2017/02/28 - 2017/03/02
7095位(同エリア7782件中)
リュックさん
沖縄訪問 第1日:2月28日
首里城、琉球舞踊鑑賞
沖縄訪問 第2日:3月1日
現地ツアーに参加して、美ら海水族館、万座毛、琉球村
など沖縄北部を訪ねた。
沖縄訪問 第3日:3月2日
ガイドさんと国際通り、てんぷす那覇を散策し、
昔の沖縄を色濃く残した庶民の台所を訪ねた後
帰京。
2泊3日の忙しい旅ででしたが、
充実した内容でした。
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沖縄観光の拠点としていたリーガロヤルグランクラウン沖縄
那覇空港からゆいレールで旭橋駅に駅から直結でホテルに。
フロント、ロビーフロアー迄エレベーターで14階まで行く。
ここでチェックイン。客室はすべてフロントから
エレベーターで行く。 -
フロントロビーからの眺めは素晴らしい。
那覇空港の発着航空機は良く見える。
宿泊した部屋の窓からも同じ眺め。
眼下にゆいレールを走る列車が見える。
部屋はツインベッドルーム、バス、トイレ付きで快適。 -
リーガロヤルグランクラウン沖縄には2泊したが
夕食は2食とも外食でホテルでは2食とも朝食の
ビュッフェスタイルを摂った。
品数が多く、うまい。
眺めの良い窓辺で。 -
首里城の見学後、ホテルにチェックインし、
旭橋駅から近いうらしまへは不案内な那覇の夜道を歩くことを避け、
タクシーで向かう。
沖縄のタクシーは初乗りが550円。ワンメーターで到着。
ビルの2階まで階段で上がり、店内に。
正面に舞台があり、舞台を囲む様に正面、左右に客席があった。
コジンマリとした店内にはすでに6割程度客で埋まっていた。
我々は予約時間より少し遅れ到着。
料理によく合う。美味い。
オリオンビールで喉を潤していると、開演。
琉球舞踊は二部構成で19時から30分、
20時から30分間演じられる。
食事をしながら静かに鑑賞する。
披露された琉球舞踊はどれもゆっくりとしたリズムで、
日本の神楽のように鬼退治をするような勇ましく、
激しい踊りは無かった。琉球舞踊を初めて鑑賞した。
琉球舞踊に対する知識は皆無に近かったが、
演じられた踊りはすべて興味を持って鑑賞できた。
帰宅してから琉球舞踊について調べてみた。
琉球舞踊は薩摩、中国からの影響を受け、
琉球独特の味を出しているそうだ。
調べてみると、琉球の古典舞踊は大別すると
老人踊り、女踊り、若衆踊り、二才踊り、打組踊り、
そして雑踊りになるそうだ。 -
我々の席は舞台の右側の一段高い席。
料理は本格的な琉球料理と和流料理があるが、和流料理を選んだ。
それでも豚の耳などの料理が。
最初は躊躇したが、食べてみると美味しい。
一品一品出された料理はどれもおいしい。
地元のオリオンビール、50度の泡盛、 -
うらしまHPでも掲載している琉球舞踊についての
由来や踊りの意味などを事前に調べておけば
もっと興味深く鑑賞できたであろう。
琉球舞踊についてうらしまのHPに記載されている内容を
一部引用させてもらう。
18世紀頃から琉球王朝時代に琉球王やその国賓の前で
踊られた古典舞踊(宮廷舞)と、明治以降に庶民の風俗や
習慣を題材にして生まれた雑踊(ぞうおどり)に大別される。
琉球舞踊は一定の歌詞に振付がなされ、
衣装もほぼ決まっている。
基本姿勢や動きの中には空手と通じるところも多く、
優れた踊り手には空手の心得のある者が多かった。
音楽が始まると踊り手は舞台の下手(左側)より
登場(出羽)し、中央で踊り(中踊り)、
終えると下手に戻る。
これは、琉球舞踊がお座敷で踊られていたことに由来し、
宴の席で食事や酒を味わいながら踊りを
愛でるというのが本来の楽しみ方。
古典舞踊は、中国皇帝の使いである冊封使(さっぽうし)を
もてなした為御冠船踊う(ためかんしんおどり)とも言われ、
踊り手は踊奉行に任命された士族男性のみで、
王府の庇護のもと発展。
踊りの役柄や特色により「老人踊り」(おめでたい踊り、
子孫繁栄や長寿を主題;「かぎやで風」など)
