2026/01/12 - 2026/01/12
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二十五日目。
午後1時10分、尼崎寺町を出発。城下町の道を桝形に沿って進み、戎橋を渡って葭島築地町に入り、大黒橋を渡って進路を北に変え、大物、尼崎道標を経て神崎の渡しから神崎橋で神崎川を渡り、香具波志神社で小休止。
給水、体操後、十三の渡しから十三大橋で淀川を渡り、中津、梅田、綱敷天神社を経て、難波橋で中之島を越え、五代友厚の銅像が建つ大阪取引所を過ぎると中国街道の終点、高麗橋である。
高麗橋からは上町台地に至る坂を上り、北大江公園を右折するとここからは暗越奈良街道である。太閤下水、二軒茶屋、今里と進み、近畿自動車道の高架をくぐると前方には生駒山が全容を現し、花園ラグビー場を横目に旧道に入ると松原宿である。
給水後、鍵の手となった道を進み、これが終わると暗峠への上り道が始まる。近鉄奈良線のガードをくぐり、右折して街道を外れ平坦になった道を進み枚岡神社の石鳥居に到着。今日はここで止まることとする。本日の走行距離、七里十七町也。
神社のトイレで着替えた後、近鉄奈良線の踏切を渡って「たこやす」さんへ。カウンター席で常連客の皆さんの輪に混ぜてもらい、楽しいおしゃべりを聞きながらビールを飲み、おでんと餃子、キャベツ焼をいただき二十五日目を締めくくったのでした。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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なんばグランド花月
今日は新大阪から難波に行き、なんばグランド花月で吉本の本公演を見てから尼崎に向いました。なんばグランド花月、満席で立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。漫才は一流芸人さんたちが登場。また、生まれて初めて見る生新喜劇。大いに笑わせていただきました。なんばグランド花月 名所・史跡
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阪神電車尼崎駅
駅前の昭和大典記念時計塔の横には昭和初期の室戸台風の際、最高水位が5m10cmにも達したことが分かる標識があります。高潮の影響かと思われますが思わず見上げてしまうほどの高さでした。尼崎駅 (阪神) 駅
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開明中公園
小学校の跡地を利用した公園です。尼崎市役所の開明庁舎として校舎の建物をそのまま使っています。小学校の校舎でそのまま市役所の業務をやるのも珍しいなと思って帰宅後調べてみると建物が国登録有形文化財になっているそうです。歩道沿いにある塀には太平洋戦争中の機銃掃射による弾痕が残っています。 -
中国街道大黒橋跡の石碑
尼崎城下の中国街道は、外堀に沿う形で戎橋から葭島(よしじま)築地町に入り、大黒橋を渡って大物(だいもつ)に入ります。現在の橋は人が通るのがやっとなので往時より狭いかもしれません。 -
尼崎の道標
文化5年(1808年)に建てられた石碑で、当時はT字路になっていたのでしょうか、尼崎・大坂、大坂・京、伊丹・有馬の3方向の行先を案内しています。尼崎・大坂の案内は、尼崎から尼崎街道で大坂に向う道を案内しているものと思われます。 -
中国街道の石碑
住宅街の中に突如「中国街道」と彫られた石碑が現れます。かなり新しい石碑です。 -
神崎橋から見た神崎川
写真左手に見える岸辺に神崎の渡しの渡し場があったようで、そこで有馬道と西国街道は分かれていたようです。西国街道郡山宿手前で渡った勝尾寺川、昆陽宿手前で渡った猪名川はいずれも神崎川に合流しています。 -
十三の渡し
十三側はここから渡っていたようです。対岸の中津側は淀川改修で川底になってしまい痕跡は残っていません。 -
十三大橋から見た淀川
かつての淀川はこんなに川幅が広く真っ直ぐな川ではなかったようですが、明治後期の改良工事で現在のような真っ直ぐな川の流れになったようです。関東の荒川も同時期に同じような改良工事が行われています。十三大橋 名所・史跡
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綱敷天神社
大阪駅が開通するまでこの辺りは鄙びた地域だったようで、天神社が街の中心的は存在だったようですが、今は逆に繁華街の一角にひっそり佇んでいるような雰囲気になっています。綱敷天神社 御本社 寺・神社・教会
