2025/09/13 - 2025/09/14
83位(同エリア115件中)
emi_uさん
- emi_uさんTOP
- 旅行記135冊
- クチコミ352件
- Q&A回答0件
- 142,914アクセス
- フォロワー5人
この旅行記のスケジュール
2025/09/14
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
ご覧いただきまして、ありがとうございます。
旅のきっかけは連休初日の夜の利根川大花火大会でしたが、その日の昼間と、宿泊して翌日の周辺の観光の様子をお届けします。
-
ミュージアムパーク茨城県自然博物館
9時半に入館
なんと夏休みなどの長期のお休みを除いて、毎週土曜は小中高生無料!
大人は企画展開催時は野外施設も含めると850円
そして最初に出迎えてくれるのがこちらのマンモスミュージアムパーク茨城県自然博物館 美術館・博物館
-
シンボル展示とされるだけあって、入場券にも
-
松花江(しょうかこう)マンモス(複製)
高さ5.3m、体長9.1m
松花江は中国東北部を流れる川
中国・内モンゴル自治区ザライノールの鉱山から1980年に発見された
34,000年前、最後の氷期に毛サイ類、トラなどとともに寒さに適応して生きていた
しかし象をはるかに凌ぐこの大きさはすごいインパクトだ -
お次はヌオエロサウルス(複製)
こちれは2フロアぶち抜き
大きすぎて写真にも納まらない
全長26m -
こちらも内モンゴル、ゴビ砂漠で1985年に発見
学名は論文発表で決定されるが、この恐竜はまだ記載論文が発表されていないため、正式な学名が決まっていない
ということで、()書きでヌーロサウルスとも呼ばれるそうだ -
宙吊りになっているのはダンクルオステウス
古生代デボン紀(約4億2000万年~3億6000万年前)後期、約3億8200万頃から生息していたが、石炭紀初期までの大量絶滅の時に絶滅したと思われる
サメのようだが、体の後ろ半分は軟骨主体だったため化石は少なく、正確な形状はわかっていない
嚙む力はホホジロザメの約2倍に達するとされる
下顎だけでなく上顎も動き、大きな獲物も捕らえられる
が、咀嚼はできず、丸呑みして消化できない骨などを吐き出す -
こちらアメリカで発見されたダンクルオステウスの顎の骨の実物
-
ストロマトライト
子供の頃、NHKの地球大紀行という番組があり、マンガ本が出版されていた
その1巻目に出てくるこの"石"がとても印象に残っていて、ここで出会えてうれしい
これが地球で初めて酸素を放出した
これがなければ人間はいないかもしれない
ラン藻類(ラン細菌類)が日中に光合成をし、夜は砂や泥の堆積物を粘液で固め、ラン藻類は翌日には光合成のために上部に分裂していく
これを繰り返して年に数ミリずつ成長していく
今でもオーストラリアなどにはは現生している
写真の化石は左はドイツ、右はボリビアで発見されたもの -
数多くの石も展示されている
正直素人には区別のつかない石もあり、その辺の石にも名前があるのかな~と思ったり
クトナホラ石という名前
チェコの世界遺産の都市「クトナー・ホラ」と語源が一緒なのかと思ったら、そもそもこの石の著名な産地の1つがクトナー・ホラであり、これに因んだ名前らしい
このクトナホラ石は大分県豊栄鉱山(1975年閉山)のもの -
いよいよ恐竜エリアへ
この恐竜、動いて鳴く -
そして、自分が子供の頃はうろこでツルツルと思っていたティラノサウルス、20世紀の最後頃には鳥のように毛が生えていたとされるようになったので、小さい方は毛だらけ、大きい方はストールを羽織ったようになっている
-
左手はティラノサウルスのアタマ(複製)
寿命は30年程度と見られているが、15歳程度で急成長するらしい
中央の黄土色のは脳函(のうかん)=頭蓋骨 (複製)
化石では脳は腐敗してしまうが、これがあれば脳の形を復元し、神経が通っていた穴などから神経の働きを解明する手掛かりになることが期待できるらしい
右端が後ろ脚の爪、その左は歯の複製だが、区別がつかない・・・ -
歯にはこの写真の上の方に細かいギザギザがあって、肉を切りやすくなっている
(細かいのでこの写真ではわからないだろう) -
次の部屋に入るとマンモスの頭の骨に圧倒される
右はリンコテリウム(複製)
新生代新第三紀 鮮新世(約500万~258万年前)
遠近法が効いてしまっているが、ケナガマンモスよりもこちらの方が大きい
ケナガマンモス(実物)
新生代第四紀(258万8000年前~)
マンモス属の中では中型
最後まで生存したマンモスで、ロシア・ウランゲリ島には紀元前2000年前後まで生存したと見られる -
左からケナガマンモスの臼歯と体毛(新生代第四紀更新世)
右はキュビエロニウス(新生代新第三紀鮮新世)
エナメル質の帯がらせん状に巻いた牙を持っていたらしい
勝手なイメージ、インパラの角のような感じ?
