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五浦観光ホテル別館大観荘に宿泊し、翌朝は日の出を眺め、露天風呂からの朝の景色も楽しみました。露天風呂では、皆さん東の方角に向かい、湯に浸かっていました。<br />2日目は、六角堂を見てから、車を走らせて佐原へ。「小江戸さわら舟めぐり」で佐原の街並みを眺め、伊能忠敬記念館を見学。そして、鹿島神宮。<br />北茨城から千葉、そして茨城と巡りました。<br /><br />晩秋の北茨城・佐原・鹿島(前半)☆袋田の滝・花貫渓谷・五浦☆2025/11/28<br />https://4travel.jp/travelogue/12020137

晩秋の北茨城・佐原・鹿島(後半)☆佐原・鹿島神宮☆2025/11/29

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2025/11/28 - 2025/11/29

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杏仁豆腐

杏仁豆腐さん

五浦観光ホテル別館大観荘に宿泊し、翌朝は日の出を眺め、露天風呂からの朝の景色も楽しみました。露天風呂では、皆さん東の方角に向かい、湯に浸かっていました。
2日目は、六角堂を見てから、車を走らせて佐原へ。「小江戸さわら舟めぐり」で佐原の街並みを眺め、伊能忠敬記念館を見学。そして、鹿島神宮。
北茨城から千葉、そして茨城と巡りました。

晩秋の北茨城・佐原・鹿島(前半)☆袋田の滝・花貫渓谷・五浦☆2025/11/28
https://4travel.jp/travelogue/12020137

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車
  •  五浦観光ホテル別館大観荘の9階からの風景。<br />太平洋から日が昇ります。

    五浦観光ホテル別館大観荘の9階からの風景。
    太平洋から日が昇ります。

  • 太陽が顔を出しました。

    太陽が顔を出しました。

  • 部屋から日の出を見ることができるのは、貴重です。

    部屋から日の出を見ることができるのは、貴重です。

  • 明るくなり、六角堂も見えます。

    明るくなり、六角堂も見えます。

  • 太陽も徐々に高くなってきました。

    太陽も徐々に高くなってきました。

  • 朝風呂に行きます。<br />長い廊下を歩きます。

    朝風呂に行きます。
    長い廊下を歩きます。

  • 朝風呂は、露天風呂から朝日を見る人たちがいました。<br />気持ちの良い朝風呂です。

    朝風呂は、露天風呂から朝日を見る人たちがいました。
    気持ちの良い朝風呂です。

  • ロビーからの風景

    ロビーからの風景

  • 朝食は6階で。<br />ご飯は、わかめご飯と白米が選べます。<br />茨城は、やはり納豆!

    朝食は6階で。
    ご飯は、わかめご飯と白米が選べます。
    茨城は、やはり納豆!

  • 朝食後に屋上に行きました。<br />屋上からの眺めも素晴らしいです。

    朝食後に屋上に行きました。
    屋上からの眺めも素晴らしいです。

  • 五浦海岸がよく見えます。

    五浦海岸がよく見えます。

  • 朝のすがすがしい空気が気持ちいいです。

    朝のすがすがしい空気が気持ちいいです。

  • チェックアウトを済ませ、歩いて近くにある天心記念館を見物します。<br />黄門の井戸です。<br />昔、黄門様がこの井戸を訪れた時、水が無かったため、井戸の側面を杖か棒で叩いたら水が出てきたとか。

    チェックアウトを済ませ、歩いて近くにある天心記念館を見物します。
    黄門の井戸です。
    昔、黄門様がこの井戸を訪れた時、水が無かったため、井戸の側面を杖か棒で叩いたら水が出てきたとか。