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難波(なにわ)橋
徳川の御代は現在の伊勢町筋と藤中橋筋の間に架かっていたようですが、大正時代に市電を通すため現在の場所に移し立派な橋になったとのことです。写真にあるようにライオン像があることから「ライオン橋」という愛称もあるようです。難波橋(ライオン橋) 名所・史跡
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中之島公園
中之島は中洲の島で難波橋の東側には写真にあるバラ園で有名な中之島公園があります。また、反対の西側には国の重要文化財となっている大阪市中央公会堂などがあります。中之島公園 公園・植物園
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大阪取引所
徳川の御代の米穀取引所が起源で明治に入ると五代友厚らが発起人となって大阪株式取引所が設立され、平成26年(2014年)に大阪取引所に名称が変更されます。五代友厚の銅像は、平成16年(2004年)新ビル完成時に除幕されたものなのだそうです。大阪取引所 名所・史跡
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高麗橋
中国街道の終点であると同時に東海道五十七次の始点でもある高麗橋。徳川の御代はここが大坂の中心でしたが、明治に入り大阪駅が開業すると中心は梅田に移り、昭和40年(1965年)に阪神高速道路が開通すると橋はその下を通る格好となってしまいます。江戸の日本橋と状況が良く似ていますが、東海道の起点と終点がともに高速道路の下にあるというのも何か寂しいものを感じます。高麗橋 名所・史跡
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太閤下水
名前からすると豊臣秀吉が造った下水のように思えますが、今利用されている下水は徳川の御代に造られたもののようです。とはいえ、徳川の御代に造られた下水道が現役で機能している例は他都市にはないようで大阪市ではこれを文化財に指定しています。太閤下水 名所・史跡
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玉造名所 二軒茶屋・石橋跡
徳川の御代、玉造は暗越奈良街道の起点でした。「つる屋」と「ます屋」の二軒の茶屋があったことから二軒茶屋と呼ばれ、往時はここに流れていた猫間川に架けられた橋が当時では珍しい石で造られた橋であったことから通称「石橋」と呼ばれていました。昭和5年(1930年)に建立された写真右側の石碑は、廃橋となった石橋の一部で造られているのだそうです。 -
今里の暗越奈良街道の碑
松尾芭蕉も通り、最盛期は1日7万人もの人が伊勢を目指して通ったという暗越(くらがりごえ)奈良街道。旧道のあちらこちらに石碑が建っています。この今里は石碑のほか現代的な看板も建っています。 -
暗越奈良街道 松原宿
徳川の御代、街道唯一の宿場として設けられた松原宿。道は鍵の手となっており、宿場町らしい街の造りとなっています。 -
松原宿の道標
この街道が大坂と奈良、伊勢をつないでいることを案内しています。徳川の御代に建てられた石碑のようです。 -
枚岡(ひらおか)神社の石鳥居
皇紀2600年を記念して昭和15年(1940年)に建造された鳥居で、近鉄奈良線と平行して走っている道路にあります。 -
たこやす
午後5時30分過ぎに訪問。席はカウンターだけで、すでに常連と思われるお客さんで半分以上が埋まっていましたが一つ席を空けてもらい着席。おでんは意外にも関東風でした。サービスで出していただいた餃子を二切れいただき、キャベツ焼を注文。広島焼風のお好み焼きでしたが、これがうまい!電車の時間があったのでハーフにしましたが後悔するくらいでした。ビールは中ビンで2本飲みましたが、これで何とお会計は1,650円。破格の安さです。
本来はたこ焼き屋さんなので、たこ焼きには自信があるとのことでした。次は是非たこ焼きを食べに来たいところです。たこやす グルメ・レストラン
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近鉄奈良線枚岡駅
上下ホームのそれぞれに改札口があります。無人駅でした。枚岡駅 駅
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