2024/09/07 - 2024/09/07
109位(同エリア298件中)
白熊爺さん
大都会東京のど真ん中。
中央区の銭湯巡りになだれ込んでから今回でもう8湯目です。
中央区の都会のお湯で磨かれて続けて8湯目~w
これで中央区の銭湯を全て入った事になります。
今回も前回までに続き中央区にある島に行きます
ここも勝どき、月島と似たように周囲を水に囲まれた島です。
そこは佃島。
先日行った埋立地の勝どき、月島に続き
今回も歴史は古いですが埋立地の佃島です。
一番最初は銀座の金春湯。
そして今回、中央区ラストを飾るのは佃島の日の出湯です。
中央区の銭湯巡りのはじまりはじまり~~。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2024年9月7日 晴
【9月7日の歩行数 9514歩】
今日は月島駅からのスタートです。
今日は佃島に行きます。 -
月島駅を出ると周辺の観光マップがありました。
観光マップに現在地が記されています。
縦に走る色が付いてる太い道の右側は元々は佃島という島でした。
左側が月島の部分ですね。
今回は月島駅がスタートですが
エリア的には佃島と呼ばれるエリアの散歩です。
現在では月島と佃島は地続きですが
以前は月島と佃島は佃川という運河で切り離されていました。
このイラストマップの縦に走る色の着いた太い道のところに佃川がありました。 -
月島駅6番出口を出ると目の前に、、、
いきなりのタワーマンション!
ライオンズタワー月島
圧倒されます!!
佃島の持つ下町イメージをひっくり返す風景です!
こちら側は佃島側になります。 -
しかし、、
タワマンの足元には
私の思う下町の日常の世界が残っていました。
ホッとする景色です。
ではこのタワマンの前の道を行きましょう。 -
道が突き当たると
いきなりの「THE 下町」の風景が現れました。
この道の向こう側は江戸時代の切絵図を見ると
その頃の埋め立てでできた部分かもしれません。
多分ね
知らんけどw
向こうに何やら赤い幟が見えますね。
では行ってみましょう。 -
赤い幟のところにはとっても細い路地がありました。
入り口に
佃天台地蔵尊
と書かれていますねー。 -
さあさあ入ってくださいよー!
と言わんばかりなのでーw
遠慮なくお邪魔してみましょうー。 -
ううっ!!
ホントに狭い路地ですー。
入り口の幟が無ければ
関係者以外は入ってはいけない感じがするほどの
プライベート感満載の狭さです。
私の幅だと、、
壁に擦りはしませんが
よろめいたら間違いなく壁ドンしちゃますねー。
注意しながら行きましょう。 -
狭い路地の中ほどに
小さなスペースが現れました。 -
なんか、、、
入り口に太っとい木が生えてる、、、
一体どうなってるの??
これって地面から生えているんだよね? -
謎の太い木の奥に色々とありました
-
天井から
佃天台地蔵尊
の赤い提灯が下がっています。
周囲にも名入り提灯がずらりと掛かっていました。
どうやらここは多くの人に信仰されているようですね。 -
皆様へお願い
-
右側に石の祠がありました。
佃島は隅田川河口の干潟を埋め立てで完成した人工島です。
それで川で周囲を囲まれていました。
そういうわけで子どもたちの水難事故が起こらないよう
お願いするためにお地蔵さまは建てられたようです。 -
見えにくいですが
お花の後ろの石にはお地蔵さま彫られていました。
もしかしたらこちらが
佃天台地蔵尊
かも知れません。 -
しかし、、
この木はすごいなー、、、
銀杏の木なのはわかるけど、、 -
いろいろ調べていくと、、、
この銀杏の木が樹齢が400年とか300年とか書かれている記事を発見!
って事は、、
1600年代~1700年代?
って事は、、、
10年がかりの埋め立てで佃島が完成したのが1644年らしいから、、
え!
早ければその頃の銀杏の木なの??
ホント~~??
どうなんでしょー?? -
この佃天台地蔵尊は
子どもの成長祈願
長寿延命
家内安全
その他諸願成就
の地蔵尊と言われています。 -
現在は立派な覆屋が架けられていますが
以前は囲いだけだったらしいです。
う~~ん、、、
なぜゆえにこれほどの密集地に
このお地蔵さまがいらっしゃるのか、、
創立の年代やなぜここに置かれたなどは不明なようです。
天台というからには天台宗と関連あると思われていますが、、
ますます謎は深まるばかりです。 -
ではこのまままっすぐ進んでいきます。
ううーー、、
ホントに狭ーい!!
軽度の閉所恐怖症がある私には
MRI検査が苦手なのと同じくらいに
この狭さは居心地の悪さというか
早く逃げ出したいという
焦りの感覚が湧き上がります。
でも冷静に見ると
足元は綺麗に整備されています。 -
出口が見えてきました!
-
フゥ~~
シャバの空気が美味いぜ~
でもなかなかできない体験ができました。
過去に文化財指定を辞退した、という歴史もあるそう。
確かに!
