2008/11/03 - 2008/11/03
3545位(同エリア4169件中)
もろずみさん
またしても浅草散歩です。
前回、時間切れで見られなかった伝法院庭園の特別拝観にリベンジしてきました。
小堀遠州の作庭した伝法院庭園は浅草寺本坊と大書院という2つの建物を引き立たせ、バックに五重塔を配したものです。
庭園内に立つと京都にいるような錯覚すら覚えます。江戸風情の町の真ん中なのに・・・。
普段は拝観できませんし、次は何十年後になるかわかりませんから貴重な体験でした。
雷門通りでは時代祭パレードもあったり、大開帳期間なので浅草の町は大賑わいでした。
- 交通手段
- 私鉄
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今日はともかく伝法院しか目が行かないのですが、宝蔵門をくぐる時に、おや?
大わらじが新しくなっていました。
山形県村山市楯岡の人たちが10年毎に架け替えているそうです。
今年はその節目の年なのですね。 -
伝法院通りに面した門。いつも固く扉は閉じられています。
オレンジ通りの突き当たりなので目立ちます。
庭園拝観の入口ではありません。 -
隣の鎮護堂にある赤門。入口はここでもなし。
実はこの赤門は寛永寺に15代将軍・慶喜公が蟄居した建物に付随していた門を移築したという由緒正しいもの。
なので「葵門」と呼ばれています。 -
仲見世通りに面した浅草寺幼稚園の入口の門。
ここを自由に出入りする園児たちが羨ましいです。
何しろ普段は非公開の伝法院なのですから。 -
入口は五重塔の裏手の入口でした。目の前は奥山風景。
拝観料300円を払ってまず塔の中の展示を見ます。
寺宝の絵馬などずらりと並んでいて見事。
江戸博の「浅草今昔展」とセットで見れば、浅草寺のお宝を制覇した気分になれます。
300円なので奥山の小判でも入れるのかな?
あとで気づいたので試しませんでした。(^^; -
いよいよ庭園に突入です。
左手が展示室のある建物です。
どうらや塔と棟続きというわけではありませんね。
五重塔の中は去年「秩父霊場出開帳」の時に入りました。
同じ場所だったのかも知れません。地下で繋がっているみたいです。 -
順路に沿って進むと左手に小さな池。
そこの浮かんでいる木々の生い茂った経ヶ島です。
池を一周してみたいところですが、それは無理でした。 -
全景を撮るのが難しいので逆さになった五重塔を。
曇り空なのが残念ですけど。 -
何とも立派な枝垂桜がありました。
枝振りも良いし、春先にも公開して貰えないものでしょうか。 -
メインの建物の大書院です。
何と無駄のない美しい建物でしょう。
まるで京都のお寺巡りをしているような気分。 -
この大書院は明治4年(1871年)に建造されました。
再建とあるので火災にでもあったのか。
江戸時代は法親王の休憩所として使われていたそうです。 -
伝法院庭園は寛永年間に作事奉行・小堀遠州の作庭の回遊式庭園。
回遊式とは、一ヶ所から眺めるのでなく逍遥しながら景色の変化を楽しむというような意味らしい。
随所にアクセントを設けてあるのはそのため。 -
例えばこんな風に奥行きを表現してみたり。
ほら、ぶらぶらと散策したくなるような造りですよね。 -
花も紅葉も中途半端な季節なのが残念です。
辛うじて発見したコムラサキシキブ。 -
大書院の隣りが本坊の客殿でしょうかね。
浅草寺の様々な行事の時に使われるのですが、一般公開はしていません。
古いような新しいような建物です。
しかし、入母屋の破風の反り具合が何ともお洒落。 -
こんな所に石棺が横たわっています。
明治初年(1868年)の神仏分離の折、廃社となった熊谷稲荷の塚を崩した時に発見したとか。
古墳時代のものらしいです。
都内でこんなに古いものが出土するとは驚き! -
遊歩道は大泉池を巡っています。
散った桜の葉が流れているのが秋らしい。
でも季節感のある植物は他になさそう。 -
ここが浅草のど真ん中とは思えない落ち着いた雰囲気。
もちろん外の喧噪は聞こえてきます。
