2000/05/01 - 2000/05/08
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旅人のくまさんさん
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<2000年5月2日(火)>
<夜の嵐>
夜通し荒れた海と、エンジンの音でほとんど眠れませんでした。やっと眠りについたのは4時過ぎです。この時間には釜山港沖に停泊し、エンジンの音が小さくなりましたので、3時間余り眠る事ができました。実は、別の組の若い人の寝言も、不眠の原因でした。
うつらうつらしながら、いくつかの俳句が頭の中に浮かびましたが、7時頃に起きた時は、すでに思い出せませんでした。雨の音と、大波できしんだ音だけが耳に残りました。甲板に出てみると、雨の跡が残っていましたので、降ったのは間違いありません。しかし、同行の人達は、『ぐっすり寝ていて、風雨の事は知らない』との事でした。風雨がどの程度のものだったのかは、闇の向うの記憶でしかありません。
上陸までに随分と時間がありましたので、朝食はフェリー内で摂る事にしました。韓式定食、和式定食共に同じ値段でした。しかし、6、7割は同じ品でした。ムルキムチ風のスープが味噌汁に替わったり、キムチが卵焼きに替わっていたりです。
<釜山上陸>
4時に沖合いに停泊しましたものの、上陸できたのは8時過ぎになりました。事務所の仕事が始まらなければ、入国手続きもできないので、やむない事情です。
飛行機のハイジャック防止と違って、フェリーですと、手荷物検査は余り厳しくありません。下関を出る時も、『町で包丁を買ったが、そのまま船内に持ち込めるか?』等の会話が交わされていました。
沖合いに停泊している時、地図を示して『どのあたりですか?』と乗組員の人に聞きましたが、よく分かりませんでした。入り江を少し入ったところで、まだ釜山港近くの赤いブリッジなどは見えない位置での停泊でした。入国手続きは別の到着便と一緒の時間になりましたので、混み合ってしまい、結構時間がかかりました。しかし、入国手続きそのものは、簡単でした。
釜山港は日本でも『プサンハンに帰れ』の演歌で有名な港です。市街地に近く、便利な場所にあります。「ハン」とは、漢字の「港」の韓国読みです。国内便の桟橋も隣接していて、こちらも利用した事があり、事情はわかっていました。
入国審査を終えて出たところに、空港と同じように銀行の両替窓口があり、早速ウォンを手に入れました。今回、会計を引き受けていましたので、多めに両替をしておきました。
<帰りの準備>
入国して最初の重要な仕事が、帰りの飛行便に関する手続きです。旅行社を使ったプランなら、全部お任せの部分なので、普通は経験する事がありません。
大韓航空の事務所は、港から歩いていける距離なので、最初にそこを訪れました。時間を潰してからでないと、事務所は開いてないと読んでいましたが、入国手続きが混み合ったせいで、丁度いい時間になっていました。
5日の束草(ソクチョ)からソウルまでの国内便と帰りの8日の釜山から名古屋までの帰りの便は、村井さんが予め予約していてくれたので、手続きは簡単に済みました。しかし、円での支払いはできず、ウォンで払って欲しいと要求されましたので、予め余分に両替しておいたのが役に立ちました。締めて120万ウォン余りです。手元に余裕がありましたので、釜山・名古屋間の2人分は往復チケットにしました。
支払いを済ませると、手元のウォンが少なくなりましたので、急遽銀行で両替し、市外高速バス乗り場に向かいました。
<慶州、古墳>
市外高速バス乗り場までは、地下鉄で北に向けて移動しました。途中、西面(ソミョン)で乗り換えです。旧市街地より、こちらの方が発展してきている事が、最終日に訪れた時にも良く分かりました。市外高速バス乗り場は、地下鉄を降りて、程ない所にあります。地下鉄は途中から高架式に変わっていました。
慶州(キョンジュ)までのバスは、平日のせいか、空いていました。釜山からは、日帰り旅行が手ごろな距離です。前回慶州を訪れたのは電車でしたが、今回はバスなので、また違った景色に見えました。しかし、街中古墳だらけです事には変わりがありません。小規模な古墳群は、無料開放されていますので、その一つを散策しました。いくつかの古墳は50cmほどを残して、土が運び去られていました。多分、スライスカットして、残らず埋物調査した結果に違いありません。
大きな古墳群は、立派な塀で囲んでいますが、塀の外から十分に見学できますので、無料拝観させていただきました。その一帯は、古墳公園(コブンゴンウォン)と呼ばれています。解説書によれば、『7基の新羅王陵を中心に23基の古墳群を整備した公園』とあります。
日本でいえば、天皇陵に相当する韓国王族、貴族の墓であり、日本との国情の違いを再認識させられます。既に知られている出土品には、金銅製の馬具、刀剣などがあり、日本との類似性についての研究成果が多く発表されています。以前に訪れた時、その出土品が展示されている慶州博物館を見学しました。今回は時間の都合で、見学を割愛しました。しかし、時間が有れば、じっくりと見学したい博物館です。立派な収蔵品案内書が出版されていましたので、前の旅行の時に入手しておきました。
<慶州、仏国寺と石窟庵>
