1977/12/26 - 1978/03/10
-位(同エリア2件中)
ほいみさん
1977年の12月16日、ロンドンからバスや船・鉄道を乗り継いで、ついにインドに入国した。これで北インドをカルカッタまで移動して、バンコクに飛べば年内に帰国出来る。正月は日本だ~!!
な~んて、今になって思えば「そんなの絶対に無理じゃんか~・・」ってな考えを「本気で」巡らしていた。
そこには当時の「良識ある健全な青年」が、かなりの確率で陥ってしまうワナが仕掛けられていたのだ。
- 旅行の満足度
- 4.5
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ほんと、じじィが昔の旅日記をアップするには勇気がいる・・・っていうか、若者は昔が無いし! しかも4トラとFBはシニアしか居ないし!
でね、私の旅行記別アクセス数(1月分)を精査してみると、意外にも古い旅日記へのアクセスが多い。で、市場の要求に応えて古いヤツをアップすることにした。
今日も話は長いで~
関係ないけど、なぜか「七面山」と「伊豆山稜線歩道」編は常時トップ10に入っている。自分で見直しても、全然面白くもないんだけど。 -
これの続きになります。
https://4travel.jp/travelogue/11213972
でね、今回は帰国までアップして終了の予定だったのだが、最後のカトマンズ→バラナシ→カルカッタの写真が行方不明。何年か前に確認した時はあったのに。この間は事情あって「コダックポケットカメラ」っていう当時流行った小型フィルムカメラを使っていたのだが、そのネガを紛失してしまった。
で、死ぬ前に発見出来たらその部分は何かのついでにアップするということで、残念ながらこの壮大な旅日記は中途半端な形で、とりあえず最終回となる。 -
前回のカジュラホからバスでサトナに着いたが、ジャルガオン往きの列車が翌日だったのでここで宿泊。当時は南京虫がいる様なホテルなら100円で泊れた。1000円出せば南京虫が居ないかといえば、そんなことも無いだろうことは想像が着く様になっていた。
現実的には300円以上の宿には泊ることが無かったので、本当のことは知らない。
ところで知ってる方も多いかと思うけど、当時のインドの安宿って24時間制だったので、何時でも快くチェックインさせてくれるし、例えば18時にチェックインすれば翌日の18時まで居られたんだよ。
でね、ホテル内真っ暗だし ルームキーなんて無いから、懐中電灯と南京錠は必需品だったのさ。レセプションにスタッフが見えなかったら、大抵はカウンターの下で寝てるから起こしてやってね。 -
翌日は列車がインド的に遅れ、真夜中にジャルガオン駅に着いてしまい駅のホームで寝た。15円くらいで汚いムシロを借りれたので快適だった。しかもムシロ屋が「汚いムシロ」を持っていかれない様に、見張っているので荷物も安心。
駅から出ると、歩道にハンモックみたいなベットを並べて50円くらいで泊れる?寝られる?ところもあるが、治安を考えるとホームの方が安心。
朝になれば、チャイやパンを売りに来るし、インドの鉄道駅は快適だ。
そのジャルガオンから朝イチのバスでアジャンターに行った。 -
アジャンターに関しては予備知識が無かったので、どういう風に偉いのかは分からなかったが、みんなが行くから行ってみるか・・・みたいな。
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とにかく凄いモノらしい。
後で調べたら、インド最古の仏教石窟寺院で、1000年間以上忘れ去られていたので、20世紀になってから非常に良い状態で発見されたんだそうだ。
アジャンターはこの5年後に世界遺産に認定された。 -
1977年12月30日、アジャンターからこの辺りの中心都市のオーランガバードに着いた。
インド旅行中に「オーランガバードのユースホステルは素晴らしい」と聞いていたので、そこに泊まった。
な~るほど、ベッドが20台くらい並んだ大部屋だが、その清潔さときたらイスタンブールを出て以来最高! 自分が汚らしいカッコしてるので、かえって居辛い・・・とか。真っ白なシーツとか、清潔なトイレとか・・・まぶしかったなぁ。 -
翌日はバスでエローラに行った。
アジャンターは規模は凄かったが、まぁ常識の範囲? っていうか凄さが分かってないお年頃。 -
しか~し、エローラは規模はともかく、そのカイサーラ寺院は巨大な岩山をそっくり掘り下げて造ったという「分かり易い凄さ」に感動したぜ!
