1977/12/26 - 1978/03/10
1位(同エリア2件中)
ほいみさん
1977年の12月16日、ロンドンからバスや船・鉄道を乗り継いで、ついにインドに入国した。これで北インドをカルカッタまで移動して、バンコクに飛べば年内に帰国出来る。正月は日本だ~!!
な~んて、今になって思えば「そんなの絶対に無理じゃんか~・・」ってな考えを「本気で」巡らしていた。
そこには当時の「良識ある健全な青年」が、かなりの確率で陥ってしまうワナが仕掛けられていたのだ。
- 旅行の満足度
- 4.5
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ほんと、じじィが昔の旅日記をアップするには勇気がいる・・・っていうか、若者は昔が無いし! しかも4トラとFBはシニアしか居ないし!
でね、私の旅行記別アクセス数(1月分)を精査してみると、意外にも古い旅日記へのアクセスが多い。で、市場の要求に応えて古いヤツをアップすることにした。
今日も話は長いで~
関係ないけど、なぜか「七面山」と「伊豆山稜線歩道」編は常時トップ10に入っている。自分で見直しても、全然面白くもないんだけど。 -
これの続きになります。
https://4travel.jp/travelogue/11213972
でね、今回は帰国までアップして終了の予定だったのだが、最後のカトマンズ→バラナシ→カルカッタの写真が行方不明。何年か前に確認した時はあったのに。この間は事情あって「コダックポケットカメラ」っていう当時流行った小型フィルムカメラを使っていたのだが、そのネガを紛失してしまった。
で、死ぬ前に発見出来たらその部分は何かのついでにアップするということで、残念ながらこの壮大な旅日記は中途半端な形で、とりあえず最終回となる。 -
前回のカジュラホからバスでサトナに着いたが、ジャルガオン往きの列車が翌日だったのでここで宿泊。当時は南京虫がいる様なホテルなら100円で泊れた。1000円出せば南京虫が居ないかといえば、そんなことも無いだろうことは想像がつく様になっていた。
現実的には300円以上の宿には泊ることが無かったので、本当のことは知らない。
ところで知ってる方も多いかと思うけど、当時のインドの安宿って24時間制だったので、何時でも快くチェックインさせてくれるし、例えば18時にチェックインすれば翌日の18時まで居られたんだよ。
でね、ホテル内真っ暗だし ルームキーなんて無いから、懐中電灯と南京錠は必需品だったのさ。レセプションにスタッフが見えなかったら、大抵はカウンターの下で寝てるから起こしてやってね。 -
翌日は列車がインド的に遅れ、真夜中にジャルガオン駅に着いてしまい駅のホームで寝た。15円くらいで汚いムシロを借りれたので快適だった。しかもムシロ屋が「汚いムシロ」を持っていかれない様に、見張っているので荷物も安心。
駅から出ると、歩道にハンモックみたいなベットを並べて50円くらいで泊れる?寝られる?ところもあるが、治安を考えるとホームの方が安心。
朝になれば、チャイやパンを売りに来るし、インドの鉄道駅は快適だ。
そのジャルガオンから朝イチのバスでアジャンターに行った。 -
アジャンターに関しては予備知識が無かったので、どういう風に偉いのかは分からなかったが、みんなが行くから行ってみるか・・・みたいな。
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とにかく凄いモノらしい。
後で調べたら、インド最古の仏教石窟寺院で、1000年間以上忘れ去られていたので、20世紀になってから非常に良い状態で発見されたんだそうだ。
アジャンターはこの5年後に世界遺産に認定された。 -
1977年12月30日、アジャンターからこの辺りの中心都市のオーランガバードに着いた。
インド旅行中に「オーランガバードのユースホステルは素晴らしい」と聞いていたので、そこに泊まった。
な~るほど、ベッドが20台くらい並んだ大部屋だが、その清潔さときたらイスタンブールを出て以来最高! 自分が汚らしいカッコしてるので、かえって居辛い・・・とか。真っ白なシーツとか、清潔なトイレとか・・・まぶしかったなぁ。 -
翌日はバスでエローラに行った。
アジャンターは規模は凄かったが、まぁ常識の範囲? っていうか凄さが分かってないお年頃。 -
しか~し、エローラは規模はともかく、そのカイサーラ寺院は巨大な岩山をそっくり掘り下げて造ったという「分かり易い凄さ」に感動したぜ!
