2026/09/09 - 2026/09/09
573位(同エリア4791件中)
かっちんさん
江戸時代の丸の内エリアは、大名屋敷が並び、明治維新後、三菱に払い下げられ、赤煉瓦造りのオフィス街となりました。
昭和になると建物は百尺規制(高さ31m)によりほぼ同じ高さのビルが並びました。
昭和45年(1970)になると建築基準法改正により絶対高さ制限が撤廃され、「容積率規制」が導入されて高さ31mを超えるビルが建ち始め、これが現在の超高層ビルの実現となります。
三菱地所は平成10年(1998)より、「世界で最もインタラクションが活発な街」をコンセプトとした新しい都市機能の創造への取り組み「丸の内再構築」をスタートしました。
平成14年(2002)竣工の「丸の内ビル」の完成を皮切りに多くのビルの建て替えを実現。
その後、丸の内の活気と賑わいを大手町、有楽町へと拡大し、ビジネス機能を深化させるとともに、街の機能の多様性を拡げました。
今日は、NHK学園の東京スリバチ地形散歩~丸の内の歴史と建物編~に参加し、超高層ビルが建ち並んだ背景の説明を聞きながら、丸の内、大手町の建物を巡ります。
トップ写真は「大手町の森」。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・NHK学園、東京スリバチ地形散歩「丸の内の歴史と建物」
・東京駅及び周辺エリアの情報サイトのHP
・丸ビル
-smile「新丸ビルに続いて丸ビルでもAI警備システム「asilla」を採用。警備効率強化と空間価値を向上へ」
-スタログ「【丸の内ビルディング】高みを目指す企業のための丸の内の煌めく舞台」
・丸の内仲通り
-千代田区観光協会「丸の内仲通り」
-丸の内ストリートギャラリー
・三井住友トラスト不動産「江戸期・明治期の日比谷付近」:日比谷入江
・丸ビルの松杭、3連アーチ
-木の雑記帳「霞ヶ関の地下から丸太がザックザックの怪」
-だいだい一級建築士さんのブログ「名建築さんぽ④丸ビル|東京」
ー菊川工業「丸の内ビルディング」:3連アーチ
・百尺規制、空中権
-ウィキペディア「日本の超高層建築物、百尺規制」
-三井住友トラスト不動産「丸の内・大手町」:昭和30年代の丸の内建物写真
-旭化成「「建ぺい率」「容積率」とは?」
-おぐえもん「重要文化財を守れば隣に超デカいビルを建てられる!?丸の内摩天楼の裏側(後編)」:丸ビルの容積率
-東洋経済「「高層ビルが全然ない…!」1960年代≪31mの高さ制限≫があった”東京・丸の内”の現在と似て非なる街並みをアナログ写真で振り返る」
-東京大学「超高層時代と霞ヶ関ビル」
-新橋おじさんブログ「【#再開発えぐい東京駅①】"日本最大の玄関口"がついに本気を出す話。-丸の内と空中権編-」
・新丸ビルのHP
・三菱地所「(仮称)東京海上ビルディング計画」
・東京建物「大手町タワー」
・「大手町の森」のHP
・ラ・パティスリー by アマン東京のHP
・ポストマップ「大手町ビルヂング内東側」
・大手町仲通りのHP
・千代田区「「仲通り散歩橋」と「鎌倉河岸船着場」が完成」
・千代田遺産「仲通り散歩橋」
・丸の内オアゾのHP
・丸の内ホテルの歴史
・三菱地所、丸の内エリアポータルサイト「まちの歴史とこれから」
・ウィキペディア「丸の内ビルディング」「アトリウム」「Torch Tower」「新丸ビル」「丸の内オアゾ」「交通公社ビルヂング」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
「丸の内エリアの建物地図」
東京駅の西側に「丸の内エリア」があります。(写真では東京駅の上部)
今日の建物巡りは、丸ビルから出発し、丸の内仲通り、新丸ビル、日本工業倶楽部会館、おおてもり、大手町ビル等の建物群、将門の首塚、鎌倉河岸まで、東京スリバチ学会会長・一級建築士の皆川氏の解説を聞きながら歩きます。 -
創建当時の姿に復元された「東京駅丸の内駅舎」
東京駅丸の内中央口から集合場所の丸ビルへ向かいます。 -
「東京駅前広場の打ち水」
夏季の9:00-17:00に、深さ5mm程度の水を張り、夏場の路面温度の上昇を抑え、安らぎと清涼感のある広場にしています。
猛暑の多い最近は効果があります。 -
皇居に通じる「行幸通り」(東京駅前)
行幸通りの左側に丸ビル、右側に新丸ビルがあります。 -
