2026/03/11 - 2026/03/11
41位(同エリア205件中)
杏仁豆腐さん
以前から興味のあった浦安の街を散策しました。
新浦安駅から浦安駅まで、あちこち巡りながら歩きました。
浦安市郷土博物館の屋外展示場「浦安のまち」は見応えのある屋外展示です。
タイムスリップしたかのように、懐かしい家屋を間近で見ることが出来、中に入ることもできます。
豊受神社、旧大塚家住宅、旧宇田川家住宅、清瀧神社と浦安の名所を巡りました。
越後屋焼蛤店で、蛤の串焼きと焼きあさりの串焼きをお土産として購入しました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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JR武蔵野線で新浦安駅へ。
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駅から歩いてすぐの入船公園。
「入船」は、この地区がかつて漁場から帰る漁船の水路の入口にあたるところから名付けられました。 -
今川橋です。
境川を跨いで赤い橋が目立ちます。 -
若潮公園です。
公園内には、漁業記念碑があります。
埋立による町の変化に伴い、漁業が町に残した業績を伝えるため、昭和51年に設置されました。 -
漁業記念碑には次の銘文が記されています。
「この浦は四季折々魚介の産豊かにして自然の恵み絶ゆることなく伝えられて八百有余年、その漁業盛んなる時、漁家千八百戸を数え境川、船圦川に漁船溢れ、漁民斉しく潤い、町大いに賑い、漁業の町浦安の名は青ベカの物語と共に広く天下津々浦々に及びしものなり。時遷り、この浦も邦家発展子孫繁栄の為、国土の一端と変貌す。無為に非ざれど憶いは残り胸熱し。ここに碑を建て、この浦を恵みし自然を謝し、幾多先人先輩漁民が営々の私財を顧みず漁業の為に生命を捧げ、研鑽努力惜しまざりし偉業を顕彰し、永き水産の歴史と伝統に培われし在りし日の漁業の記念として、後世に伝うるものなり。
昭和五十一年十二月吉日
浦安町長 熊川好生」 -
漁業記念碑のすぐ横には、広い芝生の広場があります。
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浦安市役所の前には、忠霊塔公園があります。
忠霊塔には戦争の戦没者と戦災殉難者が祀られています。 -
隣には、明治三十七・八年戦役記念碑(日露戦役記念碑)があります。
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明治三十七・三十八年(一九〇四・〇五)の戦争とは、日本とロシアがあ争った「日露戦争」のことです。
浦安では、この戦争の勝利を記念するとともに、出征軍人の武勲を後世に伝えるため、記念碑を建立しようという動きが起こりました。さっそく田中徳次郎村長は村会を開催し協議したところ、浦安村尋常高等小学校東南隅に記念碑を建立することになりました。
石碑表面の題字は、日露陸軍第三軍司令官乃木希典大将に依頼することになりました。そこで、村会議員内藤栄太郎、大木格蔵、内田富次郎は執筆を依頼するため、東京市赤坂の乃木邸を訪れました。将軍は快く承諾し、執筆の日を約束しました。後日、三名は乃木邸を訪れ、白紙の中央に「明治三十七・八年戦役記念碑」、左下に「希典書」と書いてもらい、浦安に戻りました。後日お礼に浦安名産のハマグリを持っていったところ、「国家のために尽力した人達に報いるため執筆したのだから、受け取るわけにはいかない。このまま持ち帰りなさい。」と一喝されたといわれています。
石碑は大きな仙台石を切り出したもので、裏面の文字は南行徳村の小川潤敬によって、上部に「義勇奉公」、その下に戦病死者と出征軍人の氏名、「明治三十九年四月浦安村有志者建之」と彫られ、同年(一九〇六)に完成しました。
その後、石碑は昭和四十二年(一九六七)、浦安小学校解体に伴い中央公民館敷地内に、その後昭和六十年(一九八五)には中央公民館前(猫実四丁目415-14)に、更に平成三十年(2018)、忠霊塔に隣接するように現在地に移築されました。
平成三十年二月 浦安市教育委員会【側面】 -
常灯明跡(じょうとうみょうあと)
漁師は夜間海で働くときは、星をたよりに方向を定めますが、闇夜や天候の悪いときは目印がないので、遭難する人もいました。
明治十三年(一八八〇)十月三日、六人船で操業中の十六人の漁師が、暴風雨に遭い死亡するという事故が起きました。東学寺第十五代住職の法印律師高橋義応は、遭難者の死を悼み、その霊を弔うとともに海難事故を防ぐため、自費で堀江の江川付近に柱をたて、頂上に木箱に入れた石油ランプを掲げ、漁場で働く人の目印としました。それが、「常灯明」です。それ以来、住職は夕方になるとランプにあかりをつけ、明け方に消すことを日課とするようになりました。その後、常灯明は、周囲に人家が建てられ、海上から見えにくくなったので、明治二十五、六年頃漁業組合では、ここに高さ十七尺(約五・一メートル)の鉄骨造りの常灯明を建設しました。
この常灯明は、漁村にふさわしい情緒あふれる形をしていて、漁場で働く人々のよき道標として長い間親しまれてきましたが、昭和三十年代に入ると、漁業不振になりその必要性が薄れ、腐朽も進んだので、取り壊されました。
平成二十二年三月 -
浦安市郷土博物館の入口に向かう途中、屋外展示場が見えます。
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浦安公園です。
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慈愛
富永直樹 -
浦安市郷土博物館に入ります。
無料です。 -
人情あふれる「浦安のまち」
明治から昭和の中頃まで、漁師町として栄えた浦安の歴史を保存をするために、2001年(平成13年)4月1日に開館されました。 -
屋外展示場「浦安のまち」です。
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かつては漁師町だった浦安ですが、水質汚染や埋め立て工事などで漁業は次第に衰え、1971(昭和46)年に漁業権全面放棄しました。
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浦安市郷土博物館は、漁師町だった頃の浦安の生活文化を知り、体験できる博物館です。
たばこ屋 旧本澤家住宅
