2026/09/18 - 2026/09/21
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2015年に、ボスニアヘルツェゴビナ、クロアチア、モンテネグロ、マケドニア(北マケドニア)訪問済みのため、
旧ユーゴスラビア連邦構成国をコンプリートすべく、セルビアとスロベニアへ行ってきました。
メインはセルビアのベオグラード。
スロベニアは国つぶしのためにおまけで日帰りのみ。
ベオグラードでは、ブルータリズム建築巡りが一番の目的。
ブルータリズムとは、1950~70年代を中心に広まった、打ち放しコンクリートなど素材そのものを前面に出した、巨大で無骨な建築様式です。
旧ユーゴスラビアには社会主義時代に建てられた個性的な建築が数多く残っていて、ベオグラードはその宝庫です。
中でも見たかったのが、巨大な3棟の高層住宅からなるイースタン・シティ・ゲート(Eastern City Gate/Istočna kapija Beograda)と、2棟の高層ビルを上空のブリッジでつないだウェスタン・シティ・ゲート(Western City Gate/通称Genex Tower)。どちらもベオグラードを代表するブルータリズム建築で、今回の旅のハイライトです。
ChatGPTで調べながら観光しました。
旅行記もChatGPTからいろいろ聞いて書いていますので、1個前の薄っぺらいボストン旅行記と内容の濃さが雲泥の差になってしまいました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エア・セルビア ルフトハンザドイツ航空 ANA
-
シルバーウィーク開始前夜の金曜日。
時間切れで仕事を強制終了し、急いで家に帰ってシャワー浴びて着替えて羽田空港に向かいます。
22:55HND→06:40MUC のNH217に乗ります。
旅行前に座席変更しようとして見てみたら、ほぼ満席。
混んでるなあと思ってChatGPTに聞いたら、09/19はオクトーバーフェスト初日でした。
私は恥ずかしながら、オクトーバーフェストは10月から始まるのかと思っていました。
写真はラウンジで見つけた、空港限定のハーゲンダッツです。
クーリッシュにコーヒーゼリーが入った感じです。 -
14時間越えのロングフライトをエコノミーで乗り切り、ミュンヘンへ。
到着前の朝食が、のり弁 or オムレツでしたが、のり弁てすごく不味くないですか?オムレツの方が人気があって、(オムレツもあんまりですが)、のり弁へ変更してくれる人を募集しだしたので、手を上げました。
どっちもどっちだし、ヨーグルトだけでいいやという気持ちで。
そうしたら、食後に、お礼といって、お菓子(ギャレーに置いてあるようなやつ)とタオルハンカチくれました。
タオルハンカチは、後々、暑さの残るベオグラードで大活躍しました。
EUに入国せず、ノンシェンゲン乗継です。
サテライトLのセネターラウンジへ。
やっと朝ご飯。
プレッツェルとキノコソテーとヴァイスビア。
やっぱりドイツはビールが美味しい。 -
10:50MUC→12:20BEGのLH1734でベオグラードへ。
3-3の席配置で右窓側。
隣2席は、赤ちゃん連れた母親と、幼稚園児くらいの子供。
どちらもお利巧で可愛かった。
ミュンヘン出発時はこんな緑の大地が。 -
茶色の大地に変わってくると、ベオグラード到着です。
着陸時に拍手なし。
空港着陸時の拍手は東欧のお約束だと思ったのに。 -
駐機していたエアセルビアのニコラ・テスラ尾翼。
空港の名前もニコラ・テスラですが、ニコラ・テスラはセルビアに住んだことはないっていう・・・・。
入国審査は、東欧あるある、怖い係の人から、
何日?次はどこへ?どこに滞在?
を圧強めに聞かれましたが、すぐ終わりました。
入国後にあるATMで5,000RSDおろしました。
ChatGPTに聞いたら5,000RSDがいいよってことでしたが、ほぼキャッシュレスだったので、無理やり現金使った感じです。
現金じゃないとダメだっていうところ、あったかな・・・。 -
空港建物出た瞬間から煙草モクモク。
愛煙家には快適な国セルビア!
だいぶ前に禁煙している私には、鼻について、気になります。
72番バスで市内へ向かいます。
ちなみに、ベオグラードでは2025年1月1日から公共交通機関が無料になっています。
市バスだけでなく、トラム、トロリーバス、近郊鉄道まで、観光客を含むすべての乗客が無料。
チケットを買ったり、乗車時に何かをタッチしたりする必要もありません。
なので空港から乗った72番バスも無料。
滞在中もバス、トラム、トローリーバスを何度も利用しましたが、乗って降りるだけ。
これは旅行者にはものすごく楽で、ストレスフリーでありがたい制度。
ただし空港と市内を結ぶA1ミニバスは無料公共交通の対象外で、こちらは有料。
私も到着時は最初にA1が来たので、乗ろうとしていたものの、5,000RSD札しかなかったのでやめて、結局無料の72番バスで市内へ向かいました。
A1はミニバス、72は大きめの市バスで、前者は狭い空間に押し込められて暑苦しそうでした。
バス停の見方。
赤文字の右にある数字。
72の横に、29と14があります。
29分後に到着。14駅前にいる。
という意味で、あと29分待つのかあーーーって思ったらすぐ来ました。 -
空港の建物は、こんな感じ。
モダンでオシャレ風ですが、中はモダンではありませんでした。
郊外は、中華レストラン多数。
観光客向けというよりは、現地に住んでいる中国人向け?
