2025/06/22 - 2025/06/22
89位(同エリア139件中)
ゆーちさん
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旅のキャッチフレーズ; 都会に近くてちょうど良い田舎町を巡るバス旅
今回は以下の施設を訪問した。
長沼町 道の駅マオイ(馬追)の丘 トイレ休憩
安平町(人口7265人)
道の駅あびらD51ステーション
鹿公園 日本最古の保健保安林にある公園
厚真町(人口4271人)車で 札幌から90分 新千歳空港から35分
古民家レストラン真鹿「まじか」で鹿肉のハンバーグランチ
軽舞遺跡調査整理事務所 擦文文化期のアイヌ文化期の出土品
約700年前のアイヌ民族が教えてくれるもの
由仁町(人口4490人)
伏見台展望台
ゆめっく館 由仁町の図書館と資料館の複合施設
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
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長沼町道道274号線を東へ進む。
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まずは道の駅MAOI(馬追)の丘公園にトイレタイムで立ち寄る。
道の駅 マオイの丘公園 道の駅
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店内はお土産として近郊の物産品が充実しているが、時刻は8:35分まだ開店していない。
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農産物はぼちぼち入荷していた。メインは朝採れたての野菜が並ぶお店だ。
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大根も昨今は一本づつ包装されていて驚く。土付きだからか?葉もピンとしていた。
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建物全体を写す。4階建ての吹き抜けになっているとんがり帽子の屋根が目印。二階は展望レストラン、その上階にはガラス張りの展望台があるそうだ。
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続いて「道の駅あびらD51ステーション」に9:00到着。
安平の名称はアイヌ語でアラピラペツ(一面・崖の・川)、アラピラ(片側・崖)、アピラ(光る崖)など諸説ある。道の駅 あびらD51ステーション 道の駅
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農産物直売所;あびら町名産のアサヒメロン 等級が「秀・優・良」の順だった。
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「あびらD51ステーション」の内部は広い。入って右手のパンコーナーから店内全体を見る。農産物直売はもちろん、テイクアウトコーナーやレガシーギャラリー、フードコートもある。2019年にオープンと比較的新しい施設だ。突き当たりに鉄道資料館がある。
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食材も各町村の名産が並びユニークなものが揃っていた。「いぶりだいこん」と「早来のカマンベールチーズ」を買う。いぶりは「燻り」と「胆振」をかけてネーミングされたようだ。少し燻りガッコのような味がして美味しかった。
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一番奥の扉を出ると蒸気機関車(SL)D51型320号が鎮座する鉄道資料館。ここには1939(昭和14)年に製造されたD51の実物が大切に展示されていた。高さ約4m,長さ約20m,幅最大約3mは圧倒的な存在感で迫力があった。人気の理由は鉄道ファンから国内屈指と評される車体の保存状態だ。元機関士ら12人がつくる「SL保存協力会」が担っている。週3回程乾いた布で丁寧に拭き上げ、月二回屋外で展示するそうだ。
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追分駅を中心に活躍したD51の歴史。空知地方の石炭を積んだ貨車を牽引し、室蘭や苫小牧に運ぶなど活躍した。追分地区は旧国鉄室蘭線と夕張線(現JR石勝線)の合流点だった追分機関区がかつて存在し、鉄道関係者が多く暮らす鉄道の要衝として発展した。
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追分駅は十勝方面と札幌方面を分ける乗り換えの中枢だった。みかわ(夕張・帯広)方面とあびら(千歳空港・札幌)方面の分岐点。
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北海道の近代化を支え日本遺産「炭鉄港」(道内14市町)の計50ある構成文化財の一つとして2019年認定された。
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あびら町道の駅を出てあびら川を渡り、次は厚真町の古民家レストランに向かう。
厚真町はアイヌ語のアツマト(湿地にアシの茂るところ)からきている。1858年松浦武四郎が厚真町冨里に2泊したと東蝦夷日誌にある。1870(明治3)年新潟県の青木与八が浜厚真に入植し6人のアイヌと同居し開拓が始まった。現在ハスカップの栽培面積は日本一である。浜厚真は年間6万人のサーファーが集まるサーフスポットで有名。 -
11時からオープンの古民家レストラン真鹿(まじか)に到着。
この建物は1908(明治41)年に福井県から入植した山口金松氏の農家住宅(旧山口邸 越前Ⅱ型)を厚真町が移築・再生したもの。飲食店と宿泊施設でもある。開店時間厳守ということでしばらく待つ。 -