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当然、エローラもアジャンターと同じく1983年に世界遺産に認定された。
世界遺産の登録が始まったのは1978年で、ちょうど私がこんな旅をしてた頃。もちろん、そんなことは全然知らなかったのだが、その1978年に世界遺産として最初に登録されたのは以下の12件だそうです。
ガラパゴス諸島(エクアドル)
キト市街(エクアドル)
アーヘン大聖堂(ドイツ)
ランス・オ・メドー国定史跡(カナダ)
シミエン国立公園(エチオピア)
ラリベラの岩窟教会群(エチオピア)
ナハニ国立公園(カナダ)
ゴレ島(セネガル)
メサ・ヴェルデ国立公園 (アメリカ)
イエローストーン国立公園(アメリカ)
クラクフ歴史地区(ポーランド)
ヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩坑(ポーランド)
早いもん勝ち! -
エローラからの帰りのバスが無くって遭難?しそうになってたら、トラックが乗せてくれた。しかも空腹なのを見透かされて、多分運ちゃんの弁当であろうチャパティーとカレーを頂いた。
ユースホステルまで送ってくれた。
何処かに連れてかれちゃうかも、法外な金を要求されるかも・・・と疑っていた自分が恥ずかしい。
数日前のクリスマといい、もしかして「インドっていいヤツが多いかも」って、誤解?し始めていたたことがこの後、分かっていく・・・危険な香り? -
オーランガバードには、こんな「ミニタージマハル」がある。
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先に書いた様に、オーランガバードのユースホステルが居心地が良くて3泊した。
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翌日は何もすることが無いので、遠くに見える山に向かって歩いた。
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ずっと農地の中をクルマも通らない道が続いていて、
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農作業を見学したり
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小さな村を訪ねたりして終日過ごした。
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子供達がオヤツや水をくれたが、ありがとうと言っただけで何もお礼をしなかった。思い返すと恥ずかしい。
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インドの街は確かに汚いが、当時はペットボトルやレジ袋、過剰包装もなかった。必要なら新聞紙で包むとか。だから町に散らかるゴミは紙、果物や野菜のクズなど。それらは山羊や牛が食べていた。
器も素焼きのモノが多かったので、やがては土に帰るって感じで、コンクリートやアスファルトで固められたところに、あらゆる生ごみやウンチが散らかってる今のインドと比べたら「汚らしい感」は少なかったかも・・・あ、田舎の話ね。 -
そんなことで、ちょっとインドに心を許し始めた。
そして、1978年元旦! 初日の出はユースホステルの屋上で迎えた。
あれれ・・・お正月は日本で迎えるんじゃなかったっけ??
そんなことも思い出した。
これがインド沼か~・・・もしかして居心地いいかも!? -
元日は、バスでハイデラバードに向かった。
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大きな町だったけど
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見どころは少なかったかな。
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ホテルの下がバナナ市場?
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表紙にした写真ね。
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この辺りの写真は、何処で撮ったのか分からないけど南インドであるのは確かだと思う。
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アーバン像も時々見かけた。
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バンガロールなどに泊まりながら
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何時だった?かマイソールに着いた。
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南インドの移動にはバスが便利。
途中で故障して、バスを乗り換えてる図。やたら故障が多いが、普通は故障しても1時間くらいで治る不思議。 -
バスは男女で席が分かれてることが多かった。
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この辺りから、バナナの葉っぱが食器代わりになった。
定食は、ほんと質素で食べ放題なんだけど直ぐ腹が減る…基本ベジタリアン。
食べ終わったら、バナナの葉っぱは店の前に捨てれば牛が食べる。
あ~・・・肉食いたい! -
何処で乗った列車か忘れたけど、行き先はコーチンって書いてあるかな?