「丸ビル」(正式名称は丸の内ビルディング)
平成14年(2002)に旧丸ビル(7階建て)を建て替え、新しく竣工した「丸ビル」。
三菱地所が所有し、地下4階地上37階の超高層ビル。
低層部は旧丸ビルの面影を残しています。 -
「開放感のある低層部」(丸ビル)
ここには商業施設があります。
では、いつものスリバチ地形散歩メンバーと建物巡りに出発します。 -
「東西通路」(丸ビル)
旧丸ビルの十字アーケードを継承した東西通路の先は、丸の内仲通りです。 -
巡回警備中の「アジラくん」(丸ビル)
AI警備システム「AI Security asilla」のアジラ君は、行動認識技術をもとに異常行動や不審行動を検出した時に瞬時に映像を通知します。 -
イチオシ
「ガラス張りのアトリウム」(丸ビルの東西通路)
東西通路が丸の内仲通りと接するところは、ガラスに覆われた吹き抜けの開放的な空間「アトリウム」になっています。 -
「サッシのないガラス固定」(丸ビルのアトリウム)
強化ガラスを壁に金具で止めています。 -
歩いてみたくなる「丸の内仲通り」
街路樹が美しい通り沿いには、有名ブランドの路面店やハイセンスなレストランやカフェ、オフィスビル、商業施設などが軒を連ねています。 -
「段差のある歩道」(丸の内仲通り)
歩道の地下部分は軟弱地盤なので、繋ぎ目で少し地盤沈下しています。
一方、丸ビルの建物は地下に杭を打ち、強固な地盤にしているので地盤沈下がありません。
ここは江戸期に入るまで浅瀬の海が広がる「日比谷入江」でした。
その後、江戸を開府した徳川家康がこの一帯を埋め立てた歴史があります。 -
「丸の内ストリートギャラリー」(丸の内仲通り)
空想と現実が交差するような、何かが「ぬっと現れる」気配を求めて、「地からぬっと現れるようなイメージ」の中村萌氏の作品です。 -
「旧丸ビルの松杭展示」(丸ビルオフィスロビー)
旧丸ビルを建て替える基礎工事のときに出土した当時の基礎杭の「松杭」が床面に展示され、ガラス越しで観察できます。
立っている松杭は模倣品ですが、長さがわかります。
旧丸ビルの基礎杭には、米オレゴン州から輸入された直径約30cm、長さ約15mの「松杭」が合計5,400本以上が打ち込まれていました。
「松杭」は約80年を経ても腐食はほとんど見られず、木肌は当時のまま。
丸の内の高い地下水位により、杭が常に水中にあり、腐朽菌が活動できない嫌気状態に置かれていました。 -
「旧丸ビルの3連アーチ」(丸ビルオフィスロビー)
ブロンズ製3連アーチ建具が復元されています。 -
「同じ高さのビルが揃う丸の内エリア」(三井住友トラスト不動産殿の写真引用)
昭和30年代の丸の内エリアの写真です。ビルの高さに凸凹がなく整然とした景色です。
大正8年(1919)に市街地建築物法に基づき、建築物の高さは100尺(約30.303m)に制限され、通称「百尺規制」と呼ばれました。
大正12年(1923)に発生した関東大震災により崩れた建物は、帝都復興院の指導の下、多くのビルが「百尺規制限界」の高さで建設され、同じ高さの建物が並ぶようになりました。
なお、昭和6年(1931)には「百尺規制」をメートル法による31m(102.3尺)に変更されいます。
昭和45年(1970)になると建築基準法改正により絶対高さ制限が撤廃され、「容積率規制」が導入されて高さ31mを超えるビルが建ち始め、これが現在の超高層ビルの実現となります。
容積率は「延べ床面積(各階の床面積の合計)÷敷地面積」×100」で求めます。
そして用途地域別の容積率の上限が決められています。
丸ビルの場合、地下4階・地上37階・塔屋2階の容積率は、上限1,437%に対して「1,436.23%」です。 -
「東京駅駅舎の復原が可能になった理由」(建築士皆川氏の説明)
東京駅の丸の内駅舎は1945年の空襲で南北のドームと屋根が焼失して以来、駅舎は2階建ての簡易的な姿でした。
JR東日本では創建当時の赤レンガの3階建て駅舎に戻す復原工事を検討したところ、費用は約500億円。
この費用の捻出に「空中権の売却」を適用し、新丸ビル・東京ビル・丸の内パークビル・JPタワーなどに売却することで超高層ビル群を生み出し、東京駅の復原工事費のほぼ全額を捻出しました。
東京駅の駅舎の「空中権」は、2001年の都市計画法改正で創出された「特例容積率適用制度」のことで、東京駅駅舎の余った容積率を別の敷地に売却できたのです。 -