  • 岡倉天心の墓があります。<br />岡倉天心の墓は駒込の染井墓地にあり、こちらは遺言により分骨されたお墓です。

    岡倉天心の墓があります。
    岡倉天心の墓は駒込の染井墓地にあり、こちらは遺言により分骨されたお墓です。

  • もし碑をたてねばならぬとなら、<br />いささかの水仙と、<br />たぐいまれな芳香を放つ一本の梅を、<br />さいわいにして、<br />はるか遠い日、<br />海もほのかに白む一夜、<br />甘美な月の光をふむ、<br />あのひとの足音の聞こえることもあるだろう<br /><br />    岡倉天心「戒告」より

    もし碑をたてねばならぬとなら、
    いささかの水仙と、
    たぐいまれな芳香を放つ一本の梅を、
    さいわいにして、
    はるか遠い日、
    海もほのかに白む一夜、
    甘美な月の光をふむ、
    あのひとの足音の聞こえることもあるだろう

        岡倉天心「戒告」より

  • 岡倉天心旧宅庭園及び大五浦・小五浦/六角堂です。<br />長屋門が受付になっています。旧岡倉天心邸の長屋門です。

    岡倉天心旧宅庭園及び大五浦・小五浦/六角堂です。
    長屋門が受付になっています。旧岡倉天心邸の長屋門です。

  • 天心記念館<br />平櫛田中(ひらくしでんちゅう)から「五浦釣人像」の寄贈を受け、それを機に昭和38年に建設されました。

    天心記念館
    平櫛田中(ひらくしでんちゅう)から「五浦釣人像」の寄贈を受け、それを機に昭和38年に建設されました。

  • ウォーナー像

    ウォーナー像

  • ウォーナー(Langdon Warner)は、フォッグ美術館東洋部長としてしばしば、日本を訪れ、古美術研究や作品収集に尽力しました。<br />太平洋戦争中、日本の重要文化財を網羅した「ウォーナー・リスト」を提出し、リストが奈良、京都などの文化財を後世に伝える重要性を説き、古都を戦火から救いました。。<br />その功績を讃えるため、日立製作所から胸像建設の動きが起こり、浄財も集まって昭和45年にウォーナー博士功績顕彰会が建立。<br />像は、平櫛田中の制作です。

    ウォーナー(Langdon Warner)は、フォッグ美術館東洋部長としてしばしば、日本を訪れ、古美術研究や作品収集に尽力しました。
    太平洋戦争中、日本の重要文化財を網羅した「ウォーナー・リスト」を提出し、リストが奈良、京都などの文化財を後世に伝える重要性を説き、古都を戦火から救いました。。
    その功績を讃えるため、日立製作所から胸像建設の動きが起こり、浄財も集まって昭和45年にウォーナー博士功績顕彰会が建立。
    像は、平櫛田中の制作です。

  • 天心邸です。

    天心邸です。

  • 太平洋が開ける平地に天心邸は建ちます。<br />元々この地には「観浦楼」という割烹があったそうです。その部材を使って天心が設計し、地元の棟梁・小倉源蔵により手がけられました。

    太平洋が開ける平地に天心邸は建ちます。
    元々この地には「観浦楼」という割烹があったそうです。その部材を使って天心が設計し、地元の棟梁・小倉源蔵により手がけられました。