いずれにしても、当時は列車に乗るのは戦いだった。バックパッカーは1等車に乗るわけにはいかないのだ。
南インドは流れのままに旅してると、全部バスで済ましちゃうので意識して鉄道を使ってみたのかなぁ。そういえば2003年に再訪した時も、がんばって1回だけ鉄道を利用した。 -
移動牛乳販売、超新鮮!
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どんどん南下して、コインバトーレ辺りかな。
北インドとは子供たちの表情が明らかに変わって来た。 -
スナップ写真は、まだまだ珍しかったみたい。
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素足が素敵? 何屋さんなんだろ?
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コチンから水郷地帯のアレッピーへ。
ここで水郷をボートで巡ったが、観光客は皆無で何処に上陸しても珍しがられた。このボートの運ちゃん?が自分の集落に連れて行ってくれた。 -
とっても素晴らしい体験で、ケララ・アレッピーとかの名前も素敵で、大好きな場所になった。
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何時かまた来るからね~・・・って本気で思ったさ。
帰国後もその経験が忘れられずに2003年に再訪したが、当たり前だけど当時の雰囲気は失われていた。
その時の様子はここ
https://4travel.jp/travelogue/11215800
南インド、特にケララ州は教育水準が高くキリスト教徒も多いので、北インドと比べたら他の国みたいだ。割と衛生的で?人々は親切、物価も安いと完璧なのだ。
「それって物足りなくない?」って感じて、北インドを恋しく思うなら、あなたは立派なインドフリークだ・・・お気の毒!
インド亜大陸最南端のケープコモリンまで南下して、北に向かって「インドのバカやろー」って叫ぶつもりだったんだけど、ケララで毎日「良いインド人」に親切にされたので、バカヤローは許してやった。 -
最南端からちょっと北東に行くと、スリランカに向かって半島?みたいなのが延びてるじゃんね。その最先端のラメスワラムって街まで行くと、そこからスリランカに渡るフェリーが出てることを数日前に知った。
でね、スリランカは行くつもりはなかったんだけど、そんな簡単に渡れるならちょっと行ってみる? ちょっとだけよ~・・・直ぐに帰るんだから! キャッチバーに自ら入る!?
この駅がインド側だったのかスリランカ側だったのか確かではないが、列車でコロンボに向かった。でっかいアメリカ人と一緒になった。 -
検札がやって来たが、ヤツは切符を購入してないことが分かった。車掌にいろいろ上から目線で文句(言い訳)を言ってるが、私はアジア人を馬鹿にしてるな・・・と面白くなかった。
私が財布から切符を取り出すと、何故か薄い切符が2枚重なっていたことに気が付いた。「そうそう、お前のも預かってたな」と言ってヤツに渡した・・・飯くらい奢れよ。つまり何を間違えたのか、私には1枚分の代金で2枚来ていたのだ。
コロンボまで数時間、面倒臭いけど話をした。私はどうでも良かったんだけど、ヤツは素直に私に感謝してた。更に、夏には日本に行くからお前の家に遊びに行っていいか? と住所を聞く。そしたら本当に伊豆の田舎まで訪ねて来ちゃった…って話はいずれ。2泊してったぞ! 写真も残ってるかも。 -
コロンボに着いたのは1月17日、そのまま噂に聞いていたヒッカドゥワに行った。
スリランカはインドよりも暑く、露店でひらひらの短パンを買って歩いていたが、どうにもスリランカ人に笑われる。1週間くらいして、スリランカでは下着らしいことが判明した。考えてみれば同じ様な短パン?が一杯売ってるのに履いてるのを見掛けないのは・・・そういうことか~・・・下着だったのか。
手にしてるのはパイナップル、トウモロコシみたいに食べる。ただみたいに安かった。 -
当時のヒッカドウワに来る欧米人は、トップレス・ボトムレスが普通だったので余計変に目立つというか。