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当然、エローラもアジャンターと同じく1983年に世界遺産に認定された。
世界遺産の登録が始まったのは1978年で、ちょうど私がこんな旅をしてた頃。もちろん、そんなことは全然知らなかったのだが、その1978年に世界遺産として最初に登録されたのは以下の12件だそうです。
ガラパゴス諸島(エクアドル)
キト市街(エクアドル)
アーヘン大聖堂(ドイツ)
ランス・オ・メドー国定史跡(カナダ)
シミエン国立公園(エチオピア)
ラリベラの岩窟教会群(エチオピア)
ナハニ国立公園(カナダ)
ゴレ島(セネガル)
メサ・ヴェルデ国立公園 (アメリカ)
イエローストーン国立公園(アメリカ)
クラクフ歴史地区(ポーランド)
ヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩坑(ポーランド)
早いもん勝ち! -
エローラからの帰りのバスが無くって遭難?しそうになってたら、トラックが乗せてくれた。しかも空腹なのを見透かされて、多分運ちゃんの弁当であろうチャパティーとカレーを頂いた。
ユースホステルまで送ってくれた。
何処かに連れてかれちゃうかも、法外な金を要求されるかも・・・と疑っていた自分が恥ずかしい。
数日前のクリスマといい、もしかして「インドっていいヤツが多いかも」って、誤解?し始めていたことがこの後、分かっていく・・・危険な香り? -
オーランガバードには、こんな「ミニタージマハル」がある。
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先に書いた様に、オーランガバードのユースホステルが居心地が良くて3泊した。
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翌日は何もすることが無いので、遠くに見える山に向かって歩いた。
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ずっと農地の中をクルマも通らない道が続いていて、
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農作業を見学したり
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小さな村を訪ねたりして終日過ごした。
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子供達がオヤツや水をくれたが、ありがとうと言っただけで何もお礼をしなかった。思い返すと恥ずかしい。
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インドの街は確かに汚いが、当時はペットボトルやレジ袋、過剰包装もなかった。必要なら新聞紙で包むとか。だから町に散らかるゴミは紙、果物や野菜のクズなど。それらは山羊や牛が食べていた。
器も素焼きのモノが多かったので、やがては土に帰るって感じで、コンクリートやアスファルトで固められたところに、あらゆる生ごみやウンチが散らかってる今のインドと比べたら「汚らしい感」は少なかったかも・・・あ、田舎の話ね。 -
そんなことで、ちょっとインドに心を許し始めた。
そして、1978年元旦! 初日の出はユースホステルの屋上で迎えた。
あれれ・・・お正月は日本で迎えるんじゃなかったっけ??
そんなことも思い出した。
これがインド沼か~・・・もしかして居心地いいかも!? -
元日は、バスでハイデラバードに向かった。
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大きな町だったけど
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見どころは少なかったかな。
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ホテルの下がバナナ市場?
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表紙にした写真ね。
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この辺りの写真は、何処で撮ったのか分からないけど南インドであるのは確かだと思う。
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アーバン像も時々見かけた。
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バンガロールなどに泊まりながら
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何時だった?かマイソールに着いた。
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南インドの移動にはバスが便利。
途中で故障して、バスを乗り換えてる図。やたら故障が多いが、普通は故障しても1時間くらいで直る不思議。 -
バスは男女で席が分かれてることが多かった。
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この辺りから、バナナの葉っぱが食器代わりになった。
定食は、ほんと質素で食べ放題なんだけど直ぐ腹が減る…基本ベジタリアン。
食べ終わったら、バナナの葉っぱは店の前に捨てれば牛が食べる。
あ~・・・肉食いたい! -
何処で乗った列車か忘れたけど、行き先はコーチンって書いてあるかな?
いずれにしても、当時は列車に乗るのは戦いだった。バックパッカーは1等車に乗るわけにはいかないのだ。
南インドは流れのままに旅してると、全部バスで済ましちゃうので意識して鉄道を使ってみたのかなぁ。そういえば2003年に再訪した時も、がんばって1回だけ鉄道を利用した。 -
移動牛乳販売、超新鮮!
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どんどん南下して、コインバトーレ辺りかな。
北インドとは子供たちの表情が明らかに変わって来た。 -
素足が素敵? 何屋さんなんだろ?