・「女踊り」(愛情を主題;「四つ竹」など)・
「二才(にせい」踊り」(青年の踊り、五穀豊穣を主題;
「上り口説」など二才踊りは薩摩の在藩奉行の前で踊られていた。
・「若衆踊り」(元服前の少年の踊り、予祝を主題;
「若衆ゼイ」など)などに分かれます。
紅型や赤足袋など華やかな衣装や荘厳な衣装を
着用したものも多く、優雅で美しく舞います。
・雑踊りは、1879年琉球処分により、
琉球王朝の崩壊とともに禄を失った舞踊家たちが、
街に出て民衆を相手に芝居小屋での興行を
営むようになり発展。
古典舞踊で用いられた繁栄や発展といった題材や
きらびやかな衣装とは対照的に、
男女の愛情や、豊作豊漁を願ったもの、
故郷の情景を思い描いたものも多く、
衣装も芭蕉布や絣といった、
庶民の生活で使われたものを取り入れている。
「老人踊り」「女踊り」などの区別なく
何でも取り入れたところから「
雑」踊りと呼ばれるようになった。
生き生きとして自由でリズミカルな演目が数多く生まれ、
また多くの人々を魅了し、踊り継がれていきました。
戦後には多くの女性舞踊家も誕生した。
琉球舞踊の特徴として、
コネリ(手をこねるようなしぐさ)や
ナヨリ(なよやかな体の動き)が琉球最古の
歌謡集「おもろさうし」に記されている。
また、腰を落とし、すり足で歩く足さばきには、
日本の伝統文化である能の影響も
受けたのではといわれている。
我々がうらしまに訪れたときに演じられた琉球舞踊
琉球古典音楽のなかで、
最もめでたいとされる「御前風 ぐじんふう」5曲の中でも
最高峰であり、国王・国賓の前で踊るにふさわしい荘厳な踊り。
「御前風」=「かぎやで風」とも言われ、
現在でも、祝宴や音楽会などの幕開けには欠かせない踊り。
「かぎやで風」の名前の由来には諸説あり、
最も有力な説として語り継がれているのは、
鍛冶屋伝説です。
金丸という青年が伊是名島から追われ
漂着した国頭村奥間の海岸で鍛冶屋の男に
「将来大人物になる」と助けられた。
その後、金丸は第二尚氏の始祖・尚円王となり、
奥間鍛冶屋(おくまかんじゃー)を
国頭按司(くにがみあんじ)(日本の宮家に相当)にとりたてた。
その際に鍛冶屋が即興で詠んだ琉歌がかぎやで
風節の筆頭の「あた果報のつきやす
夢やちやうん見だむ
かぎやで風の作り へたとつきやさ」(こんなに
大きな果報がつくとは夢にも思わなかった。
鍛冶で鍛えられる鉄のように
(果報が)べったりとくっついている)だったといわれています。
現在一般に踊られているのは
「今日の誇らしゃや 何をにぎやな例る
蕾でおる花の露来ゃたる如」(今日の嬉しさは何に例えよう。
まるで蕾が朝露を受け花開いたかのようだ。)という歌詞。
こちらは1556年に新城親方安基が、
虚弱だった王子尚元を、周囲の反対を押し切り
王位につかせた際の喜びを詠ったものと言われている。
上り口説(ぬぶいくどぅち) 古典舞踊 -
老人踊り かぎやで風(嘉謝伝風節 かじゃでぃふう )古典舞踊
琉球王の使者が、江戸上りで薩摩に向かう船旅を
表した踊り。歌詞の中では、首里の観音堂で旅の無事を祈り、
港への道すがら家族知人との別れのつらさに涙をこらえ、
いざ出港し、小さくなってゆく岬や島々、
数々の難所も乗り越え薩摩の桜島が見えてくるまでの情景を
詠っている。踊り手は扇子を2本持ち、勇壮に踊る。 -
雑踊り 谷茶前
沖縄本島の西海岸、恩納村にある谷茶の浜で、
男は魚を捕り、その魚を女が売りに行くといった漁村の村人の生活を
軽やかに表現。
衣装は芭蕉布で、男は櫂(ウェーク)を、
女はざる(バーキ)をそれぞれ手に持ち、
生き生きとした生活の様子を表現。
発祥の地である谷茶の海岸には現在でも歌碑があり、
知名度の高い演目。
歌詞は「谷茶の浜にキビナゴが寄って来たよ
あれはキビナゴじゃないニシンだよ
男たちはそれを捕り 女たちはそれを売り歩く
売って戻ってきた女たちのいい匂いよ」と歌っている。 -
雑踊り 鳩間節
沖縄本島の南西に位置する八重山諸島にある鳩間島の
豊かな自然を思い描いた歌。
本来の鳩間節は緩やかなテンポで踊りも静かなものであったが、