  • 六角堂用丸太底部が展示されています。

    六角堂用丸太底部が展示されています。

  • 亜細亜ハ一な里石碑<br />岡倉天心の横顔が刻まれています。<br />「亜細亜は1つなり」です。石碑の文字は横山大観のものです。

    亜細亜ハ一な里石碑
    岡倉天心の横顔が刻まれています。
    「亜細亜は1つなり」です。石碑の文字は横山大観のものです。

  • 東日本大震災の津波の被害の解説パネルパネルの横の縦棒に津波到達点の赤い文字があります。津波がいかに高かったのか知ることが出来ます。

    東日本大震災の津波の被害の解説パネルパネルの横の縦棒に津波到達点の赤い文字があります。津波がいかに高かったのか知ることが出来ます。

  • 六角堂に向かう途中、雪見灯籠が見えます。

    六角堂に向かう途中、雪見灯籠が見えます。

  • 風光明媚な海岸です。

    風光明媚な海岸です。

  • 六角堂の屋根が見えます。

    六角堂の屋根が見えます。

  • 六角堂です。<br />庭園から海に突き出た岩場の上に建つ、べんがら色のちょっとオリエンタルな雰囲気の建築です。

    六角堂です。
    庭園から海に突き出た岩場の上に建つ、べんがら色のちょっとオリエンタルな雰囲気の建築です。

  • 仏堂の様な見た目で、四畳半ほどの広さの茶室の様な機能性もあり天心はこの場所で時に瞑想に耽っていたそうです。

    仏堂の様な見た目で、四畳半ほどの広さの茶室の様な機能性もあり天心はこの場所で時に瞑想に耽っていたそうです。

  • ここからは、雪見灯籠も近くに見えます。

    ここからは、雪見灯籠も近くに見えます。

  • 宿泊した、五浦観光ホテル 別館 大観荘が見えます。

    宿泊した、五浦観光ホテル 別館 大観荘が見えます。

  • 海岸近くで見ると、波も力強いです。

    海岸近くで見ると、波も力強いです。

  • 天気も良く、きれいな青空です。

    天気も良く、きれいな青空です。

  • 風呂跡<br />明治40年に、離れの建設直前に風呂場を設置したそうです。

    風呂跡
    明治40年に、離れの建設直前に風呂場を設置したそうです。

  • 五浦から車で走り、千葉県の佐原に来ました。

    五浦から車で走り、千葉県の佐原に来ました。

  • 古くから香取神宮の門前町として栄えてきた佐原。江戸時代になって利根川の改修工事が完成すると、水運を主体とした商業の街としてさらに発展しました。

    古くから香取神宮の門前町として栄えてきた佐原。江戸時代になって利根川の改修工事が完成すると、水運を主体とした商業の街としてさらに発展しました。

  • 小野川沿いには当時の面影を残す建物が軒を重ね、関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

    小野川沿いには当時の面影を残す建物が軒を重ね、関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

  • 以前から、来たいと思っていた佐原。<br />紅葉も楽しめます。

    以前から、来たいと思っていた佐原。
    紅葉も楽しめます。

  • みやじま美容院です。<br />現在は営業していません。<br />とてもおしゃれな建物です。

    みやじま美容院です。
    現在は営業していません。
    とてもおしゃれな建物です。

  • 正上醤油店です<br />創業寛政12年。<br />現在は、佃煮を主としたお店です。

    正上醤油店です
    創業寛政12年。
    現在は、佃煮を主としたお店です。

  • 袖蔵は明治時代前期の建築で、寄棟造の屋根の妻と、1・2階の観音開きの窓を表通りに向けた外観は、建築当時の典型的な外観構成となっているそうです。<br />店舗と土蔵は県指定有形文化財(建造物)に指定されている他、重要伝統的建造物群保存地区内の建造物です。

    袖蔵は明治時代前期の建築で、寄棟造の屋根の妻と、1・2階の観音開きの窓を表通りに向けた外観は、建築当時の典型的な外観構成となっているそうです。
    店舗と土蔵は県指定有形文化財(建造物)に指定されている他、重要伝統的建造物群保存地区内の建造物です。

  • 河岸には「だし」と呼ばれる荷揚場があります。

    河岸には「だし」と呼ばれる荷揚場があります。

  • 利根川の舟運で栄え「小江戸」と呼ばれた佐原には、往時の繁栄ぶりをしのばせる商家がずらりと並んでいます。<br /><br />

    利根川の舟運で栄え「小江戸」と呼ばれた佐原には、往時の繁栄ぶりをしのばせる商家がずらりと並んでいます。

  • 中村屋商店です。<br />代々荒物・雑貨などを商ってきた商家で、店舗兼住宅及び土蔵は、県指定有形文化財(建造物)に指定されています。<br />江戸時代末期の安政2年(1855)に建築されたと伝えられれいます。

