伊賀・上野旅行記(ブログ) 一覧に戻る
【旅の3日目前半。伊賀上野市街散策(所要約3時間)】<br /><br />旅の3日目は、旧伊賀国の中心都市である伊賀上野市街を散策するとともに、関西本線に乗り鈴鹿峠を越えて関宿までゆくことに。<br /><br />ここ伊賀上野は奈良街道・伊勢街道そして伊賀街道がつながる交通の要衝で、江戸時代の1608年に藤堂高虎公が伊勢・伊賀の2カ国の大名に封じられると、津藩32万3000石の伊賀国の城下町として繁栄し、かの俳聖松尾芭蕉の生誕地でもあります。<br /><br />最近では「伊賀流忍者の故郷」が前面に出ているようですが、落ち着いた街並みの中に伊賀上野城に代表される歴史的なスポットや、松尾芭蕉ゆかりの場所も複数残されていて、予定していた時間では足りないくらいの見どころがあり、(自分の興味と合致しさえすればですが)一度ゆっくり訪れてみる価値があるなあと感じた街でした。<br /><br />※市内各所には、松尾芭蕉翁の句碑が置かれており、今回街歩きの際に見つけたものをアップしてみました(合計5個。なお、句意はすべてそばにあった案内板から拝借しています。)<br /><br />〔3日目前半の行程〕<br />・上野天神宮(菅原神社)~伊賀街道起点の地~芭蕉翁故郷塚~芭蕉翁生家~上野公園~伊賀上野城~俳聖殿~旧崇廣堂~鍵屋ノ辻~上野市駅~伊賀上野駅<br /><br />〔1日目前半の旅行記~町屋の風情が残る「ならまち」から高畑周辺を巡る~〕<br /> http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10646119/ <br />〔1日目後半の旅行記~「しあわせ回廊なら瑠璃絵」と西の迎賓館「奈良ホテル」ステイ~〕<br /> http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10646700/ <br />〔2日目前半の旅行記~西ノ京散歩①・世界遺産薬師寺と唐招提寺編~〕<br /> http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10648734/ <br />〔2日目後半の旅行記~西ノ京散歩②・「歴史の道」をゆき秋篠寺から西大寺へ編~〕<br />http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10650472/ <br />〔3日目後半の旅行記~関宿伝統的建造物群保存地区の街並みを歩く~〕<br />http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10654676/

古都奈良散歩と伊賀街道から鈴鹿峠を越えてゆく【5】~伊賀上野城と俳聖松尾芭蕉の生誕地を歩く~

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2012/02/10 - 2012/02/12

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3

59

紅い翼

紅い翼さん

【旅の3日目前半。伊賀上野市街散策(所要約3時間)】

旅の3日目は、旧伊賀国の中心都市である伊賀上野市街を散策するとともに、関西本線に乗り鈴鹿峠を越えて関宿までゆくことに。

ここ伊賀上野は奈良街道・伊勢街道そして伊賀街道がつながる交通の要衝で、江戸時代の1608年に藤堂高虎公が伊勢・伊賀の2カ国の大名に封じられると、津藩32万3000石の伊賀国の城下町として繁栄し、かの俳聖松尾芭蕉の生誕地でもあります。

最近では「伊賀流忍者の故郷」が前面に出ているようですが、落ち着いた街並みの中に伊賀上野城に代表される歴史的なスポットや、松尾芭蕉ゆかりの場所も複数残されていて、予定していた時間では足りないくらいの見どころがあり、(自分の興味と合致しさえすればですが)一度ゆっくり訪れてみる価値があるなあと感じた街でした。

※市内各所には、松尾芭蕉翁の句碑が置かれており、今回街歩きの際に見つけたものをアップしてみました(合計5個。なお、句意はすべてそばにあった案内板から拝借しています。)

〔3日目前半の行程〕
・上野天神宮(菅原神社)~伊賀街道起点の地~芭蕉翁故郷塚~芭蕉翁生家~上野公園~伊賀上野城~俳聖殿~旧崇廣堂~鍵屋ノ辻~上野市駅~伊賀上野駅

