2025/12/05 - 2025/12/05
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杏仁豆腐さん
東京ビエンナーレは、東京のまちに国内外から多様なアーティストやクリエイターが集結し、まちに深く入り込み、地域の方々と一緒に作り上げていく、2年に1度の国際芸術祭です。
3回目の今回は「いっしょに散歩しませんか?」をテーマに、まちを歩く芸術祭としての魅力を探究しました。
東京の北東に位置する千代田区、中央区、文京区、台東区にある複数の施設や公共空間で開催されました。エトワール海渡リビング館、東叡山 寛永寺の2つの拠点展示会場(有料)を中心に、それぞれの歴史や文化を持つ6エリア(無料)で、展示やイベントが開催されました。
東叡山 寛永寺に予約して、出かけました。
この日のもう一つの目的は、東京大学本郷キャンパスで銀杏を見ることです。東大のきれいな銀杏を見に、観光客も多くいました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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入谷駅で下車し、まず小野照崎神社へ。
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852年に上野照埼の地に創建。
江戸時代、寛永寺の建立とともに現在の地へと移りました。ご祭神は、平安初期に実在した政治家であり「学問、芸能、仕事の神様」である小野篁です。 -
きれいな銀杏です。
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織姫神社・稲荷神社は、銀杏の黄色に包まれています。
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「強烈な努力」と浮き彫りにされた記念碑があります。
名誉棋聖・藤沢秀行(1925~2009)の絶筆です。 -
渥美清氏が無名だった頃、「煙草を断つので役を下さい」と願掛けをしたところ、その直後に映画「男はつらいよ」シリーズの主役に抜擢されたという逸話は、有名です。
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寛永寺に来ました。
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根本中堂の屋根には、葵の御紋が見えます。
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獅子が彫刻されています。
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根本中堂の境内は晩秋の風景に包まれています。
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晩秋の色です。
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六地蔵
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銅鐘
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国際芸術祭「東京ビエンナーレ2025」(10月17日~12月14日に開催)。
日本と海外あわせて38組のアーティストが参加しました。第3回となる今回は、「いっしょに散歩しませんか?」をテーマに、東京のまちを舞台にした“さんぽ”を通してアートと出会う体験を提示しています。 -
寛永寺根本中堂のこちらが入口です。
ここから中は、撮影禁止です。
藤原信幸:ガラスを使って自然を表現する「植物のかたち」
貴賓室に展示されていました。
小瀬村真美:風景畫ー葵の間、東叡山寛永寺
葵の間(廊下)に展示されていました。
森 淳一:星翳
渋沢家霊堂前庭に展示されていました。 -
黒川岳:石を聴く
一見すると大きな石塊に見える作品《石を聴く》には、頭が入るくらいのサイズの穴があります。そっと頭を入れてみると、風の音、周囲の声や音など、環境が奏でる音が響いています。それは作品の置かれた場所や状況によっても変わってくるということです。 -
外部からの鑑賞のみが許されることの多い彫刻作品が、鑑賞者がその内部でじっと耳を澄ませる作品にもなります。
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鈴木昭男:「点 音(おとだて)」
鈴木昭男は、1960年代より、音と場の関わり方を探求する姿勢によって、「自修イベント」やパフォーマンス、インスタレーションなどを国内外で展開してきました。今回は、鈴木の幅広い活動の中でも特に「聴く」ことにフォーカスした代表的なプロジェクト「点 音(o to da te)」を、都内 6か所(16ポイント)で実施しました。 -
「点 音」は、茶の湯の野点(屋外で行う茶会)のように、参加者が定められた場所(ポイント)で風景を感じながら耳を澄まして感覚を開くプロジェクトです。
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鈴木昭男が自らまちなかを探索して、ユニークな環境音や反響音が聴ける場所を探し出したものです。
歴史ある寺院の境内にある老樹に向き合うものです。 -
渋沢家霊堂は、渋沢栄一が前妻の17回忌にあわせて建設したと伝わります。その前庭では、森淳一が彫刻シリーズ「星翳」の最新作を発表しました。
床の間のある貴賓室では、藤原信幸による繊細かつダイナミックなガラス造形作品が展示されました。 -
徳川慶喜は後年、西洋画を描いていました。葵の間(廊下)には、油彩画《西洋風景》(1887~97)の複製がここには掛けられてあり、本作と同時期に描かれた《日本風景》(1870頃)を手がかりに、小瀬村真美は写真作品《風景畫-葵の間、東叡山寛永寺》を制作しました。
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根本中堂の周りの紅葉もきれいです。