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コチンから水郷地帯のアレッピーへ。
ここで水郷をボートで巡ったが、観光客は皆無で何処に上陸しても珍しがられた。このボートの運ちゃん?が自分の集落に連れて行ってくれた。 -
とっても素晴らしい体験で、ケララ・アレッピーとかの名前も素敵で、大好きな場所になった。
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何時かまた来るからね~・・・って本気で思ったさ。
帰国後もその体験が忘れられずに2003年に再訪したが、当たり前だけど当時の雰囲気は失われていた。
その時の様子はここ
https://4travel.jp/travelogue/11215800
南インド、特にケララ州は教育水準が高くキリスト教徒も多いので、北インドと比べたら他の国みたいだ。割と衛生的で?人々は親切、物価も安いと完璧なのだ。
「それって物足りなくない?」って感じて、北インドを恋しく思うなら、あなたは立派なインドフリークだ・・・お気の毒!
インド亜大陸最南端のケープコモリンまで南下して、北に向かって「インドのバカやろー」って叫ぶつもりだったんだけど、ケララで毎日「良いインド人」に親切にされたので、バカヤローは許してやった。 -
最南端からちょっと北東に行くと、スリランカに向かって半島?みたいなのが延びてるじゃんね。その最先端のラメスワラムって街まで行くと、そこからスリランカに渡るフェリーが出てることを数日前に知った。
でね、スリランカは行くつもりはなかったんだけど、そんな簡単に渡れるならちょっと行ってみる? ちょっとだけよ~・・・直ぐに帰るんだから! キャッチバーに自ら入る!?
ちょっとだけよ・・・のはずが、ここに戻って来たのは40日後!という不思議体験が待っていた。スリランカには意外な伏兵がいたのだ。
この駅がインド側だったのかスリランカ側だったのか確かではないが、列車でコロンボに向かった。でっかいアメリカ人と一緒になった。 -
検札がやって来たが、ヤツは切符を購入してないことが分かった。車掌にいろいろ上から目線で文句(言い訳)を言ってるが、私はアジア人を馬鹿にしてるな・・・と面白くなかった。
私が財布から切符を取り出すと、何故か薄い切符が2枚重なっていたことに気が付いた。「そうそう、お前のも預かってたな」と言ってヤツに渡した・・・飯くらい奢れよ。つまり何を間違えたのか、私には1枚分の代金で2枚来ていたのだ。
コロンボまで数時間、面倒臭いけど話をした。私はどうでも良かったんだけど、ヤツは素直に私に感謝してた。更に、夏には日本に行くからお前の家に遊びに行っていいか? と住所を聞く。そしたら本当に伊豆の田舎まで訪ねて来ちゃった…って話はいずれ。2泊してったぞ! 写真も残ってるかも。 -
コロンボに着いたのは1月17日、そのまま噂に聞いていたヒッカドゥワに行った。
スリランカはインドよりも暑く、露店でひらひらの短パンを買って歩いていたが、どうにもスリランカ人に笑われる。1週間くらいして、スリランカでは下着らしいことが判明した。考えてみれば同じ様な短パン?が一杯売ってるのに履いてるのを見掛けないのは・・・そういうことか~・・・下着だったのか。
手にしてるのはパイナップル、トウモロコシみたいに食べる。ただみたいに安かった。 -
当時のヒッカドウワに来る欧米人は、トップレス・ボトムレスが普通だったので余計変に目立つというか。
その欧米人を見に、インド人がヤシの木陰にくる・・・っていう噂もあったが確認は出来なかった。 -
当時は途中で会うバックパッカーとの情報交換は重要だった。ネットはもちろん「地球の歩き方」も無いからね。
ヒッカドゥワで無料で泊れるで、って教わったところに行ったら、本当に無料だった。ただし、有料ご飯を食べるのが条件。そのご飯が素朴なスリランカ定食なので、3食付きで500円って感じ。 -
ヒッカドゥワでは何もしないで時間が過ぎて行った。
ロンドンを出発して4か月、1泊2日・2泊3日を基本にジタバタ旅を続けて来たが、ここでは本当にゆっくり出来た。
私はせっかちなのか、ゆっくり旅やリゾートでのんびり、が出来ない。今までの旅の中で「本当にのんびり出来た」のは、このヒッカドゥワとポカラ・ムアンゴイくらいしか思い出せない。
ただ、ここで充電しちまったので妙に元気になって、またまた道を踏み外す。 -
当時のヒッカドゥワは本当に素朴で
