2008/11/05 - 2008/11/05
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Weiwojingさん
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八木重吉(1898?1927)という詩人をご存じですか。
彼は『秋の瞳』(1925年、新潮社)という詩集を出し、29歳で亡くなった町田市相原出身の詩人です。亡くなった後、『貧しき信徒』(1927年、野菊社)が出版されましたが、彼の作品はこの2冊だけです。
彼は敬虔なキリスト者でした。「祈りの詩人」として多くの人々に愛読され、死後多くの手稿が集められ、様々な作品がまとめられ、数多くの出版がなされました。
初めて彼の生家と記念館を訪れました。横浜線相原駅から15分程バスに乗り、大戸橋で降りると、すぐバス停の前にあります。見学するには普段は前もつて予約する必要があります。
生家は火災で焼け、再建されましたが、昔のままではありません。しかし、記念館は火災に遭うことなく、昔の蔵をそのまま利用して様々な資料が展示されています。
資料館では、あまり知られていない詩人八木重吉の作品と人となりを十分知ることができます。
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バスを降りると、すぐバス停の前に八木重吉記念館と書かれた看板があります。
その看板の脇をまっすぐ行くと、生家と記念館があります。 -
生家の前には秋の日差しを浴びた、たくさんの花や木が光を放っていました。
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生家の庭には彼の詩が刻まれた石碑が立っています。
「素朴な琴」と題した詩です。
このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
虹の美しさに耐へかねて
琴はしずかに
鳴りいだすだろう -
重吉の胸像です。
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記念館の建物です。土蔵をそのまま利用して、重吉に関するr資料や書籍、写真等が展示されています。
あまり訪れる人もいません。ひっそりとした中で、一人静に彼の作品と向かい合うことができます。 -
生家は火事で焼けてしまったが、土蔵は類火を免れ、昔のままである。
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資料館の内部です。ここは1階です。
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ここは資料館の2階です。
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生家の向かい側には、八木家の墓地があります。
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墓地の左側に重吉の墓があります。
彼はクリスチャンでしたので、戒名は付いていません。ただ「故八木重吉之墓」とだけ書かれています。 -
重吉と家族の墓です。
右端が重吉の墓、左側が妻登美子、そして中央が2人の子供の墓です。
ここでは毎年10月26日の重吉の命日には、「茶の花忌」が行われます。 -
生家の庭にはたくさんの秋の花が咲いていました。
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生家にはたくさんの茶の木が植えられています。
それは10月26日が重吉の命日で、この日には「茶の花忌」が行われます。それに因んで茶の木が植えられているようです。 -
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周囲を少し歩いてみました。あちこちに野仏があり、昔はこの辺は街道筋で賑わっていたのだろうか等と想像してしまいました。
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生家の周りにはまだ農家もあり、その庭先には大きな柿の木があります。
木には今を盛りと、たくさんの柿の実がなっています。 -
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この辺は谷戸と言われるのでしょうか。
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秋の日差しを浴びて、美しく輝いています。
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このあたりにはたくさんのケヤキの木が生い茂っています。多摩地区には多いです。陽の光を浴びて輝いています。
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