2025/08/08 - 2025/08/08
24位(同エリア32件中)
ミキさん
この旅行記のスケジュール
2025/08/08
この旅行記スケジュールを元に
フランスの真ん中辺り、オーヴェルニュ地方のクレルモン=フェランで1日暇ができたので、ぶらりと観光しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
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中心地からは少し離れたKyriad Ecoホテルからトラムに乗ってJaude駅に来ました。
クレルモン=フェランは盆地なので暑いです。今日のパリは28度、クレルモン=フェランは35度。今年は冷夏でパリではほとんど30度を超えなかったので、久しぶりに夏らしさを肌で感じました。
大した前情報も持たずに、トラムを降りてなんとなく歩いていきます。
ふと路地に目を向けてみると目に飛び込んできたのが、にょきっとそびえる真っ黒なノートルダム大聖堂!
遠目にも他の建物と一線を画した雰囲気を醸し出していて目を引きます。 -
近くで見ても明らかに周りの建物と違う色でちょっと異様な感じ。日陰だから黒いのではなくて、本当に真っ黒なのです。
この大聖堂は近くの火山から採られた火山岩を使って建てられているので、こんなに黒いのだそうです。
クレルモン=フェランの街中では他にも黒い建物を沢山目にしました。聖母被昇天のノートル ダム大聖堂 寺院・教会
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迫力あります!
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ゴシックらしい装飾ではあるのだけど、この色なので、よくあるゴシック建築の優美さや軽さとはちょっと趣が違い、重厚感があって圧が強いです。
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大聖堂から後ろに目を向けてみるとこんな雰囲気。どの方向に目を向けても遠くに山が見えて自然を感じます。そのせいか、活気のある街なのにどこかのどかな空気が漂っています。
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大聖堂の中もしっかりゴシック様式。
13世紀に主要部分が建てられ、その後増築されていったそうです。 -
内部の見どころのひとつは13世紀のオリジナルの壁画。結構しっかり色が残っています。
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これも立派。
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そしてステンドグラス。
さながら美術館のようにどの窓にも美しいステンドグラスが施されていて、見入ってしまいました。 -
鮮やかな青が一際目を引きます!
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後部のオルガン。ここも綺麗なバラ窓付き。
色が黒いことを除けば典型的なゴシック教会ですが、細部まで立派でかなり期待の上を行く美しい教会でした。 -
大聖堂を出ました。おしゃれな店構えのカフェ。
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市庁舎も真っ黒。古典っぽいデザインも相まってかなり重厚感がありかっこいいです。
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ちゃんとカラフルな通りもありますが、
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数メートル進んだらまた黒いのです。
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建物の壁にいたうさぎと亀。日本の民話だと思ってたからびっくりしたけど、イソップ童話らしい。
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そして2つめの有名な教会、ノートル・ダム・デュ・ポール聖堂にやってきました。
第一印象は、ヨーロッパの田舎でよく見かける普通の教会。ノートル ダム デュ ポール聖堂 寺院・教会
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中もシンプルで、つるんとしています。ちょっとおもちゃっぽくて可愛い。
さっきの派手な大聖堂と比べると見どころが少ないなぁなどと思いながら見ていたら、たまたま5分後にガイドツアーが始まるということだったので、案内してもらうことにしました。このガイドツアーが内容たっぷりで大当たり!自分で見ているだけでは分からない内容が盛りだくさんでした。
折角いろいろ教えてもらったので、自分の備忘も兼ねて長くなりそうですが細かく書いておきます。 -
ガイドツアーはまず外から。
この聖堂は11世紀に建てられたので、大聖堂より古い建物です。当時はまだ火山岩を使った建築が行われていなかったので、基本的にはアルコースという石で造られています。フランス革命時に破壊された西側の塔など一部は19世紀に再建・修繕されています。この時火山岩を使用した為、新しい部分だけが黒く見えます。
