2026/09/22 - 2026/09/22
1626位(同エリア1674件中)
あきりんさん
シルバーウイーク、山科から日帰り一人旅で、近江今津から乗船、竹生島観光、長浜で下船、長浜観光、草津で友人と晩御飯、という予定を立てましたが、関東の台風の影響が湖西まで及び、琵琶湖汽船が欠航になってしまいました。
結局、近場過ぎて行ったことのなかった三井寺と、その近くの三橋節子美術館に行くことに。
三橋節子は、1939年生まれ、京都市立美術大学出身の日本画家です。1973年に利き手の右手を鎖骨の癌により手術で切断。その後は左手で創作を続けたが、35歳で癌の転移により他界しました。晩年には地元近江の昔話を基にした作品を多く手がけ、『花折峠』『三井の晩鐘』などが有名です。(Wikipediaより)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
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三橋節子美術館は、山科から京阪京津線で10分、上栄町駅から徒歩約10分です。
京阪京津線は、逢坂山を越える大谷駅 - 上栄町駅間に61‰の勾配区間があったり、びわ湖浜大津駅までほとんど路面電車のように道路上を走行します。10分の乗車でも楽しめます。 -
駅から美術館までの間にあった「犬塚の欅」。蓮如上人が毒殺されそうになったときに身代わりとなった忠犬を埋めた塚に植えられた欅の大樹です。
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大津日赤を越えて長等公園に向かって歩きます。
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階段か坂道かの選択を迫られ、階段を選びました。
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階段を上った先に、美術館があります。
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長等創作展示館と一体となっています。330円と良心的な入館料です。
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他に入場者はなく、職員さん2人が丁寧に応対してくださいました。ビデオ鑑賞を勧められ、私一人のために上映してもらいました。
中は撮影できませんが、展示室はオープンではなく、ごゆっくりと扉を開けていただき中に入り、閉ざされた一室を一人で鑑賞しました。子供むけに絵画の説明がされていて、節子がどういう気持ちでこの絵を描いたのかがわかるようになっていたので、じっくり観ることができました。四方の壁に年代順に絵画が展示され、節子が愛用したピアノが中央にありました。
有名な『花折峠』『三井の晩鐘』の他、宮沢賢治の『よだかの星』や三井寺ゆかりの『鬼子母』『菩提樹』など、展示数は多くはありませんが1時間ほどゆっくり鑑賞しました。
絵葉書セットが販売されていましたが、少し古くなっている(切手代の表記が昔)ので、格安の値段でした。(黄ばんだりしているわけではありません。もちろん購入しました。) -
長等公園から山科のほうまでハイキングコースもあるようです。
上栄町駅に戻らず、地図の右上の三井寺のほうに歩きました。 -
長等神社の前を通って・・・
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三井寺に到着しました。徒歩15分くらいです。
三井寺は正式名称は園城寺(おんじょうじ)。天台寺門宗の総本山の寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所でです。(Wikipediaより) -
境内は広く、三井寺駅からだとメインの大門から入りますが、長等公園から行くと、3つの門のうち、一番離れたところから入ることになります。(地図の左端)
いきなり階段を上ります。その分高いところにあるので上ったところから大津を一望できます。 -
今回は、地図の左側から右側に進み、大門から出るという、一般的な経路とは逆を辿りました。
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西国第14番札所の観音堂。
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観音堂の前にある手水舎と後ろに絵馬堂。大津市街が見渡せます。
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観月舞台
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百体堂。合わせて百体の観音像が安置されているそうですが、外からはわかりませんでした。
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鐘楼は、中に入って鐘をつくことができます。
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「童子因縁の鐘」の由来が、なかなか恐ろしい・・・。
梵鐘鋳造の托鉢に、吝嗇家の富豪が「子供ならたくさんいるからくれてやる」と暴言を吐いたら、完成した梵鐘に子供3人の姿がくっきりと浮かびあがっていて、子供達が行方不明になったとか。 -
毘沙門堂
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「力餅」という茶店では、ここでしか売っていない弁慶力餅(串に刺さったお餅)で休憩できます。
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微妙寺
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水観寺。西国薬師霊場第四十八番札所だそうです。
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唐院潅頂堂。シンプルな造りです。
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三重塔。
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唐院唐門
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一切経堂。一切経を安置するための堂で、 内部には一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています。高野山でも同じようなお堂を見た覚えがあります。
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霊鐘堂。
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弁慶の汁鍋。弁慶が鐘を奪っていったときに残したものといわれています。
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弁慶鐘。弁慶が三井寺から鐘を奪って比叡山まで引きずり揚げたが、つくと「帰りたい」と響いたので、弁慶が怒って谷底へ投げ捨ててしまったといわれています。 鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っているそうです。
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三井の晩鐘。三橋節子の絵画にも描かれています。
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国宝の金堂。豊臣秀吉の正室である北政所によって再建されたもので、 本尊弥勒菩薩もここに安置されています。
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閼伽井屋。金堂の横にひっそりと建っています。 内部には井泉が湧き、天智・天武・持統天皇の 産湯に使われたといわれています。
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四脚門から唐院灌頂堂を望む。
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護法善神堂。 マップを見ても行き方がわからず(後から考えると、門を一旦出てから行くようです)、後方から、道なき道を通ってたどり着きました・・・。
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こちらが本来最初にくぐる大門。
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釈迦堂(食堂)。大門のそばにあります。現在は清涼寺式釈迦如来像を本尊とする釈迦堂として信仰されているそうです。
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日中良い天気すぎて暑かったのですが、頑張って境内をほぼ一通りまわりました。
歴史には疎いのですが、学んだことのまとめ。
・667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移されて近江大津京が開かれたが、壬申の乱に勝利した大海人皇子(天智天皇の弟)が再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となった。壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王が父の霊を弔うために 寺を創建し天武天皇から「園城」を賜わったことが園城寺の始まり。
・天智・天武・持統天皇の御産湯に用いられたという霊泉(閼伽井屋)があり「御井の寺」と呼ばれていたことから、三井寺と呼ばれるように。
・中興の祖、円珍和尚の死後、円珍門流と円仁門流の対立が激化し、993年、円珍門下は比叡山を下り三井寺に入る。この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分された。 -
大門を出て、門前の道を琵琶湖のほうに下り、三井寺駅に向かいます。
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三井寺駅は京阪石山坂本線なので、一駅行ったびわ湖浜大津駅で京阪京津線に乗り換えて山科に戻る必要があります。最初、行きと同じ感覚で一本で山科に戻れる気でいて、山科行きの電車が来ず焦りました。
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行きは31から35まで京津線で一本でしたが、帰りは13から12まで石山坂本線で、12で京津線に乗り換えて31まで帰りました。
豆知識として・・・
通常、県境は山の稜線だが、峠を越えて西側(京都側)に食い込む形で滋賀県大津市が広がっている(四宮のあたりまで滋賀県大津市)のは、かつて三井寺の領地だったから。(中世から江戸時代にかけて、園城寺は長等山の周辺から山科盆地の東端まで広大な寺領を所有していた。このエリアは地形的には京都の山科盆地と一体だが、歴史的には大津の三井寺に属する土地(近江国)として扱われていた。)
考えていた竹生島には行けませんでしたが、近場で行ったことのないところを巡れて満足のショートトリップでした。
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