大正15年(1926)の建築 -
大正末期~昭和初期頃の標準的な商家です。
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ピース40円、ゴールデンバット30円
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復元した家屋の中に入り、当時の生活ぶりを実感できます。
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映画のポスター
「カルメン故郷に帰る」
かつては浦安市の中心部であった堀江地区(現・堀江2丁目・3丁目境川沿い)に映画館がありました。 -
たばこ屋の2階
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船宿「江戸川」
江戸川沿いの船宿をモデルに再現した建物でう。 -
懐かしい箪笥と恐ろしく急な階段。
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丸いちゃぶ台に鏡台
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川には船が浮かびます。
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井戸があります。
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海苔の製造場。
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海苔すきポイントが掲示されています。
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昔のゴミ箱
木製です。 -
ゴミ箱の中を開けてみると、木の塵取りが入っていました。
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海苔干し場が再現されています。
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小屋があります。
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便所でした。
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天ぷら屋「天鉄」
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堀江フラワー通りにあった天ぷら屋「天鉄」を再現しています。
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山本周五郎が浦安をモデルに書いた小説「青べか物語」の中では、主人公がよく行く店として登場します。
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テーブルの上には、「青べかよもやまばなし」
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「青べか物語」は、山本周五郎が若いときに一時的に暮らした浦安での生活での実話をもとに小説化したものです。
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1928年から1年余、浦安に仮寓した山本は、青いべか舟(貝や海苔を採る一人乗りの平底舟)で読書や素描を楽しみ、病苦、失恋、失職、貧困、孤独を慰めました。
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休憩できるスペースとなっています。
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銭湯
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三軒長屋
江戸時代末期ごろの建築 -
堀江3丁目から移築しました。
懐かしい洗濯板とたらいがあります。 -
六畳一間の大きさです。
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魚屋「旧太田家住宅」
明治38年(1905)ごろの建築 -
1階正面の土間では、行商人相手に「久清」という魚屋を営んでいました。
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家の中に井戸があります。
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当時の生活の様子も想像できます。
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用を足した後の手洗いと手ぬぐい
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寿司屋
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豆腐屋「下総屋」
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豆腐屋の中では、昔遊びの道具を使って遊べます。
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当時の雰囲気をよく出しています。
タイムスリップしたような感覚になります。 -
船の展示室に入りました。
べか舟が展示されています。 -
船のエンジンの展示
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投網船
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水槽には、東京湾の魚が泳いでいます。
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漁師町浦安の展示
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郷土博物館マスコットキャラクターのあっさり君