その欧米人を見に、インド人がヤシの木陰にくる・・・っていう噂もあったが確認は出来なかった。 -
当時は途中で会うバックパッカーとの情報交換は重要だった。ネットはもちろん「地球の歩き方」も無いからね。
ヒッカドゥワで無料で泊れるで、て教わったところに行ったら、本当に無料だった。ただし、有料ご飯を食べるのが条件。そのご飯が素朴なスリランカ定食なので、3食付きで500円って感じ。 -
ヒッカドゥワでは何もしないで時間が過ぎて行った。
ロンドンを出発して3か月、1泊2日・2泊3日を基本にジタバタ旅を続けて来たが、ここでは本当にゆっくり出来た。
私はせっかちなのか、ゆっくり旅やリゾートでのんびり、が出来ない。今までの旅の中で「本当にのんびり出来た」のは、このヒッカドゥワとポカラ・ムアンゴイくらいしか思い出せない。
ただ、ここで充電しちまったので妙に元気になって、またまた道を踏み外す。 -
当時のヒッカドゥワは本当に素朴で
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村に住んで、村の海岸で村人と遊ぶ…って感じ。
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宿のオヤジに葬式に付き合わされた。
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サンゴ礁もあるし、村人は親切だし、物価は安いし・・・こんないいところなのに外国人旅行者は20人くらいしか居ないし。
再訪すると、絶対にがっかりするので二度と行くことは無い。ラオスのムアンゴイも同じ。 -
ヒッカドウワには1週間ほどいて、ここまでの旅の疲れを癒した。
ここの宿に泊まってた欧米人から、ちょっと南に行ったところから、スリランカで一番高い山、スリーパダに登れるって聞いてしまった。
何でも大昔、仏陀が舞い降りた時の足跡が残ってるから、仏足山とも言うらしい。何故かキリスト教やイスラム教の聖者も降り立った記録があるとか。
そりゃ登っておかないとバチが当たるで -
1週間ぶりでバスに乗って、ラトナプラに向かう。
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スリランカは宝石で有名だが、ここラトナプラは特に鉱山が多く、町の中は宝石店や原石を鑑定する人たちで賑わっていた。
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さらにバスを乗り換えて悪路を行った先の「カーニー」という村に登山口があり
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そこで泊った。
小さな村っていうか集落で、唯一の食堂の2階に小さな部屋が4つあった。 -
珍しく夕飯の写真を撮ってあった・・・あ~肉食べたい!
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翌日は8時間掛かって、スリーパダに登った。ジャングルの中の登山道で、誰も登ってなくて心細かった上に、10か所くらいヒルに食われた。
後で聞いたら、本来の登山道は反対側にあって、店や宿もあって良く整備されてるとのことだった。しかも2-3時間で登れるという。ヒッカドゥワのガイジン、ウソ教えやがったな~ -
山頂のお寺に泊まって、翌朝、反対側に降りた・・・ここにワナが待っていた!
その件に関してはここに書いてあるが、私の人生の中でも何番目かに衝撃的な体験だったし、その後の旅行や人生に大きな影響があった事件なので、読んでやって欲しい。
https://4travel.jp/travelogue/11213972
でね、読んでくれたら、↑に「いいね」をして欲しい。こういうのって何人くらいが「誘導されて」読んでくれるのかが興味深いです。 -
この写真は1990年頃なのだが、その時に世話になってしまったお坊さんと、モスクワ空港で会ってしまった。この手のヒトっちって、やたら何処でも「なんみょーほれんげきょー」って太鼓叩いて挨拶するじゃん。野球部みたいに、街中で会っても!