中国人労働者が結構いそうです。 -
途中道路が工事しているのか、渋滞で時間がかかって1時間以上座ってお尻が痛くなりました。
終点のZeleni venacで降ります。
ここから宿泊する旧市街のホテルまでは徒歩10分もしないはずですが、ベオグラードは碁盤の目ではなく道が入り組んでいて、さらには坂も多く、たどり着くまでに迷いました。 -
結構分かりにくい場所にありましたが、2泊するHotel Indigo Belgradeに到着。
こんな映え壁画の向かいにある、 -
このエレベーターで2階に行くとレセプションがあります。
チェックインして部屋へ。
コンプリメンタリーのお水が無かったので、スーパーに買いに行きます。 -
ホテルのすぐ向かいに、Maxiというスーパーがあって便利でした。
これはビールの品ぞろえ。
キャッシュレスが進んでいるので、セルフレジでささっと買えて便利になりました。 -
当初の予定では、イースタンシティーゲートへ行く予定でしたが、空港からのバスが想像以上に時間がかかってしまったため、明日にまわして。
まずはRed Star Shopへ向かいます。
セルビアを代表するサッカークラブ、FKツルヴェナ・ズヴェズダ(FK Crvena zvezda)のオフィシャルショップへ。
英語名は Red Star Belgrade(レッドスター・ベオグラード)。1945年創設、赤と白をチームカラーとするベオグラードの名門クラブ。
旧ユーゴスラビア時代から強豪として知られ、現在のUEFAチャンピオンズリーグの前身であるヨーロピアン・カップ(欧州チャンピオンズカップ)決勝でオリンピック・マルセイユをPK戦の末に破り、ヨーロッパ王者になったこともあるのです。
さらに同年、東京で行われたインターコンチネンタルカップではチリのコロコロを3-0で破っています。
つまり世界王者なのです。(サッカー大好きの夫も知りませんでした)
そして私のお目当ては、かつてこのクラブでプレーしたドラガン・ストイコビッチ、通称「ピクシー」。
クラブが歴代の特別な選手を顕彰する「Zvezdine zvezde(ズヴェズダの星)」にも選ばれているレジェンドです。
というわけで「ピクシーのTシャツとかないかな?」と期待しましたが、、、ありませんでした。
仕方ないので普通のレッドスターTシャツとボールペンを購入。
写真はレジの上に飾ってあった、1991年優勝時のパズル。
この年、ピクシーはマルセイユへ移籍してたんですよね。
なのでうつっていません。
レジのお姉さんに言ったけど、興味無さそうでした。 -
続いて、聖サワ大聖堂へ向かいます。
ここまで全部ローカルバスやトローリーバスなどを駆使しています。
無料、素晴らしい。
聖サワ記念像(Споменик Светом Сави)
聖サワ大聖堂の正面、スヴェトサフスキ広場に立つ聖サワの銅像。
聖サワは本名をラストコ・ネマニッチといい、中世セルビアを築いたネマニッチ朝の祖ステファン・ネマニャの末息子。
若くして修道士となり、1219年にはセルビア正教会の独立を実現して、初代セルビア大主教となりました。
セルビアの宗教・教育・文化において非常に重要な人物です。
↑
だそうです、ChatGPTより。続きます。
この像はロシアの彫刻家ヴャチェスラフ・クリコフの作品で、2003年に設置されたもの。
台座を除いても高さ5.2mあります。
ロシア側から寄贈された像で、聖サワ通りの方向を向いて立っています。
台座にはセルビア語で
「Сопственим радом све постигни」
――「自らの努力によって、すべてを成し遂げよ」という意味の言葉が刻まれています。
とのこと。古そうに見えて最近のですね。
そして、そうでした、セルビアは親ロシアなのでした。 -
聖サワ大聖堂の前に、
St. Sava Small Church(Мала црква Светог Саве)
聖サワ大聖堂のすぐ隣に建つ、小さなセルビア正教会の教会へ。
巨大な大聖堂とは対照的なこぢんまりとした建物ですが、内部は壁から天井までびっしりとフレスコ画で覆われていて、この旅最初の正教会で、来たーという感じ。
私は正教会の中のフレスコ画が大好物なのです。
(宗教ではなく美術として)
この小教会は、聖サワ大聖堂の建設が始まった1935年に建てられた仮設の礼拝施設で、大聖堂の建設中にも礼拝を続けられるように造られました。
ところが大聖堂の建設は戦争などによって長期間中断。
その結果、「仮設」だったはずの小教会もそのまま残り、現在まで使われています。
↑
ChatGPTより。 -
素晴らしいです。
-
聖サワ大聖堂(Hram Svetog Save)
ベオグラードを代表するセルビア正教会の巨大聖堂。
セルビア正教会の創始者であり、セルビア人にとって重要な聖人である聖サワに捧げられています。
この場所が選ばれたのは、1594年にオスマン帝国の大宰相シナン・パシャが、セルビア人の精神的支柱だった聖サワの聖遺物を焼いたと伝えられるヴラチャルの丘に近いから。
建設計画は19世紀末に始まったものの、戦争やユーゴスラビア社会主義時代などを挟んで何度も中断。
現在の建物の工事が本格的に始まったのは1935年で、第二次世界大戦で再びストップ。
その後も長く工事再開が認められず、ようやく1980年代に建設が再開されました。
だそうです、出来上がったのは最近なんですね。
サグラダファミリアみたいですね。 -
中に入ってビックリ。
事前に知ってはいましたが、こんなに美しいとは。
新しいからだと思いますが、モザイクがキラキラしていて本当にキレイなんです。 -
なんか輝いているんです。
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無神論者ですが、思わず入信してしまいたくなるような美しさでした。
-
サグラダファミリアに入った時と同じように、ビックリするほど美しかったです。
