2024/08/12 - 2024/08/17
46位(同エリア112件中)
ishigantouさん
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ジョージアという国を初めて知ったのは、何十年か前にロシアンレストランに置いてあった「グルジア(ジョージア)ワイン」を飲んだ時の事。ジョージアのワインは紀元前6000年代には既に作られていたとされており世界最古のワイン造りと言われている。注目すべきは古代のワイン製法。素焼きの壺(クヴェヴリと呼ばれている)にブドウの果皮、果肉、茎なども入れ、土に埋めて発酵する方法(現在は別な方法も行われている所もある)を現在も受け継がれている事。その味は普通のワインと違い、味に深みがある。私の友人なども今までに味わったことのないワインと言っていた。
そんなワインをネットで取り寄せて飲んでいたりしていたが、今は無い岩波ホールの創立50周年記念作品として「花咲くころ」がグルジア(ジョージア)のトビリシを舞台にした作品が2018年に封切られた。早速観に行ったものである。
内容はソビエト連邦からの独立の翌年1992年が舞台。内戦、紛争などで荒廃している物資不足の中、二人の少女の身に起こる様々な出来事を二人の友情と成長を描いていた。
http://www.pan-dora.co.jp/hanasakukoro/
この映画はベルリン国際映画祭で国際アートシアター連盟賞を取っている。
そんな折り、ジョージア出身の栃ノ心がTVでジョージアのステパンツミンダの紹介をしていた。そこには高い山々に囲まれたゲルゲティ・サメバ(ツミンダ・サメバ)教会が映し出されていた。その時この美しい自然を見るべき、いつか訪ねてみたい国として固まった。
旅は一人で行き、ツアーなど参加せず好きな時間に起きて、好きな時間に食事をして自分のペースで写真など撮り、主要な場所は現地のコーディネーターさんに委ねるのが常だが、今回はパートナーと旅立った。パートナーはホテル関係に勤務していて、私の長期休暇の時期は逆に忙しくて一緒に行けない。でもこの時は盆休みのホテルが忙しい時期に休暇が取れたのだ。理由はロシア出身の彼女はコロナ禍、ウクライナ侵攻と続いたため、未だにロシアに里帰り出来ていない。それならばとはじめ二人でロシアに行こうと言うことになったのだが、ロシアへの入国はもちろん直行便は無く、中国や旧ソ連圏の国経由など入国方法が複雑。しかも日本国内でネットによるホテルやロシアの国内線、鉄道などは予約不可。そして所持金も限られていたので現地でチケットなど購入もままならない状況だった。
そこでせっかくパートナーと連休が取れたのに遠方に行かないのは勿体ないので、ロシア語が通じてロシアに近く雰囲気が似ているジョージアへ。とお互いの意見が重なった。
今回の旅のコーディネーターもロコタビからお願いした。車でのステパンツミンダへの道のりからゲストハウスなどの手配、レストラン、ハイキングも同行してもらった。
5047mのカズベギ山周辺は、富士山より高い山々が連なる。昔から変わらないこの景色をトルストイは’戦争と平和’へとつながる初期の作品「コザックーカフカーズ物語」の中に書いている。
華奢な輪郭をもった、清く、真っ白な、巨大な堆積と、その頂と、遠い空とのつくりだす、くっきりとした、夢のような、空気のような線をみとめた。そして、彼が自分と、山や空との距離と、山の巨大さとを完全に理解したとき、そして、その美の限りなさを感得したときには、彼はそれが幻ではないか、夢ではないかと驚き怪しんだくらいである。
と書いている。実際トルストイは兵役でここカフカーズ(コーカサス)に来て山々を見て、人々に触れ、モスクワで過ごした今までの日々と比べ自分を問いただしていった。
今回実際に行ってみて、時代は違い観光客など人は多かれど夢のような風景は展開した。
もう一人、ロシアに支配されていた側のジョージア、しかもステパンツミンダ(旧名カズベギ)出身の作家であり、ジャーナリスト、劇作家であった”アレキサンドレ・カズベギ”本名アレキサンドレ・チョピカシュヴィリは帝政ロシアや貴族階級、領主への不条理を作品に描いている。カズベギ本人の自伝的な「僕が羊飼いだった頃の話」は、ステパンツミンダのあるヘヴィ地方の領主だった祖父の後継者に成れるにも関わらず、ヘヴィの庶民の日常や悩み、政府や貴族との関係で庶民が直面してる諸問題を知るために羊飼いとして7年間過ごした後、トビリシで不公正や暴力に対する反発を作品に表していったが最後は政府の抑圧で精神を病み、精神病院で亡くなった作家の作品も読み、旅の復習もした。(アレクサンドレ・カズベギ作品選 三輪智恵子 訳 成文社 参考)
8/12日(月) JL7995便
