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月島・佃島の地形散歩の後半は「佃島と新佃島散歩」を紹介します。<br />両地域は、江戸時代・明治時代に隅田川の河口につくられた埋立地です。<br /><br />佃島は徳川家康が江戸幕府を開いた時、摂津国佃村の漁民を江戸に呼び、石川島に近い埋立地の居住地と漁業権を与えたことがはじまり。<br />佃島の漁家は土間に内井戸を備え、土間は魚や漁具を洗う作業場となっており、今でもその名残りが見られます。<br />漁師町の佃島には漁民を見守る住吉神社をはじめ、稲荷神社、地蔵尊があり、小魚を保存食にした佃煮発祥の地です。<br /><br />新佃島は明治29年(1896)に新たに埋め立てた新佃島地区(現在の佃2丁目南部・3丁目)です。<br />昔の町割りは長方形に区切られ、その中を路地が細かく短冊ように造られ、現在も長屋造りの住まいが残されています。<br />石川島播磨造船所や下請け鉄工所などで働く職工(職人や労働者)向けの長屋でした。<br /><br />今日はNHK学園オープンスクールのスリバチ地形散歩に参加し、案内役は東京スリバチ学会会長の皆川典久氏。<br /><br />なお、旅行記は下記資料を参考にしました。<br />・NHK学園「月島・佃島の地形資料」<br />・note「【歴史散歩】佃島の秘密とは?タワーマンションの隣にある江戸の足跡」<br />・東京都中央区の歴史「佃堀」<br />・月島・佃路地裏さんぽ「浪除於咲稲荷神社」<br />・中央区観光協会「住吉神社例大祭(佃祭)」<br />・東京トリップ「石川島灯台」<br />・中央区環境土木部「江戸時代末期の佃島・石川島」<br />・商船三井用語集「警戒船」<br />・住吉神社のHP<br />・中央区近代建築物調査「正政商事」「天安本店」<br />・町のかたち村のかたち「佃島、取り残された江戸」:井戸、旧飯田家、「新佃島」<br />・中央区まるごとミュージアム「佃島・旧飯田家住宅の見学会」<br />・青木かま月島日記「佃島旧飯田家住宅と、築島135年の月島。月島地域に歴史あり。」:旧飯田家住宅<br />・佃煮天安「佃の地名と佃煮の物語り」<br />・肉のたかさごのHP<br />・ウィキペディア「佃堀」「佃川支川」「佃天台地蔵尊」「佃小橋」「スーパー堤防」<br />

月島・佃島の地形散歩2-2026~漁師町と運河の佃島、職工住まい長屋の新佃島~(東京)

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2026/10/21 - 2026/10/21

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かっちん

かっちんさん

月島・佃島の地形散歩の後半は「佃島と新佃島散歩」を紹介します。
両地域は、江戸時代・明治時代に隅田川の河口につくられた埋立地です。

佃島は徳川家康が江戸幕府を開いた時、摂津国佃村の漁民を江戸に呼び、石川島に近い埋立地の居住地と漁業権を与えたことがはじまり。
佃島の漁家は土間に内井戸を備え、土間は魚や漁具を洗う作業場となっており、今でもその名残りが見られます。
漁師町の佃島には漁民を見守る住吉神社をはじめ、稲荷神社、地蔵尊があり、小魚を保存食にした佃煮発祥の地です。

新佃島は明治29年(1896)に新たに埋め立てた新佃島地区(現在の佃2丁目南部・3丁目)です。
昔の町割りは長方形に区切られ、その中を路地が細かく短冊ように造られ、現在も長屋造りの住まいが残されています。
石川島播磨造船所や下請け鉄工所などで働く職工(職人や労働者)向けの長屋でした。