これで、わんさか人が来たなら
大変な事になるのは目に見えてますね。 -
道の向こう側に鳥居が見えます。
行ってみましょう。
石の柱に赤色で寄進者の名前が刻まれた玉垣が目立ちます。
よくみたら水産関係の会社(←なのかな?)の名前が多数見られます。 -
浪除稲荷神社です。
小さいながらも境内のある神社でした。
石造りの鳥居は大正時代に建てられたそうです。 -
扁額には
於咲・浪除 稲荷大明神
と記されていました。
この境内には2つの神社が建てられているようでした。 -
鳥居から正面に見えるのが浪除稲荷神社のようです。
緑が少ない佃島界隈では貴重な大きな木ですね -
その大きな木の根本にあるのが
「さし石」と呼ばれている丸い石です。
若い衆が力自慢に石を持ち上げて見せる風習が過去にはあり、ここでは昭和20年代位まで行われていたといわれます。
同様のものを「力石」という言い方をしているところが多いかも知れません。 -
「さし」って何??
気になって調べてみました。
どうやら、
物を持ち上げることを「さす」という言い方をしていたらしいです。
「さす」のもとの語源を調べてみたら
「差し上げる」からきた言葉のようで、
ありがたいものを高々と掲げ上げることを表すようです。
お祭りのお神輿を高々と持ち上げる時ってありますよね。
あれは「神輿をさす」っていう言い方をするだそうです。
なるほどねー。
でもこの石、80kgから100kgくらいあるらしいですw
さそうと思っても
逆に刺されてしまいそうですねーw -
手水舎があります
水鉢の上には味のあるのれん状の布が下がっています。 -
こちらが浪除稲荷神社です。
可愛らしいサイズのお社です。 -
そういえば隅田川の対岸の築地にも波除神社がありましたね。
あちらはもう少し大きな社殿でした。 -
浪除稲荷大明神と書かれた扁額がかかっていました。
この扁額では「波」ではなく「浪」という文字を使われています。
Googleマップでは波と書かれていますが違いますね。
Googleマップは時々こういうミスがあるので要注意です。
近所にある築地の波除神社は「波」なのでこことは別系列なのでしょうかね? -
お隣には、、
於咲稲荷神社
が鎮座されていました。 -
於咲稲荷大明神という扁額が掲げられています
-
オサキという狐が疫病を退散したと言われています。
その当時は流行り病があったようで、
それを鎮めるために作られたそうです。 -
石垣を再建した発起人の名前がありました。
-
この場所は徳川家康から江戸に招かれた
摂津国西成郡佃村の漁師・森孫右衛門の邸宅だった場所だという話もあります。
その敷地内に稲荷神社を建立したのがこちらの神社という話もあるそうです。
どちらも
知らんけど
レベルの話ですがw -
浪除稲荷神社の裏は運河になっていました。
佃川支川というようです。
この運河は江戸時代の切絵図にも描かれているので
佃島が出来た時に作られたものなのかな?。
運河と船溜りの為に作られたのかな?
知らんけどw -
運河はここで切れていました。
この背後は佃大橋があるので大きな道になっています。
過去には佃川だった部分なのでこの運河が接続していたのでしょうね。
多分、、
知らんけどw -
佃公園 佃堀広場に来ました。
大川端リバーシティ21の高層ビル群が見えています。
大川端リバーシティ21は1986年(昭和61年)に着工し
2010年(平成22年)に竣工したようです。
大昔にこの場所に造船所のドックがあった頃のことは
おぼろげながら記憶に残っていますねー。
あの大川端リバーシティ21のあるあたりは
江戸時代には石川島という島でした。
石川島は隅田川の河口にあった一部陸化していた干潟を埋め立ててできた島です。
1626年(寛永3年)に江戸幕府船手頭の石川八左衛門重次が
そこに居を構えたことから石川島と呼ばれたそうです。 -
あの石川島ができてから後に
石川島につながるように佃島ができました。
大阪の佃から呼ばれた漁師たちが石川島の南の干潟を
漁の合間に自力で約10年以上の年月をかけて
正保元年(1644年)に完成したのが佃島らしいです。
その5年後の慶安2年(1649年)になると佃島には戸数80軒、居住者160余名になったというのですから大したものです。
そもそもが、
その佃島の埋立地を作らなければならなかった理由というのは
それまで武家屋敷地域に住んでいた民間人は
法改正によって武家の住む地域に住めなくなりました。
それで武家屋敷外に出ていかなければならなかったからだそうです。
なんとも理不尽な話ですな~。 -
そもそもなぜ大阪の佃から漁師さんが江戸に呼ばれたのか?
