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品川宿は、かつての東海道の第一宿です。<br />現在の京急本線北品川駅から同青物横丁駅あたりまで広がっていました。<br />この一帯は旧東海道品川宿を全面に押し出し、町おこしをしているようです。<br />旧街道沿いにはかつての遺跡等はほとんどありませんが、いろいろな説明板が点在し、街歩きを楽しめるようになっています。<br />今回は、品川宿の中でも北品川駅から南へ目黒川沿いまで、北品川宿と呼ばれるエリアを散策してきました。<br /><br />

東海道の第一宿、品川宿の中の北品川宿を街歩き

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2024/02/06 - 2024/02/06

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キャンサー50

キャンサー50さん

品川宿は、かつての東海道の第一宿です。
現在の京急本線北品川駅から同青物横丁駅あたりまで広がっていました。
この一帯は旧東海道品川宿を全面に押し出し、町おこしをしているようです。
旧街道沿いにはかつての遺跡等はほとんどありませんが、いろいろな説明板が点在し、街歩きを楽しめるようになっています。
今回は、品川宿の中でも北品川駅から南へ目黒川沿いまで、北品川宿と呼ばれるエリアを散策してきました。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
同行者
その他
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル
  • 京急本線北品川駅近くの旧東海道沿いにある「問答河岸跡」の石碑と説明板。<br />問答河岸は、かつて北品川の海岸にあった波止場の名前です。<br />三代将軍徳川家光が東海寺に訪れた際、沢庵和尚がこの辺りまで出迎えて禅問答をしたという話が『徳川実記』に記載されています。<br />浮世絵などを見るとわかりますが、旧東海道は海のすぐ近くでした。<br /><br />

    京急本線北品川駅近くの旧東海道沿いにある「問答河岸跡」の石碑と説明板。
    問答河岸は、かつて北品川の海岸にあった波止場の名前です。
    三代将軍徳川家光が東海寺に訪れた際、沢庵和尚がこの辺りまで出迎えて禅問答をしたという話が『徳川実記』に記載されています。
    浮世絵などを見るとわかりますが、旧東海道は海のすぐ近くでした。

    問答河岸跡 名所・史跡

  • ちょっと南のファミリーマート前にある「土蔵相模跡」の説明板。<br />土蔵相模は品川でも有数の規模を誇った妓楼で、高杉晋作、伊藤博文ら幕末の志士たちが密儀を行った場所として知られています。<br />外装が海鼠(なまこ)塀の土蔵造りだったことで、通称「土蔵相模」と呼ばれていました。<br /><br />

    ちょっと南のファミリーマート前にある「土蔵相模跡」の説明板。
    土蔵相模は品川でも有数の規模を誇った妓楼で、高杉晋作、伊藤博文ら幕末の志士たちが密儀を行った場所として知られています。
    外装が海鼠(なまこ)塀の土蔵造りだったことで、通称「土蔵相模」と呼ばれていました。

    土蔵相模跡 名所・史跡

  • 「土蔵相模跡」の説明板のすぐ近くにあるホテル、ゲストハウス品川宿。<br />リーズナブルな素泊まりの宿として外国人観光客に人気で、テレビで紹介されているのを何度も見ました。<br />いろいろな国や地域の人が集まり、ハウス内は人種のるつぼです。<br /><br />

    「土蔵相模跡」の説明板のすぐ近くにあるホテル、ゲストハウス品川宿。
    リーズナブルな素泊まりの宿として外国人観光客に人気で、テレビで紹介されているのを何度も見ました。
    いろいろな国や地域の人が集まり、ハウス内は人種のるつぼです。

    ゲストハウス品川宿 (GUEST HOUSE 品川宿) 宿・ホテル

  • 旧東海道のすぐ北に平行して走る八ツ山通り沿いにある品川浦。<br />かつて品川浦は「御菜肴八ヶ浦」という、とれた魚を江戸城へ納める漁村の一つに決められていました。<br />現在では、つり船や屋形船が舳先(へさき)を並べています。<br />昭和から変わらない船溜まりと、その背後に聳えるビル群がとてもミスマッチな風景です。<br /><br />