〔1日目前半の旅行記~町屋の風情が残る「ならまち」から高畑周辺を巡る~〕
 http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10646119/
〔1日目後半の旅行記~「しあわせ回廊なら瑠璃絵」と西の迎賓館「奈良ホテル」ステイ~〕
 http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10646700/
〔2日目前半の旅行記~西ノ京散歩①・世界遺産薬師寺と唐招提寺編~〕
 http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10648734/
〔2日目後半の旅行記~西ノ京散歩②・「歴史の道」をゆき秋篠寺から西大寺へ編~〕
http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10650472/
〔3日目後半の旅行記~関宿伝統的建造物群保存地区の街並みを歩く~〕
http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10654676/

同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 9:00前に上野シティホテルをチェックアウトし、まずは散策の拠点とする伊賀鉄道上野市駅へ。<br />いつものとおり、ここで荷物をコインロッカーに預け、駅前の観光案内所(伊賀上野観光協会)で観光マップを確保します。<br /><br />それにしても、今日は冬晴れですが冷え込みが厳しい1日になりそうです(最高気温は5度くらいとのこと)。盆地は寒い…。

    9:00前に上野シティホテルをチェックアウトし、まずは散策の拠点とする伊賀鉄道上野市駅へ。
    いつものとおり、ここで荷物をコインロッカーに預け、駅前の観光案内所(伊賀上野観光協会)で観光マップを確保します。

    それにしても、今日は冬晴れですが冷え込みが厳しい1日になりそうです(最高気温は5度くらいとのこと)。盆地は寒い…。

  • 伊賀上野の見どころは、だいたい上野市駅の周辺にあるようです。行ってみたいなあと思うスポットがいろいろとあり、うまくまわりきれるか少し心配…。

    伊賀上野の見どころは、だいたい上野市駅の周辺にあるようです。行ってみたいなあと思うスポットがいろいろとあり、うまくまわりきれるか少し心配…。

  • 〔上野天神宮(菅原神社)〕<br /><br />まず最初に上野天神宮(菅原神社)へお参りすることとし、駅から東の方に歩いてゆきます。<br />この神社の主神は菅原道真公で、藤堂高虎公による城下町建設の際にこの地に奉遷されたそうです。

    〔上野天神宮(菅原神社)〕

    まず最初に上野天神宮(菅原神社)へお参りすることとし、駅から東の方に歩いてゆきます。
    この神社の主神は菅原道真公で、藤堂高虎公による城下町建設の際にこの地に奉遷されたそうです。

  • 「菅聖廟」の扁額がかかる立派な樓門です。<br />松尾芭蕉翁は1672年に処女作「貝おほい」をこの神社に奉納し、自らの文運を祈願したそうです。<br /><br />私もここでお祈りすれば、(多少は)この旅行記がうまく書けるようになるでしょうか!?

    「菅聖廟」の扁額がかかる立派な樓門です。
    松尾芭蕉翁は1672年に処女作「貝おほい」をこの神社に奉納し、自らの文運を祈願したそうです。

    私もここでお祈りすれば、(多少は)この旅行記がうまく書けるようになるでしょうか!?

  • すぐ近くの住宅街の間をぬうように、伊賀鉄道の鉄路が延びています。。。

    すぐ近くの住宅街の間をぬうように、伊賀鉄道の鉄路が延びています。。。

  • 〔伊賀街道起点の地〕<br /><br />踏切を渡ったすぐ先のあたりからは古い街並みが残っていて、かつてここが伊賀上野のご城下であった頃の雰囲気が偲ばれます。

    〔伊賀街道起点の地〕

    踏切を渡ったすぐ先のあたりからは古い街並みが残っていて、かつてここが伊賀上野のご城下であった頃の雰囲気が偲ばれます。

    伊賀上野駅

  • 道沿いに(なにげなく)立っていた標識には、(ちょっと影で見えにくいですが)この伊賀上野と藩都安濃津(現在の津市)を結ぶ伊賀街道の起点であることが示されています。<br /><br />また、『すぐ 京 大坂 なら はせ道』と刻まれているように、京都や奈良にも通じる交通の要衝だったのですね。

    道沿いに(なにげなく)立っていた標識には、(ちょっと影で見えにくいですが)この伊賀上野と藩都安濃津(現在の津市)を結ぶ伊賀街道の起点であることが示されています。

    また、『すぐ 京 大坂 なら はせ道』と刻まれているように、京都や奈良にも通じる交通の要衝だったのですね。

    伊賀上野駅

  • 黒壁と虫籠窓が時代を感じさせますね〜。<br /><br />すべてが古い建物というわけではないのですが、それでも整然と街道沿いに続いている街並みは、伊賀街道の起点にふさわしい趣を醸し出していました!