    中村屋商店です。
    代々荒物・雑貨などを商ってきた商家で、店舗兼住宅及び土蔵は、県指定有形文化財(建造物)に指定されています。
    江戸時代末期の安政2年(1855)に建築されたと伝えられれいます。

  • 千葉商船株式会社<br />平成30年の建物だそうです。街並みにマッチしています。

    千葉商船株式会社
    平成30年の建物だそうです。街並みにマッチしています。

  • 「小江戸さわら舟めぐり」です。

    「小江戸さわら舟めぐり」です。

  • 重要伝統的建造物群保存地区の江戸情緒が残る佐原の町並みをのんびりゆったりと眺めることができる舟めぐりです。

    重要伝統的建造物群保存地区の江戸情緒が残る佐原の町並みをのんびりゆったりと眺めることができる舟めぐりです。

  • 佐原の中心部を流れる小野川の水上から眺める小江戸の風景は、徒歩で巡るのとはまた違った角度で楽しめます。<br />所要時間は約30分ほどです。

    佐原の中心部を流れる小野川の水上から眺める小江戸の風景は、徒歩で巡るのとはまた違った角度で楽しめます。
    所要時間は約30分ほどです。

  • 舟はゆっくりと進みます。

    舟はゆっくりと進みます。

  • 船頭さんの軽快なガイドを聞きながら、舟に揺られます。

    船頭さんの軽快なガイドを聞きながら、舟に揺られます。

  • 佐原の中心を貫く小野川を進みます。元文年間(1736~40年)、洪水により利根川の流れが佐原に近くなると、舟運の便が格段によくなり、あたりは河港都市として栄えました。

    佐原の中心を貫く小野川を進みます。元文年間(1736~40年)、洪水により利根川の流れが佐原に近くなると、舟運の便が格段によくなり、あたりは河港都市として栄えました。

  • 河岸につくられた荷揚場「だし」です。

    河岸につくられた荷揚場「だし」です。

  • 鴨も泳ぎます。

    鴨も泳ぎます。

  • 白鳥もいます。

    白鳥もいます。

  • 成田線の線路の下を通ります。

    成田線の線路の下を通ります。

  • 舟は15分ほど進み、引き返します。他の舟とすれ違います。

    舟は15分ほど進み、引き返します。他の舟とすれ違います。

  • 水上から見る佐原の街並みはなかなかのものです。

    水上から見る佐原の街並みはなかなかのものです。

  • 気さくな船頭さんの喋りです。

    気さくな船頭さんの喋りです。

  • 舟の乗り場に帰って来ました。

    舟の乗り場に帰って来ました。

  • かつて小野川をまたいで農業用水を通すために大きな樋がかけられ、その上に人が通れるよう板を渡したのが樋橋です。<br />樋から水があふれ落ちる音から「ジャージャー橋」と呼ばれるようになりました。現在は30分ごとに落水する美しい風景を見ることができます。

    かつて小野川をまたいで農業用水を通すために大きな樋がかけられ、その上に人が通れるよう板を渡したのが樋橋です。
    樋から水があふれ落ちる音から「ジャージャー橋」と呼ばれるようになりました。現在は30分ごとに落水する美しい風景を見ることができます。

  • 伊能忠敬記念館に来ました。<br />伊能忠敬は、50歳を過ぎてから日本全国を測量して歩き、わが国最初の実測日本地図をつくりあげた人物です。<br />伊能忠敬記念館は、忠敬の人生を年代順に追い、その業績の結晶である伊能図を紹介しています。

    伊能忠敬記念館に来ました。
    伊能忠敬は、50歳を過ぎてから日本全国を測量して歩き、わが国最初の実測日本地図をつくりあげた人物です。
    伊能忠敬記念館は、忠敬の人生を年代順に追い、その業績の結晶である伊能図を紹介しています。