徳川家康が色々と佃の漁師さんに恩義を感じて
高待遇で江戸に呼び寄せたという話があります。
でも、違う話もあって、
徳川家康が入府した当時の江戸は
漁業の関連の技術や設備は稚拙で貧弱だったそうです。
そして海産物の流通の基盤自体は確立して無かったそうです。
大阪の佃の漁師たちが大型の漁船で大船団を組んで
江戸湊に入港して来たときはそのスケールの大きさに
江戸の庶民は大層驚いたそうです。
それで佃の漁師さん達は江戸の水産業の発展や
海産物の流通システムなどの基盤も整備したらしい
という話もあるようです。
その辺もひっくるめての徳川家康の江戸プロジェクトだったのかもね。
本当に大した人です。
そもそもが、
いくら高待遇でも当初は佃の漁師さんは江戸に来ることには
あまり乗り気では無かったという話もあるようです。
でも徳川家康があまりにもしつこく何度も誘ってくるので仕方なく、、
といった感じだったという話もあるようです。
いずれも、
知らんけど
レベルの話のようですがw
背後の高層ビル群と運河の風景がなかなか絵になります。
この佃公園 佃堀広場ではお母さんと子供さんが集まって楽しそうに遊んでいました。
そういう穏やかな雰囲気がする公園でした。
皆さん多分近所のタワマン住まいなんでしょうかね?
都心に近くてこういう公園が自宅の近所にあるなんて
セレブ生活はすごすぎますねーw -
と、ひとしきりセレブ生活をうらやんでから~w
佃公園 佃堀広場から道沿いに進むと
目の前に土手が現れました -
土手の上に上がってみました。
土手の上は遊歩道として整備されていました。 -
土手の上から見る景色は、、、
ん~~~
なかなかの良い眺めじゃー -
では、ここで左から右へ見てみます。
こちらは隅田川の下流方面です。
すぐそこに見えるのは佃大橋。
下を流れるのは隅田川。
この佃大橋の建設に伴い月島と佃島を隔てていた
佃川が埋め立てられてこの佃大橋の取り付け道路となりました。
この佃大橋が架けられたタイミングで
月島と佃島が地続きになったというわけです。 -
佃大橋ができたのは
1964年(昭和39年)8月27日だそうです。
後ろに見えてる親子のような2棟の高層ビルは聖路加ガーデンのビルです。
1994年にできたビルです。
このビルができた時に、
高いところが好きな私は展望台があるかと思って
喜び勇んでいそいそと来てみましたが、、
そういうものはこのビルには無かったです(泣)
高級そうなレストランはありました。
もちろん入らなかったけど~w
あの場所にはもとは聖路加国際病院がありましたねー。
クラシカルな建物が素敵な病院でした。 -
この佃大橋ができる前は
この近くから「佃の渡し」が対岸まで結んでいました。 -
久しぶりにこうしてみると
隅田川の対岸もずいぶんと高層化してますねー -
こちらが隅田川の上流方面です
-
土手の背後には民家が迫っていますね
-
ここからだと屋根よりも高い感じですねー
-
この土手がまさに命綱という感じがします
-
これでグルリと一周しました
-
では土手を降りて行きます
-
土手沿いには趣がある街並みが残っています
-
最初に来たのが
佃源 田中屋
です。
こちらは天保5年(1837年)創業です。
こちらは佃に現存する佃煮の老舗の3軒の中の1軒ですね。 -
私は久しぶりに来ました。
前回来たのは、、
多分、、
思い出せないくらい前w -
店内は全然変わっていませんでした。
接客は昔のままの家族的でほっこりした感じ。
板の間で正座して接客されています。
売り場は板の間の帳場という雰囲気のままでした。
対面で一つ一つその場で量り売りという昔のままのスタイルでした。
店内は狭いので前のお客さんが店内にいたら
店内の客が外に出るまで次の客は外で待つ
という気遣いは以前はありました。
今回来てみて、、、
今時はそう言う気遣いができない人が普通にいて、
狭い店内が窮屈になるという事に少し驚かされます。
そう感じるのは私が古い人間だからなのでしょうね、、、 -
購入したのはこちら。
どれも美味しかったです。
でも並んでいる種類が多いし、
好きなものばかりなので迷いますねー。 -
次にお邪魔したのが
佃煮 天安 本店
です。
こちらは天保14年(1843年)創業
こちらも佃に現存する佃煮の老舗の3軒の中の1軒ですね。 -
江戸時代の頃には住吉神社の参拝客が結構いたそうです。
その参詣客が佃で泊まった船宿で天安の佃煮がよく出されたらしいです。
その参詣客が手土産に天安の佃煮を買ったことから佃煮が徐々に広まっていったらしいです。 -
天安はこの建物の佇まいも良いですよね。
店内は以前来たままで田中屋さんと似た感じの作りです。
接客もその場で詰めてくれて包んでくれるという昔のままでした。
接客も穏やかで昔のままでよかったです。 -
こちらの佃煮でつかわれてるお醤油は
300年ほどの歴史がある千葉県産の「澪つくし」を使っているそうです。
