2024/04/11 - 2024/04/11
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キャンサー50さん
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2024年4月上旬、桜の満期を期待して花見がてら隅田公園へ散策に出かけてきました。
隅田公園は隅田川を挟んで両岸に展開している公園で、どちらも桜が綺麗です。
今回は、隅田川西岸の隅田公園とその周辺の散策です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
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スタートは都営地下鉄浅草線浅草駅。
その4番出口前、隅田川に架かるのが吾妻橋です。
「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所に、安永3年(1774)に架けられました。
当初は大川橋と呼ばれ、武士以外は通行料が取られていました。吾妻橋 名所・史跡
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吾妻橋の橋詰には橋の由来碑がありました。
吾妻橋 名所・史跡
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浅草駅近く、隅田公園の一番南の入口。
桜まつりの期間中でした。隅田公園 公園・植物園
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吾妻橋西詰で見つけた、招き猫のオブジェ「そらちゃん」。
2012年、GTS観光プロジェクト(東京藝術大学(G)、台東区(T)、墨田区(S))による三者共催の地域連携プロジェクトによって設置されました。
若干雑な感じの姿が良いです。 -
隅田公園の一番南の入口近くにあった「大川橋」の高札。
墨田区が平成25年に設置した、池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」ゆかりの地に建つ高札の一つです。
吾妻橋は大川橋として、「鬼平犯科帳」の中でもたびたび登場します。 -
隅田公園の地下、吾妻橋から東武鉄橋まで続く隅田公園リバーサイドギャラリー。
無料で利用できる展示ギャラリーです。隅田川公園リバーサイドギャラリー 美術館・博物館
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公園の川堤は桜並木が綺麗で、外国人観光客をたくさん見かけました。
隅田公園 公園・植物園
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吾妻橋から隅田川を遡って最初にある橋がすみだリバーウォークです。
歩行者専用の橋で、開門時間は7時から22時。
浅草から徒歩で東京スカイツリーに行くなら、ここを渡るのが最短コースです。
すぐ横を東武線の電車が走る様子ので、鉄道ファンにも人気です。すみだリバーウォーク 名所・史跡
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リバーウォークの通行路はこんなかんじ。
すみだリバーウォーク 名所・史跡
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すみだリバーウォーク近くにあった「山の宿の渡し跡」の石碑と説明板。
隣に説明板もあり、それによると隅田川渡船の一つに「山の宿の渡し」と呼ぶ渡船があったそうです。
江戸中期以降の開設と思われます。山の宿の渡し跡 名所・史跡
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すみだリバーウォークからさらに上流に行くとある水上バスの乗場、浅草・二天門船着場。
ここが一番上流の船着場で、ここから一番下流はお台場海浜公園まで繋がっています。 -
船着場あたりから隅田公園を離れて西へ100mほど行った先に花川戸公園という公園があります。
ここにはいくつかの興味ある石碑があります。
こちらは「履物問屋発祥の地碑」。
この辺り、花戸川周辺は履物問屋街です。
戦前はほとんど下駄・草履 などが中心でしたが、現在は靴・サンダルなどが中心となり、履物関連の問屋がおよそ70軒集まっているといいます。
毎年12月には履物問屋発祥の地で『花川戸はきだおれ市』が開催されるそうです。履物問屋街発祥の地碑 名所・史跡
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こちらは「姥ケ池碑」。
ここに明治24年(1891)に埋め立てられるまで、姥ヶ池というかなり大きな池がありました。
人を殺して金品を奪うを常とする老婆とそれを諫めようとする娘の逸話があります。姥ケ池碑 名所・史跡
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公園には、かつての池の名残と思わせるような小さな人工池と祠があります。
姥ケ池碑 名所・史跡
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「姥ケ池碑」の隣にあるのが「花川戸助六歌碑」
花川戸助六は江戸前期の侠客とされ、歌舞伎十八番の一つ「助六」は、代々の団十郎が伝えていますが、虚構上の人物です。
歌碑は明治12年(1879)に九世市川団十郎が中心となり、花川戸公園内の仰願寺に建立されました。花川戸助六の歌碑 名所・史跡
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隅田公園に戻って、すみだリバーウォークの上流にある次の橋が言問橋です。
古い地名の付いた橋名から想像されると違って、関東大震災の復興で昭和3年に架けられたわりと新しい橋です。
両岸の隅田公園、近くに見える東京スカイツリー、眼下を行き来する遊覧船など、映える写真が撮れます。言問橋 名所・史跡
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言問橋からやや北に行った公園内にあった「水原秋桜子の句碑」。
水原秋桜子(1892~1981)は日本の俳人・医師、俳句雑誌「馬酔木」を主宰しました。
「羽子板や 子はまぼろしの すみだ川」隅田公園 公園・植物園
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「水原秋桜子の句碑」のさらに北にある「アリの街跡」の説明板。
昭和25年から35年の間、隅田公園築山周辺には、「アリの街」と呼ばれ、戦災で家や家族を失った人々が廃品回収を生業に働き共同生活する場が存在していました。
人々はアリのように勤勉に働き、助け合って生活したことから、アリの街と呼ばれました。
昭和35年(1960)、アリの街は東京都の要請により江東区に移転されました。隅田公園 公園・植物園
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「アリの街跡」の説明板から60mほど北にある「正岡子規の句碑」。
正岡子規(1867~1902)は日本の俳人、歌人、台東区で約2000句も詠んだそうです。
「雪の日の 隅田は青く 都鳥」
公園北側に大正時代まであった渡船場「竹屋の渡し」からほど近い「待乳山聖天」からの眺めを詠んだと言われている句です。隅田公園 公園・植物園
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「正岡子規の句碑」の隣が「花の歌碑」。