    黒壁と虫籠窓が時代を感じさせますね〜。

    すべてが古い建物というわけではないのですが、それでも整然と街道沿いに続いている街並みは、伊賀街道の起点にふさわしい趣を醸し出していました!

  • 〔芭蕉翁故郷塚〕<br /><br />街道沿いを少し進んで左におれたところにある愛染院という小さなお寺は、松尾芭蕉の家代々の菩提寺だそうで、門前にも「芭蕉翁故郷塚」と刻まれています。

    〔芭蕉翁故郷塚〕

    街道沿いを少し進んで左におれたところにある愛染院という小さなお寺は、松尾芭蕉の家代々の菩提寺だそうで、門前にも「芭蕉翁故郷塚」と刻まれています。

    故郷塚 名所・史跡

  • 境内に入ってゆきますね。

    境内に入ってゆきますね。

  • 芭蕉翁の句碑(その①)が残されていました…。<br /><br />「家はみな 杖にしら髪の 墓参り」<br />(句意:故郷の盆会に一族の者と墓参りにでかけた。みな年老いてしまい、杖をつき白髪の者もいる。自分もまた同じように、年をとってしまったものだ。)<br /><br />私がこの境地に至るにはもう少し時間が残されているようです…。

    芭蕉翁の句碑(その①)が残されていました…。

    「家はみな 杖にしら髪の 墓参り」
    (句意:故郷の盆会に一族の者と墓参りにでかけた。みな年老いてしまい、杖をつき白髪の者もいる。自分もまた同じように、年をとってしまったものだ。)

    私がこの境地に至るにはもう少し時間が残されているようです…。

  • この故郷塚には芭蕉翁の遺髪も納められているそうです。。。

    この故郷塚には芭蕉翁の遺髪も納められているそうです。。。

  • 〔芭蕉翁生家〕<br /><br />芭蕉翁故郷塚から北に走る国道を渡ってすぐのところに、芭蕉翁生家が今も残されています(入館料300円)。<br />松尾芭蕉はこの家で幼少のころから29歳までの歳月を過ごしたそうです。

    〔芭蕉翁生家〕

    芭蕉翁故郷塚から北に走る国道を渡ってすぐのところに、芭蕉翁生家が今も残されています(入館料300円)。
    松尾芭蕉はこの家で幼少のころから29歳までの歳月を過ごしたそうです。

  • 表の間では芭蕉翁みずからお出迎えです。。。

    表の間では芭蕉翁みずからお出迎えです。。。

  • 中は昔ながらのお屋敷が残されています。

    中は昔ながらのお屋敷が残されています。

  • 中庭の方へ抜けると、「釣月軒(ちょうげつけん)」という小さな草庵が。

    中庭の方へ抜けると、「釣月軒(ちょうげつけん)」という小さな草庵が。

  • 29歳の芭蕉はこの3畳ほどの小さな草庵で、処女作である『貝おほひ』を執筆し、その後すぐに江戸へ下ったといわれているそうで、いわばここが芭蕉の創作活動の原点となるのでしょう。

    29歳の芭蕉はこの3畳ほどの小さな草庵で、処女作である『貝おほひ』を執筆し、その後すぐに江戸へ下ったといわれているそうで、いわばここが芭蕉の創作活動の原点となるのでしょう。

  • 同じ庭の片隅にも句碑(その②)が。。。<br /><br />「冬籠り またよりそはん 此はしら」<br />(句意:今年は久しぶりに自分の草庵で冬籠りすることになった。いつも背を寄せ親しんできたこの柱に、今年もまた寄りかかって、ひと冬閑居を楽しむことにしよう。)<br /><br />誰しもそんな落ち着ける場所が欲しいですよね~。芭蕉翁はそれがここだったのでしょう。

    同じ庭の片隅にも句碑(その②)が。。。

    「冬籠り またよりそはん 此はしら」
    (句意:今年は久しぶりに自分の草庵で冬籠りすることになった。いつも背を寄せ親しんできたこの柱に、今年もまた寄りかかって、ひと冬閑居を楽しむことにしよう。)