澪つくしの入正醤油は享保9年(1724年)創業ですね。
某HKの朝のドラマの「澪つくし」のロケにも使われたという話もあります。
以前行ったことがありますが趣ある醤油蔵でした。 -
天安でもお買い上げしました。
-
天安では4品お買い上げ。
どれも美味しいです。
田中屋さんと食べ比べると、
同じ素材でも味の個性の違いがハッキリとあって楽しいですね。
どちらのお店もそれぞれ違う感じの味です。
どちらも美味しいので絞り切れずに困ります。
そのままご飯に乗せて良し
おにぎりにして良し
お茶漬けにして良し
野菜と揉み込んで良し
我が家では大活躍で
ケチンボなのでチビチビ使っていますが
あっという間に無くなります。 -
少し行くと
佃まちかど展示館
がありました -
中に入ることはできませんが
ガラス張りなのでガラス越しに中を見ることができます -
近くに来ると意外に大きな建物でした。
-
展示されてる千貫神輿は一際目を引きますね。
あまりの重さに200人の怪我人が出たという逸話には
ちょっと笑ってしまいましたw -
古地図や古写真も外から見ることができます。
-
佃公園の案内図がありました。
この地図でこの辺りのイメージをつかみましょう。
現在のこの地図は北が右という感じの地図ですね。
ざっくりとしたイメージで言うと、
この看板のL字の水路の辺りから左側半分が佃島で
右側半分の三角形っぽいところが石川島と言う感じの配列です。
この石川島と佃島は両方とも江戸時代の埋め立てで出来た島ですね。
この2つの島はセットで歴史を歩んできた感じですね。 -
佃島渡船場跡の看板がありました
佃の渡しは正保元年(1644年)から昭和39年(1964年)に佃大橋が完成するまでの300年以上の間、佃島と対岸を結んでいました。
最盛期の昭和30年7月には1日に70往復していたらしいです。
最近YouTubeで見た(←2025年の話ねw)
松原智恵子さんの主演映画の「霧子のタンゴ」の中で
この佃の渡しが何度も出てきていていました。
この映画が公開されたのが昭和38年(1963年)です。
まだ佃大橋は完成していないので
おそらくこの頃もまだまだ最盛期だったのでしょうね。
通勤時間の佃の渡しの風景がなかなかの活況を呈していたことが伺えます。
船内は立ち乗りで混雑してる具合とか
乗船下船の待ったなしの慌ただしさとか、
どことなく50年近く前の香港のスターフェリーっぽかったです。
関係ないですが、、
この頃の松原智恵子さんは本当に美しい~~。
この映画も機会があれば是非是非ご覧になって~~。
奈良岡朋子さんは出番が短いながら
しっかりと見所を作っているのもさすがでした。
若い頃のフランク永井さんが歌うシーンもあるので、
彼の若い頃の歌声も聴けますから良いですよー。
フランク永井さんって声は大人っぽくて渋いけど、
今見ると童顔で可愛い顔してるんですね。
とってもラブリ~w
これも新しい発見でした。 -
近くには佃島渡船場跡の石碑もあります。
この碑は昭和2年(1927年)3月に手漕ぎ渡船から
無賃の曳舟渡船へと変わった事を記念して建てられたものだそうです
川の対岸の中央区側にも同じような石碑がありました。
渡し船だから対岸にあるのは当たり前か~w -
その近くにあった
北條秀司句碑
新派の「佃の渡し」の作者の句碑ですね。
「佃の渡し」は新派の名作ですね。
北條秀司の作・演出で昭和32年12月に新橋演舞場で初演されました。
一人の俳優がおきよ・お咲の姉妹を演じます。
真面目な姉とちょっとルーズな妹の対比が面白く、
それを同じ俳優が早替わりで演じるのが見どころの作品です。
私の中では水谷八重子さん(←2代目の方ね)の舞台が記憶に残ってますねー。
現在でも時々上演されているのでご存じの方も多いと思いますね。 -
北條秀司句碑のすぐ横に
つくだに丸久
がありました。
こちらは安政5年(1859年)創業
こちらも佃に現存する佃煮の老舗の3軒の中の1軒ですね。
こちらは建物がすっかりと新しくなっていました。
以前の建物もどちらかというと普通の現代風の建物でした。
今回は中にお客さんが数組いて
お店の方と長々と話し込んでいる様子が外から見えたので、
小心者の私は華麗にスルーしました~w -
老舗ではないですが
この路地の奥にも佃煮屋さんがあります。
手前の家が無くなったので
ここからでもよく見えています。
私はこちらのお店では購入した事はまだ無いです。 -
少し歩くと
美食腸食ブリオン
がありました。
少々暑いのでちょっと休憩することにします。 -
中は新しくて綺麗でした。
細長い店内で入り口付近に調理スペースがあり、
奥にカウンター席と大きなテーブル席がありました。 -
奥から入り口方面を見た感じ。
白と木目のシンプルなすっきりとした印象の店内です。 -
大きなテーブルはグループでも対応できそうでした。
-
北海道ソフトクリーム 599円を注文しました。
