります。
そして機関銃を持った兵隊さんが睨みを利かせてこちらを見ていたのを思い出しました。
空港ではルシアンティーを5円玉で払って飲んだ記憶も蘇ってきました。
貴重な旅行記ありがとうございます。
パパス。
>そしてオフ会でもけー様から何度もお聞きしておりました!
>げっ、あのこ何かへんなこというてませんでしたやろか(笑)
それはパパスの口からは言えましぇ〜ん!(爆)
- 唐辛子婆さん からの返信 2007/09/28 23:34:07
- シベリア
- >当時ソ連行きのツアーがあったのですか?
>びっくりです。
ご投票ありがとうございます。
当時はシベリヤ墓参団のツアーがほとんどだったんですけどね。
私達も(ついでに、というたら失礼ですけど)お墓に花をたむけてきました。
>空港ではルシアンティーを5円玉で払って飲んだ記憶も蘇ってきました。
えっ?5円玉で?
そのころからお茶目さんでいらしたんですね(*^.^*)
ルシアンティーってジャム入り紅茶のことだと思っていたんですけど
上流の人はジャムをなめなめ紅茶を飲むのだと最近何かで読みました。
本当かしらん?
>>そしてオフ会でもけー様から何度もお聞きしておりました!
>>げっ、あのこ何かへんなこというてませんでしたやろか(笑)
>それはパパスの口からは言えましぇ〜ん!(爆)
よし、本人をとっちめてみませう(爆)
〜唐辛子婆〜
-
- キートス・メルシーさん 2006/09/17 23:14:16
- 70年代のソ連
- こんにちわー。
セピア色の画像がなんともいい感じですね。
私は85年にモクスワとレニングラードに行ったんですが、その時は
一般市民の方々とっても親切に道とか教えてくれました。
70年だと外人と話してもいけなかったんですねー。
驚き。
そういえば、私が行ったときも生野菜はなかったですね。
でもたいして食べたいと思った記憶がない!!
みんながまずいというすっぱいパンを「ウメー」と食べていたからかも。
70年代のソ連の写真を見れたのに感動です!
私はスキャナ持っているのに、写真が押入れの奥底で出てきません。
- キートス・メルシーさん からの返信 2006/09/17 23:18:39
- RE: 70年代のソ連
- あーーー、途中で投稿してしまった。
35年前の旅行の記録をちゃんと覚えているのに感動しました。
いつ行ったのかさえわからない写真が我が家には多数。
と書く予定でした。
一票!!
- 唐辛子婆さん からの返信 2006/09/18 02:28:18
- RE: RE: 70年代のソ連
- キートス・メルシーさんこんばんは
>セピア色の画像がなんともいい感じですね。
投票してくださってありがとうございます。
>私は85年にモクスワとレニングラードに行ったんですが、その時は
>一般市民の方々とっても親切に道とか教えてくれました。
>70年だと外人と話してもいけなかったんですねー。
>驚き。
モスクワとレニングラードのお話ききたいです。
どうぞアップしてください。
kioさんという方みたいに
表紙だけ写真を載せる方法もありますよ。
>そういえば、私が行ったときも生野菜はなかったですね。
>でもたいして食べたいと思った記憶がない!!
>みんながまずいというすっぱいパンを「ウメー」
>と食べていたからかも。
すんごい!でも気が合いそう(笑)
どのくらい滞在されてたんですか?
>70年代のソ連の写真を見れたのに感動です!