体長5~6mらしいので、アジアゾウとさほど変わらないくらい、意外に小さい
約500万~258万年前の鮮新世の主な出来事の1つはパナマ地峡の形成
これによって南北アメリカ大陸がつながり、アメリカ大陸間大交差が起きた
キュビエロニウスもこれにより北米から南米に渡り、この化石はボリビア産 -
カルカロドン・メガロドン(ムカシオオホホジロザメ)
2006年北茨城市、五浦海岸で発見された
全長15mはあったと推測される
岩礁の幅1.5mほどの狭い範囲から、1体のものと考えられる56本の歯や脊椎骨4個が見つかった
約1640万年前(新生代新第三紀中新世)の暖かい海に生息していた、初期のカルカロドン・メガロドンと考えられている -
吊るされているのはウシマンボウの剥製
約2.8m
頭がこぶのように隆起しているのが、マンボウに比べてウシマンボウの特徴
1996年千葉県で漁獲された2300kgのウシマンボウは世界最重量硬骨魚としてギネス認定されている
800mを超える深海までを行き来し、クラゲや小魚、甲殻類などを食べているらしいが、体に比してまさにおちょぼ口 -
地味にシーラカンスのスペースもあり、シーラカンス好きとしては外せない
壁に書いてあったのは大きなシーラカンスの絵
そしてこれ、史上最大のシーラカンス、マウソニア・ラボカティの実物大
全長3.8m
中生代白亜紀を中心にアフリカ、南米などの湛水に生息していた
と、ここまでが2階の展示
11時半だから2時間過ごした -
館内のレストラン、ルサンクでお昼
11時半にはもう長い列
席は多くはないが回転は悪くないので、10mほどの狭い通路から溢れる程度の列でも30分くらいで入れるだろう
天ざるそば980円
当初そばの温/冷を間違えて提供されたものの、交換もそう時間かからず
そばも意外にコシがあっておいしかった
12時過ぎに食べ始め、12時半見学再開!