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浦安市郷土博物館1階にある、「カフェレストランすてんぱれ」で、ランチです。
障がい者就労継続支援B型事業所となっています。 -
あさり丼をいただきました。
あさりめしは、すでに売り切れでした。 -
かつて浦安名物だったアサリが卵でとじられています。
食後にアイスコーヒーをいただきました。 -
境川沿いを歩きます。
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豊受神社に来ました。
1157年(保元2年)に創建されました。浦安市では最古の神社です。 -
手水舎
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樹齢400年近くの大銀杏です。
浦安市指定天然記念物となっています。
数々の災害を乗り越え、400年もの歴史を生きてきた大木です。 -
塗の神輿
全体を黒い漆塗りで仕上げています。 -
白木の神輿
木材の白い色を生かしています。 -
社殿は昭和49年につくられたもので、永仁元年8月25日(1293年)の大津波の後と嘉永3年(1850年)に度重なる風水害のためにそれぞれ再建がなされています。
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大正時代に築かれた富士塚があります。
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1923年に築かれてから大切に保存されてきた富士塚です。
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天狗がいます。
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豊受三峰神社
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御瀧山不動明王(清心大菩薩)です。
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花蔵院(けぞういん)です。
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公訴貝猟願成の塔(説明板)があります。
堀江・猫実村の漁師と船橋村の漁師とで三番瀬の漁場の権利をめぐって訴訟になり、猫実村では花蔵院の宥賢和尚を中心に対応しましたが、この過程で、猫実村の長三郎、長兵衛、善三郎の3人が落命しました。
その後、勝訴した猫実村の人達の子孫が、3人の冥福を祈るなどのために石塔を建てたそうです。 -
宝篋印塔
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大師像群と六地蔵
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おっぱらみ
ここ境橋附近は、境川のなかで最も川幅が狭いところで、かつては「おっぱらみ」と呼ばれていました。
「おっぱらみ」という地名が生まれたのは江戸時代で、隣の行徳地域が徳川幕府に保護された塩 の生産地だったころのことです。
塩づくりは、五月から九月にかけて行われます。しかし、入梅時期で雨量が多くなると、江戸川が増水し、淡水が境川を経て海に流れ込むため、行徳地先の海水は塩分が薄くなり、よい塩ができなくなりました。そこで、行徳で塩をつくる人たちは、毎年梅雨どきには、川幅が最も狭いこのあたりを土砂や板を使ってふさいでしまうことを恒例としていました。
しかし、堀江・猫実の漁師たちは、海への玄関口である境川が通れなくなってしまうので、漁にでることができず大変困っていました。ある年、漁師たちは相談して、このあたりの土砂や板を強引に取り去ってしまいました。これを知った行徳の人たちが大勢おしかけて、再びふさいでしまおうとしたのですが、浦安の漁師たちは、団結してこれを追い払いました。それ以来、行徳の人たちもあきらめたのか、ここがふさがれることはなくなったといわれています。
この「追い払い」が「おっぱらみ」とかわり、このあたりをあらわす地名になったということです。
平成十六年一月 -
境橋を渡ります。
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旧濱野医院です。
浦安で最初の洋風建築物で、昭和4年に建てられました。医院部分は洋風、住宅部分は和風になっています。 -
月曜日~金曜日は子育て事業を行っているそうです。
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旧大塚家住宅に来ました。
建築構造と様式の特徴などから江戸時代末期の建築と推定されています。 -
この家には、屋根裏2階があって、土間と玄関の天井から上がれるようになっています。たび重なる水害に悩まされてきた先人たちが生活の知恵として考えたもので、ここに避難したり、家財道具をしまったりしていました。
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居間には、人形が置いてあります。
爺さんと孫娘が網の繕いをしています。 -
玄関です。
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四畳半の部屋。
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廊下
便所が見えます。 -
座敷
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仏壇と神棚
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ボランティアの方が、詳しく説明してくれました。
昭和62年、市の有形文化財に、平成14年には、県の有形文化財に指定されています。 -
旧宇田川家住宅に来ました。
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明治2年に建てられたもので、建築年代がはっきりとわかるものとしては市内最古の民家です。
格子戸の入口が低くなっています。頭をぶつけない様に注意して入ります。 -
通りに面した側は呉服屋・米屋・油屋・雑貨屋などの店舗として、奥と2階を住宅として使っていました。