>私はスキャナ持っているのに、写真が押入れの奥底で出てきません。
私はスキャナをかってもらったときに
写真はがしてぜ〜〜〜〜んぶ入力して
アルバムは捨ててしまいました。
20年後?には
「はて?このキーは何するものじゃったんかいのー?」
という境遇になるやも知れんことを
考慮に入れてなかった・・・。
〜唐辛子婆〜
-
- 義臣さん 2006/05/01 17:23:00
- 有難う
- お出でいただいて、書き込んでいただいて、有難う。
今日こちらを見せていただきましたら、沢山の旅行記、
それもあまりメジャーでない所ばかりで、
もうなんて書いて良いやら、
まず第一に「婆」の字は似合いませんね。
行動力。好奇心。素晴らしいでは有りませんか、
私はまでパスポートさえ持っていなくて。
楽しい時間がすごせました、これからも宜しく。
義臣
- 唐辛子婆さん からの返信 2006/05/03 22:28:52
- 名前の由来はのちほど
- 義臣さん、こんばんは。
>まず第一に「婆」の字は似合いませんね。
>行動力。好奇心。素晴らしいでは有りませんか、
おほめいただいてありがとうございます。
唐辛子婆という名前にしたのは
実はふか〜いワケ(笑)がありまして
いずれお話できる日も来るのではないかと思います。
〜唐辛子婆〜
-
- kioさん 2006/01/30 21:59:59
- 思い出した事(^-^;
- 高校時代に五木寛之の<青年は荒野をめざす>を読んで大いに感化され、
yokohamaからナホトカまでバイカル号で向かい、陸路・鉄道でハバロフスク経由で
モスクワへ〜 更にヘルシンキへ向かうというコース・・・・
当時ヘルシンキまで10万円強だったと思います。
これ 自分が高校時代に描いていた憧れの欧州へのコースでした。
当時 日ソ旅行社という旧ソビエトの旅行社の出先機関が東京にもあり、
当時15.6歳の私はここからパンフレットを取り寄せては
海外への思いを募らせていたもんです。
モスクワに棲む若き群像と退廃を描いた<さらばモスクワ愚連隊>が
反ソビエト小説と睨まれた五木さんはブレジネフ時代にはビザが出なかったという
話を彼の著作で読んだ記憶があります。
いや〜随分と変わってしまったもんですねえ 彼の国も・・・(^-^;
唐辛子婆さんのセピア色のソビエト旅行画像に見入りながら
色々な事を思い出してしまいました。
- 唐辛子婆さん からの返信 2006/01/31 00:40:10
- 理髪師
- kioさんへ
>唐辛子婆さんのセピア色のソビエト旅行画像に見入りながら
>色々な事を思い出してしまいました。
ソビエト旅行記読んでくださってありがとうございました。
kioさんは結局シベリア鉄道はつかわずに
ヨーロッパ入りなさったんですね?
私も突如思い出したことがあります。
ニカラグアで散歩してる時、ロシア人に出会ったのです。
私が日本人だとわかったら日本語をしゃべってきたので
「ええええっどうして日本語しゃべれるのー??」
「ウラジオストクで日本の商社と仕事してたから。新潟にもいた」
「ドーブルイウートロ(おはよう)シュト・エータ?(これなに?)」
「えええええっどうしてロシア語しゃべれるのー?」
「シベリアに行ったことあるもん。」
地球の反対側でねー。不思議なもんですね。
日本が寄贈した公園に連れて行ってくれましたよ。
私は存在すら知らなかったのですが。
帰宅して「見ず知らずの男と公園に行った(^^)」
と、夫を驚かしてやりました。
ところで今日は「パリの理髪師」を読ませていただき一票!
私がもうちょっと若かったらねー!
ハサミいっちょで世界がまわれたのにねー。
だって私、結婚以来ず〜〜っと夫の理髪師してんですよー。
最近はたまーにいく理髪店より上手(だと思う)。
これからでもいっちょやったろかしらん?
無免許で。
〜唐辛子婆〜
- kioさん からの返信 2006/01/31 20:38:26
- RE: 理髪師
- パリの理髪師修行 読んで頂き、更に投票まで頂戴し有り難うございます。
今じゃほとんど見かけなくなった存在だと思います。
でも、ふと思いかえすとタイシタモンダ〜と思わずにはいられませんよ
-
- さすらいおじさんさん 2006/01/29 15:08:39
- つい、懐かしくて拝見しました
- 唐辛子婆さん
ニカラグアを拝見していたら、つい寄り道してしまいました。
中南米の情報整理がなかなか進まないのはすぐ寄り道してしまうからでしょう。
1971年に私もバイカル号でナホトカから横浜へ、シベリア鉄道はハバロフスクーヘルシンキが往き、帰りはハバロフスクーナホトカを体験しました。バイカルは行けませんでした。いつかはゆきたいと思っています。
この時は日本人と話したらいけなかったのですか、確かにモスクワでもレニングラードでも愛想が無かったです。でもシベリア鉄道の中で女学生とゲームしたり、モスクワ大学で学生と少し話せたのがいい思い出です。
つい、懐かしくて拝見しました。
-
- osdさん 2006/01/17 20:13:38
- Old Good Time!に乾杯\(^o^)/!
- 唐辛子婆 さん
唐辛子婆さんなんて韜晦されるなんて、マダマダ早いとお見受けします。文章も感性も瑞々しい。70年代のハバロフスクの旅文感銘しました。辛くても苦しくても、泣きたくなるような<Old Good Time>…に乾杯!
新宿の歌声喫茶「ともしび」、西口、パルコ裏の焼き鳥「どん底」を思い出します。
また寄らして貰いたいと思っています、よろしくお願いいたします。
- 唐辛子婆さん からの返信 2006/01/18 00:02:52
- RE: Old Good Time!に乾杯\(^o^)/!