モスクワ空港で太鼓叩かれちまったぜ!
ほいみさん面白い方だから日本に帰ったら会いに行っていいですか? って聞かれたら「ヤダ・・」とは言えないじゃんね。
でね、何か月か後、忘れてくれたか?と油断してたら、近所のセブンから電話が掛かって来て迎えにいったさ。今度はセブンの駐車場で太鼓叩かれちまったぜ。
家の前で「太鼓叩く」のは辞めて欲しかったけどね。 -
そういうわけでスリランカには40日以上いたが、観光は殆どしてない。
再びフェリーでインドに戻り、マドライに寄ってから、マドラス(今のチェンナイ)に向かった。 -
この辺りも幾つかの街を観光したと思うのだが、写真も思い出も残ってない。
-
なかなか立派な寺院だよね。
平和なスリランカからインドに戻ると「あたま来るな~・・」の毎日だけど、それを楽しめる様になっていた・・・のかもしれない。 -
チェンナイのホテルは都会の牧場の傍だった。
今度こそ本気で日本に帰らなくっちゃ・・・と思い、他にも行きたいところがあったがチェンナイからカルカッタに直行するインド国鉄自慢の特急に乗った。1400㎞30時間以上掛かったかと思う。
で、今はどうよって検索したら、な~んと11時間で走るってあったけど、マジ?
成田→ドバイ位じゃん・・・飛行機よりは楽しそうだし。久しぶりにインドに行ってみようかなぁ。 -
3月6日、カルカッタ(コルカタ)に着いた。
当然、サダルストリートのパラゴンロッジのドミトリーに泊まる・・・今になって思い出すと、あれは監獄だね。 -
コルカタの駅に繋がる巨大なハウラー橋。
この頃は通行してるのが、大量の荷物を持ったポーターと人力車ばっかし。 -
路上生活者はいたるところに溢れていたし、道路に倒れて動かないヒトも何人も見た。パキスタンからここまで、途上国の雑踏を歩き貧困を見て来たが、カルカッタに着いたら白黒画面が総天然色に代わった衝撃があった。
ここまでのインドはなんだったんだ? やばい、まだ日本には帰れないかもしれない・・・そんな予感がした。
私がマザーテレサを知ったのは、更に数年後だった。この後、1998年と2013年に再訪している。当然、街は整備され発展して死体が転がってる…なんてことは有り得ないが、あのエネルギー感は相変わらずだった。
今はどうなってるんだろうね。 -
オムレツをパンに挟むこれが美味いんだな~・・・朝ご飯はいつもこれ!
12-13年前のインドで撮った動画なんだけど、インドの路上オムレツはこんな感じです。
https://youtu.be/zCkLP1x4qyw?si=cSEpWXuQYw1b6yXt
本来なら、下の2枚は最終回の「カルカッタ→カトマンズ(トレッキング)→バラナシ→カルカッタ→バンコク→日本」に載せようと思っていた重要案件なのだが、その間の写真が行方不明なのと、何があっても不思議なじゃないお年頃になったので、天国で後悔しない様にここにアップしておきます。 -
もう時効と思われるので、ナイショで懺悔しておく。
この2枚の国際学生証は、どちらも偽物。
当時のヨーロッパではちょっとした交通機関は半額、博物館の類は10分の1、YHなどの宿泊費も割引があった。当時の入手方法は書かないが、ヒッチハイクや野宿してれば自然に売り手と遭遇して5ドルくらいで入手出来た。
上の出来の悪い学生証は「何でも手に入る」カルカッタで10$で買った。せっかくだから東京大学にして貰った。ひと目で偽物と分かるが、どういう理由か国際線が1回限り半額になったのだ。怪し過ぎる話なので、その仕組みを知りたい方がいたらコメント欄に書きます。
そう言えば隣町の市長が学歴詐称で免職?となった。もし私が立候補する時には広島大学卒・東大卒・・・どっちにしようかな。
で、バンコクに半額で飛んで、日本までの格安チケットを購入して帰国した。横浜をナホトカ号で出発して、約1年が経過していた。
当時、そんな旅をすると幾ら掛ったんだ? って興味深くない?