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村に住んで、村の海岸で村人と遊ぶ…って感じ。
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宿のオヤジに葬式に付き合わされた。
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サンゴ礁もあるし、村人は親切だし、物価は安いし・・・こんないいところなのに外国人旅行者は20人くらいしか居ないし。
再訪すると、絶対にがっかりするので二度と行くことは無い。ラオスのムアンゴイも同じ。 -
ヒッカドウワには1週間ほどいて、ここまでの旅の疲れを癒した。
ここの宿に泊まってた欧米人から、ちょっと南に行ったところから、スリランカで一番高い山、スリーパダに登れるって聞いてしまった。
何でも大昔、仏陀が舞い降りた時の足跡が残ってるから、仏足山とも言うらしい。何故かキリスト教やイスラム教の聖者も降り立った記録があるとか。
そりゃ登っておかないとバチが当たるで -
1週間ぶりでバスに乗って、ラトナプラに向かう。
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スリランカは宝石で有名だが、ここラトナプラは特に鉱山が多く、町の中は宝石店や原石を鑑定する人たちで賑わっていた。
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さらにバスを乗り換えて悪路を行った先の「カーニー」という村に登山口があり
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そこで泊った。
小さな村っていうか集落で、唯一の食堂の2階に小さな部屋が4つあった。 -
珍しく夕飯の写真を撮ってあった・・・あ~肉食べたい!
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翌日は8時間掛かって、スリーパダに登った。ジャングルの中の登山道で、誰も登ってなくて心細かった上に、10か所くらいヒルに食われた。
後で聞いたら、本来の登山道は反対側にあって、店や宿もあって良く整備されてるとのことだった。しかも2-3時間で登れるという。ヒッカドゥワのガイジン、ウソ教えやがったな~ -
山頂のお寺に泊まって、翌朝、反対側に降りた・・・ここにワナが待っていた!
その件に関してはここに書いてあるが、私の人生の中でも何番目かに衝撃的な体験だったし、その後の旅行や人生に大きな影響があった事件なので、読んでやって欲しい。
https://4travel.jp/travelogue/11213972
でね、読んでくれたら、↑に「いいね」をして欲しい。こういうのって何人くらいが「誘導されて」読んでくれるのかが興味深いです。 -
この写真は1990年頃なのだが、その時に世話になってしまったお坊さんと、モスクワ空港で会ってしまった。この手のヒトっちって、やたら何処でも「なんみょーほれんげきょー」って太鼓叩いて挨拶するじゃん。野球部みたいに、街中で会っても!
モスクワ空港で太鼓叩かれちまったぜ!
ほいみさん面白い方だから日本に帰ったら会いに行っていいですか? って聞かれたら「ヤダ・・」とは言えないじゃんね。
でね、何か月か後、忘れてくれたか?と油断してたら、近所のセブンから電話が掛かって来て迎えに行ったさ。今度はセブンの駐車場で太鼓叩かれちまったぜ。
家の前で「太鼓叩く」のは辞めて欲しかったけどね。 -
そういうわけでスリランカには40日以上いたが、観光は殆どしてない。お金もほとんど使ってない。
再びフェリーでインドに戻り、マドライに寄ってから、マドラス(今のチェンナイ)に向かった。 -
この辺りも幾つかの街を観光したと思うのだが、写真も思い出も残ってない。
-
なかなか立派な寺院だよね。
平和なスリランカからインドに戻ると「あたま来るな~・・」の毎日だけど、それを楽しめる様になっていた・・・のかもしれない。 -
チェンナイのホテルは都会の牧場の傍だった。
今度こそ本気で日本に帰らなくっちゃ・・・と思い、他にも行きたいところがあったがチェンナイからカルカッタに直行するインド国鉄自慢の特急に乗った。1400㎞30時間以上掛かったかと思う。
で、今はどうよって検索したら、な~んと11時間で走るってあったけど、マジ?
