2026/03/04 - 2026/03/08
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Massanさん
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私がかつて乗ってみたかった二本の急行列車「平戸」「ちくご」の足跡を辿る旅。今回は長崎から佐賀までと、佐賀から佐賀線の跡を辿って柳川、瀬高まで「ちくご」の足跡を辿りましたのでご紹介いたします。
なお、佐賀線はJR九州に引き継がれることなく、国鉄分割民営化直前の1987年に全線が廃止されています。
なお、1978年10月時点に急行「平戸」の停車駅と着発時刻は以下のとおりでした。急行「ちくご」は1980年10月に廃止されており、現実には、気がついたら廃止されていたという状況だったと思います。
※駅名の左は着時刻、右は発時刻
長崎947-1012諫早1017-肥前鹿島1121-1141肥前山口1149-1201佐賀1202-筑後大川1216-筑後柳河1223-1233瀬高1234-1248大牟田1249-玉名1307-1331熊本
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
- 利用旅行会社
- じゃらん
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新装なった長崎駅は、路面電車が走る通りからはだいぶ奥まった位置にあります。
このあたりが地平ホームだった時代の先端部分だったように思いますが、なにせこれまで数えるほどしか長崎駅を利用していないので、改札口の位置が旧駅舎時代から変わっていなかったのか、それともアミュプラザが出来てから建物内に移設されてすぐに吹き抜けアトリウムだったのか、まるで思い出せません。長崎駅 (長崎県) 駅
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長崎から新線経由の諫早ゆきに乗ります。
長崎本線の長崎-諫早間(正確には浦上-喜々津間)は1972年に在来線(旧線)を長大トンネルで短絡する新線が開通し、途中駅を通過する優等列車や貨物列車は新線経由で運転されていました。
新線にはいくつか途中駅も新設されましたので、開通当初から各駅に停車する普通列車も運転され、新線経由の普通列車は途中駅のひとつである「市布経由」と呼ばれます。ちなみに旧線経由は「長与経由」と呼ばれているようです。 -
諫早で肥前浜ゆきの列車に乗り継ぎます。
諫早駅 駅
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長崎本線は1976年に「長与経由」の旧線を除いて電化されましたが、2022年の西九州新幹線開通により優等列車が走らなくなった長崎-肥前鹿島間は電化である必要がないということで、電化設備を撤去することになりました。ただ、肥前鹿島には折返し設備が無いために、電化設備は肥前鹿島のひと駅長崎方にある肥前浜からとされました。博多へ向かう電車特急「かささぎ」は肥前鹿島始発ですが、普通列車は肥前浜で気動車(実際にはディーゼルエンジンで走る気動車ではなく車内の発電機で発電した電気で走るハイブリッド車ですが、ここでは非電化区間を走るということで便宜上気動車としました。)から電車に乗り継ぎます。
肥前浜駅 駅
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佐賀駅で下車したのは生まれて初めてでした。
Wikipediaによれば、正面に写る「面浮立」の銅像は1980年に寄贈されたものだそうです。佐賀駅の高架化は1976年と意外に早く、新駅を旧駅より100メートル北に造りました。このため現在の駅の南側はかつて操車場や貨物ヤードを含む広い鉄道用地と、その駅裏の農地や住宅地だったようです。佐賀駅 駅
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バスセンターは駅から高架下の商店街を東に歩いた所にあります。
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旧・佐賀線に沿う国道を走る西鉄バスの西鉄柳川ゆき42番のバスに乗ります。
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西鉄バスは「小杭」というバス停で下車しました。
写真の高架橋は、かつて佐賀線の列車が走っていた廃線跡です。 -
このあたりの前後は、高架橋の上も含め、サイクリングロードとして整備されています。
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近くにあった案内板にも、このサイクリングロードが旧・佐賀線の廃線跡であったことを記していました。
ここからは有名な昇開橋までは約1キロとのことなので、歩くことにしました。 -
このあたりも廃線跡です。
線路が大きく右にカーブしていた風景が目に浮かぶようです。 -
そして旧・佐賀線跡のハイライトとでも言うべき昇開橋までやって来ました。
筑後川昇開橋 名所・史跡
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ここにも案内板が掲示されていました。
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橋のたもとには駅名表示板のモニュメントへ踏切の警報機なども設置されていました。旧・諸富駅の位置は、ちょうど廃線跡が右カーブを描いている写真を撮影したあたりですから、位置は関係ありません。また、踏切の警報機も向いている方向が違いますので、おそらくモニュメント的に設置されたものかと思います。
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列車の前方を見るようなアングルで撮影しました。
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ところで、この昇開橋は現在でも昇開することができます。
タイミングが良かったのか、それともいつもなのかはわかりませんが、管理員らしき方が見学者が集まった頃合いを見計らって、実際に可動部分を上げ下げしていただきました。いろいろ説明をしていただき、大変参考になりました。 -
ひとしきり説明をお聞きしてから、対岸に渡ります。
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対岸に渡るとすぐに筑後若津駅の跡地を示した案内板があります。
橋の手前は佐賀県佐賀市、対岸は福岡県大川市です。筑後若津駅 名所・史跡
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当時のホームから川に向かって撮影された方のホームページを見る限り、実際の駅はちょうどこの写真の階段を下りたあたりの位置にあったようです。もちろん筑後川の築堤と同じ高さに線路がありましたので、駅の先はしばらく盛り土高架だったかと思います。そんな風景を物語るにふさわしい廃線跡の風景がしばらく続いていましたが、私たちは再びバスで柳川市内の旧・筑後柳河駅跡へ向かいました。
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国道に戻り、大川橋のバス停から再び西鉄バスに乗りました。
佐賀駅と西鉄柳川を結ぶ西鉄バス42番は毎時一本ですが、ここ大川橋から西鉄柳川までは利用者が多いのか、1番という別系統で大川橋と西鉄柳川とを結ぶ路線がありました。大川橋と西鉄柳川との間は1番と42番が交互に走り、日中毎時二本運転されています。 -
大川橋バス停から乗ったバスを柳河保可町というバス停で下車し、筑後柳河駅の跡地も訪れました。
筑後柳河駅 名所・史跡
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筑後柳河駅跡から再びバスで終点の西鉄柳川駅まで向かいます。
佐賀駅からのバスは距離を長く走って来るせいか、ここまでのバスは10分以上遅れていました。西鉄柳川駅 駅
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筑後柳河駅跡地からのバスが着いたのは西口ですが、瀬高ゆきの堀川バスは連絡通路を渡った反対側の東口からに発着します。ここから瀬高まではずっと廃線跡の南を走るのみで、廃線跡と交わる箇所はありませんが、無理やり旧・佐賀線を走っている気分で乗っていました。
急行「ちくご」の足跡を辿る旅ももう一息です。 -
そして瀬高駅に着きました。
瀬高駅 駅
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旧・佐賀線は鹿児島本線に博多方ではなく熊本方に取り付く線形でした。
折返し列車は博多方の切り欠きホームに発着していましたが、現在その切り欠きホームは廃止され、駐輪場のスペースとして利用されているようです。 -
瀬高からは14時26分発の鳥栖ゆき普通列車に乗りました。同行者は次の筑後船小屋で新幹線に乗り換えてひと足早く帰京されましたが、私は羽犬塚で区間快速に乗り換え、途中広島県内で一泊し、翌日東京に帰りました。
今回の旅のご紹介は以上です。最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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