大正時代の名優・伊良波尹吉が日本舞踊の「かっぽれ」を取り入れ、
賑やかで軽快な踊りとして踊り継がれている。
ただ、鳩間節の原歌となった「鳩間ユンタ」では、
快活な現在の「鳩間節」とは異なり、
悲しい島の歴史が歌われていた。
当時の八重山諸島では、人頭税という重税が課され、
鳩間島は隆起珊瑚礁の島で耕作地が少なく、
鳩間島の人々は対岸の西表島の荒地を開拓して生活をしていた。
クリ舟を漕いで畑へ渡るため、
一度行けば皆で一生懸命畑仕事に打ち込み、
そのおかげで西表島の中でも鳩間の人々の耕作地は最も豊作だった。
それを見た地元西表の人々に「土地がよかったのだろう」と
返還を要求されるようになり、
それに憤った鳩間島の人々の思いを、
稲や粟を満載して鳩間島に帰ってくる船の情景に
合わせて歌ったものであった。 -
雑踊り 加那ヨー天川
男女の恋を生き生きと表現しており、
現在においても高い人気を誇る代表的な雑踊り。
前半の「加那ヨー節」では女性の花染手巾と
男性の長巾を交わせ情熱的な愛情を表し、
後半の「島尻天川節」では、
息もつかせぬほどの三線の速弾きに合わせ、
水辺で遊ぶ若い男女の無邪気な様子をおおらかに表現している。
こちらも鳩間節の伊良波尹吉による創作舞踊で、
結婚式や祝いの席でよく披露される。 -
女踊り 四つ竹(踊りくはでさ節)古典舞踊
紅型衣装に花笠をかぶり、四つ竹を打ち鳴らし踊るこの踊りは、
琉球舞踊の中でも最も優美で豪華絢爛な踊り。
歌詞の中では、「くわでさ(日傘のように広がり影を作る樹)の
隙間からまばらに照らす月の光のように
忍んで会いに来てください
四つ竹を打ち鳴らし
今夜は立派なお座敷で舞い遊ぶことができる嬉しさよ」と歌う。
花笠は、蓮の花をモチーフに、海と空を表す青色をあしらって、
平和で豊かな沖縄の自然を表す。
黄色の紅型は中国で最も高貴とされた色で、
琉球においても首里王府内の正装として用いられた。
響き渡る四つ竹の涼やかな音色とともに
鮮やかな衣装に合わせて優雅に舞う。 -
雑踊り 貫花
踊り手の首にかけられているレイが「貫花」。
絣の着物から右袖を抜き、
手巾を頭に前結びにした姿で踊る。
久米島の白瀬走川に流れている桜を拾い集め、
糸に貫き、花飾りを作って愛しい人へ差し上げようという、
乙女心を表現。
曲は2部構成で、前半の武富節では桜を拾い集め
貫花を作る乙女心を表現し、
後半の南獄節では四つ竹を打ち鳴らしながら軽快に舞う。 -
雑踊り 繁昌節
沖縄では、かねてより各地で豊年祝いが行われてきた。
豊年祝いでは空手や棒踊りなどが披露される。
琉球舞踊の繁昌節は、
その豊年祝いからヒントを得て創作された。
空手の型を取り入れた力強い動きで、
「エーキ繁昌、勝る繁盛」と囃子を織り交ぜ踊る。
「エーキ(ウヤキ)」とは沖縄の方言で
「何事にも代え難い宝物」「富」「財産」の意味で、
豊年豊作を願った踊り。 -
雑踊り 花風
那覇の三重城の港から船出する恋人を、
人知れず見送る遊女の、
別れの切なさをしっとりと表した踊り。
紺地の絣を「ウシンチー」という沖縄独特の着付けで舞います。
紺の日傘、白足袋、赤い手巾といった、
華美ではない色合いの美しさと踊り手のさみしげな様子に
思わず見惚れてしまう。 -
二才踊り 大漁節
豊漁の喜びをダイナミックに表わした二才踊りで、
海の男の心意気を表現。
美味い料理、美しい琉球舞踊、地ビールオリオン、
50度の泡盛すべて初めての体験であった。
来年は八重山諸島を訪れたいと考えており、
帰りに那覇に宿泊し、再度、他の演目の琉球舞踊を鑑賞してみたい。 -
琉球舞踊が終了すると、観客を次々と舞台に呼び
記念撮影。 -
沖縄滞在2日目、3月1日目
ホテルから徒歩で
現地主催のツアーバスで沖縄北部を訪ねる受付事務所に行く。
ここは仮事務所で、地くに新しい事務所を建設中。
この日は生憎雨で参加者はわずか7名。大きなバスでゆったり。
最初に向かったのは美ら海水族館。
広い敷地の中を雨に濡れらながら行く。 -
水族館のお目当ては大きな水槽をゆったり泳ぐ
ジンベイザメ。
見学する人々が小さく見える。 -
大きい!