成田→ドバイ位じゃん・・・飛行機よりは楽しそうだし。久しぶりにインドに行ってみようかなぁ。 -
3月6日、カルカッタ(コルカタ)に着いた。
当然、サダルストリートのパラゴンロッジのドミトリーに泊まる・・・今になって思い出すと、あれは監獄だね。 -
コルカタの駅に繋がる巨大なハウラー橋。
この頃は通行してるのが、大量の荷物を持ったポーターと人力車ばっかし。 -
路上生活者はいたるところに溢れていたし、道路に倒れて動かないヒトも何人も見た。パキスタンからここまで、途上国の雑踏を歩き貧困を見て来たが、カルカッタに着いたら白黒画面が総天然色に変わった衝撃があった。
ここまでのインドはなんだったんだ? やばい、まだ日本には帰れないかもしれない・・・そんな予感がした。
私がマザーテレサを知ったのは、更に数年後だった。この後、コルカタには1998年と2013年に再訪している。当然、街は整備され発展して死体が転がってる…なんてことは有り得ないが、あのエネルギー感は相変わらずだった。
今はどうなってるんだろうね。
2013年のカルカッタ動画、再編集してみました。
https://youtu.be/H55YHJphVCw?si=9Yv08P_DUNjqJnSd -
オムレツをパンに挟むこれが美味いんだな~・・・朝ご飯はいつもこれ!
12-13年前のインドで撮った動画なんだけど、インドの路上オムレツはこんな感じです。
https://youtu.be/zCkLP1x4qyw?si=cSEpWXuQYw1b6yXt
本来なら、下の2枚は最終回の「カルカッタ→カトマンズ(トレッキング)→バラナシ→カルカッタ→バンコク→日本」に載せようと思っていた重要案件なのだが、その間の写真が行方不明なのと、何があっても不思議じゃないお年頃になったので、天国で後悔しない様にここにアップしておきます。 -
ここに貼ってあった写真と内容が公序良俗に反していた様で、2-3日間、この日記自体が消去?されていた。で、差し触りのない写真と内容に替えた。掲示板も一部削除されてしまったので、改めてコメントします。
で、先に書いたカトマンズ→バンコクのフィルムを捜してたら、当時のパスポートを発見。当時のインドのビザがあったのでアップしときます。インドのこの汚らしいビザは90年代まで続いてたと思う。
インドの入出国では、なんかいろいろ書かれるんだよね~・・・持ってるカメラの型番を書かれたこともあった。
左の四角いスタンプが、インドからフェリーでスリランカを往復した時のかな。今でもこのフェリーはあるんだろうね。写真が今井も無いし、記憶も定かでない。誰か乗ってみて!
で、バンコクに半額で飛んで、日本までの格安チケットを購入して帰国した。横浜をナホトカ号で出発して、約1年が経過していた。
当時、そんな旅をすると幾ら掛ったんだ? って興味深くない?
アルバイトで貯めた70万円くらいをドルに両替。当時、1ドルが306円だったかな? しかも3000$持ち出し制限があったけど、2200$くらいだから余裕!
横浜からモスクワ→ソフィアまでは、交通機関他を予約して、当時のソ連国営の日ソ・ツーリストに先払い。それが14万円くらいだったと思う。それと2か月のユーレイルパス。旅立ちの日!に母が餞別に10万円くれた。
これで100万円くらい?
とりあえずヨーロッパを目指したが、何処へ行こうとかは考えてなかった。
ヨーロッパをYHや野宿で回って、ロンドンから北アフリカやアジアを目指したくなって、親父に電話したら
「たぶん、良いことだろうから・・・」
と、1000US$を東京銀行に送金してくれた。
この1000ドルが無かったら、ヨーロッパから素直に帰国してたかも。そして多分、人生はつまんない方向に変わっていたと思う。
ロンドンからカルカッタまで、ちょうど1000$くらい掛かったのかな。帰国した時には200$くらい余ってた。当時のアジア横断?バックパッカーとしては比較的余裕があった方だと思うが、地元民用?の安宿と食堂のみ、鉄道もバスも2等、まだ依存症じゃなかったので酒は殆ど飲まなかった。
カードは無かったし、トラベラーズチェックは不便だし、現金を体に巻いてた。どんな貧乏なバックパッカーでも、給与が1日1ドルの国々を行くのだから、狙われるのは当たり前。
お金とパスポートの管理でマジ疲れる。
旅行保険なんて知らなかったし、予防接種も種痘とコレラだけ。日本への国際電話が3分で何千円もした。 -
そうだ、前回、アグラで意を決して買った大理石の皿だが、何年も壁に掛けてあったのに、突然落ちて来て(ひもが劣化してた)割れてしまった。私より年寄りで?ずっと大切にしていたニッパー君も巻き込まれて粉々。
老人ホームに入ったら、退屈しのぎに接着剤で修復?する予定・・・金継ぎを習おうか!
