2026/01/27 - 2026/02/05
26位(同エリア25件中)
youさん
ガイアナ・スリナム・仏領ギアナとギアナ3国を、TD旅行社の10日間ツアーで巡って来ました。
日程は下記。
1月27日 羽田→パリ経由
1月28日 夕方 フランス領ギアナのカイエンヌ着→クールー(泊)
1月29日 クールー滞在 サリュー諸島観光→クールー(泊)
■1月30日 欧州宇宙センター観光→ボートにて国境超えてスリナムへ
夕方スリナムの首都パラマリボ(泊)
■1月31日 パラマリボ観光→パラマリボ(泊)
2月1日 早朝出発→フェリーにて国境超えてガイアナへ
夕方ガイアナの首都ジョージタウン(泊)
2月2日 小型機で中部熱帯ジャングル地帯へ カイエチュール滝見学
デメララ川クルーズ→ジョージタウン(泊)
2月3日 午前中 ジョージタウン市内観光
夕方空港へ ジョージタウン→アムステルダム乗継
2月4日 アムステルダム市内観光 午後アムステルダム発
2月5日 正午 成田着
この旅行記は、スリナムの首都パラマリボを掲載しています。
表紙の写真は、世界遺産のパラマリボ歴史地区風景
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
-
1月30日 午前中ギアナ宇宙センターを観光し、ランチの後、国境の川をボートで横切ってスリナムに入国しました。入国審査で入国料支払い済の2次元バーコードを示したものの、他にビザが必要だ・・・と少し足止めされましたが、6ヵ月以内の滞在ならば不要と確認され無事入国。。迎えのツアーバスでスリナムの首都パラマリボに向かいます。
交差点に緑・赤・黄色の横縞に中央☆マークのスリナムの旗が靡いています。 -
公園奥にモニュメントが見られます。。
あれは、現地ガイドによれば、1986年にマルーン(逃亡奴隷の子孫)コミュニティの住民らが大勢虐殺された事件があり、その時の犠牲者を追悼するものだと。。。現地ガイドは、自分もマルーンで、スリナムには、奴隷貿易時代に25万人~35万人もの人がアフリカから連れて来られ、プランテーション経済を支えるために過酷な強制労働に従事させられました。それが故にプランテーションからは多くの奴隷が逃亡し、その逃亡奴隷や子孫らでマルーンのコミュニティが形成されました。
現在スリナムに住むマルーンを含むアフリカ系は、全人口約60万人のうち2割以上いるとのことでした。 -
17時 熱帯雨林のジャングルを貫く道路を移動しています。
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道路脇に設けられた検問所で停車。
違法な薬物などをチェックしているようですが、実質的には何も調べることも無く、トイレ休憩となります。 -
検問所の先は、Google Mapで確認するとコメウィネ川(Commewijne River)に架かる橋の様で、首都のパラマリボまで後50Kmほどあります。
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19時 スリナム川に架かる大橋を渡ってパラマリボに入って来ました。
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19時30分 パラマリボの宿 TORARICA HOTEL & CASINO に到着。ヤシの木が茂る導入路の奥にホテルが建っています。
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部屋はこんな感じで、ヨーロッパのホテルと遜色ない設備が整っていて普通です。ここに2泊します。
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ホテル前の通りです。繁華街となっており、日本食を扱っているOGI レストランもあります。
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1月31日 パラマリボの朝、ホテル出発は9時なので、朝食を6時過ぎに済ませて、2時間以上の予定で一人街歩きに出ます。ツアーでも同じような所を街歩きすると思われますが、自分のペースでブラブラ歩きするのがいいんです。。
ホテル前の道を左手に進むと、道路脇に建っていた像。
台座の銘板から、1873年6月5日、スリナムに到着した最初のインド人労働者の父と母を表しています。当時インドからの労働者は、奴隷制度廃止後の労働力を補うために、契約労働者としてスリナムに沢山送り込まれておりました。現在スリナムに住むインド系人口は、全人口約60万人の内の約3割を占めているとのこと。
昨年訪れたインド洋に浮かぶモーリシャス諸島にも、同じ時代にインドから沢山の契約労働者が送りこまれていました。 -
更に進むと軍人らしき像が建っています。
スリナムは、300年ほど続いたオランダの植民地支配から1975年に独立を果たしました。それまでの間、この地の平和、安全を維持するために駐留していたオランダ軍部隊(TRIS)を称えるために建立されたもののようです。
現在スリナムは、オランダ植民地時代が長かったこともあってかオランダ語が公用語となっています。一方独立に前後して、スリナムからは約10万人もの人々が、オランダ本国に移住しています。 -
屋根が潰れたレンガ造りの家があります。
元々は近くに建つゼーランディア要塞の関連建物で、独立後は憲兵の詰所や軍事刑務所としても利用されていました。 -
こちらのレンガ造りの建物も、近くに建つゼーランディア要塞の食料倉庫でした。
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ゼーランディア要塞の食料倉庫を背景に、こんなサインがありました。
SUはスリナムを略しているのでしょう。。。 -
更に進むとゼーランディア要塞があります。