今日はNHK学園オープンスクールのスリバチ地形散歩に参加し、案内役は東京スリバチ学会会長の皆川典久氏。

なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・NHK学園「月島・佃島の地形資料」
・note「【歴史散歩】佃島の秘密とは?タワーマンションの隣にある江戸の足跡」
・東京都中央区の歴史「佃堀」
・月島・佃路地裏さんぽ「浪除於咲稲荷神社」
・中央区観光協会「住吉神社例大祭(佃祭)」
・東京トリップ「石川島灯台」
・中央区環境土木部「江戸時代末期の佃島・石川島」
・商船三井用語集「警戒船」
・住吉神社のHP
・中央区近代建築物調査「正政商事」「天安本店」
・町のかたち村のかたち「佃島、取り残された江戸」:井戸、旧飯田家、「新佃島」
・中央区まるごとミュージアム「佃島・旧飯田家住宅の見学会」
・青木かま月島日記「佃島旧飯田家住宅と、築島135年の月島。月島地域に歴史あり。」:旧飯田家住宅
・佃煮天安「佃の地名と佃煮の物語り」
・肉のたかさごのHP
・ウィキペディア「佃堀」「佃川支川」「佃天台地蔵尊」「佃小橋」「スーパー堤防」

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • 現在の「月島・佃島の凹凸地形図」(NHK学園資料)<br /><br />月島・佃島を横断する東京メトロ有楽町線(赤い線)。その南側が「月島地区」、北側が「佃地区」です。<br /><br />佃島は徳川家康が本能寺の変の際に岡崎城へ戻る途上、摂津の佃村(現・大阪市西淀川区佃)の村民が神崎川の渡しを手助けしたことから、そのお礼として隅田川河口の石川島への居住を認めたことに始まったといわれています。<br />摂津国の漁師は江戸時代中期(1645年)石川島南側の砂州に「佃島」を築き、故郷の佃村にちなんで「佃島」と命名しました。<br /><br />明治29年(1896)には新たに埋め立てた新佃島地区(現在の佃2丁目南部・3丁目)ができます。<br />

    現在の「月島・佃島の凹凸地形図」(NHK学園資料)

    月島・佃島を横断する東京メトロ有楽町線(赤い線)。その南側が「月島地区」、北側が「佃地区」です。

    佃島は徳川家康が本能寺の変の際に岡崎城へ戻る途上、摂津の佃村(現・大阪市西淀川区佃)の村民が神崎川の渡しを手助けしたことから、そのお礼として隅田川河口の石川島への居住を認めたことに始まったといわれています。
    摂津国の漁師は江戸時代中期(1645年)石川島南側の砂州に「佃島」を築き、故郷の佃村にちなんで「佃島」と命名しました。

    明治29年(1896)には新たに埋め立てた新佃島地区(現在の佃2丁目南部・3丁目)ができます。

  • 散歩コース1「佃堀広場・石川島灯台」(地理院地図を引用)<br /><br />月島との境界にある「新月(しんげつ)陸橋」から佃島散歩が始まります。<br />

    散歩コース1「佃堀広場・石川島灯台」(地理院地図を引用)

    月島との境界にある「新月(しんげつ)陸橋」から佃島散歩が始まります。

  • 最初に「佃堀」<br /><br />江戸時代に埋め立てられた佃島と石川島との間に残された運河は、その後、隅田川の住吉水門から逆L字に流れる佃川支川として佃と月島の間にあった佃川に流れていました。<br />佃川は佃大橋の完成後、佃川の一部が埋め立てられ、佃川支流が行き止まりとなりその部分に佃堀が作られました。<br /><br />赤い橋は「佃小橋」。その先の住吉水門までは様々な船が停泊する「船溜まり」となっています。<br /><br />その奥のタワーマンションは「大川端リバーシティ21」。<br />

    最初に「佃堀」

    江戸時代に埋め立てられた佃島と石川島との間に残された運河は、その後、隅田川の住吉水門から逆L字に流れる佃川支川として佃と月島の間にあった佃川に流れていました。
    佃川は佃大橋の完成後、佃川の一部が埋め立てられ、佃川支流が行き止まりとなりその部分に佃堀が作られました。

    赤い橋は「佃小橋」。その先の住吉水門までは様々な船が停泊する「船溜まり」となっています。

    その奥のタワーマンションは「大川端リバーシティ21」。

  • 「2つの稲荷神社」(佃堀の畔)<br /><br />正面に「波除(なみよけ)稲荷神社」。水難を防止すると言われています。<br /><br />右横に「於咲(おさき)稲荷神社」。オサキという狐が疫病を退散したと言われています。<br />