    誰しもそんな落ち着ける場所が欲しいですよね~。芭蕉翁はそれがここだったのでしょう。

  • 生家の外の国道沿いにも句碑(その③)がありました。<br /><br />「古里や 臍のをに泣く としのくれ」<br />(句意:年の暮に年老いた兄妹のいる故郷の生家に帰り、自分のへその緒をふと手に取ってみた。今は亡き父母の面影が偲ばれ、懐旧の情に堪えかね涙に暮れるばかりである。)<br /><br />生家とはいくつになってもそんな場所でしょうか…。

    生家の外の国道沿いにも句碑(その③)がありました。

    「古里や 臍のをに泣く としのくれ」
    (句意:年の暮に年老いた兄妹のいる故郷の生家に帰り、自分のへその緒をふと手に取ってみた。今は亡き父母の面影が偲ばれ、懐旧の情に堪えかね涙に暮れるばかりである。)

    生家とはいくつになってもそんな場所でしょうか…。

  • 芭蕉翁生家から国道沿いにまっすぐ西に歩いてゆきます。<br />道すがら、伊賀市役所の前にも句碑(その④)が置かれていました。やっぱりここは芭蕉生誕の街ですからね~。<br /><br />「升かふて 分別かわる 月見かな」<br />(句意:市で名物の升を買ったら思いが替わって月見の句会に出ず、帰ったしまった。申し訳ないことをした。)

    芭蕉翁生家から国道沿いにまっすぐ西に歩いてゆきます。
    道すがら、伊賀市役所の前にも句碑(その④)が置かれていました。やっぱりここは芭蕉生誕の街ですからね~。

    「升かふて 分別かわる 月見かな」
    (句意:市で名物の升を買ったら思いが替わって月見の句会に出ず、帰ったしまった。申し訳ないことをした。)

    芭蕉翁生家 名所・史跡

  • 〔上野公園〕<br /><br />歩くことおよそ10分で、小学校のとなりに白鳳門という大きな門が見えてきます。<br />ここから上野公園へ入ってゆくことに。

    〔上野公園〕

    歩くことおよそ10分で、小学校のとなりに白鳳門という大きな門が見えてきます。
    ここから上野公園へ入ってゆくことに。

    上野公園 紅葉

  • 上野公園内には、伊賀上野城をはじめとする観光スポットがあり、伊賀上野観光の中心となっています。<br />ちなみに伊賀鉄道上野市駅からも歩いて10分ほどとアクセス良好な立地です。

    上野公園内には、伊賀上野城をはじめとする観光スポットがあり、伊賀上野観光の中心となっています。
    ちなみに伊賀鉄道上野市駅からも歩いて10分ほどとアクセス良好な立地です。

  • 〔伊賀上野城(国指定史跡。日本100名城)〕<br /><br />それでは、(私の中のメインイベントである)伊賀上野城へ。<br />ここ伊賀上野城は、1611年に伊勢津藩32万3000石の大名藤堂高虎公が旧藩主であった筒井氏の城を拡張したそうで、別名白鳳城とも呼ばれています。

    〔伊賀上野城(国指定史跡。日本100名城)〕

    それでは、(私の中のメインイベントである)伊賀上野城へ。
    ここ伊賀上野城は、1611年に伊勢津藩32万3000石の大名藤堂高虎公が旧藩主であった筒井氏の城を拡張したそうで、別名白鳳城とも呼ばれています。

    伊賀上野城 名所・史跡

  • 木々の合間から白亜の天守閣が見えてきました。<br />(なぜだか分かりませんが)お城に向かって上ってゆく途中は心躍るものがありますね。

    木々の合間から白亜の天守閣が見えてきました。
    (なぜだか分かりませんが)お城に向かって上ってゆく途中は心躍るものがありますね。

  • 城の西から北側に造られた高石垣を上から見下ろしてみると…すごい迫力です。<br />この高石垣は大阪城の高石垣と共に日本で1・2を競うもので、高さは約30メートルもある立派なものだそうです。<br /><br />なお、(当然ながら落下防止用の)柵なんかはお城にはありませんので、下を見ながら歩くと足が少し震えてしまいます…。

    城の西から北側に造られた高石垣を上から見下ろしてみると…すごい迫力です。
    この高石垣は大阪城の高石垣と共に日本で1・2を競うもので、高さは約30メートルもある立派なものだそうです。