「超高層ビル群」(大手町2丁目常盤橋地区)
建設中の青いビルは日本一の高さとなる「トーチタワー」。
地上高は385mで、麻布台ヒルズ森JPタワー(高さ325m)を超えて日本一高いビルとなります。
竣工予定は2028年。 -
「新丸ビル」(東京駅前)
昭和27年(1952)に竣工した旧館は、平成19年(2007)に建替えられた地下4階地上38階の超高層ビルの「新丸ビル」。
「特例容積率適用区域制度」を利用した東京駅丸の内駅舎からの一部容積率移転によって、容積率は1,760%まで上積みが認められました。 -
「高級感のある1階」(新丸ビル)
商業施設は地下1階~地上7階です。 -
「丸の内ハウス」(新丸ビル)
7階の「丸の内ハウス」はレストランフロア。
それを囲む外側のテラスは、皇居側、丸の内ビル側、東京駅側の3つのエリアに分かれています。
食事をしませんが、展望がいいのでテラスを歩きます。 -
「皇居側テラスからの景色」(丸の内ハウス)
皇居前広場と正門石橋、二重橋が見えます。 -
建て替え中の「東京海上ビル」(丸の内ハウス皇居側)
洗練された気品のある佇まい「木の本店ビル」を目指しています。
見えている柱はコンクリート柱に木の板を貼り付けています。
竣工予定は2028年。
旧東京海上ビルは赤茶色の建物でした。 -
「東京駅側テラスからの景色」(丸の内ハウス)
外国の町のようなイメージ。
正面に東京駅丸の内駅舎、右側に東京中央郵便局だった「KITTE丸の内」。
後方の八重洲エリアも再開発され、左から「東京ミッドタウン八重洲」、「グラントウキョウサウスタワー」、「パシフィックセンチュリープレイス丸の内」
その間のクレーンが見えるところは「八重洲ブックセンター跡地」に建設中の「YAESU CORE(ヤエス コア)」。2029年完成予定で設計は今日の案内役の鹿島建設出身「皆川氏」です。 -
イチオシ
「ジオラマのような東京駅」(丸の内ハウス東京駅側)
米粒のような人が駅前広場に集まっています。
修学旅行生が記念写真を撮っているところですね。 -
「東京駅から出発する中央線」(丸の内ハウス東京駅側)
-
「日本工業倶楽部会館」(新丸ビルの向かい)
大正9年(1920)に竣工した旧館は横河工務所(松井貫太郎)の設計で、旧館は国登録有形文化財。 -
「正面玄関」(日本工業倶楽部会館)
実業家の親睦を目的とした社交クラブの建物で、正面屋上には小倉右一郎作の二つの人像が置かれています。 -
「男女の像」(日本工業倶楽部会館)
男性は右手にハンマー、女性は左手に糸巻きを持ち、当時の二大工業である石炭と紡績を示しています。 -
イチオシ
「丸の内仲通り」
次は「おおてもり(大手町の森)」へ向かいます。
再開発前は銀行の建物が並び、現在と全く違う雰囲気でした。 -
「大手町の森」
永代通りの信号を渡ると緑の樹木が茂る「大手町の森」。
その右横に地下6階地上38階の「大手町タワー」があります。 -
イチオシ
「大手町の森」
2013年に完成した大手町タワーの最大の特徴は、敷地全体の約3分の1に相当する約3,600㎡が本来の森を再現するように造られた「大手町の森」。 -
「本物の森の創造」(大手町の森)
千葉県君津市の山林に、土地の起伏や人工地盤、土壌の成分、樹木の密度や種類などを計画地に同じようにつくり、約3年かけて施工方法や植物の生育、適切な管理方法を検証。
その結果をもとに、君津から大手町に育成した土壌や植物を移植しつつ、敷地全体に「本物の森」を再現しました。 -
「斜面にも植えられた樹木」(大手町の森)
1階から地下2階に下りたところは「森のプラザ」。カフェやレストランがあり、地下鉄大手町駅にも通じています。
森の中でお気に入りのスペースを見つけて仕事の合間の憩いの時間を楽しむことができます。
女性に人気の「ラ・パティスリー by アマン東京」もあり、町歩きの女性参加者が見に行ってました。
大手町タワー最上階33階~38階にはアマン東京のホテルがあります。宿泊料は何と30万円ほど。 -
イチオシ
「森の中のカフェ」(大手町の森)
都心の中に森があるとは。。。
「都市を再生しながら自然を再生する」という開発コンセプトは素晴らしいです。 -
次は「大手町ビルヂング」
何だか古そうなビル。 -
「大手町ビルの外観」