ちなみに11世紀の建築以前にも、6世紀頃に建てられたより古い教会の跡がありました。その跡地に新たに建てたのがこの教会です。古い教会はヴァイキングが壊したと伝える文献があるそうですが、ヴァイキングがこんな内地までやってきたとは考えにくい。恐らく本当はゲルマン人の侵攻の際に壊されたのだけど、ヴァイキングの話に尾鰭をつけるように便乗して記録したのではないかとのことでした。
クレルモン=フェランは交通の要所で、交差点のような場所でした。この教会もかつての主要な道の交わるところに建っています。ノートル・ダム・デュ・ポールのポール(Port)は現代フランス語では港の意味ですが、元はラテン語で倉庫を意味する言葉に由来し、物流の要所としての街の役割からこの名前に繋がったとのことでした。
また、この教会はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のうち一つの出発地でもあり、その為に世界遺産に登録されています。教会の装飾にホタテのモチーフが時々使われています。 -
建築はロマネスク様式です。ゴシック様式との大きな違いの一つは、外から見て内部の構造がはっきり見て取れることです。例えば建物が十字架形になっていることや柱の位置などが外見から分かります。
この時代の教会は必ず十字架形の長い方が西側、短い方が東側に置かれているそうです。東側は太陽の昇る方、西側は沈む方。西側は暗く、東側は明るい。東の方角にキリストの復活を連想し、こちら側に祭壇など主要部分を置くようにしているのだそうです。また西側には窓が少なく、反対に東側には沢山設けられているので、建物の内部では西側は暗く東側は明るくなります。特に西の入口の上は天井が低いのですが、ここは洗礼を受けていない人や罪人など、礼拝に参加できない人の場所だったそうです。
東側にある後陣(フランス語だとchevet。ラテン語のcaput=頭に由来)は外壁の装飾も西側と比べてかなり派手です。六芒星(ダビデの星)と八芒星(8はキリスト教では復活を象徴する数)と円(永遠の象徴)をモチーフにしたモザイク模様や、軒下や屋根の彫刻など、かなり見応えがあります。
また、大部分の柱はコリント式ですが、外側には一本柱頭にアダムとイブをあしらったものがあります。柱頭に変化を加えた柱は内部にもいくつかあって説明してもらいました。 -
東側の門は、聖職者の入口なので装飾がされています。今は青色しか残っていませんが、以前は金など他の色を使っていてもっと豪華だったことが分かっているそうです。
東方三博士の礼拝など、聖書の内容をモチーフにした彫刻が施されています。右下の人物を除き全ての人物の顔が削れていますが、これはフランス革命時に壊されたものです。 -
内部に入ります。つるんとした壁に穴が開けられている作りがやっぱり朴訥とした雰囲気でかわいらしいです。
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この柱頭は閉じた聖書を形どっているそうで、西側にあります。反対に東側には開いた聖書の柱頭があります。これも神に向けて心を開くことの象徴の意味があります。オーヴェルニュ地方の教会によく見られる意匠なのだそうです。
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これは人間が猿の首に縄をつけている彫刻です。猿は人間の中の悪い部分の象徴で、自己の中の悪徳を縄を緩めて野放しにしてしまうか、縄を引き締めて制御するか、各々の行動にかかっているというような内容です。聖書の内容ではなくモラルを語る彫刻です。
猿が人間によく似た姿に作られているのは、それが人間の内部にあるもののシンボルだからです。また、人間が教会の内側、猿が外側に配置されているのも偶然ではなく、他の柱の彫刻でも善のシンボルは内側、悪魔などは外側に配置されていました。
他にもいくつかこうした彫刻のある柱があって、いろいろ説明してもらいましたが、何しろ高いところにあるので細かいところがよく見えません。また具体的に何を語った彫刻なのか、説明がないと全く分かりません。
当時の一般市民はこれを見て説明もなしに意味がわかったのかと質問してみたところ、実は今の私達と同じように、市民どころか位の低い聖職者でも装飾の意味するところを分かっていなかったのだそうです。
一般に教会の装飾は、文字の読めない市民に視覚的に聖書の内容を伝える為とされています。ところが実際には、一般市民が見られないところにまで装飾は施されています。
例えば、当時は祭壇の前に壁があって、聖職者以外は奥に入ることはできませんでした。ということは、壁より奥の装飾は一般市民向けではないということになります。このことからも、装飾が必ずしも教育だけが目的だったわけではないことが分かります。
また、そもそも当時は電気でがなく、窓から入る日光と蝋燭の灯りしかないので、こうした細かい装飾は今日ほどはっきり見えなかったはずなのです。
さらに、当時の礼拝はラテン語ですが、市民はラテン語をどんどん忘れていくので、礼拝中の説教も実際にはあまり理解されていなかったりと、市民の教育がどこまで重視されていたか疑問というような話もありました。