    なお、(当然ながら落下防止用の)柵なんかはお城にはありませんので、下を見ながら歩くと足が少し震えてしまいます…。

  • 高石垣の南西端から眺める伊賀上野市街です!<br />あの山の向こうは昨日までいた奈良でしょうか。

    イチオシ

    高石垣の南西端から眺める伊賀上野市街です!
    あの山の向こうは昨日までいた奈良でしょうか。

    伊賀上野駅

  • それでは天守閣に登ってゆきましょう(登閣料500円)。

    それでは天守閣に登ってゆきましょう(登閣料500円)。

  • 天守閣は三層建になっていて、藤堂家時代の甲冑や兜などの展示がなされています。<br /><br />それにしても、この天守閣は(昭和10年の)再建天守とはいえ木造の造りなので、とても趣があっていいですね(さすがにコンクリートむき出しだと萎えますし…)。

    天守閣は三層建になっていて、藤堂家時代の甲冑や兜などの展示がなされています。

    それにしても、この天守閣は(昭和10年の)再建天守とはいえ木造の造りなので、とても趣があっていいですね(さすがにコンクリートむき出しだと萎えますし…)。

  • 天守閣の三層からの眺め。<br />四方をまわって見るとすべて山に囲まれている盆地であることがよく分かります。

    天守閣の三層からの眺め。
    四方をまわって見るとすべて山に囲まれている盆地であることがよく分かります。

  • あ…あそこの黒いものは忍者でしょうか!!!<br />(シロウトには見つからないはずなのですが…)

    あ…あそこの黒いものは忍者でしょうか!!!
    (シロウトには見つからないはずなのですが…)

  • 下から見上げる大天守と小天守。<br /><br />少し小ぶりではありますが、美しい白壁と伊賀盆地の眺望がとてもよいお城でした。

    イチオシ

    下から見上げる大天守と小天守。

    少し小ぶりではありますが、美しい白壁と伊賀盆地の眺望がとてもよいお城でした。

  • 最後に青空をバックにお城を撮影して終了です。。。

    最後に青空をバックにお城を撮影して終了です。。。

  • 伊賀上野城からさらに北の方へ細い石段の道を進んでゆくと…。

    伊賀上野城からさらに北の方へ細い石段の道を進んでゆくと…。

    伊賀上野城 名所・史跡

  • 〔俳聖殿(国指定重要文化財)〕<br /><br />そこには、二層の塔建のユニークな?檜皮葺の建物が。。。<br />この建物が芭蕉翁生誕300周年を記念して1942年に建てられた俳聖殿です。

    イチオシ

    〔俳聖殿(国指定重要文化財)〕

    そこには、二層の塔建のユニークな?檜皮葺の建物が。。。
    この建物が芭蕉翁生誕300周年を記念して1942年に建てられた俳聖殿です。

    俳聖殿 名所・史跡

  • この上層の屋根が芭蕉翁の笠、その下部が顔を、下層の屋根は蓑と衣を着た姿を表現しているそうです。<br />なるほど…一目見てそれと分かる人はかなりのセンスがあるはず(私はダメでしたが)。

    この上層の屋根が芭蕉翁の笠、その下部が顔を、下層の屋根は蓑と衣を着た姿を表現しているそうです。
    なるほど…一目見てそれと分かる人はかなりのセンスがあるはず(私はダメでしたが)。

  • (ちょっと薄暗いですが)俳聖殿の中には(当然)芭蕉翁の座像が。

    (ちょっと薄暗いですが)俳聖殿の中には(当然)芭蕉翁の座像が。

    俳聖殿 名所・史跡

  • この上野公園には他にも観光スポットがあって、特にこの伊賀流忍者博物館は、伊賀市が伊賀忍術発祥の地として売り出していることもあって人気があるようです(4トラの人気スポットランキングでも1位ですし)。<br /><br />残念ながら、今回は時間の都合でここまで。<br />(あの茅葺き屋根の建物が忍者屋敷でしょうか?)

    この上野公園には他にも観光スポットがあって、特にこの伊賀流忍者博物館は、伊賀市が伊賀忍術発祥の地として売り出していることもあって人気があるようです(4トラの人気スポットランキングでも1位ですし)。

    残念ながら、今回は時間の都合でここまで。
    (あの茅葺き屋根の建物が忍者屋敷でしょうか?)