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地下聖堂もすごいらしいという旅行記を読みましたが、地下への階段が閉じられていて入れません。
諦めるか、どうしようか、と思ってChatGPTに聞いたところ、土曜日の17時は礼拝があるから終わったら入れるんじゃないか、ちょっと待っててとのこと。
果たして、地下から礼拝終わりの人たちがぞろぞろ出てきたあと、観光客の入場が可能となりました。
待ってて良かった。 -
中も金ピカです。
金色大好きな方ではないのですが、金てこんなに美しいんだ、と思いました。
疲れていたのでしょうか。 -
入信したくなるほど美しい聖サワ大聖堂でした。
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また公共交通を使って、今度はNATO空爆後へ向かいます。
あちこちへの路線が張り巡らされていて、大変便利です。
GoogleMapで経路を調べられるのも便利です。
ただ、待っている間、多くの人が煙草を吸っているので、ちょっと苦しいです。 -
途中にあった、バルカン半島っぽい広告。
-
ВОЈСКА НА КОСОВО ВРАТИ
直訳すると「軍をコソボへ戻せ」。
セルビア各地で2023年ごろから広がった 「Кад се војска на Косово врати(軍がコソボへ戻るとき)」 というスローガンと同系統のメッセージだと考えられる。実際、旧参謀本部を囲むフェンスにも、この「Kad se vojska...」の落書きが描かれたことが報道されている。
↑
ChatGPTより。
セルビアから見たコソボ紛争ですね。 -
空爆跡の横にありました。
-
ベオグラード中心部に今も残る、1999年のNATO空爆の跡。
当時、コソボ紛争が激化する中、NATOは1999年3月24日からユーゴスラビア連邦共和国に対する空爆「アライド・フォース作戦」を開始。
空爆は6月10日まで78日間続きました。
NATOは、コソボで進行していた人道危機を止めることを目的としていたと説明しています。
ベオグラードでも軍事施設や政府関連施設などが攻撃を受け、その一つがこの旧ユーゴスラビア国防省・参謀本部の建物。
空爆終了後、ユーゴスラビア軍・警察部隊はコソボから撤退し、国連安保理決議1244のもと、NATO主導のKFORがコソボに展開しました。
セルビア国防省自身も、この旧参謀本部を「1999年の爆撃の象徴の一つ」と表現しています。
下に描いてあるのは、「ВОЈСКА НА КОСОВО ВРАТИ」――「軍をコソボへ戻せ」
先ほどのは落書き風でしたが、こちらはちゃんとした横断幕になっています。
セルビアがまだ納得していないのが伝わってきます。 -
ベオグラードの見どころとして紹介されることも多いNATO空爆跡。
ところが実際に行ってみると、私以外に写真を撮っている人が誰もいない。
観光客が集まるような雰囲気もなく、普通の街の大通りに、破壊された巨大な建物がそのまま残っている感じ。
警察?軍?の監視はありました。
観光名所というより、街の日常の中に1999年の傷跡が突然残されている、という感じでした。 -
続いて、歩いて聖マルコ聖堂まで。
聖マルコ聖堂
現在の聖堂は1931~1940年に建設されたセルビア正教会の教会。
設計はペタル&ブランコ・クルスティッチ兄弟で、コソボにある中世セルビア正教会のグラチャニツァ修道院をモデルにしたネオ・ビザンティン様式の建物です。
完成当時はユーゴスラビア王国最大の教会で、主ドームの高さは約60m。
内部には、14世紀にセルビア帝国の最盛期を築いたステファン・ドゥシャン帝の石棺があります。
もともとは現在のコソボ・プリズレン近郊にある聖大天使修道院に葬られていましたが、その後遺骨が移され、1968年からここ聖マルコ聖堂に安置されています。
ChatGPTより。 -
皆さん真剣にお祈りされているので、こそっと撮影。
正教会といえば壁も天井もびっしりフレスコ画、ですが、中に入ってちょっとびっくり。
壁が白い。というか、絵がほとんどない。
実は聖マルコ聖堂は、1930年代に建設が始まったものの第二次世界大戦によって工事が中断。
建物は完成したものの、内部装飾は現在も未完成なのだそう。
そのため、祭壇付近には立派なモザイクがある一方で、巨大な壁面や天井には何も描かれていない部分がかなり残っています。
直前に、金色のモザイクで埋め尽くされた聖サワ大聖堂を見てきたばかりなので、その落差がすごい。
ちょっと貧相に見えてしまいました。 -
次は、国立博物館に向かいます。
国立博物館前の共和国広場に立つ、セルビア公ミハイロ・オブレノヴィッチ3世の騎馬像。
1882年建立。19世紀、セルビアに残っていたオスマン帝国軍の撤退に尽力した人物。
ちなみにここはベオグラード市民の超定番待ち合わせスポット。
地元では像の人物より馬のほうが目印になっていて、kod konja(馬のところで)*と言えばここで待ち合わせ、というくらい有名。
だそうです。
ChatGPTなんでも教えてくれますね。
町田駅の花屋前集合でと同じ感じかな。 -
国立博物館へ。
パヤ・ヨヴァノヴィッチ《ドゥシャン帝の戴冠》
描かれているのは、中世セルビアを最盛期に導いたステファン・ドゥシャン(ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン)。
14世紀、ネマニッチ朝のセルビア王として領土を大きく拡大し、現在のセルビアだけでなく、北マケドニア、アルバニア、ギリシャ北部などを含む広大な地域を支配。
1346年、スコピエで「皇帝(ツァーリ)」として戴冠し、セルビアは彼の時代に中世最大の版図に達しました。
ドゥシャン帝は軍事的な拡大だけでなく、「ドゥシャン法典」を制定したことでも知られています。