  • 伊能忠敬記念館の紅葉がきれいです。

    伊能忠敬記念館の紅葉がきれいです。

  • 忠敬は、50歳で江戸へ出るまで佐原の名主・村方後見を務め、家業では醸造業等を営んでいました。<br />34歳の時松島への旅行では神社仏閣を訪ねる旅でしたが、48歳の時伊勢神宮への旅の途中には、緯度・方位観測を行っており、このころから天文や暦学への興味をいだいていました。<br />江戸で、幕府の天文方(暦を司る職)である高橋至時の弟子になり勉強を本格的に始めます。55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行いました。<br />忠敬は73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本全図は完成しました。

    忠敬は、50歳で江戸へ出るまで佐原の名主・村方後見を務め、家業では醸造業等を営んでいました。
    34歳の時松島への旅行では神社仏閣を訪ねる旅でしたが、48歳の時伊勢神宮への旅の途中には、緯度・方位観測を行っており、このころから天文や暦学への興味をいだいていました。
    江戸で、幕府の天文方(暦を司る職)である高橋至時の弟子になり勉強を本格的に始めます。55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行いました。
    忠敬は73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本全図は完成しました。

  • 伊能図には、1821年完成の「大日本沿海輿地全図」(縮尺36,000分の1である大図が214枚、縮尺216,000分の1である中図が8枚、縮尺432,000分の1である小図が3枚)のほか、測量ごとに作った地図や名勝地を描いたものなど、多くの種類があります。

    伊能図には、1821年完成の「大日本沿海輿地全図」(縮尺36,000分の1である大図が214枚、縮尺216,000分の1である中図が8枚、縮尺432,000分の1である小図が3枚)のほか、測量ごとに作った地図や名勝地を描いたものなど、多くの種類があります。

  • 伊能忠敬生誕280周年記念特別展を開催中。<br />「友トシテ善シ ―忠敬ただたかと清淵せいえん―」<br />

    伊能忠敬生誕280周年記念特別展を開催中。
    「友トシテ善シ ―忠敬ただたかと清淵せいえん―」

  • 久保木清淵は、江戸時代後期に活躍した学者です。<br />久保木清淵に焦点を当て、遺墨や著作、忠敬との交流を示す資料から、清淵の功績と忠敬との関係を紹介しています。

    久保木清淵は、江戸時代後期に活躍した学者です。
    久保木清淵に焦点を当て、遺墨や著作、忠敬との交流を示す資料から、清淵の功績と忠敬との関係を紹介しています。

  • 伊能忠敬記念館の裏には、伊能忠敬像があります。

    伊能忠敬記念館の裏には、伊能忠敬像があります。

  • 象限儀(しょうげんぎ)<br />円の4分の1(90度)の目盛りと照準器がついた古くからの測量・天体観測器具です。

    象限儀(しょうげんぎ)
    円の4分の1(90度)の目盛りと照準器がついた古くからの測量・天体観測器具です。

  • 一等水準点交3981号<br />香取街道沿いにあったものを移設しました。

    一等水準点交3981号
    香取街道沿いにあったものを移設しました。

  • 伊能忠敬旧宅です。

    伊能忠敬旧宅です。

  • 伊能忠敬(1745-1818)が17歳から49歳まで30年余りを過ごした家で、国の史跡に指定されています。

    伊能忠敬(1745-1818)が17歳から49歳まで30年余りを過ごした家で、国の史跡に指定されています。

  • 醸造業などを営んでいた伊能家の土蔵造りの店舗のほか、炊事場、書院、土蔵が残っています。

    醸造業などを営んでいた伊能家の土蔵造りの店舗のほか、炊事場、書院、土蔵が残っています。

  • 当時の伊能家は醸造業を中心に米穀の売買や、廻船業を営んでいた佐原でも有数の商家でした。

    当時の伊能家は醸造業を中心に米穀の売買や、廻船業を営んでいた佐原でも有数の商家でした。

  • 書院

    書院

  • 伊能忠敬像

    伊能忠敬像

  • 土蔵

    土蔵

  • 玉澤珈琲で珈琲豆を購入。<br />1965年に建てられた鉄筋コンクリート建築を受け継いでいます。

    玉澤珈琲で珈琲豆を購入。
    1965年に建てられた鉄筋コンクリート建築を受け継いでいます。

  • 旧油惣商店<br />寛政年間(1789から1801)に佐原の町の中心部である現在地に移り住んだと伝えられ、江戸時代には酒業や奈良漬けの製造を行い、明治になってからは、東京へ運ばれる米・砂糖・下り酒を扱う問屋を営んできました。<br />店舗と土蔵は県指定有形文化財(建造物)に指定され、重要伝統的建造物群保存地区内の建物です。