- osdさん、こんばんは、はじめまして。
カキコありがとうございます。
>唐辛子婆さんなんて韜晦されるなんて、
すみません、唐辛子婆さんなんて、の次の二文字が化けています。
ひらがなで書いてみていただけませんか?
>文章も感性も瑞々しい。70年代のハバロフスクの旅文感銘しました。
おほめにあずかって光栄しごくです。
osdさんの「ウブドのバイクおやじ」面白かったでーす!
こういうドタバタがだ〜〜いすきっ!!
>また寄らして貰いたいと思っています、よろしくお願いいたします。
スリランカをあと何冊か書きたいと思っているのに
途中でロシアに道草してしまいました。
また遊びにいらしてくださいね。お待ちしてまーす。
〜唐辛子婆〜
- osdさん からの返信 2006/01/18 08:44:43
- RE: RE: Old Good Time!に乾杯\(^o^)/!
- ゴメン!
年よりは、とかく難しい漢字を使いたがる_(_^_)_。
韜晦(とうかい)…自分の才能や本心を何かほかの事で隠す。
ご訪問していただき、ありがとうございます。
- 唐辛子婆さん からの返信 2006/01/18 10:16:03
- まっかっかっかの赤っ恥!
- osdさんへ
>ゴメン!
>年よりは、とかく難しい漢字を使いたがる_(_^_)_。
>韜晦(とうかい)…自分の才能や本心を何かほかの事で隠す。
ひょ・ひょ・ひょえ〜〜〜☆□◎◎□☆
文字化けじゃなかったんですね!
韜晦の韜の字なんて見たこともなかったので
てっきり化けたのかと!
ひとつお利口になりました。
今後とも叱咤激励鞭撻罵倒のほど
よろしくお願いまうしあげまする^0^。
〜唐辛子婆〜
-
- osdさん 2006/01/17 19:55:09
- Oold good time!に乾杯\(^o^)/!
- 唐辛子婆さん
唐辛子婆さんなんて韜晦されるなんてまだマダ早いとお見受けします。文章も感性もたいへん瑞々しい、70年代のハバロフスクに感銘を受けました。
辛くても苦しくても、泣きたくなるような<Old Good Time>
-
- 神田明神氏子その五さん 2006/01/17 09:50:30
- 1970年のイルクーツク、バイカルですか
- よくその頃のフィルムカメラの映像がキチンととってありましたね。私のドイツ留学の頃のフィルム探してみようかな。
70年頃のソ連、雰囲気伝わってきますね。私はロシアは全然知らないんですが、当時東独を垣間見たことがあって、雰囲気感じます。最近?ではベルリン
の壁が落ちて直ぐベルリン事務所長として赴任したものですから、そんな時期でも、東独のホテル(当時未だ国営を引き継いでいる)で出る、野菜や酪農製品が実に貧相なものであった事を思い出しました。5、6月に出回るアスパラガスでさえ、みじめ?な感じで、一体「どうしてこうなるの(欽チャン風に)?」という感じでした。
ところで全く関係ありませんが、先週末のTV朝日の土曜日午前中の定番番組
「食彩の王国」ご覧になりましたか?唐辛子婆さんの唐辛子、そして唐辛子の頂点料理「麻婆豆腐」の由来が出てきて、大変面白かった。ご覧になってなかったら、サマリーだけでも、TV朝日のHP「食彩の王国」でご覧になれます。
- 唐辛子婆さん からの返信 2006/01/17 23:26:00
- 人生を二度生きた女
- >よくその頃のフィルムカメラの映像がキチンととってありましたね。
スキャナを買ってもらった時
アルバムから写真ぜ〜〜んぶはがしてパソちゃんに入れちゃったのです。
結構な作業量でしたけどね。
おかげで人生もういちどやり直したような気分になっちゃいました。
>私のドイツ留学の頃のフィルム探してみようかな。
ぜひぜひ♪
>ベルリンの壁が落ちて直ぐベルリン事務所長として赴任した
特派員だったのですか?
>東独のホテル(当時未だ国営を引き継いでいる)で出る、野菜や酪農製品が>実に貧相なものであった事を思い出しました。5、6月に出回るアスパラガス>でさえ、みじめ?な感じで、一体「どうしてこうなるの(欽チャン風>に)?」という感じでした。
食材がみじめなのは自由市場で補えるとしても
言論の自由がないのはつらいことですよね。
街に重苦しさが漂っていましたね。
>点料理「麻婆豆腐」の由来が出てきて、大変面白かった。
わたしゃアバタなんてありまっせん(^^)皺なら差しあげるほどありますがね。
〜唐辛子婆〜
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