2026/06/04 - 2026/06/06
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sanhaoさん
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とにかくゲルニカが観たくてこの街にやって来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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グランビア通り。マドリードの中心部の大通り。ホステルから歩いてプラド美術館エリアを目指します。
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プラド美術館には10時前に到着。入場券も気が抜けるほどすんなり買えてしまいました。内部はほとんど写真撮影禁止と厳しい。
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世界三大美術館の一つといわれるだけあって、ベラスケス、ゴヤ、ルーベンス、レンブラント、ムリョーニョなど巨匠の絵画はあるがルーブルやウフィツィ美術館などを観た後ではもう一つと感じた。心は既にゲルニカに行っている。
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ちなみにプラド美術館はシニア割引で半額で入れました。
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ここから先は撮影禁止でした。
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ソフィア王妃芸術センター
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マドリードまできた最大の目的がここです。万が一を考え事前予約していましたが、全くその必要は無かったようです。
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遂にゲルニカとご対面です。
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圧倒されます!
美術館資料によれば、
ゲルニカは、1937年ナチスドイツがスペインのバスク地方にあるゲルニカを空爆しその一般市民を狙った都市無差別爆撃ニュースを知ったピカソが、スペイン共和国政府からパリで開かれる万国博覧会のスペイン共和国パビリオンに飾る作品の依頼を受け描いたものです。
ゲルニカへの空爆を知ったピカソは大きなショックを受け、爆撃からわずか77日で約3.50メートル×約7.8メートルの大作であるゲルニカ描き スペイン共和国パビリオンで公開したそうです。
万博終了後は展示のため欧州各地を転々としましたが、ゲルニカの所有権が他国に移った事はありません。しかし、共和国が倒れフランコ独裁政権下になったスペインに渡すことをピカソは拒否し、ニューヨークでゲルニカを保管することを決意し、スペインの人民に自由が戻るまではゲルニカをスペインにわたさないよう約束を交わします。1973年にピカソは死去しますが、約束通りゲルニカはニューヨークに“亡命”し続けました。
その後、1975年にフランコが死去してスペインの民主化が急速に進み、ピカソが掲げていた帰還の条件が満たされ、1981年にようやくゲルニカがスペインへに渡ったそうです。 -
もう二度とここから移動されることはないので、この絵を見るにはマドリードに来るしかない。
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下絵もここで観られて大満足です。
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ついでに、ダリも観ておきます。プラド美術館と違いここは撮影OKです。むかしミックジャガーが来てバシャバヂャ撮影している姿が放送されて、一般人には撮影させないのは不公平だという声が大きくなり今では解放されたそうです。
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近くに、生ハムミュージアムというお店がありました。
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マヨール広場。周りの建物は17世紀に建てられた集合住宅。
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王宮。前の広場にはフェリペ4世の騎馬像。これでマドリードに来た目的は達成できたので次の目的地パリ/モン・サン・ミシェルに移動します。
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