  • さらにとなりには芭蕉翁記念館も。<br />こちらも入ってみたかったのですが、泣く泣く断念(加えて蓑虫庵にも行けなかったし…)。<br /><br />伊賀上野を観つくすには少々時間が足りなかったようで。。。

    さらにとなりには芭蕉翁記念館も。
    こちらも入ってみたかったのですが、泣く泣く断念(加えて蓑虫庵にも行けなかったし…)。

    伊賀上野を観つくすには少々時間が足りなかったようで。。。

  • 〔旧崇廣堂(国指定史跡)〕<br /><br />上野公園を後にして一度国道まで戻り、さらに西に進んでゆくと、やがて旧崇廣堂の赤い門が見えてきます。

    〔旧崇廣堂(国指定史跡)〕

    上野公園を後にして一度国道まで戻り、さらに西に進んでゆくと、やがて旧崇廣堂の赤い門が見えてきます。

  • 入館料(200円)を払うと、受付の方に入口横の展示室に案内され、まずは10分ほどのDVDを観賞。<br />この津藩10代藩主藤堂高兌(たかさわ)公が、1821年に津の藩校有造館の支校として建造したそうです。

    入館料(200円)を払うと、受付の方に入口横の展示室に案内され、まずは10分ほどのDVDを観賞。
    この津藩10代藩主藤堂高兌(たかさわ)公が、1821年に津の藩校有造館の支校として建造したそうです。

  • 藩校時代の崇廣堂を再現した模型です。<br />ここからもかなり規模の大きな藩校であったことが分かりますね。<br />赤門も当時からあったようですし。

    藩校時代の崇廣堂を再現した模型です。
    ここからもかなり規模の大きな藩校であったことが分かりますね。
    赤門も当時からあったようですし。

  • それでは大玄関から建物内に入って行きましょう。

    それでは大玄関から建物内に入って行きましょう。

  • 大玄関から入った建物が玄関棟で、教師の控室などに使われていたそうです。<br />この左側には台所棟があり、右側に講堂があるので進んでみると。

    大玄関から入った建物が玄関棟で、教師の控室などに使われていたそうです。
    この左側には台所棟があり、右側に講堂があるので進んでみると。

  • 広い畳敷きの講堂に出ました!<br /><br />この講堂は1821年の創建当時の建物で、七間四面の広さがあり、教師約10名に対し学生約300名が学んでいたそうです。。。

    広い畳敷きの講堂に出ました!

    この講堂は1821年の創建当時の建物で、七間四面の広さがあり、教師約10名に対し学生約300名が学んでいたそうです。。。

  • 講堂の奥の方(教師側)からの目線だとこんな感じでしょうか。<br />当時の熱気が目に浮かびますね〜。

    イチオシ

    講堂の奥の方(教師側)からの目線だとこんな感じでしょうか。
    当時の熱気が目に浮かびますね〜。

  • 講堂の外側は庭に面しています。<br />当時の学生はこの庭から講堂に入って行ったそうで、礼儀作法が厳しかったのでしょうか。

    講堂の外側は庭に面しています。
    当時の学生はこの庭から講堂に入って行ったそうで、礼儀作法が厳しかったのでしょうか。

  • 講堂にかかるこの扁額は、藤堂高兌公が名君で名高い米沢藩主上杉鷹山公にお願いして書いてもらったそうで、この藩校にかける高兌公の熱意が伝わってきます。

    講堂にかかるこの扁額は、藤堂高兌公が名君で名高い米沢藩主上杉鷹山公にお願いして書いてもらったそうで、この藩校にかける高兌公の熱意が伝わってきます。

  • 玄関棟と講堂のちょうど間にあるこの小さな小玄関は、別名御成玄関とも呼ばれ、藩主専用の玄関だったそうです。<br /><br />ではでは(せっかくなので)ちょっとだけ藩主の気分を味わってみましょうか。