成田22:30発~ドーハ 8/13日4:05着
カタール航空 QR255便
ドーハ8:50発~トビリシ13:00着
トビリシ観光ーツミンダ・サメバ大聖堂、クラ川(ムトゥクヴァリ川)クルーズ観光、ジョージアの母像、メヒテ教会等
ライトハウス オールドシティー 泊(Hotels.comで予約)
8/14日(水)
トビリシを出発し、軍用道路を通ってステパンツミンダ村へ。
途中アナヌリ教会、ロシア・ジョージア友好記念碑
昼食は羊の串焼きランチ
軽くハイキングの後、ゲルゲティ・サメバ教会へ。
ステパンツミンダ村 Giorgi's Guest House 泊
8/15日(木)
カズベギ国立公園内ハイキング
車にて↓
鉱泉湧き出し口
ヒンカリの里、パサナウリ村でランチ
ムツヘタの大聖堂と聖堂
Tekla palace By Urban Hotels 泊(Bookinng.comで予約)
8/16日(金)
ゴリ観光ーウプリスツィヘ遺跡、スターリンミュージアム、アテニ教会、アテニ修道院
昼食後ワイナリー見学、試飲
Tekla palace By Urban Hotels 泊
8/17日(土)
トビリシ観光ー国立博物館、カシュヴェティ教会
カタール航空 QR254便
トビリシ21:10発~ドーハ8/17日 23:45着
JL50便
ドーハ 8/18日7:15発~羽田23:55着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- JAL カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
翌朝目覚めると快晴の天気。朝日がカズベキ山にあたり雄大な景色となった。(望遠レンズで撮影)
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ステパンツミンダに泊まらないと見れなった景色が、目の前に広がる。
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ゲルゲティ・サメバ教会の建物のシルエットも浮かぶ
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こちらが民宿のベランダからの実際の景色
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民宿のまわりは、雲が流れる。
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何しろ民宿のある場所も標高2000mは越えているのだ。
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顔を洗い朝食を頂く
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朝食後部屋に戻るとすっかり日は昇っていて、村の家々がはっきり見えた。
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イチオシ
カズベキ山に昇るため、この民宿に宿泊していたスペイン人もいた。ジョージアは登山をするための費用が他国より安価に抑えられるそう。
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日光を受ける高原。
この景色、子供の頃に行った夏の志賀高原を思い出した。 -
早速ハイキングスタート。
真夏であってもトレーナー1枚くらいが丁度いい。 -
ビジターセンターに立ち寄り、トイレを借り目的地の場所を確認。
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ここから山に分け入る。
前日は若干高山病の気があってか、中々足が進まなかったが翌日は順調に登って行く。 -
イチオシ
ここが目的地、山の中の修道院。
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イチオシ
こんな小さな、名前も分からない修道院や十字架がこの国には多く立つ。
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ジョージア正教会のシンボル「ニノの十字架」。葡萄十字とも言われ、4世紀にジョージアにキリスト教を伝道した聖ニノが、ブドウの木に自分の髪の毛を結わって持ち歩いたとされる由来から来た。特徴は少し下方に垂れ下がっている。
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こんな山の中の修道院。赤い屋根の小さな家は修道者たちの住まいか?