濃厚で美味しかったです。 -
かりんとうが2本刺さっていたのがうれしい。
かりんとう大好きw
ワッフルコーンが2色だったのも珍しかったです。 -
ふと見た前の壁に、、
グリーンティーレモネード
と書かれたチラシが目に入りました。 -
グリーンティーレモネード 700円
味の想像が全くつきません。
せっかくなので頼んでみることにしました。 -
グリーンティーレモネードが来ました
見た目は抹茶系の飲み物という風情ですね。 -
飲んでみると、、、
初めて飲む味の飲み物です。
それほどお茶っぽくないです。
尖りすぎないマイルドな爽やかさのレモネードでした。
とても美味しかったです。 -
それほど広くは無い店内ですが
なんとなくまったりしてしまう雰囲気のお店です。
お店の方もゆったりしていて良い感じでした。
ここにはまた来る予感がするーw -
では元気になったのでお散歩再開です。
-
美食腸食ブリオンの前に大きな鳥居がありました
-
鳥居から振り返ると
遥か彼方にも鳥居が見えます -
こちらは住吉神社の一の鳥居とも言われているようです。
参拝用の船が隅田川から上陸して最初にくぐる鳥居ですね。 -
ということは、、
あの石段の向こうは隅田川ですね。
では行ってみましょう。 -
石段を登って振り返ってみました。
ここからもこの赤い鳥居のまっすぐ先に住吉神社が見えますね。
では土手沿いに右へ行きます。 -
土手を右に行くと大きな水門が現れました。
住吉水門です。
この住吉水門は
映画、テレビアニメにもなった人気漫画「3月のライオン」の
印象的な場面で頻繁に出てくるので聖地巡礼で来るファンの方も多いようです。 -
ここを管理してる東京都建設局のデータでは
竣工が昭和40年度だそうで
平成28年度に改修されてるらしいです。
形式は鋼製単葉ローラーゲート
径間は4m×1連
門扉高さは5.65m -
住吉水門の向こう側は隅田川です。
通常時は船舶が通航するために開放しているそうです。
高潮あるいは津波時には閉鎖されるようです。 -
振り返った後ろ側は佃堀です。・
佃川支川という呼び方もされているようです。
現在は埋め立てられてしまった佃川に接続していた歴史があるのでその様な名前なのかも知れません。
もちろん
知らんけどw -
この佃堀は先程見た佃公園の運河にL字の形で繋がっています。
切絵図を見てみると佃島が埋め立てられた時からある堀のようです。
この堀の右側が佃島です。
堀の左側は石川島になります。 -
住吉小橋の上から石川島方面を見た感じ。
手前の古風な石川島灯台と背後の大川端リバーシティ21の対比が面白いですね。 -
住吉小橋を渡り切りました。
ここからは石川島になります。
橋の向こうは佃島です。 -
見上げると石川島灯台がそびえたっています
-
石川島灯台に上がる階段がありました。
下はトイレになっていました。
なんか、、、
ちょっと意外な組み合わせだったので不思議な感覚になりました、、 -
ここは広場になっていて水辺まで近づけるようです。
開放感があって気持ちが良い眺めの広場です。 -
こんなに素敵なのにとても空いています
-
ん~~
良い眺めじゃ~ -
聖路加ガーデンも見えるのー
-
佃大橋も見える
-
背後には石川島灯台と公衆トイレ
-
広場の隅っこにこんなものが、、、
隅田川とセーヌ川って友好河川だったんですねー。 -
みどりの風 木内禮智
後ろから見ると
自分も同じ風を感じている
という感じになる動きが伝わってくるのがよくわかる彫刻ですね。
この彫刻は同じものが都内には3体くらいはあるようです。
人気のある彫刻なんですね。
それもわかりますね。
この方は「春風」という彫刻も知られていて、
やはり風を感じる造形で良い感じです。
そういえば、
以前旭川の買い物公園の端っこで見た両手の彫刻もこの方の作品だったように思います。
あれは印象に残りましたねー。
パブリックアートの彫刻を日本各地で数多く手がけている方なので、
この方の作品を知らないうちに目にしているかも知れませんね。 -
水際まで降りて来ました。
左から右に見てみます。
佃大橋の下を船が潜っていますね。 -
今日の隅田川は穏やかです。
船が下流から上流へ向かっています -
どうやらあの船は屋形船のようですね。
よく見たら「あみ春」という屋形船です。
調べてみたら浅草橋の屋形船のようです。
15人くらいから貸し切れるようです。
今はお客さんは乗ってない時間のようです。 -
屋形船は上流に向かっていきました。
-
集団行動はとても苦手な私です。
屋形船にひとりでのんびり乗ってみたい~。
でもお金がないので一人で貸切は夢のまた夢~~w -
振り返ると
みどりの風と石川島灯台 -
みどりの風と大川端リバーシティ21
-
ここに江戸時代末期の地図がありました。
この地区では北が左になっています。
佃島が右側。
2つの島になって橋がつながっています。