    「2つの稲荷神社」(佃堀の畔)

    正面に「波除(なみよけ)稲荷神社」。水難を防止すると言われています。

    右横に「於咲(おさき)稲荷神社」。オサキという狐が疫病を退散したと言われています。

  • 「住宅の間の狭い道」(佃堀近く)<br /><br />次は「佃天台地蔵尊」へ向かいます。<br />

    「住宅の間の狭い道」(佃堀近く)

    次は「佃天台地蔵尊」へ向かいます。

  • 「上を見ると」(住宅の間)<br /><br />住宅の中から大きなイチョウの木が伸びています。<br />

    「上を見ると」(住宅の間)

    住宅の中から大きなイチョウの木が伸びています。

  • 「佃天台地蔵尊」のお堂があります(住宅の間)<br /><br />

    「佃天台地蔵尊」のお堂があります(住宅の間)

  • お堂の中の御神木「イチョウの木」(佃天台地蔵尊)<br /><br />天井を突き抜けるイチョウの大木は樹齢400年ほど。<br />

    お堂の中の御神木「イチョウの木」(佃天台地蔵尊)

    天井を突き抜けるイチョウの大木は樹齢400年ほど。

  • 「佃天台地蔵尊」<br /><br />自然石にお地蔵さまが彫られています。<br /><br />子どもの成長祈願や長寿延命、家内安全など、諸願成就の地蔵尊と言われています。<br />

    「佃天台地蔵尊」

    自然石にお地蔵さまが彫られています。

    子どもの成長祈願や長寿延命、家内安全など、諸願成就の地蔵尊と言われています。

  • 「後光の射すお地蔵さま」に参拝(佃天台地蔵尊)<br />

    「後光の射すお地蔵さま」に参拝(佃天台地蔵尊)

  • 「おーい、こっちだよ」<br /><br />入ってきたところと反対側の出口なので、声をかけています。<br /><br />こちらの入口は佃天台地蔵尊ののぼりが立っています。<br />

    「おーい、こっちだよ」

    入ってきたところと反対側の出口なので、声をかけています。

    こちらの入口は佃天台地蔵尊ののぼりが立っています。

  • 「三角公園」<br /><br />この先、道が二手に分かれ、その真ん中にある緑の公園が敷地の形から「三角公園」。<br /><br />「佃小橋」へ向かいます。<br />

    「三角公園」

    この先、道が二手に分かれ、その真ん中にある緑の公園が敷地の形から「三角公園」。

    「佃小橋」へ向かいます。

  • 船が停泊する「佃船溜まり」(佃小橋からの眺め)<br /><br />「船溜まり」は江戸時代に埋め立てられた「佃島」の中の運河。<br /><br />正面のタワーマンションは元々あった「石川島」。<br /><br />過去の歴史を次の地図で説明します。<br />

    イチオシ

    船が停泊する「佃船溜まり」(佃小橋からの眺め)

    「船溜まり」は江戸時代に埋め立てられた「佃島」の中の運河。

    正面のタワーマンションは元々あった「石川島」。

    過去の歴史を次の地図で説明します。

  • 「明治18年(1885)の地図」(NHK学園資料)<br /><br />「石川島」⑧⑨の南側に、江戸時代に埋め立てた「佃島」⑤⑥⑦があります。<br /><br />石川島と佃島の間には運河が設けられ、佃島内の運河が現在の「佃船溜まり」と「佃堀」です。<br />

    「明治18年(1885)の地図」(NHK学園資料)

    「石川島」⑧⑨の南側に、江戸時代に埋め立てた「佃島」⑤⑥⑦があります。

    石川島と佃島の間には運河が設けられ、佃島内の運河が現在の「佃船溜まり」と「佃堀」です。

  • 「佃住吉講の立て札」(佃船溜まり)<br /><br />佃船溜まりの川底には、3年に1度行われる住吉神社の例大祭に用いる「大幟(おおのぼり)の柱」と「抱木(だき)」が、保存のため埋設されています。<br /><br />これらは松の木で作られており、空気に触れて木が腐ったり傷んだりすることを防ぐため、川底に沈めて保管しています。<br /><br />「抱木」とは、「大幟の柱」を支えるための木製の支え(土台)のこと。<br />