その敷地内にあった小さなログハウス。
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ハンドメイドの雑貨が販売されていた。小さな空間に所狭しと展示されている。それでも4人位は入れますよといわれる。
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これは近くにある普通の住宅。キャンプ場のようなスペースに焚き火を設置してミュージックが流れる。よく見ると背もたれのある大きな椅子に腰かけて男性がのんびりと読書中。敷地は広そうだ。
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この一帯は、古民家を集めた部落のような土地で、フォーラムビレッジと呼ばれているらしい。200坪~900坪程度に設定されている宅地分譲地であった。厚真町は「古民家移築再生整備事業」で農家や古民家を地域の交流施設として活用し、町の歴史や文化の継承、関係人口の創出を図っている。
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先程の古民家レストラン真鹿(まじか)の裏側にはもう一つの古民家が見えた。
厚真町には開拓農家が造った北陸地方の伝統建築様式の特徴をのこす築100年以上の古民家が多く残っており、富山県砺波地方の伝統工法「枠の内」旧畑島邸(2014年完成)、福井県の旧山口邸「越前型造民家」(2022年完成)、石川県の旧幅田邸「加賀型・能登型造民家」(2023年完成)の三つのタイプが代表的な古民家だそうである。 -
何気なく庭におかれた藤籠のディスプレー。「此方(こち)」というパン屋さんが入っている旧畑島邸の裏庭。「此方」でずっしりと重く香ばしい食パンを購入。高い天井に太い梁がある古風な建物だったが中は撮影禁止と言われた。逆に今、富山県の砺波地方に行っても厚真町に復元されているほどの広さは無いという。
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ようやく11時。本日の昼食は鹿肉のハンバーグ。ふるさと納税にも採用されている。七輪の上の鉄板にじゅうじゅうと音を立てながら運ばれ、焼き加減はお好みで調整できる。一個220gのつなぎ無しの鹿肉ハンバーグが二個、鉄板で焼くのでエプロンをしないと脂が飛んでくる。焼けると脂身がほどよく抜けて非常に美味。とても満足な味だった。
真鹿 グルメ・レストラン
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2018(平成30)年の北海道胆振東部地震で厚真町は観測史上初の最大震度7を観測。甚大な被害が発生した。特に森林の崩壊面積は東京ドーム700個以上で、明治以降国内最大の被害だった。地震ではげ落ちた土砂の様子がわかる
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旧軽舞小学校の校舎を利用した軽舞(カルマイ)遺跡調査整理事務所にやってきた。
2012(平成24)年から厚幌ダム埋蔵文化財発掘事業の整理事務所として活用されている。
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入口がかわいい。二階にステンドグラスが見えている。2011(平成23)年3月に統廃合で空き施設となった軽舞小学校の校舎を活用している。
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入ってすぐ厚幌ダムの模型。2018(平成30)年の多目的ダム建設で半永久的に沈んでしまう遺跡を発掘調査で記録し、先人の歴史を伝える目的があったのである。
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小学校の体育館いっぱいに展示された様子は圧巻だった。明治の開拓期から昭和にかけての農機具や漁具。
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この地域の生活用具などが大切に展示・保存されている。
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体育館のステンドグラスがひときわ輝いて見えた。玄関から見えたステンドグラスだ。図案がかわいらしく、閉校になるまで子供たちの歓声が響いていた窓だと思うと少し感傷的な気持ちになった。
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展示品の多さに驚かされる。昭和の懐かしい模様が多い陶磁器
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この地域で発掘された黒曜石や縄文土器
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ここの特徴は、地域で発掘された文化財に触れることができるということだ。ドキドキしながら初めて縄文土器を持ってみてその重たい素朴な感触に満足。どこの博物館もそのような体験が出来るところはあまり聞いたことがない。
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さらに、一定の室温に保たれた特別室では、アイヌ民族のお墓から出土された貴重な埋葬品が調査資料と共に保管されていた。埋葬品の説明が時代背景も盛り込んで詳しくなされた。
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鏡として使っていた銅鏡。模様も確認できる。
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埋葬されていた遺物の分析内容が説明された。女性の墓には縫い針、鉄なべ、ガラス玉が必ず埋葬されているそうだ。