あ、インド沼の底には竜宮城がある…ってウソだからね。さっき私が思い付いた「インド観光局にプレゼント」したいキャッチコピーだよ。
本当に竜宮城がありそうなんだけど、行った人が戻って来ないらしいよ。
今回も無駄に長く、説明や言い訳も多い。
取りあえずアップして、後で添削します。
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この旅行記へのコメント (12)
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- sanaboさん 2026/02/14 00:46:32
- 古き佳き時代の思い出ですね☆彡
- ほいみさん、(太鼓叩きながら)お邪魔します。(あ、ワタシ仏教徒じゃありませんけど~)
最新旅行記からほいみマジックで2003年の旅行記に誘導されイイネもしてしまいましたが、崇高な心根の23歳のほいみ青年がスリランカの山中で仏舎利塔建設に携わったというお話に、心が洗われる思いがしました。今の時代だったら「寝るところと食事は用意するから仕事を手伝ってくれない?」なんて言われて付いていったら、どこぞに監禁され、かけ子の仕事をやらされちゃいますからね。で、「早くおうちにかえりたいよ~」なんてどこかで聞いたことあるようなセリフを毎日呟いていたかも…
当時、ニセの国際学生証を売りつけるご商売が成り立っていたのですね(今も?)
YHや入場券の割引くらいならわかりますけど、『国際線が1回限り半額』には驚きました。これはインド発券に限りですか? ぜひとも仕組みを知りたいわ~
ほいみさんが立候補されるときには、ついでに小池さんのカイロ大学の学生証も作ってあげてくださいね。
スリランカでお世話になったお坊さまにモスクワで会ったと書かれてましたけど、これは偶然にですか? セブンの前で太鼓を叩かれたほいみさんは奇特な方でいらっしゃいますね(´艸`*)
sanabo
- ほいみさん からの返信 2026/02/18 09:09:02
- Re: 古き佳き時代の思い出ですね☆彡
- 過去最高に長いコメントを書いたのに、いろいろあって消えちゃいました。
で、文部省推薦・宮内庁御用達的「うそっぽいけど心がこもったノープロブレムな」コメントに書き変えます。
そのお寺で修業件土方をやってる時に、3日おきに3日遅れくらいで日本の新聞のコピー?が届くんだけど、伊豆半島で大地震発生・甚大な被害・・・だってよ~・・・って、お坊さんAが教えてくれた。
この旅に出るちょっと前に映画「日本沈没」でなんてのがヒットした上に、プレートテクトニクス論によって、駿河湾ではマグニチュード8の地震が明日起きても不思議ではないと言われていたから「やっば、来ちまったか!」と不安になりました。日本に電話して確かめるには山から下りて大きな町に行かなきゃならないし。
結果的には30人くらいが亡くなったそうで、大変なことではあるけど噂になっていた「駿河湾を震源とする巨大地震」ではなっかた様です。あれから50年近くが過ぎ、日本中で大きな地震があったのに、一番危ないと思われてた駿河湾が静かなのはなぜ? エネルギー充填中? 実はスリランカで仏舎利塔を建設しながら、私が太鼓叩いたり断食したりして、神様に・・・じゃない、仏様に祈った成果としか思えません。
なんみょーほいみ
- sanaboさん からの返信 2026/02/18 15:54:16
- RE: Re: 古き佳き時代の思い出ですね☆彡
- 良い子のなんみょーほいみさまへ
編集、お疲れさまでした。表紙の写真も替わりましたよね?
たま~に過去日記が消去されることはあっても、掲示板のコメントまで消えたとはびっくり! 書いて下さった過去最高に長いコメントは心の中に留めておきますね。(いつか有効活用できる日が来るかもしれませんし。って、多分ナイナイ…)
日本から遠く離れてる時に伊豆半島で大地震なんて聞いたら凄く心配されたと思いますけど、無心で太鼓叩いたり断食しながら仏舎利塔建設に従事されたご利益は絶大でしたね。なんみょーほいみさまが偉いお坊様に思えてきました。
それでは、太鼓叩きながら退出いたします…な、sanabo
- ほいみさん からの返信 2026/02/18 20:46:59
- RE: RE: Re: 古き佳き時代の思い出ですね☆彡
- そ~なんですよ、よりによってsanaboさんのコメントだけが消えるなんて、まさか「泣く子も黙る」4トラ事務局に目を付けられてるんじゃないでしょうね。
1983年に自宅を建てたんだけど、その時「地震なんて、ぜって~来ね~よ!」と地震保険には入らなかったのですが、先日保険の見直しあって「やな予感」がしたので、入っておきました。
仏教徒ではありますが信仰心は皆無なんですよね~・・・なのに、仏舎利塔ボランティアしたり、歩き遍路したり。仏系美女の誘いには注意しますが、瞬間的に引っ掛かっちゃう予感はあります。夏目雅子みたいな尼さんに勧誘されたらどうしよう!
