2026/06/03 - 2026/06/08
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montarou(紋太老)さん
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2026年5月18日に韓国経由でペルーのリマからワラスに行き、各種のツアー、次いでプエブ・ケロパルカに行き、ペルー第二位の高峰のイェルパハの東面、チキアンからイェルパハやワイワシュ山群の西面を見た。ワラスに戻り、チャカス行きツアーでワスカランの南面を見る。リマに戻って飛行機でクスコに行き、チンチェロ、モライ、オリャンタイタンボやレインボーマウンテンに行く。プーノに行くが、ボリビアの暴動激化で入国バスが全面停止になった。それでプーノのウロス島の宿泊、アマタンティ、タキーレ島 2日間ツアー、鮭養殖場など訪問し、チバイ経由でアレキバに移動。サリナス湖、ピロネス滝と岩の森ツアー、シリャールルートトレッキングに参加し、余った日程を消化した。ナスカに移動し地上絵を見て、イーカでワカチナ見物、有名なリマの安宿のKokopelli Hostel Barrancoで泊まり、7月27日リマ発で29日に日本に帰った。
ここでは「後期高齢者、紋太老ペルーアンデスを往く 5」として、リマから飛行機でクスコに向かい、超割高のマチュピチュを遠慮して2種のツアーに参加した後、6月8日にプーノに移動した。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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6月3日、リマ市内の渋滞を心配し、早朝にUberで空港へ向かう。ひどい渋滞はなく、思ったより早く空港に到着した。日本円からソムに多少両替。
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天気は曇天だが、飛行場が雲の上出ると、海岸沿いは毎日のように雲海だった。雲の高さは約千m程度? 下界は、午前中の雲海が赤道直下の日射を遮るので幸いだ。
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飛行機の下は2~3千mの高地の草原と林。きつい傾斜地だが、緑がるため方々に住宅があり、そこを細い道路が繋いでいる。
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リマから1時間ほどで、山間にあるクスコの飛行場の上空に達した。そこは狭く、周囲にビルが並んでいるので、着陸に不安を与える空港だ。空港を出て、バス道路まで歩く。クスコのバスは、赤や青のような色で周回する路線が決まっている。バスの乗場付近で、行きたい場所の名前を言えば、どの色のバスが良いか教えてくれる。安価な料金なので小銭の用意が必要だ。
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宿で市場の位置を尋ねると、坂を上がった所と言う。入口に壁画があり、中に入ってみると、果実野菜市場と食堂店が数店、衣類や土産物屋も十数店、並んでいた。これは便利。
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クスコ滞在中はここで果物など飲食料を購入した。果実が豊富で、品質も良いが、ここは観光地で値段が高い。
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時々食堂も利用した。例えばこんな食事、麦飯とイカのフライと海藻、ジャガイモと少々の野菜だ。他にも色々ある。ここは外国人が多いので、地元民の来る店と違って、食べきれないような超大盛はない。
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翌4日は、散策目的で、サクサイワマンに歩いて向かった。さすが観光都市、路地にも飾りや花が飾ってある所が多い。
508 -
散歩には最適な所だ。綺麗な小さな店が所々にある。ゆっくりサクサイワマンに向かって歩いた。
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凝った店だ。この形に育てるのも大変だし、その管理にも気を遣うだろう。その努力は、この町と、この路地を愛し、大切にしているからだろう。そこを、ゆっくり散歩させていただく。
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サパンティアナ水道橋に着いた。何となくヨーロッパの植民地のミニチュア版か?と言う印象。
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ここの路地は本当に綺麗だ。坂の傾斜がきつくなってきて、逆にそれに趣があった。
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坂を上ると、自動車道に合流する。男が寄って来て、“切符を買わないか”と言う。怪しい話だ。こんな人間と会話することは避けるべきだ。少し登ると、また違う男がいた。鬱陶しいが、彼らはこの行為で生活費を稼いでいるのだろう。詐欺か否かは不明。
振り返ると、クスコの全景が見えた。旧市街は茶色で、新市街には高層ビルが見える。 -
さらに登るとインカの石垣が出てきた。確かに素晴らしい石の組み方だ。ただし「剃刀の刃も通らない」は大げさで、草な根や茎が通るのがこの写真で証明できる。
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大きな石垣が出て来た。5トンは有りそうな大石もあるが、重いから、やっぱり基部に積んでいる。
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道路を登って行くと、写真の右端に料金所が出て来た。入域料は高く、石垣ばかり見ても有難くないので右の谷を渡り、像のある展望台に向かった。
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この高台は見晴らしが良いが、物売りが多い。アルマス広場が見えるが、広場に人が集まり、何か催し物が行われているようだ。
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高台から有料のサクサイワマン公園を見た写真。なかなか綺麗な公園で、石の構造物が方々に有る。
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帰り道、狭いので車が来ると、歩行者は両側の歩道に立って通り過ぎるまで待つ。
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アルマス広場に近づいてきた。催し物の準備のようだ。
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アルマス広場でビックリ、何だ?こりゃ?人、人、人で一杯、テレビ局や救急車まで来ている。
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何だか分からない。ただ人が多いだけでが、具体的な催し物は、その時点で行われていなかったので、明日のレインボーマウンテンへのツアーを予約してから帰った。
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5日は早朝に迎えが来て出発。車で相当に走った後に、多数のツアーグループが一緒のバイキング朝食。素晴らしい朝食で十分に楽しめた。人も車も多いので、自分のグループと車を忘れないように注意!