中世セルビアの国家・教会・社会秩序などを定めた大規模な法典で、そのためドゥシャンはセルビア史を代表する君主の一人となっています。
この巨大な絵を描いたのはセルビアを代表する画家パヤ・ヨヴァノヴィッチ(1859?1957)。
1900年のパリ万国博覧会に出品するため、セルビア王国政府の依頼で制作されました。
画家は歴史的な衣装や武具などを調べるため、ウィーン、ヴェネツィア、コンスタンティノープル、スコピエなどを巡り、中世の修道院ではフレスコ画まで撮影して資料を集めたそう。
作品には31人の歴史的人物が描き込まれています。
パリ万博では金メダルを獲得しました。
ChatGPTより。
ちなみに、ついさっき訪れた聖マルコ聖堂に眠っているのが、このドゥシャン帝。
お墓を見た直後に、国立博物館でこんな巨大なドゥシャン帝に再会することになりました。 -
作者はセルビアの画家 ムラデン・ヨシッチ(Mladen Josić, 1897?1972)。
1932年に描かれたフレスコ画で、現在の国立博物館の建物がまだ銀行として使われていた時代のもの。
博物館は1950年になってこの建物へ移ってきたので、博物館より前からここにある絵なんだそうです。
もう疲れておなかもすいてくたびれました。
晩御飯食べに行きましょう。 -
お目当てのレストランは、隣のレストランが大音量のEDMを流していて落ち着かない。
大音量EDMを流している箇所にこのあとも何度か出くわしました。
そういう気分じゃないと、ホテルに戻って、ホテルのレストランで食べることに。
戻ってきたホテルのレセプションが赤い! -
ホテルのレストランを侮っていました。
予約で全席埋まっているとのこと。
人気レストラン。Cveće zla
セルビア語で「悪の華」という意味。
フランスの詩人ボードレールの詩集 Les Fleurs du mal と同じタイトル。
だからネオンが赤かったのか!
宿泊客だということで、21時までならと席に案内してもらえました。
宿泊客がふらっと行くようなレストランではなくて、オシャレして集まるようなレストランでした。
私の格好が場違いですが、暗いのでセーフ。
ローカルビールが喉にしみます。 -
ナスの文字をみて頼んだ何か。
美味しかったですが、塩っ辛い。
このほかに、牛ほほの煮込みも頼みました。
ものすごく塩っ辛くて食べ切れませんでした。
うーん('_')。
部屋に戻って寝ましょう。 -
朝食は、朝6時からやっているBakery “The First”に向かいます。
Прва Пекара。
Пекара はパン屋さんの意味。
ホテルから徒歩10分くらいですが、ベオグラードは坂道が多い。
急坂を下って開店直後のお店へ。
まだ夜明け前で薄暗い中歩くのは勇気が要りましたが、酔っ払いや浮浪者もおらず、安全でした。
まだ焼きあがったばかりでそろっていません。
ちょっとお店の前で様子を見ます。 -
お店横の壊れたショーウインドー。
旧社会主義っぽくて素敵です。 -
上左は DJ Tennis。
イタリアのDJ/プロデューサーで、ベオグラードのクラブイベントの告知。
小さく Tijana T、Runy、Marko Nastić などの名前も見える。
↑
一人も知らないよ('_')
上右は Zoster。
ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル出身のバンドで、ポスターには 19.06 / LUKA BEOGRAD(ベオグラード港)。
レゲエやロックなどを混ぜた音楽で知られるグループ。
↑
ほう・・・。
下はANTHRAX。
アメリカのスラッシュメタルの大御所。
↑
東欧感満載ですが、アメリカのバンドなんですね。 -
パン屋さんに入ると、東欧あるある、怖い顔のおばちゃんが焼きあがったパンを次々に並べています。
でも、なんのパンか全くわかりません。
挨拶すると、パンを一つ一つ説明してくれました。
一見怖いけど、優しいなんて、東っぽい!
パンを3つ買って、MAXIで買ったオレンジジュースとヨーグルト、部屋で入れたコーヒーで立派な朝食に。
パン屋さんはカード使えました。 -
真ん中のパン。
プロシュートとチーズって言っていました。
美味しいです。
焼きたてで、まだ暖かかった。 -
卵となにか。
こちらも美味しい。
でも2個でおなか一杯。
ヨーグルトとゴマパンは次の日へ持ち越します。
とても美味しいパン屋さん。
日曜日でも朝早くからやっているしおススメです!! -
朝食を済ませたら、この旅で一番楽しみにしていたブルータリズム建築巡りへ。
バスで向かいます。
まずはEastern City Gate(Istočna kapija Beograda/ベオグラード東門)。
ちょっと離れていますが、バスも無料なのでなんの気兼ねなく行けます。
見えてきた!!! -
正式名称はRudo(ルド)。
ベオグラード東部のコニャルニク地区に建つ3棟の巨大集合住宅で、その姿から「ベオグラード東門(Istočna kapija Beograda)」と呼ばれています。
建設されたのはユーゴスラビア時代の1973~1976年。
設計は建築家ヴェラ・チルコヴィッチ(Vera Ćirković)と技師ミルティン・イェロティイェヴィッチ(Milutin Jerotijević)。
Rudo 1、Rudo 2、Rudo 3と呼ばれる3棟からなり、それぞれ高さ85m、28階建て、190戸という巨大な住宅です。
3棟は互いに向き合うように配置され、中央には広場と遊び場。巨大なコンクリートの塊が三方向から取り囲む独特の景観になっています。
最大の特徴は、このゴツゴツとしたピラミッド状・階段状のシルエット。
コンクリートの量感や構造を隠さず前面に押し出した、ベオグラードを代表するブルータリズム建築のひとつです。
ベオグラード市も、Western City Gate(Genex Tower)と並ぶ街の象徴として紹介しています。
だそうです。
近くに寄りましょう!!