    旧東海道のすぐ北に平行して走る八ツ山通り沿いにある品川浦。
    かつて品川浦は「御菜肴八ヶ浦」という、とれた魚を江戸城へ納める漁村の一つに決められていました。
    現在では、つり船や屋形船が舳先(へさき)を並べています。
    昭和から変わらない船溜まりと、その背後に聳えるビル群がとてもミスマッチな風景です。

    品川浦 名所・史跡

  • 品川浦を分断する北品川橋です。<br /><br />

    品川浦を分断する北品川橋です。

    品川浦 名所・史跡

  • 品川浦のすぐ南にある利田神社。<br />江戸前期に沢庵和尚が弁財天を祀ったことが始まりと伝わっています。<br />もともとは旧目黒川の河口の海に突き出た砂洲に祀られていた弁天社で、江戸名所図会や歌川広重の浮世絵にも描かれています。<br /><br />

    品川浦のすぐ南にある利田神社。
    江戸前期に沢庵和尚が弁財天を祀ったことが始まりと伝わっています。
    もともとは旧目黒川の河口の海に突き出た砂洲に祀られていた弁天社で、江戸名所図会や歌川広重の浮世絵にも描かれています。

    利田神社 寺・神社・教会

  • 利田神社拝殿。<br />市杵島姫命を祀っています。<br /><br />

    利田神社拝殿。
    市杵島姫命を祀っています。

    利田神社 寺・神社・教会

  • 利田神社の境内には「鯨塚」という石碑があります。<br />江戸を驚かせた三大動物の一つ「寛政の鯨」の骨を埋めた上に建てられた供養碑です。<br />寛政10年(1798)5月1日、品川沖で体長九間一尺(約16.5m)、高さ六尺八寸(約2m)の鯨が現れ、品川の漁師たちが捕獲しました。<br />この大鯨は江戸中の評判となり、11代将軍徳川家斉が浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)で上覧されたほどの大騒ぎとなりました。<br /><br />

    利田神社の境内には「鯨塚」という石碑があります。
    江戸を驚かせた三大動物の一つ「寛政の鯨」の骨を埋めた上に建てられた供養碑です。
    寛政10年(1798)5月1日、品川沖で体長九間一尺(約16.5m)、高さ六尺八寸(約2m)の鯨が現れ、品川の漁師たちが捕獲しました。
    この大鯨は江戸中の評判となり、11代将軍徳川家斉が浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)で上覧されたほどの大騒ぎとなりました。

    利田神社 寺・神社・教会

  • 鯨塚にあやかって、利田神社前の公園には鯨のオブジェがありました。<br /><br />

    鯨塚にあやかって、利田神社前の公園には鯨のオブジェがありました。

    利田神社 寺・神社・教会

  • 利田神社のさらにやや南、品川区立台場小学校の校門前にあるのが「御殿山下台場砲台跡」。<br />江戸防衛のため幕末に築かれた「品川台場」のひとつです。<br />ペリー来航を受け、幕府は江戸湾防衛のため11基の台場築造を計画、江川太郎左衛門の指揮の下、工事を着工しましたが、資金不足により完成したのは御殿山下台場砲台を含めて6基だけでした。<br />ここには台場の石垣として使われた真鶴石と第2台場にあった品川灯台のレプリカが置かれています。<br /><br />

    利田神社のさらにやや南、品川区立台場小学校の校門前にあるのが「御殿山下台場砲台跡」。
    江戸防衛のため幕末に築かれた「品川台場」のひとつです。
    ペリー来航を受け、幕府は江戸湾防衛のため11基の台場築造を計画、江川太郎左衛門の指揮の下、工事を着工しましたが、資金不足により完成したのは御殿山下台場砲台を含めて6基だけでした。
    ここには台場の石垣として使われた真鶴石と第2台場にあった品川灯台のレプリカが置かれています。

    御殿山下台場砲台跡 名所・史跡

  • 旧東海道に戻って、こちらは藤沢宿の兄弟松。<br />現在の品川宿にはいくつもの街道松が植樹されています。<br />「街道松をつなぐ」事業として、平成5年から旧東海道の宿場町にある街道松を譲り受け植樹しています。<br />植樹した松の隣には必ず説明板がついています。<br />こちらは神奈川県藤沢市の街道松(クロマツ)です。<br /><br />