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車は山の中に入って行く。やがて樹木が少なくなり、放牧地が増えてくる。放牧地の横筋は、羊などが歩く家畜道である。山の多いニュージーランドなどでも良くみられる。
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南米の家畜の見分けは難しいが、写真はアルパカだろう? 聞くところによると寒冷地に住むアルパカの毛の内部は空洞になっていて、表面に凹凸が無く平坦で柔らかく、強度が強く、摩耗に強いため、高級素材とされていると言う。私は低級の化学繊維製しか買えないよ!
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ロングドライブで起点に到着。正確な高度は知らないが4700mくらいかな?既に百台程度のミニバスが停まっていて、千人前後が標高5千mまで登る大観光地だ。
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上からバイクで降りてくるのが見える。ここにはバイクと馬で登る方法がある。ただし、バイクは危なそうだね。
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この道を登っていく。左のピークが5040mで、高度差3百mほどの登り。右の模様のある尾根がレインボーのマウンテン。ただ宣伝用の写真はカラーのコントラスト強調をやり過ぎだね?
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大分登って来た。私は高山病にならないが、弱い人はダイアモックスの服用を勧める。ダイアモックスは体内から炭酸ガス放出を抑えて、体内炭酸ガスの増加によって呼吸数が増えるが、他方で利尿作用があり、高山での運動による脱水から、血栓を生じる心配がある。それを防ぐためには、水を飲むことだが、多量の水を得ることが難しい高山では、アスピリン錠剤(250㎎)を嚙み割り、1/4程度の数十mgを飲み、血液の凝固を抑えられる。ただし医者はアスピリンとの併用を薬害の危惧から禁じている。
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レインボーマウンテンを見る展望台に当たるハトゥン・リティユク山(5040m)の支尾根にあるバイクの終着点に達した。バイクの運転手の後ろに乗客を乗せて登って行く。
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バイクの終着点の後方に、雪をかぶっているのはネバドアウサンガテ山(標高6384 m)らしい山が見える。クレパスが有るだろうが、緩いスロープの雪面が山頂までゆっくり繋がっている。
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ハトゥン・リティユク山(5040m)の山頂に着いた。人が多い。あまり息切れせずに登れた。これなら6千m近くまで行けるかな?
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レインボーマウンテンから、ヤナ・ウルク峰(Yana Urqu)4800mを望む。右下の小屋からも人が多数登ってくる。
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有名な七彩地形の尾根。レインボーマウンテンは張掖丹霞七彩より青緑の色が強く、色のコントラストが素晴しい。昔から有名な張掖丹霞は、範囲が広く、バス路線や上空からの遊覧施設も整備されている。また斜面の岩の形状に面白味があり、個々に名前も付いている。いずれの地形も過去は海底か湖底だった所の層状堆積物の岩化地形だろう。
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家畜を連れている地元住民がいて、家畜と並んで写真を撮ってお金をもらうのだ。
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これで下る。ツアーバスが待っている。これは登る人が使う馬だが、これから登る人が少ないから、馬引きが休んでいる。5千mの高山で、若い馬引きは走って登って行く。チベットを経て南米に渡った黄色人の子孫かな? 毎日の仕事とは言え、高地民族はすごい。ただしアンデスに多い太めの女性の馬引きが走って登れるか否かは、想像に任せる。
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ツアーバスの駐車場に戻って来た。左の池はハート型だ。
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ツアーバスの駐車場に国旗が飾ってある。この時、まだペルーの大統領が決まっていなかったが、日系人のケイコ・フジモリ氏が当選する確率が高いと言われていた。ペルーでは日系移民への信頼性は高いと言われるが、ペルーで日本の国旗は見たことが無かったが、韓国の国旗は多数見た。電気製品の大半が韓国製、中国製は2~3割で冷蔵庫など、情けないが日本製は無い!また韓国人に比べ、日本人旅行者は極端に少ない。日本の半分の人口の韓国に、スマホ、造船など多くの分野で日本は負けた。韓国製自動車も増えた。ただ信越化学やフッ化水素製造など化学産業では、まだ日本が強いようだ。
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帰路に就く。途中で見た、奇妙に突出していた岩塔。
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朝食と同じ食堂に戻って食事。写真のような絵があったが読めない。ヨーロッパ人が来る前の南北アメリカの先住民の人口は5千万~1億人と推定されているが、その後、人口の8~9割が失われた。他方でスペイン等がアフリカの黒人奴隷を砂糖栽培のため中南米に送ったが、その病死率は約2割~最大4割と言われる。不思議なことに、先住民と黒人奴隷の人口減少率には大差がある。先住民の減少が伝染病死以外にあるなら、米国騎兵隊とインディアの西部劇のような殺戮が主因かも?