わーーすごい!素敵です!!! -
それにしても、空が青い。
旅に出る前の関東はお天気が悪くてずーーーっと雨か曇りでしたが、ベオグラードは空が青くて30度くらいあって、夏です! -
現役の集合住宅地です。
付近の公園には、犬のお散歩をする人たちがいます。
のどかな住宅街です。 -
せっかくの青空だけど、おどろおどろしい方が似合います。
空の色を加工してみました。
「Eastern City Gate」は愛称で、正式名称はなぜかボスニアの町の名前「Rudo」。
しっかり堪能しました。
目に焼き付けました。
本当に素敵です。 -
次はバスを乗り継いで、Museum of Yugoslaviaに向かいます。
-
道中の建物も素敵です。
-
VMA(Vojnomedicinska akademija/ベオグラード軍医科大学・軍医療アカデミー)。
移動中に見えてきた、またしても巨大なユーゴ建築。
一見ホテルか巨大集合住宅のようですが、なんと軍病院。
1970年代に設計され、1981年に完成したユーゴスラビア時代の巨大建築だそうです。 -
ユーゴスラビア博物館に着きました。
このいかにもな建物はダミー?でなんでもありませんでした。
チケットを買って、細長いOldMuseumに入ります。
旧ユーゴスラビアの歴史や文化、そして社会主義時代の暮らしを伝える博物館。
収蔵品はかなり幅広く、第二次世界大戦中のパルチザンや戦後の社会主義国家建設に関する資料から、当時の日用品、写真、美術品、各国からチトーに贈られた品々まで。
特に面白いのが、チトーに贈られた大量のリレー用バトン。
かつてユーゴスラビアでは、チトーの誕生日を祝う「青年の日」に合わせて全国をリレーし、最後にチトーへバトンを渡す行事が行われていました。
博物館にはそのバトンが約2万本も収蔵されています。
もともとはチトーゆかりの品々を集めた施設や、社会主義革命の歴史を伝える「革命博物館」など、別々に存在していたコレクションが母体。
1996年に現在のユーゴスラビア博物館が設立され、その後は政治史だけでなく、人々の日常生活や文化、個人の記憶なども含めて「ユーゴスラビアとは何だったのか」を伝える博物館になっています。
敷地内には、チトーが埋葬されている**「花の家(House of Flowers)」**もあります。
という場所だからか、中国のツアー客がいました。
この旅で初めて、そして唯一見たツアー客。
同じ社会主義だからですかね。 -
『パルチザン』
ユーゴスラビアの画家ジョルジェ・アンドレイェヴィッチ=クンによる、パルチザンを描いた20点の素描集。
クン自身も第二次世界大戦中にパルチザンに参加しており、戦争を外から眺めて描いたものではなく、自ら体験した世界を作品に残しています。
「パルチザン」とは、第二次世界大戦中にチトーの指導のもと、ナチス・ドイツをはじめとする枢軸国の占領に抵抗した武装抵抗組織。
戦後の社会主義ユーゴスラビア成立につながる重要な存在でもあり、博物館にはパルチザンに関する資料が数多く展示されています。
ChatGPTに聞くとなんでも教えてくれます。
旅行がより充実します。
ありがとう。 -
こちらは負傷兵のための献血を呼びかけるポスター。
「ДАЈТЕ КРВ ЗА РАЊЕНЕ БОРЦЕ」=「負傷した戦士たちのために血を」。
赤十字の腕章をつけた衛生兵と負傷した兵士、その背後では戦闘が続いている様子が描かれています。
なんと、死神に負けない!みたいな意味かと思ったら。 -
ついさっき見てきたばかりのEastern City Gate(Rudo)。
1970年代に建設された3棟の巨大集合住宅で、3棟を120度の角度で配置した独特の構成や、3階ごとに段差をつけた階段状の外観など、設計について詳しく紹介されていました。 -
このあと行くGenexTowerも。
-
こちらも先ほど見た軍医療アカデミー。
-
ミロシェヴィッチ時代の選挙ポスター
1990年代末から2000年頃の選挙ポスターも展示。
ミロシェヴィッチや、2000年の大統領選で対立候補となったコシュトゥニツァなど、当時の政治家の顔がずらり。
この時期、街中には反ミロシェヴィッチ運動Otpor!による「GOTOV JE!(彼は終わりだ!)」というステッカーが大量に貼られました。
そして2000年9月の大統領選と、その後の10月5日の大規模な抗議運動を経て、約10年続いたミロシェヴィッチの時代は終わることになります。
ほうほうほう。 -
ミロシェヴィッチ政権末期の政治運動に関する展示。
中央に写っているのは、反ミロシェヴィッチ運動で知られるOtpor!(Отпор!=抵抗)の資料。
握りこぶしがシンボルマークです。
「КО ЈЕ КРИВ?」は「誰に責任があるのか?」。
当時の選挙ポスターや政治運動のビラが並び、ユーゴスラビア末期の社会の空気が伝わってくる展示。
ふむふむ。
展示の解説より詳しい気がします。
AIってすごいですね。 -
ユーゴスラビア。
その後の紛争のことを考えると、戦後に1つになったことは正解だったのか?