    「佃住吉講の立て札」(佃船溜まり)

    佃船溜まりの川底には、3年に1度行われる住吉神社の例大祭に用いる「大幟(おおのぼり)の柱」と「抱木(だき)」が、保存のため埋設されています。

    これらは松の木で作られており、空気に触れて木が腐ったり傷んだりすることを防ぐため、川底に沈めて保管しています。

    「抱木」とは、「大幟の柱」を支えるための木製の支え(土台)のこと。

  • 「大幟の柱」と「抱木」が埋設されている川底(佃船溜まり)<br /><br />住吉神社例大祭「佃祭」は、今年令和8年(2026/8/6~8/10)に行われました。<br /><br />次回は3年後の令和11年です。<br />

    「大幟の柱」と「抱木」が埋設されている川底(佃船溜まり)

    住吉神社例大祭「佃祭」は、今年令和8年(2026/8/6~8/10)に行われました。

    次回は3年後の令和11年です。

  • 隅田川付近の「佃船溜まり」(住吉小橋)<br /><br />住吉小橋を渡り、佃島から石川島の佃公園へ行きます。<br /><br />正面に見える塔は「石川島灯台」。<br /><br />橋の左側には隅田川の流入口「住吉水門」があります。<br />

    隅田川付近の「佃船溜まり」(住吉小橋)

    住吉小橋を渡り、佃島から石川島の佃公園へ行きます。

    正面に見える塔は「石川島灯台」。

    橋の左側には隅田川の流入口「住吉水門」があります。

  • 「住吉水門」(住吉小橋からの眺め)<br /><br />隅田川と「佃船溜まり」をつなぐ水門。<br />

    「住吉水門」(住吉小橋からの眺め)

    隅田川と「佃船溜まり」をつなぐ水門。

  • 「佃船溜まり」(住吉小橋からの眺め)<br /><br />石川島と佃島の間を流れる運河。<br /><br />「佃船溜まり」の突き当りを右へ曲がると「佃小橋」。<br />

    「佃船溜まり」(住吉小橋からの眺め)

    石川島と佃島の間を流れる運河。

    「佃船溜まり」の突き当りを右へ曲がると「佃小橋」。

  • 「石川島灯台」(佃公園)<br /><br />石川島の灯台は慶応2年(1866)、石川島人足寄場(にんそくよせば)奉行清水純崎が、隅田川河口や品川沖航行の船舶のため、油絞りの益金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯を築かせたもので六角二層の堂々たる灯台でした。<br />この完成を最も喜んだのは近在漁師でした。<br /><br />人足寄場とは、戸籍から外された無宿人、軽罪人らの収容、社会更正・復帰を目的とした施設で、石川島の佃島側を埋め立て、長谷川平蔵が自ら初代責任者に就任しています。<br />人足寄場での仕事は、大工、建具、塗物、紙漉き、米搗き、油絞りなどで、就労すると賃金が支給され、一定の金額に達した場合には、身元引受人を探して(戸籍を付与)釈放され、社会復帰を果たしたのです。<br /><br />現在は、佃公園を整備するにあたり、モニュメントとしての灯台(兼トイレ)を復元しました。<br />

    「石川島灯台」(佃公園)

    石川島の灯台は慶応2年(1866)、石川島人足寄場(にんそくよせば)奉行清水純崎が、隅田川河口や品川沖航行の船舶のため、油絞りの益金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯を築かせたもので六角二層の堂々たる灯台でした。
    この完成を最も喜んだのは近在漁師でした。

    人足寄場とは、戸籍から外された無宿人、軽罪人らの収容、社会更正・復帰を目的とした施設で、石川島の佃島側を埋め立て、長谷川平蔵が自ら初代責任者に就任しています。
    人足寄場での仕事は、大工、建具、塗物、紙漉き、米搗き、油絞りなどで、就労すると賃金が支給され、一定の金額に達した場合には、身元引受人を探して(戸籍を付与)釈放され、社会復帰を果たしたのです。