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昨日は疲れたので、6日は遅く起きて、市内バスで主バス停と思える所で、プーノ行きのキッブを買いに行った。すると写真の少し戻ったバス会社の停留所に行けと言う。意味不明の指示だったが、バス乗り場の位置の確認ができた。その前には、15世紀中ごろの第9代皇帝のパチャクテクの像がある。
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パチャクテクの生まれでは王に成れる順位になかったが、クスコ王になり、インカ帝国の基礎を創った。トコロテン式に王位を継いだ者より、王座になれない立場から王になった李世民のように、パチャクテクも皇帝になり、さらに大きな成果を収めた。逆に青色発光ダイオードやフラッシュメモリーのような大成果を収めた発明者が不幸になる国に発展はない! 足を結んでムカデ歩きする協働共産体制では、共動を乱す大発明者は協働体の破壊者なのだ。調和を乱すとも発明者を生む大学や企業制度が重要だろう。
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銅の産出国の故か、やたらと銅像が多い。ペルーも多くの戦争を経験していると実感。ちなみに縞模様に日の丸を入れた旗は、日本と無関係のクスコの旗だ。
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旧市街に入ってきた。宗教と旧宗主国関係の石彫が多いが、左右のコンドルは共生の印かな?
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マチュピチュは過度に高価で、しかも軽費のバスと歩きで行ってもマチュピチュ入場料は変わらず高価、さらに2泊は必須で、貧乏人が行くのは不可能だ。その代わりに明日は方々を回るツアーを決めて帰る。
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早朝からバスで出発。始めは石垣の段々畑と、広大な広場。クスコの定番的遺跡。
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次にはピラミダルの雪山が見えてきた。5千m後半の高さか?名前は知らず。
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これは有名な遺跡。ここは石灰岩地帯で、この円形の下には鍾乳洞があり、そこから雨水がぬけるような構造に造ってある。面白い造形だ。農業試験場のように地形に適した作物を調べるための遺跡と言うが、むしろ国力の誇示とか、宗教の匂いが強いのでは?
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この周辺は花咲く草原で、遠方の山並みも良い。こんな所に住むのも良いだろうが、不便だし、飽きるかな?
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草原から少し進むと、下の谷に続く急崖となるが、その中間に白い段々の塩田が広がっていた。有名な山地の塩田だ。ただ唖然!
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この地下から出てくる塩水が、塩田に引かれ、日光で濃縮して塩を得ている。気圧が低いから、高山による減圧乾燥だね。アンデス山脈の海からの上昇は非常に速かったようで、高地の砂漠化の結果、水溶性の高いリチウム塩、硝酸塩なども産出する。
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町まで降りてバイキングの昼食。なかなか良い。しかも素晴らしい音楽付きだ。
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ここには屋根上飾りがあった。偶然だろうが、これは中国の麗江など雲南で見られる瓦獣(ワーマオ)に似ている。
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次は巨大な段々畑。谷には農地に適した平坦地が有るから、斜面の畑は農業試験場の様に言うが、これは単純に、この地域の力の誇示だろうと思った。すなわち高く、急斜面の石垣の畑を誇示することは、大きな力を持つ証であり、無駄な戦いを抑止する平和的な防衛策だったのだろう。現在に例えるなら、原子爆弾や航空母艦による抑止でなく、科学産業技術を磨き、強い経済力を誇示することによる、賢い防衛策だ。しかし日本の科学技術レベルが低下し、韓国や中国より遅れたため、軍事力の増強が必要になったと言うなら悲しいね。
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段々畑の最上部に整形した巨石があり、最近、人力で運び上げたと言う。それには安全な引き上げ方の開発、多数の人の協力も不可欠で、それが力の誇示なのだ! 例えば、加藤清正が海を越えて運んだ大阪城の巨石も同じで、あんな大石を運ぶ武将とは戦いたくないだろう。だから、こんな凄い大規模の段々畑を造る奴らと戦いたくないよ! それでもクロマニヨン人の遺伝子を残し、鉄砲を持つ、スペイン人に、この平和的防衛策は通用しなかったのかな?