この教会の細かい装飾については、当時クレルモン=フェランはこの教会のあるクレルモンと近郊のモンフェランという2つの敵対する街に分かれていたそうで、相手に勝る威光を見せる意味で凝った意匠の教会を作ったという政治的な面もあるとのことでした。 -
11世紀に作られた聖母子像の頭部だけが、なんと壁から発見されたのだそうです。フランス革命で像の身体部分は壊されましたが、頭部は聖なるものなので手を出せなかったらしく、壁の石と石の間に埋めてしまったので、かえって保存に適した環境で現代まで残ったという稀有な資料です。
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地下のクリプトに降ります。
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周りの壁には教会に感謝するプレートがずらりと飾られています。いろんなことを信者が祈りにきて、祈りが叶うとこうしてお礼をするのだそうです。出会いに感謝だったり、病気や怪我が治ったことに感謝だったり。「子どもが2階から落ちたけど怪我がなかったからご加護に感謝」なんていうのもあるそうです。
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付属の小部屋でおもちゃの展示をしていました。これは教会を作る積み木です。さすが教会で展示するおもちゃは心に優しいです。
こんなに小さな教会なのに、ガイドさんのおかげで1時間近くも楽しめました。ちょうど良い時間に入ってこんなに濃厚なお話を聞けてラッキーでした。
今後の教会の見方も変わりそうです。 -
さて、教会の観光を終えて中心地を出ます。次に向かうのはミシュラン博物館。タイヤメーカーのミシュラン社はここクレルモン=フェランから始まり、過去の工場の跡地が博物館になっているのです。
トラムに乗ってミシュランスタジアム駅まで行きます。スタジアムの前にはラグビーポールのオブジェ。青空に映えます。 -
スタジアムの裏に回ると、ミシュランが見えてきました!
しかしこれは博物館ではありませんでした。炎天下をもう少し歩きます。 -
着きました。早速特大サイズのタイヤが迎えてくれます。身長の1.5倍くらいはありそうです。
ラヴァンチュール ミシュラン 博物館・美術館・ギャラリー
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入るとポップな空間が広がっていました。タイヤの博物館と言われてもピンと来ませんが、ミシュランマンとともにこんな空間を演出されると気分が高まります。
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ミシュラン社の社員が楽しめるようにと会社が作ったプールがあったこうで、そこにいたミシュランマンがプール閉鎖で引退してここに来たそうです。
それにしてもミシュランマンってあんまり可愛くない…。 -
ミシュラン社のタイヤの歴史が実物とともに紹介されていきます。
木や金属の車輪からゴム製のタイヤへの大転換が語られます。自動車や電車の発達と相まって、タイヤも大きく変化する時期でした。
まずは自転車や馬車から始まり、自動車、電車、飛行機と、ミシュラン社のタイヤはどんどん広がっていきます。 -
車のプジョー社と初めてコラボした車で、ミシュラン兄弟自らハンドルを握ってレースに参加したそうです。かっこいい!
デザインにフランスを感じるのは私だけでしょうか。 -
ゴム製タイヤの耐久性を高める為に試行錯誤した歴史です。金属を上から貼って保護していた時代です。
他にもタイヤ開発の歴史を辿るものがこれでもかと展示されていました。 -
博物館中至る所にいるミシュランマン。今日の夢に出てきそうです。
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旅ガイドの定番、ミシュランガイドの始まりです。1900年にフランスのガイドブックが出てから、今に至るまで愛されているシリーズ。シンプルな表紙に時代を感じます。
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工場の上空写真。手前の長い建物の中にさ長いレールがあって、日々タイヤのテストが行われているそうです。タイヤをいくつもつけられた台車が、レールの上をひたすら往復しているビデオが流れていました。
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新時代のタイヤ。より耐久性の高いタイヤを目指して今も開発が続いているという紹介です。
タイヤの博物館というニッチなテーマですが、思いの外楽しめる展示でした。子ども達はもちろん、特に大人の男性陣が目を輝かせて見入っているのが傍目になんだか面白かったです。
最後にはミシュランマンもすっかり馴染んでしまい、ついグッズまで買ってしまいました。
博物館を出たところでいい時間になったので、ホテルに戻ることにしました。
クレルモン=フェランはあまり期待していませんでしたが、結果的にとても文化的で面白い観光になりました。雰囲気も良い街です。
また機会があれば黒い建物を見に再訪したいです。
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