この要塞は、1651年にイギリスの入植者によって建設されたのが始まりで、その後、1667年にオランダの支配下に入ってゼーランディア要塞と名付けられました。
元々は、16世紀から17世紀にイギリスとオランダがこの地で領有権を争っておりましたが、1667年にオランダが持っていたニューアムステルダム(現ニューヨークのマンハッタン)をイギリスに、この地をオランダの植民地とする交換が成立した経緯があります。 -
スリナム川に突き出た桟橋からパラマリボの中心地・独立広場を眺めています。
ここは欧州の洗練された川沿いの風景みたい。。。中南米のほとんど知られていない国・スリラムに、こんな美しい街が存在するとは想像できませんデシタ。 -
イチオシ
こちらも。
オレンジ色屋根の白い木造建築が並ぶ素敵な街並みで、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
中央の白い塔は、オランダから独立後の内戦(1986年-1992年)で犠牲になった軍人や市民を追悼する記念碑。 -
イチオシ
オランダ植民地時代の面影を残す白亜の建物群が並ぶメイン・ストリート。
ヨーロッパから遠く離れたこの地で、この様な美しい街並みが見られることにちょっと感動してしまいます。 -
こちらも。
いずれも修復済みの建物群ですが。 -
メインストリートから脇道に入った街並み。
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こちらも。
中南米各国のコロニアル風の街並みとは雰囲気が違っています。 -
こちらも。
大屋根や歩道を覆うように出た白亜のバルコニー等、ヨーロッパ風の建築様式と現地の建築様式とを融合させた独自スタイルの建物です。 -
こちらは白亜のバルコニーではないし支柱などが補強されていますので、修復前の建物の様です。
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こちらは足場やテントで覆われていたりしていますので、只今修復工事中の建物でしょう。
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通りの奥に教会の尖塔が見える通りまで歩いてきました。この辺りは新旧混在した街並みになっています。
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尖塔を目指して、聖ペテロ・パウロ大聖堂(Saint Peter and Paul Cathedral)まで来ました。 朝まだ早い時間帯なので中には入れません。
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教会脇の石碑。
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独立広場に面して建つ財務省の建物。時計塔が飛び出ていて町のランドマークでもあります。
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こちらは独立広場に面して建つスリナム大統領府。
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独立広場に建つ各国の国旗。。。残念ながら日本の国旗は見当たりません。。。
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高いヤシの木が林立する公園内を歩きます。
約2時間ほど、一人街歩きをしてホテルに戻りました。 -
9時 ツアーで皆さんと一緒に、ホテルから徒歩で再びパラマリボの街歩きに出ます。
道路脇におなじみのサインがあります。 -
道路脇で見つけた!!! 日本とスリナムの国旗が並ぶ看板。
左側の建物を日本の無償援助で建設中・・・みたいな・・・日本もこの国に貢献していました。ああ~それなのに独立広場に日本の国旗が無いのは、、、、残念。。。 -
道路脇に立つ母なるスリナム(Mama Sranan)像。
母親が抱く5人の子供たちは、スリナムを構成する主要な5つの民族(先住民、マルーンを含むクレオール系、インド系、ジャワ系、中国系)を象徴しています。 -
イチオシ
再びゼーランディア要塞に来ました。
要塞脇の広場には、スリナムを植民地として統治していた時代のオランダ王国ウィルヘルミナ女王の像が立っています。 -
ゼーランディア要塞に隣接するオレンジ屋根の白亜の建物。
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ゼーランディア要塞に隣の広場にある兵士らの像。
銘板によれば、朝鮮戦争で国連軍の旗のもとで戦ったスリナム人志願兵(102名)を記念して、朝鮮が建てたようです。なるほど、これもスリナムと韓国との連携を表すのに役に立っているかもネ。。 -
イチオシ
スリナム川沿いのパラマリボ中央市場に来ました。
壁沿いに露店が並び、おばさんらの姿などはアフリカにあるような市場の雰囲気です。 -
こちらも。被っている帽子が粋です。
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籠やザルなど売られています。
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包丁を振り上げて豪快な手捌きデス。
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市場の裏から見るスリナム川に架かる大橋。昨日の夕方、あの大橋を渡ってパラマリボに入って来ました。
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市内を移動しています。街の北側地区にある御覧の手作り住宅はマルーン(逃亡奴隷の子孫)が建てた家で、今なお人が住んでいる家もあります。自身もマルーンだと言うガイドの家も、町の貧困層が多く住む北側地区にあるのだ・・と笑っていました。
