2024/08/24 - 2024/08/24
151位(同エリア295件中)
白熊爺さん
大都会東京のど真ん中。
中央区の銭湯巡りになだれ込んでから今回でもう6湯目です。
中央区の都会のお湯で磨かれて続けて6湯目~w
今回は中央区にある島に行きます
四方を水に囲まれた島です。
そこは勝どき。
今更ながらに考えると勝どきって島だったんですね。
今回はそんな島にある銭湯に行きます。
一番最初は銀座の金春湯。
そして今回は勝どきの勝どき湯に行こうと思います。
中央区の銭湯巡りのはじまりはじまり~~。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2024年8月24日 曇
【8月24日の歩行数 5175歩】
今日は勝どき駅からのスタートです。 -
勝どき駅を出ると
いきなりのタワーマンション!
私の中の勝どきのイメージは
工場とか倉庫とか小さな民家風の商店が並んでるイメージなんですよねー。
いきなりのイメージ崩壊です。 -
勝どき駅から清澄通りを西へ行きます。
歩いていても以前の埃っぽい工場地域っぽいイメージは全然ありません。
おしゃれな街に変貌していました。
印象としては
都会的な街で歩いている人も小綺麗な都会の人と言う感じです。 -
何やら像がありました
-
防災 まなぶ不動尊(不動明王像)
だそうです。 -
燃え盛る炎の中に立つ不動明王ですね
-
火災救助で命を落とした新婚3ヶ月の36歳の消防団員を弔うためのものでした。
率先して火中に飛び込み人命救助を最優先に行動し
少なからずの人命を救助した方のようです。
後に人々は彼に感謝したそうです。
Only the Good Die Young
そんなBilly Joelの歌のフレーズが
私の頭の中を通り抜けていきました。 -
防災 まなぶ不動尊(不動明王像)
の横に入り口がありました。
奥には東陽院と言うお寺があるようです。 -
寺号標
-
東陽院の前に
十返舎一九の墓
がありました。 -
十返舎一九さんは皆様ご存知の「東海道中膝栗毛」などでお馴染みですね。
「東海道中膝栗毛」は現在でも形を変えて様々な媒体で上演されたりしていますね。
この方もあの蔦屋重三郎の一派で江戸の街に次々と洒落本などを出していましたね。 -
「此の世をは とりやお暇に 線香の 煙とともに 灰さようなら 」
十返舎一九の辞世の句です。
なかなかシャレの効いた人のようです -
十返舎一九はとても器用な人だったらしく、
文才があるのは当然として、
挿絵も自分で描き、
版下も自分で書いたらしいです。
それで版元さんにとってはとても重宝な作家さんだったようです。
好奇心も旺盛で狂言、謡曲、浄瑠璃、歌舞伎、落語、川柳、狂歌などなど守備範囲は広かったそうです。 -
「東海道中膝栗毛」の大ヒット以降は大変な売れっ子になり、
「最近ではいつも出版元から係の人がきて、机の横で原稿ができあがるのを待ってます」と言うほどだったそうです。
その人気も46歳の眼病の罹患からと言うもの、
作家としての実力も人気も下がっていき、
晩年は創作の縁も切れ、
飲酒で身体が不自由になり
孤独な生活を送っていたようです。
67歳で没したそうです。
先ほどのシャレの効いた辞世の句は
はたしてどんな心持ちで書かれたのか、、、
諦めなのか、
自虐なのか、
人気絶頂の頃を懐かしんでるのか、
その辺の事は知る由もありませんが
切ない気持ちになってしまいます。 -
そこで
あれ?
って思った私。 -
十返舎一九にいた江戸時代は、、、
ここはまだ海の中だったのでは??