昭和33年(1958)竣工で、建物高さ31m規制があったころの典型的な建物。
地階に東京電力の広域高圧変電所を設置し、中央熱源による全館冷房設備を導入した初の建物でした。 -
イチオシ
各階にある「郵便ポスト」(大手町ビル)
エレベータホール前の壁に設置されている各階の「郵便ポスト」。
少し出っ張っている「LETTERS」上部の隙間から手紙を入れると、地下1階にある郵便局の取集口に落下します。
最上階の9階から「はがき」を投函するとヒラヒラと落ちてくるのやら。。。
注意書きのお願いには「大型封筒や大量の郵便物は途中階に於てつまる原因となりますので誠に恐縮ですが直接郵便局にお持ち下さい」。
今では珍しい「郵便ポスト」です。 -
「将門の首塚」(大手町1-2-1)
平将門の首を供養する塚で東京都指定の旧跡。 -
「将門の首塚」
かつて盛り土があったことから、古墳であったとも考えられています。
平将門は平安時代中期、関東で反乱を起こして敗死(承平天慶の乱)。
将門塚がある地はかつて武蔵国豊嶋郡柴崎村と呼ばれ、江戸時代には姫路藩雅楽頭酒井家江戸上屋敷の敷地で山本周五郎の歴史小説「樅ノ木は残った」で知られる仙台藩原田宗輔による刃傷沙汰が発生しています(伊達騒動)。
「将門の祟り」の逸話は、怨霊として映画「帝都物語」などにも引用されました。 -
「大手町仲通り」(丸の内仲通りの方向)
高層ビル群の合間にケヤキ並木が整備された「大手町仲通り」。
ここは「丸の内仲通り」から続いています。 -
「大手町仲通り」(日本橋川の方向)
これから日本橋川へ向かいます。 -
日本橋川に架かる「仲通り散歩橋」(大手町側から)
「大手町仲通り」と神田エリアを結ぶ歩行者用人道橋を渡ります。
人道橋は、神田橋と鎌倉橋の間にあります。 -
「仲通り散歩橋」のふり返り(内神田側から)
ここは千代田区内神田1丁目。
完成したのは令和8年7月31日なので、今日より1ヶ月ほど前の話です。
また、今年5月に日本橋川クルーズ船でこの橋の下を通ったのですが、記憶にないのは建設中だったためとわかりました。 -
「鎌倉河岸船着場」(仲通り散歩橋から)
内神田側にある船着場で、同じく令和8年7月31日に完成しました。
災害時には水上輸送拠点として活用されるとともに、平時には舟運や観光などへの活用が検討されています。 -
「鎌倉河岸跡」説明板
神田橋から鎌倉橋周辺は江戸時代から鎌倉河岸と呼ばれています。
徳川家康が江戸に入府した際、鎌倉から石材を運び込み、この河岸に陸揚げしたのが名前の由来です。
この河岸は魚や青物などの生鮮食品をはじめ、木材や石材などの物資が集まるところで、水上交通のターミナルとして賑わいました。
また隣接する町は「鎌倉町」と名付けられました。 -
「鎌倉橋」
関東震災後、復興局が昭和4年架橋した「鉄筋コンクリートアーチ橋」です。 -
「荷揚げ場跡」(鎌倉橋の脇)
江戸時代の荷揚げ場跡が残っています。 -
「丸の内オアゾ」(丸の内)
ここは東京駅丸の内北口前にあった旧国鉄本社ビル、交通公社ビル、東京中央ビル、丸の内ホテル跡等を再開発し造られました。
名前のオアゾ(OAZO)は、丸の内地区(O)と大手町(O)を包括的に(AZ)結ぶ、「Office&Amenity ZOne」であることを表現しており、エスペラント語で「オアシス、憩いの地」を意味するオアーゾ(oazo)の意味も含んでいます。 -
「両開きドア跡」(丸の内オアゾ)
「旧丸の内ホテル」の玄関にあった両開きドア跡だと思われます。 -
「大手町から東京駅へのオアゾ通路」(丸の内オアゾ)
オアゾショップ、丸善(書店)などが並んでいます。 -
「トンボのデザイン」(丸の内オアゾ通路)
通路の床面のデザイン。
マンホールのように見えますが、通路にいくつもあるので違うと思います。 -
「東京駅の北ドーム」(東京駅丸の内北口改札)
丸の内エリア建物めぐりのゴール「東京駅」に到着します。
東京駅周辺の再開発により建てられた数多くの超高層ビルを建築の専門家と歩き、建物の構造や歴史、見どころ等の説明を聞き、じっくり楽しむことができました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
丸の内・大手町・八重洲(東京) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
53