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インド系住民の祈りの場、スリナムで最大のヒンドゥー教寺院に立ち寄ります。
スリナムにおけるヒンドゥー教徒の人口比率は、23%だそうです。 -
寺院の回廊。奥に学校が併設されています。
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こちらは、同じ地区に建つ別のヒンドゥー教寺院。
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こちらも別のヒンドゥー教寺院。
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暫く移動してイスラム教のモスクに来ました。白亜のミナレット4本がそそり立つ立派なモスクです。
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こちらも。
スリナムにおけるイスラム教徒の人口比率は13%だそうです。 -
その隣にあるのが、こちらのシナゴーグ、ユダヤ教の寺院です。
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イチオシ
シナゴーグ側から隣にモスクとミナレットが見えています。
スリナムにおけるユダヤ教徒の人口比率はガイドに聞けば分かりませんと・・・多分1%以下だと思う・・・とのことでした。 -
シナゴークの中に入れてもらいました。
シンプルな造りですが、中央に大きな説教台とダビデの星が付いた燭台が目につきました。ユダヤ人にとって、スリナムは迫害や社会的排除が無く安心して暮らせる場所として入植者が一定数暮らしているそうです。
イスラエルの人達に教えてあげたいです~隣国との紛争等しなくとも安住の地スリナムに移住して来たら~と。最も夏場はマラリア蚊等に刺される心配がありますけど・・・。 -
シナゴークの敷地には、この地で亡くなったユダヤ人らの墓地があります。
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街中移動中に見かけた教会。街中移動中にはここ以外にも大小さまざまな教会が見られました。
スリナムにおけるキリスト教徒は、クレオール系の人達やオランダ植民地時代が長かったこともあってか、人口比率の45%(プロテスタント24%・カトリック21%)だそうです。 -
朝の時間帯にも訪れましたが、2本の尖塔が空高くそびえる、聖ペテロ・パウロ大聖堂に再訪します。
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イチオシ
中に入らせて頂きました。
船底を思わせるような木製の天井です。 -
こちらも。
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嘆きのピエタ像が見られます。
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再び川沿いのパラマリボの歴史地区に来ました。ここで暫くフリータイムとなります。
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イチオシ
こちらも。
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13時前 ホテル前のこちらのレストラン中庭にてランチとなります。
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ワンプレートのライス付き・スタンダード食となります。ライスには日本から持参しているフリカケをかけ、日本風味付けをして頂きます。。
ランチの後は、15時50分までフリータイムとなります。 -
昼休みのフリータイムを利用してアマダ・ショッピングセンターを訪れます。
建物の正面壁に、胸にRakutenのロゴが入っているサッカー選手が張り出されています。スリナムのこんな場所で、日本に関係するロゴを発見してちょっと嬉しくなりました。。。なお、中で売られている品々、価格は日本と変わらないくらいか、やや高めの感じでした。 -
ホテルに戻った後は、中庭にあるプールでひと泳ぎしたり、
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ホテル中庭にあるジャングル庭園を散策したりします。
庭園にはいろいろな種類の魚がいるようなので探しますが、実際のところ池の中で泳ぐ魚の識別は難しいでした。 -
16時 スリナム川の船乗場に来ました。
ここからピンク・ドルフィンを見るためのボートクルーズに出ます。 -
ボートは、イルカが見られると言う河口側に向かって移動しています。
途中右手に大砲が据え置かれた土塁地帯が見えています。あれはプランテーションを守るためにオランダが造ったニューアムステルダム要塞だとのこと。 -
ボートは暫くの間イルカの出現を待って川を上り下りしていましたが、やがてイルカ集団が出現します。
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イルカのお腹部分がピンクらしいのですが、最後まで確かめることは出来ませんでした。川は泥水色なので、イルカが空中に飛び跳ねない限り、お腹部分を見るなんて無理なんです。。。
18時過ぎ ホテルに戻り、夕食をとります。
翌日は、早朝3時にホテル出発しますので、早々に就寝しました。
ガイアナ・スリナム・仏領ギアナ周遊(4)----ガイアナ・カイエチュール滝編につづく。
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