    現在は、佃公園を整備するにあたり、モニュメントとしての灯台(兼トイレ)を復元しました。

  • 「佃公園付近の地図」(佃公園案内板)<br /><br />隅田川上流に中央大橋、対岸に亀島川水門。<br /><br /> 〃 下流に佃大橋と対岸に聖路加ガーデンがあります。<br />

    「佃公園付近の地図」(佃公園案内板)

    隅田川上流に中央大橋、対岸に亀島川水門。

     〃 下流に佃大橋と対岸に聖路加ガーデンがあります。

  • 「隅田川の上流」(佃公園から)<br /><br />中央大橋は見えませんが、対岸に「亀島川水門」と36階建て「パークシティ中央湊ザタワー」。<br /><br />

    「隅田川の上流」(佃公園から)

    中央大橋は見えませんが、対岸に「亀島川水門」と36階建て「パークシティ中央湊ザタワー」。

  • 「秋色に変化する桜の木」(佃公園内)<br />

    「秋色に変化する桜の木」(佃公園内)

  • 「隅田川を航行する小型船」(佃公園から)<br />

    「隅田川を航行する小型船」(佃公園から)

  • 「隅田川の下流」(佃公園から)<br /><br />「佃大橋」と対岸に47階建て「聖路加ガーデンタワー」。<br /><br />左側に見える「扇子のようなオブジェ」は??<br />近づいてみると堤防の上を歩いて川に出ないようにする柵でした。<br />

    「隅田川の下流」(佃公園から)

    「佃大橋」と対岸に47階建て「聖路加ガーデンタワー」。

    左側に見える「扇子のようなオブジェ」は??
    近づいてみると堤防の上を歩いて川に出ないようにする柵でした。

  • 「住吉水門から佃船溜まりに入る船」(住吉小橋から)<br />

    「住吉水門から佃船溜まりに入る船」(住吉小橋から)

  • 「作業を終えて佃船溜まりに戻る小型船」(住吉小橋から)<br /><br />船には「警戒船」と表示されています。<br /><br />「警戒船」とは、海上工事区域や船舶が多く行き交う海域などで、安全な航行を支援するために配置される船舶です。周囲の船舶への注意喚起や事故防止に役立ちます。<br />

    イチオシ

    「作業を終えて佃船溜まりに戻る小型船」(住吉小橋から)

    船には「警戒船」と表示されています。

    「警戒船」とは、海上工事区域や船舶が多く行き交う海域などで、安全な航行を支援するために配置される船舶です。周囲の船舶への注意喚起や事故防止に役立ちます。

  • 隅田川の「堤防」(住吉小橋~佃大橋間)<br /><br />台風、高潮による隅田川水位の上昇の侵入を防ぎます。<br />

    隅田川の「堤防」(住吉小橋~佃大橋間)

    台風、高潮による隅田川水位の上昇の侵入を防ぎます。

  • 最近は「スーパー堤防」(対岸の聖路加地区)<br /><br />越水しても堤防が崩壊しないように、堤体の幅を長くしなだらかにしたものが「スーパー堤防」です。<br /><br />佃公園も「スーパー堤防」で河川や周りの景観を楽しむことができます。<br />

    最近は「スーパー堤防」(対岸の聖路加地区)

    越水しても堤防が崩壊しないように、堤体の幅を長くしなだらかにしたものが「スーパー堤防」です。

    佃公園も「スーパー堤防」で河川や周りの景観を楽しむことができます。

  • 「赤い鳥居」(住吉小橋付近)<br /><br />住吉神社へ向かう鳥居です。<br />

    「赤い鳥居」(住吉小橋付近)

    住吉神社へ向かう鳥居です。

  • 「共用の井戸」(住吉神社への参道)<br /><br />現在も井戸を使っているようです。<br />

    「共用の井戸」(住吉神社への参道)

    現在も井戸を使っているようです。

  • 「住吉神社の鳥居」<br /><br />鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製。<br /><br />白地に呉須(青い顔料)で額字や雲文を染付けています。<br /><br />明治15年(1882)に制作されました。<br />

