2006/05/04 - 2006/05/06
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しんちゃんさん
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三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は高速“東北縦貫自動車道”青森インターを下りて数百メートルの場所にあります。一時新聞報道で「三内丸山遺跡」の価値が大きく取り上げられましたが、遠い場所であり、大昔のことでもあり、興味はありましたが。すぐには見学出来ませんでした。今回、大型連休の間に見学しましたので参考に報告します。駐車場無料・見学無料・案内無料(ボランティア)・休館日 は年末年始のみ、写真撮影OK!。こんな博物館経験ありません。教科書を塗り替える発見が数々ありました。第一の大疑問!大昔の衣類を想像してください、雪深い青森に縄文時代の人々が生活していたなんて、考えられません。疑問一杯の「三内丸山遺跡」です。見学中に説明員が、“想像”です、とか“証拠はありません”“今後の課題です”を連発していました。写真は「大型掘立柱建物跡(おおがたほったてばしらたてものあと)」です、目的は不明、解明はされていません「物見やぐら」「灯台」「祭殿」「倉庫」これまた未解明だそうです。
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無料駐車場から“三内丸山遺跡”入り口前に「縄文時遊館」と名付けられた案内施設。無料です!切り立った崖の目隠しに地層をあしらった人口の壁?青森県で野球場建設途中で発見された貴重な遺跡のため、建設は中止され遺跡を保存活用に決定されました。
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「縄文時遊館」はエントランスホール・縄文シアター・縄文ギャラリー・体験工房・レストラン・売店等があります。ドーナッツをちょっと細くしたようになっており一周で元の入り口に戻る事ができます。
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立派な建物なのでさぞかし入場料は高いだろうと想像していました。ここに来るとは思っていない「弘前城の桜見学」が目的でしたので。
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博物館の名前です。この名前を付けるにも色々あったと思います。
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「縄文時遊館」エントランスホール。受付嬢もいます。トイレも綺麗です。
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「憩いの回廊」と名付けられた、館内を一周できる廊下。“三内丸山遺跡”の入り口の白い横断幕が見えます。
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“三内丸山遺跡”模型。1500年も続いた縄文時代の集落だそうです。人口は最大約500人通常は約200人が生活していたそうです。
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時遊トンネルは縄文遺跡「三内丸山」への入り口です。“タイムトンネル”だそうです。
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時遊トンネルを過ぎると“三内丸山遺跡”が一望できます。
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“三内丸山遺跡”が一望できる小高い丘に身分の高いと思われるお墓が発見されました。直径4mくらいのストーンサークル(環状配石)も発見されました。道路も舗装したような黄褐色の層が集落中心へ延びているそうです。
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“三内丸山遺跡”中心にトーチカ?「南盛土」いう縄文時代中期のゴミ捨て場?ヒスイ製の玉・土偶・土器・石器が発見され祭事の場所?未解明です。
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ボランティア説明員「室谷様」ジョークも交えて、説明をしてくれました。全部暗記しており、ノート等のカンニングはありませんでした!
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各場所には説明版が設置されています。
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「南盛土」は縦に掘り下げられ地層の見学が可能です。保存するため外気と隔離されています。
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地層の見学が可能な「南盛土」
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この道は見学をするために作成したそうです。
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「掘立柱建物」復元
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北側の谷はゴミ捨て場ようです。水分が多く空気からさえぎられ腐らずに色々な貴重な物が発見されました。編んだ衣類・漆器・丸木船の櫂(かい)等
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北側の谷の泥炭層の説明版
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「北盛土」説明版
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「北盛土」ゴミ捨て場の土器類
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「子供のお墓」説明版
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「子供のお墓」の土器…骨は発見されていません?それなのに子供の墓?大人の墓にも骨は発見されていません。両方で1000基のお墓が発見されましたが“骨”はありません。さて?どうしてか?
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「大型掘立柱建物跡」直径2m深さ2mの穴が6個。穴の中心からとなりの穴の中心へは4.2m。当時の測定の高度な技術が伺えるそうです。
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穴の中から栗の木が発見されました。穴の下には水があり、腐りを食い止めました。木柱の表面を焦がしてあり、腐食を防ぐ事を知っていたようです。
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「大型掘立柱建物跡」説明版。
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大昔は直径1mの栗の木がたくさんあったのでしょうか?現在、林・山に行っても直系1mの大きい“栗の木”なんて見たことありません。しかも、垂直な20mなんて考えられません。
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しかし、この“栗の木”は本物であり、ロシアから運んできたそうです。ロシアにはたくさんこのような栗の木があるのでしょうか?たとえ、日本にあっても大型の木の伐採は禁止されているそうです。杉の木のような“栗の木”見た事ありますか?知ってますか?
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「大型竪穴住居」長さ32m、幅9.8m
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「大型竪穴住居」東側からの入り口。南北にもありましたが、風が強く雨も降ってきたため閉鎖されました。
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「大型竪穴住居」内部はホールのようでした。外の地面より一段低く、壁は焼いた板で土留めしてありました。共同作業所・集会所・家屋等目的は不明だそうです。
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天井は剥き出し。茅葺(かやぶき)です。小型の竪穴住居は土をかぶせて場合もあるそうです。昨年10月に鳥取県「妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)」を見学した事を思い出します。
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ボランティア説明員「室谷様」のお話を聞く見学者。ボランティア説明員は鉢合わせもありましたが、どちらか一方の方が説明しました。身を引いたほうが勝ち?負け?
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西側奥に一箇所ある「いろり跡」長老がこの前に座り、村の人々を前にして演説・説教をする姿を想像できます。今でもアマゾンの奥地、南洋の島々ではこんな建物と似たような生活が見られますので…
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三内丸山遺跡では取る事ができない、黒曜石・ヤジリ・ヒスイが発見され海を航海して貿易も行われたようです。当時の青森湾は約1Km手前にあり、この村の近くに入り江があったそうです。すごい!の一言。
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栗の木の年代測定の結果…紀元前2820年±15年!
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漆(うるし)の器(うつわ)も出土しました。
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「骨刀(こっとう)」
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鹿の骨がどのようなものに利用されるかの説明版です。
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縄文時代に“針”が存在しました。材質は動物の骨です。
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釣り針も発見されました。現在から約5500年から5000年前だそうです。材料は動物の骨です。
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土偶(どぐう)は人形(ひとがた)というそうです。子孫繁栄・豊穣の祈りを込めて製作されたそうです。
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展示室入り口の水道
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