    旧東海道に戻って、こちらは藤沢宿の兄弟松。
    現在の品川宿にはいくつもの街道松が植樹されています。
    「街道松をつなぐ」事業として、平成5年から旧東海道の宿場町にある街道松を譲り受け植樹しています。
    植樹した松の隣には必ず説明板がついています。
    こちらは神奈川県藤沢市の街道松(クロマツ)です。

  • 旧東海道から西へ入るとすぐにある善福寺。<br />永仁2年(1294)の開山です。<br /><br />

    旧東海道から西へ入るとすぐにある善福寺。
    永仁2年(1294)の開山です。

    善福寺 寺・神社・教会

  • 善福寺本堂。<br /><br />

    善福寺本堂。

    善福寺 寺・神社・教会

  • 善福寺本堂には、伊豆長八が作った鏝絵(漆喰彫刻)が施されています。<br />伊豆長八(1815~1889)は江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した名工(左官職人)、工芸家です。<br />かなり傷んでいて判明しづらいですが、龍、唐獅子菊花と若葉、昇り龍下り龍が刻まれています。<br /><br />

    善福寺本堂には、伊豆長八が作った鏝絵(漆喰彫刻)が施されています。
    伊豆長八(1815~1889)は江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した名工(左官職人)、工芸家です。
    かなり傷んでいて判明しづらいですが、龍、唐獅子菊花と若葉、昇り龍下り龍が刻まれています。

    善福寺 寺・神社・教会

  • 旧東海道には街道から曲がっていく横丁に説明板がついているものがいくつかあります。<br />こちらは「台場横丁」の説明板。<br />横町の地先に御殿山下砲台(台場)が築造されたために付けられたもので、今も台場小学校や台場交番にその名を残しています。<br /><br />

    旧東海道には街道から曲がっていく横丁に説明板がついているものがいくつかあります。
    こちらは「台場横丁」の説明板。
    横町の地先に御殿山下砲台(台場)が築造されたために付けられたもので、今も台場小学校や台場交番にその名を残しています。

  • こちらは前述の街道松の一つ、袋井宿の街道松。<br />袋井宿から贈られた6本の松の一本です。<br />品川宿には他にもいくつかの袋井宿の街道松があります。<br /><br />

    こちらは前述の街道松の一つ、袋井宿の街道松。
    袋井宿から贈られた6本の松の一本です。
    品川宿には他にもいくつかの袋井宿の街道松があります。

  • 旧東海道から北へ伸びる細い公園、品海公園内にあった「東海道品川宿の石垣石」の説明板。<br />説明板の下の花壇に使用されている石材は、品海公園北隣の民家の基礎として使われていたものです。<br />かつて東海道品川宿の街道道筋の上留めと目黒川の護岸を兼ねた石垣として組まれていました。<br />

    旧東海道から北へ伸びる細い公園、品海公園内にあった「東海道品川宿の石垣石」の説明板。
    説明板の下の花壇に使用されている石材は、品海公園北隣の民家の基礎として使われていたものです。
    かつて東海道品川宿の街道道筋の上留めと目黒川の護岸を兼ねた石垣として組まれていました。

  • 品海公園近くにある法禅寺。<br />明徳元年(1390)の創建です。<br /><br />

    品海公園近くにある法禅寺。
    明徳元年(1390)の創建です。

    法禅寺 寺・神社・教会

  • 法禅寺本堂。<br /><br />

    法禅寺本堂。

    法禅寺 寺・神社・教会

  • 本堂横にある布袋像。<br />東海七福神の布袋と思って写真を撮りましたが、法禅寺は以前担当していましたが、現在は養願寺の担当です。<br /><br />

    本堂横にある布袋像。
    東海七福神の布袋と思って写真を撮りましたが、法禅寺は以前担当していましたが、現在は養願寺の担当です。

    法禅寺 寺・神社・教会

  • 法禅寺境内にあり、気になった「流民叢塚碑」。<br />この碑は、天保の大飢饉でなくなった人たちを祀る供養塔です。<br />品川宿には、農村などから流浪してくる者が多く、この附近で病や飢餓でたおれる人が891人を数えるに至ったそうです。<br />そのうち500名余りが法禅寺に埋葬されました。<br /><br />

    法禅寺境内にあり、気になった「流民叢塚碑」。
    この碑は、天保の大飢饉でなくなった人たちを祀る供養塔です。
    品川宿には、農村などから流浪してくる者が多く、この附近で病や飢餓でたおれる人が891人を数えるに至ったそうです。
    そのうち500名余りが法禅寺に埋葬されました。