石窟庵(ソックラム)、仏国寺(プルグクサ)共に、韓国での数少ない世界文化遺産です。いずれも拝観料が一人当たり3000ウォン必要でした。もちろん、その価値が十分にある韓国、世界の宝ですから、それが高いとは感じません。
仏国寺へはバスで向かいました。前回訪れた時と同じ交通手段です。少しばかり街外れなので、時間はかかりますが、タクシーと違って、かなり安い値段です。
仏国寺はボタン桜の落花の最盛期で、石畳や芝生をピンクの色で敷き詰めていました。古木や若木の素晴らしい新緑もありました。お寺の入り口には、例によって、『学生さん風』の女性が
「日本語を勉強しています。無料で歴史とお寺案内をさせていただきます」
と、寄って来ました。確かにその通りなのですが、お土産店へ連れて行かれるのが鬱陶しいので、やんわりとお断りしました。
仏国寺は、解説書によれば『535年に創建され、200年後には現在の10倍の規模にまで拡大された』とあります。更に『壬辰の乱で焼かれ、今の建物は、その後再建された』とあります。立ち入り禁止になっている正面の石段だけが当時のままのようです。このお寺も、秀吉軍の焼き討ちにあいました。
石窟庵は仏国寺背面の山の上にあり、とても歩いていける距離ではありません。ここはタクシーを使う事にしました。路線バスもある事にはありますが、待ち時間が長すぎました。タクシーの運転手さんとは、30分ほど待って貰う条件で、2万5千ウォンで話がつきました。往復で、一人当たり800円余りです。帰りにまとめてお金を払う約束なので、置いていかれる心配はありません。
『751年の新羅35代の景徳王時代の宰相・金大城が、両親のために創建しました』と伝えられる、世界文化遺産に相応しい石像の傑作です。保存状態も問題ありません。七曲の山道を頂上まで来た甲斐がありました。その帰りに、仏国寺で出会った日本からのご年配のカップルから
「石窟庵はどこですか?」
と、聞かれましたので、
「タクシーでないと行けませんが、世界文化遺産ですし、素晴らしい仏像なので、是非ご覧になるといいですよ!」
と、三人でお勧めしました。
<浦項(ポハン)へ>
翌日のフェリーは浦項(ポハン)からなので、今日のうちに移動する事にしました。バス、電車ともにありますが、市外バスを使うことにしました。日本のバスと違って、アナウンスがありませんから、降りる場所が難しくなります。
時間、距離感、方向や町の大きさ等や、看板などを目印にしています。いつもMuさんが時刻表(シガッピョ)を片手に頑張ってくれています。相当のプレッシャーになっているはずです。私もそれなりに気をつけていますが、余り役には立ちません。
ポハンは世界有数の鉄鋼の街です。同行のお二人の話では『日本の鉄鋼が駄目になったのは、ポハンの繁栄のためのよう』であり、『ひょっとしたら、世界一の鉄鋼の町かも知れない』と言うことでした。
しかし、現実に訪れたのは、全員はじめてでした。それで、明日の出航場所を探すのに、散々苦労しました。フェリーターミナルの位置が移っていて、手持ちの地図とは違っていたためです。途中で道を教えてくれた人も、旧ターミナルを教えてくれましたので、余計に時間がかかりました。
親切でのことですから、怒るに怒れません。結局は、タクシーを使って新ターミナルに行き着きました。何の事はありません。最初に目にした、停泊中の白い船を目当てにすればよかっただけの事です。
ターミナルが見つかったら、後は宿もその近くですぐに見つかりました。一人3万ウォンと、まずまずの値段でした。夕食は宿の近くで摂りました。ヒラメを韓国風の刺身にして、メウンタン付きです。道路に張り出した看板に、お値打ちセットと書き込んでありました。ビールと焼酎を2本づつ頼み、飲み物代を含めて3万4千ウォン・プラスマイナス千ウォンと予測しました。ぴったり3万3千ウォンで済みました。
夜、宿の窓からは、先ほど立ち寄って確認してきたフェリーポートが見えました。明日乗る予定のフェリーも、白い船体がライトで照らされていました。後は天気次第です。幸いに風も無く、明日は穏やかな天気になりそうな予感がしました。
釜山に向かうフェリーにて
春嵐音に怯えて海渡る
長き夜過て短し春の朝
春嵐過て未明の船泊
船着て春の微睡み揺し中
慶州の仏國寺にて
悌髪の人は急がず花の下
焼討を許し給えよ寺の春
八重桜散敷く寺の石畳
韓の寺礼拝続く春の午後
新緑や古き山門覆たり
酔し客無き境内に八重散ぬ
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー
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夜が明けたら、そこは韓国の釜山でした。早朝に到着した、釜山港がある湾内光景です。沖合で停泊し、入管に必要な施設が業務開始する時刻まで待ちました。
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釜山港の光景です。いよいよ韓国への入国です。紅白に塗り分けられた構造物は、大型のクレーンでしょうか。
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イチオシ
釜山港の赤いブリッジが前方に見えてきました。上陸が間近となりました。行きかう船も増えてきました。