-
甚平鮫も負けてはいない。
巨大な水槽の中を所せましと泳ぐ。 -
風雨の万座毛を訪れた。
海岸線が波で大きく浸食され、
象の鼻の形をした岩に大きな波が打ち寄せ荒々しい。
豪快そのもの。
万座毛は琉球王朝、尚敬王が、
「万毛(毛は原っぱのこと)」
(言い換えると「一万人が座れる広い原っぱ」)と
評したことに由来していると言われている。
実際訪れてみると、
琉球サンゴ礁岩が一面にごつごつしていて
とても気持ちよく座れる場所ではない。
王は比喩的に呼んだのであろう。
そして、
多くの奇岩が波に洗われている。
古代琉球人はここで自然の力を感じたのであろう。
訪れた時は雨で、鉛色の海が一面に広がり、
南国特有の紺碧の海は見られなかった。 -
明治村の沖縄版
広い敷地内に琉球時代の古民家などが移設され、
当時の雰囲気を出していた。 -
今夜は目利きの銀次 新都心店で夕食
熱帯魚のような魚ではなく、普段食べなれた鮮魚を食べに行く。
ホテルで一休みして旭町駅からゆいレールで
おもろまち駅まで行き、 徒歩17分ほどで目利きの銀次。
二階に上ると広い。
かなり混んでいる。並んで順番を待っている人もいた。
予約していたテーブル席へ。 -
あれこれ注文したらテーブルの上が一杯。
刺身を中心に注文、どの魚の新鮮でうまい。
レジで「たくさん注文してもらい、ありがとうございます」と
言われた。
帰りは泡盛など飲んでほろ酔いなので、店からタクシーでホテルに
戻った。タクシーではすぐにホテルに着いた感じ。 -
沖縄滞在3日目 最終日
小雨交じりで風が強く不安定な天候であった。
那覇まちま~い 那覇の市場(マチグヮー)
迷宮巡りツアー那覇国際通りに参加した。
ガイドさんとの待ち合わせはてんぷす那覇前広場10時30分。
少し早めに到着したのでてんぷす那覇館を散策し、
裏手に回ってみた。
ここはてんぷす那覇の希望が丘公園で
公園中央に巨大な縄が大蛇のように置かれていた。
那覇大綱引きモニュメントとのこと。 -
前日、国際通りを車窓から見た。
にぎやかな地方の銀座通りのような印象で、
これぞ沖縄という特徴がみられなかった。
朝10時50分、てんぷす那覇前広場でガイドさんと落ち合う。
今回も我々だけの貸切ツアー。
にぎやかな国際通りから裏路地のような平和通りに入る。
突然、国際通りと全く異なった雰囲気。
沢山の商店がびっしり並んでいる。
終戦後から営む歴史ある店、店。
かつて川であったところを埋め立て
細長い二階建てのコンクリートのアーケード商店街。
えびす通り、もと闇市だった第一牧志公設市場を
ガイドさんと散策。
ここには沖縄庶民の生活に必要なもの、
衣類、食品などが処せましと並んでいる。
ウミヘビの燻製、豚の頭、豚足などこれぞ沖縄の市場。
ガイドさんからこの市場の歴史を伺った。
とても興味ある内容だった。
ガイド無しの散策では知りえない沖縄の歴史、
庶民のバイタリティーを学んだ有意義な
1時間30分のツアーだった。
資料によると那覇 国際通りは、
那覇市の県庁北口交差点から安里三叉路にかけて
約1.6kmの通りの名称。
戦後の焼け野原から見事に発展した。
1933年(昭和8年)に旧那覇市中心部と首里市を
最短距離で結ぶ県道として整備された一本道で、
人家は少なく畑や湿地帯が広がっていた。 -
アーケード内
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ガイドさんとの散策はにぎやかな国際から横道の平和通りに入る。
小さな商店がびっしりと並ぶ。
1982年にアーケードかされた。
見上げるとアーケードは歴史を感ずる。
かなり老朽化している。 -
アーケードの支柱のあちこちに動物の彫刻が付けられている。
当時はきれいであったであろう。 -
海カメ?