    法禅寺 寺・神社・教会

  • こちらも旧東海道から北に入る「溜屋横丁」の説明板。<br />名前の由来は不明です。<br />品川宿通りから目黒川に下り、利田新地への鳥海橋が架けられていました。<br /><br />

    こちらも旧東海道から北に入る「溜屋横丁」の説明板。
    名前の由来は不明です。
    品川宿通りから目黒川に下り、利田新地への鳥海橋が架けられていました。

  • 「溜屋横丁」からさらに南にある「虚空蔵横丁」の説明板。<br />旧東海道から養願寺へ向かう横丁です。<br />訪問時は工事中でしたが、煉瓦塀が趣があり、映画のロケ地に使われたりします。<br /><br />

    「溜屋横丁」からさらに南にある「虚空蔵横丁」の説明板。
    旧東海道から養願寺へ向かう横丁です。
    訪問時は工事中でしたが、煉瓦塀が趣があり、映画のロケ地に使われたりします。

  • 「虚空蔵横丁」の説明板の前にある一心寺。<br />安政2年(1855)の創建です。<br />古くから延命と商売繁盛の寺として信仰を集めています。<br /><br />

    「虚空蔵横丁」の説明板の前にある一心寺。
    安政2年(1855)の創建です。
    古くから延命と商売繁盛の寺として信仰を集めています。

    一心寺 寺・神社・教会

  • 一心寺本堂。<br />ご本尊は成田山の分身である不動明王です。<br /><br />

    一心寺本堂。
    ご本尊は成田山の分身である不動明王です。

    一心寺 寺・神社・教会

  • 一心寺の境内にも小さな不動明王がいました。<br />

    一心寺の境内にも小さな不動明王がいました。

    一心寺 寺・神社・教会

  • 一心寺から旧東海道をさらに南下してあるのが「竹屋横丁」の説明板。<br />東海道から目黒川本流(現・なぎさ通り)に至る横町で、1800年頃の品川宿を描いた『東海道分間延絵図』に記載があります。<br /><br />

    一心寺から旧東海道をさらに南下してあるのが「竹屋横丁」の説明板。
    東海道から目黒川本流(現・なぎさ通り)に至る横町で、1800年頃の品川宿を描いた『東海道分間延絵図』に記載があります。

  • 旧東海道から聖蹟公園へ向かう道の途中にある土山宿の街道松。<br />東海道49番目の宿場町、土山宿より寄贈されたものです。<br /><br />

    旧東海道から聖蹟公園へ向かう道の途中にある土山宿の街道松。
    東海道49番目の宿場町、土山宿より寄贈されたものです。

  • 旧東海道から少し北に入ったところにある聖蹟公園。<br />ここは東海道品川宿の本陣跡です。<br />明治5年に宿駅制度が廃止された後は警視庁品川病院となりましたが、昭和13年に公園として整備され今に至ります。<br />明治元年(1868)の明治天皇東幸の際に行在所となったため「聖蹟公園」という名がついています。<br /><br />

    旧東海道から少し北に入ったところにある聖蹟公園。
    ここは東海道品川宿の本陣跡です。
    明治5年に宿駅制度が廃止された後は警視庁品川病院となりましたが、昭和13年に公園として整備され今に至ります。
    明治元年(1868)の明治天皇東幸の際に行在所となったため「聖蹟公園」という名がついています。

    聖蹟公園 (品川宿本陣跡) 公園・植物園

  • 聖蹟公園内にある「東海道品川宿の本陣跡」の説明板。<br />本陣とは、宿場町にある、大名や勅使が休息・宿泊する旅宿です。<br /><br />

    聖蹟公園内にある「東海道品川宿の本陣跡」の説明板。
    本陣とは、宿場町にある、大名や勅使が休息・宿泊する旅宿です。

    聖蹟公園 (品川宿本陣跡) 公園・植物園

  • 公園内にある「御聖蹟の碑」。<br />明治天皇が江戸城に東京城に改称した時、鳳輦という乗り物に乗って東海道を行幸した天皇が、品川宿で行在所としたのが本陣のあったこの場所、だから「御聖蹟」という訳です。<br /><br />