この辺りは明治以降に埋め立てられて出来た土地のはず、、、 -
その訳は、、、
このお寺は元々は東上野にあったそうです。
関東大震災で被災したので
その頃にはすでに埋立の終わっていたこの地に引っ越しして来たようです。
なるほどねー。 -
そんな東陽院からすぐの所が今日の目的地です。
大きなマンションの地下1階にあるようです。 -
ここが入り口ですね。
入り口は大きなマンションの少し小路に入った所にありました。
ちょっとわかりにくい場所にありました。
すぐ上は普通のマンションですね。 -
今日のお邪魔する銭湯は
勝どき湯
です。 -
入り口は全然銭湯っぽく無いですねー
-
では入りましょう。
地下に降りていきます。
結構深い所にあるようです。
先日行った入船湯よりも深い場所にあるかもしれません。 -
結構深い所まで来ました。
埋立地なのにこんなに深い所まで掘っても
大丈夫なのでしょうか??
なんて、
素人以下の知識の私の考えることなんぞ
とっくに考えてるよねーw -
けっこう深いとこまで来た感じです。
やっと着いたと言う感じです。 -
では入りましょう
-
入ると自販機がありました。
ここでチケットを買います -
受付カウンターには愛想のいいお姉さんと少し機嫌の悪そうな爺さんがいました。
自販機で買ったチケットを機嫌の悪そうな爺さんに渡します。
ここで銭湯お遍路のQRコードをいただきました。
これで40湯目ですね。
男湯に入ると脱衣場は少し狭い感じでした。
脱衣ロッカーの背丈が低いのが珍しい感じでした。
浴室はそれほど広くなくて洗い場も少ない感じです。
その割に2つある浴槽は大きめでした。
左側が42度の浴槽。
ちょうど良い温度でした。
この日は薬湯なのか袋が2つ浴槽に浮いていました。
触ってみたら1つは板のようなものが入っていました。
昆布?
よくわからなかったですが少しぬるぬるしてました。
右側が28度の浴槽。
水風呂というより冷めたぬる湯。
サウナが浴槽の右にあり、カーテン付きの立ちシャワーが2つありました。
シャンプーとボディーソープがありました。 -
フゥ~~
いいお湯でした~~
結構混んでいる銭湯です。
若い人も多い感じでした。
そういう意味ではあまり落ち着かない感じではありましたが
綺麗なお風呂なので許容範囲です。
大きめのコインランドリーのある部屋がありました。
この日はコインランドリーは使えない感じでした。
ここに飲料水の自動販売機があります。
スポーツドリンクで水分補給。 -
ではそろそろ帰りましょう
-
私が出てからも次々にお客さんが来ていました。
タワマンに囲まれた銭湯なので
みなさんのお家にはお風呂はあるはずですが
やっぱり広いお風呂は時々入りたくなるんでしょうね。 -
さてさて、、
上っていきますか、、、 -
やっと着いた、、
-
小さいですが予想外に良かった銭湯ですね
-
大きなマンションの小さな銭湯
大草原の小さな家
みたいで素敵ですw -
さて勝どき駅に戻りましょう
-
周囲はタワマンだらけ。
でもここは元々は海だったんですね。
今は水に浮かぶ島です。
隅田川
朝潮運河
月島川
新月島川
に四方を囲まれています。 -
この勝どき湯のある月島2号地は
明治 から大正期に行われた「東京湾澪浚(みおさらい)工事」で造成されたようです。
隅田川を浚渫して出た土砂を盛り上げて作った土地です。
ものすごい量の土砂を隅田川の川底から掘り出したものですねー。
この月島2号地は1894年(明治27年)年に誕生したようです。
住所で言えば勝どき1丁目から勝どき4丁目にあたる四角い島です。 -
隅田川の川底から掘った土の上に
こんなタワマンが何本も建っているという不思議。
ホントに大丈夫なの??
って思ってしまいますね。 -
とかなんとかっ考えているうちに
勝どき駅に到着しました。 -
近年、勝どき駅は人口の急増で
駅構内がキャパオーバーらしいです。
今の時間は空いていますが
私が来た夕方くらいの時間帯は
ものすごい数の人がこの通路に押し寄せていました。
駅の通路のセンターに左側通行のポールが
置かれているのもそのことを表していますね。
いや~、この時間は空いてて良かったです。
ではでは、
安心して帰りましょう~。
湯上がりなので眠くなって来ました~
早く帰ろ~
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