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大韓航空事務所へ向かう途中の景色です。中央の一番後ろに見える茶色っぽい建物は、コモドホテルです。
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入国審査を終えた後での撮影です。フェリーターミナルが後方に見えます。少し雲が出ていますが、まずまずの天候でした。
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イチオシ
釜山駅の前は花祭りの準備が進んでいました。右手には九重塔、その左には、車にセットされた龍の出し物もありました。
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市外バスターミナルの構内です。ここで、慶州往きのバスを確認しました。バス以外には、電車でのアクセスもあります。
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市外バスターミナル内の食堂の値段表です。ここで食べた3000ウォンのビビンバは、まずまずの味でした。
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慶州の観光案内看板です。街中が、名所旧跡ばかりといった感じです。日本で例えるなら、古都・奈良が近いようです。
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古墳群の近くの骨董屋さんの店先光景です。チェジュドの石のおじさんの置物がありました。勿論、後世に造られたものでしょう。
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古墳群の一つです。立ち入りが自由で、無料開放されていました。立札には、『慶州・西路里・古墳群』の文字がありました。
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古墳公園の中に建てられていた、比較的新しく見えた石標の光景です。刻まれた文字は、まだ読み解いていませんが、130や号の文字が含まれていましたから、文化遺産の登録標識かも知れません。
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円墳が多いようでした。中には、前円後円墳もありました。仔細に調べれば、日本の大王の古墳、前方後円墳もあるかも知れません。
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スウェーデン国王の『グスタ6世アドルフ(1882~1973年)』殿下の瑞鳳塚発掘に関する記念碑です。
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一番下に、言葉少なく日本語での説明文がありました。『慶州路西里古墳群・史蹟第39号』の説明文でした。新羅時代の古墳群で、1926年にスウェーデンのグスタフ皇太子が発掘に参加したことが紹介されていました。
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こちらの説明看板は、慶州路東里古墳群・史蹟第3⑧号』の説明文でした。別名、『金鈴塚』です。
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慶州の町で見付けた、古い町並みと石畳の小路です。本通りを歩きながらの脇道の撮影でした。壁の色が統一されていました。
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『法蔵寺』の文字が記された扁額の光景です。
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イチオシ
世界遺産の石窟庵がある丘の上から眺めた麓の光景です。慶州の街や川などが見えているようです。
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石窟庵の遠景です。中央よりやや左の中腹に、世界文化遺産の仏像が納まっています。建物は、その入口に当たります。
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石窟庵の案内図です。寸法入りで構造図が描かれていました。ドームのようは石室の一番奥に仏像が納められています。
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石窟庵の出口側からの撮影です。世界文化遺産の石像は撮影禁止でした。写真で紹介されていたように、素晴らしい仏像でした。
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石窟庵の入り口での記念撮影です。Muさんにシャッターを押してもらいました。石窟庵の見学は、一方通行でした。
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石窟庵のすぐ近くの小さなお堂です。比較的新しい建物のようです。ここにも花祭りの飾りがありました。