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イチオシ
修道院を後にする
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道中にあった十字架
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さらに少し上を目指す。
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また馬が放牧されている
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牧歌的な風景
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ハイキングを終え、車で市内へ戻る。途中鉱泉の湧き出し口に寄る。
炭酸水が豊富なジョージアで有名な天然炭酸水「NABEGHLAVI」は日本でも買える。 -
昼食はパサナウリ村に寄る
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ヒンカリはパサナウリ村が発祥。他にマスも食べた。
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市内に入る途中、ジョージアの前身イベリア王国の旧首都であったムツヘタヘ。
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世界文化遺産となっているムツヘタにはこちら「スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂」がある。
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ジョージア最古の教会として(現在の建物は11世紀頃の再建)この地に立ち、スヴェティ・ツホヴェリとは’命ある柱’という意味。
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城壁のように囲われた内部は公園のようになっている。
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異教徒から守るための城壁に、ジョージアの国旗がたなびく。
この最古の教会は当時の国王ミリアン3世によって、聖ニノのために建てられたもの。聖ニノの奇跡により、アルメニアに続く世界で2番目のキリスト教国家が誕生する。 -
右側の山の上に立つ聖堂は、創建時に木製の十字架が立てられた後に建設された「ジュヴァリ聖堂」。
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聖堂入り口
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聖堂内
中世ジョージア黄金期の建築様式による大聖堂は、ギオルギ1世によるもの。 -
この柱が大聖堂の名前の由来となっている、上衣伝説の柱。
キリストが貼り付けになった時着ていた上衣の一部をムツヘタから来ていたエリアスと言う男が国に持ち帰り、妹のシドニアに渡したところ信仰心余って天に召され、上衣ごとこの地に埋葬された。
とここからだが、1と2の伝説があった。
1 彼女の墓に杉の木が育ち聖ニノが教会を建てるため杉の木を切り落そうとした時、その木は空中に浮きあがり、ニノの祈りによって地に降り立った。この木から病を癒す樹液が流れ出たことから’命ある柱’と言われた。
2 ミリアン3世がこの地に教会を建てようとしたところ、柱の1本が垂直に立たないため聖ニノが一晩中祈りを捧げているとその柱が空中に浮かび、降り立った場所がシドニアと上衣が葬られた場所であった。そしてその場所に教会を建てた。
いづれにしてもこの奇跡の柱がこの聖堂の中心となっている。 -
フレスコ画がいまに残る堂内
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保存状態が良いフレスコ画
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ドーム屋根
聖堂全体を真上から見ると十字架の形をしている。 -
イコン画を前に神聖な祈り
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敷地内にはワイン作りに欠かせない’クヴェヴリ’もあった
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参道は土産物屋が並ぶ
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続いて丘の上にある「ジュヴァリ聖堂」
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604年建造のジュヴァリ聖堂。1700年前から祈りの場として残っている。
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聖堂からは右から緑がかったアラグヴィ川と、奥から来てる黄色がかったムトゥクヴァリ川が合流する絶景が見られる。
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ジュヴァリとは十字架のこと。
この後々に建てられた教会の元になった、建物の上から見た時の十字架の形から来ている。 -
十字架と言ってもジョージアの国旗のモチーフにもなっている「ボルニシ・クロス」と呼ばれる、上下左右が対照的な十字架のこと。
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ミリアン3世が聖ニノのために造ったスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂とそこを見下ろす位置に立てた木製の十字架があった場所が、ここジュヴァリ聖堂。
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今も聖堂内には木製の十字架を立てた土台が残っていて、神聖な祈りの対象となっている。
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イチオシ
もちろん葡萄十字(聖ニノの十字架)も神聖なもの。
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異民族の進攻を防いだ城壁の跡も残る。
山に築かれていたためか、聖堂は破壊を免れ奇跡の聖地となった。 -
トビリシに戻り、Hotel's comで予約していたホテルに向かうと予約が入っていないと言われた。初めてのことだったのでかなり動揺。
急遽Booking comでホテルは取れた。 -
市街の繫華街の裏通りにあるので静かな場所。でも繁華街はすぐ近くと立地条件は良かった。
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夕食は繁華街のイタリアン(名前は失念)
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入り口は、コサック風な人々のイラストが描かれていた。
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イタリアンだけでなく、ロシア風な料理もあった。
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