    玄関棟と講堂のちょうど間にあるこの小さな小玄関は、別名御成玄関とも呼ばれ、藩主専用の玄関だったそうです。

    ではでは(せっかくなので)ちょっとだけ藩主の気分を味わってみましょうか。

  • 当時の藩主が臨校された際には、小玄関から入りこの中庭横の廊下を通り、奥の北控所で休息されたそうです。

    当時の藩主が臨校された際には、小玄関から入りこの中庭横の廊下を通り、奥の北控所で休息されたそうです。

  • 〔鍵屋ノ辻〕<br /><br />旧崇廣堂からさらに国道沿いを西に進み、伊賀鉄道の線路を渡った少し先に、仇討ちで有名な鍵屋ノ辻に着きます。

    〔鍵屋ノ辻〕

    旧崇廣堂からさらに国道沿いを西に進み、伊賀鉄道の線路を渡った少し先に、仇討ちで有名な鍵屋ノ辻に着きます。

  • 伊賀越鍵屋の辻の決闘とは、江戸時代の1634年12月に備前岡山藩士であった渡辺数馬とその姉婿である荒木又右衛門が、数馬の弟の仇である河合又五郎をここ鍵屋の辻で討った事件で、曾我兄弟の仇討ち・赤穂浪士の討入りと並ぶ日本三大仇討ちの1つとされています。<br /><br />しかし今はうそのように静かな公園になっていました(観光客も私以外はいませんでした)。。。

    伊賀越鍵屋の辻の決闘とは、江戸時代の1634年12月に備前岡山藩士であった渡辺数馬とその姉婿である荒木又右衛門が、数馬の弟の仇である河合又五郎をここ鍵屋の辻で討った事件で、曾我兄弟の仇討ち・赤穂浪士の討入りと並ぶ日本三大仇討ちの1つとされています。

    しかし今はうそのように静かな公園になっていました(観光客も私以外はいませんでした)。。。

  • 神社風?のこの建物が伊賀越資料館で、鍵屋の辻の決闘に関する資料などを展示しています。<br />せっかくなので中に入ってみることに(入館料200円)。

    神社風?のこの建物が伊賀越資料館で、鍵屋の辻の決闘に関する資料などを展示しています。
    せっかくなので中に入ってみることに(入館料200円)。

    【休館中】伊賀越資料館 美術館・博物館

  • (蛍光灯が反射して見づらいですが)奈良街道を進んできた河合又五郎一行を、ちょうど鍵屋の辻で待ち伏せ(右側のT字路のあたりの民家)していた様子が再現されています。

    (蛍光灯が反射して見づらいですが)奈良街道を進んできた河合又五郎一行を、ちょうど鍵屋の辻で待ち伏せ(右側のT字路のあたりの民家)していた様子が再現されています。

  • この決闘を題材にした江戸時代の錦絵も。

    この決闘を題材にした江戸時代の錦絵も。

  • 建物の奥から外に出ると、河合又五郎首洗池も残されていました。<br /><br />なお、この資料館にいたボランティアの方曰く「最近は決闘より皆忍者だからね〜。管理も大変だよ。」とのこと。<br />何となくおっしゃりたいことが分かる気がします…。

    建物の奥から外に出ると、河合又五郎首洗池も残されていました。

    なお、この資料館にいたボランティアの方曰く「最近は決闘より皆忍者だからね〜。管理も大変だよ。」とのこと。
    何となくおっしゃりたいことが分かる気がします…。

  • 表に出て、街道の道標を見てみると、「みぎいせみち、ひだりなら道」とあり、ちょうどこの場所が奈良街道と伊勢街道への分岐点であることが分かります。最初の伊賀街道も含め、ここ伊賀上野が昔から交通の要衝だったのですね。

    表に出て、街道の道標を見てみると、「みぎいせみち、ひだりなら道」とあり、ちょうどこの場所が奈良街道と伊勢街道への分岐点であることが分かります。最初の伊賀街道も含め、ここ伊賀上野が昔から交通の要衝だったのですね。

    伊賀上野駅

  • まだまだまわりたいところもあるのですが、残念ながらもう時間が許さないようです…。<br /><br />鍵屋の辻から伊賀鉄道伊賀市駅に急ぎ足で戻り(歩いて15分程度)、12:19分発の列車で伊賀上野駅へ向かいます。<br />ちなみにこの車体に描かれた(かわいい)忍者は、漫画家の松本零士氏がデザインしたそうです。

    まだまだまわりたいところもあるのですが、残念ながらもう時間が許さないようです…。

    鍵屋の辻から伊賀鉄道伊賀市駅に急ぎ足で戻り(歩いて15分程度)、12:19分発の列車で伊賀上野駅へ向かいます。
    ちなみにこの車体に描かれた(かわいい)忍者は、漫画家の松本零士氏がデザインしたそうです。

