2008/07/26 - 2008/07/27
956位(同エリア1187件中)
ひま人さん
先月に続いて、但馬地方と鳥取地方を結ぶ但馬往来を訪ねた。
鳥取に入り、まず最初に後藤又右兵衛父子と妻の墓がある景福寺に寄り、日本三大仇討ちで有名な荒木又衛門の墓がある玄忠寺に寄った。鳥取城一帯の久松公園にある県立博物館、仁風閣、庭園で有名な宝隆院、城跡等を見学。県庁向かい側の旧藩士箕浦家の武家門を見る。鳥取砂丘まで足を伸ばしてからホテル入りした。
2日目、観音院で池泉鑑賞式庭園を見学。因幡の白兎の白兎神社、大国様の碑を見て、鳥取と鹿野を結ぶ鹿野往来・鹿野宿、鹿野城の城下町を散策。「貝がら節」の歌碑が建っている魚見台を経て、青谷宿に入り、展示品がすごい青谷上寺地遺跡展示館、ようこそ館により、町並みを散策。そして最後に泊宿の町並みを散策、潮風の丘とまり公園に寄り、倉吉から「スーパー白兎」で帰路に着いた。梨で有名な鳥取であるが、人口では日本最小の県らしいが、市内の町並みはよく整備され、夏の訪れだったが住みやすい印象を持った。写真は鳥取城址。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス JR特急 徒歩
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景福寺本堂、応安2年(1369年)創建、曹洞宗。通幻禅師(摂津三田の永澤寺開基でも知られる曹洞宗門の高僧)によって開基された。本尊は釈迦如来像。
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景福寺墓地の一角にある後藤又兵衛父子と妻の墓。鳥取池田藩主席家老荒尾氏の菩提寺で、後藤又兵衛の妻の実家三浦家は、荒尾氏に仕えていたその縁で又兵衛父子と妻の墓がある。
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玄忠寺本堂、淨土宗。永正5年(1508年)の創建。開山は大忠和尚。本尊は阿弥陀如来像。
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玄忠寺境内にある荒木又右衛門の墓。又右衛門遺品館があり、資料館にもなっている。
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仁風閣、明治40年、当時の皇太子(大正天皇)の山陰行啓の宿舎として、旧鳥取藩主の池田氏が建てたルネッサンス様式の木造2回建て。設計は明治の三大宮廷建築家の一人、片山東熊工学博士で、「仁風閣」の名は皇太子に随行した海軍大将・東郷平八郎の命名による。
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鳥取城跡。歴史的に幾多の変遷を経てきた鳥取城であるが、明治12年(1879年)に建物は全て撤去され、堀と石垣を残すのみとなった。
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旧山陰道、立川町の町並み。
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箕浦家武家門、旧藩士箕浦家2千石の武家門。白壁造り。鳥取城南側の堀端に住んでいた箕浦近江守の屋敷の表門で、昭和11年鳥取県師範学校の校門として移築され、現代、市内で唯一残る武家門として保存されている。
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観音院本堂、宣伝法印の開基。本尊は聖観世音菩薩、天台宗。
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観音院庭園、本堂裏側に中ノ島を配した池泉鑑賞式庭園。この庭園鑑賞に訪れる人も多いそうである。
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大国様石像と白兎神社鳥居。
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白兎神社本殿、本殿への参道右側に、ウサギが体を洗ったという池がある。
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鹿野城址、鹿野宿はある程度、宿場の町並みの雰囲気が残っている。
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泊宿、京から14宿目。その名のごとく船が停泊するから「泊」で、江戸時代は鳥取池田藩の因伯統治下において海陸の要塞として、海上取締りの船番所が設けられていた。写真の石碑はその跡地。
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