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10月に、根本中堂の天井に奉納される大作天井絵「叡嶽双龍」見に来たばかりです。
東叡山寛永寺根本中堂奉納天井絵《叡嶽双龍》☆イリヤプラスカフェ☆2025/10/15
https://4travel.jp/travelogue/12011032 -
寺院と紅葉はよく似合います。
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秋の癒される風景
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天気もいいので、気持ち良い秋の一日です。
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根本中堂の前にある浄名院に寄ります。
天台宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。 -
浄名院は、寛文6年(1666)、上野寛永寺36坊のひとつとして開かれました。
寛文6年(1666年)に開創され、四代将軍徳川家綱公の母・宝樹院の菩提所として栄えました。ぜんそく・病気平癒を祈願する「へちま加持祈祷会」で全国的に知られており、別名「へちま寺」とも呼ばれています。 -
伏見稲荷大明神
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八万四千体地蔵
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「八万四千体地蔵」の寺と言われているのは、1879年(明治12年)に当院第38世住職妙運大和尚が84,000体の地蔵菩薩像の建立を発願したのが起源だそうです。
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境内のいたる所に、お地蔵さん、お地蔵さん、お地蔵さんです。
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江戸六地蔵
江戸深川の地蔵坊正元という僧侶が24歳の若さで大病を患い、両親と一緒にお地蔵さまに当病平癒祈願すると全快しました。
恩返しに浄財を募り、江戸六街道の入り口に金銅丈六の地蔵尊を建立して道行く人々の安全と御府内の疫病払いを祈願しました。それが、江戸六地蔵尊です。
6番地蔵は江戸六地蔵尊建立の発願より14年後の享保5年(1720)、深川永代寺に建立されましたが、明治初年の神仏分離令で永代寺が廃寺になると6番地蔵は破壊されてしまいました。
明治39年(1906)、戦歿者慰霊という新たな目的を結びつける地蔵尊として浄名院に江戸地蔵尊6番地蔵の代仏が建立されました。 -
御菓子司 喜久月
大正6年創業です。 -
俳人の中村汀女は「伝統の銘菓句集」で「豊後ぞと実梅は太し菓子ほどに」とあを梅の詩を詠んでいます。
昭和4年から10年に渡って上野桜木町に住んでいた川端康成も、あを梅を愛していいました。奥さんの川端秀子がよく買いに来たそうです。 -
あを梅とゆず餅を購入。
あを梅は、春浅いころに花を咲かせた梅が、初夏ともなれば青い玉のような果実を実らせます。あを梅はそんな青い梅の実に似せた小さな、かわいらしいお菓子です。一口で食べられるぎゅうひの皮に包まれた後味さわやかな、みそあんの風味です。
ゆず餅は、寒晒白玉粉の中に細かくした柚子の砂糖づけを入れて、入念に練り上げています。柔らかいぎゅうひの上品な甘さと、噛むと淡く香る柚子の優しい香りが特徴です。 -
根津駅近くのDOWNTOWN B's 根津店でランチです。
『トリップアドバイザー』のインド料理部門において、東京1位の評価を受けるDOWNTOWN B'sの2号店だそうです。 -
ビリヤニランチをいただきました。
ビリヤニ(バスマティライス使用)・好きなカレー1種類・サラダ・ドリンク付き -
ビリアニは、壺に入っていて、最後まで熱々をいただけます。
ビリアニはマトンをチョイス。カレーはキーマをチョイス。
ドリンクはラッシー。
両隣の人たちもビリアニを食べていました。 -
大黒屋です。
大正4年創業の老舗せんべい店です。 -
香り豊かな本醸醤油、紀州備長炭を使用し、一枚一枚丁寧に焼いています。
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店には大黒様
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炭火手焼 醤油を購入しました。
手焼きの味わい、炭火の香ばしさ、美味しい煎餅です。 -
東京大学構内に入りました。
銀杏の絨毯です。 -
農学部の正門(農正門)から入ります。
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見事な銀杏です。
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東大生より、観光客の方が多そうです。
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上野教授とハチ公像
ハチ公の飼い主で東京帝国大学教授だった上野英三郎博士とハチ公が再会し、ハチ公が飛びつく姿を再現した銅像です。 -
2号館
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1号館は黄色の絨毯です。
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きれいな黄色の風景
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東京大学農学資料館に入ります。
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農学生命科学研究科所蔵の貴重な資料を展示しています。