    旧油惣商店
    寛政年間(1789から1801)に佐原の町の中心部である現在地に移り住んだと伝えられ、江戸時代には酒業や奈良漬けの製造を行い、明治になってからは、東京へ運ばれる米・砂糖・下り酒を扱う問屋を営んできました。
    店舗と土蔵は県指定有形文化財(建造物)に指定され、重要伝統的建造物群保存地区内の建物です。

  • 柳田貞亮碑

    柳田貞亮碑

  • 佐原を後にし、鹿島神宮に来ました。<br />鹿島神宮は、日本建国・武道の神様である「武甕槌大神」を御祭神とする、神武天皇元年創祀の由緒ある神社です。<br />本殿の拝殿でお参り。

    佐原を後にし、鹿島神宮に来ました。
    鹿島神宮は、日本建国・武道の神様である「武甕槌大神」を御祭神とする、神武天皇元年創祀の由緒ある神社です。
    本殿の拝殿でお参り。

  • 摂社 高房社

    摂社 高房社

  • 奥宮に向かいます。

    奥宮に向かいます。

  • 奥参道を歩きます。木に覆われ、神聖な空気を感じます。

    奥参道を歩きます。木に覆われ、神聖な空気を感じます。

  • さざれ石

    さざれ石

  • 鹿園<br />鹿たちがいます。

    鹿園
    鹿たちがいます。

  • 710年に鹿島神宮の御祭神を祀り奈良の春日大社が創建された際、シカが運び手を担っていました。このことから、神の使いである神鹿としてシカが大切にされています。

    710年に鹿島神宮の御祭神を祀り奈良の春日大社が創建された際、シカが運び手を担っていました。このことから、神の使いである神鹿としてシカが大切にされています。

  • 摂社 奥宮<br />慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです。

    摂社 奥宮
    慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです。

  • 奥宮でお参り

    奥宮でお参り

  • 芭蕉句碑<br />枯れ枝に 鴉のとまりけり 穐の暮

    芭蕉句碑
    枯れ枝に 鴉のとまりけり 穐の暮

  • 穐は秋の旧字であり この句はこの地で詠まれた句ではないが<br />状況が似ているので建てられたものと推察される

    穐は秋の旧字であり この句はこの地で詠まれた句ではないが
    状況が似ているので建てられたものと推察される

  • 要石

    要石

  • 地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています。水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた、という話が黄門仁徳録に記されています。

    地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています。水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた、という話が黄門仁徳録に記されています。

  • 1817年(文化14年)、小林一茶もここを訪れました。<br />大地震にびくともせぬや松の花   一茶<br /><br />

    1817年(文化14年)、小林一茶もここを訪れました。
    大地震にびくともせぬや松の花   一茶

  • 湧水茶屋一休 ひとやすみ<br />こちらでひと休みです。

    湧水茶屋一休 ひとやすみ
    こちらでひと休みです。

  • 祭り蕎麦をいただきました。

    祭り蕎麦をいただきました。

  • わらび餅もいただきました。

    わらび餅もいただきました。

  • このあたりの紅葉<br />

    このあたりの紅葉

  • 要石饅頭を買いました。<br />

    要石饅頭を買いました。

  • 生地に胡麻あんが混ぜてあります。<br />鹿島神宮から道の駅いたこに寄り、買い物をして帰宅しました。

    生地に胡麻あんが混ぜてあります。
    鹿島神宮から道の駅いたこに寄り、買い物をして帰宅しました。

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