それでも気分が落ち着く風景が広がっています。 -
日本庭園を構成するのに欠かせない滝もあります。
一体どこから水を引き入れているのでしょうね。 -
と思ったらちゃんと湧水の井戸がありました。地下水ですね。
隅田川がすぐ近くなので水は豊富ということです。 -
ツワブキとはお寺の庭園らしい植栽です。
彩りが欲しいところで現れました。
ちょっと花に元気がないですけど・・・。 -
高台から眺める大泉池の全景。
こことトップの塔を入れたアングルがお気に入りです。
次回いつ見られるかわからないので目に焼きつけておきましょう。 -
天明年間に名古屋の茶人・牧野作兵衛によって建てられたお茶室です。
「天佑庵」と名付けられています。
何でも表千家の千宗左邸にあった「不審庵」を模した造りだそうです。
ということは、千利休のデザインということです。 -
お茶室の横にはひっそりと休み家もあったりします。
やはりこの庭園は京都をそのまま持ってきたような気がします。 -
名残惜しいけど庭園拝観はこれくらいにしましょう。
広さは約4000坪あります。
さすがに法親王のお寺というだけあって、贅を凝らした造りでした。
次回の公開は10年以上ないかも知れないなぁ。 -
さて、雷門通りに出ると人が大勢集まっています。
交通規制も敷かれていつもと雰囲気が違います。
これから時代祭のパレードです。
まずは手古舞の先導で始まります。 -
浅草の時代祭は正式には「東京時代まつり」。
平成元年から京都の時代祭を真似て始まったと言います。
まぁ「サンバカーニバル」よりはマイナーです。
真剣に取材しなかったのでポイントだけ紹介。
まずは浅草寺縁起にある「観音様示現」です。
推古36年(628年)檜前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁をしていると網に黄金の観音像がかかりました。
土地の豪族・土師真仲知が屋敷を寺にして観音像を祀ったのが浅草寺の始まりです。
3人は三社大権現となって浅草神社に祀られています。 -
京都・八坂神社の祇園祭で行われていた「鷺舞」の神事を真似て創作された「白鷺の舞」です。
「浅草寺慶安縁起絵巻」の祭礼行列にあるものを昭和43年(1968年)に復元したものです。
ちゃんと見たのは初めてです。 -
パレードは、都鳥の在原業平から始まって太田道灌・源頼朝と続き、徳川家康・秀忠の江戸開府になりました。
このように江戸東京の時代絵巻が繰り広げられます。 -
時は泰平の江戸期、大岡越前の作った江戸町火消しがやって来ました。
カメラがついていけない早業で梯子が真っ直ぐに立てられます。 -
もちろん梯子乗りの演技ですよね。
「いよっ、日本一!」 -
黄八丈の着流しに黒紋付の巻き羽織は、御同輩の町方同心です。
こういう人が集まる時は掏摸が活躍するので見回り頑張ってください。 -
曇り空が一瞬晴れたかと思いましたが、ストロボでした。
浅草のきれいどころもパレードに参加してます。
追っかけカメラマンが一番多いのも頷けますね。(^^; -
時は元禄14年。播州赤穂浪人47人が主君の仇をうつためにいざ出陣。
ご存じ赤穂浪士の面々です。
だんだん楽しくなってきました。 -
どこかで見たようなご隠居が・・・。
どう見ても武家にしか見えない目つきの鋭いお供の二人を従えた天下の副将軍・水戸光圀公。
こんなに目立っちゃいけませんよ。 -
時は下って嘉永6年(1853年)の黒船来航。
ペリー提督率いる合衆国海軍東インド艦隊が浦賀沖に停泊し日本中が大騒ぎになりました。
外人さんも時代祭に参加しています。 -
パレードは明治で終わります。人力車に乗った樋口一葉です。
鹿鳴館時代とか大正浪漫くらいまでで良いですから、もう少しやって欲しいところです。
結局最後まで見てしまいましたが面白かったです。次回はちゃんと取材しよう。
ということで、庭園と時代祭の2つを楽しめた浅草散歩でした。
いつ来ても何度来ても楽しい町ですね。
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