難しいです。
考えさせられる展示です。 -
ChatGPTもわからない、何かの絵。
多分、パルチザンでしょうか。 -
東って、なんかオシャレなんですよね。
私には刺さるデザイン。 -
博物館の敷地内にある「花の家(Kuća cveća / House of Flowers)」へ。
ここには、社会主義ユーゴスラビアを長年率いたヨシップ・ブロズ・チトー(1892?1980)が眠っています。
チトーは第二次世界大戦中、パルチザンを率いて枢軸国への抵抗運動を指導。
戦後は社会主義ユーゴスラビアの最高指導者となりました。
1948年にはスターリン率いるソ連と決裂し、東側陣営に属しながらもソ連の支配下には入らない独自の社会主義路線へ。
冷戦下ではインドのネルー、エジプトのナセルらとともに非同盟運動を推進し、東西どちらの陣営にも属さない第三の道を模索しました。
一方で、チトー時代のユーゴスラビアは一党支配体制であり、政治的反対派への弾圧も行われました。
多民族国家ユーゴスラビアをまとめ上げた象徴的な存在であると同時に、その統治をどう評価するかについては現在もさまざまな見方があります。
チトーは1980年5月4日に死去。
葬儀には世界各国から多数の首脳・要人が参列しました。
お墓は意外なほどシンプル。
白い大理石に金色で
JOSIP BROZ TITO
1892?1980
と刻まれているだけでした。 -
2013年に亡くなった妻ヨヴァンカ・ブロズ。
彼女自身も第二次世界大戦中はパルチザンとして戦った人物で、戦後チトーと結婚し、ユーゴスラビアのファーストレディに。
しかしチトー晩年には側近たちとの対立などから夫と引き離され、チトーの死後は長く公の場から姿を消しました。
2013年に亡くなり、本人の希望によりチトーと同じ「花の家」に埋葬されています。
32歳も離れてるんですけど!!!! -
社会主義とマスゲーム
チトーの肖像を掲げ、大勢の若者が一斉に演技する写真。
旧ユーゴスラビアでは、5月25日の「青年の日」に、全国を巡ってきたリレーのバトンがベオグラードへ到着し、スタジアムでは大規模な集団演技「slet」が行われていました。
それにしても、社会主義国ってどうしてこんなにマスゲームが好きなんだろう。
北朝鮮や旧ソ連などを見ても、大人数が同じ服を着て、同じ動きをして、巨大な図形や文字を作る光景はおなじみ。 -
高台にあるので、遠くにサワ大聖堂が見えます。
大満足の展示でした。 -
次は大本命のGenexTowerへ向かいます。
途中の建物。 -
バスでたどり着きました!
凄いです!
迫力あります。
ついにこの目で見られて感激です。
あとは、キレイに撮れる場所を探しましょう。 -
根本から。
下は荒んだ感じで、雰囲気満点です。
左側は現役の住宅地、右側は廃墟です。 -
燃やされた後みたいな広場。
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下をくぐって反対側へ。
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落書きが多くて、荒んでいます。
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足元は、割れたガラスの破片が散らばっているので、ここに来る際はサンダルではなく、底の厚いスニーカー推奨します。
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ポップ。
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ベオグラードを代表するブルータリズム建築、Western City Gate(西門)。
一般にはGenex Tower(ゲネックス・タワー)の名前で知られています。
設計はセルビアの建築家ミハイロ・ミトロヴィッチ(Mihajlo Mitrović)。
1970年代に建設が進められ、1980年に完成しました。
高さ117m、35階建て。
ニューベオグラードの高速道路沿いにそびえています。
最大の特徴は、もちろんこの異様なシルエット。
高さの異なる2本のコンクリートタワーを、26階部分のブリッジで連結しています。
もともとは一方が住宅、もう一方がオフィスとして造られた複合施設でした。
そして頂上には、まるでUFOを載せたような円形レストラン。
この部分まで含めて、とにかく未来的。
上部にはデジタル時計も設置され、空港方面からベオグラードへやって来る人々に時刻などを知らせる役割も果たしていました。
高速道路で西側からベオグラードへ入ってくると、この巨大な建物が街の入口のように現れることから「Western City Gate」と呼ばれるようになりました。
↑
ChatGPTより。
朝のEastern City Gateもすごかったけれど、こちらはさらにSF感がすごい。
2本の巨大なコンクリートの塔、その間をつなぐ空中ブリッジ、そして屋上には謎の円盤。
根元の落書きと荒廃感。
最高。 -
近未来風に加工してみました。
本当に素晴らしいです。
さすがに、ここは撮影に来ている人が何人かいました。
イースタンシティゲートは誰もいませんでしたが。
どちらもおススメです!!!!! -
目に焼き付けた後は、Block23へ。
Block63も行きたかったですが、暑くて億劫になってしまってスキップ。 -
第二次世界大戦後、サヴァ川の対岸に計画的につくられたニュータウン「ニューベオグラード」には、番号で呼ばれる巨大な街区=ブロックが並んでいます。