1階へ繰り出すミュージアムレストラン ル・サンク グルメ・レストラン
-
ナウマンゾウ 第四紀更新世
印旛沼から発掘された化石の複製 -
すべてナウマンゾウの歯(第四紀更新世)
切歯(せっし)と洗濯板のような臼歯 -
そして企画展へ
恐竜とともに生きた生物たち
-ぼくらは脇役じゃない-
デイノスクス、白亜紀のワニの頭骨
とにかくデカい
史上最大級とされ、180センチある頭蓋骨も発見されている
完全な全身の骨は発見されていないようで、10m程度と推測される -
釘付けになったのはカブトガニ
けっこう歩き回る -
水槽に反射してしまってわかりづらいのだが、こちらに向かって立ち上がるので、初めてこんなに裏側から見た
-
後脚で立ち上がって、たくさんある足を動かす様は、ウルトラマンに立ち向かう怪獣さながら
かなりこわい
13時、お次は外へ -
整った芝生広場の広がる向こうにレンガ造りの橋
まるでイギリスのマナーハウスのよう -
このレンガ造りの建造物は反町閘門橋
-
傍らに案内板があったので、文字起こし&抜粋
反町閘門橋は利根川の逆流よる水害防止のため、明治33(1900)年、約2km上流の飯沼川に建設された閘門を復元保存したもの。
工学博士笠井愛次郎氏の設計により、水圧による自動開閉の鉄扉を備え、当時としては最新の技術を駆使して建設された。
当時の飯沼地域は、利根川の洪水のたびに逆水が進入していたが、この閘門及び堤防の完成により、飯沼地域の水田は洪水から守られ、この地の保全、発展に大きな役割を果たした。
昭和30(1955)年に法師戸水門が完成したため水門としての役目を終え、河川改修による新たな橋が完成したことにより、平成3(1991)年に取り壊された。
ここに展示してある扉は、建設当時から水害を防いできた実物。 -
帰り道、反対側から見ると、門が開いている様子がわかる
-
最奥部の古代の広場
-
竹の小径
プチ嵐山気分
「動物の巣」というサーカステントの屋根のような大きなトランポリンもあり、お子さんものびのび遊べるだろう -
小1時間の散策を終え、14時頃に博物館を後にする
約4時間半楽しませていただいた
暑いし時々雨降るしで外の滞在時間が短めだったが、もっと陽気がよければ、クイズもあるようだからそれを楽しんでみてもよかったかな -
早々に本日の宿泊地、HOTEL R9 The Yard 境へ
コンテナを部屋として利用して、チェーン展開している
この辺り、アジア系の方が多いようで、タイやインド料理のレストランも多いHOTEL R9 The Yard 境 宿・ホテル
-
中に入れば手狭なビジネスホテルといったところ
座ったり寝たりしている時に、もう1人が歩くと部屋が揺れるので最初は震度1あるかないかの地震かと思った
冷凍庫がちゃんとわかれている冷蔵庫もあるし、電子レンジ、ポット、ドライヤーがある
大浴場などはないが、ユニットバスにボディソープ、シャンプー、コンディショナー備付け
トイレはウォシュレット
もちろんWiFiもあり快適
そしてデスク前の椅子はマッサージチェア!
フロント棟にはコーヒーメーカーがあり、お茶やコーヒーを自由に飲める(深夜はお休み)
カレー、ピラフなどから選べる冷凍の軽食も付いていて、お部屋のレンジでチンして食べられる
2名1泊18,000円 -
18時半打ち上げ開始に向けて、17時前に出発
境香取神社辺りから鑑賞さかいふるさと祭り 利根川大花火大会 花火
-
時々雨が降ったが、おかげで暑すぎることはなかった
約3万発を20時過ぎまで楽しんだ
帰りは車はかなり渋滞、人は動けないというほどではないが、まぁまぁ混雑
帰りに寄ったデニーズは一足違いで混み始めた -
翌朝10時前にチェックアウト
この日は時間に余裕があったので、近くのドンキをぶらぶらしてから、11時半ごろ千葉県立関宿(せきやど)城博物館へ千葉県立関宿城博物館 美術館・博物館
-
利根川と江戸川に挟まれたこの地での、川の歴史と文化を探る博物館
利根川は大水上山(おおみなかみさん)から銚子へと流れ、全長332km、流域面積は日本最大の河川
江戸川はここ旧関宿町から分かれ、約60km先の東京湾へ向かう
大正時代からは蒸気機関車で土を運搬して築堤工事が行われたが(写真の模型)、地固めをする「土羽打ち(どはうち)」は近所の農家も多く動員され、人力で行われた -