    伊賀上野駅

  • JR伊賀上野駅での乗り換えに少し時間があったので駅の外に出てみると、ここにも芭蕉翁の句碑(その⑤)がありました。<br /><br />「月ぞしる へこなたへ入せ 旅の宿」<br />(句意:この明るい月の光が道案内です。どうぞこちらへおいでになってください。この旅の宿へ。)<br /><br />最後は伊賀上野の窓口となる駅にふさわしい句ですね…。

    JR伊賀上野駅での乗り換えに少し時間があったので駅の外に出てみると、ここにも芭蕉翁の句碑(その⑤)がありました。

    「月ぞしる へこなたへ入せ 旅の宿」
    (句意:この明るい月の光が道案内です。どうぞこちらへおいでになってください。この旅の宿へ。)

    最後は伊賀上野の窓口となる駅にふさわしい句ですね…。

  • 静まりかえった駅舎に、やがて2両編成の列車が入ってきます。。。<br />12:49発の関西本線の普通に乗り、ここからいよいよ鈴鹿峠を越えて関宿へ向かいます。

    静まりかえった駅舎に、やがて2両編成の列車が入ってきます。。。
    12:49発の関西本線の普通に乗り、ここからいよいよ鈴鹿峠を越えて関宿へ向かいます。

    関宿 名所・史跡

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この旅行記へのコメント (3)

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  • なつ0905さん 2012/08/18 19:16:57
    はじめまして。
    紅い翼さま

    はじめまして、、なつ0905と申します。

    先日は足あとだけでお邪魔して失礼致しました。夏に旅行じ伊賀上野に行こうかと計画していまして(連れが海を見たいと言い出しまして、、ちょっとまだ行く方角が決めきれていないのですよ、、明日出発なのに^^;)予習としてお邪魔させていただきました。

    伊賀上野城の石垣凄いですね〜。石垣って写真で臨場感を表現するのって難しいですが、それでも十分この石垣の高さが伝わってきます。是非行ってみたいなぁ伊賀上野城!

    これからもちょくちょくお邪魔させていただくことがあるかと思います。
    どうぞよろしくお願いいたします♪

    紅い翼

    紅い翼さん からの返信 2012/08/24 23:04:22
    RE: はじめまして。
    なつ0905さま

    こちらこそはじめまして。ご訪問いただきありがとうございます。

    > 夏に旅行じ伊賀上野に行こうかと計画していまして(連れが海を見たいと言い出しまして、、ちょっとまだ行く方角が決めきれていないのですよ、、明日出発なのに^^;)予習としてお邪魔させていただきました。

    もうお戻りになったころでしょうか。
    伊賀上野はいかがでしたか?

    私のときは奈良観光後、(東京へ)新幹線で単純に帰るのはつまらないなあということで、伊賀上野〜関宿というルートをとったのですが、
    意外や意外、伊賀上野はお城跡も立派だし、他にもいろいろ見どころがあってとても面白かったです♪

    つたない旅行記ではありますが、これからもぜひぜひお立ち寄りくださいませ。

     紅い翼

    なつ0905

    なつ0905さん からの返信 2012/08/25 00:44:43
    ただいまです〜
    紅い翼さま

    ただいまです〜♪

    > もうお戻りになったころでしょうか。
    > 伊賀上野はいかがでしたか?

    戻ってまいりました。そして行ってまいりました。
    めっちゃ暑かったですが個人的にはとっても好きな街でした。

    > 私のときは奈良観光後、(東京へ)新幹線で単純に帰るのはつまらないなあということで、伊賀上野〜関宿というルートをとったのですが、
    > 意外や意外、伊賀上野はお城跡も立派だし、他にもいろいろ見どころがあってとても面白かったです♪
    >

    お城、立派でしたね(^^)石垣はやっぱすごかった!忍者博物館もけっこう面白い!そして必見は街並み!?残っているんですよね〜結構古い町並みがっ。

    私はこういうのがとても好きなので楽しかったです。同行した連れが体調が思わしくなくいつになく写真も撮れず伊賀牛も食せずちょっとがっかりな旅だったので、今度はお一人様かわがまま言える弟と訪ねてみたいなぁと思っているくらいです。

    これからもどうぞよろしくです。


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