Block 23はその中でも、旧ユーゴスラビア時代の集合住宅建築を代表する街区のひとつ。1960年代末に計画され、1970年代に建設されました。
巨大な高層住宅と長大な板状住宅を組み合わせ、その間に広いオープンスペースや歩行者空間を配置。建物単体をデザインするというより、住宅、緑地、学校、商業施設などを含めて一つの生活空間をつくるという、当時の大規模な都市計画の考え方がよく分かります。
そして何より目を引くのが、むき出しのコンクリート。窓やバルコニーが延々と繰り返される巨大なファサードに、幾何学的な造形が加わって、とにかく迫力があります。
今も普通に人が暮らしている現役の住宅地。
圧巻です。 -
日本の団地とはけた違い。スケールが違います。
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中も見てみたい。
大満足のブルータリズム建築巡りでした。 -
バスに乗って旧市街に戻ります。
聖天使首ミハイル大聖堂に。
ベオグラードを代表するセルビア正教会の大聖堂で、現在の建物は19世紀前半、オブレノヴィッチ朝のミロシュ公の時代に建てられました。
巨大な聖サワ大聖堂とはまったく雰囲気が違い、外観は高い鐘楼を持つ比較的すっきりとした姿。けれど内部に入ると、正教会らしい豪華な**イコノスタシス(聖障)**やイコンが並びます。
そしてここは単なる古い教会ではなく、セルビア近代史の重要人物たちが眠る場所でもあります。
だそうです。
同じ正教会でも雰囲気が違います。 -
続いて、カレメグダン公園へ。
遠くに先ほど言ったGenexTowerが見えます。
ランドマーク。
東京で言う東京タワーみたいな? -
サヴァ川とドナウ川の合流地点に立つ公園。
お天気がいいのと、坂道が多いので、ちょっとばててきました。
公園にカフェがあるので、冷たいアイスコーヒーでも飲もうと思って。 -
こちらのチェーン店のKafeterija Kalemegdanへ。
アイスラテ頼んだら、氷なしでした。
その分、たっぷり入っていていいですが、なんとなくぬるいアイスラテを、炎天下の公園のベンチに座って一気飲みしたので、リフレッシュできたようなできていないような。
コーヒー自体は美味しかったです。 -
カレメグダンの城壁の中にある聖ルジツァ教会へ。
「Ružica」はセルビア語で**「小さなバラ」**という意味で、「バラの教会」とも呼ばれています。
現在の教会は19世紀に、かつて火薬庫として使われていた建物を改装して造られたもの。第一次世界大戦では大きな被害を受け、その後修復されています。
小さな教会ですが、内部には第一次世界大戦後に描かれたフレスコ画があり、さらに有名なのが使用済みの銃弾や薬莢、剣などの軍用品を使って作られたシャンデリア。
むむむ・・・と思って行ってみたら、結婚式の真っ最中。
さすがに入れませんでした。
聖ルジツァ教会は結婚式で入れなかったので、そのすぐ近くにある**聖ペトカ礼拝堂(Kapela Svete Petke)**へ。こちらは無事に入れました。
聖ペトカ(聖パラスケヴァ)は、バルカンの正教会世界で特に信仰を集めている女性聖人。現在の礼拝堂は1937年に建てられたもので、ベオグラード要塞の城壁の下、斜面に張り付くような場所に建っています。
この場所が古くから信仰を集めてきた理由のひとつが、礼拝堂のそばから湧き出る泉。聖ペトカにゆかりのある聖水として信仰され、今も水を汲みに来る人がいます。でも有料でペットボトルに入れたお水を売っていたような、あれは寄付だったのかな。
聖ペトカという名前はブルガリアのソフィアでも聞いたような。
そもそも、聖ペトカがいっぱいいるらしいので、同一人物なのかは不明。 -
帰りがてら歩いていると出てきました。
F-117を撃墜した地対空ミサイル
カレメグダンの軍事博物館周辺には、戦車や大砲などがずらりと屋外展示されています。
S-125 Neva地対空ミサイル。
1999年のNATOによるユーゴスラビア空爆では、ユーゴスラビア防空部隊がこのS-125を使用し、米空軍のF-117ステルス攻撃機を撃墜したらしいです。
「レーダーに映りにくい」ことを最大の特徴としていたF-117が実戦で初めて撃墜された出来事として知られているらしいです。ワオ( ゚Д゚)
前日には街中に残るNATO空爆の跡を見て、今度は要塞でその時に使われた防空兵器を見ることに。
セルビアにとって、NATO空爆は重要な出来事だったとわかります。 -
「魚雷と少女」
東欧の短編映画みたいなタイトルになりました。
東欧って、情操教育なのかな、子供と戦車やミサイルとの触れ合いを見かけます。 -
M36 B2 90mm自走砲。
カレメグダンの軍事博物館には、各国の戦車や自走砲が城壁沿いにゴロゴロ置かれています。
お金払って博物館の中に入らなくても、無料の屋外展示だけでかなりの物量。 -
「大砲と少年」
「魚雷と少女」に続いて、今度は大砲と戯れる少年。
やはり東欧の情操教育なのでしょうか。 -
フランスへの感謝記念碑
これは女性像なんだそう。
ものすごい躍動感のある女性像。
第一次世界大戦でセルビアを支援したフランスへの感謝を表した記念碑で、1930年に建立されたもの。
女性はフランスを擬人化していて、風を切っている感じ。
私には突風にあおられているベートーヴェンに見える。 -
カレメグダンを出て、ベオグラード随一の繁華街クネズ・ミハイロヴァ通り(Knez Mihailova)を歩いてホテルへ戻ります。