    「住吉神社の鳥居」

    鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製。

    白地に呉須(青い顔料)で額字や雲文を染付けています。

    明治15年(1882)に制作されました。

  • 「住吉神社にお詣り」<br /><br />住吉神社は江戸初期に、摂津国西成郡(大阪市)佃村の漁民が江戸に移住した後、正保3年(1646)に現在地に創建された佃島の鎮守です。<br /><br />佃島の鎮護のみならず、水運関係の人々から厚い信仰を受けてにぎわいました。<br />

    「住吉神社にお詣り」

    住吉神社は江戸初期に、摂津国西成郡(大阪市)佃村の漁民が江戸に移住した後、正保3年(1646)に現在地に創建された佃島の鎮守です。

    佃島の鎮護のみならず、水運関係の人々から厚い信仰を受けてにぎわいました。

  • 「煉瓦造の神輿庫」(住吉神社)<br /><br />イギリス積みの蔵は、明治44年(1911)住吉神社大改修の時に建てられました。<br /><br />次は佃の漁師の住まいだったところを訪れます。<br />

    「煉瓦造の神輿庫」(住吉神社)

    イギリス積みの蔵は、明治44年(1911)住吉神社大改修の時に建てられました。

    次は佃の漁師の住まいだったところを訪れます。

  • 「正政商事」(佃1丁目4)<br /><br />大正10年に船大工棟梁と大工棟梁13名が贅を凝らして造った、佃の漁師の専用住宅です。<br /><br />町家の構えをよく残しており、出桁造り、備前のヒノキの通し柱、柾目一枚板の戸袋、サルスベリの建具桟など、随所に厳選した材料を用いています。<br /><br />中央区で数少ない震災前の建物で、保存状態が良いです。<br /><br />

    「正政商事」(佃1丁目4)

    大正10年に船大工棟梁と大工棟梁13名が贅を凝らして造った、佃の漁師の専用住宅です。

    町家の構えをよく残しており、出桁造り、備前のヒノキの通し柱、柾目一枚板の戸袋、サルスベリの建具桟など、随所に厳選した材料を用いています。

    中央区で数少ない震災前の建物で、保存状態が良いです。

  • 「雨樋の素晴らしいデザイン」(正政商事)<br /><br />銅製の雨樋に銛(もり)と波をデザインする等、漁師らしいモチーフが施されています。<br /><br />銛は長い柄の先端が3つに分かれています。<br />

    イチオシ

    「雨樋の素晴らしいデザイン」(正政商事)

    銅製の雨樋に銛(もり)と波をデザインする等、漁師らしいモチーフが施されています。

    銛は長い柄の先端が3つに分かれています。

  • 「共用の井戸」(佃1丁目4)<br /><br />江戸時代から明治にかけて、漁具を洗うために使われました。<br /><br />現在も水が出るので、生活に使われているようです。<br />

    「共用の井戸」(佃1丁目4)

    江戸時代から明治にかけて、漁具を洗うために使われました。

    現在も水が出るので、生活に使われているようです。

  • 「旧飯田家住宅」(佃1丁目3)<br /><br />旧飯田家住宅は、日本橋魚市場の魚問屋の併用住宅として大正9年(1920)頃に建築されました。<br />2025年3月、国の登録有形文化財(建造物)として登録されました。<br /><br />魚問屋らしく家の内部に生け簀と内井戸を置く広い土間があります。<br /><br />旧飯田家住宅を残すため、クラウドファンディングで地元の方を中心に資金を集め、1階は事務所として利用しながら、2階をレンタルスペースとして活用しています。<br />

    「旧飯田家住宅」(佃1丁目3)

    旧飯田家住宅は、日本橋魚市場の魚問屋の併用住宅として大正9年(1920)頃に建築されました。
    2025年3月、国の登録有形文化財(建造物)として登録されました。

    魚問屋らしく家の内部に生け簀と内井戸を置く広い土間があります。

    旧飯田家住宅を残すため、クラウドファンディングで地元の方を中心に資金を集め、1階は事務所として利用しながら、2階をレンタルスペースとして活用しています。

  • 「取外し可能な敷居」(旧飯田家住宅)<br /><br />佃島の漁家は土間に内井戸を備え、土間は魚や漁具を洗う作業場でした。<br />土間で作業する時には、水はけをよくするために玄関の敷居を取り外しました。<br /><br />敷居の中央部分に互い違いの切れ目があり、取り外し可能です。<br />以前、漁家だったことの証です。<br />