法威明(ほいみょう)
「法(ほう)」=仏の教え
「威(い)」=尊さ
「明(みょう)」=智慧・光
全体として「仏法の尊い光を明らかにする者」という意味合いになります。
Aiに命名してもらいました。
今回は4トラには削除されないだろうけど、バチがあたりそう。半分、sanaboさんに上げます!
- sanaboさん からの返信 2026/02/18 23:22:39
- RE: RE: RE: Re: 古き佳き時代の思い出ですね☆彡
- なんみょーほいみ改め、法威明和尚(?)さまへ
> そ~なんですよ、よりによってsanaboさんのコメントだけが消えるなんて、まさか「泣く子も黙る」4トラ事務局に目を付けられてるんじゃないでしょうね。
ほいみさんの熱烈ファンの事務局の方が、旅日記と掲示板すべてにお目通しされてらして、「さすがにこの悪の手引書はヤバイでしょ」と削除されたのでしょう。きっと夏目雅子似の方だと思いますので、ほいみさんとしては何をされてもあらがえませんね。なむ~~(合掌)
地震保険、入っててよかったと思える日が永遠に来ないことを願っています。なんなら、首都直下型も来ないよう、出家してもう1つ仏舎利塔建てていただけたら安心です。(都民代表より)
> Aiに命名してもらいました。
ついでに戒名も・・・、あ、いえ、ゴニョゴニョ…
この間TV見てたら、ChatGPTと結婚した女性がいましたよ。ほいみさんはまだ相談事だけですか?
> 今回は4トラには削除されないだろうけど、バチがあたりそう。半分、sanaboさんに上げます!
謹んで、3倍にしてお返しします(キッパリ!)
sanabo
- ほいみさん からの返信 2026/02/19 07:57:38
- RE: RE: RE: RE: Re: 古き佳き時代の思い出ですね☆彡
- 4トラ事務局さんの暖かい指摘によって、sanaboさんとコメントピンポンが出来て嬉しいです。
そうそう、旅日記上の「不適切な表現」に関しては、なるほど、本当にチェックしてるんだ!? と、その仕事ぶりに感心しましたが、sanaboさんのコメントへの返信が削除されてたのは意外でした・・・初めてだし! 本当に全投稿・全コメントをチェックしてるのかなぁ。 私の旅日記なんて完全ホワイト・人畜無害・無農薬・無味乾燥・添加物はアルコールだけ・・・だから検閲する必要もないのにね。
Aiにほいみを仏教風の名前にして…ってお願いしたら「戒名のことですね」って言われちゃいました、可愛い! のか? 有料バージョンならもっと気を利かせてくれるのかなぁ。
法威明
-
- cocoroさん 2026/02/11 10:13:17
- I AM A STUDENT!
- おはようございます♪ほいみさん
久しぶりの旅行記でいきなり読者は「シニアばかり」
との出だし。 当たっているだけに随分だわ~。
お口の辛さは健在ですね。ピリリ
あはは(*^▽^*)
前回のコメントを意識され
「バンコック」表記から「バンコク」表記
への切り替え。旅だけでなくその対応力に
びっくりです。
当時はバンコックの時代ですもの.....
ご無理なさらずに。
調べた観光地じゃなく、行き当たりばったり
普段着の街を歩く旅。
15円のムシロでホームに寝る潔さ。
どこへ行くかは風まかせ。
異世界のようなインドとスリランカの雰囲気に
引き込まれました。
ああ、私ももっと無鉄砲な旅してみたかったなぁ…。
男の子だったら。
それにしても、当時はなんでもありの
「ゆる~い時代」だったのですね。
偽物学生手帳で飛行機まで乗れたなんて!