-
戦後、米軍によって那覇の中心地が接収された。
壺屋地区の窯業業者たちが産業復興を名目にこの地に入り、
続いて牧志地区の瓦職人たちも加わった。
ほかの人々もみな窯業関係者や職人の親戚縁者と名乗り
市内に入り始め、壷屋から牧志にかけて
ガーブ川周辺や新県道近くに居ついて自然発生的に闇市が広がった。
1948年(昭和23年)、
米軍の物資集積所があった新県道沿いの土地に
「アーニー・パイル国際劇場」という映画館が出来、
映画館にちなんで「国際通り」の名が定着した。
国際通りはデパートなどの大店舗が集まる繁華街となったが、
大型ショッピングセンターは駐車場を確保できる郊外に移り、
生活に密着した店舗はその裏通りにある平和通りや
その周辺に移った。
国際通りの方は、その名が有名になるにつれ、観光客が増え、
観光客向けの店舗が増加。
土産物店や有名飲食店、ホテルなどが占め、
ほとんどが観光客向けの通りになった。
地元住民の生活にかかわる商店街は
その裏手の平和通りや「沖縄の台所」とも呼ばれている
牧志公設市場などが国際通りの裏手で頑張って入りる。
現在、那覇市の壺屋は「やちむんの故郷」、
読谷村は「やちむんの聖地」と呼ばれている。
やちむん(陶器)は沖縄の伝統工芸として広く認知され、
日常的に使われる食器から芸術作品まで、
幅広く生産されている。 -
平和通りからカーブ川の上の建てられた水上店舗を見学。
コンクリートでしっかりとした構造。
建物に窓なと当時としてはモダンなものであったであろう。 -
水上店舗から第一牧志公設市場に入る。
戦後、発生した闇市の露店商人を集めたのがこの市場。
ものすごい活気!
一階で魚を買い、二階のレストランで調理してもらえる。
印象としてはあまり安くはないように感じた。見学のみ。
通路にはみ出すようにたくさんの商品が並ぶ。
豚の顔、豚足、ウミヘビの燻製など。 -
公設市場からかりゆし通りに入る。
ここは総菜屋さんなどが立ち並ぶ。
庶民の台所。
ちとせ商店街ビルから古着屋などが多い浮島通りからえびす通りへ。
衣料を扱う店が立ち並ぶ。
ここはなんといっても年季があるも木造のアーケード。
水上店舗、公設市場周辺は人出が多くにぎやかだ。
しかしここからさらに一歩奥に入るとうら寂しい。 -
こんな愛嬌たっぷりのシザー。
-
終戦後の市場を色濃く残した国際通りの裏側だった。
建物の継ぎ目に亀裂が入り、段差が。
水上店舗のコンクリート製の建物も戦後かなりの年月が経過し、
老朽化が目立つ。いずれは新しい商店街に生まれ変わるのか
華やかな国際通りを一歩中に入るとそこには戦後の沖縄が
観られた。
多くの観光客は国際通りの商店街のみを歩いて、国際通りの
一歩入った沖縄らしい商店街をぜひ訪れてほしい。
アーケード内はがびっしり肩を並べて商店が店を開いている。
ガイドさんの説明では一軒でも店を閉めると、客足が少なくなり
連鎖的に他の商店も店を閉めるようになり、シャッター通りになって
しまう。商店の人々は一軒でも店がsっ暇らない様にお互いに
連絡しながら頑張っているとのこと。
商店街の人々のバイタリティー素晴らしい。頑張って! -
沖縄での楽しみ、ステーキ食べる。
旭橋駅より徒歩5分と近いステーキハウス、O's Houseに行く。 -
昼時でもあり、かなり混んでいる。
予約していたので即着席。
上サーロインステーキを6?をミディアムレア―で注文。
肉質、味とも満足、おいしかった。
ただ、一つだけ残念だったのは沖縄滞在中天候が悪く、
沖縄特有の青く澄んだ海が見られなかった事。
これで沖縄旅行の予定はすべて終了。
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