    「取外し可能な敷居」(旧飯田家住宅)

    佃島の漁家は土間に内井戸を備え、土間は魚や漁具を洗う作業場でした。
    土間で作業する時には、水はけをよくするために玄関の敷居を取り外しました。

    敷居の中央部分に互い違いの切れ目があり、取り外し可能です。
    以前、漁家だったことの証です。

  • 「1階の太い梁」(旧飯田家住宅)<br /><br />梁の端部が金物で補強されています。<br />

    「1階の太い梁」(旧飯田家住宅)

    梁の端部が金物で補強されています。

  • 「佃煮田中屋」(佃1丁目3)<br /><br />隅田川に面する佃煮を販売する通りに来ています。(防波堤の内側です)<br /><br />残念ながら諸般の事情により2026/8/15に閉店しました。<br />

    「佃煮田中屋」(佃1丁目3)

    隅田川に面する佃煮を販売する通りに来ています。(防波堤の内側です)

    残念ながら諸般の事情により2026/8/15に閉店しました。

  • 「元祖佃煮 天安」(佃1丁目3)<br /><br />建物は昭和初期の町家で、細部には丁寧な造りや技法が見られます。<br /><br />間口が狭く、佃の歴史的な地割りの形態をよく示しています。<br /><br />天保8年創業で、180年間同所で佃煮の製造販売を続ける佃の歴史を象徴する店舗です。<br /><br />初代が安吉だったので、天保年間の天と安吉の安をとり「天安」と商号を命名しました。<br />

    「元祖佃煮 天安」(佃1丁目3)

    建物は昭和初期の町家で、細部には丁寧な造りや技法が見られます。

    間口が狭く、佃の歴史的な地割りの形態をよく示しています。

    天保8年創業で、180年間同所で佃煮の製造販売を続ける佃の歴史を象徴する店舗です。

    初代が安吉だったので、天保年間の天と安吉の安をとり「天安」と商号を命名しました。

  • 「量り売りの佃煮」(天安)<br /><br />魚介類を醤油煮にした佃煮を量り売りして販売。<br /><br />魚介だけでなく、しょうが、いなご、きゃらぶき、葉唐辛子などもあります。<br />

    イチオシ

    「量り売りの佃煮」(天安)

    魚介類を醤油煮にした佃煮を量り売りして販売。

    魚介だけでなく、しょうが、いなご、きゃらぶき、葉唐辛子などもあります。

  • 「おみやげの佃煮」(天安)<br /><br />一番高いのは「うなぎの佃煮」100gが2700円。<br /><br />おみやげは、3品詰合わせ(あみ、貝ひも、お茶漬け昆布)1100円にしました。<br />「あみ」は海老に似た小さな甲殻類、「貝ひも」は帆立の貝柱の周りの部分、「お茶漬け昆布」はお醤油で煮込んだ辛口の味わいです。<br />

    「おみやげの佃煮」(天安)

    一番高いのは「うなぎの佃煮」100gが2700円。

    おみやげは、3品詰合わせ(あみ、貝ひも、お茶漬け昆布)1100円にしました。
    「あみ」は海老に似た小さな甲殻類、「貝ひも」は帆立の貝柱の周りの部分、「お茶漬け昆布」はお醤油で煮込んだ辛口の味わいです。

  • カラフルな「ヒサカキの実」(佃まちかど展示館付近)<br /><br />これから黒紫色に熟します。<br />

    カラフルな「ヒサカキの実」(佃まちかど展示館付近)

    これから黒紫色に熟します。

  • 散歩コース2「新佃島の路地散歩」(地理院地図を引用)<br /><br />佃島(佃1丁目)から新佃島(佃2・3丁目)へ移動します。<br /><br />新佃島地区は明治29年(1896)に新たに埋め立てたところです。<br />

    散歩コース2「新佃島の路地散歩」(地理院地図を引用)

    佃島(佃1丁目)から新佃島(佃2・3丁目)へ移動します。

    新佃島地区は明治29年(1896)に新たに埋め立てたところです。

  • 「長屋造りのある路地」(佃大通りの裏通り)<br /><br />2階建て長屋造りが4軒並んでいます。<br /><br />ここは佃2丁目。<br />

    「長屋造りのある路地」(佃大通りの裏通り)