その上の小さな島は佃島の一部のように思いますがよくわかりませんでした。
石川島が左側。
石川島人足寄場となっています。
時代劇によく出てくる名前ですね。
無宿人の社会復帰を目指す更生施設、職業訓練施設ですね。
この石川島人足寄場は明治維新まで存続していたようです。 -
これはどうやら石川島灯台のモニュメントのようです。
石川島灯台は1866年(慶応2年)に建設されたようです。
昔は六角二層の立派な常夜灯だったそうです。
江戸湾から入ってくる船への目印として建設されました。
現在のこれは公衆トイレとして建設されたようで
このモニュメントがメインでは無かったようです。 -
東京名勝図会「つくだじま」で見ると確かに石川島灯台は六角形風には描かれてはいました。
でも遠景で描かれているのでツルンとした印象です。
そういう意味では現在のモニュメントと似た印象なのかも知れません。
でもせっかくならば、
同じお金をかけるならば、
四角ではなく六角で似たような形にして欲しかったという気もしますねー。 -
モニュメントの中には入れませんが
高い場所にあるので眺めは良いです。
住吉小橋は眼下に見えます。
橋の向こうは佃島
橋のこちらは石川島 -
ふと見上げると
大川端リバーシティ21。
石川島灯台モニュメントとの対比が面白いです。 -
下に降りて来ました。
これから住吉小橋を渡ります。
今いる石川島から橋の向こうの佃島に渡ります。 -
住吉水門を右手に見つつ住吉小橋を渡ります
-
住吉小橋の上から左手に佃堀をみながら住吉小橋を渡ります
-
住吉小橋を渡りました。
眼前に聖路加ガーデンの高層ビルが見えます。
まるで親子で手を繋いでるように見えますね。 -
一の鳥居まで戻って来ました。
遥か向こうに鳥居が見えてますね。
あそこを目指して行きます。 -
鳥居を目指す道は下町らしい街並みが続いていますね。
ここは鳥居に続く道だから表参道にあたるのかな? -
神社の境内前に着きました。
社号標がありました。
ここは住吉神社ですね。
江戸時代の頃は江戸湊(東京湾)の玄関口にあったことから、
海上安全などの守護神として信仰を集めてきたようで
名所図解に描かれたり参拝客も各地から訪れていたようです。 -
この住吉神社は正保3年(1646年)6月29日 に奉遷祭祀したのが起源のようです。
お祭りされているのは
主祭神が住吉三神で
底筒之男命(そこつつのおのみこと)
中筒之男命(なかつつのおのみこと)
表筒之男命(うわつつのおのみこと)
相殿神が
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)→神功皇后の事
東照御親命(あずまてるみおやのみこと)→徳川家康の事
という事らしいです。 -
社務所・授与所
この神社の起源は、
摂津国西成郡田蓑島(現 大阪市西淀川区佃)にて、
神功皇后が妊娠したまま男装で三韓征伐(←新羅、百済、高句麗を服従させた事)の際に住吉の社(現 田蓑神社)で参拝したそうです。
その後、三韓征伐の時に住吉三神に助けてもらったそうです。
時が流れて、、、
徳川家康が村名を田蓑から佃に変えさせた時に
田蓑の村名を残すべく
住吉の社から田蓑神社に名前を変えたようです。
そして徳川家康と佃の人たちと共に江戸に来て
この地に住吉の社の分神霊を奉還されたのが起源のようです。 -
右手にあるのは手水舎?
-
手水舎ではなく
水盤舎
という名前でした。
この建物は明治2年に建てられました。
手を清める水盤は天保12年(1841年)に
木綿問屋の「白子組」から奉納されたという事です。 -
四周の欄間には佃島周辺を描いた浮彫が配されています。
-
このの欄間にも佃島周辺を描いた浮彫が配されています。
-
見事な彫物ですね
-
これとスマホ歩きを同列に見る人が世の中にいるという事実。
マジで?? -
右手に少し入ったところで一際目立っていました。
鰹塚
でした。 -
解説版
-
昭和28年(1953年)に東京鰹節類卸商業協同組合から奉納されたようです。
-
近くで見ると大きい石碑です。
高さ3メートルあるようです。
色が鰹節みたいな色なのが面白いです。
鰹の大漁祈願と慰霊のために建てられたそうです。
毎年5月末に祭典が行われるんだとか。 -
ふと見た足元の台座の石が海の荒波みたいに見える~。
なんだか高そうな石ですね~。 -
さらに奥に進むと、
台座に住吉組と刻まれている石灯籠がありますね。
氏子達によって構成された講がこういった石碑のような物を建てるのだそうです。 -
建物には凝った透し彫りがあちこちにありますねー
-
石造りの鳥居がありました。
二の鳥居ですね。
ここから境内に入ります。 -
鳥居のかたわらには大きな銀杏の木ありました
-
埋立地の佃島にあるので
境内は狭いんだろうなーなんて勝手に思ってました。
それで少しコチャコチャしてると思いましたが、
意外に奥行きがあって思ったよりも広い境内ですね。 -
