2025/07/23 - 2025/07/23
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風に吹かれて旅人さん
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瑞浪市桜堂薬師
仁王門を過ぎると左手に2つの池があり、
上の池は鶴池、下の池は亀池と言われ、
今の鶴池は上池と呼ばれていました。所に
地元住民でつくる「櫻堂薬師保存会」の努力で、
7月には蓮の花が咲きます。
ほとんどが、ハスの種類は「茶碗蓮」多いです。
蓮の花は昼前には閉じてしまうので、午前中(7時~9時頃)。
また、雨が降ると、花に溜まった雨の重さで花が下を向くので、
できるだけ天気の良い日に観賞いただくことをお勧めします。
蓮も有名な所ですが、
瑞浪市桜堂薬師は、
昔は「瑞櫻山 法妙寺 薬師堂」と言っていました。
このお薬師の歴史は今から約1300年近く前から。
奈良時代(710年)元正天皇の
皇女様がどうしても直らなかった悪い病気を、
神のお告げで知ったこのお薬師に祈願された
ところ直ちに良くなられ、
喜んだ天皇は全国に薬師の信仰を奨励されたとの事です。
約1200年前の弘仁3年の頃(812年)嵯峨天皇の勅願寺として
「三諦上人」がこの薬師を開かれました。
この頃、天皇が病気にかかられ
この寺の住職の三諦上人に全快の祈願を願われたところ、
すっかり病気が治り、
天皇の命令でこの寺の修理・増築を指示され、
お堂やお寺が26から36と言われるほど
沢山のお寺が立ち並びました。
比叡山、高野山の開山に前後して開かれ、
これらと並んで日本三山の一つと呼ばれ、
開山より700年後、織田信長の命により焼失しました。
その後、岩村城主「丹羽式部少輔氏澄公」により、
再建され今日に至っています。
由緒ある桜堂薬師..意外にも凄い場所で、
織田信長に攻められず、現存していたならば、
今は、春には桜、初夏には蓮の花でも人気があり、
ひょっとして全国から観光客が押し寄せていたかも。
そんなこと知る人は、ここが・・・。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
櫻堂薬師の花ハス(瑞浪市)
神々しい花が咲き始める。 -
桜堂薬師仁王門は、
瑞浪市のほぼ中央に位置する土岐町桜堂地区に所在し、
桜堂薬師本堂の南西約100mに位置する。
桜堂薬師は、弘仁3年(812)に瑞桜山法妙寺(法明寺)として
創建されたとされる天台宗の寺院で、
元亀2年(1571)に織田信長の命を受けた森長可によって
焼き打ちに遭い、古記録や本堂、
多くの坊院を失ったとも伝えられる。
仁王門の建立年代は明らかでなく、
土岐氏に関連する寺院、
あるいは屋敷から移築されたとも伝えられる。
その伝承の真否は判断できないが、
寛文5年(1665)に描かれた絵図に
当該仁王門が描かれていることから、
この時点には現在地に建立されていたとみられる。
建立当時の屋根形状及び葺材は明らかでないが、
寛文5年(1665)年頃には切妻造、桧皮葺き、
あるいは杮葺きであったことが上記絵図から知られる。
その後、江戸時代中期に萱葺きに、
寛延3年(1750)に本瓦葺きに改められたことが
棟札および鬼瓦の刻銘から知られ、
現在の屋根は平成20年の修復によるものである。 -
仁王像は、地元の人からは「おにょう様」と呼ばれ、
阿形像は像高2.89m、
吽形像は像高2.93mである。
元禄10年(1697年)に尾張熱田の仏師箕輪幸慶によって
再造彩色されていたが、
平成20年に解体大修復により
室町時代後期の造立当時の姿に戻された。 -
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亀池に浮かぶ亀島には亀池弁財天があります。
この弁天様は、昔、神箆村は岩村領だったことから、
岩村の殿様が子どもが出来なくて、
跡取りに困られ、
その時に願立されお祀りされたと伝えられております。
弁天様は、
弁舌、学業、知識、延命、財力、福徳、音楽、言葉の八つの願い事を
聞いてくださる誠に有難い神様です。
ですから、弁天様をお参りすると、
人間良い事ばかりが続くと言うことのようです。 -
堂薬師の鶴池・
夏の風物詩の蓮花
砂田の白花・茶碗蓮・孫文蓮・藤壺蓮・金輪蓮の五種類
桜堂薬師には、道を挟んで、
「鶴池」(上池)と「亀池」(下池)があり、
2つの池を足すと、広さは約680平方メートル。 -
瑞浪市土岐町の古刹(こさつ)、
櫻堂薬師(桜堂薬師)の「鶴池」で、
輝いています、
神々しい。 -