アルバイトで貯めた70万円くらいをドルに両替。当時、1ドルが306円だったかな? しかも3000$持ち出し制限があったけど、2200$くらいだから余裕!
横浜からモスクワ→ソフィアまでは、交通機関他を予約して、当時のソ連国営の日ソ・ツーリストに先払い。それが14万円くらいだったと思う。それと2か月のユーレイルパス。旅立ちの日!に母が餞別に10万円くれた。
これで100万円くらい?
とりあえずヨーロッパを目指したが、何処へ行こうとかは考えてなかった。
ヨーロッパをYHや野宿で回って、ロンドンから北アフリカやアジアを目指したくなって、親父に電話したら
「たぶん、良いことだろうから・・・」
と、1000US$を東京銀行に送金してくれた。
この1000ドルが無かったら、ヨーロッパから素直に帰国してたかも。そして多分、人生はつまんない方向に変わっていたと思う。
ロンドンからカルカッタまで、ちょうど1000$くらい掛かったのかな。帰国した時には200$くらい余ってた。当時のアジア横断?バックパッカーとしては比較的余裕があった方だと思うが、地元民用?の安宿と食堂のみ、鉄道もバスも2等、まだ依存症じゃなかったので酒は殆ど飲まなかった。
カードは無かったし、トラベラーズチェックは不便だし、現金を体に巻いてた。どんな貧乏なバックパッカーでも、給与が1日1ドルの国々を行くのだから、狙われるのは当たり前。
お金とパスポートの管理でマジ疲れる。
旅行保険なんて知らなかったし、予防接種も種痘とコレラだけ。日本への国際電話が3分で何千円もした。 -
そうだ、前回、アグラで意を決して買った大理石の皿だが、何年も壁に掛けてあったのに、突然落ちて来て(ひもが劣化してた)割れてしまった。私より年寄りで?ずっと大切にしていたニッパー君も巻き込まれて粉々。
老人ホームに入ったら、接着剤で修復?する予定・・・金継ぎを習おうか!
あ、インド沼の底には竜宮城がある…ってウソだからね。さっき私が思い付いた「私がインド観光局にプレゼントしたい」キャッチコピーだよ。
本当に竜宮城がありそうなんだけど、行った人が戻って来ないらしいよ。
今回も無駄に長く、説明や言い訳も多い。
取りあえずアップして、後で添削します。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- gontaraさん 2026/02/10 21:54:27
- この頃から
- 各国を放浪されてたのですね。
筋金入りのバックパッカー?
この行が良いなぁ
「当時は南京虫がいる様なホテルなら100円で泊れた。1000円出せば南京虫が居ないかといえば、そんなことも無いだろうことは想像が着く様になっていた。
現実的には300円以上の宿には泊ることが無かったので、本当のことは知らない。」
この世界を旅されていたという、尊敬に値しますね。
いつかはこんな旅をしてみたいなんて思っても、もう絶対無理です。
気持ちが・・・
そう、エローラ未訪です。
行ってみたいな他所の国!
GONTARA
- ほいみさん からの返信 2026/02/10 22:49:24
- Re: この頃から
- こんばんは、何時もコメントをありがとうございます。
当時はケータイもネットも無いから予約が要らなかったし、何でも現金決済・・・私でも出来ました。
南京虫は痒いですよ~・・・今みたいに効果的なかゆみ止めも無かったので、特に白人は短パンなので、ぼりぼり血を流してました。宿だけじゃなくって、バスや列車もやばかったです。
来月はちょこっとパックツアーで中国に行って来ます。今はそういう旅行が好きです。細かい予約要らないし!
ほいみ
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