この鳥居には珍しい陶器でできた扁額が掛かっていました。
明治15年(1882年)に陶器問屋から奉納されたそうです。 -
この扁額には「住吉神社」と力強い文字で書かれています。
題字は有栖川宮幟仁親王の筆とのことで、
中央区民文化財にもなっているそうです。
陶製の扁額は私は初めて見た気がします。
中央区の有形文化財に登録されているようです。 -
阿型の狛犬さん
-
吽型の狛犬さん
-
正面に拝殿が見えています。
社殿は拝殿・幣殿・本殿が一体となった 権現造りだそうです。
社殿は何度か火災で消失したようです。
現在の社殿は明治3年(1870年)に再建されたようです。 -
拝殿の手前左に
龍神社
がありました。 -
扁額
文政5年(1822年)に鎮座されたようです。
天保9年(1838年)に佃島にあった龍神を合祀。
天保10年(1839年)に日本橋白木屋の大弁財天を合祀。
という歴史があるようです。 -
解説版がありました
龍姫大神(タツヒメノオオカミ:豊玉姫神)
於迦美大神(オガミノオオカミ)
竜王弁財天
の3柱を祀られるようです。
病気平癒・開運出世・商売繁盛・諸芸上達
のご利益があるとされているようです。
巳の日は竜王弁財天の縁日で多くの方々が参拝されるようです。
歳徳開運出世守というお守りは「巳の守」として、
その年の最初の「巳の日」にのみ頒布されるお守りのようです。 -
拝殿の左手奥に趣のある煉瓦の建物がありました
旧神輿庫
明治44年(1911年)の住吉神社大改修の時に建てられたそうです。 -
解説版
-
この蔵の煉瓦はイギリス積みという煉瓦の積み方だそうです。
現在、宮神輿は入船稲荷神社の左側のコンクリートの蔵に新神輿・旧神輿ともに納められています。
現在ここには神輿は保存されていないようです。 -
旧神輿庫の手前に
古河神社(ふるかわじんじゃ)
がひっそりと佇んでいました。
小道の奥にある石の小さな祠です。
祭神は不詳
御神徳は水辺の守護
佃島周辺の水辺を守る神様のようですね。
常に水との関わりがある埋立地らしい石の祠ですね。 -
住吉神社の拝殿。
摂津国佃の漁夫33人と共にやって来た
住吉の社の神職平岡権大夫好次が、
この地に社地を定め、
正保3年(1646)6月29日
住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀したようです。
佃島は江戸湊の入口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。 -
佃島は江戸湊の入口に位置しています。
海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から
海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めたようです。
その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行なわれていきました。
今ではその地域の氏神として信仰されているようです。 -
解説版
-
拝殿の横に祠がありました
-
船魂神社です。
文久3年4月に鎮座しました。
佃島の船大工が祭祀していたものを住吉神社へ遷座したと言われています。 -
御祭神
船魂神ふなだましん
住吉三神すみよしさんじん
御神徳
船体安全・大漁満足・航海安全 -
ブレてますが~w
船魂神社の扁額 -
船魂神社の隣、藤棚の奥にひっそりと祠があります。
疱瘡神社・疫神社です
疫神社 - 嘉永3年(西暦1850年)奉祀
疱瘡神社 - 嘉永3年(西暦1850年)奉祀
祭神
素戔嗚命(すさのおのみこと)
疫神(えきじん)
御神徳
麻疹(流行病・疫病)退散 -
佃島では文久2年(1862年)に麻疹が流行し
多くの人が命を落としたようです。
その際には7尺の船を造り、
そこへ災いを移した藁の人形(ひとがた)を乗せて、
漁師の子供らの手によって沖へ流させた
という記録が残っています。
当時も現在の武漢病のような大規模な流行病があって
多くの人が苦しめられたようですね。 -
大きな藤棚がありました。
-
なかなか良い感じの藤棚ですね。
花の頃に来たかったです。 -
藤棚の横にあった判読不明のなにか、、、
-
藤棚の横に
銅製燈籠
がありました。
大正4年(1915年)に建てられたようです。
製作者は岡崎雪聲だそうです。
日本橋の麒麟像も手掛けたたようです。
映画「麒麟の翼」をYouTubeで見たばかりなので
私的にはタイムリーな話題です。 -
藤棚から二の鳥居方面を見た感じ。
思いのほか広い境内ですねー。
これは予想外でした。
この辺も江戸時代の漁師さんが
漁の合間に埋め立てたんですよねー。
なんか、、、
昔の人はすごかった!
という感じがヒシヒシとしてきます。 -
藤棚の奥に何かある?
-
「信」?
クレヨンの小僧?