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ハチ公の飼い主で有名な上野先生の胸像
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忠犬ハチ公の臓器
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東大正門に来ました。
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東大銀杏並木通り
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法文2号館
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安田講堂が見えます。
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安田財閥の創始者・安田善次郎の匿名を条件での寄付により建設されましたが、安田の死後に寄付を行っていたことが知られるようになったことで安田を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになりました。
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展示スペース「文学部の扉」
法文2号館の中にあります。
この扉は、数十年ぶりに開けることになりました。 -
ここでは研究科で行われてきた教育・研究を、学内外に向けて発信・共有・交流する場として設置しました。
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「旅する文学部ーとき・ところ・かたちのアトラー」を開催中
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東京帝国大学の第3代と8代総長、文部大臣も歴任した濱尾新の像。
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育徳園心字池 (三四郎池)です。
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この地は、大坂役の後、前田利常が徳川将軍から賜ったものです。
前田氏はしばらくこの地を放置していましたが、寛永6年徳川秀忠、家光があいついでこの邸に臨んだ時、殿閣を新たに修築し、庭園もそれとともに築設されました。その後、寛永15年将軍家光の再度の臨邸にあたって大築造を施しました。
前田利常は、その後さらに庭園に修築を加えていきました。利常の死後、前田綱紀がこれに補修を加え、ここに至って初めて庭園の完成を見ます。
育徳園と命名したのは綱紀です。 -
池は形が「心」という字をかたどっていることから心字池と言われています。
しかし,明治の東京大学を今に伝える夏目漱石の『三四郎』により「三四郎池」と呼ばれるようになりました。 -
三四郎坂です。
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空に広がる黄色
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医学部薬局の基礎
このレンガ積 は明治45年(1912)までに建設された旧帝大医学部薬局の基礎で、2002年の薬学系総合研究棟の発掘調査で出土したものです。。 -
伝アインシュタイン・エレベーターの昇降装置(1926年3月竣工)
アルベルト・アインシュタインが乗ったとされる理学部旧一号館のエレベーターの昇降装置です。
理学部旧一号館の着工はアインシュタイン 来日(1922年)よりも後のことであり、この昇降機が「アインシュタイン・エレベーター」と伝えられてきた理由はさだかではないそうです。 -
沖ノ鳥島サンゴ礁岩塊
この岩塊は東京の南方1740km、日本の最南端の孤島、沖ノ鳥島 から採取された同島サンゴ礁の一部です。同島保全検討のために国土交通省京浜河川事務所が2007年に採取し、調査を行った後、東京大学総合研究博物館に寄贈されました。 -
東京大学総合研究博物館に入ります。
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東京大学総合研究博物館は、学内共同利用施設の一号機関として設置された総合研究資 料館の改組拡充により、1996年春に国内で最初の教育研究型ユニヴァーシティ・ ミュージアムとして誕生しました。
ウマ、アルパカ、ウシ -
フィリピンヒヨケザル骨格
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バビルサ頭骨
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ポリコティル科(Polycotylidae)の右前肢
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化石や標本、鉱石など興味深い展示が並びます。
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知の宝庫です。
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赤門は、耐震改修工事のため閉鎖されています。
工事期間は2027年9月頃の完了予定で、工事中は仮囲いに覆われて見えなくなっています。 -
東京大学か湯島方面に春日通りを歩きます。
富士浅間神社(本富士) -
東京大学本郷キャンパスがある場所はかつて、加賀藩の上屋敷でした。
その敷地内に椿山と呼ばれる小さな丘があり、富士山とも呼ばれ、富士浅間神社が祀られていたそうです。
駒込にある富士神社は、こちらから勧請したため、この地を「本富士町」としていました。 -
麟祥院の前を通過。
春日局銅像があります。
千代田線湯島駅まで歩きました。
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