ハスの花は、イィ香りを放つことから
「清香(せいこう)」の別名があります。 -
蓮の花の命は4日と言われてる
美しきものは短命
蓮の花の寿命は正確に4日間。
初日は、開花初日は午前6時頃から花弁が開きはじめ、
3~4cmほど開いたのち、
8時頃には閉じはじめつぼみの状態にもどります。
ちょっと咲いただけで開花しきらず、
2日目になると、早朝より咲きはじめ、午前7~9時頃には満開に。
きれいに開花し、昼頃に再び閉じる。
3日目には最大に開きます。受粉しためしべは黒っぽく変化し、
花の色が光退色します。昼頃には閉じはじめ
最大に開くが花の色はややあせてきて、
昼頃になっても完全には閉じきらない。
4日目になると、7時前から開花して8時過ぎには花びらが散り始め、
昼頃にはすべて散ってしまう。 -
ハスの花は、午前10時ごろになると、
徐々に閉じてしまう。
観賞したり、撮影したりするなら、
早朝がベストと。 -
蓮の花言葉
いくつかあるのですが、『清らかな心』は、
泥水を吸い上げながらも美しい花を咲かせることに由来するそうです。
そして、『休養』は、午前中に咲いた花が午後には
閉じてしまう様子を表したものだそうです。 -
猛暑酷暑で、長くはいられないので、
急いで撮ることになりました。 -
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-
ハス(蓮)は、朝早く開花して昼前に閉じてしまい、
今年は、早く行くものの、猛暑酷暑で朝露も何処かへ
じっとしても、暑いので日陰から、
ハス(蓮)は、これを3日繰り返し、
4日めに散ってしまいます。
1日ごとに変化する花で、
2日めの姿がいちばん美しいそうです。
ここ最近、来てますがタイミングを。 -
かつて、鶴池には、
観賞用のハスのほかに、食用のレンコンがあり、
正月には、地元住民が食していたという。
しかし、池の改修工事が行われた際、
水が抜かれ、ハスが全滅してしまった。
ハスを復活させようと、
平成22(2010)年には、
地元住民でつくる、
櫻堂薬師保存会(桑原研二会長)などが、
中津川市阿木のハスの愛好家団体から、
株分けしてもらい、植栽した。
復活への期待が高まったが、
ザリガニなどの影響を受け、再び全滅。
今度は、多治見市の愛好家団体から、
株分けしてもらい、ハスの種類も増やした。
また、池にコイを入れたことで、
ザリガニの影響を、受けにくくなった。 -
美しい蓮の花が間もなく開花時期を迎えます。
-
-
今の櫻堂のあたりにとても大きい池があって、
いつごろからか恐ろしい竜がすみつき、
小舟にのっている人を飲み込んだり、
村々を荒らしたりしていました。
近くの里に月吉と日吉という若者がいました。
二人とも不思議な夢をみました。
「早く竜を退治して里の人を救ってやりなさい
明日の朝、二人そろって池のほとりへ来なさい」
二人は池へ行くとそこで如来様を見つけました。
急いで強い弓を作り、矢をととのえ池のほとりに立つと、
晴れていた空に雷が鳴り始め竜が火をふきながら
二人に向かってきました。
竜が近づくのを待って、口の中へ矢をいこみました。
「ガァーッ」ともだえる竜に矢を放ちつづけると、
とうとう竜は真っ赤な血をふいて沈んでいきました。
大きな池は盛り上がり里ができました。
二人は桜堂に薬師堂を建てました。
今でも月吉の里、日吉の里、土岐の里はとても栄えています。
※この昔話は、
「ふるさと瑞浪」のお話のあらすじを短くして掲載しています。 -
境内には観音堂があり、
峰山観音として祀られていた観音菩薩像が安置されています。
本堂の蛙股には、
勅願所であった当時の名残として菊花の紋が刻まれています。
また、鶴池や亀池、蓮の花、老杉などが、
往時の面影を伝えます。
かつて、元正天皇の皇女の病を癒したという伝説が残る
疣岩という霊石も存在します。
境内には、本坊や被官坊の跡地に散らばっていた
五輪塔や宝篋印塔を集めた薬師石塔群があります。
また、櫻堂薬師の東側には、
神仏分離令によって創建された櫻宮神社があり、
山王権現が祀られています。 -
瑞浪市土岐町の古刹 桜堂薬師 本堂
嵯峨天皇が病気になった際に三諦上人が祈願する、
その褒美に寺やお堂が増築され、
(最盛期には境内には七堂伽藍が建ち並び
36坊が峰山山中に軒を連ねていた
30棟前後も建ち並び隆盛を誇ったと伝わる。)
比叡山、高野山と並んで「日本三山」と呼ばれたが、
元亀2(1571)年、
織田信長の命を受けた森長可に焼かれてしまった。
長可は森蘭丸の兄で、
現在の可児市兼山の「金山城」(兼山城)の城主だった。
後に焼き打ちを悔やんだ長可と鶴ケ城主の土岐三兵信友....