当時の姿の人形が置いてあります。女性は日本髪ですが、男の人はざんぎり頭です。 -
2階です。
幕末から明治に至る江戸近郊の町家の形をよく伝えており、商家遺構の少ない関東では特に貴重な建物であることから、昭和57年に市の有形文化財として指定、昭和59年から公開しています。 -
格子の窓がお洒落です。
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2階には板の間と座敷があります。
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床の間と飾り棚
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2階の床に穴が開いていて、1階の様子をうかがうことができます。
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急階段を降ります。
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奥座敷には、地元の漁師さんからの贈り物の屏風があります。
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奥座敷の釘隠し。鳥のような模様です。
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奥の間は、6帖です。
床の間の脇にある袋戸棚は金箔が貼られています。 -
手間の中の間は8帖です。
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中の間には4つの魔除けの釘隠しがあります。
釘隠しと言っても、この家は構造に釘を使用していないそうです。 -
庭は枯山水となっています。
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屋根裏二階が見えます。
水害対策で、屋根裏二階には、ぬれては困るものを収納したり、水が引くまでの間、人が避難する部屋になっていたそうです。 -
ゆっくりしたい和室です。
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土間です。
米つき場となっています。 -
見応えのある家屋でした。
こちらでも、ボランティアの方が丁寧に説明してくれました。 -
清瀧神社に来ました。
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建久7年(1196)に創建されていますが、後年社殿が破損したので、安政2年(1855)に村民が建築費を貯め再建されました。
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手水舎
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龍神社
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富士塚
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本殿には、豪華な彫刻が施されています。
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ケヤキの一本造りと伝えられ、外壁には龍、浦島太郎、竜宮城、千鳥などの見事な彫刻が施されています。当時の宮大工・肥前松五郎によるものとされています。
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清瀧神社本殿
昭和五十七年十月二十日市指定有形文化財
この本殿は、安政二年(一八五五)九月に建て替えられましたが、建築にかかった費用は、村人達が長年にわたり、毎日少しずつ積み立てて用意したそうです。祭神は海の神様の大綿津見神(おおわたつみのかみ)です。絵図師高間惣治郎が図を描き、ケヤキの大木を上総国(現千葉県中央部)から買い求め、棟梁肥前松五郎が一本の木で建築したといわれてます。
建築様式は、木造三間社(正面の柱間が三つあるもの)、流(ながれ)造り(屋根の前面を長くしたつくり)で、精巧華麗な彫刻が施されている点が大きな特色です。なかでも正面の龍の彫刻および浦島太郎や竜宮城などの浮き彫りは見事で、高欄の下には海の神社にふさわしく、波間に千鳥の彫刻があります。 -
浦安町役場跡
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境川を渡ります。
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越後屋焼蛤店です。
昭和25年創業です。 -
一粒ずつ串に刺し、炭火でじっくり焼き、伝統のタレをつけて仕上げます。
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蛤の串焼きと焼きあさりの串焼きを購入。
蛤とあさりそれぞれの食感、噛めば噛むほどうま味があふれます。 -
浦安駅から東西線に乗り、日本橋駅で降りました。
日本橋高島屋に寄りました。
維新號の肉まんとゴマまんを買いました。
肉まんは、キメ細かな舌ざわりの上質な豚肉とオホーツクの貝柱などの贅沢な素材をたっぷりと使っています。
ゴマまんは、甘くて個性的な、素材のハーモニーです。黒ゴマ、レーズン、くるみ、オレンジピールを包んでいます。 -
京都の銘菓、大極殿の花背と満月の阿闍梨餅を購入。
花背は、たっぷりのつぶあんを包んだ生地の上から網状の生地をかけ、花かごの形を表現したお菓子です。「花背」とは京都の洛北にある地名です。
阿闍梨餅は、大正11年、満月二代目が考案し、比叡山で修行する高僧・阿闍梨様の網代笠を象った半生菓子です。丹波大納言小豆の粒餡を、秘伝の餅生地で包んで焼き上げています。しっとりとした餅生地と自家製餡が絶妙に調和し、独特の食感です。 -
青柳総本家の青柳ういろう(上がり)を購入。
しろういろうに上がり餡(こしあん)が溶け合い、上品な味に仕上がっています。
高島屋の地下にいる時に、東日本大震災が起きた3月11日14時46分となりました。アナウンスがあり、黙祷をしました。
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