1996/04/27 - 1996/05/03
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<1996年5月2日>
5月2日は、エンジェル号が欠航なので、海路を陸路に変更し、最初に晋州(チンジュウ)まで市外バスで向かいました。この地も秀吉軍が攻めた所です。付近の名勝の見学を終えた後、昼には晋州名物の1つであるうなぎ料理を楽しみました。その後、陸路で釜山に向かいました。釜山が今回旅行の最後の宿泊地です。
<直石楼(チョソクル)>
釜山へ向かう途中、最初に秀吉時代の加藤清正軍が戦勝の宴を張ったとされる直石楼(チョソクル)に立ち寄りました。直石楼は晋州城(チンジュソン)の城内にあり、何度も戦火にあって焼けたとされます。
晋州城は、文禄・慶長の役の最激戦地とも言われています。現在の建物は1960年の再建になるものです。韓国南部では最も美しい楼閣と称えられています。
直石楼は、戦時下では晋州城の将軍の指揮本部として使用されたとされますが、平時には市民の憩いの場であったと言います。一帯は大変によく整備されていて、城内には国立晋州博物館がありました。
<義岩(ウィアム)>
直石楼の下、南江(ナムグヮン)に突き出た岩が、義岩です。この岩には、日本軍の武将、毛谷村六助を道連れにして、南江に身を投げた義妓、論介(ノンゲ)の悲話が伝えられています。
その悲話は、1593年、晋州城が陥落した際、宴に駆り出された朱論介(ジュ ノンゲ)が、侍頭の毛谷村六助を泥酔させた上で、この岩の場所まで誘い出し、手が離れないよう、しっかりと指輪で繋いで身を投じたという物語です。
韓国では広く知られた悲話で、論介に関する有名な詩や歌謡曲が流行したと言います。多分、教科書の題材にも使われているのでしょう。日本の武将、毛谷村六助は末永く彼の地で恥を伝えられる羽目になってしまいました。
<釜山到着、釜山観光ホテル>
晋州から釜山間も市外バスを使用しました。途中、高速道路の渋滞は酷いものでした。釜山の明かりが見え始めてからは、遅々としてバスは進みませんでした。ソウルと並んで釜山でも交通渋滞は日常の出来事となっているようです。
それでも夕刻には何とか市外バスターミナルにたどり着きました。釜山では、釜山観光ホテルに投宿しました。このホテルは夜は静かで、設備もまずまずです。初めての釜山旅行の人にも、安心してお勧めできます。ただし、残念ながら冷蔵庫の中には何も入っていませんでした。この部屋の広さ、眺望で、7万7千ウォン(約1万1千円)とは、日本の感覚で言えば、お値打ちと言ったところです。
<最後の夜は屋台で>
夜は、焼酎を飲みたくなりましたので、1人で外出しました。チャガルチ市場近くで、ポジャマチャを探しました。ホテルからは歩いて行ける距離です。
まだ市場は賑わっていて、幌馬車なしの屋台が沢山並んでいました。そのひとつに腰かけ、チンロとつまみを頼みました。お客の中には、休暇中と思われる制服の若い兵士がいました。
彼らは、お酒は飲まず、もっぱらコーラのようなものを注文していました。店のママとは知り合いのような雰囲気でした。兵士が近くにいれば、その方が安全です。それで、安心して最後の夜をゆっくりと楽しむことが出来ました。
釜山へ向かう途中で
緩斜面新緑の中土饅頭
新仏土盛の萌ゆる南斜面
島南端春の終は近付て
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- 大韓航空
-
博物館では、日本語版のガイドブックも用意されていました。159頁の立派な製本です。持ち帰るのに重たかったですが、買い求めました。
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韓国国立扶余博物館の案内レイアウトです。
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国立扶余博物館の前景です。
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扶余で発掘後、時をおかずに国宝に指定された逸品です。
金銅竜鳳香炉
高さ64.0cm -
日本でも著名な国宝中の国宝です。
金銅三山冠半跏思惟像
国宝83号
7世紀
高さ93.5cm -
国立扶余博物館日本語版資料の32頁に掲載されている瑠璃管玉です。紀元前2世紀の初期鉄器時代、中国の瑠璃と同じ鉛・バリュウム瑠璃と分析されています。
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吉野ケ里遺跡・概報(佐賀県教育委員会)の25頁に記載された管玉です。同書には2〜6.8cm、中国産の可能性が極めて高いと記述されています。(74頁)いずれも現物を見る機会があり、共通性に強い関心を持ちました。
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