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バスは次の遺跡に向かう。横の鉄道の列車はマチュピチュに行きかな? マチュピチュ観光には天文学的なお金が必要だから、貧乏人の私は行かない。類似の石垣は何処でも見られるし、教養の無い私にインカの文化を想像して楽しむ能力などない。ただ「マチュピチュに行った」との言葉の為に、貧乏国の私が大金を浪費することは国賊だ。ところで日本の国宝姫路城の入城料が面白い。姫路市民だけが安く、他の日本人と外国人が同額とは! それを決めた姫路藩の市議会は鎖国時代の発想法だね!
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何だ、これは? 岸壁にぶら下がっている虫の繭のような容器が、吊り橋で繋がっている。人間がこの中で宿泊するのかな? こんな所で寝たくはないよ。地震が来たら落ちるよ。
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ここの遺跡は大規模で横にも広いね。素晴らしい。
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この段々畑の最上部に水場がある。王族や貴族の為だけでなく、庶民のための飲み水でもある。2万年ほど前、氷期の海面低下でアジアと北米が陸続きとなった時代、アジア人が北米、南米に渡って暮らしてきた。次いで約5百年前からスペイン、ポルトガル人、遅れて英仏人が北米に侵入し、先住民の土地、金銀を奪った。最近の例は19世紀末から、欧州生まれのユダヤ教徒がルーテル教会福音派の助けで、中東の先住民のイスラム教徒を追い出す戦いを続けている。異教の悪魔との戦いのようだが、ホモサピエンス同士の戦いだ。ところで欧州ネアンデルタール人とアジアのデニソワ人、アフリカ出のホモサピエンスも互いに殺し合ったのだろうか、ただ互い混血した事実は証明されている。
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写真は岸壁の穴の墓地。スペインが侵入し、遺物の金などの有価物を略奪したと言う。ところで岸壁の墓地はフィリピンのハンギングコッフンや日本でも沖縄の今帰仁村にもある。それらの地域に互いの関連性が有るとは思えないが、死者を思う人間の意識が似ていることは確かだね。
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帰ったのは暗くなってからだった。忙しかったが、良いツアーだった。色々考えさせられたが、酒でも飲んで寝よう。
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翌7日は旧市内の見物と休養。朝食後にゆっくりアルマス広場に向かう。観光客のために、催し物のある日が多いのかな?
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メインステージは、黒いお面をかぶった男の子の踊りだったようだ。5百年以上前の米大陸に黒人はいなかったが、その後スペイン人がサトウキビ栽培のためにアフリカから黒人奴隷を送り込んできた。その後に発生した黒いお面の踊りかな? 多分、黒人と無関係で、黒い悪魔の踊りかな?
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綺麗な服を着た、女子と男子混合の踊り。これらの祭りはクスコ市民の為より、観光客の為かも? 広場で催し物が多いと観光客の滞在日数も増えるだろうが、大人の催し物が多いと労働力や賃金の削減等の問題が出るだろう。だから子供か? 大人より子供の衣装費用も安いだろう。
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一日中、見るほどでもないので、カラチャカ遺跡に行くことにした。ただ行き方が分からないのでアルマス広場から歩いて西側に出て、先ず市場で昼食にした。ここの出口に立て看板を担いだ人を見た。私は学生時代に同じアルバイトをしていた。始めは恥ずかしいが高賃金で助かった。当時の授業料は12000円/年で、下宿は月5千円以下で短時間のバイトで生活できた。今は国立大学の授業料も住居費も高額になり、勉強よりバイトに時間を割く学生が大多数。これでは日本の科学技術を発展させる人材は育たない。
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東に向かうバスに乗り、途中で降りて歩くと、谷の対岸に段々畑の遺跡が現れた。円形の台座(カラチャカ遺跡?)と、その両側に石積みの段々畑が延々と続いていた。ただ整備は不十分のようで、多分入場料は取られないだろう。しかし谷が思ったより深く、大声で吠える犬のいる家が出てきたので、そこから帰った。
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バスで帰ったが戻り過ぎて降りて、再度アルマス広場を経て帰ったが、広場ではまだ子供たちの踊りが続いていた。クスコの人口は50万人に満たないが、人影が長くなる夕方まで踊りを続けられるほどに、子供たちの人口が多いのだろうか。
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宿の近くの市場で夕食、地元の老人と観光客が半々かな? クスコは明日の朝でお別れだ。観光地に寄り道しない路線バスでプーノに向かう。
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