今はもうないでしょうね。
まあ.....あっても年輪が刻まれた顔写真では
「I AM A STUDENT」
って言っても通じないでしょうけれど。
やっぱり 年配者の仲間入りじゃないか.....。プウ( ̄ー ̄)
- ほいみさん からの返信 2026/02/11 12:58:59
- RE: I AM A STUDENT!
- おっかしいなぁ・・・あの時代は「バンコク」っていうと「バンコックだろ!」って指摘された様な。まぁ、私は時代の流れにはかろうじて着いて行く努力はしてるし、スマホは無理っぽいけど。来月はバンコク経由で出掛けるので、現場では「バンコク・バンコク」を連発してみます。
あの旅で体中を南京虫やノミ、ヒルや正体不明の虫に毎日刺され続けたのが良かったのか、その後虫に刺されても「たぶん大丈夫」な体になった様です。同じことが食事や水にも言えるかもしれませんが、数年後、旅の途中でにえらい目にあって入院しました・・・あ~、こうしてみると「旅ネタ」っていくらでもあるな。書き忘れたけど、南インドで釘踏んで痛い思いをしたのを書き忘れたなぁ。
当時は何でもありっていうか、バックパッカーが集まるところにたむろするインド人との戦いでした。インドの平公務員の給料が数千円の時に、奴らは完全に能率給というか個人営業だから甘くはないんですよ。その代わり、何でもお金で解決する、楽が出来る、ギブ&テイクで助け合い・・・みたいなこともあったかも。
交通機関はともかく、有名じゃない神社仏閣博物館なんかは「シニア三味線学校」の日本語学生証+チップでも行けるんじゃないのかなぁ・・・誰が損するわけでもないし。
ほいみ
-
- きなこさん 2026/02/11 09:09:44
- 東京大学のほいみさん
- こんにちは♪♪♪
びっくり!何もかもびっくりです
でたらめが面白いです
東大生のカード?いいですね~私も欲しいなぁ何処の大学にしょうかしら笑笑
ねぇほいみさん、ほいみさんのお父様もお母様もステキな方ですね
めちゃくちゃ心配だったでしょうね、なのに大枚を持たせてくれて、お父様は送金までして下さって
そうして「ほいみさん」が出来上がったんですね(^^)
きなこ
- ほいみさん からの返信 2026/02/11 12:53:04
- RE: 東京大学のほいみさん
- コメント、ありがとうございます。
同じ頃、バンコクでももっと精密な偽学生証は簡単に手に入りましたが、航空券などは買えなかったと思います・・・みんな知ってるからね。インドは賄賂天国だったので、学生証が本物かどうかなんて関係ないんですよ。賄賂の領収書って感じかな。だから1回しか使えないんです。
大学卒業してオヤジの仕事を継ぐことになっていたので、修行のつもりで出掛けました。「旅の安全は金で買えるんだってさ・・」って、日頃から話してたのが功を奏したのかも。
その後の親孝行は十分い出来たと思ってます。当然、送金してくれた1000ドルは「投資だろう」ということで返しませんでした。
ほいみ
-
- gontaraさん 2026/02/10 21:54:27
- この頃から
- 各国を放浪されてたのですね。
筋金入りのバックパッカー?
この行が良いなぁ
「当時は南京虫がいる様なホテルなら100円で泊れた。1000円出せば南京虫が居ないかといえば、そんなことも無いだろうことは想像が着く様になっていた。
現実的には300円以上の宿には泊ることが無かったので、本当のことは知らない。」
この世界を旅されていたという、尊敬に値しますね。
いつかはこんな旅をしてみたいなんて思っても、もう絶対無理です。
気持ちが・・・
そう、エローラ未訪です。
行ってみたいな他所の国!
GONTARA
- ほいみさん からの返信 2026/02/10 22:49:24
- Re: この頃から
- こんばんは、何時もコメントをありがとうございます。
当時はケータイもネットも無いから予約が要らなかったし、何でも現金決済・・・私でも出来ました。
南京虫は痒いですよ~・・・今みたいに効果的なかゆみ止めも無かったので、特に白人は短パンなので、ぼりぼり血を流してました。宿だけじゃなくって、バスや列車もやばかったです。
来月はちょこっとパックツアーで中国に行って来ます。今はそういう旅行が好きです。細かい予約要らないし!
ほいみ
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