    公園内にある「御聖蹟の碑」。
    明治天皇が江戸城に東京城に改称した時、鳳輦という乗り物に乗って東海道を行幸した天皇が、品川宿で行在所としたのが本陣のあったこの場所、だから「御聖蹟」という訳です。

    聖蹟公園 (品川宿本陣跡) 公園・植物園

  • 新品川橋近くまで南下するとある、品川宿交流館。<br />品川宿の情報発信の場です。<br />黒塗りの外観が宿場町にマッチしています。<br /><br />

    新品川橋近くまで南下するとある、品川宿交流館。
    品川宿の情報発信の場です。
    黒塗りの外観が宿場町にマッチしています。

    品川宿交流館 名所・史跡

  • 新品川橋の袂にある御油宿の街道松。<br />東海道35番目の宿場町。御油宿から寄贈されたものです。<br /><br />

    新品川橋の袂にある御油宿の街道松。
    東海道35番目の宿場町。御油宿から寄贈されたものです。

  • 目黒川沿いにある荏原神社。<br />創立は和銅2年(709)、古くは貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と呼ばれていました。<br /><br />

    目黒川沿いにある荏原神社。
    創立は和銅2年(709)、古くは貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と呼ばれていました。

    荏原神社 寺・神社・教会

  • 荏原神社社殿。<br />弘化元年(1844)に完成したものです。<br />祈雨と止雨の守護神とされる高&#40855;神をはじめ、天照大御神や須佐之男命などを祀っており、品川の龍神さまとして多くの信仰を集めてきました。<br /><br />

    荏原神社社殿。
    弘化元年(1844)に完成したものです。
    祈雨と止雨の守護神とされる高龗神をはじめ、天照大御神や須佐之男命などを祀っており、品川の龍神さまとして多くの信仰を集めてきました。

    荏原神社 寺・神社・教会

  • 品川の龍神ということで、社殿の屋根からは龍が顔を覗かせていました。<br />

    品川の龍神ということで、社殿の屋根からは龍が顔を覗かせていました。

    荏原神社 寺・神社・教会

  • 荏原神社は東海七福神の恵比寿様ということで、境内には大き目の恵比寿様が笑顔で鎮座しています。<br />訪問時の2月上旬には、恵比寿像の後ろに寒緋桜が見事に咲き誇っていました。<br /><br />

    荏原神社は東海七福神の恵比寿様ということで、境内には大き目の恵比寿様が笑顔で鎮座しています。
    訪問時の2月上旬には、恵比寿像の後ろに寒緋桜が見事に咲き誇っていました。

    荏原神社 寺・神社・教会

  • 荏原神社の前、目黒川に架かる鎮守橋。<br />朱色の外観が参拝気分を盛り上げます。<br /><br />

    荏原神社の前、目黒川に架かる鎮守橋。
    朱色の外観が参拝気分を盛り上げます。

    荏原神社 寺・神社・教会

  • 鎮守橋は、かつては荏原神社の参道でしたが、目黒川の流路変更により今の橋になりました。<br />荏原神社には、昭和3年(1928)築の鎮守橋親柱が残っています。<br /><br />

    鎮守橋は、かつては荏原神社の参道でしたが、目黒川の流路変更により今の橋になりました。
    荏原神社には、昭和3年(1928)築の鎮守橋親柱が残っています。

    荏原神社 寺・神社・教会

  • 鎮守橋の東、目黒川に架かる品川橋。<br />江戸時代からある橋ですが、明治15年(1885)に石橋になりました。<br />宿場町っぽいフォルムが素敵です。<br /><br />

    鎮守橋の東、目黒川に架かる品川橋。
    江戸時代からある橋ですが、明治15年(1885)に石橋になりました。
    宿場町っぽいフォルムが素敵です。

    品川橋 名所・史跡

  • 品川橋の途中には東屋まであります。<br /><br />史跡等はあまりない現在の品川宿ですが、道幅の狭い旧街道は何となく江戸時代を感じさせる佇まいです。<br />点在する説明板も興味ある内容のものばかりで、楽しめる街歩きでした。<br /><br />

    品川橋の途中には東屋まであります。

    史跡等はあまりない現在の品川宿ですが、道幅の狭い旧街道は何となく江戸時代を感じさせる佇まいです。
    点在する説明板も興味ある内容のものばかりで、楽しめる街歩きでした。

    品川橋 名所・史跡

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