朝から歩いて歩いてへとへとです。
カレメグダンと共和国広場を結ぶ歩行者天国で、両側にはショップやカフェ、19世紀の建物がずらり。
日曜日なので人通りがあります。
アジア系観光客はほとんど見かけませんでした。
道端のお土産屋さんを覗くと、プーチンの顔が印刷されたグッズが。そして、その隣にはラトコ・ムラディッチの顔まで。
ムラディッチはボスニア紛争時のボスニア・セルビア人勢力の軍司令官で、スレブレニツァでのジェノサイドなどにより旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で有罪となり、終身刑を言い渡された人物です。
そんな人物の顔がお土産グッズになって普通に並んでいることに、ちょっとびっくり。
同じ旧ユーゴ紛争でも、どこから見るかによって記憶や受け止め方が大きく異なることを感じます。
2015年にサラエボを訪れたときが、ちょうどスレブレニツァの虐殺から20年という節目の年で、現地では追悼行事のニュースが連日流れていました。
そのときのことが思い出されて、ムラディッチの顔がお土産グッズになって並んでいる光景には、なんとも複雑な気持ちになります……。 -
ホテルでもらったウェルカムドリンクバウチャーを使って休憩しようと思ったら、日曜日はホテルのレストランは朝食後は閉まっているとのこと。
なのでバウチャーが使えないことが分かりました。
チェックインの時に教えてよう。。。
ということで、遅めのお昼を食べに、徒歩すぐのRepublic Grillへ。
バルカン名物のćevapi(チェヴァピ)を食べに来ました。
ひき肉を小さな棒状にして炭火で焼いた料理で、ボスニア・ヘルツェゴビナやセルビアをはじめ、旧ユーゴ圏の名物らしいですが、初めてです。
メニューには「Sarajevski ćevap(サラエボ風チェヴァピ)」とあったので、せっかくだから店員さんおすすめのオーソドックスなスタイルで注文。
カイマクという白いなにかこってりしたクリームをトッピング。
セルビアなのにサラエボ風なのね。
ビール飲みながら待ちます。
セルビアのZaječarsko(ザイェチャルスコ)。
舌を噛みそうで発音できないので指差し注文。 -
焼きたてのチェヴァピをパンと玉ねぎと一緒にいただきます。
一口目、美味しい!!!
食べていくうちに、カイマクがもたれてきて、塩分がきつくなってきました。
でもお腹は空いている。
ビールで流し込むように完食しました。 -
MAXIでレモネードを買って、部屋に戻って一気飲みしてお昼寝。
ハッと目が覚めると20時くらい。
ご当地マグネットを買っていないので、お土産屋さんへ。
ホテルから歩いてすぐのBalkan Souvenirsへ。
マグネットがいっぱいあります。
2つお買い上げ。 -
お昼に食べたチェヴァピのせいで、口の中が塩辛い。
甘いものを欲して、Princess Puff Belgrade でシュークリームを。
1つ買うと、そのまま渡されます。
立ち食いスタイル。
部屋に戻って食べました。
口の中の塩が中和されてとっても美味しかったです。 -
MAXIで買った部屋飲み用ビール。
どちらもセルビアのローカルビールです。 -
BBCでは、エド・シーランのコンサートでの謝罪シーンが何度も放送されていました。
明日は04:30にチェックアウトして空港へ向かうので早く寝ます。
72番バスで行くか迷いましたが、ホテルからバス停が高低差があるし、暗いだろうし、ChatGPTに相談したら、タクシーがいいよということで、ホテルにタクシーを手配してもらいました。
40ユーロだったので、1ユーロ120円だった時に両替した現金を持ってきているので、カード払いもできましたがあえての現金払いに。
早く円高に戻ってほしいです。
実際は、通りは照明があるので、暗さはそこまでではなかったので歩いてもよかったかなと。
往路のバスは1時間以上空港から市内までかかりましたが、タクシーは飛ばす飛ばすで、わずか20分で空港に着きました。 -
セルビアの荷物検査は、液体物を鞄から出さないといけないので面倒です。
はやく最新の機器にしてください。
ご丁寧に、液体を入れられるジップロックが多数置いてありました。
現金が3,250 RSDも余っているので、使うべく、エアサイドでお土産を買います。値段表記はユーロですが、お会計時にセルビアディナールで買いますと言えば、セルビアディナールで買えます。
タクシーが飛ばしてくれたおかげで時間があまりました。
プライオリティパスで入れるラウンジへ寄ってみると、トイレの奥にあります。
ごみごみしていて暗くて落ち着かないラウンジで、昨日買って残しておいたゴマパンを食べます。1日たっていても美味しい。
ChatGPTが、空港にエアセルビアグッズが売っているというので探しましたがついに見つけられませんでした。残念。
定刻通り搭乗が始まりました。
07:20BEG→08:50LUJ JU620でリュブリャナへ向かいます。
エアセルビア初めてです。
プロペラ機で小さいため、搭乗前にキャリーオンスーツケースは取られました。 -
エアセルビアパッケージのお菓子が出ました。
さようならセルビア。
とっても楽しかったです。
治安もよく、無尽蔵に張り巡らされた無料の公共交通は便利、お店の人もやさしい、ほとんどキャッシュレス決済。
リュブリャナ~帰国編に続く。
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