関宿水閘門(せきやどすいこうもん)
1918年着工、1927年完成
江戸川流頭部の流量、水位調節を目的に建設
それまで主体であったレンガ造りからコンクリートへと移行する過渡期の建設であり、多くはコンクリート造りながら、隅石など一部に煉瓦が用いられている -
江戸川への水量調節するための水門と、水位を調節して船の運行を可能にする閘門から成る
水位調節により利根川と江戸川の水位が違うため、閘門がなければ船が航行できない -
江戸時代に遡ると、1640年に江戸川が開削され、30年ほどすると江戸川入口の両岸を補強する堤が張り出してくる
西側(写真左)が御関所台、東側が棒出し
1927年の関宿水閘門完成を受けて、1929年にはこれらは撤去された
江戸時代初期、幕府は河川交通の整備、農業生産力の増強、洪水対策などで、利根川は少しずつ東へ流れを変えた(利根川の東遷)
その結果、元々利根川本流は東京湾へ注いでいたが、1654年には銚子河口から太平洋に流れるようになった -
江戸時代には高瀬舟が利根川、江戸川で荷物などを運んでいた
江戸とつながることで、野田・銚子の醬油などの産業が発達した -
赤丸が関宿、青丸が銚子
-
江戸前期は醤油といえば関西産の「下り物」
これに対抗すべく関東各所で醤油醸造家が仲間を結成
1824年には「関東八組造醤油仲間」*を結成し、江戸の醤油問屋との有利な取引や、品質向上を目指した
*銚子組、成田組、千葉組、野田組、川越組、江戸崎組、水海道組、玉造組 -
明治33(1890)年にはオランダ人技師ムルデルが建設した利根運河が竣工
蒸気船「通運丸」が銚子~利根運河~東京を運行
しかし、鉄道や道路の発達に加え、昭和16(1941)年の洪水により水堰橋が壊れて船が通れなくなると修繕は行われず、運河の役割を終えた -
今でも流域には河川にまつわる祭、行事が多く残る
-
最上階、天守は展望台となっている
東には筑波山 -
西には富士山
-
中央近くに大きく写る鉄塔
その左に小さくうっすら見える鉄塔
そのすぐ横にスカイツリーも見える
(この写真じゃわからないか) -
博物館のイメージキャラクター・カッピー
約1時間の見学を終え、スタンプを押して外へ -
この日からクイズラリーをやっていたので、早速参加
あまりの暑さに「堂々とこどもコースでどうぞ」とのことで、チェックポイントの少ないそちらで -
ただ、日本庭園の東屋である最初のポイント(これくらいのネタバレはいいだろう)がまったく見つけられず、さまよった
その出口にはネコが爪とぎ -
庭園からサイクリングロード沿いに戻り、江戸川に沿って下流方向へ
すると、建物のように大きな機械が -
川底に溜まった土砂を取り除く浚渫(しゅんせつ)のための機械
昔は鋤簾(じょれん)という道具を使って人力で行っていたが、明治33(1900)年の利根川第1期改修工事からは機械化
西欧諸国から浚渫船が輸入された -
「山王号」の文字が見える
以前はもうちょっときれいに展示されていたようで
昭和41年製造らしいから、昭和生まれとしては"意外と"新しいという感想
https://www.go2park.net/photo/sekiyado_dredgeship.html -
こちらが実際川底の堆積物を掬う方の重機かな
「建設省」の文字がレトロ感を増す
2001年からは国土交通省 -
ここから橋を渡って、関宿水閘門に向かう
橋から富士山を望む -
橋から遊歩道に沿って下りていく
-
関宿水閘門
浚渫船から10分足らずで到着 -
概要は前述の通りだが、思いのほか立派だ
周囲は夏のこの季節には草が生い茂っており、毛虫が多くいるので気を付けよう -
堤頂は人は通行可能
しかしあまりの暑さと毛虫と蜘蛛の巣にひよって戻ってしまった
対岸側に閘門があったであろうに、うっかりしていた -
結局、外も1時間以上うろうろし、入館料200円以上に楽しんだ
尤も、外は無料だから、スタンプラリーには無料で参加できるということだろう
茨城と千葉の県境、1日目は茨城県立、2日目は千葉県立の博物館で、とても学習した週末でした
最後までご覧いただきありがとうございました
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
PR
0
62