「春のうららの 隅田川」から始まる、武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲の「花」の詞が刻まれています。
刻まれているのは、武島羽衣自筆の文字です。
訪問時は、まさのこの歌が似合う季節でした。隅田公園 公園・植物園
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石碑の多くあるエリアの近くには「桜の広場」があります。
四方を桜に囲まれます。隅田公園 公園・植物園
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「花の歌碑」から野球場を挟んで北側にある「竹屋の渡し跡」の碑と説明板。
「竹屋の渡し」は、隅田川にあった渡し船の一つで山谷堀から 向島三囲神社 の前 あたりとを結んでいました。
江戸時代初期には造られていたらしく、「待乳の渡し」ともいいました。隅田公園 公園・植物園
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「竹屋の渡し跡」の碑の近くにあった「平成中村座発祥の地」碑。
歌舞伎役者の18世中村勘三郎と演出家の串田和美らが中心となって、浅草・隅田公園内に江戸時代の芝居小屋を模した仮設劇場を設営して「平成中村座」と名付け、平成12年(2000)11月に歌舞伎『隅田川続俤 法界坊』を上演したのが始まりです。平成中村座跡地 名所・史跡
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「平成中村座発祥の地」碑の隣にある「今戸橋跡」の説明板。
今戸橋は山谷堀の最も下流、隅田川と山谷堀が合流するところに架かっていた橋です。 -
山谷堀が埋め立てられた現在は親柱だけが残されています。
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この辺りの隅田公園の隣にある待乳山聖天本龍院。
浅草寺の子院で、創立は推古3年(595)です。
待乳山は広い江戸の平野にある小高い丘であることから、古くから名所として文人墨客に愛され、多くの絵画や歌の題材となりました。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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待乳山聖天本龍院の参道横にある「池波正太郎生誕地碑」。
作家・池波正太郎(1923~1990)は、大正12年、旧東京市浅草区聖天町61番地に生まれました。
この年の9月に関東大震災が起こり、生家は焼失してしまいましたが、その後も少年期・青年期を台東区で暮らしました。池波正太郎生誕地碑 名所・史跡
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本龍院本堂。
本尊は十一面観音菩薩を本地仏とする大聖歓喜天です。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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本堂横にある宝篋印塔。
天明元年(1781)建立の塔で、区の文化財に指定されています。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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本龍院本堂は小さい丘の上にあるのですが、何とスロープカーで登れます。
料金は無料、乗車時間はわずか1分ほどです。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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境内にある築地塀。
歌川広重の絵にも描かれています。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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本龍院境内には各所に大根と巾着の印が見られます。
大根は身体健全、夫婦和合を表しています。
大根は何とお供え物として売られていました。
1月7日には大般若講・大根まつりが行われます。
法要ののち、正月中にご本尊聖天さまにお供えされた大根を調理した風呂吹き大根が御神酒とともに参拝者に授与され、大いに賑わいます。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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こちら提灯に描かれた巾着の絵。
巾着は財福の功徳を表わしたものとされます。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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本龍院の約200m北にある今戸神社。
康平6年(1063)源頼義、義家父子が奥州征伐の折、京都の岩清水八幡宮を鎌倉鶴ヶ岡八幡宮と共に当地に八幡宮を勧請し創建しました。
江戸時代に至っても今戸八幡宮と称して武家の尊崇が篤かったといいます。今戸神社 寺・神社・教会
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今戸神社社殿。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)という夫婦の神様が祀られています。
日本で最初に夫婦となり、結婚の神とされていることから、縁結び、恋愛成就、夫婦円満などにご利益があるそうです。
浅草七福神のひとつ福禄寿が祀られている他、下町八社巡りの一社です。今戸神社 寺・神社・教会
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今戸神社の境内では、いたるところに招き猫の置物が見られます。
もともとこの場所一帯は今戸焼とよばれる陶磁器の発祥地で、招き猫も生産していました。
そのため今戸神社は『招き猫の発祥地』とも言われます。今戸神社 寺・神社・教会
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今戸神社境内にあった「沖田総司終焉の地」碑。
新選組隊士の永倉新八の「同志連名記」によると、江戸に引き上げた時、沖田総司の肺の病はかなり進んでおり、薩長軍の江戸入りに際して、総司を含む患者たちは今戸神社に収容されたとあります。沖田総司終焉の地 名所・史跡
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「沖田総司終焉の地」碑の隣には「今戸焼発祥之地」碑。
今戸焼は、この地で焼かれてきた日用品の土器類・土人 形類のことで、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していました。
訪問日前日が雨天で、花散らしの雨で桜が散っているのではと思っていましたが、ほとんど影響が無かったかんじで、ほぼ満開でした。
隅田川西岸の隅田公園からは、そこからも東京スカイツリーが間近に見え、桜とのコラボが素晴らしかったです。
また、石碑や寺社も多く、浅草寺以外も浅草は見どころのある街でした。今戸神社 寺・神社・教会
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