により再興されています。
江戸時代に入ると法明寺(桜堂薬師)は
岩村藩(藩庁:岩村城)の藩主松平家の祈願所として庇護されます。
特に藩主松平家乗が篤く帰依し、
病気になる毎に平癒祈願を行い.
絵馬を奉納しています。
松平乗寿が浜松藩に移封になると庇護者を失い、
さらに天災が重なり堂宇が大破し再び荒廃します。
寛文7年に藩主丹羽式部少輔氏純の庇護により永秀、
賢秀和尚が再興し
境内の整備が行われ堂宇も再建されました。 -
瑞浪市土岐町の古刹 桜堂薬師
本堂と観音堂
桜堂薬師(法明寺)の文化財
・ 三諦上人供養塔-元慶3年-高140m,花崗岩製-県指定史跡
・ 桜堂薬師絵馬群(慶長絵馬・寛文絵馬・亨保絵馬・文政絵馬)
岐阜県指定
・ 桜堂薬師舞楽面(陵王・抜頭・納曽)-岐阜県指定文化財
・ 土岐双生竹-岐阜県指定天然記念物
・ 仏師仏像群(薬師如来・前立薬師
・ 十二神将・月光:日光菩薩・四天王)-市
・ 桜堂薬師句額群(宝暦句額・寛政句額・弘化2年句額)
瑞浪市指定文化財
・ 木造金剛力士像(阿形像・吽形像)-室町時代後期-瑞浪市指定文化財
・ 桜堂薬師本堂(附:宮殿)-寛文7年-寄棟、銅板葺-瑞浪市指定文化財
・ 桜堂薬師仁王門-寛文5年-三間一戸、八脚単層門-瑞浪市指定文化財 -
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大きな舞楽面が飾ってあります。
この舞楽面は、鎌倉時代に造られたと推定される
本物を2倍サイズで再現したもの。
陶製で、瑞浪市窯業技術研究所によるものだそうです。
舞楽面のレプリカが展示してありましたが、
現存する貴重な舞楽面は重要文化財になっています。
寺宝として陵王、抜頭、納曽利の舞楽面や松平氏や丹羽氏、
名古屋の商人によって慶長年間から享保年間にかけて
奉納された絵馬があり、
これらは岐阜県の文化財に指定されている。
舞楽は
平安時代以降、宮廷や神社・寺院などで広く行われるようになり、
鎌倉時代頃から全国に広まった。
各地で地域色豊かな舞楽面が制作されるようになりました。
奈良時代から平安時代にかけて中国から伝来した舞(踊り)と
音楽のことで、舞楽面はその舞に使用するお面です。
舞楽は平安時代以降、宮廷や神社・寺院などで
広く行われるようになり、
鎌倉時代頃から全国に広まっていき、
各地で地域色豊かな舞楽面が制作されるようになりました。
この舞楽面は、土岐町櫻堂地区の桜堂薬師に伝わるもので、
陵王(りょうおう)、抜頭(ばとう)、納曽利(なそり)の3面。
陵王は鎌倉時代から南北朝時代の制作で、
当初全体に金箔が張られていたものに、
後世の補修により黒漆が塗られたとみられます。
本来、頭上には竜が乗せられますが、
烏天狗のような姿に改変されています。
抜頭は鎌倉時代から南北朝時代の制作で、
眉は黒漆、他は朱漆が塗られています。
当初は頭部に髪をたくわえていたとみられますが、
現在は失われて穴のみが残っています。
この頭部の穴は意図的にふさがれており、
後世に改変が加えられているようです。 -
左
納曽利(なそり)は、
室町時代から江戸時代の制作で、
全体に朱漆が塗られています。
本来納曽利の面は緑色ないし青色ですが、
この面は当初から朱色に造られた類例の少ない面です。
左
陵王(りょうおう)は、
鎌倉時代から南北朝時代の制作で、
当初全体に金箔が張られていたものに、
後世の補修により黒漆が塗られたとみられます。