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これは9歳の男の子の墓の埋葬品。当時の本物と同じように作成された小刀が子供の埋葬品として発掘されている。なんと、鎌倉時代の武士が身につけていたものらしい。
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立派な太刀が身を守ってくれるように。との願いが込められているのだろう。刃の部分は木製だった。
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このパネルから当時のものと判明。鎌倉時代の絵図に描かれているのと同じものだそう。これらは、2023(令和5)年9月~11月まで国立アイヌ民族博物館(ウポポイ)に「考古学と歴史学からみるアイヌ史展ー19世紀までの軌跡ー」と題して特別展示されたという。
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その特別展示室を出るとチセ(アイヌの人の家)の模型があった。
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この地域の地層。海岸から内陸に向かう地層
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厚真町北部の地層と胆振東部地震の地滑りの様子が説明されていた。
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地震で崩壊した様子の航空写真。
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旧石器時代(12,000年前)からアイヌ文化期(500年前)~太平洋戦争までの厚真町と道内主要遺跡の時代年表
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縄文人と続縄文人、オホーツク文化人など その由来をDNAで分析。一口にアイヌと言っても南方から来たアイヌと北方から来たアイヌには遺伝子レベルの違いがある
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旧石器時代から現代まで 北海道の遺跡と本州の時代区分と併記された 略年表
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富山県の高丘から入植した人たちが集っていた神社ののぼり。中には祭壇がそのままお参りできる形で保存されていた。
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擦文文化期からアイヌ文化期の出土品は国内第一級。おまけに多くの展示品に触れることができるなんて信じられなかった。見学が終わって玄関から改めて体育館のステンドグラスを眺めた。
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次は北の隣町、安平町の鹿公園に行く。水田には徐々に水が引かれ田植えが始まる頃だった。安平町は2006(平成18)年に早来町と追分町が合併して誕生した。早来町は木炭生産全道一・日本初のカマンベールチーズ生産、追分町は鉄道の要衝として発展した。ディープインパクトやアーモンドアイ等の競走馬の産地でもある。
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植えられたばかりの稲たち。
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これは小麦畑
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収穫されたあとはこんな色
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畑が続く郊外の風景
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中安平(ナカアビラ)橋を渡る。
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作物は不明だが畝が美しい
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13:40 鹿公園に到着。敷地内は広い。日本最古の保健保安林を持つ公園。保健保安林とは、生活環境保全機能と保健休養機能の高い森林で人間の健康を守るとして指定された森林である。1902(明治35)年に指定を受けた。この地は早期に鉄道が走り、東洋一のコークス工場が操業して伐採が進んでいたことから森を守るために指定されたとのこと。
鹿公園 公園・植物園
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この道をずっと歩いていく。公園までのアプローチが長い。春は桜、夏はスイレン、秋は紅葉と四季が楽しめる。エゾシカ公園、鯉が泳ぐホタル池、キャンプ場などがある。
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行く手に東屋が見えた。ツツジの一種カルミアの大きな広がりが優しいピンク色を揺らしていた。
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奥にマリーゴールドが整然と植えられ、手前にカルミアの花が満開。
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さらに進むと大きな池(ホタル池)にスイレンの花が満開。この池を見下ろす位置に柵で囲まれたエゾシカの遊ぶ広いスペースがあった。
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若い牡鹿。「ちょうど一週間前に小鹿が産まれたばかりだ。見たいかい?」と飼育員のおじさんが言った。「わあ見たい!」というと小屋を開けに行ってくれた。
