2025/11/21 - 2025/11/21
1277位(同エリア1298件中)
パリが大好きさん
- パリが大好きさんTOP
- 旅行記74冊
- クチコミ1030件
- Q&A回答4件
- 138,766アクセス
- フォロワー3人
この旅行記のスケジュール
2025/11/21
-
電車での移動
大阪駅8:36→草津駅9:28(新快速草津行利用)、草津駅9:30→安土駅9:50(快速米原行)
-
徒歩での移動
安土駅10:00→セミナリヨ公園10:25
-
徒歩での移動
セミナリヨ公園10:40→新宮大社10:50
-
徒歩での移動
新宮大社11:10→百々橋11:15
-
徒歩での移動
百々橋11:25→安土城址入城受付(大手道)11:50
-
徒歩での移動
安土城址見学11:50~13:30(90分)
-
徒歩での移動
安土城大手道13:40→信長の館13:55
-
徒歩での移動
信長の館14:40→安土駅15:10
-
電車での移動
安土駅15:22→野洲駅15:32(普通網干行)、野洲駅15:43→大阪駅16:43(新快速赤穂行)
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
いつかは訪れたいと思っていた戦国時代の風雲児、織田信長の足跡である安土城。寒くならないうちに行ってみることにしました。織田信長の足跡を考えれば信長の館にある豪華絢爛な天守閣最上部を想起しますが、彼が何を考えてどのような社会を作ろ上げようとしていたのかはわからないと思います。理解するにはやはり安土の城下町を訪ねないといけないと思いましたので、JR琵琶湖線安土駅を起点にして、交通機関を使わずに時間をかけて歩いてみました。安土駅の観光案内所のスタッフの方は、信長の館を初めに訪れて安土城や城下町の知識を得てから安土城址を訪問したらと提案されました。しかし先に安土城城下町を見るのを優先するために予定とおりの順序で回りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
JR琵琶湖線を利用して大阪駅から約1時間半で安土駅に到着しました。安土駅北口です。駅舎の一部に安土駅観光案内所がありますので、観光地図をいただいて安土城に向けて出発します。
安土駅 駅
-
安土駅北口のロータリーには、目の前に織田信長公銅像があります。信長公にお出迎えしていただきました。
-
安土駅観光案内所でいただいた観光地図に示されているルート(Aコース)を確認しながら歩きますが、町のいたるところに写真のような案内板があるので道がわからなくなることはなさそうです。
-
道の傍らに石碑がありました。読んでみると朝鮮人街道と書かれています。琵琶湖東岸に沿うようにしてある街道で野洲から彦根市までの約40kmの道を言います。織田信長が幹線道路として整備し、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が凱旋した道です。朝鮮から来る外交使節が通ったので、この名前が付きました。
-
彦根道をまっすぐ進み、活津彦根神社と書かれた石碑と鳥居が見えたら右折し、セミナリオ跡に向かいます。この神社は創建時期ははっきりしませんが、古代から地域の安全や繁栄を願う人々の信仰を集めています。ご祭神は活津彦根命(たけつひこねのみこと)で豊穣の神だそうです。
-
セミナリヨがあったと推定される場所がセミナリヨ史跡公園になっています。1581年に織田信長の庇護を受け宣教師オルガンチノが建てた最初のキリスト教学校です。本能寺の変後、安土城が焼失時に焼失しました。
-
朝鮮人街道に面して東家の建物があります。江戸時代の建物で当時の建築様式がよくわかります。織田信長は大変な相撲好きで、面前で傳蔵と馬次郎が竹相撲(竹を捻じりあう力比べ)を行い両者技量が伯仲する熱戦を披露しました。喜んだ信長は東側から土俵に上がった傳蔵に東姓を、西側から上がった馬次郎に西性を与えました。
-
竹相撲発祥の地としても知られている新宮大社です。創建は不明ですが社伝では平安時代末期の1131年の創建です。この地を領地としていた豊浦行実が熊野本宮大社から勧請し、さらに伊勢神宮内宮を勧請したものです。
-
拝殿の裏手には大小2棟の本殿があります。左手にあるのが聖社でご祭神はニニギノミコト、右は本殿で大宮と呼ばれているようです。ご祭神はイザナミノミコトです。
-
安土城外堀に架かる百々(どどばし)橋です。現在の橋は昭和に架けられたものですが、織田信長の頃にも木製でこの橋はありました。安土城を訪れる人か?利用した通用口て?あったようで、家臣たちもこの道を通り登城したようです。また信長が安土城内に建立した摠見寺(そうけんじ)への参拝道にもなっていました。
-
安土城外堀を渡り安土城外堀に沿う舗装路を200mほど歩くと、西口石塁の桝形虎口と平入虎口(こぐち)があります。安土城の南面は石塁と呼ばれる石垣の防塁があります。この石塁に何か所か出入口があります。出入口は二度曲がって場内に向かう枡形虎口になっています。
-
さらに安土城外堀に沿って100mほど歩くと安土城の大手道に達します。その近くには安土城址と書かれた石碑が建てられています。ここから大手道の受付に向かいます。
-
安土城に入城するときの受付です。入城料は大人1名700円でした。受付を過ぎると目の前には天主閣址に向かって真っすぐ伸びる大手道の石段が現れます。
-
大手道は珍しく比較的幅の広いものでした。また真っすぐ天主閣に向かっています。城の防衛という意味では、どちらも不利になりますので避けるのが普通のはずです。織田信長の自信の表れなんでしょうか?