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イチオシ
石窟庵の世界文化遺産の石碑です。「石窟庵石室」で登録されていました。仏像のほかにそれを納めた石室も対象のようです。
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床にすれすれに置かれた、大鐘の光景です。その真下に共鳴用の穴が掘削されていました。
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参道には、出店も沢山出ていました。慶州は、韓国第二の都市、釜山からも近く、観光地としては恵まれた環境になっています。
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仏国寺の参道です。牡丹桜の絨緞です。ゴールデンウィークの韓国の旅は、ソメイヨシノ等の桜が散って、牡丹桜が満開か、散り初めの時期です。
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左手前が仏国寺の世界遺産標識、その背後にあるのが説明看板です。
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イチオシ
仏国寺の正面石段です。戦禍を受けて僅かに残った文化遺産です。ここだけは立ち入り禁止になっていました。
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正面石段の近影です。さすがに年代を感じました。僅かに残った石造りですが、炎で脆くなっているかも知れません。
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仏国寺の正面右側部分の景観です。白い石の手すりに、新緑が色鮮やかでした。
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仏国寺境内の花壇の光景です。庭木が痛まないよう、コンクリートの枠で囲われていました。
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仏国寺構内には、長い回廊が続いていました。ベンガラ色が風格をたたえています。桜の花が、少し顔を覗かせていました。
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『大雄殿』の扁額が懸かった堂宇の光景です。本堂に当たる建物のようです。
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立入り禁止の石段の上から見下ろした光景です。
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境内で見つけた、龍の彫り物の飾りです。白い角があります。朱、緑、青などの原色を使った極彩色が鮮やかです。
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境内の石塔う。韓国の国宝に指定されています。花祭りの提灯が彩りを添えていました。
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韓国国宝の石塔の光景です。
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仏国寺境内の観音殿です。そんなに大きい建物ではありませんが、重厚な造りで、風格が感じられる建物です。
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毘廬殿の扁額が懸かった堂宇の光景です。
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古い山門を、新緑が半ば覆い隠していました。近くまでは行かずに、歩きながらの、離れた場所からの撮影です。
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鐘撞き棒がある側から眺めた梵鐘の光景です。鐘撞き棒は、日本では『撞木(しゅもく)』と呼ばれています。
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明日からの鬱陵島見学に備え、渡航の港がある浦項(ポハン)まで移動しました。その浦項の街並み光景だったようです。浦項は、鉄鋼産業で有名な街です。
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ゆく実のための桟橋探しで手間取りましたから、浦項の宿は少し遅くなってからのチェックインでした。夜の写真となりました。
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宿の内部です。決して高級ではありませんが、素泊まりするには手ごろな部屋でした。テレビも無料で見ることができました。
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