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バンビは喜んでぴょんぴょん飛び跳ねながら出てきて親を追いかける。「鹿に餌を与えてください」とサービス精神旺盛な飼育員が、人参や小学校の給食の残りの角食。摘果メロンなどをわざわざカットして用意してくれた。
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お母さんのオッパイを盛んに飲む様子は微笑ましかった。あと2頭産まれるらしい
鹿公園 公園・植物園
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鹿の柵ごしにこの池が見える。池の周りはずーっと向こうまで続く散策路が取り巻いていて、、、。
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ぐるりとまわって帰路に就く
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可憐な睡蓮が美しい。ピンク 白 黄色へとグラデーションは自然のなせる技。
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カルミアも金平糖のような形を保ち、ピンク色も負けていない
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鹿公園の案内板(安平町観光協会)
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今度は由仁町に向かう。「由仁」はアイヌ語の「ユウンニ」(温泉のあるところ)からきている。郊外はどこまでものどかな風景がつづく。少し雲が晴れて来た。
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14:40 由仁町の伏見台展望台。町内を一望できる。標高146m。隣接して伏見台公園がある。眼下には水田が広がる。1886(明治19)年に開拓がはじまり、1892(明治25)年に室蘭⇔岩見沢間の石炭輸送のため鉄道が開通し由仁駅ができた。1950(昭和25)年に町制が施行され、基幹産業は減農薬農業、稲作、原木椎茸など。観光は四季の花が咲き乱れるユニガーデン・温泉宿泊施設ユン二の湯が有名である。
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晴れていれば夕張岳(1668m)が見えるとのこと。この山は青森からも北海道の山として確認できる高さがあるという。この地のキャッチフレーズは「都会に近くてちょうど良い田舎」だそうでその感覚もいいなと思った。
由仁町伏見台展望台 自然・景勝地
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14:50 旅の後半に立ち寄った「ゆめっく館」は由仁町の図書館と資料館の複合施設。
ゆめっく館 美術館・博物館
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メインホールにはマンモスとオオツノシカの実物大模型が展示されていた。
ゆめっく館 美術館・博物館
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由仁盆地のジオラマ。この辺りで平成2年(1990年)にマンモスの臼歯・オオツノシカの角の化石が発見された。
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マンモスの臼歯・オオツノシカの角の実物大模型が展示されている。
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象の系統図・ゾウ亜科の系統発生図 マンモス象の出現は5000万年前から始まり、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、ベーリング海、アメリカへと広がる。約20万年前になるとユーラシア大陸の北部では寒冷気候に適応した毛深いマンモスが出現。彼らは再びベーリング海域をわたってアラスカ、カナダなどに分布を広げ、北海道までも南下したと説明されている。
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由仁盆地の生い立ち。由仁町や安平町は馬追(マオイ)丘陵と夕張山地に挟まれた盆地で、約13万年前~1万年前の地層になっている。
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左は石狩低地帯周辺丘陵の地質図。四角の線で囲まれている部分が由仁・安平地区。右は由仁・安平低地の詳細な地質図。大昔この辺りは海だった。
支笏火山灰が堆積して陸地になった部分より下位に臼歯の化石が産出した(茶色と白の層)ので約5~6万年前にマンモスが生息していたと推定される。 -
マンモスの化石が発見された地層の説明。そしてこの発見が北海道とサハリン、シベリアが陸続きであったという何よりの証拠になった。
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話は一転するが、トイレもユニークな配置。
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マンモスを下から見上げると迫力がある。京都のプロの業者が家一軒分が建つ程の費用で作ったという。マンモスの歯の化石の発見によってここまで明らかにされる学問の力(人の探求心)に敬服する。
日常を忘れて地域の博物館や資料館を訪ねる魅力は先人たちの生活の一端に触れ、未知の文化に出会うところにあるのだと思う。楽しい時間だった。
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