本来、頭上には竜が乗せられますが、
烏天狗のような姿に改変されています。 -
抜頭(ばとう)は、
鎌倉時代から南北朝時代の制作で、
眉は黒漆、他は朱漆が塗られています。
当初は頭部に髪をたくわえていたとみられますが、
現在は失われて穴のみが残っています。
この頭部の穴は意図的にふさがれており、
後世に改変が加えられているようです。
桜堂薬師には「陵王(りょうおう)」「抜頭(ばっとう)」「納曽利(なそり)」の3面が残されており、
内「陵王」「納曽利」の2面は顎が動くように造られています。
「陵王」面は鎌倉時代の作と推定され、
檜)材を用いて精巧に造られています。
外面は漆を用いて盛上彩色(もりあげさいしょく)がなされ、
内面も麻布が漆で固め張られています。
他の2面もほぼ同時期の製作と思われ、
県内でも数少ない貴重な資料です。
この3面の舞楽面は、元亀二年(1571)10月の
織田信長の兵火を免れたもので、
桜堂薬師の歴史を立証する貴重な文化財の一つです。 -
当薬師が嵯峨天皇の勅願寺であった頃の全盛時から、
今日までの歴史の集積とも言えるこの石塔群は
鎌倉から室町時代に亘る貴重な石塔群であり、
全盛時には三十六坊とも二十四坊とも伝えられた面影も今はなく、
開山の三諦上人、中興の師永秀、賢秀師のほか、
中興二世、中興三世の代々住職の供養塔を中心にして、
かつて桜堂の各地、
奥山の山中に跡を残す坊跡に散らばる苔むす五輪塔、
宝匤印塔を拾い集めて祀ったのがこの石塔群である。
応永9年10月13日(1402年)の刻印のあるものもあるが、
今や古老のなかの記憶となりつつある現在、
かつての坊が地名として僅かに残っているに過ぎないが、
地元民にとって、
この数々の石塔が何故か坊の名前と共に身近に感じてならない。
由緒ある桜堂の歴史と共に生きてきたこの石塔群を、
坊名と共に次の世代に末永く守り引き継いで行くことを願う。
**本坊
妙法寺、根本地山安院、東乃坊、西乃坊、南乃坊、北乃坊、
金泉坊、洞乃坊、満月坊、家乃坊、吉祥坊、杉本坊
**被官坊
中円坊、不動坊、里乃坊、よりき坊、じやがね坊、
宝林坊、金剛坊、寂乃坊、大通坊、中陰坊、多聞坊、荒神坊 -
賢秀師の供養塔
元亀2年(1571年)信長により
焼失してしまった薬師堂を、
天台の僧永秀阿闍梨が復興を決意するが、
病を患い余命の無いことを悟り比叡山より
弟子の賢秀を呼び再建の願望を一言伝えて逝去した。
賢秀は師の願望を聞き
当時の岩村城主丹羽式部少輔氏澄公共々復興に心
身を賭した努力により、
寛文4年には御開帳が行われ、
岩村城主からの宝物の寄進、金銭の献納者、
参拝者も益々増加、
門前市を為すと言われるまでになり、
寛文7年には見事に復興再建された。
そうした賢秀師の遺徳を偲びここに供養塔が建てられた。 -
瑞浪市土岐町の古刹 桜堂薬師
-
瑞浪市土岐町の古刹 桜堂薬師
櫻堂薬師(さくらどうやくし)
岐阜県瑞浪市土岐町にある櫻堂薬師は、
正式には瑞櫻山法明寺という天台宗の寺院です。
地元では「桜堂薬師」の名で親しまれています。
この寺院は、弘仁元年(810年)に覚祐によって開かれ、
その歴史は1200年以上にも及びます。
20年程前、住職の方がなくなってからは、
この櫻堂薬師は地元の方によって守られてきたそうです。
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