    2階建て長屋造りが4軒並んでいます。

    ここは佃2丁目。

  • 「肉のたかさご」(清澄通り)<br /><br />昭和22年(1947)に「高砂牛肉店」として創業。<br /><br />自慢の味は、たかさご名物「やき豚」と黒毛和牛「ローストビーフ」。<br />

    「肉のたかさご」(清澄通り)

    昭和22年(1947)に「高砂牛肉店」として創業。

    自慢の味は、たかさご名物「やき豚」と黒毛和牛「ローストビーフ」。

  • トラス構造が美しい「相生橋」(清澄通り)<br /><br />清澄通りの越中島方面と結ぶ橋は、隅田川派川に架かる「相生橋」。<br />

    トラス構造が美しい「相生橋」(清澄通り)

    清澄通りの越中島方面と結ぶ橋は、隅田川派川に架かる「相生橋」。

  • 「出桁造りの長屋」(佃大通り)<br /><br />清澄通りを渡り、佃大通りを歩いています。<br /><br />ここも4軒並ぶ長屋造りです。<br />1階に出格子、2階の庇にかかる物干し台(今は室外機置場)等。<br />住民の方が綺麗に維持しています。<br /><br />ここは佃3丁目。<br />

    イチオシ

    「出桁造りの長屋」(佃大通り)

    清澄通りを渡り、佃大通りを歩いています。

    ここも4軒並ぶ長屋造りです。
    1階に出格子、2階の庇にかかる物干し台(今は室外機置場)等。
    住民の方が綺麗に維持しています。

    ここは佃3丁目。

  • 「坂道のある路地」(佃3丁目11)<br /><br />月島と佃島を歩いて来たのですがすべて平地。初めて坂道に出会います。<br /><br />坂道の謎は次の古地図を見るとわかります。<br />

    イチオシ

    「坂道のある路地」(佃3丁目11)

    月島と佃島を歩いて来たのですがすべて平地。初めて坂道に出会います。

    坂道の謎は次の古地図を見るとわかります。

  • 「昭和20年~25年の航空写真」(地理院地図を引用)<br /><br />矢印の先が坂道の入口。<br /><br />坂道を進んだところは隅田川なので、高台にして防波堤にしたと推測できます。<br />

    「昭和20年~25年の航空写真」(地理院地図を引用)

    矢印の先が坂道の入口。

    坂道を進んだところは隅田川なので、高台にして防波堤にしたと推測できます。

  • 「現在令和8年の航空写真」(地理院地図を引用)<br /><br />現在は坂道の先に佃三丁目公園と堤防が設置され、防波堤を充実させています。<br />

    「現在令和8年の航空写真」(地理院地図を引用)

    現在は坂道の先に佃三丁目公園と堤防が設置され、防波堤を充実させています。

  • 「坂道を進むと。。。」<br />

    「坂道を進むと。。。」

  • 「落ち着いた雰囲気の木造住宅」(佃3丁目11)<br /><br />路地を飾る植木鉢の木々がお庭のようになっています。<br /><br />路地の先は佃三丁目公園ですが、以前は隅田川の岩壁でした。<br />

    「落ち着いた雰囲気の木造住宅」(佃3丁目11)

    路地を飾る植木鉢の木々がお庭のようになっています。

    路地の先は佃三丁目公園ですが、以前は隅田川の岩壁でした。

  • 「出桁造りの住宅」(佃3丁目4)<br /><br />清澄通りへ向かう路地を歩いています。<br /><br />元は長屋造りだったようで、右半分の家屋がなくなっています。<br /><br />これで佃島の路地散歩を終わります。<br />江戸時代、明治時代の暮らしぶりを町歩きにて実感できました。<br />

    「出桁造りの住宅」(佃3丁目4)

    清澄通りへ向かう路地を歩いています。

    元は長屋造りだったようで、右半分の家屋がなくなっています。

    これで佃島の路地散歩を終わります。
    江戸時代、明治時代の暮らしぶりを町歩きにて実感できました。

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