-
大手道の最下段付近には伝羽柴邸跡と伝前田邸跡が大手道を挟んで両側にあります。大手道の最下段の東側には伝前田利家邸宅跡あります。上下三段の郭がありました。大手道からの虎口は内枡形となっていて厩もありました。
-
伝羽柴秀吉邸は大手道の西側にあります。上下二段の郭と武者走りと呼ばれる通路があります。下段部には櫓門と厩が、上段部には主殿、台所と隅櫓があったようです。、
-
大手道の階段の石に多くの石仏が使われています。階段に使う石が足りずに石仏を集めてきたとも言われています。また織田信長は神や仏をも恐れないという自分の強い意志を広く天下に知らせるためということがあったようです。
-
大手道の急な石段を登り、一息つくと石の階段はまだまだ続きますが、こう配はかなり緩くなってきます。
-
黒鉄門跡になります。この門から上部が安土城の主要部分になります。城にとっては最も大切な防御能力を高めるために巨石を使って石垣を構成しています。またこの城を訪れる者は信長の力を感じざるを得ません。この付近は枡形虎口になっており、そのあとは侵入した敵が道に迷うように道は二つに分かれたりしています。
文芸セミナリヨ 美術館・博物館
-
天主台への道から分岐して左手には二の丸への石の階段があります。羽柴秀吉が建立したといわれる信長廟があるので訪ねてみました。
-
天主台直下にある伝二の丸には織田信長がその家族と共に暮らした御殿があったといわれています。ここに羽柴秀吉が建立したとされる信長廟があります。
-
天主取付台階段です。伝本丸から天主台へ上るための階段です。
-
天主台に上ると地下1階地上6階だった天主閣の礎石が残されています。東西、南北各約28mの台地に1~2mおきに並んだ礎石のあるのは天主閣の地下になり、周囲には石垣(当時はもっと高かったようです)が残されています。
安土城跡 名所・史跡
-
天主台から見る琵琶湖の風景です。琵琶湖の水運を抑える絶好の位置に安土城があったことがわかります。織田信長はこのような景色を見bながら天下統一を夢見ていたのでしょう。
-
天主台の石垣は安土城の築城当時のものと考えられています。
-
天主台から見学コースを下りていくと摠見寺があります。かっては百々橋から真っすぐ摠見寺を経て黒鉄門を通るのが登城路だったようです。そこには織田信長が甲賀から移築したとさいわれる三重塔が現存しています。
総見寺 寺・神社・教会
-
同じく織田信長が甲賀から移築したといわれる仁王門が現存しています。
-
安土城址大手道前にある城なび館でちょっと休憩して、交通量の多くない道路を南東方向に約1㎞ほど歩くと、前方に安土文芸の郷公園が見えてきます。この公園の一角にお目当ての信長の館があります。
-
信長の館では、発掘調査結果を利用してバーチャルリアリティで安土城を映像で復元しています。「絢爛安土城」を40~50分毎に上映しています。事前に上映時間を確認しておくのがよいと思います。15分ほどの映画を見た後でスペイン万博終了後に移築した安土城天主最上部二層が見られます。横にある階段を登れば上階を見ることができます。
安土城天主信長の館 美術館・博物館
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
近江八幡・安土(滋賀) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
29