よくわからん、、、 -
向こうに見えるのが先ほどお参りした龍神社ですね。
右手が拝殿。
左手が二の鳥居
という感じの位置関係です。
思ったよりも向こう側までの距離があります。
ゆったりとした広さの境内ですね。 -
藤棚から見た拝殿
渋い外観で良いですね。 -
拝殿の横に何かある
-
左の建物が宮神輿の御輿蔵のようです。
-
八角神輿の案内がありますね
-
宮神輿の御輿蔵の横はガラス張りになっています。
ここからガラス窓越しにはですが八角神輿が見ることができます。 -
住吉神社の宮神輿は「八角神輿」と呼ばれる八角形をしています。
中央区民俗有形文化財に指定されているようです。 -
元々のお神輿は天保9年(1838年)に
芝大門の万屋利兵衛により製作されたそうです。
八角形の神輿は関東では珍しいらしく、
天皇陛下の御座(高御座)を模したという話です。 -
昭和37年(1962年)までは隅田川へ神輿を担ぎながら入る
海中渡御が行われていました。
しかしながら、
1962年を最後に隅田川への神輿の海中渡御が廃止されました。
これは防潮堤の建設や河川の汚染などが理由でした。
その後時は流れて、
地元の運動により1990年には28年ぶりに渡神輿が復活しました。
佃住吉神社の例大祭である佃祭の本祭は3年に1度。
その際には平成に新調された八角神輿での船渡御も行われます。
住吉神社の宮神輿が御座船に乗って佃・月島・晴海の氏子地区を巡ります。
その時は平成23年(2011年)老朽化に伴い新たに新調された
新しい宮神輿の八角神輿が巡幸しています。
祭り当日は高さ20mに及ぶ6本の大幟が立つ風景が
なかなか勇壮な感じで良いです。
でもものすごく混雑しますがねw -
解説版
-
御輿蔵の隣に
入船稲荷神社
がいらっしゃました。 -
明治2年2月27日に鎮座しました。
佃島にはこの神社の他に
「森稲荷神社」
「浪除稲荷神社・於咲稲荷神社」
の三か所四社の稲荷神社が鎮座していて
毎年初午祭が行われます。 -
御祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
御神徳
五穀豊穣・産業発展 -
思った以上に見どころの多い神社でした。
かなり長居してしまったので
すっかりと陽が傾いてしまいました。 -
裏参道から出ます。
もうすでに目的地がすぐそこに見えています。 -
あっという間の到着ですw
-
男湯と女湯がものすごく離れています。
珍しい形の入り口です。 -
今日の銭湯は
日の出湯
です。
上は共同住宅になっているようです。 -
ガラスのドアが開いて玄関に入ると
靴脱ぎのスペースは畳1枚くらいのスペースで狭いです。
フロントスペースも畳半分くらいしかない感じです。
そこにダンボールが置かれているのでさらに狭いです。
優しそうな白髪のおじさんがフロントに座られていました。
ここで銭湯お遍路のQRコードでスタンプをいただきました。
これで43湯目です。
中央区で8湯目です。
番台から入った脱衣場も狭いです。
天井も低いので窮屈感がありました。
しかも思った以上に人が来ていて少し窮屈な感じはしました。
そしてここもあまり整理整頓されてません。
ちょっと物も多くて雑然とした感じはしました。
浴室も予想通り狭かったです。
その割に大勢の人が洗い場にいました。
入って左に浴槽が並んでいて
手前から
電気風呂、
ジェット、
深い白湯の浴槽、
水の入っていない空の浴槽、
使用していない物置と化したサウナ。
右手に櫛形に洗い場が3列ありましたが数は少ないです。
シャンプーとボディーソープは2組置かれていました。 -
フゥ~
結構なお湯でした~~
夕方だったせいかお客さんが結構来ていて
私が出る時にも入ってくる人がいました。 -
お湯は結構熱かったです。
私がギリギリ入れる上限の温度でした。
ただ熱湯だったせいか湯上りはとてもさっぱりして、
帰りの駅に向かう途中でも暑い気温にも関わらず
出る汗はサラッとしていて爽やかな感じでした。 -
全体的にはGoogleMapの口コミで書かれているような
廃墟感という感じでは無く明るい雰囲気の
普通の小さな銭湯という感じでした。
ただ整理整頓はもう少しされると
良いかな~という印象でした。
フロントのおじさんの感じが良かったので
結果的には銭湯自体の印象も悪くなかったです。
熱めのお湯が好きな人におすすめです。
私も時々は入りたくなる感じの熱めのお湯でした。 -
下町的な風景と高層ビル群の対比がなんとも不思議なエリアですねー
-
では駅に向かうとしましょうー
-
交差点に出たら左に行きます
-
少し行くと佃小橋に来ました
-
佃小橋の上から北方面の大川端リバーシティ21方面を見た感じ。
なんとも不思議な気持ちになる風景です。 -
何かありますね
-
江戸時代の埋立許可のものが埋まってるようです。
すごいですねー。 -
佃小橋の上から南方面の月島駅方面を見た感じです。
-
こちら方面から見た風景も
高層ビルと下町の風景の混ざった
不思議な気持ちになる風景です。 -
水辺には人が集まっていました。
みなさんくつろいだ雰囲気です。
水辺は心を癒すのかもしれないですね。 -
民家風な建物の右側に窓がありますね
-
窓のような部分は展示コーナーでした。
住吉講ってさっきお参りした住吉神社の
氏子さんということですかね? -
ここもお祭り関係の保存庫のなのかな?
-
於咲稲荷神社
浪除稲荷神社 -
夕方には灯りが灯ってますね
-
近辺の地図があります。
この地図の左側の三角部分が石川島ですね。
左側の四角っぽいあたりが佃島ですね。 -
佃大橋が頭上を走っています。
この下にはかつて佃川がありました。
川といっても運河ですが。 -
月島駅に到着しました。
今日はなかなか見どころ満載でした。
満足しました。
銭湯も今までにはなかった感じの銭湯で面白かったです。
本当はもう少し見所があったのですが
時間的に厳しかったので大幅に省略してしまいました。
そこは心残りですねー。
では帰りましょう。 -
帰りに寄った新橋駅にロボット駅員がいました。
最近めっきり見かけなくなったペッパー君みたいなものでしょうか?
私、こういうのに真顔で物を尋ねる事ができません。
Siriとか、オッケーGoogleとか、音声入力さえも無理なんですねー。
もうこの先、、、、
こんなんで私生きていけるんでしょうかねー?
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